川上は一人紅魔館の庭園にいた。
この季節は緑が茂り良く手入れのされた花壇では色とりどりの美しい花が咲き乱れていた。
空気も澄んでおりほのかに花の香りを感じられる。悪魔の館と言われる場所にあるとは思えない程その庭園は明るく、美しかった。
庭園の端の方のスペースは土が耕され野菜と思われるものが植わっていた。トマトが色鮮やかに実っているのが見てとれる。菜園も兼ねているらしい。
その庭園の美しさ、川上はそれを愛でるでもなくただ一定の行動を反復していた。
無造作に立っているだけの脱力した自然の構えから身体を開きつつ深めに踏み込み抜刀する。正眼の構えに移り滑るように後退する残心の後眼をつむり、静かに息を吐きながら納刀する。
眼をゆっくりと開き再び自然の構えに戻るとまた入り身しつつの抜刀、残心、それを繰り返していた。
四時になり仕事は終わった川上は今日フランとの立ち合いで自分が使った動きを忘れぬよう反復し身体に覚えさせていた。
もっとも川上はその動きはもうコツを掴んでいた。故にフランに対して使えたのである。身体が覚えていない技等咄嗟に使える訳もない。あくまでも鍛練は欠かさぬ為の一人稽古だった。
そして川上は納刀すると深く息を吐き反復を止める。
今度は再び自然の構えになりそこから左腰を惹き付け鞘走りを利用し逆袈裟に走る神速の抜刀を見せる。切り上げた刀をすかさず返し一歩踏み込みつつ真っ向切り下ろしを放つ。鋭くコンパクトな斬撃はヒュリッと風を切り裂く音をたてた。
そこから正眼に戻り残心、血振りをして流れるような動作で納刀。
再び自然の構えから今度は右に踏み込み向き直ると同時に鞘走りからの横一文字の抜刀。そして刀を頭上に斜めに寝かせつつ掲げ45度前に踏み込む受け流しの型を見せるとそのまま手首の返しだけで相手が居れば首筋のある場所に切り返す、そして残心。
川上の抜刀の型は一つ一つが丁寧で洗練されたものだった。動作自体は地味だが何処か美しい。
「見事な武技です」
そんな川上の一人稽古を陰から傍観していた者が声をかけた。
紅魔館門番、紅美鈴だった。彼女は同じ武術家として川上の稽古内容に興味があったのだ。中国の剣術、刀術と日本の古流剣術はやはり理合が全然違う事を川上の動きから美鈴は理解出来た。
川上は稽古に集中していたが美鈴の気配にはとっくに気付いていたのだろう。納刀し、ゆっくりと美鈴に向き直った。武芸者の集中は一つの事に入れ込むあまり周りが見えなくなるようなものでは無く、 目の前の相手に相対しつつも自分の周囲に何人人がいて誰が眼を向けているか把握する広い視野を持った“開けた”集中の仕方をするのだ。
「君程の者にそう言って貰えるなら光栄だ」
川上はそう答えた。彼も先日に美鈴との立ち合いで彼女の力量を理解しているのだろう。実際美鈴の中国武術は達人の域と言っていいだろう。
「貴方にまんまとしてやられた方からすると皮肉にも聞こえますね」
美鈴は苦笑いして言った。先日は毒等使われて遺恨もあったが今は言い訳するつもりもない。あれは自分の完敗だったのだ、美鈴はそう思った。
「そんなつもりもない。少なくとも君と本気で殺し合うのは俺は避けたい」
リスクが高過ぎる、川上はそう呟いた。川上は中国武術には造詣が深くはない。あまり良く知らぬが技術の上、達人クラスの錬度、やり合うのは馬鹿らしい、川上はそう思った。
「それは私も同感ですよ。あのような虚を付く技をいくつも出されたら堪りませんからね」
あんな暗殺者じみた邪な技をいくつも体得する相手等、まともにやり合えない、そう思った。
「だがまぁ、君程の手錬が稽古相手になってくれれば俺としても非常に助かるのだが。良ければ暇があったら頼めないか?」
「もちろん構いませんが‥‥。稽古の形式は?」
美鈴も正直武人としての血が川上との手合わせを望んでいた。川上にしてもそれは素晴らしい稽古になるだろうと思った。未知の技術である中国武術を知る絶好の機会、両者の利害は一致していた。
「そうだな‥‥。そちらで言う所の散打みたいな形でどうだろう」
散打とは中国武術に置ける試合形式に近いスパーリングの事だ。
「問題ありません。でもいいのですか? 剣は無しで」
散打はもちろん無手でのスパーリングだ。武器は使わない。明らかに剣士の川上が立つ土俵ではないのではないかと美鈴は考えた。
「問題ない。中国ではどうか知らないが日本剣術、武器術のベースは体術、柔術だ。無手での身体の使い方さえ理解すればどんな武器でも使えるようになるのさ」
つまり川上は徒手空拳でもある程度出来ると言う事らしい。
「なるほど、それは私としても楽しめそうですね」
一体どんな体術を用いてくるのか、美鈴は興味を持った。
「まぁ今日の稽古は終わりだ。明日以降暇があったら稽古に付き合ってくれ」
「えぇ、私は門かここに居ますからいつでもお相手しますよ。楽しみにいています」
美鈴は笑ってそう言った。実際やはり他流と交われる機会があるのは武人として美鈴は嬉しかった。幻想郷は閉じた世界故にあまりそのような機会はないのだ。
「この庭園の手入れは君が?」
川上は唐突に話題を変えた。先ほど美鈴が門かここに居ると言ったのが気になったのだ。仕事でここにいるとすれば庭園の手入れをしているのではと考えた。
「はい、お花の世話もお仕事ですからね」
美鈴は笑ってそう答えた。川上に相対した最初の頃より幾分柔らかい笑みだ。
それに、と美鈴は続けた。
「土いじりやお花のお世話は私自身好きですから」
美鈴は自分が育てた花達を見てそう言った。
そうか、と川上は呟いた。
「美しい庭だ」
川上はそう言った、何の他意も無い彼の本心だったろう。
「そういって頂けると嬉しいですね」
美鈴は少し照れ臭げに笑って言った。それなりに長い時を生きている妖怪であるはずの彼女だがその時は少女のような愛らしさがあった。
ふ、と珍しく川上も表情を崩した。彼にも多少の情緒はあるのか。
「では俺はそろそろ戻る。稽古相手を受けてくれて感謝する」
「はい、ご苦労様でした」
「じゃあな」
川上はそういい庭園から館の中に戻った。彼は懐からタバコを取出し火を点けた。
大きく紫煙を吐く川上は既にいつもの無表情だった。