武芸者が幻想入り   作:ㅤ ْ

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第38話

 「わお」

 

 フランドールは感嘆した。眠っている川上を起こすために彼の腹に落とした手刀、最近は手加減も覚えてきたフランのそれは当たっても精々悶絶する程度の軽いモノだが、しかしそんなもの睡眠中に食らったらたまったものではないだろう。

 

 しかしその手刀は掴み止められていた。寝入っていたはずの川上に手によって。フランの手を掴み横になったままソファーの上の川上はタダでさえ陰鬱な眼なのに寝起きでさらにどんよりと曇った眼でフランをみた。

 

 「起きてたの?」

 

 「‥‥今起きた。君のおかげでな」

 

 フランの問いかけにけだるげに答えフランの手の離した。

 

 「戦闘を専門とする人間は油断がない。睡眠中すら敵に反応する‥‥なんてどこかの本で読んだけど本当なのね」

 

 それを見ていたパチュリーが感心しているのかいないのかわからない抑制のない声でそう感想を述べる。

 

 「当たり前だ、殺しは競技でも遊びでもない。本気で命を狙ってくる敵なら必ず相手が無防備なタイミングで確実に狙うだろう。入浴中、食事中、睡眠中は無防備の最たるものだ。故に武術家などは危険を察知してから構えるんじゃない。普段道理自然にくつろいでいる状態がすでに構えだ」

 

 眠気が覚めてきたのだろう。そう武の理念を語りながらソファーから横になっていた状態から座りなおし、刀を床に立てた。

 

 「‥‥なるほどそれが貴方のつかう古流の兵法だったかしら? の理合なのね」

 

 「少なくとも俺は師にそう教わった‥‥」

 

 答えながら思い出す。目覚める前にみていた夢。自身の師との決別を──。川上は無意識に右手で服の上から古傷をなぞっていた。左の肩口から胸の中央へと走る刀傷の痕。彼の師が執念でつけた傷だった。川上が生きていて唯一付けられた傷だ。

 

 「ふぅん確かに人間はすぐ壊れちゃうから気をつけないと大変かもね」

 

 そんな川上の膝の間にポスッと座りながらフランは言った。身長差的に川上の膝の間にフランが座ると川上がフランを包みこむような塩梅になった。

 

 「君とて寝てる間に心臓に白木の杭でも打たれればまずいんじゃないか?」

 

 突然のフランの身体的接触には何の反応もせず、川上はそんな事を問いかけた。

 

 「う~ん、たしかにそれは痛そうね」

 

 そういいつつフランは川上の胸元に顔をよせタバコ混じりの川上の体臭を嗅いだ。ベッドとは違った濃密な匂いがした。

 

 「ん‥‥お兄様の匂いがする」

 

 「なあ、妹様は匂いフェチかなんかなのか?」

 

 川上の匂いを嗅ぎつつ呟くフランを見た川上はパチュリーにそう問うた。

 

 「さ、さぁ? そういう訳じゃないと思うけど吸血鬼は嗅覚も鋭いから貴方の事を匂いで覚えてるんじゃないかしら?」

 

 人間に猫のように擦り寄るフランが珍しく驚きつつもパチュリーは答えた。

 

 「あら、川上さん妹様とも仲がよろしいんですね」

 

 そこに丁度通りかかった小悪魔がフランが川上の膝にいることに少し驚きつつも、微笑んでそういう。

 

 「メイド妖精の事といい貴方もしかして子供に好かれ易いの?」

 

 「ひどいパチュリー! 私こどもじゃないもん!」

 

 パチュリーの言葉に頬を膨らませつつ反論するフランは誰がみても子供らしい愛らしさにあふれていた。やれやれと思いながら川上はフランの髪を繊細な手で梳いた。フランが触れている部分からはその幼い身体故の高い体温と熟した果物のような甘い香りが感じられた。それは幼い外見でも吸血鬼の魔性を宿している事を象徴する魅惑の香り。

 

 「べつに子供に好かれやすいなんて自覚したことはないがな」

 

 「そんなことよりお兄様!」

 

 「なんだ」

 

 川上の言葉を無視し、いきなり声をあげるフラン。それに相変わらず無感情に応じる川上。彼はフランからの自らの呼び方が『お兄様』になっていることにすら疑問を挟まなかった。例によって呼称などどうでもいいと思っているのだろう。もしかしたら彼は人から『クズ』という呼称で呼ばれても気にしないかも知れない。 

 

 「遊ぼう」

 

 「断る」

 

 フランの要求を川上はにべもなく却下した。

 

 「こっちが仕事を終えて休んでいたところを叩き起こしてくれてさらに遊んでくれとは中々いい神経してるな」

 

 そう不平を言う川上の言葉は持ち前の抑制のなく感情が読みにくい声色ゆえになかなか皮肉じみていた。彼自身皮肉のつもりで言ったのだろうが。

 

 「いいじゃない遊ぼうよ~」

 

 「俺はもう少し寝たいんだ‥‥」

 

 仮眠はとったとは言え川上はまだ昨夜の睡眠不足が尾を引いているのかも知れない。

 

 「いいじゃないですか川上さん。少しだけでも妹様と遊んであげて下さい。それでお疲れになられましたらまたお茶を煎れて差し上げますから」

 

 「それに咲夜に聞いたけど妹様の相手も貴方の業務の内なのよね」

 

 そこで思わぬ小悪魔とパチュリーの横槍が入る。それでフランも川上の膝から降りて川上に向き直り訴える。

 

 「ね、遊ぼ‥‥」

 

 それで川上は顔を伏せ、ちっと舌打ちしたが観念した。

 

 「わかったよ付き合ってやる」

 

 「やった!」

 

 それを聞いてパッと花が咲くようにフランは笑顔になった。この笑顔をみて誰が思おう。この少女が吸血鬼という魔で破壊という運命に囚われた最悪の悪魔であると‥‥。

 

 「それで遊ぶってなにをするんだ?」

 

 「鬼ごっこ!」

 

 「吸血『鬼』と鬼ごっこか‥‥。中々洒落が効いてるな」

 

 さながらリアル鬼ごっこと言った所か、川上は思いながら何が面白いのか口の端を歪めた。

 

 「それは捕まったら喰い殺されるのか?」

 

 「そんな事しないよ、だって約束だもんね」

 

 ──穏やかな遊びなら付き合ってくれるって。

 

 そんな事も言ったか。そう川上はソファーから立ち上がった。そのままパチュリーの元まで歩みより左手に持った刀を手渡した。

 

 「これは何よ」

 

 「預かっていてくれ」

 

 いきなり刀を渡され戸惑い聞くパチュリーに一言そう答える。ただ逃げるという機動力重視なら刀は重荷となると判断した。実際やってみた者ならわかるが腰に長物を差して動くというのはそう容易い事じゃない。

 

 「‥‥剣は侍の命というらしいけどそれを私に預けていいの?」

 

 「任せた」

 

 それだけ言って川上はフランに向き直る。

 

 「100数えろ。その間に俺は逃げるから数えおわったら捕まえてみせろ」

 

 「わかった! じゃあ数えるよ。い~ち、に~い」

 

 フランが数え始めると川上は早々とその場を去った。それをよそ目にパチュリーは川上の刀を手に少し慌てていた。 

 

 「少し重いわねこの剣。小悪魔、これどうしよう」

 

 「どっかに立て掛けておきますか?」

 

 「でも彼の大事な物でしょうし‥‥」

 

 「ではテーブルの上に置き見ていれば安心なのでは?」

 

 「そ、そうね、そうしましょうか」

 

 二人がそんな事を言っているうちにフランも数え終わり川上を追いに出た。

 

 「お兄様の匂いは覚えたからすぐ捕まえちゃうんだから!」

 

 そんなこといいつつ走っていくフランの背中を見つつパチュリーは呟いた。

 

 「小悪魔、貴方言ったわよね。川上には変わった安心感があるって」

 

 「え? はい、言いました」

 

 「たしかにあの男には変わった魅力があるのかも知れないわね」

 

 だって──とパチュリーは続ける。

 

 「あんなに妹様──フランが楽しそうなのは久しぶりにみるもの」

 

 パチュリーは珍しく微笑んでそう言った。


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