守矢神社の神前で黒衣の男と小さな神が相対していた。
「改めて初めまして、お兄さん。洩矢諏訪子だよ」
そう守矢神社の祭神の一柱、洩矢諏訪子は自己紹介した。
「お名前は?貴方そっちに対しても名乗りもしなかったね」
諏訪子は神前の方にちらりと目線をやりながら尋ねた。気楽な口調だが無礼を咎めているとも取れる、本人にその気があるかは不明だが。
「失礼した。初めまして、川上という」
口元に面白がっているような笑みを浮かべた川上は申し訳程度に非礼を詫びつつ名乗って礼をした。頭を上げ際に諏訪子の足元付近から二回何かをなぞるように視線移動したのを諏訪子は見て取った。
「地脈も視えるのかな、凄い眼がいいね。ウチの早苗以上だ」
諏訪子は無邪気に笑って川上の眼を評価する、川上は煙草を無言で取り出した。
「吸ってもいいか?」
「いいよー、境内ではポイ捨てしないでね。外の世界に比べるとこっちはみんなマナー悪くてねぇ」
どうでもいい愚痴とともに許可されたので川上は両切り煙草を一本咥えてマッチを擦った。
「…地脈に繋がってる方が余程凄いと思うが」
川上は深く吸い込んだ紫煙を吐いてから、自分の感想を告げた。
「そりゃこれでも神様だもん、凄いよ」
諏訪子はそれに対して弾んだ声で答える、笑みが先程までの無邪気なものから変質して口元を吊り上げるような何処か不吉さを感じさせるものとなっていた。
「だろうな」
川上は短く返して口元に煙草を運んだ。実際凄い。この神社自体が山のエネルギーの流れの中核にあるが、この目の前の小さな少女にしか見えない神はその脈に繋がっている。大地そのもののエネルギーに干渉出来るというのはすなわち天災そのものであり、そんな存在まさしく人智を超えた神といえよう。
「そういう貴方も人間に出来ない事の一つも出来るんじゃないの」
「不可能事など存在せずという」
諏訪子の問に川上は皮肉に笑って紫煙を吐きつつ煙に巻くように答えた。
「違いないねぇ、神と話すのは初めて?」
「対話になったのは初めてだな、知り合いなら訳のわからない言語で捲し立てられても困ると伝えておいてくれ」
川上は本気なのだか冗談なのだかわからぬ口調でさらりととんでもない事を言う。
「それが誰か知らないからなぁ。ここじゃその必要ないけど、そういう風に伝えないと神託っぽくないでしょ?それに後々何となく分かったんじゃない」
諏訪子はクスクスと笑いながら川上の話に平然と返す。神も演出が必要なのだろうか。
「まぁ、役には立った」
神の言葉を役に立ったで済ます川上に諏訪子は吹き出しそうになった。この子面白い、神奈子に見せよう。諏訪子はそう思った。
「そうだ、私も神らしく貴方が幻想郷に来て何を思ったか当ててみようか」
諏訪子は指をピンと立て唐突にそう言った。川上も興味を惹かれたのか少し表情が変わった。
「あぁ」
「ずばり、『和服は斬りやすい』じゃないかな」
諏訪子が得意げに言ったその言葉に川上は一瞬目を細めて、思わず笑みを浮かべた。
「違った?」
「いや、合っている」
和服は布により特別斬りやすいと言った事はないが、洋服は装飾や機能に金具を使っていたり、革を使ったりしてる事が多く、実際着ている人間を斬る事を考えると刀には優しくない。
確かに刃を立てやすいなと川上はここに来てから一度ならずに考えた。そして諏訪子は自分の冗談に川上が笑みを浮かべたのを確認した。
川上は携帯灰皿を取り出して吸い殻を入れた。
「まぁ、人間の参拝客も久々だしお茶でも飲んでってよ」
諏訪子はそう言って早苗を呼んだ。
早苗に二人を居住区の離れに案内させた後、諏訪子は神奈子の元に戻ってきた。
「どうだ?」
「案外遊びがあるかな。面白いよ、あの子」
問いかけてきた神奈子に諏訪子はそう評した。諏訪子から見て、川上は感受性が低そうに見えて意外と豊かに思えた。
「後、工夫をしていたね」
「なんのだ?いや愚問か」
諏訪子が続けたのに対して神奈子は疑問を発しかけたが、すぐに検討がついたのか引っ込めた。
「そう、神様をどう斬るか。彼首筋を狙う癖が強いね、ピリピリ来た」
トントンと自身の首筋を叩きながら諏訪子は笑顔で言った。
「まぁ、急所であり着ているものや仕込んだものにも邪魔されんから妥当な所だろう」
「ま、でも斬れないって分かったみたいだけどね」
神奈子の返答に諏訪子はそう返す。人間に神が斬れる訳もなく。諏訪子も神奈子も神として今の姿形を持ってはいるが、神に姿形など意味は無く、わかりやすく形を取っているだけに過ぎない。
見えている姿が本質ではない以上、それを斬る事は出来ない。水や霞を斬るのに等しい行為だ。
「さて、どうかな」
「?」
疑問を呈した神奈子に対して諏訪子は怪訝な顔をした。
「不可能事は存在せず。本当にあの男が下した答えが『斬れない』だったのか聞いてみるのも面白い」
奇しくも川上と同じ言葉を吐いた神奈子はくっ、とニヒルな笑みを浮かべて歩き出した。諏訪子も同様に笑みを浮かべて後に続いた。
「それで華仙にまたどやされてたけど、馬の耳に念仏だったなありゃ」
「霊夢さんも相変わらずですねぇ」
神社の離れの一室。三人はちゃぶ台を囲み茶を手に談笑していた。
川上は生来口数が多い訳ではなく、また早苗に苦手意識も持たれてる事もあってか、話には殆ど参加せずに茶に口をつけながらサラダ煎餅をボリボリと齧っていた。お茶請けが羊羹や和菓子などでは無かった事は彼には幸いだったろう。
そこにタン、と小気味よい音をさせて障子を開け放ち入室したのは八坂神奈子であった。
「神奈子様」
早苗は少々驚きを込めて名を呼んだ。流石に祭神が自ら客間まで客人の元にくるのは珍しい事だった。
「久しいね、白黒の魔法使い」
「よぉ、核エネルギーの研究捗ってるか」
魔理沙は片手を上げて神奈子相手にあまりに気軽過ぎる挨拶をした。もっとも神奈子も非礼などを全く気にしている様子はない、この幻想郷ではその程度一々気にしていたらやっていられないのかも知れない。
「まぁ、ぼちぼちにね」
どかりと腰を落としつつ神奈子は答えた。川上は煎餅を咥えたまま神奈子を2秒くらい半眼で見つめたが、煎餅を噛み砕く作業に戻った。
「すまない早苗。私にも茶を頼むよ」
「はい、ただいま」
早苗は頼まれるより先に腰を浮かせていたが、そう答えて退室した。
神奈子は川上を見る。右手側に刀が二振り刃を外向きにして置いてある。非礼には当たらない程度に警戒してますよ、といった所か。
また胡座を掻いていて一見寛いでいるが、よく見ると左足は正座の時のように下腿を腿から尻の下に折り畳んだ胡座であり、即座に座構え、居合腰になれる武芸者としての座り方だ。部屋の中での座っている位置からも外物とのものの心得が身についている事が伺える。
また、まだ夏なのにやや大きめの長袖もそういった心得の一つだろう、どうやら袖の下に布の手甲を巻いて筋金変わりに棒手裏剣を仕込んでいる。武器であり防具になる。他多数の仕込みがある。
そして、この纏った空気。張り詰めているわけでもない、むしろ弛緩しているが何とも言えない空間で自身を包まれているような掌握されているような感覚。
十年前見た時すでに神奈子の目を引いた少年は、もはやあの頃とは比べものにならない。出来る。神奈子はそう評価を下した。
「こうして会うのは二度目になるか、君は覚えていないかも知れないが。私は八坂神奈子だ」
「失礼ながら覚えてはいない。川上という、よろしく頼む」
神の割りにはかなりフランクに挨拶をしてきたもう一人の神である八坂神奈子に川上は煙草に火をつけつつ名乗った。