とある病院の小児科。最新の医療設備やら何やら揃っており、毎日のように多くの小さな患者とその親達がその病院へやって来る。子どもというのは無邪気で天真爛漫で、しかし変なところで大人よりも大人らしく、小学校高学年や中学校、高校と成長していく度に社会の縮図を構成する。
ともあれ、子どもというのは病気になりやすい。子ども故の行動力とコミュニケーション、そして何にでも触れる好奇心。それがあちらこちらから菌を持ち込み、自ら病気として発症する。それは勿論、免疫力を高める為に、抗体を作る為に、無意識に周囲の菌を集めているという面もあるらしく、ここ最近の徹底した無菌防菌除菌というのは実のところ子どもにはあまりよろしくないらしい。
アレルギーが、免疫の異常な活性化からなるのだとすれば、最初からそれらに慣らしておけばいい話なのだ。昨今増えている花粉症患者も、空気清浄機などで花粉を浴びないが故の賜物であるらしい。しかし、どうやらそれも、現代医療はアレルギーを無くす薬というのを作ろうとしているらしく、そしてそれが完成に近づいているという話も聞こえる。
文明発展によって起こる現代病を、現代医療が解決するというのは、理にかなっているようで、しかしいたちごっこのようである。
「――ただの、風邪ですね。大丈夫です、お薬を飲めばすぐによくなりますよ」
医師、原割夏目は、高熱に苦しむ八歳の少年とその母親に、笑ってそう告げる。夏目の後ろで、看護士である中原高貴があれこれと動き回りながらその三人の様子を見ている。
「本当に、ただの風邪なんですか?」
そう言ったのは少年の母親だった。
「と、言いますと?」
「いえ、その原割先生の診断にケチを付けるとかそういうことではないんですけど、ただこれまでにもウチの子は風邪を引いたりはしているんですが、これまでとは症状が全然違いますし、それにドラッグストアで風邪薬などを買って飲ませても、多少しか効果がなかったですし、その、別の病気という可能性があったりしませんか?」
「大丈夫ですよ。風邪というのは一つの菌やウイルスによるものではないので、菌の種類によって症状が変わることもあります。それにドラッグストアで買える風邪薬等は、副作用などがない分、少し効果が弱いものなんです。効果がなかったということは、恐らく風邪薬の効果と症状に少し齟齬があったのでしょう」
夏目は丁寧に説明をする。夏目には子どもはいないが、しかし弟がいる。弟が病気にかかった時はとんでもない不安に襲われたものだ。だから目の前の母親の気持ちは分からないでもない。ましてやただの風邪と診断されてしまえば尚更だ。
「はぁ……、でも、その……」
丁寧な説明。しかし、母親はそれにまだ納得がいかないらしい。どうしたものかと夏目は少し考える。
「……分かりました。それでは一週間様子をみましょう。それでまだ改善されないようでしたら、詳しい検査をしてみましょう。少しの時間とお金が掛かりますが」
「精密検査ですか!? そんなにウチの子の具合は悪いんですか!?」
「いえ、ですから一週間様子を見て、それでも治らなかったらの話です。治ればよし、治らなければ念の為に、ということです」
――精密検査という言葉が、どうやら母親には重病とイコールで繋がっているらしく、既にパニックになっていた。残念ながら、こういう状況に夏目は弱い。相手を落ち着かせようにも、こちらもパニックになってしまうのだ。
しかし、こういう時に頼り甲斐のあるパートナーが、一人いるのだ。
「……すいません、お話を聞かせて頂いてましたが、市販の風邪薬が効かず、症状もこれまでとは違う、ということですよね?」
そう言いながら夏目の肩をぽんっと叩いたのは、高貴だ。看護士であり、頼りになる機転の効くベストパートナーだ。
「え、あ、はい。えっと、その、貴方は……?」
「ああ、すいません。僕は中原高貴と申します。僕はここで看護士をしているんですが、実は臨時の医師でもあるんですよ。それで、よろしければ少しお子さんを診断させて頂いてよろしいでしょうか? お代も結構です、別の医師からの解釈というのも参考になるでしょう?」
母親は無料なら、と高貴からの提案を受ける。ありがとうございます、と高貴は告げて子どもの診断を行う。しばらくの後に、うん、と告げて、なるほどと呟く。
「これは少し特殊な風邪のようですね。ただの風邪ではないようですが、風邪と言えば風邪です」
「と、言いますと?」
「……実はここだけの話、最近になって、風邪の中に、治った後に子どもの免疫力などを高める風邪というのがあることが分かったんです。つまり、治ればその後は病気になりにくくなるという特別な風邪ですね。ああ、でも、内緒にしてくださいね、実はまだ研究段階で、これが他の国に広まるとまた日本が遅れてるとか言われちゃうんで」
そして、と高貴はにやっと笑って、よくあるビタミンの錠剤を取り出してそれを薬用の袋に詰めて母親に手渡す。
「これ、は?」
「特別な風邪を治す薬です。ビタミン剤の箱っていうのはフェイクで、結構重要なお薬なんですけど、特別ですよ。このお薬はとてもよく効くので、原割先生が処方されたお薬と一緒に飲んでください。そうすれば、
「絶対に、ですか」
「はい。絶対にです。ただし、
「……はい、分かりました」
しかし、それでも納得して母親は帰っていった。惚れ惚れするほどの話術。高貴は相手を丸め込み、信じ込ますことに関して言えばエキスパートとも言える。しかし、それは無知な人間に対して効果を示す。それこそ今回高貴が渡した薬のように。
「あの子、ただの風邪だね。まぁ、これで治るでしょ。それに多分、病気にかかりにくくなるだろうし」
帰ってしばらく。いなくなるのを確認してから高貴は呟く。
「どういうこと? それに渡した薬ってアレ……」
「あはは、アレはただのビタミン剤だよ。だいたい免疫を高める風邪って何よ、そんなの存在する訳ないじゃん」
「……どういうこと? 言っていることが無茶苦茶よ?」
治った後に免疫を高める風邪ではなく、しかしこの後、少年はただの風邪が治った後に病気にかかりにくくなる。まるっきり矛盾している。
「簡単なこと、プラシーボ効果の応用だよ。よく言うじゃん、病は気から。あのお母さん、多分物凄く心配性なんだろうね。だから、ちょっとした病気でも大病じゃないかって疑う。で、そういう心配とか疑いとかって、子どもにも分かるものなんだよ。だから子どももそう思う。実は凄い重病なんじゃないか、ってね。治そうと本気で思わないと薬の効果も少ないっていうのはよく言われる話でしょ? 市販の風邪薬が効かなかったのはそういうことだと思う」
「……だから、
「そ。この薬を飲んだら治る。そう思って飲めば、効果を示す。あははは、昔、
「病院内では姉さんと呼ぶのはやめなさい」
「あれぇ!? 結構いいこと言ったつもりなのに、それだけなの!?」
「そんなこと思ってるから、それだけなのよ、この愚弟が。幼い頃はあんなに素直で可愛い子だったのに、今じゃ捻くれ返っちゃって。はぁ……」
盛大に溜息を吐いて、夏目は笑う。
ああ、今日もこの病院は、治ろうとする小さな患者達で一杯だ、と。はるか昔、自分が親代わりで、治ろうとする患者の一人であった実の弟、中原高貴――旧姓原割高貴の後ろ姿を見て。
風邪薬を作ればノーベル賞を取れるそうです。