ポケットモンスターCLEAR   作:マンボー

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七十二話『vsルカリオ 番外編⑤』

 

 気がつくと暗闇だった。

 バトルタワーでのガイル・ハイダウトことアオギリとの最終決戦。巨大で強大な"海の魔物"や、数多くのレンタルポケモンを操る巨悪を相手に戦った事は覚えている。

 アオギリとの一騎打ち、ジラーチの願いの光、究極技の一斉射撃、そして元凶の最期。

 そこまで思い出して、あぁそうか、と彼は納得する。

 それからの意識がバッサリと消えている、恐らくその直後に意識を失っていたのだろう。

 きっと今までの彼の無理が祟った結果なのだろう、自業自得という奴だ。

 身体はまだ酷く重かった。そして一体どれ程の時間が経ったのだろうか。と。

 

 

 

 ぼんやりとそんな事を考えながら、クリアは目を覚ました。

 

 

 

 半開きの瞳が光を捉える。陽は既に昇っていた。

 とりあえず上体だけ起こしてみた。

 一人用のベッドに寝かされていたらしい。身体のあちこちには包帯が巻かれており、着ていた服もいつの間にか変わっている。

 少しずつ自身の脳が覚醒していくのを自覚しながら、不意にクリアは床に足をつけて立ち上がり、

 

「……そっか。あの後すぐに気絶しちまったのか」

 

 その事を改めて実感し、同時にクリアはある事を思い出す。

 今回の騒動の元凶たる存在、ガイル・ハイダウトと名乗った男、アオギリ。

 肩の刺し傷が僅かに疼くのを感じた。彼の記憶が正しければ、アオギリは確かに彼の目の前で消滅していた。

 消滅、つまりは死。

 憎い敵であった。あったはずなのだが、そんな人物でもいなくなってしまえば何故か感傷的にならざるを得なかった。

 小さな影が脳裏でチラつく。原因は分かる。クリアは一度大きな別れを経験している、恐らくそれが刺す様な痛みを与えてくる原因なのだろうとクリアは考える。

 

(……終わった事で、何をセンチになってんだかね俺は)

 

 自嘲気味に笑ってクリアはすぐに気を取り直す。

 慣れない事とは言え、いつまでも気落ちしていては自分自身のみならず、場の空気まで悪くなってしまう。

 それからクリアは思考をリセットする様に二、三度頭を横に振ってから、

 

「……そだ。俺のポケモン達は……」

 

 思い出す様にがらりとした室内を一人見渡しながら呟いて、

 

「……クリア?」

 

 そしてクリアはかけられた声にピクリと肩を震わせる。

 いつの間にいたのだろうか、気づくと部屋のドアが開け放たれており、その向こうでは小柄な少女がひどく驚いた表情を浮かべている。

 イエロー・デ・トキワグローブ。長めの金髪のポニーテール、それを隠す様に被った麦わら帽子が特徴的な少女。

 ポツリとクリアの名を呼んだ少女は、一瞬呆けた様に静止してから、それから不意に彼目掛けて小走りで駆け寄ってきて、

 

「わっ、と」

 

 少年の驚きの声と、少女が少年へと飛び込んだ際の柔らかな音が重なった。

 少しだけよろめきながらも、それでもクリアはイエローをしっかりと受け止める。

 

「クリア、クリアぁ! 良かった、良かったよぉ、もう目を覚まさないんじゃないかと……」

「……はは。全く、大袈裟だなイエローは……」

 

 少女のそんな言葉に、少年は苦笑いを浮かべながら応える。

 バトルタワーで再会した時も、この小柄な少女はこうやって泣いて、そして今も、彼女は彼なんかの為に涙を流してくれている。

 その様子がを見てクリアは思う。

 自身の為に涙まで流してくれる少女の存在が、何故だか少し喜ばしくて、しかしやはり自身の不甲斐なさが悔しくて、だけどそんな彼女の事が少年にはどうしようも無く愛おしく思えて、

 

(……やっぱり俺、この娘の事……)

 

 いつかの記憶が蘇る。

 暗く苦しかった時期の記憶、動かない少女の前で放った告白。

 今はもう、同じ言葉を言う勇気など無くても、しかし行動で示す事は出来るはずだった。

 心拍数が上昇する。鼓動が少女に聞こえていないか少しだけ不安になる。

 ――そして少年は両腕を少女の背中へ回しかけて、

 

「ちょっとどうしたのよイエロー!? もしかしてクリアが起きて……」

 

 クリアの動きが止まる。

 その瞬間、ブルーと呼ばれる少女の声が聞こえると同時に、小柄な少女に突き飛ばされた少年は勢いよくベッドの上へと倒れ込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ゴメンねー、私も邪魔するつもりは無かったんだけどねぇー」

「にゃ、にゃに!?……な、何か誤解してますよブルーさん!?」

「あらそう? だけど言葉が安定してないわよ? うふふ、私には、あなたの動揺が手に取る様に分かるわよイエロー!」

「ど、動揺にゃんかしてにゃいです!!」

 

 バトルドームの出入り口付近で二人の少女が言い争う様に歩いていた。

 ブルーとイエロー。二人のカントー図鑑所有者である少女達は、一方は面白おかしそうに笑いながら、対して一方は真っ赤になりながらも必死な抗議をぶつける。

 そんな少女達の様子を眺め一歩引いた所を歩くのは二人の少年。

 シルバーとクリア。二人のジョウト図鑑所有者である少年達は、一方はいつもと変わらない無表情で、対して一方はどこか挙動不審にあちらこちらに目を向けている。

 

「……何を見ている?」

「へ? いや、別に……」

 

 横を歩くシルバーに問われクリアは片言で返した。

 何を見ている、と聞かれても彼は別に何も見ていない、というより"見ない様にしている"、と言った方が正しかった。

 無論、その対象はイエローという少女である。

 つい先程、何やら妙な雰囲気になってしまい、あまつさえその現場を、恐らく彼の知る中で最も見られたくないブルーという少女に見られたのである。正直イエローでは無いが、クリア自身も顔から火が出る程の恥ずかしさを感じていた。

 

「……どうかしましたかブルー先輩」

「んー。うふふ、別になんでもないわよー?」

 

 明らかに、何か意図的な視線をこちらへ向けているブルーと視線が合う。

 警戒する様に一歩身を引いたクリアだが、身を引くクリアに合わせる様にブルーも一歩更に彼に近づく。

 ニヤニヤと、微笑ましげにクリアとイエローを見比べるブルーの様子に、少しだけ苛立った様子でクリアが問いかけても、ブルーは涼しい顔で平然と返してくる。

 クリアはブルーという少女が苦手だった。

 嫌い、という訳では無いのだが、ブルーという少女が"自身の好き勝手に弄ってくる姉の様な存在"だからだろうか、何故かクリアは彼女に苦手意識を感じてしまっているのである。

 

「ところでクリアー?」

「……どしたんスか?」

「結婚式、はいつ挙げるのかしら?」

「ぶふぅっ!?」

 

 肩を突かれ、不用意に耳を貸したクリアも悪いと言えば悪いのか、小声で囁かれたブルーの言葉にクリアは思わず噴出してしまう。

 

「な、ななななな!?」

「あらかわいい反応」

「き、きぇ、けっ!? な、んなもん誰と……!」

「勿論それは……」

 

 再度もう一度、耳元で囁かれた人名にクリアの脳はスクラップと化す。

 クリアの頭から僅かに蒸気が立ち上る。横目で一瞬だけ、ブルーが告げた少女の方をチラリと見て、そしてすぐにブルーの方へと視線を戻してから、

 

「ど、どどどーして俺がイエローと!?」

「え、だってアンタこの間言ってたじゃない?」

「言ってた? 一体何を!?」

 

 キョトンとした様子で聞き返してきたブルーにまくし立てる様にクリアは言った。

 それから数秒、彼女は何やら考え込んでから、やがて何やら納得した様に両手をついてから、

 

「シルバー、ちょっとこっち来て」

「? なんだい姉さん?」

 

 シルバーを手招いて何やら耳打ちするブルー。その様子を訝しげな様子でクリアは眺め、一人状況の変化についていけてないイエローは不思議そうに二人を見る。

 それからすぐに、ブルーは微笑を浮かべたままシルバーから離れ、一方のシルバーはというと、何やらため息交じりにクリアの方へ歩み寄ってきたかと思うと、

 

「俺は誰にも言わずに消えるつもりだったんだけど」

「……え?」

 

 突然何やら口走り始めるシルバー。

 一体ブルーに何を吹き込まれたのかと、困惑気味にクリアが勘ぐる様な視線を彼女に送ると、ブルーはブルーで意味深な笑みを浮かべるばかりである。

 イエローはイエローで状況を把握できてないままだ。訳が分からずシルバーの言葉を聞くクリアだったが、不意に脳裏に不気味な引っかかりがある事に気づいた。

 

「だけど君には言っておこうと思ったんだ」

 

 不可解な、それでいて背筋が凍る様なデジャブを感じた。

 はて、今シルバーが言っている言葉に、何故かクリアは聞き覚えがあった。

 嫌な予感が冷や汗となって現れる。

 そう、それは確かクリアが今よりも冷静じゃなかった頃の話、確か月明かりが綺麗な夜の出来事である。

 確かクリアは罪悪感に苛まれながらも、それでも平静を装いつつ、動かなかった少女ら五人の前である告白をしていたはずだ。

 

「何故なら」

 

 瞬間だった、当時の出来事がクリアの脳裏に蘇る。途端に危険信号が彼の頭の中で木霊する。

 

「俺は君の事が……」

「わ、わあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」

 

 小柄な少女の名前の"イ"、の部分をシルバーが発音した瞬間、彼の言葉はクリアの絶叫によってかき消される。

 何事かと周囲の人間達が彼らへと目を向けるが、しかし今のクリアにとってそんな事は些細な問題である。

 かつてない程の焦りと羞恥を孕んだ顔で、クリアは掴みかかる様にブルーへと迫って、

 

「な……んな! なぬぁ!?」

「おほほ、ゴメンねクリア……」

 

 疑問やら、抗議やら、その他全ての何もかもが彼の頭の中でミックスされ、とうとう処理能力のキャパシティがオーバーした様である。

 何を声に発していいか分からず、言葉にもなれない何かをひたすら発しようとするクリアに、青い少女は小悪魔の様な微笑を浮かべて、

 

「あの夜のあなたの言葉、私"全部"聞いちゃった」

 

 ブルーの言葉を耳に入れた瞬間、クリアは一瞬静止して、しかし今度はシルバーの方を振り向くが、

 

「悪いが俺もだ。あの時、あの五人の中で俺と姉さんだけは意識があった」

 

 開いた口から新鮮な空気が入る。出る事は無い。クリアの意識もどこか遠い所に飛びそうである。

 "あの夜"、とはつまりクリアが一時姿を消す前の夜の事だ。

 あの時のクリアは冷静な判断が出来ていなかったと言っても過言では無い、それに加え相手は動かない石像、まさかそんな状態で意識があるなどとは思える人の方が少ないはずだ。

 そしてクリアは残念ながら多数派に属してしまっていた。

 まるで溜めてたものを吐き出す様に、クリアは言っていた。言ってしまっていた。今現在彼のすぐ後ろで疑問符を浮かべる黄色の少女へと自身の想いを告白していた。

 

「俺は君の事が、イエローの事が大好きだから……だなんて、きゃ!」

 

 自分で言って自分で照れてる少女がいた。恥ずかしがるのは勝手だが、それを言った本人に耳打ちするのは止めて頂きたい。とクリアは切に思った。

 最悪、別段興味無さ気なシルバーにバレた事は良いとしよう――いや良くは無い、良くは無いのだが、それでもこの事実を知る者が余計な事を喋らなさそうなシルバーだけならば、クリアにとってはそこまでの痛手にはならない。

 ならないのだが――、

 

「あぁそうそう。この話、"勿論"イエロー以外の"全員"が知ってるから」

「お、俺の寝てる間になんてことしてくれてんだよ貴女様はぁぁぁ!!」

 

 だがそこにブルーという少女が加わってくると話は変わる。

 クリアの悲痛な叫びが聞こえたが、もはや通行人は気にも止めて無い様子である。恐らくもうただの挙動不審な少年としか認識されなくなったのだろう。

 ブルーの告げた"全員"、とは恐らく"図鑑所有者"の事を指すのだろう。共にアオギリと戦ったミツルも怪しいところである。

 当の本人のイエローに伝わっていないという点が唯一の救いか。だがそれでも、クリアという少年の大きすぎる羞恥心が消える事は無いのだが。

 

「というか何で意識あんだよブルー先輩もシルバーも! なんであんな状態で外の言葉が聞こえてんだよぉ!?」

「なんでって言われても、聞こえてたんだから仕方ないじゃない。ねぇ、実は純情派(ピュア)なクリアくん?」

 

 口とは災いの元である。今彼はその事を身を持って自覚した。

 ただもう呆然とするしか無いクリアの頬を、心底楽しそうに茶化しながら突くブルー、それを見守るどこか嫉妬の気が感じられるシルバーとイエローの二人。

 今すぐにでも逃げ出したい気持ちで一杯になるのをクリアは感じた。だがそれはしない、というか出来なかった。

 今クリアのポケモン達、つまる所の逃走補助要員に当たるデリバードやエースを含めた全ての手持ち達は、バトルフロンティアに預けられている。

 厳しい戦闘の連続だったのだ。クリア同様、いやそれ以上の疲労が見受けられた為、彼のポケモン達はバトルフロンティア側で回復させて貰っていたのである。

 しかし、それはつまり、今クリアの手元に彼の手持ち達はいないという事にもなる。

 イコール、逃げたくても逃げられない。選択肢なんて今のクリアには存在しない。

 

「あ、あのうブルー、さん? さっきから一体何の話を……」

「ん、聞きたい? 聞きたいのかしらイエロー? いいわ、しょうがないわね! あのね! クリアがね!」

「すいませんもう本当勘弁してくださいブルー様!」

 

 子供の様な燦々とした目でイエローに語りかけるブルーの姿、だが残念ながらそんな彼女の姿も今のクリアの瞳には、さしずめ悪魔のそれにしか映っていない。

 嬉々として他人の嬉し恥ずかし話を語ろうとしているのである。クリアで無くてもこの慌てぶりは仕方はないだろう。

 

「何よクリア。せっかく私がアンタの代わりにイエローに……」

「その親切、余計なお世話にしかなってません! というか本当に止めてくださいよ……」

 

 半泣きで食いかかるクリアだが、しかしブルーはそんな彼の様子をむしろ楽しげな表情で眺め笑う。

 完全にあしらわれていた。まるで苛められっ子の様な彼の姿を見て、この少年がつい先日まで"仮面の男(マスク・オブ・アイス)"を名乗っていたなどと、果たして誰が思うだろうか。

 あまりにも情け無いクリアの姿に思わずため息を漏らすシルバー。だがそんなシルバーのすぐ横で、

 

「もしかして……もしかしてクリアって……」

 

 小さな疑惑と嫉妬心を抱えた黄色で小柄な少女がいた事に、クリアは遂に気づかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ホウエン図鑑所有者であるエメラルド。彼はこのバトルフロンティアには、二つの目的を達成する為に訪れていた。

 一つはジラーチ捕獲の任務、色々あったが、"石化した五人の図鑑所有者を元に戻す"という彼ら図鑑所有者達本来の願いを成就出来た今となっては、結果的に彼はこの任務を達成できたと言えるだろう。

 だがしかしエメラルドは、未だ目的の内の一つを達成できてはいない。

 "バトルフロンティア制覇"、七日という期限で彼が挑んできた趣味百パーセントの挑戦、だが残した貯金は一日のみ、そしてエメラルドはこの六日間で五つあるバトル施設の内、現在四つの施設を制覇していた。

 つまり後一つ、"バトルドーム"での優勝さえ勝ち取れれば、エメラルドはこのバトルフロンティアを七日で単身制覇した事に繋がるのである。

 だがそこである問題が浮上した。"バトルドーム"はトーナメント方式の施設、複数人のトレーナーの存在が必要となり、またフロンティアブレーンのヒースも怪我で負傷した状態でもあったのだ。

 一瞬、その時エメラルドの脳裏で最悪の事態が過ぎったのだが、

 

『じゃあいっそ、全員(みんな)でトーナメントでもすっか』

 

 不意に放たれたレッドの一言、それで全てが決定したのである。

 十人の図鑑所有者全員によるバトルトーナメント。尤も、本来ならばクリアも十一人目の図鑑所有者なのだが、今回ばかりは怪我の都合で不参加だ。

 高名な研究者に選ばれた十人のトレーナー達によるトーナメント、加えてエニシダがジラーチに願った『出来れば初日から十万人くらいのお客様が来ます様に』という願いの効果も上乗せされて、七月七日のバトルフロンティアの来場者数は過去例を見ない程の数を記録していたのである。

 

 そしてここは、バトルドームの試合会場。多くの観客が押し寄せ、むせる様な熱気に包まれた場所。

 そんな場所、その選手席で、一人の少年は二人の少年少女に挟まれ、ひどく疲れた顔を見せていた。

 

「ねーねークリア先輩! イエロー先輩に告白したってホント!? どんな告白ばしたと!?」

「……」

「黙ってたってこっちは全部知ってんだぜクリアよぉ、えーと、確か"気づけば好きになってたー"とか、だっけか?」

「……はぁ、石になりたい」

 

 サファイアとゴールドの二人に挟まれたクリアは、ポツリと割りと真面目な願いを吐露するが、当然そんな願いが叶うはずは無い。

 ドーム内で平行して繰り広げられている二つのバトル。エメラルドとイエロー、グリーンとルビーのバトルを無気力そうに眺めながら、クリアは懸命に横の二人の言葉をシャットアウトする。

 選手では無いが特別に選手席に座る事が許可されて、その話に乗ったのがそもそもの間違いか。気づけばクリアは別の図鑑所有者達からの絶好のターゲットとなっていたのである。

 主に弄られ役という役割損。同じく選手席に座る出場者では無いミツルとどう違いがあるのか、それはクリア自身が十分に理解している。

 

「でもクリア先輩って実は結構可愛いお人やったとねぇ、イエロー先輩の話じゃ頼れる人って感じやったし、エメラルドの話じゃ怖そうな人ってイメージで」

「無い無いそれは無いぜ野生児ギャル。こいつはまぁ場合によっちゃあ頼りになるが、怖くなんて全然ねーよ! つーか可愛くもねぇ!」

「うーん、私的には結構可愛いわよクリアは。何だかシルバー見てるみたいで」

「それは少し心外だよ姉さん」

「皆も皆だけど、あなたも結構ひどい事言うわね、シルバー……」

「……クリアさんの仲間内での扱いって」

「ま、こんな感じだよな。クリアって」

 

 何もかもを諦めさせてくる最後のレッドの呟きに、クリアは青い顔を更に青くして気を紛らわせる様に会場の観客席を見渡してみる。

 元からバトルフロンティアにいたホカゲとシズクを始め、育て屋の老夫婦やコガネラジオのクルミやディレクター、果てはキワミやカンナまで、様々な知人の顔が観客席で点々としていた。よく見ればイエローの叔父のヒデノリが必死にビデオカメラを回してる様子も見える。

 その中の何人か、ウツギ博士やマサキが此方を見て何かを言ってる様子も伺えた。

 恐らくは今まで行方不明だったクリアが、怪我だらけの状態で選手席にいるのが気になったのだろう。とりあえず安心させる為に苦笑いで手を振っておく事にする。

 

「どこに手を振ってんだよクリ……って、お、クルミちゃんじゃねーか! おーいクルミちゃーん!」

「何だって? おいクリア、浮気は感心しねぇぞ?」

「そうったいクリア先輩! イエロー先輩が可哀想かよ!」

 

 レッドとサファイアは果たしてどこまで本気なのか、もはや突っ込む気も消え失せてクリアは思わず両手で顔を覆った。

 

「あ、パパ、ママ……ふふ、パパとママが見てくれてるなら、恥ずかしいとこなんて見せられないわね……!」

「あれが姉さんの両親……」

「う、なんか寒気が……」

 

 一方先から嫌という程クリアに絡んでいたブルーはブルーで、自身の両親の姿を発見すると、クリアへの興味をすぐに無くして何やら謎の戦闘意欲を燃やし始める。

 そのすぐ横ではシルバーがブルーの両親を呆然と眺めて、クリスタルがぶるりと肩を震わせる。

 何という混沌とした空間だろうか。今に至っても尚サファイアとレッドからの執拗な程の質問攻めがクリアを襲っている。

 

(……限界だ。逃げるか)

 

 とうとう心中そう決心したその時だった。偶然にも試合終了のタイミングが彼の決心と重なったのだ。

 ゴールドとサファイア、ブルーとクリスタルが同時に立つ。試合を終えて少し疲れた様子のエメラルドとイエロー、グリーンとルビーの四人が選手席へと戻ってくる。

 その一瞬、クリアもまたその瞬間に席から立ち上がった。

 数秒の混乱に乗じて、戻って来た四人の健闘を讃える他の者達に混じって、そしてクリアはその場から姿を消す。

 ひとまず落ち着きたかったのだ。混乱した頭を冷ましたかったのだ。いつの間にか消えた少年の姿に彼らが気づくまで、そう時間はかからなかった。

 

 

 

「あれは……ッ!」

 

 そして観客席でただ一人、立ち去る少年の姿を見かけた帽子の男は、途端に表情を変えて身を翻す。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……レ、レッドさん! す、少し相談があるんですけど……!」

 

 クリアが消えた選手席で、不意にイエローがそう告げた。

 見るとその顔には焦りと羞恥の色が混ざり合って存在し、大きな瞳は僅かに潤んで見える。

 そんな少女の様子に、並々ならぬ事情を察したレッドは一度だけ喉を鳴らして、

 

「ど、どうしたんだイエロー? まさかクリアの事か?」

「っ……は、はい……」

 

 ビンゴである。思えば再会してからイエローという少女はすぐにクリアに抱きついたりして、今までに無い位に露骨に自身の感情を表に出している。

 相談、そしてその内容はクリアの事――導き出される答えは――。

 何故かレッドは苦笑を浮かべていた。彼にとっては妹の様な存在のイエロー、そんな彼女がいつの間にか人並みに"恋"というものをする様になったのである。喜ばしい様で、なんだか寂しさに似た感情も生まれる。

 それもこれも、ブルーが仕掛けた二人きりのホウエン旅行に行ってから、恐らく旅行(これ)が最大の要因なのだろう。ブルーのお節介もたまには役に立つと言える。

 

「あ、あの、ボ、ボク……」

 

 ドギマギとした様子のイエローを内心応援しつつ、レッドは少女の次の言葉を待って――、

 

「ボク……クリアってブルーさんの事が好きな気がするんですけど、レッドさんはどう思いますか!?」

 

 そして彼は盛大に椅子から転げ落ちる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ドーム会場内でそんなやり取りがあったとは露知らず、クリアはため息混じりにドーム周辺を適当に歩いていた。

 精神が持たないと飛び出して来たはいいものの、それならそれでやる事が無い。

 適当に散策してみるも、だがやはり暇は潰れない。今現在バトルドームで図鑑所有者対抗トーナメントが開催されているお陰で、人通りも少なく、彼の周囲に至っては人っ子一人いやしなかった。

 

(もういっその事手持ちポケモン達(あいつら)引き取って帰るか……いや、それより先に寄る所があるな……)

 

 何とも無責任かつ薄情な思考をしてから、クリアは不意に進路を変えた。

 その時だった。

 突然、彼の足元がトマトの様に弾ける。

 

「なっ!?」

 

 驚きの声と共に受身をとりつつ地面を転がって、すぐにクリアは顔を上げる。

 

「とうとう見つけた。もう逃がしはしないぞ"カラレス"!」

「……カラレス……?」

 

 青い帽子の青年だった。その傍らでは先程の爆発の原因と思われるポケモンが佇んでいる。

 ポケモン、ルカリオ。クリアの知識が正しければ、そのポケモンはカントー、ジョウト、ホウエンの三つの地方では滅多にお目にかかれない、シンオウ地方のポケモンのはずだ。

 

「ふ、惚けるつもりか? だが私には通用しない、お前の"波導"が全てを物語っているからな」

「は、"波導"、だと……くっ!」

 

 突然の事に対処が間に合わず、また相手も事を穏便に済ませてはくれないらしい。

 謎の青年のルカリオが繰り出してくる拳、蹴り、それら全てが"まるでクリアがどう動くのか"を予め察知しているが如く、的確に放たれてくるのである。

 それをクリアはどうにか急所への直撃を避けながら、懸命に身体を捻り無様に地面を転がって避ける。

 

「ま、待て! アンタ何か勘違いしてるぞ! というかそもそもアンタ誰だよ、なんだよ"カラレス"って!」

「誰だと? 忘れたのかこの私を、"こうてつ島のゲン"を!」

 

 話がかみ合わないのをクリアは感じた。彼は"ゲン"と名乗った目の前の青年の事は記憶に引っかかる程度、つまりはレッドやアカネの様にゲーム内での登場人物、という認識でしか知らず、当然当の本人と直接会ったのは今日が初めてである。

 にも関わらず、目の前のゲンはまるで親の仇の如く攻撃を放ってくるのだ。クリアとしてもまずは誤解を解くべく、一度ゲンの猛攻を止めたい所である、のだが、

 

「どうしたカラレス、何故ポケモンを出して応戦しない!?」

 

 ゲンのそんな言葉にクリアは思わず歯噛みする。出来たくても出来ないのだ。今クリアの手持ちは全てバトルフロンティア側へ預けてしまっている。

 

「……ッ、何度も何度も、何だよその"カラレス"ってのは!?」

「何を言っている、お前が自分で名乗ったんじゃないか、あの夜こうてつ島で……お前がリオルの卵を盗み出したあの時に!」

「……そうかい、だったら悪いな、人違いだ出直し……なっ!?」

 

 クリアが言葉を放った直後だった、今までの疲労が重なった結果なのだろう、力が入らなくなった右足がガクンと落ちる。

 その時、一瞬の隙がクリアに生まれ、無論ゲンもその好機を逃さない。

 コンマ秒の動きでクリアの懐にゲンのルカリオが入り込んですぐに、

 

「"はどうだん"」

 

 先程クリアの足元を弾いたものと同じ技、その技が今度は彼目掛けて、クリアへと襲い掛かった。

 ボール状のエネルギー弾の直撃に、全身が軋む感覚がクリアを襲った。パチパチと眼前で火花が散る、そして彼はそのまま真後ろへと吹き飛んで、

 

「へ?」

 

 硬い地面に落ちる衝撃も、転がる感覚も一向に訪れず、クリアは思わず素っ頓狂な声を上げる。

 そしてそんな彼の前に現れる人物、よくよく見ればクリアを支える物体、ポケモンにも彼は見覚えがあった。

 

「……そちらの庭で勝手をして申し訳ないが、しかし邪魔はしないでもらおうか。ブレーンの長よ」

「ふ、生身の怪我人に対する攻撃とは余り感心出来ないな、こうてつ島のゲン殿」

 

 この場面での彼女らの登場から察するに、偶然通りかかったのだろうか。

 フロンティアブレーン、その頂点"リラ"とパートナー"ライコウ"は静かな闘志を燃やしてゲンを見た。

 

「リラ、さん……それにライコウも」

「大丈夫かいチョウジのジムリーダー? ライコウの様子がおかしかったから出てきてみれば、君が襲われてる場面に出くわして少し吃驚したよ」

 

 リラの言葉を聞いてクリアはようやく納得し、そして彼を支えるライコウを見た。

 "仮面の男"として行動してる時にも一度は対峙した伝説のポケモン、その時はもうクリアの事など忘れているものとばかり思っていたが、どうやら彼らは今だクリアの事を覚えていたらしい。

 語りかけてくるライコウの"心の声"、多少の説教が混じったクリアだけに聞こえる声に少しだけ耳を傾けて、

 

「……あぁ、悪かったよライコウ。もう二度とあんな事はしないさ」

「どうやら、ライコウと意思の疎通が出来るというのは本当らしいね」

「はい、ま、俺もこいつらと"同類"ですからね」

 

 クリアはリラに一度頷いて、再度自身の足で立ち上がる。

 クリアとライコウ、遠くジョウトの地のスイクン、エンテイと共に伝説のホウオウの炎によって蘇ったもの同士、故に彼らは意思の疎通が出来る。

 そこに割り込む事が出来るとすれば、イエローや四天王のワタルの様な"トキワの森の力"を持つ者だけだろう。

 

「……ちょっと待ってくれ、チョウジのジムリーダー? と、言えば確か……」

「クリア」

 

 見る見る内に焦りの色が表情に現れ始めたゲンの様子に、彼はホッと胸を一撫でしてから告げる。

 

「俺はクリア。これでも一応、ジョウトでジムリーダーやってる者だよ」

 

 

 

 

「すまなかった!」

「い、いいえいいんですよ別に! 誤解は解けた事だし、それに怪我には慣れてますから!」

 

 リラを仲介に挟んでようやくまともに対話して、それでどうにかクリアはゲンの誤解を解く事が出来た。

 頭を深々と下げたゲンの姿に、謝られてるはずのクリアの方が妙におどおどとしている。

 

「いや本当にすまない。まさか手負いの者、それも丸腰の者を攻撃するなど……」

「いやもう本当に謝らないでくださいゲンさん、そんな事よりさっきの話、"カラレス"の話ですよ!」

 

 見た目年上のゲンに頭を下げられる事に抵抗が感じられるのだろう、慌てふためきながらも無理矢理に話題を変える様クリアは努める。

 リラの仲裁で事なきを得たゲンの襲撃。その後彼らはゲンの口から事の発端となる事件を聞いた。

 それが"こうてつ島"での卵の強奪事件。今から数ヶ月前のある日、ゲンの下から一個の卵が盗まれたらしいのだ。

 そしてそれを盗んだのが"カラレス"と名乗った人物、彼はゲンの下からリオルの卵を盗み出すと、追撃を逃れてそのまま夜闇に姿を消してしまったらしい。

 それだけでも割かし重要な案件なのだが、クリアが気になったのは次の事項だった。

 そもそも何故、ゲンがクリアを"カラレス"とほぼ断定して襲ってきたのか。

 

「……本当に、俺と"カラレス"の"波導"が同じだったんですか?」

「……正確には違ったのだが、しかし一目見ただけでは分からない程、非常によく似た"波導"だった」

 

 そう、それがゲンがクリアを襲ったそもそもの原因だった。

 "波導"、それは人やポケモン、もの等森羅万象全てが持つ固有の気の様なものであり、また波導を扱う者の事を"波導使い"とも呼ぶ。

 ゲンが言うには、クリアと"カラレス"という者の"波導"が偶然にも非常に似通っていたらしいのである。

 それは手を翳して、じっくりと調べてみないと分からない程に、ゲン曰く、そこまで似通った"波導"を持つ者は世界に二人といないらしい。

 

「それで、その"カラレス"という者について他に分かってる事は?」

「……すまない。まだ私も何も掴んでいない、奴程の"邪悪な波導"の持ち主が、まさか卵を孵してそれで終わりとは考えにくい」

 

 リラの問いにゲンが答え、話はそこで行き詰った。"カラレス"という謎の悪人、その存在がクリアの心の中で僅かなざわめきを起こす。

 理由は分からなかった。しかし他人の気がしない、そんな薄気味の悪い嫌な感じ。

 無論、そんな根拠も無い自身の感想を言った所でどうにかなる訳でも無く、ただ場が混乱するだけなので、そんな思いをクリアは自身の中にだけで留めておく。

 

「……わかった。もしも"カラレス"の事について何か分かったら、此方から連絡を入れよう」

「あぁ、悪いが、よろしく頼む」

 

 そうこうしてる内に、リラとゲンの方はどうやら話が片付いたらしい。

 一先ずはお開き、ただし情報は入り次第共有、それで手が打たれた様だった。

 

「では私はこれで。だがその前にチョウジのリーダー、最後にもう一度礼を言わせて貰う。償いという訳では無いが、もしも今後何か助けが欲しい時は言って欲しい。私で良ければ力になろう」

 

 最後に、去り際にまた一言謝罪の言葉を告げて、そうしてゲンは去っていった。去った方向は船着場では無かったので、恐らくまたバトルフロンティア見学に足を運んでいるのだろう。

 少しの間だけ共に見送って、そして不意にクリアはリラの方へと向く。

 同時にリラもクリアへと向き直った所だった、どうやらあちらもクリアに何か話があるらしいが、だがクリアはまず自身から行動する事にした。

 

「すいませんでした」

 

 先のゲンの真似、という訳では無いが、それでもクリアは頭を下げた。

 当然、彼が"仮面の男"として活動していた時期の事についてである。曲がりなりにもクリアは目的の為、"仮面の男"として彼らに刃を向け、あまつさえエニシダを拉致しているのだ。

 謝って済む話では無いのだが、それでもまずは頭を下げる事が大事だろうと、それは彼なりに考えての行動だった。

 

「そうか。君の用事もその事だったのか……」

 

 どうやらリラもクリアと同じ理由で彼に向き直ったらしい。尤も理由は同じでも、彼らの内で最も違う点は、加害者であるか、被害者であるかという点か。

 

「その事について、エニシダオーナーから言伝を預かってきた。君を……」

 

 淡々とした事務的な口調が聞こえ、クリアは頭を下げたままリラの言葉を受け入れる。

 拒否権なんて元から存在していない。与えられた罰を彼は必ず遂行するだろう。

 そして数分が経ってから、次にクリアが頭を上げた時、そこには既にリラとライコウの姿は無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 バトルドームのすぐ近く、割かし人気の少ない場所を選んで、彼らはそこにいた。

 レッド、ブルー、イエローの三人の少年少女達、集まった理由は無論、先程のイエローの発言だ。

 ドームの方からは更に沸き立つ歓声が聞こえて来る、トーナメントの二回戦が白熱しているのだろう。

 

「……え、だったら本当に……?」

「えぇ本当よ、だから私はクリアの事を弟みたいに思っても、好きになるだなんて絶対にありえないわ」

「そういう事だよイエロー、ブルーはクリアの事なんて何とも思ってないし、クリアだってブルーの事をそんな風には見ていないさ」

「あら、どうしてそういい切れるのレッド?」

「そりゃあだって、クリア(あいつ)ブルーを見る度にビクッってなってるからな」

 

 常日頃のクリアという少年の様子を思い出してレッドは笑う。ブルーもそんなレッドの言葉に、呆れながらも苦笑する。

 

「だからイエロー、お前が気にかける事なんて何も無いんだから」

「あなたはいつでもクリアの傍にいていいのよ。好きなんでしょ、クリアの事」

「……はい」

 

 返された素直な返事に、思わず二人は目を丸くした。二人共、いつもの様にイエローが慌てふためく姿を想像していたのだろう。

 そしてそんな二人の少年少女の予想とは裏腹にイエローは、

 

「はい、好きです。ボクはクリアの事が……あ、だけどその! ま、まだ告白とか、そんな勇気は無いですけど!」

 

 はっきりとした口調で告げた自身の気持ち。だがそれもまだ本人の前で言う勇気は無いらしく、いつも通りにわたわたとし出すイエローの様子に、レッドとブルーの二人から自然と笑みが零れる。

 柔らかな風が吹いていた。

 嵐の後の祭り、それから彼らはすぐにバトルドームへと駆けて行く。恐らくレッドとブルーの出番が回って来たのだろう。

 後に残るのは初夏の風と、木々と草と、そして――。

 

 

 

 そして人通りの少ないそんな場所で、少年は隠れる様に木にもたれ掛かったまま立ち尽くしていた。

 ドームに戻る途中、偶然見つけた三人の少年少女、そして盗み聞ぎする形で聞いてしまった少女の本心。

 

「はぁ、"別れの言葉"でも考えようと思ってたこんな時に……畜生」

 

 赤く染まった顔を下げて、クリアは一人木陰で佇んでいたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 いつかの時代、どこかの場所。一つ分かる事と言えば、それはバトルフロンティアで起こったガイル事件の後という事である。

 

「……ご苦労だったね。二人共、下がっていいよ」

 

 シャムとカーツの了承の言葉を聞いて、キクコは一人微笑を浮かべる。

 上手くいけば"ジラーチの力"をタダ同然で手に入れようと画策していたが、どうやらそれ程都合よく事は運ばないらしい。

 アオギリと"瞬の剣"は消滅し、彼女の下に残ったのは"永の鎧"だけとなった。

 

「だがまぁ、良しとするかね。派手に動けば動くほど、存在感ってもんは出ちまうもんさね」

 

 彼女は今出来る限り身を隠して行動している。一度派手に目立ってしまった為、その行動はより慎重にならざるを得ない。

 故に彼女は優先事項を明確に決めて、そしてシャムとカーツの二人をバトルフロンティアに送り込んだのである。

 後先考えずに全てを賭けて全力で"ジラーチ"に手を伸ばすか、今は身を潜めて最低限の事だけに集中するか。それはただ、彼女が選んだ選択肢が後者だったというだけの話である。

 彼女、キクコがシャムとカーツの二人に密かに命じていた事、それが"剣と鎧の回収"であった。

 確かに"ジラーチ"は惜しい存在だったが、それでも強い効力を持った貴重な道具の回収に半ば成功、剣の方は叶わなかったが、だが鎧が戻って来ただけでも朗報と言えよう。

 それも壊れていてすぐには使えないが、だが直せない事も無い。時間はまだまだたっぷりとあるのだ。

 

「フェフェフェ……さて結局、あ奴はこ奴が死んだと思いながら消えていったのかね?」

 

 そして、培養液の様なものに浸かった赤髪の人物を眺めてキクコは静かに笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 五月五日。七月に起こったガイル事件から、年が変わる程のかなりの時間が経過した。

 その日のバトルフロンティアは本日も大盛況、七月七日程じゃないにしろ、しかしペースを乱さず、一定以上の集客が確約されている点は流石という所だろう。

 そんな場所に、彼らは続々と集まっていた。

 七月七日にあったトーナメントの主役達、"図鑑所有者"と呼ばれる少年少女達だ。勿論、彼ら以外にも幾人もの人物達が、和気藹々とした雰囲気で船から降りて来る彼らの目的はただ一つ。

 ――ある少年の誕生を祝う事。

 

 その少年は騒動の後も、迷惑をかけた事に対する贖罪としてバトルフロンティアに残っていた。別れの際に、少年が妙にしおらしくなっていたのを覚えている。

 ジムは未だしばらくジムトレーナーの男に任せて、無償でバトルフロンティアに貢献するという事が、エニシダオーナーから出されたお咎めなしの条件だった。

 期限は五月五日、つまり今日まで。

 

 黄色のポニーテールが揺れる。彼らの中心を少女は歩く。意外にも少年はすぐに見つかった。

 

「……という事。つまりトレーナーは実際に戦闘を行うポケモン以上に、視野を広くし頭働かせて指示を出さないといけないんだ。だからそこ、寝ずに頭を働かせろ!」

 

 話には聞いていたが、必死な少年の言葉に思わず苦笑が漏れるのを黄色の小柄な少女は感じた。

 少年がどういう形でバトルフロンティアに貢献しているのか。それはやはりというか当然かポケモン関連の事だった。

 

「ふわぁ……せんせー、ボク座学より実際のバトルの授業がいいですー」

「あ、クリア先生俺も!」

「そうだそうだー! バトルさせろークリアー!」

 

 青空の下、今まさに崩壊していく教室の姿がそこにはあった。

 まだまだ遊びたい盛りの子供達、その手綱を上手に操る事など、当然たかが少年に出来る事では無く教壇に立つ少年は途方に暮れている。

 少年のバトルフロンティアでの仕事、それは子供達を相手どった無償のバトル教室だった。

 現役ジムリーダーを講師に迎えたポケモンバトルの授業は、見事に大ヒットを記録し、バトルフロンティアに幅広い客層を呼び込むと共に、客足の数も確実に増やしていた。

 

「はぁ、ったくしょうがない。どうせ今日が最後の授業だしな。今まで抑えてた分、思い切り発散してやる……!」

 

 すると不意に、少年は不気味な笑いと共に肩を震わせて、

 

「おーしジャリ共! どうせなら、束になってかかってこ……」

 

 言い終える前、少年は確かに見た。見覚えのある麦わら帽子の姿を。

 そしてその一瞬、気を逸らした瞬間、あっという間にクリアは子供達が繰り出した数多くのポケモン達の下敷きとなった。どうやら散々子供達に彼が教えた"相手が油断した瞬間を、全力で狩れ"という馬鹿げた教えが忠実に守られたらしい。

 土ぼこりが舞って、倒れたままに少年は自身を見下ろす人物を見上げる。

 よく見れば"図鑑所有者"と呼ばれる少年の仲間がそろい踏みしていた。勿論それ以外の知人の顔も見てとれて、更には何事かと周囲の人間達までもが集まってきて、そして麦わらの少女と視線が合った。

 

 

 

 ――だったらはい!

 ――何、その指?

 ――指きりげんまん! 約束だからねクリア! 今度は皆でお祝いするんだ!

 

 

 

「……約束」

「勿論、覚えてるさ」

 

 少しだけ不安げな少女の問いに、少年は即答した。

 いつかの約束が蘇る。少年、クリアの顔にはいつの間にか笑みが浮かんでいた。

 久方ぶりの再会、募る想いは増すばかり、話したい事も沢山ある。

 ――だがまず一番に、誰よりも先にクリアにその言葉を言う為に口を開いて、そしてイエローもまた、クリア以上の満面の笑みをその顔に咲かせるのだった。

 

「お誕生日、おめでとう! クリア!」

 

 




今までで一番恋愛色が強くなりました。後伏線回収したりまた新たに作ってみたり。

これでバトルフロンティア編は完全に終了、いつもの章終了後プロフィールは書き上げ次第に今後の予定と共に活動報告の方であげます。

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