「・・わかった。管理局にもう一度尽くしたい。この体、アウイン・アルパイン一等陸佐に預けたい。そして嘗てレジアスと共に誓い合った正義を貫き、ミッドに平和を齎したい!」
「・・・せいぎ」
「どうした?」
「ぜすと?わたしは・・・みっどのへいわをねがって、いまのかんりきょくのしすてむをかくりつした。でもそのかていで、どうしてもいのちをおとした、もしくはきりすてたしょくいんがいた。りゆうがなんであろうと、ひとがしんだことにちがいないし、しぬかていでわたしがかかわっているのであれば、わたしもさつじんしゃ。そのひとやそのひとたちのかぞくにとって、わたしは「あく」になる。わたしは「せいぎ」?それとも「あく」?わたしは・・・れじあすやぜすとと、もういっしょにいられない?わたしはすてられる?」
正義、悪・・・これは難しい問題だ。レジアス、ゼストの正義は、他の者にとっては悪かもしれない。それを突き通すのは争いの元だ。前世、そして現世においても、それは歴史が物語っている。宗教による戦争、主義、主張の違いにより戦争・・・だから俺が目指すのは、平和な世界ではなく、「俺が生きている間に戦争が起こらない世界」だ。そのためには正義などという概念は必要ない。必要なのは「基準」だ。
例えば普通に考えて人殺しという殺人は「悪」になる。私利私欲や自分勝手な理由で殺人を犯す者・・・これらは悪である。しかし30年以上の介護疲れの果てで起こった殺人、意図しない行動で人を殺してしまった殺人。殺人は許されるものではない。しかし殺人=悪とするのは間違っている。もしも殺人=悪であるならば、俺は間違いなく「悪」だ。だから管理局は正義の味方ではいけない、もちろん悪人でもない。
勿論この考え方はいずれ破綻する。当たり前だ、自分達に有利な基準を定めてしまえば、自分達に有利な世界を作ることが出来る。そうなれば、管理局の腐敗、もしくは独裁者による独裁政治の完成だ。だが、皆がこの問題点を知っている事で、独裁者等の発生は事前に予防できる。しかし所詮予防策であり、防止策ではない。大きな戦争により、世界が混乱したら、その隙を突けばいい。
勿論この基準は基準を定める事で、人々はのびのび暮らせる。勿論「基準」はあくまでも「基準」であり、基準の中にも不完全なもの・・・抜け穴のような事もあるだろう。そこに目をつけ利用する者もいる。でもそれでいいと思う。どんなに完璧なシステムでも不完全なプログラムは発生する。それを皆でどのように改善するのかを考える・・・そして今の管理局はそのシステムの土台をしっかり作っておく。後は未来の管理局員が考えればいい。
まぁ言ってしまえば他力本願な所もあるが、流石に未来のことまでは俺は責任は負えない。そういう事で2人には悪いが「正義」については諦めてもらう。勿論説得には「泣き落とし」という俺にしか使えない武器を使用する事で、中年のおっさん達は見事に撃沈した。
さて、そろそろこの茶番劇を終わらすとしよう。始まりがあれば終わりがある。