その日、トキワの森の川辺に二人の少女が腰を下ろしていた。
一人はイエロー、ここトキワ出身のトキワの森をこよなく愛する黄色いポニーテールと普段はそれを隠した大きな麦わら帽子が特徴的な少女。
もう一人はブルー、綺麗なブラウン色の長い髪の"可愛らしい"というよりは、"美しい"と表現される程には大人びてきた少女である。
果てさて、そんなタイプは違えどどちらも十二分に魅力的な少女二人がこんな森の中で顔をつき合わせている事には理由がある。
「それで、クリアの誕生日に何をプレゼントしたらいいのか分からないと……そういう事なのね、イエロー?」
「はい……」
目に見える程に肩を落とした少女イエローは、手に持ったスケッチブックにトキワの森の絵を描きながらブルーの言葉に答えた。
クリア、それはチョウジジムのジムリーダーにして図鑑所有者の一人である少年である。
このイエローという少女、色々諸々な事情やら経緯やらで、この少年に"LOVE"的な意味で好意を持っているのだが、その意中の彼の誕生日がもう目前まで迫ってきており、その誕生日プレゼントに悩んでいたのだ。
悩みに悩んで、ならばと連絡の取りやすく相談もしやすいブルーに事の相談に乗ってもらった、というのが今回の経緯である。
――尤も当の少年クリアもまた、密かにイエローに好意を向けており互いに相思相愛的な関係なのだが、互いに鈍感な上恋愛方面となると奥手となってしまう為、今日の今日まで二人は友達以上恋人未満の関係を貫き通してきていた。
――まぁしかし、当の本人達以外は"その事"について当然気づいているのだが、そんな事はクリアとイエローの二人は知る由も無いのだが。
「ならそうね、思い切ってプレゼントは"ワ・タ・シ"とかそんなベタなものでいいんじゃないかしら」
「ぶっ!……な、何言ってるんですかブルーさん!?」
盛大に噴出して、慌てて自身の飛沫が飛んだスケッチブックをハンカチで拭きつつ、イエローは声を荒らげる。
「あぁそうね、うっかりしてたわ。イエロー、あなたの場合"ボ・ク"だったわね」
「いや……あの、そういう問題じゃなくてですね!?」
「なによー何か問題でもあるの?」
「はい凄く!」
今日一番威勢の良い声を聞いて、ブルーは思わずため息を漏らす。
まぁ確かに八割がた冗談交じりの提案だったのだが、それでも彼女なりに少しは気を使った提案だったのも事実。
(全く、こんな様子じゃいつまで経っても進展なんか有り得ないわねぇ)
恐らく二つの事情から顔を赤くして抗議しているイエローを眺め、ぼんやりとブルーはそう思う。
いくら彼女の眼前の少女と、今どこで何をしているのか分からない少年が好き合ってると言っても、それが永遠と長続きするとは限らない。
――いやこの二人の場合結構長続きはしそうだが、それを差し引いてもいつまでもこんな状況ではいけない、という事は割かし他人事のブルーでもそう思う。
思い立ったが吉日、とまでは言わないが、それでも行動というものは早いに越した事は無い。
「や、やっぱり何かポケモン関連がいいんですかね!? 進化の石とか!?」
等と本気で言ってる純情少女の事はさて置き、そんな少女の主張等まるで最初から無かった事かの様にスルーして、
「よし、じゃあこの際告白しちゃいなさいよ!」
「ひゃい!? な、なんれ!?」
悪戯心一杯に悪女の様な笑みでそう告げたブルーの言葉に、呂律の回らない返事でどうにか返すイエロー。
その様子を見て、内心ブルーはため息を吐いて、
(はぁ、やっぱりまだまだ早いのかしらね。この子には……)
半ば諦める様に心中そう呟いた時だった。彼女の視線は不意にイエローの手元へと、より正確には彼女のスケッチブックへと注がれる。
それはイエローという少女が常日頃から愛用しているスケッチブック。絵を描く事が好きな彼女が(別段上手いという訳では無いが)常備しているもの。
そしてクリアという少年がいる時は、必ずと言って良い程仕舞われているものである。
「……ねぇイエロー」
「うぅ、なんですかブルーさん、出来ればこれ以上は苛めて欲しくは……」
「あぁそれは悪かったわよ、ほら、良い子良い子」
「わぷ……こ、子供扱いしないで欲しいです……」
トキワの森の中で二人きりだからか、今は露になっている可愛らしいポニーテールを優しく撫でるブルー。
イエローも嫌々言うが、内心そこまで嫌では無いらしい。抵抗する力が極端に弱い。
その隙に、ブルーは空いたもう片方の手でイエローに気づかれない様にスケッチブックを奪い取り、地面に広げて中身を見る。
(……って、別に特に見られて困るものは……)
ペラペラと一枚ずつ紙を捲っていくブルーだったが不意にその手はとあるページで静止する。
イエローやクリア、果てはブルーやレッド等の手持ちポケモンのスケッチが見られるスケッチブックの中で、一際大きく描かれた一枚の絵にブルーの手は止まり、そしてすぐに彼女はニンマリと意地の悪い笑顔を広げる。
「あれ……ってあーブルーさん! 勝手に人のスケッチブック……ってきゃあぁぁぁぁぁ!!!?」
彼女にしては普段上げない女の子らしい甲高い悲鳴を上げ、すぐさまイエローはブルーからスケッチブックを奪い返す。
が、時は既に遅し。ブルーは彼女のスケッチブックの中身を見てしまっている。
「……見ました?」
「バッチリ!」
目尻の涙を薄っすらと溜めて火照った顔を隠さず聞いたイエローが聞いた答えは、それはそれは最悪なもの。満面の笑みのブルーが手で作る小さな丸印。
「……うぅ、ブルーさん……この事は絶対に誰にも……」
「言わないわよ、大丈夫安心しなさい、私だってその位は弁えてるわよ」
「ブルーさん……!」
一先ずの安心は確保出来た。パァっと表情に輝きを取り戻すイエローだったが、すぐにブルーは意地悪な笑みを作って、
「だけど、うふふ……イエローってば意外と乙女だったのね」
「うわあぁぁぁ! ストップ! ブルーさんそれ以上は言わないで!」
「普段はボクなんて言ってるけど……でも私はそんなイエローも可愛らしいと思うわよ?」
「う、うぅ……それ以上は言わないでください……凄く、恥ずかしいですよ……」
今にも爆発してしまいそうな程蒸気を発する顔を手で覆って、完全に俯いてしまったイエローの頭を、まるで宥める様に撫で始めるブルー。ちなみに主犯。
「……大丈夫。アンタ等二人は、凄く似合ってると思うわよ」
最後に優しくそう告げたブルーの言葉は、恥ずかしさのあまり現実逃避気味のイエローの耳には入っていなかったという。
トキワの森の川辺で、一組の少女達が静かな寝息を立てていた。
誰も人が来ない静かな場所、そんな彼女達の寝息に当てられてか、周囲にいたポッポやキャタピー等といった小型ポケモン達もうつらうつらと瞼を閉じ始める。
まるで天国の様なその森の中、少女達の傍らで置かれたスケッチブック。
風に吹かれて開かれたそのページには、幸せそうに肩を並べて昼寝をする一組の少年少女の絵が描かれていたという。
一方その頃、チョウジジムのとある室内では。
「所でレッドさん、せっかくイエローが盛大に誕生日を祝ってくれるっぽいですし、俺も何かお返しした方がいいですよね。何がいいですかね!?」
「告白」
「キッス!」
クリア、レッド、何故かその場にいるゴールドの三人の野郎共による乱闘があったとか無かったとか。
そしてそれが"その物語"の数日前の出来事である。
"バッドエンド"に行き着く"再会"の物語の――。
その物語は"親子の再会"の物語だった。
複数組の親子が、形はどうあれ各々の家族と再会したという物語。
そこだけ聞くと一見全米が泣き出す様な文字の並びなのだが、現実にはその逆、その"再会"に巻き込まれた者々ほぼ全てが傷つくという話だった。
"終わり良ければ全て良し"――なんて言葉もあるが、ならばこの場合はどう処理すべきなのだろうか。
過程含めて、終幕すらも"バッドエンド"で締められた物語の主人公は、果たして一体どんな顔をしてその物語の続きを演じれば良いのだろうか。
ナナシマでの戦いの際、究極技の修業も平行しながらデオキシスの
数にキリが無いディバイドを一掃し、彼等を捕えるタワーメインコンピュータを破壊すべくミュウツーが行った攻撃、それはただ純粋にタワーを真っ二つにするという離れ技だった。
結果、見事その場を脱する事に成功したレッド、グリーン、ブルー、オーキドの四名、そしてその直後、唯一飛び立てる"
その際、その攻撃に巻き込まれたクリアとキワメは崩れ落ちるタワー上層階と共に危機一髪的な状況だったのだが、流石にその程度のピンチは慣れものである。どうにか彼等も危機を脱し、その後すぐに残ったグリーン等と合流する事に成功するのだった。
一方、シルバーと再会し、ロケット団とのタッグバトルに発展したイエローは、結果的に連れ去られたシルバーを追ってロケット団の飛行艇内へと潜入していた。
身一つ、否正しくは手持ちのポケモン達と共に、イエローがシルバーを捜索していた頃、飛行艇の空中闘技場ではレッドとミュウツー、サカキとデオキシスによる頂上決戦が繰り広げられていた。
互いに持てる力の全てを振り絞った、それぞれの立ち居地とは全く関係の無い、それでいて互いの因縁の全てを払拭すべく行われた戦闘。
勝負は互角、一時はそう見えたがしかしレッド達は窮地へと追いやられる。
原因は唯一つ、デオキシスが持つ"フォルムチェンジ"能力。相手の戦闘スタイルに合わせて有利な型に変化出来るその能力の前に、崩れ落ちそうになった双方だった。
――が、後一手の所、そこでデオキシスに異変が起き、その隙を即座につくミュウツー――そしてそのまま、勝利はレッド側のものとなった。
それは5の島のロケット団倉庫にて、デオキシスのフォルムチェンジのバランスを崩したマサキとニシキ、そしてその助力をしたホカゲとカガリの活躍のもと起こった奇跡。
そうして誰もが"ハッピーエンド"を確信したその時だった。飛行艇が急激にバランスを崩したのは。
それは鼬の最後っ屁と言わんばかりのロケット団三獣士の一人であるチャクラの行動、常日頃からロケット団ボスの座を狙っていたチャクラによる半ば八つ当たりの様な行動である。
そしてその混乱の中、三獣士は全てバラバラになり、飛行艇もあわやクチバシティへと墜落する危険を孕んだ。
――尤も結果的に、飛行艇は無事"奇跡的"に最小限の被害で地上へと落下し、誰も傷つくことの無い結末で終わる。
そこで終わるはずだった――。
ブルーの両親との再会で始まった物語は、互いの立場は正反対であれど、しかし実の親子であるサカキとシルバーの再会によって幕を下ろされた――かに見えた。
最後に、三獣士最後の一人にしてリーダー格であるサキが現れなければ、この物語はハッピーエンドで終わっていたはずだった。
「……なんだよ、それ」
いくら元気が良すぎると言っても矢張り高齢、故に離れたくても離れる事の出来ないキワメを背負ってどうにか先にレッド等の下へと向かったグリーンとブルーの両名に追いつくべく走ったクリアが見たものは、五体の石像とサキの姿であった。
クチバシティに飛行艇が激突しようとしている、ナナシマからシーギャロップ号によってすぐさまカントーへと帰還していた一行の内、即座にその報を聞いて飛び出したのは矢張りグリーンとブルーだった。
二人に出遅れる形でまずはエースに乗って飛び立とうとしたクリアだったが、エースも生き物である。連戦の疲労はかなりのもので、急遽クリアは飛行を断念しキワメを背負って走る事にしたのだ。
そしてクリアは見た。不可思議な光、エネルギー波の衝突。
眩いばかりの光の後、彼の眼球が捉えた光景はぶつかり合ったミュウツーと一匹の"黒いポケモン"、そして此方の存在に気づき冷徹な微笑を浮かべるサキの姿。
「おやおや、どうやら一人"取りこぼし"がいた様ですね」
背筋に芯まで凍りつく様な冷たい声がクリアの耳に届くが、しかしその時の彼にその声の主の分析をする程の余力は残っていなかった。
ただ脳内で行われていた情報処理は目の前の石像、傷つき悔しそうな表情を見せるミュウツー、そして何故かそのミュウツーと敵対するシンオウ幻のポケモン"ダークライ"。
状況から察するに、導き出される答えは一つだった。
「まさか、その石像は……!」
「えぇ、五人の図鑑所有者……その"成れの果て"」
答えを聞く前から答えは出ていた。ただ否定して欲しかったのだ。
違うと、そうじゃないと。
だが現実は非常、起こった出来事は変える事が出来ない。
「ダークライ」
サキの声が聞こえた。しかし体は動かなかった。
そして次の瞬間、クリアの体が大きく揺れて、地面へと倒れ込む。
「……あ」
だがそれは、クリアがサキのダークライの攻撃を食らった、からでは無い。
それはクリアの背にいたキワメが、強引にクリアの体を逸らした事が原因だった。
その結果、ダークライの攻撃をモロに食らったのはキワメの方、命令からのインターバルを考えてそれ程強い攻撃では無い事は簡単に予想は出来た、がそれでも老体の意識を軽く奪う程度の威力はあった。
「外した、が……厄介そうなご老人にはご退場願えましたか……フフ、では私もあまり長居は出来ませんし、次で最後にしましょうか」
そして、今度こそ外さない様、しっかりと照準をクリアへと定めるダークライ。
その光景をまるで他人事の様に見つめて、クリアは不意に自身の脇で気を失ったキワメへと視線を移し、そして次に石となった五人の図鑑所有者へと目を向ける。
「なんで、アンタ等三人が石になってんだよ」
一言目は先輩三人に向けて、
「なんで、シルバーがここに、なんで……」
二言目は、ジョウト図鑑所有者の意外と似たもの同士のシルバーに向けて、
「なん、で……こんな場面でいんだよイエロー……」
三言目は、純粋な好意を向ける少女に向けて、血の滲む唇を更に噛み締めて呟いた。
返事は無かった、当然だ。
サキへと飛び掛ろうとしたミュウツーの動きが一瞬停止する、サキのジュペッタが"シャドーボール"を放ったからだ。
次にサキの微笑が少しだけ深く釣りあがった、瞬間、ダークライの"あくのはどう"がクリアへと打ち放たれる。
そして外に出していたエースが、ピクリと反応して、
「……ざけんな」
クリアの腕のリングがそんなエースに呼応するかの様に"青い輝き"を放ち、ピキンッと甲高い音を立てて真っ二つに割れて、
「ふっざけんじゃねぇよこの腐れ
明確な敵意が毒々しい言葉に乗せられてサキへと言い放たれる。
同時にエースの炎が青く広がり、巨大な青炎が"あくのはどう"をかき消し、かろうじてその炎を避けるダークライ。
此度の戦いで、圧倒的にクリアに足りなかったもの、それは最後の最後で全てが台無しになって初めてそれは彼の手に入った。
真剣さ、必死さ、想いの強さ――そして何よりワタル戦の時と同様の"全てを投げ打ってでも敵を倒したい"と願う破壊願望。
かつての条件の全てが揃いさえすれば、エースが"ブラストバーン"を修得出来ないという道理は無い。
ただ"かつての時"と違ったのは、それを"守る"為に使うのか"壊す"為に使うのか、ただそれだけの事だった。
(……ふむ、これがクリアの能力)
その光景に、自身を焼き尽くさんとする青炎を間近に見定めてサキは心中呟く。
(キクコ様の仰っていた通り、油断ならない能力の様ですね……まぁ何にしても、それでも"イエロー"程の脅威は感じないが)
クリアとイエロー、実際に相対したその上で二人の価値を見定めた上でのサキの評価。
彼女の師であるキクコ(尤もその事を知る人間は限りなく少ないが)経由でサキはクリアの事を多少なりとも知っていた。知っているからこそ、今この場でクリアの価値を見定め、そしてサキはクリアの価値をイエロー以下だと判定したのである。
だがそれは少しだけ間違った評価。
それはクリアにとっては幸か不幸か、彼を始末出来たと思い込んだチャクラがサキに情報を漏らさなかった事が原因となったのだが。
「ンフフ、それにしても……」
その時だった、サキの足元から急速に凍り付いていく。
それは四天王のカンナの氷攻撃、彼女によるナナシマ襲撃への僅かばかりの復讐。
「随分と"不気味で強い悪意"を放つ……シルバーの"心地の良いカリスマ性の強い悪意"とはまた違う"悪意"を」
そう言って、何かを言い返される前にサキは自身のスターミーに乗りその場から飛び上がった。
続く様にダークライ、ジュペッタが続き、ミュウツーもそれを追う。
そうして後に残されたのは尚も"制御の出来ない青炎"を噴出するエースと、己の中に確かにあった――今この時まで息を潜めていた悪意の塊を露にするクリアの姿。
その姿を彼を知る者が見れば、まず第一の否定の言葉を述べるはずだ。
まずそもそも、クリアという人物を知っている者は意外と少ない、それはクリア本人も含めてだ。
今のクリアの姿は、性格が変わるとかそういうレベルの話では無く、本当に本物の才能、悪の才能というレベルのもの。サカキの"悪のカリスマ"を少なからず受け継いでいるシルバーのそれと非常に似通ったものだった。
しかしその事についてクリアに問いただしてもきっと十分な解答は得られないだろう。何故なら彼自身、何故自身の中にそれ程の"間違った才能"が眠っていたのかを理解出来ていないから。
そしてその事を彼が知る日は、一度たりとも無いのである。
「待て……って、言って……」
空へと逃げたサキへと飛ばした手は、言葉と共に地へと落ちる。
限界だった。体力的にも精神的にも、短時間に酷使し過ぎたのである。
そして、そうして、何の活躍も出来ない役立たずの主人公は、"クリアという人物が生まれて初めて"の絶望を痛感する。
クリア同様崩れるエースの炎は元のオレンジに戻り、朦朧とするクリアの聴覚はかろうじて叫び声を上げるオーキド博士の声だけを拾った。
そしてそのまま、クリアの意識は一旦離され、次に起きるのは一週間後となった。
こうして"再会"の物語は、やはり一つの"再会"と共に幕を下ろされたのだった。
"バッドエンド"から一週間程が経過したその日、一つの希望が生まれた。
幻のポケモン"ジラーチ"、その存在が近い内に目覚めるという情報、キワメがナナシマのロケット団タワーから持ち出した資料の一つから判明した情報だ。
勿論、その時を目指して関係各者全員が動いた。
オーキドはジラーチが目覚めるという土地を持っている者へ連絡を入れ、知識あるものは全ての情報を資料から読み解くべく解析を進める。
残された図鑑所有者、ゴールドとクリスタル、彼等もまたその時に備えて何か動きを見せていた。
一方で、クリアはただ一人石像の前にいた。クリアが目を覚ましたタマムシの病院、急遽そこに移送され、密かに隔離された五体の"生きた石像"。
――その日はひそひそと静かな雨が降っていた。
「……はぁ、ホンット、今回の俺って格好悪かったよなぁ」
誰に言うでもなく呟かれた言葉に返す者等誰もいなかった。
尚もクリアは続ける。
「不用意に事件に首突っ込んで、誰の期待にも答えられず、挙句の果てには勝手に暴走して自爆ときたものだ」
尤もその時の事、サキと対峙した時の事をクリアはうろ覚えでしか覚えていない。それだけ彼の心が激しくかき乱されていたとも言えるが。
「本当に、情けなくて……泣けてくるよなぁ、情けなくてさ」
ほの些細な独りよがりな強がりで涙を見せたクリアは、それでも石像となった者達にその顔を見せたくなかったのか顔を下向ける。
相手の意識があるのかさえ絶望的だというのに、それでもやはり、見せたくない顔というものがあったのだろう。
時間にして数分程度、数度程涙が落ちる音が室内に木霊して、
「だけど……このままじゃいられないよな」
顔を上げた彼の顔には微笑があった。どこか危険性を帯びた、黒い光を宿した眼と、血の気の悪い明るい表情。
「今回の事で俺は思ったんだ。何をするにしても、まずは強くならないと……"何をしても赦される程の強さ"、それだけの強さをまずは手に入れないと、強くならないと何も守れないし救えない……だよなシルバー、先輩方」
暗い微笑みが石像へと向けられて、
「今なら、師匠の気持ちが少しだけ分かる気がするんだ」
そう言って立ち上がったクリアは、真っ直ぐに石となったイエローの方へと向かう。
レッドに抱えられた、何処と無く少しだけ嫉妬しそうになってしまう様な彼女の傍へと歩み寄る。
雨は、いつの間にか止んでいた。
「"世界の全部を敵にしてでも取り戻したいもの"……皮肉だよな、師匠もお前……君とシルバーや先輩達も全部無くして初めて気づくんだからさ」
言って、クリアはおもむろに自身のゴーグルをイエローの首へとかける。
ゴーグルをかける際に軽く触れた彼女の冷たさに、クリアは僅かに唇を噛んで、
「だけど、俺も師匠の時と同じらしい。"幻の存在"っていう唯一の希望が残ってるんだ、後はただ力が足りないだけ」
仮面の男ヤナギは幻のポケモン"セレビィ"を目指した。そして今度はクリアも同様に"ジラーチ"を目指す事になるのだろう。
かつてのヤナギと同様に、大切な時間を取り戻すべく。
「だから俺は誰にも言わずに消えるつもりだったんだけど……だけどやっぱり、君には言っておこうと思ったんだよ、何故なら……」
その瞬間、雨雲に覆い隠されていた月が顔を出し、月明かりが彼等を照らした。
そしてクリアは、約一週間ぶりとなる暖かな笑顔を石となった最愛の人へと向けて、
「俺は君の事が……イエローの事が大好きだから」
言い放つ。誰もいない、誰も見ていない、誰も聞いていない部屋の中で。ずっと隠してきた、自身ですら中々気づけなかった心情を吐露したのだ。
「ずっと、いつの間にか、気づけば好きになってたんだ。だから俺は、君を取り戻す為なら"どんな事"だって厭わない」
そう言い終えるとクリアは満足した様に一度だけ呼吸を整え、
「……全く情けないよな、こんな状況にでもならない限り告白すら出来ないなんて……」
自嘲気味に言って、今度こそ身を翻して、それから二度と振り返る事無く彼は部屋を出たのだった。
そしてそれ以降、クリアという少年は消息を絶つ事となる。
残されたものは手紙と、二匹のポケモン達、PとVというクリアの手持ち、かけがえの無いはずの仲間。
以降二匹の身の振りはそれぞれ別々の者の手に一時渡るのだが、それをクリアが知るのはまたもう少し先の話。
「……絶対に、取り戻すんだ」
そしてそう呟いた――"氷の仮面"を手に取った少年はそれから約二ヵ月後、再び姿を現す事となる。
一先ずこれでナナシマ編終了です。例の如く章終了後プロフィールは活動報告で。
とりあえず書きたかったシーンの一つ消化、誰も見ていないからって油断したら悲惨な事になります。