守矢神社境内
そこには三人の男女がいた。
黒いゆったりした洋装に身を包み、刀と野太刀の二振りを帯刀した男、川上。
白黒のエプロンドレスにとんがり帽子。木帚を担いだ霧雨魔理沙。
青いと白の変則的な巫女服に編み上げブーツを履き、竹箒を手にした東風谷早苗。
魔理沙は早苗が川上を確認した瞬間に表情を凍らせたのを見て、突っ込むべきかどうか迷った素振りを見せたが、結局口にした。
「あー、二人は知り合いだったか?」
その言葉に川上は魔理沙を一瞥して、そして不自然な反応を見せた早苗を見て、首を傾げた。彼はあの夜の邂逅を忘れているのかも知れない。
「いえ、まぁ、知り合いという程ではないですが、少しすれ違い程度といいますか」
早苗の方は忘れるはずもなかったが、その説明は要領を得ず、また川上への嫌悪感を隠し切れていないのか少々礼を欠いていた。
「おい、お前何かしたのか?」
その様子に何かあったらしいと思った魔理沙はそう川上に小さく尋ねた。
「心当たりがない」
川上は答える。実際彼は特に早苗に何もしていない。しかし、一目見て何故かこの相手を自分は好きになれそうだと直感するように、その逆もある。早苗にとっての川上がそうだっただけの話だ。
「いえ、本当に大した事ではないのですが、夜の森でそちらの方が妖怪に襲われそうになっていたので、追い払った事がありまして」
「へえ」
何とか笑顔をとり繕い説明した早苗に魔理沙はそんな事があったのかと思いながら川上の方を見るが、川上は無表情のままだった。
こいつ、覚えていないな。さっきの態度と合わせ魔理沙はそう直感した。つまり川上にとってその程度だったのだ。
「はは、追っ払ったって早苗が助けたのは実は妖怪だったってオチじゃないか?」
魔理沙は冗談交じりにそう茶化すが、川上が冗談に乗ってくれるはずもなく、早苗も表情を失った。
早苗は魔理沙の冗談に気を悪くしたのではない。魔理沙の冗談が冗談に聞こえたかったのだ。あの時自分が助けたのは人間と夜雀、果たしてどちらだったのか。彼女は川上という男に対して何も知らないはずなのに、そう早苗は思った。
いや、聡い早苗は一目である程度理解してしまったのかも知れない。
「あー…」
場が持たない。どうやら早苗は川上と反りが合わないらしい事を理解した魔理沙はそう思った。
「それで魔理沙さんのお友達なんですか」
早苗も自分が空気を重くしている自覚はあり、ともかく再び微笑を取り繕い魔理沙に話を振った。
「あぁ、そうだ」
魔理沙はそれに笑って肯定した。川上と魔理沙は一概に友達の関係で済ませられるようなものかという疑問はあるが、少なくとも魔理沙は川上を面白い奴と少なからず思っているので、そう答えた。
それに即答したのは川上の反応を見てみたかったという悪戯心もあったが、魔理沙は視界の端で川上を観察していたがやはりというか眠たげな表情は変わらなかった。
「そうだよな」
「あぁ」
魔理沙がさらに川上の二の腕を軽く叩きつつ本人にも同意を求めると、全く感情の込もらない投げやりな肯定が返ってきた。
早苗はどう反応していいかわからずしかし微笑みは何とか維持していた。すると魔理沙は笑った。場の空気を持たす為の気遣いだったのだろう、霧雨魔理沙という少女は大雑把に見えて意外と細かい所に気が回る。
「はっはっ、まぁ見ての通りこういう奴なんだよ。今は紅魔館で使用人をしている、お誂え向きって感じだろ」
「えっ、レミリアさんの所でですか?」
魔理沙の言葉に早苗が軽く驚きを示した所で川上が一歩前に出た。
「川上という、よろしく頼む」
「はい、私も名乗り遅れました。この守矢神社で風祝をしている東風谷早苗と申します」
川上が礼と共に名乗ったのに対して、早苗も名乗っていなかった事に気付き礼を返した。ここで川上に握手でも求められなかったのは早苗にとって助かった。
「ふむ」
離れた場所から胡座をかきながらその三人を眺めながら、何か釈然としない様子の人物がいた。
女性としてはやや大柄で、怜悧な印象の整った顔立ちで強い意志を感じさせる赤みの強い茶色の瞳。青みがかった髪はボリューミーなセミロングで何故か楓の意匠が凝らされた冠状の注連縄を頭に付けていた。
白い長袖の上から赤い半袖の上着を着ており、暗い色のロングスカート。服の上からでも女性的な丸みを帯びた綺麗なラインが分かった。袖口や腰などにもあちこちに小さな注連縄を巻き、胸には鏡とアクセサリーとしては少々前衛的である。
全体的に奇天烈な格好をした女性はこの守矢神社の祭神の一柱、文字通りの神である八坂神奈子だった。
神奈子は三人の中の一人の男、川上に目を向け首を捻っていた。
「何か…」
「おや、どうしたの神奈子?」
丁度そこで神奈子に対して後ろから声がかかった。
振り返りもしない神奈子に声の主である小さな少女は勝手に神奈子の横に並んだ。
少女は子供そのものの体躯を青と白の壺装束に身を包み、体躯の割に長い足には白のニーソックスを着用している。
綺麗な顔立ちにはいたいけな愛らしさを感じさせるが、口元に時折邪気を感じさせる陰性の笑みが浮かぶ。ショートボブにカットされた発光しているかの如く感じるほど艶のある金髪に二つの目玉の衣装がされた変則的な市女笠とも取れる類いの帽子を被っていた。
やはり奇天烈な格好をした女の子もまたこの神社の祭神、洩矢諏訪子だった。
「あら、人間の参拝客?珍しいね」
諏訪子は早苗が対応している二人に目を向けて言った。いや、一人は早苗の友人でもある白黒魔法使いである。真に目を引くのはもう一人の。
「いや、あの男なんだが…」
「ありゃ、色んな意味で珍しいね。外の人間っぽいけど出来るね。
神奈子の呟きに諏訪子は川上に関してを遠くから一瞥しただけで、スラスラと口にした。
「何処かで見覚えがあるような気がするんだ」
その諏訪子の言葉に神奈子は川上を見据えたままさっきから引っかかっていた疑問を呈した。
「ふーん、外の人間ならもしかして私達がここに来る前の事とか?」
「あ」
諏訪子の返答に神奈子はその可能性を見落としてたのだろう、得心がいったとばかりに膝を打った。
「思い出した、あれは十年前くらいか。外にいた頃この神社で奉納演武した流派にいた少年だ」
一度記憶を探し当てれば引き出すのは容易だった。もはら外では存在しないも同然になっていた頃の事、神奈子はある日催された演武をひやかし程度に眺めていた、彼女は軍神としての色合いもあるが故にその演武には
「この時代の武術など点数稼ぎゲームか
「違った?」
神奈子は頷く。外の頃の晩年は記憶すらも朧げだったが、あの日の事は覚えている。
「二人…使い手がいた。今の時代も捨てたものじゃないと正直驚いたよ。一人は流派の宗主と思わしき初老の男、そしてもう一人は明らかに最年少と思わしき少年」
「それがあの子?」
諏訪子の問に神奈子は肯首して続けた。
「まだ子供と言ってもいい少年がやってるのはあくまで演武なのに、少年の立つ神楽殿に私は確かに合戦場を見た」
「空間の認識すら捻じ曲げる。まぁ、そんくらいはしそうだねぇ」
神奈子の言葉に諏訪子は軽い調子で返した。
「しかし、私が一番驚いたのは演武が終わった時だ」
「うん?」
「宗主が前に出て座礼をして、門弟一同もそれに倣って礼をして終わった。そして皆立ち上がった後、少年一人だけは
あれは神奈子も虚をつかれた。他の門弟達は誰もいない方に礼をした少年に対して殆どが訝しげな表情を浮かべていたが、宗主だけがそれを見て神妙な顔をしていた。
「視えたの?見鬼の類い?」
「さぁ?漠然と存在を感じ取った程度だったと思うが」
ふむ、と諏訪子は少し考える。外の世界にもまだまだ神秘を体現する人間はいたという事か。
「所で、話は変わるけど何か早苗はやりにくそうにしているね」
諏訪子は3人の方に目を向けて言った。遠目から見ても早苗の態度が硬い事が分かる。
「早苗には合わないのだろうよ。ああいう人間は良くも悪くも印象が強いからな、好かれる相手と嫌われる相手が極端だ」
三人の中から川上は外れて神前へと歩き出したのを見て、諏訪子は歩き出した。彼女は少し興味が湧いた。
「んじゃあ、早苗に任せるのも酷だからちょっと私が行ってくるよ」
「そうか」
神奈子は座ったままでそう短く返した。
川上は手水舎で手を洗い、口をゆすいで清めを行った。いかに清めても血に染まった彼の不浄を落せるかは疑問だが。
神前に立つと彼は白い硬貨を出し賽銭箱に置くようにして納めた、そして鈴を鳴らし作法に則り拍手と礼をする。
この際に願い事などはあまり好ましくはない、基本的には自分の住所や感謝などを伝えるものだ、願い事ではなく決意や目的を報告する程度が良いとされる。
神とて人間と同じと考えれば分かる事ではある。軽い気持ちで信仰心も無いのに神頼み、そしてそれが叶った所でお礼や報告にもこない不届き者の無礼者を相手はどう思うだろうか。
そして、手を合わせ頭を下げる川上は頭の中で何を伝えているのだろうか?彼は願いなどするだろうか?では何を報告しているのか、それは本人と神のみぞ知ると言った所か。
つまりこの場に置いて川上が何を思ったか知るものは
「いい神社でしょ」
最後に一礼をした川上の後ろから高く澄み、何処か甘えたニュアンスの口調の童女そのものの声が掛かった。
「そんな所に向かわなくても直接神様に頭を下げる事も物申す事も出来るんだから」
川上は無表情に振り返った。
「慇懃無礼って知ってる?何も思う所もないのに形だけなぞって貰っても神様としてはあまりいい気分はしないものだよ、ハリボテのお兄さん」
目の前の土着神、洩矢諏訪子を見て川上は口元に笑みを浮かべた。