オリジナル展開とかは無いと思うのでご了承ください。
とても大変だった......
8月3日 午前9時47分
地方裁判所 被告人第2控室
「『あー、緊張するなあ』」
「それ、思っても絶対に口から出さないようにしなさいよ」
今日は僕が初めて裁判で正式に弁護人として出廷する日だ。
一人でも大丈夫と言ったのに、千尋さんは『心配だからついていく』と言って聞かなかった。
ま、新人がヘマしたら事務所の評判にも影響するし、当然と言えば当然か。
「それだけじゃないわよ。球磨川君と依頼人を1対1で会わせるなんて、依頼人が心配だからに決まってるでしょ」
僕の心配じゃなかった。
「もちろんあなたのことも心配してるわよ? 司法試験と予備試験、それぞれ約100回ほど落ちたあなたを一人で弁護席に立たせるなんて正気の沙汰じゃないわ」
「『最後の方、大体見た事ある問題ばかりでしたもんね』」
千尋さんは頭を抱えながら、心配そうに僕を見つめる。
「それもよりによって殺人事件……。度胸があるどころの話じゃないわよ。ボロボロのパラシュートでスカイダイビングするようなものよ?」
「『いやあ、それほどでも。被告人も僕と同年齢ですし、誰も弁護を引き受けないとあれば、僕が引き受けるしかないでしょう』」
「……まあ、あなたのその弱い人に甘い性格は嫌いじゃないけどね」
「『お、千尋さんデレ期ですか?』」
「何よその今まであなたに厳しかったみたいな言い方は」
「『さ、被告人はどこかなー』」
ぴゅーと口笛を吹いて誤魔化す。
……千尋さんの目つきが尋常じゃない。
「おしまいだぁ! もう何もかもおしまいなんだぁ!!」
突然、入り口の方から悲痛な叫び声が聞こえてきた。
「……あそこで叫んでるの、あなたの依頼人じゃない?」
「『そーですね』」
「……死ぬ! 死んでやるぞぉ!! 俺はもう、死んでやるんだぁ!!」
「……死にたがってるわよ」
「『そーですね』」
あー、なんでいいとも終わっちゃったんだろ。
「弁護士さんよお!」
「『こんにちは! 矢張ちゃん!』」
「有罪だぁ! 俺を有罪にしてくれぇ!! 死刑でもなんでもカッくらって、サッパリ死なせてくれぇ!!」
いきなり僕は仕事を失ったようだ。
「『まあまあ落ち着いて。どうしたんだい?』」
「ダメだよ! やっぱりオレ、ダメなんだ! あの女がいない人生なんて……死んだ方がマシだぁ!! 誰が……いったい誰がカノジョを……! 教えてくれよぉ! 弁護士さんよぉぉ……」
この人は矢張政志。
僕の依頼人であり、つまるところ被告人だ。
世間的には『カノジョ』を殺した犯人はこの人、ということになっている。
ま、違うだろうけどね。
人を殺したことのある人間は特有の雰囲気を持っている。
そんな負な雰囲気を僕が感じ取れないはずがない。
もちろん例外もいるが、目の前の被告人がその例外とは思えない。
さて、ここらで今回の事件の概要を説明しておこう。
と言っても内容は至極シンプル。
マンションの一室で若い女性が殺害されたのだ。
逮捕されたのは、不運にも彼女と付き合っていた男、矢張政志というわけだ。
彼の小学校時代からの友人に話を聞いたところ、『事件の陰にヤッパリ矢張』と言われ続けて23年。なぜかいつでもキツいトラブルに巻き込まれているのだそうだ。
ただ、彼は悪くない。
悪いのはひたすらに『運』だけなのだ。
________________________________________
8月3日 午前10時
地方裁判所 第2法廷
「これより、矢張政志の法廷を開廷します」
「検察側、準備完了しております」
「『弁護側も準備万端でーっす』」
「……球磨川君」
弁護人と検察を見下ろせるほど高い位置に座っている裁判長が僕に話しかける。
「君はたしか、今日が初めての法廷だったかな?」
「『はい。精いっぱいやらせてもらいまーっす』」
「……依頼人が有罪になるか無罪になるかは、弁護士にかかっています。そのような軽薄な態度は感心しませんな」
「『……はーい』」
開廷一番で怒られてしまった。
「しっかりしてちょうだい……」
隣で千尋さんも呆れている。
僕に味方はいないようだ。
「……そうですね。裁判を進める前に、弁護側が本当に準備万端か、確かめさせてもらいましょうか」
「『はい、いいですよ』」
うわあ、優しい裁判長さんだなあ!
「簡単な質問をするから答えてください。まず、この事件の被告人の名前を言ってみなさい」
「『被告人の名前は矢張政志さんですね』」
「うむ、その通り。では次の質問です。今日の裁判は殺人事件ですが、被害者の名前を教えてください」
「『えーっと、調書によると、被害者の名前は高日美佳さんですね』」
「......よろしい。では彼女はどうやって殺害されたか? 被害者の死因を答えてください」
「『鈍器で一発、ガツンと殴られて殺されてしまったようですね』」
「その通り。では質問はこれぐらいにして、そろそろ審理を始めましょう」
全く、失礼しちゃうぜ。
この程度のことくらいはさすがの僕でも覚えてきてるよ。
「さて、ちょっといいですか? 亜内検事」
「なんでしょうか、裁判長」
今度は向かいの検事さんが裁判長に話しかけられる。
眼鏡をかけた、冴えない感じのおじさんだ。
「今、球磨川君が言った通り、被害者は鈍器で殴られています。その鈍器ですが、具体的にはどういう……?」
「凶器はこの『考える人の置物』です。死体のそばに転がっておりました」
「……ふむぅ。証拠品として受理しましょう」
>>証拠品『置物』のデータを法廷記録にファイルした。
『置物』
『考える人』の形をかたどった置物。
かなり重い。
「球磨川君。裁判が進むと、こんな風に『証拠品』が提出されていくの。『証拠品』のデータは、これからあなたの武器になるから、法廷記録は適宜チェックしなさい」
「『法廷記録ですね。わかりましたー』」
えーっと、今提出された『置物』の他にもあるな。
『弁護士バッジ』
通算200回の試験の末ようやく手に入れたバッジ。
文字通り血反吐と涙の結晶だ。
『高日美佳の解剖記録』
死亡時刻は7月31日午後4時以降5時まで。
鈍器による一撃で失血死。
この2つだな。
弁護士バッジはさすがに使わないだろうけど。
カァン、と裁判長の木槌の音が廷内に響く。
「では、亜内検事。証人を呼んでください」
「まず、被告人である矢張政志くんの話を聞きたいと思います」
矢張ちゃんの証言かぁ……。
嫌な予感しかしないね。
「彼が余計なことを言わないよう、祈りましょう」
被告人席にいた矢張ちゃんが証言台へ連れられる。
「さて、矢張くん。君は最近、被害者に振られたそうですね?」
「なんだとコラ! 今世紀最高のカップルに向かってなんてことを!」
いきなり検事さんにかみついた。
「ただ最近、電話に出なかったり、会おうとしても断られるだけだ! ナメんなぁ!」
「世間ではそういう状況を振られた、と言います。実際、彼女は君をほったらかして遊びまわっていた。殺害される前の日も海外旅行から帰ったばかりだったんだよ」
「なんだとぉ! そんなの嘘だ! オレぁ信じねえぞぉ!」
「裁判長。被害者のパスポートです。亡くなる前日まで、彼女はニューヨークにいたようですね」
>>証拠品『パスポート』のデータを法廷記録にファイルした。
『パスポート』
事件の前日7月30日にニューヨークから帰国しているようだ。
「ふむぅ、たしかに帰国の日付は死亡の前日、だ……」
「……そんな……」
矢張ちゃんはがっくりと肩を落としてる。
ま、彼女が自分に黙って旅行とかしてたら落ち込むか。
浮気相手と行ったかもしれないし。
「彼女はモデルでしたが、収入は大したことはありません。どうやら彼女には『パパ』がたくさんいたようです」
「……パパ?」
「『パパ、ね……』」
それの意味するところは明らかだ。
「お小遣いをくれるおじさんたちのことです。彼女は彼らから援助してもらって、遊んでいたわけだ」
「なんだって……」
「被害者の高日美佳はそう言う人間だった。君は彼女についてどう思うかな? 矢張君」
検察側は矢張ちゃんが被害者を殺す動機を示そうとしているらしい。
これが通るとまた面倒になりそうだな……。
僕はバンっと机をわざと大きな音で叩き、矢張ちゃんの返答を制する。
「『検察側の無意味に故人を貶めるような発言に異議を唱えるよ! 検察側は被告人の不安を煽り、被害者への不満をこの場で証言させようとしている。これは卑劣な手口と言わざるを得ない!』」
「……そうですな。弁護側の異議を認めます。亜内検事、そこまでにしてください」
「……了解しました」
亜内検事は不満げだ。
ともかく、これで検察側は動機の提示が不完全になったはずだ。
「く……」
「『矢張ちゃん?』」
証言台の矢張ちゃんはうつむきながらぷるぷると震えている。
「くそぉっ!! ナメやがって、あの女! 死んでやる! もう、死んでやるぞぉ! 天国であの女を問い詰めてやるんだぁ!!」
……あー、思い通りにいかないなあ。
「……では、審理を続けましょうか」
「とにかく、被告人の動機はおわかりいただけたかと思います」
「……とてもよく」
「『……痛いほどに、ね』」
動機が立証されてしまった。
とほほ。
「じゃあ、次の質問に移りましょう。事件があった日、君は彼女の部屋に行ったかな?」
「……!」
「どうなのかな?」
「え……な、何がどうなんだよ!」
多分部屋に行ってるな、矢張ちゃん。
「『矢張ちゃん、正直に答えていいよ。君が殺したんじゃないなら、嘘を吐く理由が無い。嘘なんてついたって、バレた時に余計怪しくなるだけだよ』」
「お、おう! 確かにその、行ったよ、行ったさ!」
傍聴席がざわつく。
それを裁判長が木槌を叩いて鎮める。
「静粛に! ……それで? 矢張君」
「う……そんな目で見るなよな! アイツ、留守でさ。会えなかったわけよ、結局」
「異議あり!!」
亜内検事の甲高い声が廷内に響いた。
「裁判長。被告人は嘘をついております」
「……うそ?」
「我々には、今の嘘を立証する証人がいます」
「……それは話が早い。どんな証人ですかな?」
「死体の発見者です。彼は、死体を発見する直前に、殺人現場から逃げていく被告人を目撃しているのです!」
再び傍聴席がざわついた。
今度は決定的な目撃証人の登場と言うだけあって、先ほどよりもざわつきが大きい
裁判長も木槌を3回も叩き、それを鎮める。
「静粛に! 静粛に! 亜内検事。その証人を呼んでください!」
「ははっ」
しかし、第一発見者か……。
ドラマだと第一発見者が真っ先に疑われるんだけどなー。
「事件当日、現場のマンションで新聞の勧誘をしていた、山野星雄さんを入廷させてください!」
亜内検事の指示を受け、係官が一人の男を連れてくる。
にやにやとして体をくねくねさせている変な人だった。
「山野さん。新聞勧誘員をしておられる……?」
「……は、は。さようでございます、はい」
「では、さっそく『証言』をしていただきましょう。あなたが事件当日、見た事を話してください」
≪証言開始≫
~事件の当日、目撃したこと~
「勧誘しておりましたら、とある部屋から、男が出てきたんです」
「男は慌てていて、ドアを半開きにしたまま、行ってしまいました」
「おかしいと思いまして、私、部屋を覗いてみたんでございます」
「すると、なんと、女の人が死んでいるじゃございませんか!」
「私、腰が抜けてしまいまして、怖くて部屋に入れませんでした」
「私、すぐに警察を呼ぼうと思ったんでございます」
「でも、彼女の部屋の電話は通じませんでしたので」
「それで、近くの公衆電話から、通報いたしました」
「時間ははっきり覚えております。お昼過ぎの、2時でした」
「逃げた男は、間違いなく、そこの被告人の方でございます」
≪証言終了≫
「ふむぅ……。ところで、現場にあった電話はなぜ通じなかったのですかな?」
「はい、事件があった時間、マンションは停電中だったのです」
「しかし、停電中でも、たしか電話は使えるはずでは……?」
「はい、その通りです。しかし、機種によっては、子機の使用はできないのです。現場で山野さんが手にしたのは、そういうタイプの子機でした。裁判長。念のため、停電の記録を提出します」
>>証拠品『停電記録』のデータを法廷記録にファイルした。
『停電記録』
事件当日の午後1時から6時過ぎまで、現場のマンションは停電していた。
「では、弁護人。尋問をお願いします」
「『尋問?』」
「さあ、球磨川君。いよいよ本番よ。尋問で今の証言の嘘を暴いてみせなさい!」
「『あー、あれね。研修所でやった気がします』」
「大丈夫なんでしょうね……?」
「『大丈夫ですよ。要は証言の弱点を突けばいいんですよね? 弱点を突くことにかけては、あらゆる弱さを知り尽くしてる僕の右に出るものはいません』」
さ、それじゃあ、過負荷の尋問始めよっか。
≪尋問開始≫
まあ、今回は誰でもわかるレベルのムジュンが転がってる。
そこに証拠品を螺子込めばいいだけだ。
「時間ははっきり覚えています。お昼すぎの、2時でした」
この証言とムジュンしている証拠品は『高日美佳の解剖記録』だ。
これを、つきつける!
バンっ!
「『それは違うよ!!』」
………………
あれぇ?
「……球磨川君。ふざけないでって何度も言ったわよね?」
「『イタイイタイイタイ!! ギブ! ギブ! ごめんなさいちゃんとするからあ!!』」
ふう……。
千尋さんのアイアンクローは相変わらず痛い。
では気を取り直して。
「『異議あり!!』」
僕は人差し指を山野さんに突きつける。
「『死体を見つけたのが、2時。間違いありませんか?』」
「ええ。2時でしたね。たしかに」
「『あれれぇ? なら山野さん。証人として出てくる法廷間違えてませんか? だって、被害者が殺害されたのって、解剖記録によると、4時から5時までですよね? だとしたらどうやって2時に死体を見つけれたんだろうなあ。気になるなあ』」
「……! え、あの、それは……」
「異議あり! それは些細なことです。単なる記憶違いでして……」
「……私にはそうは思えません。山野さん。どうして死体を見つけた時刻を2時だと……?」
「……ええと、その……ど、どうしてでしょうね……」
うわあ。大の大人が狼狽える姿って、見るに堪えないんだなあ。
「見事なツッコミよ! 球磨川君! あなたのその最低な人格が見え隠れしてるわね!」
「『褒めるならちゃんと褒めてほしいんですけど』」
「あっ! そうそう、思い出しました!」
山野さんが何か思いついたようだ。
「では、もう一度証言してもらいましょう」
≪証言開始≫
~死体を発見した時間について~
「死体を見つけた時、時間が聞こえてきたんでございます」
「あの音、時報みたいな感じで……。たぶん、テレビだったと思います」
「あ、でも、時報にしては、2時間もズレていたんですよね?」
「たぶん、被害者の方は、ビデオを見ていたのではないでしょうか」
「その音を聞いたから、2時だったと思い込んでしまったのでしょうね」
「どうもご迷惑をおかけしました……」
≪証言終了≫
「……ふむ、なるほど。ビデオで時報の音を聞いた……。では弁護人。尋問をお願いします」
「『はーい!』」
≪尋問開始≫
さっきは最初の尋問だったから、ちょっと丁寧にやったけど、これからはいきなりつきつけるから、読者のみなさんは注意してね!
「たぶん被害者の方は、ビデオを見ていたのではないでしょうか」
「『異議あり!!』」
「『山野さん。嘘をつくにしても、ちゃんと裁判を聞いて、考えて嘘をつかないと。今までの話聞いてました? 被害者の殺害時刻、そしてあなたが死体を発見した時刻。共にマンション内は停電だったはずですよね? だからあなたは公衆電話まで通報しに行くハメになった。テレビにしろ、ビデオにしろ。使えるわけがない』」
「……!! そ……それは……」
「……たしかに、その通り。山野さん、どういうことですかな?」
「……いや、私もその、どういうことなのか……。あっ! そうだ! 思い出しました!」
「……山野さん。証言は最初から正確にお願いしますぞ。だんだん、あなたという人物が怪しく見えてきます。なんか、妙にクネクネしてますしねえ」
「……!! も、申し訳ございません。……でも、なにぶん、死体を見たショックで……」
「『なるほど、検察側は死体を見たショックで記憶が混乱している証人に無理矢理証言をさせている、ということですね』」
「い、異議あり! 弁護側の発言には無意味に検察側を貶める意味合いが込められています!」
「『でも、事実でしょ? 不確かな証言で被告人を人殺し呼ばわりしてるわけだ。もし、そうじゃないって言うなら、ここらでびしっとムジュンない証言をしてもらわないと。ねぇ? 山野さん?』」
「も、もちろんでございます……」
「では、証人。もう一度証言をおねがいします」
≪証言開始≫
~『時間を聞いた』ことについて~
「やっぱり、『聞いた』のではなく『見た』んでした!」
「現場には、置時計があったじゃないですか」
「ほら、犯人が殴る時に使った凶器ですよ」
「おそらく、あれで時間がわかったんだと思います……」
≪証言終了≫
「時計を見た……。まあ、それなら理解できますね。では弁護人、尋問を」
≪尋問開始≫
「ほら、犯人が殴る時に使った凶器ですよ」
「『異議あり!』」
「『おかしいですね、山野さん。凶器は考える人の『置物』だったはずですよね? いったいこれのどこらへんが時計なのでしょうね?』」
「うおおおっ! ……あんた、何なんだ! さっきから、エラそうに!」
「『山野さん。僕が何なのかは別にどうでもいい。ちゃんと質問に答えてください』
「オレ……わ、私は見たんだ。そいつは置時計なんだよ!」
「裁判長! ちょっとよろしいですか」
「どうしました? 亜内検事」
「この置物は、証人の言う通り、実は置時計なんです。首がスイッチになってまして、時間をアナウンスするタイプです。時計には見えないので、置物として提出したんです」
「なるほど……。凶器は、実は置時計だったと。どうかな? 球磨川君。山野さんの証言は間違っていない。これはたしかに時計なんだから。山野さんの証言についてもう問題はないですかな?」
「『いえいえ、それが時計だったとしても。むしろそれが時計だったからこそ。大きな問題が残ります。山野さんは時計を『見て』時間がわかったと証言しました。直前まで『聞いた』という証言をしていたにも関わらずです。しかも、この時計は実際に触らないと時刻を教えてはくれません。ねぇ、山野さん? 死体を見て腰を抜かした山野さん? 怖くて部屋の中に入らなかった山野さん? あなたはどうやって、凶器であるこの置時計から時刻を知ったんですか?』」
「ふむぅ……。ではどうやって証人が時計のことを知ったのか。弁護人の考えを聞かせてください」
「『なぜ証人が時計のことを知っていたか。それは事件当日に部屋に入ったからに他なりません。つまり、山野さんは嘘をついている』」
「な、なんだと! し、知らねえぞオレは……」
「『おやおや、どうやら証人は死体を見たショックで記憶が飛んでしまっているようだ。では、僕が教えてあげましょう。あの置時計で被害者を殺害したのは、あなただったんですよ。思い出しました?』」
「ぐ、ぐぐ……」
「『カノジョを殴ったときのはずみで、あの時計は鳴った。あなたはその音を聞いたんだ』」
傍聴席がざわつく。
それを裁判長が止める。
「……面白い。球磨川君、続けなさい」
「『はーい。……山野さん、きっとあなたはかなり驚いたはずだ。被害者を殴った瞬間、置物が急に喋りだしたわけだからね。その声が、強烈に印象に残った。だから、あなたは時間だけを妙にはっきりと、確信を持って覚えていたんです』」
「異議あり! ど、ど、どういうつもりですか! そ、そんないい加減な言いがかりは……」
「『いい加減なのはあなたが連れてきた目撃証人だ。時間を見たのか聞いたのかも覚えていない。そのくせ間違った時間だけはいやにはっきり覚えてる。極めつけに、この証人の顔を見てみなよ』」
「……う……ぐ、ぐ……」
「証人、どうなんですか? あなたが殴ったんですか?」
「わ、ワタシは、その……決して……。あの、ワタシが見たのは……。うぐぐ……。うおおおおおおおおおおおおおお!!」
あぶっ。
山野さんが投げてきた何かが、僕の顔に当たった。
これは、カツラ?
「うるせえんだよ! 細かいことをぐちぐちと! あ、あいつだ……! オレは見たんだよ……。 し、死刑だ! あの男を死刑に……!」
そこにはくねくねした怪しい山野さんではなく、頭頂部が寂しく息が荒い怪しい山野さんがいた。
まあ、たいして変わらないか。
「裁判長! お、お待ちください! ただ今の弁護人の主張には証拠のカケラもありません!」
「球磨川君!」
「『なんでしょう?』」
「証人が聞いたという時報が、この時計の音だという証拠。そんな証拠は、あるのですかな?」
「『もちろん。山野さんが聞いたのはこの時計の時報だった。それを証明するのは簡単です。実際に時計を鳴らしてみればいい。裁判長、その時計を貸してください』」
裁判長から、証拠の置時計を受け取ると、その場で首をぐりんと螺子ってみた。
『ピッ……おそらく、9時25分だと、思う……』
「な、なんか、ヘンなアナウンスをする時計ですね」
「『考える人ですから。彼はいついかなる時も現在時刻について考えているのです』」
「で、このアナウンスがどうかしましたか?」
「『亜内検事。今、本当は何時ですか?』」
「11時25分……。あっ!」
「『お聞きの通り、2時間遅れているんですよ。この置時計は。殺人現場で、山野さんが聞いた時刻と同じくね。さあ、どうです? 言い逃れ、まだ続けますか? 僕、そろそろ帰って週刊少年ジャンプ読みたいんですけど』」
「……へ……へっ! あんた、1つ見逃してるよ! 確かに、その時計は2時間遅れているみたいだな。だがな……。その置時計が、事件当日にも遅れていたかどうか。その証拠がない限り、証明したことにはならないぜ!」
「『……そうなの?』」
「……そうですな。現在、時計が遅れていても、事件当日にも遅れていたとは限らない。球磨川君、証明できますかな?」
「『うーん……』」
「……どうやら無理なようですね。となると、山野さんの言う通り、彼を告発することはできません。……残念ですが、ね」
裁判長さんは言い終わった後、木槌を一回叩く。
「ではこれにて、山野星雄氏に対する尋問を、終了します」
「ヘッ! 人がわざわざ証言しに来てやったっていうのに、ハンニン呼ばわりかよ! 全く、弁護士ってのはひどい連中だぜ!」
「『あーあ、また負けちゃうのかー……。人生、ままならないなぁ……』」
ゲームじゃ無いんだし、そんな都合よく証拠が残ってるわけがない。
万が一残ってたとしても、僕の手にあるとは限らない。
やっぱ弁護士、向いてないのかなあ。
「待ちなさい! 山野星雄!」
……千尋さん?
「球磨川君! だめよ! ここであきらめちゃ! 考えましょう!」
「『でも、もう無理じゃないかな? 山野さんの証言はガタガタだったし、頑張れば矢張ちゃんの無罪くらいならいけるかもしれないけど。事件があった日に、時計が遅れていたかどうかなんて、今更、証明しようがないよ。諦めよう?』」
「そ、そうね……。じゃあ、いっそのこと、発想を逆転させましょう! 『あの時計が事件当日も2時間遅れていたかどうか』って考えるのじゃなくて、そもそもあの時計が『何故遅れていたのか?』。その理由を考えてみるの! 球磨川君! あの時計が、なぜ2時間遅れていたか、わかる?」
「『……そうか。なるほどね。ありがとう千尋さん。やっぱり千尋さんは最高の上司ですね!』」
「お世辞はこの裁判が終わってからゆっくり聞くから、まずはこの事件の犯人に、証拠品をつきつけてやりましょう!」
「どうですか? 球磨川君。事件があった日には、時計はすでに遅れていた。それを証明することができるというのですか?」
「『もちろんです』」
「ほお! できるもんならやってみな!!」
「では、証拠品を提示してもらいましょう!」
ここまでの裁判で聞いた情報を全てかき集めればおのずとわかる。
遅れていた時刻。前日までの被害者の行動。その行先!
「『被害者は事件の前日、外国から帰国したばかりでした。彼女が前日までいたのは、ニューヨーク。日本との時差は、14時間。日本で午後4時の時、向こうは午前2時。12時間タイプの時計ならば、その差は、ちょうど2時間。被害者は帰国後、時計の時差を戻してなかった、と考えれば、事件当日に時計が遅れていたことに説明がつく。だからあなたが聞いた時間は、2時間ズレていたんだ。どうですか、殺人犯の山野さん!!』」
「ぐ、ぐぐぐぐぐぐ……………………」
ばたり。
証言台の山野さんは倒れてしまった。
ざわめく傍聴席をよそに、倒れた山野さんを係官の人が運んでいった。
「さて、ここへきて、状況は一変したと言っていいでしょう。亜内検事、山野星雄は……?」
「は、あの......先ほど緊急逮捕いたしました」
「よろしい。……球磨川君」
「『はい?』」
「正直なところ、驚きました。こんなに早く、依頼人を救い出したうえ、真犯人まで探し出すとは……」
「『上司の助言があったからですよ。僕一人の力じゃありません』」
「とにかく、今となっては形式にすぎませんが、被告人・矢張政志に判決を言い渡します」
『無罪』
「では、本日はこれにて閉廷!」
________________________________________
後から聞いた話によると山野と言う男は、空き巣の常習犯だったらしい。
新聞の勧誘をしながら、留守の家を狙ってたという。
事件当日。
矢張ちゃんが部屋を訪ねた時、被害者は留守だった。
彼が立ち去った後、山野は仕事をするため、部屋に侵入。
そして、部屋を物色中、被害者が帰ってきてしまったのだ。
逆上した山野は、傍にあった置時計を手に取って、犯行に及んだのだという。
8月3日 午後2時32分
地方裁判所 被告人第2控室。
「球磨川君! やったわね! おめでとう!」
「『裁判長さんにも言いましたけど、千尋さんのおかげですよ。僕はどうも負け犬根性が染みついてていけない』」
「ううん。そんなことないわよ。とにかく私、久しぶりにスカッとしたわ! あの検事さん、ヤな人なのよねえ」
そんな私怨を僕の裁判に向けられても。
「『そうだ。矢張ちゃんも喜んでるかな』」
「死ぬんだぁ……」
有罪判決を言い渡された被告人のような顔をしていた。
「弁護士さんよぉ……。オレ、そろそろ死ぬからさあ」
「『うん、介錯でもすればいいのかい?』」
「ちょっと球磨川君!」
「……美佳は、帰ってこないんだよなぁ……」
……死者は、帰らない。
そんなのは当然だ。
だから僕は、弁護士になるにあたって、その方法を封印した。
「おめでとうございます。ヤッパリさん」
突然、千尋さんが割り込んできて、矢張ちゃんの手を握る。
「や、ヤッパリ……?」
「どうかしましたか? ヤッパリさん」
そのニックネームはどうなんだろう。
「いやあの、なんつーかその、ホント、ありがとっす。オレ、一生忘れねーから」
「……まあ」
……弁護したの僕なんだけど。
いや、確かに千尋さんがいなかったら危なかったけど。
「あ、そうだ。こ、これ、プレゼント! 受け取ってください!」
矢張ちゃんはそう言って、カバンから考える人の置物を取り出す。
あれって……。
「あら.......私に? あの、でもそれ、証拠品じゃあ......?」
「実はコレ、オレがアイツのために作ってやった時計なんすよ。アイツのと、オレのとで、二個作ったんす」
「まあ、あなたが作ったの、これ? ……そうね。じゃあ、記念にいただくわ」
「……でもよお、弁護士さん。オレ、こんなにアイツのこと想ってたのに、あの女にとってオレ……ただのオモチャだったんだよな。すげぇ……、悲しいよ」
「『......それは違うんじゃないかな』」
「……え?」
「『僕はあんまり、人の好意に触れたことはないけど、それでもわかるよ。好意っていうのは突き詰めれば弱さでしかない。だから、僕にはよくわかるのさ』」
「ハッ! な、なぐさめなんて……」
「あら、それはどうかしら。ねえ、球磨川君。わからず屋な彼に、彼女の気持ちがわかる証拠を見せてあげて」
「『……そうですね。それが弁護士のやり方だ。矢張ちゃん。証拠はこの時計だ』」
「そ、それがどうしたんだよ……」
「『これ、君の手作りの時計なんでしょ? 高日さんは、これと一緒に旅行に行ってたんだよ。わざわざこんな重くてかさばる時計を持っていったんだ』」
「……」
「『ま、何を考えるかは君次第だ。でも、自分にとって都合のいい考え方しても、バチは当たらないんじゃないかな』」
「弁護士さん……いや、球磨川! 今回のこと、お前に頼んでよかったよ。ホント、ありがとな」
「『……参ったね。感謝されるのには、慣れてない』」
「……球磨川君。証拠品って、こういうものよ。見る角度によって、その意味合いはどうにでも変わってしまう。人間だって、そう。被告人が有罪か、無罪か。私たちには知りようがない。弁護士にできるのは、彼らを信じることだけ。そして、彼らを信じるということは、自分を信じるということなの。球磨川君、強くなりなさい。自分が信じた物は、最後まであきらめてはダメ」
千尋さんが年上らしく、先輩らしく、上司らしく教えてくれる。
これからも、千尋さんにはお世話になりっぱなしなんだろうな。
「じゃあ、私達も帰りましょうか」
「『あ、僕ラーメン食べたいです!』」
「お、いいわね。今夜はパーッとご馳走しちゃうわよ! ヤッパリさんの無罪を祝いましょう!」
「『やったー!』」
こうして、僕の初めての裁判は終わった。
結果的にはうまくいったけど、やっぱりこういうプラスなことは苦手なのかもしれない。
だけど、それでも譲れない信念というものがある。
一番弱い人に味方する。
これは、弱い僕が弱いなりに通してきた筋だ。
たとえ、この先どんなことがあっても、これだけは、守り通そうと思う。
原作1話の簡単な裁判なのにこの分量。
2話とか大丈夫なんですかね。
それにしても、球磨川先輩っぽさが出せてたか不安です。