武芸者が幻想入り   作:ㅤ ْ

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第70話

永遠亭

 

縁側に腰掛けた一組の男女が盃を交わしていた。

 

川上と鈴仙は二人とも着流しに身を包み、川上は咥えタバコで、鈴仙はちびちびと酒を口にしていた。

 

悪夢を見て部屋から出た鈴仙は何も言わずに川上の隣に座ったが、川上も特に何も言わずに盃を差し出しただけだった。

 

鈴仙がそうした事に深い理由はない、ただ一人は心細かったのだ。

 

そして川上の隣は居心地は悪くなかった、こうしていて気付いたが特にこちらを気遣うでもなく無関心な態度は師匠である永琳に近い雰囲気があった。

 

それが鈴仙を救ったのだろう、情などなんの救いにもならない事を鈴仙は知っている、突き放す救いもあるのだ。

 

煙草をもみ消して酒を一口飲んで、ふと川上は口を開いた。

 

「月は好きか」

 

川上は自覚しているだろうか、その問いが鈴仙にとって急所を突くにも近い事を。

 

その問いに鈴仙の動きは止まった、しばらくして顔をうつむかせて言った。

 

「月は、見たくないです」

 

逃げ出したはずの故郷、しかし鈴仙がどんなに逃げても逃げても月は彼女を嘲笑うかのように必ず空にあった。

 

川上は空から眼をそらす鈴仙にを一瞥しふと、月を見上げて言った。

 

「ダチョウの幸福という話がある」

 

唐突な語り口、鈴仙には聞いた事のない話だった。

 

「ダチョウという生き物は砂漠においてどうしようもない危険を前にした時ある防衛行動を取る」

 

鈴仙は無言で聞いていた。

 

「それは頭を砂の中に突っ込んでしまうと言うものだ、そうすれば何も見えず聞こえず危険なんかないとダチョウは安心する、だからダチョウの幸福」

 

くっ、と川上は笑う

 

「滑稽な話だろう」

 

「…私はそのダチョウが羨ましいです」

 

鈴仙のぽつりと呟く。

 

「見えなければ安心できるならその方がいいです」

 

くっくと少し笑い、無表情に戻ると川上は盃を空けて言った。

 

「オレはそうは思わない」

 

「何故です」

 

「簡単な一般論だ」

 

川上は盃に手酌で酒を注いだ。

 

「なんの解決になっていない」

 

「…その通りですね」

 

その通りだ、全てを見捨てて逃げ出しておいて見ないふりして安心するとは度し難い卑怯だろう、鈴仙はそう思う。

 

「君は兎だ、もっと生き汚いだろう」

 

「…その通りですよ」

 

自分はダチョウのようにはなれないのだから、いっそそうなれたらと思うがそれはやってはならない卑怯事

 

卑怯事?鈴仙は思わず自嘲する、自分が一体どの面下げて卑怯事を断ずるのか。

 

「だからそのダチョウより私が一番間違っていると思います」

 

「それは自惚れだな」

 

川上はちびりと酒を口にしつつ言った。

 

「君なんかが一番の訳がないだろう、そんなに自分が特別なつもりか?」

 

その口調には僅かな嘲りのニュアンスがあった。

 

鈴仙はその言葉を聞き静かに怒りが湧きあがってきた、訳知り顔で語ってこの男に自分の何がわかるというのだ。

 

「貴方こそ何様のつもりですか、貴方に私の気持ちを理解出来るとでもいうのですか」

 

「理解出来ないし理解する必要もないし理解するつもりもない」

 

川上は断言して酒を飲み下す、盃というのは雰囲気はでるがチョコチョコ注ぐ必要があるのが面倒だ、グラスの方が良かったな、などと関係ない事を考えつつ。

 

ふ、と今度は鈴仙があからさまな嘲笑を浮かべた。

 

「貴方は人を殺す事をどう感じますか」

 

唐突な質問に川上は少し考え首を捻る。

 

「どう、とは?特にどうという事もないが」

 

いいつつ川上は考える、相手が望んでいる答えはこれではあるまい。

 

「殺す必要があったら殺すだけの話だろう」

 

ほら、こんな人間に最初からわかる訳ないのだ、鈴仙は白けたようにそう考えた。

 

「なら貴方は狂っているって事ですよ」

 

「そうか」

 

嘲るような鈴仙の言葉に平然と答える川上、狂気の魔眼の持ち主に狂っていると断ぜられるとは皮肉である。

 

「私からすれば貴方の方が遥かに理解出来ない、何故平然と他人を殺せる!」

 

「価値観の相違だな」

 

語尾が荒くなってきた鈴仙に川上はあくまで抑揚なく答える。

 

「私は、誰も殺したくなんてなかったのに…」

 

川上はふ、と鼻で笑った、そしてタバコに火を点けて一服し煙を吐くと言った。

 

「なら殺さなきゃ良かっただろ」

 

あまりに単純明快な理論、他人の情への理解など一切否定した答え。

 

「順番が逆だ、少なくとも殺してから言うべき事ではない」

 

ふふ、と鈴仙は笑った、あんまりにも正論だと思った、自分は決定的に間違ったのだ。

 

この男は少なくとも正しい、正しい、だからこそ

 

後から後から湧き上がる憤りを抑えられない、正しさという理不尽さにだろうか、あるいは狂人への嫌悪からだろうか、ただの八つ当たりかも知れない。

 

「全くその通りよ」

 

口調も変わり底冷えするような鈴仙の声と立ち上る怒気に川上は立ち上がった、縁側から降りて中庭で立ち止まる。

 

そろそろ寝るかと川上は思った。

 

「来い」

 

だから寝る前に軽く運動

 

その声は平静だが今迄と違い闘気を滲ませていた。

 

鈴仙もそれに気付きなるほどと思う。

 

私とやりたい訳だ。

 

丁度いいお誘いだ、鈴仙自身川上を叩きのめせば今の腹立ちも幾分スッキリするだろう。

 

鈴仙も庭に降りた。

 

「一つ指摘するが君は本当の事を言ってない」

 

川上はそう言って最後に深く煙を吸うとタバコを携帯灰皿に入れた。

 

「君は殺人を厭んでなどいない」

 

だって今、いや最初あった時から鈴仙は川上をどう壊せばいいか無意識に模索し続けている。

 

川上には察気術を使うまでもなく自明のことだった、相手の視線移動を見ていれば鈴仙がこちらの急所や隙を伺っているのがあからさまだ。

 

殺したくないといいつつどう殺すか常に考える、その自己矛盾に鈴仙はとうに気付いていたのだろう。

 

「刀はいいの?」

 

川上の指摘に応じず得物を使わないのかと鈴仙は問う。

 

「たずねゆく道のあるじや夜の杖」

 

「つくこそいらぬ月のいずれば」

 

返答は短歌だった、鈴仙にはその真意はわからなかったが月という単語が出る所に苛立ちを感じた。

 

鈴仙は左を前に半身になり両腕を上げガードを固めた、軍隊格闘におけるオーソドックスな構え。

 

川上は足を肩幅に軽く腰を落とすだけで無造作にも見える無構えだ、鈴仙は内心嘲る、古い武術の達人気取りか、手も無造作に下げているから腰に目を付ければ相手の挙動が丸分かりではないか。

 

懸念は魔眼で視ても波が滅茶苦茶で感情などから挙動を読むのは難しい所だが。

 

川上はスタスタと構えている鈴仙にまるで散歩にでも行くような気軽さで歩み詰める。

 

慢心するつもりはない確かにこの男は強いのだろう。まぁ、しかし大した問題にはならない、鈴仙は思う。

 

もう相手は私の術中に落ちているのだから。

 

川上が向かう所に鈴仙は見えても鈴仙は居ない。

 

位相がズレているのだ

 

鈴仙は川上を()()()()()()()幻影の鈴仙に立ち向かう川上は鈴仙から見ると隙だらけ。

 

そして川上は間に入る直前で後ろ足に重心を置いた、一気に地を蹴り幻影へと距離を潰すつもりだ。

 

だから川上の横を奪った鈴仙は地を蹴らんとした決定的瞬間を狙えばいい、左拳で川上の耳の後ろの頭蓋骨の付け根、乳様突起を強打、相手が前後不覚になった瞬間をサイドステップから右フックで喉を潰して終わり。

 

乳様突起と迷走神経への殴打のコンビネーション、相手を破壊するための一切の遊びのない攻撃。

 

川上が足に力を込めた瞬間鈴仙は左で撃ち抜ぬき——

 

そして気がつくと鈴仙は夜空を仰いでいた、気を失っていたのは一瞬だった。

 

鈴仙の敗因は相手にわかりやすく地面を蹴って移動しようなんてあからさま過ぎる『誘い』にも気付かないほど冷静さを欠いていた事であろう。

 

「なんで分かったの」

 

倒れ伏せながら鈴仙は呟く、幻影がばれるはずがないのだ、あれは鈴仙の能力で完全に自分の位相をずらしたもの、ただ姿をずらしたというレベルではない。

 

「眼に頼り過ぎだ」

 

川上は鈴仙を見下ろしそう言って背を向けた。

 

「おやすみ」

 

そう言って川上は去っていった。

 

「あぁ…」

 

全く見えなかったが顎に貰ったらしい一撃のせいで鈴仙はまだぼんやりして大の字になったまま漫然と空を見上げた、もう自分がどんな感情を抱いていたのかもわからない。

 

ただ視界に映る故郷を見て彼女もまた始めて気付いた。

 

地上からみる月はこんなにも——

 

「…綺麗、だなぁ」


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