ポケットモンスターCLEAR   作:マンボー

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シンオウ編
八十話『vsライコウ 終わりの始まり』


 

 夏が終わり、新たな季節が到来する。

 その狭間の時期。

 そんな時期に、ジョウト地方チョウジタウンの公式ポケモンジムの屋内で、見た目十八歳程の少年は気怠そうに椅子に腰かけ、退屈そうに一個のモンスターボールを弄んでいた。

 "クリア"。

 当ジムの"元"ジムリーダーにして、この世に四機のみ存在する"ジョウトポケモン図鑑"の内一つを持つ人物である。

 

「随分と退屈そうですね、クリアさん」

 

 かけられた言葉に、クリアは首だけ動かして声の主に視線を合わせる。

 最早聞きなれたその声、若干厳つい顔のその青年は、チョウジジムに唯一存在するジムトレーナー"シズク"だ。

 真っ白なエプロン姿である所を見るに、どうやらこれから昼食の準備でも始めるらしい。いやはや、これだけみるととても彼が"元悪の組織の幹部"だという事を忘れてしまいそうになる程の衝撃だ。

 

「どうしたんですかシズクさん? 後ついでに今日の昼食はなんですか?」

「今日はオムライスです。ケチャップたっぷりのね……いやそんな事より、今朝はクリアさんの起床が遅く渡しそびれていたのですが、手紙が届いていましたよ」

「手紙ですか? 俺宛に?」

「当然です」

「はて一体誰からだ。レッドさんとかなら連絡手段はポケギアなり色々とあるはずだが……まぁいいや。とりあえずありがとうございますシズクさん」

「いえ、では私は昼食の準備に入りますので」

 

 何分クリアは"過去の経緯上"手紙を貰う事自体が珍しく、また"此方の世界を訪れて"以降知り合った者達とはポケギアを使用した方が色々と手っ取り早く都合が良い。

 故にクリアは物珍しく一枚の封筒を見つめる。見たところポケモン協会から宛てられたものでもない、となるといよいよもって差出人に心当たりはない。

 用は済んだとばかりにそそくさと台所という名の彼の戦場へと戻っていくシズクの後ろ姿を眺めながら、そしてクリアは無造作に封筒をテーブルの上に投げ捨てる。

 

 

 

 二つの遺跡を中心とした戦い。"シント事件"から約一年が経とうとしていた。

 "四天王事件"と呼ばれる戦いの主犯"ワタル"からの警鐘から始まった此度の事件は、ジョウト各地におけるジョウト図鑑所有者とロケット団四将軍の幾度かの衝突を経て、アルフの遺跡における黒いバンギラスと"カラレス"と名乗る青年とクリアの戦い、シント遺跡におけるゴールドとアルセウスとの対話、そしてジョウト地方とシンオウ地方の滅亡の阻止という三つの戦いへと展開されていった。

 

 黒いバンギラスと衝突し、その末にカラレスの攻撃にクリアは敗れた。

 アルセウスと対話、衝突し、ゴールドは見事に信頼という勝ち道に辿り着いた。

 ディアルガ、パルキア、ギラティナの衝突により一時は二つの地方は滅亡の危機に瀕したが、敵と仲間の垣根を越えたジョウト図鑑所有者とロケット団四将軍の活躍、そして現れたかつての"黒幕達"の手によって滅亡は済んでの所で食い止められた。

 それが、此度の事件の顛末。

 そして、新たなる始まりの息吹。

 

 全てが順調にいった、とは言えない此度の事件の末、しかしして当事者達にはいくつかの変化がもたらされる。

 ロケット団首領"サカキ"の持病の完治、そしてロケット団再興の宣言、それに加えて"仮面の男"、"ジムリーダー"等と呼ばれていた男の帰還。

 いや、その老人の帰還こそが、きっとクリアと呼ばれる少年にとっては最も大きな変化なのだろう。

 

 

 

「何をしている。クリアよ」

 

 かけられた声に、クリアは振り向いた。

 そこにいたのは一人の老人。車椅子に腰を下ろし、その膝の上に一体のウリムーを乗せた"現チョウジジムジムリーダー"の姿。

 

「何って……空のボールで暇つぶしですよ。師匠」

 

 "ヤナギ"。

 "師匠"と呼ばれた一人の老人は、自身の"弟子"のそんな呑気な言葉に思わず微笑を洩らした。

 

 シント事件から少し経った後、クリアはまずある行動を実行に移した。

 それは即ち、"ジムリーダー権"の譲渡。

 つまりは帰ってきたヤナギに、先代のジムリーダーに再びその資格を譲り渡そうとしたのだ。

 理由はいくつかあった。

 まず初めに、クリアがジムリーダーになった経緯はヤナギの失踪という結果から始まり、故に主のいない場所を守る為に、彼は特に深くは考えず半ば使命感からジムリーダーとなった。

 次に、それ故にヤナギが戻った事により、クリア自身がジムリーダーに拘る必要が無くなったという事。

 そして最後に、自他共に認める程、クリアという人物はジムリーダーという職業には向いていなかったという事にあった。

 

 それというのもである。

 彼がジムリーダーになってから何度無断でジムを留守にしたのか、そしてその度に担当地方のポケモン教会理事を何度悩ませたのか。

 考えるのも恐ろしい程である。

 故に、クリアの提案は意外とあっさりと受理された。

 もしかすると、"トキワシティジムリーダー試験の際の事例"や、"チョウジジムの存在自体が元悪の人間の更生所となりつつあるという事実"も考慮に含まれていたのかもしれない。

 だがそれでも、協会理事はクリアの提案を飲んだ。

 そして当事者であるヤナギ自身も、クリアの口から告げられた際には渋ったものの最終的に、ポケモン教会の方針には素直に従い現状へと至ったのである。

 

 そして以上の経緯から、"ジムトレーナー"という立場より上の"ジムリーダー"という立場となった、否、"戻った"ヤナギは少しだけ目を細めて、

 

「ほう、流石は"一度は"私を破った我が弟子だ。これから迫りくるであろう脅威を前にしても、余裕なものだな」

「うぐっ……」

 

 それが彼に発破をかける為に皮肉だという事は、クリアにもすぐ分かった。

 尤も、分かった所で何の言い返しもできないのだが。

 

「……と言われても師匠、特訓なら毎日の様にやってるし、俺に今できる事は"十分"にやってるつもりだよ?」

「ふむ、ならば次は"十二分"を目指して頑張ってみろ」

「ひっ!?」

 

 何の慈悲もない返しである。

 クリアも彼の"正式"な弟子故既に分かっているつもりだが、意外とヤナギはスパルタ志向だった。

 限界とはまだ越えられるラインだと言いながら、身内に対しては平気な顔で"愛のれいとうビーム"を撃ってくる様な師なのである。

 それでいて第三者に対しては、温厚で芯の強いお爺ちゃんな一面のみしか見せないから尚質が悪い。特訓時の恐怖を知っているからこそ、そのギャップに恐怖こそ覚え安心などしない。

 ――いや、仮初の師弟関係の時からその片鱗は少しだけあった様な気もするが。

 

「嫌ならすぐにでも行動に移せばいいのだ。お前にはまだもう一つ、最も強い可能性の塊がその手の中にあるだろう」

「? 可能性の、塊……?」

「恍けても無駄だ。その手の中の空のモンスターボール。クリアよ、お前は空いた空席をいつになったら埋めるつもりだ」

「それは……」

 

 思わず、言いよどむ。

 ヤナギの鋭い眼光が、クリアの思考を縛り、逃げ道への退路を塞ぐ。

 言われるまで気づかなかった、訳では当然なかった。その証拠に、ヤナギに言われるまでクリアはひたすら空のボールを転がしていた。

 

「六体目、か」

 

 虚空に呟き、無造作にクリアはボールを元の位置へと戻した。

 

「分からないな。何もかつてのお前の手持ちである"カモネギ"や"ヤドキング"を無理矢理に連れ戻せと言っている訳ではないのだぞ?」

 

 ヤナギの疑問も尤もである。

 クリアに限らず、ポケモントレーナーという者達は手持ちのポケモンを一体から複数体ほぼ必ず傍に置いており、その数は、どんなに多くても六体までがベストという事は既に周知の事実でもある。

 そしてその数の多少によって起きるメリット、デメリットについてもクリアとヤナギは既に経験の中で理解していた。

 手持ちのポケモンが少なければ、戦闘時やそれ以外での行動時の選択肢が狭まり、しかしだからこそ、多い時より迅速に正しい選択肢を選ぶ事が出来る。

 逆に手持ちのポケモンが多ければ選択肢は広がり、出来る事や対処手段も複数に増える。しかしだからこそ、少ない時より選択にかける時間が増加し場合によってはタイムオーバーとなる可能性だってある。

 一長一短、それ故に求められるのはやはり、"トレーナーの技量"。

 詰まる所、最終的に戦闘の際重要となってくるのは、ポケモンの能力以上にトレーナーの実力となってくる。

 そしてクリアは、これまでの経験から、最早一流と言っても差支えない程の実力をつけていた。

 

 だからこそ、ヤナギは問うのである。何故"六体目"を持たないのかと。

 クリア程の実力者ならば、"五体"で戦うより"六体"のポケモンで戦う方が圧倒的に生存率が上がると。

 そして、それはクリアにも当然分かっている事である。

 

「師匠の言いたい事も分かります。ワタルの警告からもうすぐ一年……ワタルの推察が正しいとすると、そろそろ何か動きがあるかもしれませんからね」

「あぁ、当然それもあるが、それを引いてもお前自身、確かな力量不足を感じているのではないのか?」

「力量、不足……」

「そうだ。聞いているぞ、最近のお前はここ一番の大勝負の際、かなりの確率で黒星がついているらしいな」

 

 刺す様な言葉がクリアの心に抉り込む。

 だがしかし、彼の言葉は当然の真実であり、またクリア自身も感じ取っていた事だった。

 "仮面の男(マスク・オブ・アイス)"としてヤナギと対峙し、幾度もの敗北後ようやく勝利を得たその時からまた幾度かと繰り広げられたクリアの戦いの歴史。

 だがその実、全てにおいてクリアが勝利を手にしている訳ではない。

 むしろここ一番の勝負所で、果たしてクリアが彼自身のみの力で勝利した戦いが一体どれ程あっただろうか。

 ホウエン大災害時でのホカゲとの決戦時は、イエローの登場が無ければやられていたのはクリアだった。

 ナナシマ事件の際は、クリアは戦いに満足に参加する事も叶わず、バトルフロンティアでは彼の仲間がいたからこそ"ガイル"こと"アオギリ"に勝利する事が出来た。

 

 そして、シント事件ではカラレスに為す術も無く撃破された。

 それもこれも、"勝利の為のもう一手"。決定打となる"六体目"の存在が全てを左右していたのだ。

 

「そうですね。でも……」

 

 "でも"、クリアはあえてそう言葉にして、

 

「だからと言って、俺は焦らないよ。師匠」

 

 そう告げて向けた微笑は、どこにでもいる普通の少年の笑顔だった。

 十八歳。大人と子供の中間。

 その満ちた自信の裏には、一体どんな根拠があるのだろうか。

 まるで羽化を待つ蛹の様に、飛び立つ時を夢見るひな鳥の様な僅かな期待を秘めた瞳で、クリアは続ける。

 

「多分、もうすぐですよ」

「ほう、何がもうすぐなんだ?」

「何の根拠もない、ただの俺の勘だけど……だけど多分"最後のピース"とは、多分もうすぐ会える。そんな気がするんです」

 

 その言葉は嘘偽りない、正真正銘本物の所謂彼の"勘"だった。

 信憑性などあったものではない。鼻で笑われ一蹴されても仕方のない言葉。

 だがそれでも、それは同時に形はどうあれ一度はヤナギを打ち負かした少年の言葉である。

 故に、ヤナギはクリアの答えに一応の納得をする事にしたのだった。

 

「……そうか。そこまで言うなら、もう何も言わんよ。お前が"最後の席"を空けておく理由があるというのなら私も強く言わない。だが……」

 

 師は弟子の意思を汲み取り、そして尚、それでも彼は師としての言葉を続けた。

 

「それでも脅威が迫っている可能性が高いのもまた紛れもない事実。用心はするのだぞ」

「……うん、ありがとうございます。師匠」

 

 果たしてその言葉は、出来の悪い弟子に贈る師としての言葉か、自身のジムのジムトレーナーに贈る一人のジムリーダーとしての言葉か、それとも――家族を心配する一人の男の言葉なのか。

 それはヤナギ本人にしか分からない。

 

「……所でクリア、その手紙は誰からのものだ?」

 

 言いたい事は言い終えたらしいヤナギが、今度は机上に無造作に置かれた手紙へと興味を示す。

 一方のクリアも、先の対話ですっかりその存在を忘れていたらしく、空のボールと取り換える形で手紙を手に取ると、何の躊躇も無く封を破りその内容に目を通した。

 

「ん、あぁ、これはさっきシズクさんから渡されたんです。えーと何々、ふむふむ」

「……誰からだったんだ?」

「シンオウ地方のジムリーダーからです。見たとここれ"挑戦状"みたいですね。俺、ちょっと行ってきますね」

 

 そう言って、クリアはテキパキと旅支度を開始する。必要最低限の荷物とポケモン達が入ったボールを嬉々として用意していく。

 その様子は、心なしかまるで水を得た魚の様にも見えた。

 

「忙しないな」

「そんなの、当たり前でしょ。師匠」

 

 玄関へと向かいながら、クスリとした微笑を浮かべてクリアは、

 

「シンオウ地方のジムリーダーと正面切って手合せできる絶好の機会だ。強くなれる、レベルアップのチャンスを見す見す見逃す道理もないですよ……それに」

 

 それに、とクリアは続けて、凛とした眼差しで次の言葉を述べてから、そして旅立っていったのである。

 

「シンオウ地方。良い機会だ、久方ぶりの捕獲に挑戦(チャレンジ)してみるのも悪くないと……そう思いますからね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 およそ一か月後。

 ホウエン地方バトルフロンティア。バトルタワー最上階。天気は晴天。

 

「……"こうそくいどう"!」

 

 "ポケモンバトルを楽しむ"、その為に出来たと言っても過言ではない施設で今日もまた、一つの戦い(バトル)が繰り広げられていた。

 バトル形式は一対一。シングル戦。どちらか一方のポケモンが戦闘不能に陥れば敗北となる戦い。

 深緑のポケモンが、迫りくる雷を間一髪の所でかわしつつ、"こうそくいどう"で更に速度を上昇させ標的へと迫りながらその腕の草の刃を怪しく光らせる。

 ポケモン"ジュカイン"。

 見事いくつもの"かみなり"をかわしきったジュカインは、そのままの勢いで標的のポケモン"ライコウ"へと迫り、そのままの勢いで"リーフブレード"を繰り出そうとするが、

 

「甘いよ。"エメラルド"……!」

 

 その言葉で、エメラルドと呼ばれた少年はハッと気づいた。

 もう既に、ライコウは次の攻撃へと動作を移行していたのである。

 立て続けに大技である"かみなり"を放った直後、にも拘わらず、既に追撃の準備を完了している辺り、流石は"伝説のポケモン"と呼ばれるだけはある。

 一つ一つの技のパワーと、スピードが伊達ではないのだ。

 

「"ギガインパクト"!」

 

 次の瞬間、全ての力を一点集中させた突撃がジュカインを襲った。

 "ギガインパクト"。反動こそあるものの、その威力は"はかいこうせん"にも匹敵する程の超攻撃特化の大技だ。

 当然、何の溜めも無しに、それも超至近距離から放たれた近接技を、ジュカインが避ける術は少ない。

 故に、放たれたライコウの"ギガインパクト"は見事にジュカインを捉え、勝負を決した。

 

 ――かに見えた。

 

「……いいや、甘いのはアンタの方だったね。"リラ"」

 

 言ったのは、エメラルドと呼ばれた少年の方だった。

 刹那、その眼光の先で、ジュカインの姿に不自然なブレが生じて。

 そしてリラは大きく目を見開いて、

 

「なっ、まさか、分身……!?」

「そうそのまさかさ! 今だジュカイン」

 

 エメラルドの言葉の直後、ジュカインの身体が霧散した。

 "かげぶんしん"。先の"ギガインパクト"を受けたジュカインは、"かげぶんしん"によって作られた偽物だったのである。

 そして、その事実にリラとライコウが気づいた時にはもう遅い。

 

「"リーフブレード!」

 

 いつの間にそこにいたのか。

 ライコウの背後に回っていたジュカインが繰り出す碧の刃が煌めき、そして、今度こそ勝敗は決するのだった。

 

 

 

「良いバトルだったよ。ありがとう、エメラルド」

「どういたしまして。それとこちらこそだ、俺も楽しかったし」

 

 差し出された手を少しだけ見て、それからやれやれといった感じで、エメラルドはリラの手を握った。

 

「いやー良かったよー二人とも! 痺れる位良いバトルだった! お陰で良い宣伝プロモが出来そうだよぉ!」

 

 そこに現れたのは小太りでサングラスの男。

 "エニシダ"と呼ばれるバトルフロンティアのオーナーでもある男である。

 バトルフロンティアでも数少ない休日、周囲には観客の姿が見えない、バトルの熱で誤魔化されていた静寂が徐々に辺りを支配していく中、そんな場所でエメラルドとリラが戦っていた理由が、エニシダの言葉の中にあった。

 それというのも、今回彼らが戦った理由は"バトルフロンティア宣伝用のプロモビデオ"を作る為であったからなのだ。

 

「でもさー? 何で今更宣伝用のプロモなんて作ろうと思った訳? 別にそんな事しなくても、お客さんならいつも沢山……」

「甘い!」

 

 ビシッ! という効果音が今にも聞こえてきそうな程鋭くエニシダがエメラルドを指差し、一方のエメラルドは一瞬だけ肩を震わせる。

 そしてエニシダはやけに興奮気味な口調で、

 

「甘いぞエメラルド! そんなお菓子の様に甘い様じゃあ、いずれこのバトルフロンティアだってチョコの様に溶けてしまうのだぞー!」

「な、何この人、なんで今日はこんなに荒ぶってる訳……?」

「えーと、それはね、エメラルド。君は最近、シンオウ地方に新しくバトルフロンティアが出来た事は知っているかい?」

「シンオウ地方にフロンティア? いいや知らない。で、その新しいバトルフロンティアが何か関係してるの?」

「何か関係してるの? じゃ、なぁぁぁぁい!!」

 

 突然の大声の所為だろう、今度こそ、エメラルドは大きく肩を震わせて驚愕の表情でエニシダを見た。

 

「個性が必要なんだ……! 他とは違う、うちだけのオリジナリティー溢れたエンターテイメントが必要なのだぁ!」

「な、なんなんだよ一体……」

 

 まくし立てる様に声を荒らげるエニシダと、驚愕通り越して呆れ顔をするエメラルド。

 そんな二人の様子を見かねたのだろう。リラは、コホン、と一度咳をして場を取り持つと、

 

「それは詰まる所。シンオウ地方に新しく出来たバトルフロンティアが大盛況でね。その結果、うちの常連達も何割かはシンオウ地方へ足を伸ばして、その分集客率が下がっているって事なんだよ」

「なるほど、それでこのおっさんはこんな感じになってるんだな?」

「……うん、そんな訳でこんな感じになってるんだよ」

 

 いつの間にか屈み込み、ブツブツと何か呟き続けるエニシダを眺めながら、エメラルドとリラは一度だけため息をついて、

 

「だけどシンオウ地方に新しく出来てると言っても、それもれっきとしたバトルフロンティアなんだろ? 同じバトルフロンティア同士なのに、どうしてこのおっさんはこんなにも悔しそうなんだ?」

「うん、それはだねエメラルド。私たちホウエン地方のバトルフロンティアに多大な出資をしたオーナーは確かにエニシダオーナーだけど、シンオウ地方のバトルフロンティアはまたエニシダオーナーとは別の人間が出資者、つまりホウエン地方とシンオウ地方のバトルフロンティアはそれぞれオーナーが違うんだよ」

「ふーん、だからこの人は、シンオウ地方のバトルフロンティアをライバル視してるんだな」

「そういう事だね」

 

 出来るだけ短く、簡潔に、ホウエン地方とシンオウ地方のバトルフロンティア事情をリラが語り終えた。

 その時だった。

 突如、何かが壊れる音がバトルタワーに木霊する。

 咄嗟の事だったが、それでもすぐに意識を警戒態勢へと切り替えたエメラルドとリラは、すぐに音のした方向へと顔を向けそして、

 

「……あれは」

 

 彼らはすぐに理解した。

 バトルタワー内に響いた"窓の割れた音"、その"原因"と"原因の正体"を。

 

「ラティ……アス?」

 

 言葉にすると同時にエメラルドは駆け出す。

 そこにいたのは一体のポケモン、"夢幻のポケモン"、"ラティアス"だった。

 そしてそれはかつて、まだ"一人"だったエメラルドの数少なかった理解者であり、今となっても大切な友であり続けている存在。

 そんな存在が、今、彼の眼前に傷だらけの状態で倒れていたのである。

 動揺するのも、無理はない。

 

「ラティアス! おいラティアス! どうしたんだよこんな怪我……一体何が……」

「話は後だよ、エメラルド!」

 

 半ば半狂乱となりかけていたエメラルドだったが、リラの言葉で我に返る。

 気づけばリラは、いつの間にやら自身のライコウを召喚し、エニシダもエニシダでどこかへ電話しながらラティアスの治療準備を推し進めている。

 

「まずはラティアスの手当てが先だ。エメラルド、君も力を貸してくれ!」

「あ、あぁ分かった! 皆頼む!」

 

 それからすぐに、ラティアスはバトルフロンティアの医務室へと運ばれていった。

 先程までの和やかな雰囲気とは一変、周囲にはピリピリとした緊張が張り詰め、どこか暗いムードが周囲を満たしていく。

 それから。

 ラティアスの意識が回復したのは、バトルフロンティアに再び彼女が姿を現してから三日目の朝だった。

 

 

 

 暗雲立ち込めるとはまさにこの事か。

 晴天だった空も三日経てばその姿を変える。

 バトルフロンティアの上空は、今や幾重にも重なった灰色が光を限りなく遮断していた。

 

「……アス……ラティアス……!」

 

 声がする。自身を呼ぶ声だ。

 徐々に覚醒していく意識の中、ラティアスは意識の綱を懸命に手繰り寄せる。

 フラッシュバックする過去、燃え盛る炎はどこまでも高く伸びて、彼女は命からがら逃げ延びて、そうしてようやく彼女は辿り着いたのである。

 バトルフロンティア。

 かつての激戦があった地に、懐かしい少年の声の下へ。

 

『……ラル……ド』

「ラティアス! 良かった、目を覚ましたんだな!」

 

 頭の中に直接響いてくる声に、エメラルドは一旦の安堵を覚える。ラティアスはテレパシーを用いて人とのコミュニケーションを可能としているのだ。

 

『ここは……』

「安心しろ、ここはバトルフロンティア。ここにいる奴らは皆お前の味方だ」

 

 エメラルドのその一言で、ラティアスは心の底から安心出来たのだろう。

 疲れ切ったその表情に少しばかりではあるが、彼女本来の柔らかで温かみがある笑顔が戻る。

 そんなラティアスの様子に、エメラルドも一度眉間に寄せた皺を解いてから、

 

「それで、何があったんだよラティアス。こんなに傷だらけで……それに、"ラティオス"は一緒じゃないのか?」

『……"ラティオス"……そう、だわ……!』

 

 ラティオス。

 ラティアスの唯一の兄の名、その単語を耳に入れた途端、ラティアスは大きく揺らぐ。

 

『お願いラルド! 力を、貸して。兄さんを……助けて!』

 

 まだ完治していない身体を起こし懇願する様な視線を投げかけた彼女は、エメラルドに対し確かにそう言うのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 ――エメラルドの前に傷だらけのラティアスが飛来してから、約数日後。

 

 クチバシティ。

 カントー地方最大の港町であるその町を一人に少年が訪れていた。

 ジョウト図鑑所有者"シルバー"。

 約一年前再興された悪の組織"ロケット団"の首領を実の父に持つ少年である。

 アルセウス事件、そう呼ばれる事件を切欠として父"サカキ"と再会した彼は、その場で父の勧誘を断り、そして必ず己の父へと追い着き改心させると宣言していた。

 故にこの日、彼がこの場所を訪れたのも他ではない、"ロケット団絡み"の事情があっての事だった。

 欲するものは、組織の情報。

 何でもいい。一年前に再編、再興された"新生ロケット団"に関する情報を得る為、ある人物に会いにやってきたのである。

 

 

 

「二つ目……」

 

 カチリ、という音が室内に響く。

 それは、クチバジム特有の仕掛け、ジムリーダーへの行く手を阻むドアロックが解除された音である。

 一見すると難しい仕掛けだったが、この程度の仕掛けでは、彼程の実力者を阻むには少々無理があるというものだが、何にせよ。これで彼は無事に目的の人物への道を開く事が出来た。

 クチバシティのクチバジム、その主であるジムリーダー。

 その人物こそが、シルバーが会おうとしている相手。

 

「マチスだな」

 

 眼前に佇む、ワイルドな風貌でガッシリとした体格の金髪の男へとシルバーは言葉を告げる。

 

「久しぶりだな……いや、この際挨拶は抜きにしよう。時間の無駄だ」

 

 それだけ告げたシルバーの様子から、すぐにマチスも気づいたはずだ。彼が、普通の挑戦者では無い事に。

 いや、そればかりでは無い。

 思い出したはずだ。理解したはずだ。

 彼がかつて、仮面の男事件の際にうずまき島で出会った相手、"図鑑所有者"、それが今目の前にいる少年だという事を。

 そして、それは同時に。

 彼のかつての首領(ボス)の実の息子が、父親譲りの眼力と、父親並の"実力"を身に着けて、また再び自身の前に現れたという事を――。

 

「単刀直入に聞く。"クチバジムのジムリーダー"であるマチスにでは無く、"元ロケット団三幹部"としてのお前にだ」

 

 ロケット団三幹部、その単語が耳に入った途端、マチスの緊張度が最高まで達する。

 随分と懐かしく錆びついた古臭い肩書き、そんな気すらしてくるのは、きっとマチスがロケット団という組織から離れてもう随分と長い事経ったからだろう。

 そこで不意に、マチスは何故目の前の少年が自身の昔の肩書を知っているのかと疑問に感じたが、疑問は数秒後には自然と解決した。

 眼前の少年は、シルバーは"図鑑所有者"と呼ばれる者達の一人だ。

 故に、彼の先輩とも言える人物、かつてマチスが幾度となく対峙したカントー図鑑所有者達に自身の事を話されていると考えても、何もおかしい点は無い。

 そうして、シルバーは満を持したかの様にマチスへと問いかける。

 

「最近のロケット団の動向について、不可解な点がいくつかある。俺は、恐らく奴らが活動拠点を別に移していると考えた訳だが……何でも良い、お前が知っている全てを教えて貰おう」

 

 

 

 

 

 

 

 

「ラティオスを、助ける……?」

 

 明らかに"半信半疑"といった様子の言葉が、エメラルドの口から零れた。

 

『えぇ! 私だけじゃ"あいつら"には勝てなかったわ……でも、私と一緒に戦ってくれるトレーナーがいてくれれば……! だから、私が最も信頼する人間(ラルド)に力を貸して欲しいの! だからお願い!!』

「わ、分かった分かった! ラティオスの事なら俺も放っとけないから勿論協力するよ! だからまず、何があったのかを落ち着いて話してくれ!」

 

 その特性故耳を塞ぐ事も叶わず、テレパシーにより脳内へと直接語りかけてくるラティアスの声に目を回しながらも、エメラルドは早口でラティアスを制して、

 

「で、改めて、何があったんだよラティアス」

 

 真っ直ぐとラティアスを見つめてエメラルドは彼女に問いかける。

 そこには、最早かつての孤独だった少年の姿はない。

 そこにいたのは。

 このバトルフロンティアで起こった事件、戦い、その過程と果てに手に入れたいくつもの繋がり、その全てによって成長した一人の少年だった。

 だからだろうか。先ほどまでと比べラティアスの心が落ち着きを取り戻しているのは。

 ――ラティアスが、安心出来ているのは。

 

『……人が来たの。南の孤島に』

 

 そして彼女は語りだす。辛い記憶を掘り返し、身体の震えを懸命に抑えて、ラルドと、それと同時にその場にいた他の二人の人間、リラとエニシダ、計三人の人間へと言葉をテレパシーに乗せて。

 

『男女二人組の人間だったわ。南の孤島に入ってきたかと思うと、私たちは突然攻撃されて、勿論私たちも抵抗したわ……でも強くて、そしてあの二人に捕獲されそうになった私を庇ってラティオスは……』

「捕獲、されたのか……」

『……えぇ。それで私は、捕獲の間際にラティオスが隙を作ってくれたお陰で、何とか逃げ切る事が出来たの……』

 

 瞳を潤ませて、顔を下げるラティアス。その傷心した様子に、思わずそれ以上の事を聞くのは躊躇われるが、しかし状況が状況だ。そうも言ってられない。

 故に、エメラルドはラティアスを勇気づける様に彼女の肩に手を置いてから、そうして更に質問を続ける。

 

「それでラティアス、今から肝心な事を聞くぞ。一体その二人はどこの誰で、そして今はどこにいるんだ?」

『……どこの誰かまでは分からないわ……でも、一度だけ、ラティオスからの"ゆめうつし"が来たの。映像は一瞬だったけれど、確かに聞いたわ……"シンオウ地方に戻る"って言葉を。ラティオスを通して!』

 

 真剣な眼差しでそう語り終えると、どうやらもう語るべき事はないらしく、ラティアスはすっと瞳を閉じてやがて微かな寝息を立て始めた。

 よほど体力を消耗していたらしく、まだ後数日は安静にする必要があるとエメラルドはバトルフロンティアのポケモン医療スタッフから聞いている。

 

「……それで、どうするんだいエメラルド」

「どうするって、何を?」

「勿論今の話さ。君はまさか、ラティアスの為に"ただ野生のポケモンを捕獲しただけの善良なトレーナー"を咎めるつもりじゃないだろうね?」

 

 リラの言葉も尤もだった。

 ラティオスを失い一人残されるラティアスの気持ちも分かる、確かに可哀想な話ではある。

 しかし、彼らは野生のポケモン。

 そして、野生のポケモンを捕獲する権利を持つ者の事を世間では"ポケモントレーナー"と呼び、またその行為を罰する法などこの世界には存在しない。

 

「うん。勿論そのつもりだよ?」

 

 だがエメラルドは、リラの言葉を真っ向から"肯定"した。

 無論、自身の言葉の意味が分からないエメラルドではない。

 彼もまた"ポケモントレーナー"の一人、それでいて彼にとって"恩人"とも言える人物は"捕獲の専門家(スペシャリスト)"と呼ばれる程の"ポケモントレーナー"である。

 自身がこれから行う行為が、"ポケモントレーナー"としての在り方に背くという事は、彼も重々承知の事だろう。

 ――しかし、

 

「いくら捕獲の為とはいえ、その結果ポケモンをこんなに痛めつける様な奴は、それこそポケモントレーナー失格だ。誰から何を言われようとも、俺は"ポケモンとポケモンを好きな人の事が好き"だっていう想いは絶対に曲げないよ」

 

 それでも曲げられない信念があるからこそ、エメラルドは迷う事はない。

 ただひたすらに、彼は彼の信じた道を歩み続ける事が出来るのだ。

 

「……そうか。それなら、私も相応の行動を取らねばならないな」

 

 淡々としたリラの言葉を耳に入れた途端、エメラルドはすぐに臨戦態勢をとった。

 無論、先の発言でリラからの妨害があると考えたからである。

 しかし、エメラルドの予想とは裏腹に、リラはエニシダへと視線を移して、

 

「エニシダオーナー。明日から暫く休暇を頂きたい」

「……リラ、お前……」

「ラティアスはこのバトルフロンティアを救ってくれた恩あるポケモンの一匹だからね。それに私も少なからず君の意見には賛同しているし、何よりラティオスを捕えたというトレーナーの"善悪"についても私の目できちんと見定めたいと思っている。だから私も君と共に行こう」

 

 昔のエメラルドなら、余計なお世話だと彼女を突っぱねていたのかもしれない。

 だが、何度も記述する通り、彼もまた成長している。

 

「あぁ、ありがとう。リラ」

 

 微笑を浮かべて、エメラルドは短く礼の言葉を告げた。

 "伝説のポケモン"を手札に持つリラが協力してくれる事は、エメラルドにとって益はあれど当然損はなく、またリラは信頼に足る人物である。

 一部を除き他人に対して一定の不信感を持っていたかつての時とは違う。

 今のエメラルドに、彼女の助力を拒む理由など微塵もないのだ。

 

「じゃあ、ラティアスが目を覚まし次第、向おう! シンオウ地方へ!」

 

 目的地は遥かシンオウの地。 

 その目的は、ラティオスを捕獲したトレーナーに会う事。及び必要とあらばラティオスの救出。

 現在確認されている情報は、件のトレーナー一行はシンオウ地方へ向かったという事のみ。

 

 一瞬、エメラルドは今回の事をクリスタルという少女に伝えるか悩んだ末――止めた。

 思い返せば、恐らく今彼女はオーキド博士の学会の準備とか何とかで忙しいはずだ。

 また、今のエメラルドの隣には伝説のライコウを連れたリラが一緒にいる訳であり、情報の伝達に関しては事情を把握しているエニシダに頼んでおけばいいだろう。

 

 そうして、全ての悩み事を払拭してから。

 かくして、少年は一人のフロンティアブレーンと共にシンオウ地方へと旅立つ事を決める。

 

 

 

「……はぁ、仕方ない、か。こうなったリラは頑固だからね」

 

 エメラルドとリラ。彼ら二人のやり取りを見終えてから。

 やれやれ、と言いたげに大げさに両手を振り、そしてエニシダはため息交じりに呟いてから、

 

「だけど長期休暇とはちょっと頂けないな。せっかくシンオウ地方に行くなら、ついでに向こうのバトルフロンティア視察にでも行って貰おうかな!」

 

 気軽な態度であっけらかんとそう言うのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 クチバシティのクチバジムでは、マチスの豪快な笑い声がジム内に木霊していた。

 

「ガハハハハ! ガキが、随分と大口叩いてくれるじゃねぇか!」

 

 挑発染みたシルバーの物言いのせいだろうか、一方のマチスもまた相応の態度で応えた。

 

「近頃再び活動を始めたとかいう噂の"新生ロケット団"の行方を追うってのか、お前が、一人で? いくら首領(ボス)の実子だからって、そいつは少し無茶過ぎる行動じゃねぇのか?」

 

 果たしてマチスはどこでシルバーがサカキの実子だと知ったのか。

 その謎に関する推理は無用だと、シルバーは即座に判断する。

 そもそもシルバー自身も、図鑑所有者の先輩である"グリーン"からマチスの正体を聞いてクチバシティまでやってきたのだ。マチスも同様に独自の情報網を持っていても何らおかしくはない。

 

「多少の無茶は覚悟の上だ」

 

 だからこそ、シルバーは最低限の返答で答えた。

 

「それでも俺は父をこの手で改心させると誓ったんだ」

 

 その目に迷いの色は一切なく、それと同時に、何があっても折れないという強い意志が見え隠れしている。

 マチスは、彼とよく似た目を知っていた。

 彼の元上司にしてシルバーの実父"サカキ"、彼の決定は絶対にして、確実に成功しなければならない命令。その命に背く事は、何があっても許されない。

 現にマチスが今こうしてジムリーダーをやり続けているのも、何を隠そうサカキの命令だからこそである。

 それ程の力。カリスマ。

 それを知っているからこそ、マチスは言葉による対話を諦めて、

 

「お前、いい感じに根性据わってるじゃねぇか。ならこうしねぇか?」

「……なんだ?」

「俺は確かに元ロケット団だ。だがだからと言ってタダで首領(ボス)の情報流すほどロケット団として腐っちゃいねぇ……だからよ、もしもお前が俺に勝てれば、俺はお前に知ってる事を何でも話してやるぜ」

 

 そう提案したのかもしれない。

 

 

 

 

「……で、結果は惨敗だったと」

「チッ、うっせーよ」

 

 それから数時間後、クチバジムでは二人の人物が話していた。

 マチスとシルバー、ではない。

 そこにいたのは黒の長髪と整った顔立ち、気の強そうな瞳の一人の女性ジムリーダーだった。

 "ナツメ"。

 彼女もまた、マチス同様かつてはロケット団"三幹部"としてロケット団という組織の全盛期を支えていたメンバーの一人である。

 

「フッ、お前ほどの奴なら対面した段階で分かったでしょうに。お前じゃ(シルバー)に勝てないと」

「フン! 今のバトルは勝てる勝てないの問題じゃねぇんだよ! これは俺のプライドの問題だ!」

「……クスッ、まぁそういう事にしておいてやるわ」

「どうもこうもそういう事なんだよ! ったく、盗み見とは本当に悪趣味な女だぜ!」

 

 ――全てはマチスの言葉の通りである。

 先のバトル、マチス対シルバー。その様子の一部始終をナツメは密かに見物していたのだ。

 そうして、用事を済ませたシルバーがジムから去ってようやく、彼女はマチスの前に姿を現したのである。

 

「でも本当に良かったのか? (シルバー)に本当の事をペラペラと喋ってしまって?」

「あぁ? 今更何言ってやがる、大体勝負に負けた上で更に嘘を重ねるなんざ、そんなみみっちい真似が出来るか!」

 

 変わったな、と。

 ナツメは内心そう思った。

 恐らくマチスは自身の変化を、彼自身認知していないだろう。

 以前の彼なら、例え首領(サカキ)の息子であるシルバー相手だろうと、悪どい事を平気で行ったはずだ。

 何故なら、彼が仕えていたのは今も昔もサカキただ一人だけである。シルバーではない。

 

 だからこそ、シルバーとの誓いをしっかりと果たしたマチスは、彼の意思とは関係なく一つの変化を迎えているのだ。

 そしてそれが、良いモノか悪いモノか。

 それは、未来に到達した時初めて分かる事である。

 

「今日は面白いものが見れた。では私はそろそろ失礼するぞ」

「あ? 一体何しに来たんだお前は」

「何も。強いて言うなら、気分転換がてらに首領(ボス)の息子を見に来ただけだ」

 

 言って、ナツメはマチスに背中を向けてから、

 

「何しろ……今日は大事なオーディションの日だからな」

「……あ? なんだって?」

 

 ポツリと呟かれた言葉はマチスには届かなかったらしい。勿論、届けるつもりなど元よりナツメにはないのだが。

 

「……マチス」

「全く、なんだよ。まだ何かあんのかよ」

「お前も、今の内に自身のやりたい事はやっておけ……せめて後悔のないようにな」

 

 そしてナツメはジムを去った。

 マチスが背後で何かを言いかけていたみたいだが、そんな事は彼女にはお構いなしである。

 ケーシィの"テレポート"で瞬時にヤマブキまで移動してから、彼女は今朝自身が感じ取った"予知"を再確認する。

 

(本当に、甘くなったな。マチス(あいつ)も、そして私も……)

 

 それは、予知と呼ぶにはあまりにも曖昧なもの。

 

 "闇"。

 

 限りなく広がる闇が、世界を飲み込んでいく。ただそれだけの映像(ヴィジョン)

 それがいつ、どの様な原因で起こるのか等の特定はできない。

 否、そもそも、それが映像のまま起こり得る事なのか、はたまた未来を抽象的に暗示するものなのかすら分からなかった。

 それ程までに、彼らの未来は不安定なものとなっていたのである。

 半端な未来を知る彼女が迂闊に動けば、更なる悲劇(じたい)を引き起こす可能性がある程に――。

 "故に彼女は、クチバジムを訪れた"。

 

(私に出来ることは少ない。だが、託す事は出来る……)

 

 一つだけ分かる事。

 それはたった一つの当然の真理、これまでの出来事を振り返ってみれば誰にでも分かる簡単な事。

 それはどんな形であれ、世界の命運を握るのはやはり"図鑑を持つ者"という事だ。

 これまでもそうだった。

 だからこそ、ナツメはこの時も確信していたのだ。未来に巣食う闇を打ち払えるのは"図鑑所有者"と呼ばれる者達のみであると。

 

(私の"力"をどう使うかはお前次第だぞ……首領(ボス)の息子、シルバーよ……!)

 

 故に彼女は密かに忍ばせた。

 シルバーの懐に、自身の"予知の力が宿ったスプーン"を。

 過去幾度となく、様々な者達を導いてきた道具(サイキックアイテム)を。

 

(昔私が配ったスプーンは恐らくその効力はとうに切れているだろうからな。これはこれから闇に挑む図鑑所有者たちへの、私からの細やかなプレゼントとう訳か……)

 

 シルバーはまだ気づかない。

 かつての首領(サカキ)の部下である二人が、彼に対し、かつてない程の助力をしている事に。

 一つはマチスの情報。

 マチスはシルバーに真実の情報を告げた。"ロケット団は今、シンオウ地方へ拠点を移しつつある"という情報を。

 一つはナツメの力。

 ナツメはシルバーに導を与えた。迷った時、持ち主が最も歩みべき道を示す超能力アイテム。"運命のスプーン"を。

 

(本当に、甘くなった……フフッ)

 

 だが悪い気はしない。

 そんな不思議な感覚に酔いしれながら、彼女は今日もヤマブキの町を行く――。

 

 

 

 

 

 

 

 そして、エメラルドとシルバーの両名がシンオウ行きを決めたのと同じ頃、この場所でも新しい動きがあった。

 チョウジタウンのチョウジジム。その場所を訪れるのは、麦わら帽子を被った小柄で金髪の人物。

 

「こんにちわ、シズクさん!」

「はい、いらっしゃい、イエローさん」

 

 悪人顔でスキンヘッドな男性と笑顔で挨拶を交わすのは"イエロー・デ・トキワグローブ"。

 四人目のカント―図鑑所有者にして、かつての四天王事件を解決に導いた立役者の一人でもある"少女"だ。

 はてさて、そんな少女が一体どうしてチョウジジム等に用があるのか。

 彼女はあまり争いを好まない性格をしている。ポケモンバトルだって、あまり得意では無い。

 では何故か。

 決まっている。

 

「ふふっ、クリアさんならまだ戻ってませんよ」

「え? わっ! わわっ! い、いえ、そんなつもりじゃ……ない、訳じゃない……ですけど……」

 

 ジムの中を密かに覗き込んでいたイエローは、シズクの言葉に慌てて対応しつつも、しかし否定の言葉は出さない。

 元より、彼女がクリアに寄せる特別な感情については、最早周知の事実である。

 しかしして、その事をイエローは一部の者しか知らないと思っている訳だが、それでもやはりクリアという少年との仲が特別良い事を無理に否定するまでもない。

 彼女が初めて旅に出た時、クリアという少年は彼女の最も身近にいた。

 クリアという少年が初めて旅に出た時、彼女はクリアの最も身近にいた。

 故に、イエローがクリアの事を特別気にかけてる事を周囲に隠す事は今更なのである。

 尤も、それが"恋心"ともなれば話は別なのだが。

 

「そろそろ一か月経ちますね。クリアが旅立ってから……」

「もうそれ位になりますか。早いものですね」

 

 一か月前、クリアという少年は一枚の挑戦状を受け、シンオウ地方へと旅立った。

 宛先はクリア、差出人はシンオウ地方のジムリーダーであるという。

 当初は、一週間もすれば帰ってくると当人は言っていたのだが、それから何の連絡も無しに一か月である。

 イエローで無くても、彼の知人ならばそろそろ本気で心配になってくる頃だろう。

 それも"今この時期"である。"ワタルの忠告"を知っている者ならば尚更だ。

 

「大丈夫ですよ、クリアさんなら。その事は、貴女が一番良く分かってるのではないですか?」

「……えぇ、それはまぁ。クリアはこっちが本気で心配してる時に、何故か他地方のラジオに出てる様な人ですけど……」

 

 乾いた笑いと共に出たイエローの言葉だったが、彼女が話す当時の時にシズクはまだ知り合ってはいない。故に彼は、頭の上にクエスチョンマークのみを浮かべてイエローの言葉を聞き流した。

 

「……だけど」

 

 だけど、そう続けたイエローの顔に、不意に寂しげな、それでいて何か気に召さない事でもあるのか少し怒った様な声色で少女は続ける。

 

「それでもボクは心配なんだ……クリア、昔ボクと"約束"してくれたけど、でも全然信用できないし……」

「は、はは、手厳しいですね……」

「そんなの当たり前だよ! だってクリアってば、シント事件(この間の事件)の時だって大怪我だったし!」

「……擁護の言葉が見つかりませんね」

 

 あまりの興奮の為か丁寧口調が抜け掛けてる事に、果たしてこの眼前の少女は気づいているのだろうか。

 等という事を作り笑いを浮かべつつ少女の応対をするシズクだったが、そんな彼の視線の先で、再び少女は表情をコロリと変える。

 

「それに、今の状況が凄く"似てる"気がして、多分ボクの不安の大半はその事だと思うんです……」

 

 今度は不安げな表情を見せる少女に、シズクは不思議そうに尋ねる。

 

「"似てる"……とは?」

「それは……」

 

 少女が答えようとする。その間、ドサリ、という何かが落ちた音が二人の後方から鳴った。

 少女と男は音のした方へ同時に視線を送り、音の正体はふらつきながらもむくりと立ち上がる。

 その姿を視認して、シズクは思わずその名を呼んだ。

 

「デリ……バード?」

 

 その姿を視認して、少女の脳裏にはかつての記憶が鮮明に蘇った。

 "四天王事件"。そう呼ばれる戦いの始まりの時。

 切欠は、"一枚の挑戦状"と"レッドのピカ"だった。

 

 "レッドの下に届いた一枚の挑戦状"を切欠に彼はそれから行方知れずとなり、そして事件は"帰還したボロボロのピカ"の存在により発覚したのだ。

 ――まさに、今この状況の様な展開で。

 

「それは……四天王事件の時と、今の状況が凄く似ていると、そう思って……"いた"んです!」

 

 それだけ告げて、そして少女は誰よりも早くデリバードの下へと駆けていくのだった。

 

 




今後の更新予定について活動報告の方に上げております。今後の更新が気になる方はそちらをチェックして貰いたいです。

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