武芸者が幻想入り   作:ㅤ ْ

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第89話

「ねぇ」

 

紅魔館のラウンジで川上は煙草を燻らせながら自分で淹れた珈琲を啜ってボンヤリとしていた所、唐突に入ってきたレミリアに声を掛けられた。

 

「何だ?」

 

休憩中か、サボりかわからぬが一服していた所を邪魔される形になっても特に感情は伺えない川上の返答。その隣のソファーでメイド妖精のアニスが苦そうにやはり珈琲を飲んでいた。

 

「貴方強わよね?」

 

「弱い」

 

いきなりなレミリアの問いに、川上は即答した。

 

レミリアは暇だった。

 

「弱い人間が咲夜をあしらうかしら。謙遜も行き過ぎると傲慢になるわよ」

 

「謙遜ではない」

 

川上は深く最後の一口を吸い煙草を揉み消した。そう謙遜ではない。さほどの慎ましさはこの男にはない。

 

「弱いから工夫した。だからある程度出来るようになった」

 

戦う牙も強靭な肉体も失った人間。そのか弱い生物が地球上の頂点に立てたのは工夫にほかならない。

 

いつだって、本当の強者とは弱者の中から生まれる。弱者の中から生まれた一人の化け物が強者と弱者の立場をひっくり返しうる。

 

「言葉遊びね」

 

ふっ、と笑ってレミリアは言った。

 

「強者は強いから強い。そこに弱いからとか工夫だとかもっともらしい理由なんて必要ないわ」

 

それはまさに生まれついての強者、王者故に言える傲岸不遜だった。

 

「で?」

 

「貴方は強い人間だけど、まだ私の体で感じていないとこに気付いたの」

 

「立合えと?」

 

「まさか、貴方の中では立合いはどちらかが死ぬ。そういうものでしょ」

 

レミリアも暇だからという理由で流石に部下に殺し合いを仕掛けはしない。ましてやお気に入りならば。

 

「試し合いか」

 

「試し合うんじゃないわ、私が貴方を試すのよ」

 

あくまでも傲慢な態度を崩さないレミリア、川上は少し考えた。

 

「君がやれ」

 

「?」

 

川上は隣りのアニスに無茶振りをしたが、当のアニスは珈琲を頑張って飲んでいたので二人の会話を聞いておらず急に話しを振られて首を傾げただけだった。このメイドは仮にもこの館のトップの前なのにこの居直り方は馬鹿なのか大物なのか。

 

溜息を一つ吐いて珈琲を飲み干して川上は立ち上がる。試される方にとってはなんの意味もないのだ。

 

「どうすればいい」

 

「何でもいいわ。貴方の力を持ってこの私の体を犯してみせて」

 

問う川上にレミリアは静かで妖艶でそして魂を揺さぶるような声で告げた。その体から立ち昇るような紅が川上に視えた。

 

「なら、今から抜き打ちで君の首を跳ねる、外してみせろ」

 

「予告しておいて外さないというつもり?大した自信ね」

 

川上が申し出たのは真っ向勝負である。言って見れば野球で投手がど真ん中ストレートを予告して打てるものなら打ってみろと言っているようなものだ。搦め手を好む彼らしくない申し出だ。

 

川上はレミリアの前に立った、相手が得物を持ってないのを加味してもかなり近間だった。身長差から横一文字に抜き打てばちょうどレミリアの首が落とせる。

 

レミリアは右腕に妖力を集め纏わせて強化した。この腕なら素手で刀を止める事くらい造作もない。川上の左腰からの抜き打ちが右からこちらの首を襲う、それに誤魔化しはない、ならば止めてみせる。

 

レミリアは単純な火力においては妹に劣るが近接戦なら妹を上回る。曲がりなりにも神槍(グングニル)の名を冠した槍の使い手なのだ。

 

王として自称弱者の剣を甘んじて受けるつもりは毛頭なかった。

 

川上は自然な立ち姿のまま刀の鯉口を切った、僅かに(はばき)が鯉口から覗く。もう一刹那で刀を走らせる事が出来る状態だ、レミリアはドクリドクリと心の臓が高鳴るのを感じていた。

 

それでも、とレミリアは思う。もし弱者が自分に刃を届かせる事が出来たなら。

 

何時でも抜ける状態で川上は敢えてゆっくりと右手を上げて柄へと持っていった。まるで抜くまでのカウントダウンでもするかのように。

 

川上の右手が下から柄に添えられた。

 

来る。レミリアは身構えた、瞬きの瞬間。次の一刹那、あるいは一秒後か。いずれにせよ来る。来る。

 

———もし、出来たのなら

 

なんの反応も出来なかったレミリアの首に刃が当てられていた。

 

———それはもう弱者ではなく化け物だ

 

レミリアは右の首筋に感じるゾッとする刃の冷たさに惚けたような表情を浮かべていたが、やがて別の表情に変化していった、それは屈辱でも憤怒でもなく歓喜だった。

 

レミリアは首に付けられた刀を握ると無造作に引っ張った。引かれた刀に川上は逆らいもせず付いて来たところをレミリアは川上の襟首を掴み下に引き寄せた。

 

そしてレミリアは笑顔でお気に入りのぬいぐるみを抱くように抜き身の刀を引っさげたままの川上をその小さな体躯で胸に強く掻き抱いた。

 

自分の眼のつけた人間。やはりこうでなくては。レミリアはそう思った。

 

「見事よ。よくやったわ」

 

「満足してもらえたか」

 

身長差故に膝を付いて白刃を手にしたまま大人しく抱かれたまま川上はレミリアの賞賛に答えた。彼女からはオレンジの柑橘系に花のフローラルな甘いニュアンスが混じる匂いがした。ネロリと呼ばれるビターオレンジの花から取れる香油のものである。

 

「なんで、寸止とめたの?」

 

「服が汚れる」

 

それは斬られたレミリアの服の事か返り血を浴びる川上の服の事か。どちらにせよ、川上はあまりそんな気遣いはしなさそうな男であるとレミリアは思ってたが。

 

「紅茶を淹れてくれる?」

 

「わかった」

 

レミリアは川上解放し、退屈が吹き飛んだのか、すっかり上機嫌になりながら茶を頼み、川上も立ち上がり立ち上がりながら応じた。

 

「キャンディね」

 

レミリアの注文に川上は刀を拭って納めてから背を向けた。紅茶の用意をするために。

 

じゃれついてる二人に全く眼もくれず珈琲と格闘していたアニスがやっと一杯を飲み終わった。

 

川上がやったのは、首を斬ると予告し、そして相手に受けさせる。その上で来るのが分かっているのに相手は受ける事が出来ないという———つまりは子供騙しである。

 

なんの事はない、川上はやはり真っ向勝負ではなく搦め手を使ったのだ。

 

このトリックの種は、来るのが分かっているのに外せないというのが凄い。と思わせるだけである。実際は違う、これは斬る川上側が有利なのだ。

 

受けに徹している相手に防御させないというのはさして難しい事ではなく多少の技量があれば出来る。

 

相手は受ける事に意識がいき、自然と緊張して居着いてしまうものだ。

 

そして斬る側は相手が受けだけで攻撃してくる事もないのだから、反撃の心配もなく一撃入れる事に全てを費やせる。実戦ではあり得ない事だ。極論すると試し割りや試し斬りとかわらない。

 

そもそも攻撃と防御なら圧倒的に攻撃の方が有利なのだ、故に本来は武術に純粋な受けなどないのである。

 

斬る側が圧倒的有利な条件を、受け側が圧倒的有利にさも見せかける。これは武術を学んでいる人間が良くやるパフォーマンスである。なんて事はないと川上は自分で思っている。

 

しかし、文字通り人知を超えた、規格外の反射速度や動体視力を持つ吸血鬼に、はたしてそんなトリックだけで首を取れるものなのだろうか?

 

もし、先程の光景を咲夜が見ていたとしたら、彼女も奇術師である。川上のマジックの種など簡単に見破ったろう。

 

そしてその上で彼女はこういっただろう。あんな小細工だけではお嬢様の防御を抜く事など出来るはずがないと。


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