七月四日早朝。少年エメラルドがバトルフロンティア制覇への挑戦を開始し、そして幻のポケモン"ジラーチ"が目覚めてから四日目の事だった。
その日、エメラルドはこのバトルフロンティアを訪れてから知り合った一人の記者と、今彼が挑戦中であるバトルフロンティア、そのフロンティアの主達である六人のフロンティアブレーンと朝早くから行動を開始していた。
皆それぞれのポケモン達の力を借りて水上を移動し、とある目的の為とある場所へと向かう。
「それにしても、やっぱりにわかには信じられないよなぁ。どんな願いでも叶えるポケモンだなんて……」
「その事は唯一人、あのエメラルドを除いてこの場にいる誰もが薄々と感じている事だ」
先頭を行くエメラルドの背中を眺めながらポツリと呟いた記者の独り言に、バトルパレスのフロンティアブレーンであるウコンが返す。
千年に一度七日間だけ目覚める幻のポケモン"ジラーチ"。"千年に一度"、"どんな願いでも"、その能力の規模の大きさから現実味が非常に薄い存在なのは確かだが、しかしその場にいる全員がその存在を真っ向から全否定出来ていないのもまた意実だ。
バトルフロンティア制覇という目標とは別に、ジラーチ保護の仕事を任されたという謎の少年エメラルド、彼の持つポケモン図鑑に記録されたジラーチのデータと、全てのブレーンを束ねる長"リラ"が噂程度に聞いたというジラーチの情報。
以上の二つの理由から、彼らブレーン達は監視ついでに今現在エメラルドの後を追っているのである。
とは言っても、やはりいるか分からないジラーチの存在よりも、つ先日何者かに襲われ倒れたフロンティアブレーンのダツラ、その襲撃の容疑をかけられたエメラルドを監視する。っという事が今の彼らブレーン達の行動の主な理由なのだが。
「確かこの辺……お! きっとここだぞ、ラティアスラティオス、ストーップ!」
そうこうしてる内に、ラティアスとラティオスの二体に移動の助けを手伝ってもらっていたエメラルドが停止命令を出し、全員がその場に停止する。
「ここは……」
「うむ、"アトリエの
正規の舗装された道路から離れた自然地帯、当然危険の為に観客の交通規制を行っているであろう場所に、その洞窟はあった。
ゴツゴツとして荒波に削り取られた洞窟入り口付近には僅かに海水が溜り、恐らく僅かながらにも洞窟内は浸水するのだろうと予想出来る。
そしてそこは既に人の手から離れた場所であり、当然野生ポケモンの出現地域でもある。
故に多少なりとも危険が潜んでいるものなのだろうが、それでもエメラルドは構う事無く地に足を降ろし、洞窟へと向かって行き、そんな彼に続く様にブレーン達も続々と洞窟内へと進入していく。
「あぁもう躊躇無いなぁ皆……ん?」
一番遅れて記者が洞窟へと入ろうとしたその瞬間、一瞬何かの影が上空を横切り一時彼を日光から遮断する。
何事かと一度空を見上げて、
「……なーんだ鳥ポケモンか」
それが鳥ポケモンが旋回する様子だと悟ると、彼は特にその事を気にする事も無く洞窟へと入っていく。
トン、トン、トン。と、軽く一定のリズムで何かを叩く音がアトリエの洞窟に僅かに木霊する。
次の瞬間、"彼"のいた場所からそう遠く無い所でいくつかの轟音が鳴り響いてきた。
それはエメラルドとブレーン達が野生のドーブルに襲撃を受け、それに応戦している音、戦闘音。
座り込み、何かを見つめていた少年はその音が耳に入るとほぼ同時に立ち上がり、そして再び音を鳴らして、歩みを始めた。
トーン、トーン。と先程とはまた違ったリズムの音。
轟音が響き、微かに"彼"が氷でコーティングされた杖で地面を叩く音が鳴って、ガシャンという甲冑の男の足音が洞窟内で響き、少年が立ち止まった瞬間、眩いばかりの輝きが洞窟内を照らして、
「ようやく会えたな、ジラーチ……さぁ是が非でも叶えて貰うぞ、この私の願いを……!」
そして少年は――
アトリエの洞窟は侵入者には容赦なく襲い掛かってくる野生ドーブルの群れの住処だ。
当然、何の断りも無く入っていったエメラルド達も例外では無くドーブル達の攻撃対象。自身のポケモンを持たないエメラルドは上手くドーブル達の攻撃をかわしながら着実に奥へと一人進んで行き、彼の後を追うブレーン達も自身のポケモンでドーブル達の攻撃をいなして進む。
そしてそんなバトルのプロフェッショナル達の行動を共にする一般人代表、エメラルド専属の記者君もこの危険地帯の中身一つ、もといカメラ一つ、途中エメラルドを慕って付いてきたウソッキーやサマヨールにも助けて貰いながら、彼もどうにかブレーン達に続いて、
「な、何が、一体どうなっているんだ……?」
眼前の状況に、固唾を呑んで思わず言葉を漏らした。
記者が見た光景、それはジラーチ目掛けて放られたスーパーボールが一刀され、二つに分かれた光景だった。
その場にいる誰もが、ブレーン達やジラーチ保護の仕事を持つというエメラルド本人でさえもその場の状況が把握出来ないらしく、驚きの表情で"両者"を見つめている。
両者――それはまるで御伽噺の騎士の様な全身を甲冑で固めて一体のアメタマを肩に乗せた男と、氷の仮面を被った男の二人。両者の背丈から甲冑の方は恐らく成長を終えた成人男性、仮面の方はまだ少年であると推測が出来る。
「……ジラーチは渡さん」
「……それは私の台詞だ……!」
剣を振り終えた形で甲冑の男が言って、仮面の男も敵意をむき出しにしたまま答える。
(何がどうなっているんだ一体!? エメラルド君がバトルフロンティアに来て、ダツラさんが襲われて、幻のポケモンが現れて……それで、それで……!)
最近身近で起きた事件の情報量で、一瞬頭がパンクしそうになる記者だったが、彼は瞬時に我に返って数度辺りを見渡し、
「エ、エメラルド君これは……」
「うん、なんか甲冑の男と仮面の男の二人がジラーチを取り合ってるんだ。クリスタルさん、俺は一体どうすればいい?」
騒ぎの元凶、そもそもの発端となったエメラルドへと声をかけようとする、がそんな記者の声掛け等まるで聞こえていない風にエメラルドは自身のポケギアへと呼びかける。
恐らく誰かと通信しているのだろう、そしてそれは恐らくエメラルドに今回のジラーチ保護の仕事を任せた人物。
この時の記者は知る由も無いが、今のエメラルドの通信相手はジョウト図鑑所有者のクリスタル。今回の彼のバックアップを担当している少女であり、バトルフロンティアで戦い抜く際何でも好きなポケモンを彼に貸し与えたりもしている人物だった。
『仮面の、男……』
いつもの覇気が感じられないポケギアからの返答にエメラルドは僅かに眉をひそめる。
今の彼の通信相手クリスタルはどんな時でも冷静に判断を下し、捕獲のプロとして経験した修羅場の数からいつも自信に満ちた指令をエメラルドに下してきた。
それはエメラルドが、ジョウトのポケモン塾で初めてクリスタルを見た時に感じた"彼女の凄さ"、それがあるからこそエメラルドは彼女の言葉を心の底から信頼して今でも行動している。
「……どうしたのクリスタルさん?」
だからこそ、そんな彼女の変化にいち早く気づいたエメラルドは確かめる様に彼女に問う。ポケギアから微かに聞こえた震えた声、その真相を聞く為に。
音がしないポケギア、少しの静寂、ほんの僅かな時間だったがポケギアからの即答は絶たれ、
『……今はジラーチ捕獲に集中する事。少なくとも絶対にその競争相手とは戦おうとは思っちゃダメ!』
次に帰ってきた返答はいつも通りの声色の指令だった。
どんな願いでも叶えてしまうというジラーチ、その存在を悪人の手に落とす訳にはいかない為の極めて的確な指令。
だがだからこそ、普段の調子にすぐさま戻ったからこそ先程の沈黙がエメラルドの頭に引っかかった。
「クリスタルさん、仮面の男って確かジョウトの事件の……」
『その話はまた後でよエメラルド君! 今君が最も優先して行うべきはジラーチの保護、その事を絶対に忘れないで!』
「……うん、分かったよ」
ジョウトの事件、つまりはエメラルドがクリスタルという少女と初めて出会った年に起きた事件の事。
顛末としては主犯となった仮面の男であるチョウジジムのジムリーダー"ヤナギ"は失踪、全ての決着もウバメの森で収拾が付き、それで事実上一件落着となった事件である。
それ以降、仮面の男が出没したという記録は全く出ていないが、ここに来て仮面の男は再びこの世界で息を吹き返したのである。
どんな願いも叶える幻のポケモンを狙って、一人の少年の悪意の無い純粋な願いによって。
「……小癪な」
ガキンッ! と甲高い音が洞窟内に木霊する。
「邪魔をするな、あの願いを叶える
「……私の邪魔をしてるのはお前の方だ鎧野郎」
剣が振るわれ、それを槍が受け流し、瞬時に防御から攻撃へ、槍が鎧へと届くが思いの他固いらしく仮面の男は悔しそうに仮面の中で歯噛みした。
鋼と氷、材質こそ違えどどちらもその者を象徴する武器。
鋼の剣が氷でコーティングされた槍、その切っ先をいとも容易くそぎ落とすが、しかし槍はすぐにその形を取り戻す。
"永久氷壁"、仮面の男ヤナギの真骨頂、その代名詞とも言える技術だ。
「その"氷の槍"、崩れてもすぐに再生するのか」
「……答える義理は、無い!」
返答代わりに氷の槍が虚空を切り、甲冑の男"ガイル"が一歩引いて仮面の男へと剣を向ける。
「厄介な得物だ、邪魔者も多い、それにこうしている間にもジラーチに逃げられる可能性もある……ならば」
敵対心をぶつけ合い対峙する仮面の男、更にその奥にいるエメラルドとブレーン達を眺めそう呟き、そして最後に逃げる様に背中を向けたジラーチを見て、ガイルは言って自身の甲冑を開く。
丁度上半身の部分、鎧を開けるとそこには一面ぎっしりといくつものモンスターボールが収納されており、
「こちらも相当数を用意せざるを得まい」
そう呟いて、ガイルは蓄えられたモンスターボール全てを地面へと乱雑に落とした。
瞬間、開かれたモンスターボールから現れるのは無数のポケモン達、その全てがガイルの指揮下にあるという事は最早疑う余地も無い位に一目で分かる程の確定事項であり、またその戦力も仮面の男やエメラルド、ブレーン達を前にしても十分に時間を稼ぐ事が出来る事も明白だ。
フロンティアブレーンのダツラを強襲して奪った、バトルフロンティアのレンタルポケモン達。その全てがガイルがジラーチを捕獲するまでの時間稼ぎ、その為の犠牲であり、ガイルの手駒の一部に過ぎないのである。
「くっ……!」
ガイルの放ったポケモン達が一斉に襲いかかる。それは仮面の男も、エメラルドも、ブレーン達も関係無くガイル意外の全ての者にだ。
当然仮面の男は氷の槍で応戦し、野良バトルを嫌うエメラルドは攻撃を掻い潜り、散らばったモンスターボールで何かに気づいたらしいブレーン達もポケモンを出して応戦する。
乱戦、その一言が正に相応しい戦場。仮面の男――"クリア"もまたブレーン達同様自身のポケモンを使うべく、エースとレヴィのボールへと一度触れて、
「っ、ガイルが!」
エメラルドについて来る形でその場にいた記者の言葉、今まさにジラーチへと手を伸ばしたがガイルの姿を視認した瞬間に彼は勢い良く飛び出して、
「そいつにぃ……触れるなぁぁぁ!」
「……ぬぅ、邪魔をするな!」
再度氷の槍が鋼の剣と交差する。
幾度か金属と氷が交わる音が響いて、ガイルの剣が氷の切っ先を削り取る。
それでも尚諦めず、仮面の男は踊る様に二度地面に槍を打ち付けた後に、ガイルの足元を払う様に横薙ぎに槍を振るう。
が、その攻撃はガイルの予想の範疇だったらしくガイルの肩に乗ったアメタマの"あわ"攻撃によって槍は弾かれ、そしてその瞬間、仮面の男の背後に二つの影が姿を現した。
「……っ!」
気づいた時には既に遅い。仮面の男の後ろを取ったガイルのサイホーンとケッキングは、ガイルの目論見通り背後から彼の背中を狙って、
「……無駄だ」
――そして攻撃モーションに入りかけたその瞬間、凄まじい程の寒風が二体のポケモンを襲う。
突然の事に為す術無く"ふぶき"に蹂躙され"こおり"状態へと状態異常を起こす二体のポケモン、その末路を見る事無く仮面の男は再度ガイルへと槍を向ける。
「ぬ! 貴様、背中に目でもあるのかっ!?」
流石のガイルも今の仮面の男の行動は予想の範囲外だったらしい。今の攻撃で、意識外からの攻撃で仮面の男は落ちるとガイルはそう確信していた。
だからこそ、今の攻撃で仮面の男を仕留められなかったガイルには僅かながら動揺の色が浮かぶ。
だからなのだろう、先程までと違って氷の槍の攻撃を捌くガイルの動きが極端に悪くなった事が、彼には手に取る様に分かった。
「……今」
ポツリと仮面の男は呟いて、呟くと同時に氷の槍を縦に振るう。
身体をずらし、振り下ろされた槍の一撃をかろうじて避けるガイル、その事に彼は束の間の笑みを浮かべて、
「"ふぶき"!」
直後に背後から放たれた"ふぶき"の一撃に、ガイルは今度こそ身も心も凍る感覚を覚えた。
そもそも、仮面の男の槍捌きを防ぐ事自体は極簡単な事である。
所詮は約二ヶ月で身に付けた即興の技術、もしかすると槍術の経験の長い年下の子供でも彼を軽くいなす事が出来るかもしれない。
では何故体格的にも絶対有利なガイルがそれを出来ないのか、その原因はガイルの意識の外にあった。
先程のガイル同様の背後からの一撃、それを仮面の男が避ける事が出来たのも、そして今ガイルの背後を取る事が出来たのも全ては"一体のポケモン"の存在からのもの。
「ぐ……デリバード、だと……いつの間に!」
「……最初から、私の後ろの連中がこの洞窟に入った直後からだ」
"ふぶき"の追加効果、冷気によって氷付けにされ固められ身動きが出来ないガイルの喉元に氷の槍を突きつけながら仮面の男は言った。
ポケモン"デリバード"、かつてはヤナギのポケモンだった"永久氷壁"の使い手。
だがかつての仮面の男事件の際、このデリバードは唯の一匹で伝説のポケモン"ホウオウ"の捕獲に成功しているという事例も持っている、それも命令を下すヤナギは遠く離れたリーグ会場にいながら、周囲の誰にもその事を悟らせる事も無く。
それを可能にしたのが今彼が持つ氷の槍――そのコーティング元となった杖、過去ヤナギが使用した特注のポケギアが内臓された杖だったのである。
内臓されたポケギアでデリバードに取り付けられた小型カメラから映像を拾いデリバードからの視覚情報を入手して、また仮面の男からの指示は杖が内臓された氷の槍を地面に打ちつけ、その杖で地面を叩いた時の音でモールス信号を作りデリバードへ送る事で、相手に悟られずデリバードへの指示を可能にする。
勿論、それはパートナーであるポケモン側、そして彼、"クリア"自身も一朝一夕で身に付く技術である訳では無い。
そんな規格外の連携をとれる彼の手持ちポケモンはデリバード位であり、そして"クリア"もこの二ヶ月の期間に血が滲む思いをして手に入れた師の技術なのだ。
そして仮面の男は再度地面を氷の槍で鳴らし、指示を出されたデリバードは未だ近くを浮遊しているジラーチへと視線を走らせる。どうやら逃げない様見張っていろと指示を出されたらしい。
「ふっ、そうか。その槍で地面を叩く音がカラクリの正体、不自然に見えた大振りの槍術はその為のものか」
どうやらガイルも仮面の男のカラクリに気づいたらしく忌々しげに彼の氷の槍を見て言う。ちなみに大降りなのは"クリア"が単に槍の扱いに慣れてない為なのだが、残念ながら今の彼にはその事について突っ込む余裕等無い。
"クリア"には、どんな事をしてでも取り戻したいものがある。その為にジラーチを欲し、その為ならどんな事でも厭わない。物語の開始時点から、今の"クリア"に余裕なんて言葉は存在しない。
過去、四天王カンナと相対した時彼女に称賛された氷の瞳で仮面の男はガイルを見つめて、
「……あぁ、消えろ」
滲み出る殺意を押し殺す事も無く、まるで感情の篭っていない目を仮面の下に隠しながら仮面の男は氷の槍を持つ手に力を込めた。
その時だった。
「そこまでだ、お前達」
凛とした声が二人の男に耳へと届く。
それと同時に二人を囲む様に細い稲妻の輪が幾重にもなって仮面の男とガイルを包み、まるで電気の檻の様に二人の身動きを封じる。
"でんきショック"、電気タイプの技の中でも最弱の部類に位置する小技、だがそんな技にも応用方は存在する。
今仮面の男とガイルを拘束してみせた様に、他の電気技と比べて比較的操り易いという利点を生かして、こうして形を変えて"ダメージを与える技"では無く"相手を拘束する技"に変えてしまえばいいのだ。
とは言っても、そんな芸当が出来る人物とトレーナー等そうはいない。
「
このバトルフロンティアを束ねるタワータイクーンの"リラ"とジョウトの伝説ポケモン"ライコウ"以外にはそうはいないのだろう。
犬歯をむき出しにして、いつにも増して心情を表に出しているライコウに僅かな疑問を感じつつ、リラはエメラルドと共にライコウの背に跨り、自身等の電撃で拘束したガイルと仮面の男を見定める。
その両者が自身等にとって脅威となるのか否かを。
ガイル――はもう確定的だろう。今しがた彼が放ったバトルフロンティアのボール、他のブレーン達が戦闘に対応しているレンタルポケモン達はダツラを襲った犯人がガイルだという証拠に十分になり得る。
ではクリア――仮面の男はどうだろうか。彼の情報をリラは何一つ持たない、悪なのか善なのか、何故ジラーチを欲するのか、その理由そしてその正体全てを。
――故に、
「……お前達二人、まずはその兜と仮面を取って貰おうか」
まずはその素顔を見るべくリラは二人の男にそう命令する。
百パーセントの断定こそ出来ないまでも、相手の人柄を見る際"相手の顔を見る"という行動は大体ポピュラーな方法だ。直に見た相手の顔の表情で少なくとも感情の変化位は確認出来る。
また、彼らの下の素顔に見知りがあれば尚良い。変な勘ぐりを入れずに迅速に相手への対応を決める事が出来るからだ。
"過去にその名を轟かせた大悪人"や"公的な立場の実力者"等、直に会った事等なくても有る程度のデータはリラの頭の中に入っている。
だからリラは彼らにそう命令して、
「……断る」
その命令を、
ピクリとリラの瞼が僅かに動き、仮面の男の氷槍が横に流れ、ガイルの剣が掬う様に下から上へと振り上げられた。
瞬間、彼ら二人の頭上に黒雲が立ち込める。
伝説のポケモンであるライコウの技、本来ならば屋内等の雨雲が無い場所では簡単に使用出来ない様な電気タイプ最強クラスの大技。
「"かみなり"!」
その技をリラが命令しライコウが放つのと、仮面の男とガイルが電気の檻を切り裂くのは同時だった。
ライコウの起こした黒雲から落ちた雷撃は二人の男がいた位置へと真っ直ぐに落ちて、地面に落ちた瞬間一気にスパークする。
それと同時に、
「エメラルド! 今の内にジラーチを!」
「うん、分かってる!」
リラが言うと同時にモーションに入って、エメラルドは勢い良くタイマーボールをジラーチ目掛けて蹴り上げる。
発見から経過した時間が長ければ長い程捕獲しやすくなるボール、クリスタルからの指示で選択されたボールは見事にジラーチの捕獲のポイントとなるお腹の部分の細い線の様な模様へと命中する。
「……ッチ」
そしてその様子を忌々しげに見て、舌打ちと共に爆煙の中から現れた仮面の男は、
「"こおりのつぶて"!」
最早氷槍で地面を叩くことすら惜しかったのだろう。早口で彼がそう言うとすぐに、空中に停滞していたデリバードは行動した。
何よりも早さに特化した氷技、小さな氷の礫を作ったデリバードは何の躊躇いも無くそれをジラーチへと、より正確にはそのジラーチを今にも納め様とするタイマーボールへと放つ。
勝負は一瞬だった。
「……な」
一瞬"ボールの開閉が静止し"、そしてボールがジラーチを捕えるよりも早く、"こおりのつぶて"がタイマーボールを貫通し、それを見てエメラルドは言葉を失った。
大破したタイマーボールはジラーチを捕獲するコンマ秒手前でその機能を停止、結果ジラーチはボールから逃げる様に僅かに上昇する。
「……お前が何者だろうと関係無い。何故ブレーン達がジラーチを狙っているのかも関係無い。ただ一つ言える事、それは
最初にエメラルドを見て、次にリラを見て、最後にジラーチを見て仮面の男は言う。凍える様な声色によって周囲の気温が下がったかの様な錯覚に陥りそうになり、記者は思わず身震いする。
そしてすぐに彼は視線を僅かに右へとずらし煙の中に佇む人影へと視線をぶつけながら、
「……勿論ガイル、お前にも絶対に渡さん」
「くっ……」
不意打ちでも狙っていたのだろう。警戒の色が濃い事も分かってガイルは悔しげに口ごもり、今にも振り上げそうな剣へと込める力を僅かに緩める。
「……さぁ、お前は私のものだ。ジラ……」
その場にいた者全員を一時的とはいえ言葉だけで威圧して身動きを封じて、そして仮面の男はゆっくりとジラーチへと手を伸ばす。
が、彼の言葉は途中で途切れる。理由は簡単だ、彼の手がジラーチに触れる手前、そこでジラーチが唐突に姿を消したからだった。
瞬間移動、どんな願いでも叶える力を持つエスパータイプのポケモンという点を踏まえれば考えられない力では無い。
「……ッチ、余計な手間を………………」
「……え?」
目前まで迫りながらも逃がしてしまう悔しさ、その事からか仮面の男は憎々しげに呟き、エメラルドが僅かに反応を示す。
通常の声量から少しずつ下がる声の呟き、最後の方は最も彼の近くにいたエメラルドすらもほとんど聞き取る事が難しい呟き。
まるで捨て台詞の様にそう吐いた後、仮面の男はすぐに氷槍で一度だけ地面を叩いた。
ジラーチが消えた以上、最早この場に留まる必要は無い。ましてや自身に対して敵対心を燃やし、今にも彼への攻撃を再開しようとまでしているリラがいるから尚更だ。
リラが一度ライコウへと目配せして、ガイルと仮面の男を一網打尽にする策を頭の中で立てた直後に寒風が彼女等に直撃する。
先のクリアの合図で放たれたデリバードの"こごえるかぜ"、伝説のライコウでさえも一瞬目を閉じてしまう様な寒風だ。当然リラやエメラルド、記者達は一度強く瞳を閉じて。
そして、次に彼らが瞳を開けた時には、
「……消えた、か」
周囲を一度回してリラは呟く。
一瞬にして仮面の男と、そしてその混乱に乗じてガイルさえもいつの間にか姿を消していたのだった。
多分クリアは形から入るタイプ。