……だって日常とか名に書けばいいのかわからないんだもん!(ジョージボイズ)
私がこの世界に来てからもう五年も経った。
五年もいるものだからもうこの世界での生活が見に染み込んでくると言う物だ。低水準な食事はもうすんなり喉を通るようになったし、多少の空腹は「ああいつものか」とあっさりと流せるようになった。人としてどうなんだろうと思うが環境適応だと思えばたいしたことはない。
それより重要なのはブリテン生活一年目でマーリンという胡散臭そうな爺臭い青年がこちらに干渉してきたことだ。アルトリアに竜の因子を仕込んだ張本人なのだからいつ現れるかと思っていたが、割と直ぐに現れてくれた。
まずケイに預けたアルトリアを家族丸々引き取って、自身の暮らす塔で騎士としての英才教育を施すとかなんとか言っていたが、やっぱり王としての教育を刷り込むつもりなのだろう。
ケイ兄さんは猛反対というわけでは無いが、若干の抵抗を見せていた。村を離れて胡散臭い魔術師の元に行くくらいならば確かに現状維持を選ぶだろう。しかしマーリンは安定した生活環境を持っているため、アルトリアのためにも着いて行くという選択も有りと言えば有りであった。
個人的に全然信用できないため私も少し抵抗気味であったのだが、アルトリア自身が着いて行く気だったので潔く折れてしまったのは私とケイ。仕方なく胡散臭い花の魔術師に着いて行くことになった。
そして珍しく花の魔術師が驚いていたのは、アルトリアがほぼ完璧な魔力放出を習得していたことが知れた時だっただろうか。この時ばかりは「してやったり」という私の感情が顔に出ていた。
マーリンは大層興味深げに私を観察しては私の料理を称賛したり剣技を褒めたり――――どうやらその時から私はあの馬鹿に観察対象にされていたらしい。実に傍迷惑だ。
とはいえそこまで悪いことだらけでは無かった。
私はマーリンから魔術師になる才能があると言われた。
素質だけの話ならばマーリンの足元にも及ばないらしいが、持っている魔力回路の質と量が尋常ではないらしい。というか質や保有魔力だけならば順当に修行を重ねていけば将来自分と肩を並べられるだろう、と本人は言っていたがいまいち実感がない。どうせあっちの誇大広告だろうが。
まぁなんやかんやで私の才覚がわかった瞬間から世界でも有数の最高峰魔術師であるマーリン直々の魔術講座が始まった。
時間はたっぷり。教師も最高の魔術師と来たのだから――――その数年後、出来上がったのは凄まじい物であった。
自力で高速詠唱スキルを習得しての高ランク大魔術連発が可能になったと言えばいいか。凡そ数分で草原を焼け野原程度にできるほどの腕前にはなった。マーリンと比べればまだまだだが、魔術師の頂点の一人と比べるのは筋違いだろう。
そんなこんなで、私もアルトリアも一人前の人間として無事育つことができたわけだ。ケイはマーリンに見向きもされなかったので自己鍛錬に勤しむしかなかったが。あの泣きそうな横顔は見ていてこっちも泣きそうになった。不憫だな、兄さん。
でだ。あれからもう五年たったのだ。
――――今日が、運命の日であった。
あのクソジジイ――――マーリンは実は数年前から予言をブリテン中に広めていた。
曰く、『運命の日、その時選定の剣を抜く者が栄えある王となる』と。成程、私がこの世界に来て真っ先に排除すべきはどうやらマーリンの野郎だったらしい。だがもう遅い。何せ今日が運命の日なのだと私は初めて聞かされたのだから。わざと隠していたのだろうが。用意周到過ぎてぶん殴りたくなるよあのジジイ。
が、何事もそう上手く行くはずなく。もう予言から数年だ。
何年も経てば『予言が成就しないのでは?』と思う輩も現れる。だからこそ、運命の日と重なる様に天下一武闘会よろしく馬上試合による王の決定戦を執り行うことが数日前から発表されていたのだ。
存在してから十年以上誰も抜けていない岩に突き刺さった剣と、試合に勝ち上がっただけで王になれる大会。
どちらが大事かは一目瞭然。
おかげでその運命の日とやらのはずなのに、選定の剣が突き刺さった丘の周りには人は殆どいない。
ここまで来るとマーリンの人徳を疑ってしまう。いや、碌でもない奴なのは数年も一緒に暮らしていれば丸わかりなのだが。
しかし好都合でもあるのだろう。マーリンはまるでわかっていたかのように、アルトリアを朝早くに私に内密に丘に向かわせた。
そう、人がいないのが幸いして『小娘が剣を抜けるわけがない』と門前払いを食らわずに済むのだ。
謀ったなマーリン! と叫びながら私は全力疾走でアルトリアが向かった丘へと駆けつけたが――――既に終わっていた。
「姉、さん……」
選定の剣――――『
全く心の準備も何もできていないアルトリアは、信じられない物を見るような目で手に持った剣を見つめている。
「アル、それは」
「私は、一体どうすればいいのでしょうか……? 私は――――」
抜けるとわかっていたら、抜いていない。
そんな顔で、アルトリアはすがるような目で私を見る。マーリンのクソジジイ、やってくれやがった。本当に悪趣味な奴だと心の中で吐き捨てながら、私はアルトリアの傍に駆け寄り、その体を優しく抱きとめる。
選定の剣が抜かれた以上、あのマーリンがじっとしているわけがない。大方大会が行われている広場で今起こっていることを公表するだろう。戻したところで『もう一度やってみろ』と言われておしまいだ。
だから私にできることはこうやって妹の不安を取り除くことくらいだ。
肩を小さく震わせたアルトリアは手から剣を取り落とし、その手を私の腰に回して力一杯に抱き付く。
……あの花の魔術師の顔、一度くらいはたんこぶだらけにしてくれようか。
「ごめんなさい……ごめんなさいっ…………!」
「…………アル、大丈夫。貴女は強いんだから。一人じゃないから。みんなが、助けてくれる」
「姉さん……う、ぅっえええっ、ひぐっ」
アルトリアが私の胸の中で号泣する。
――――マーリン、お前は後で殴る。
妹を泣かせるなど四肢を切り落としても許さない。アイツは死ぬより悲惨な結末を与えてやる……あ、そういえばアヴァロンの幽閉塔に閉じ込められて星が滅ぶまで死ねないんだったっけ。ざまぁ。いや、出ようと思えば出られるらしいが。
その後、大量の甲冑姿の民衆が駆けつけてくるまではそう時間はかからなかった。
打ち合わせ通りにアルトリア――――改め、アーサーは私が即席で用意した男服を着た姿で『
それに応え黄金に光る選定の剣。それは紛れも無くこの少年がブリテンの『王』であることを示す威光であった。
平伏す民衆。目的を達成して満面の笑みを浮かべるマーリン。
王としてここに誕生した、無表情のアーサー。
そして、複雑な感情に埋め尽くされた顔で
ブリテン王の新生の時、私は唯一悲観の心を抱いた。
その心を知ってか知らずか、アーサーの顔は一瞬だけ――――深い悲しみに塗られていたのだった。
◆◆◆◆◆◆
「マァァァァリィィィィィイイイイイイイイイイイイイイイイイイインッッ!!!!!」
まず聞こえたのは塔の中でマーリンの胸倉を掴み上げて絶叫しているケイの姿であった。
血走った眼で少し剣が得意なだけの青年が年齢不詳の最高位魔術師を恐れず睨みつけている様は、肝が太い私でも少々冷える物があった。
しかし彼の行動は正しくもある。
十年近く共に暮らしている義妹を、こんなどうあがいても滅亡するしかなさそうな国の王に仕立て上げられたのだ。こんな胡散臭い魔術師に。キングメーカーというふざけた二つ名がその苛立ちを更に加速させる。
私も実を言うと影で練習していた北斗百裂拳をあいつに炸裂させたい気分なのだ。それをケイが代わりになってくれているのだから、感謝してもしきれない。妹思いのツンデレ兄は今日も元気に妹のために動いてるよ。
……本音を言うと今すぐアルを拉致して島を出たい気分なのだが、マーリンがそんなことを許すはずがない。そんなことをすれば待っているのは次元のはざまで永久の幽閉かそれとも魔獣によるリンチか。
それほどまで巨大な力を持っているのだ、この花の魔術師は。
「落ち着いてくれよ、ケイ。こんな形では話もできないだろう?」
そしてこの状況で悠々な態度で言葉を紡ぐ花の魔術師。
こいつ本当に此処でくたばった方が世界のためなんじゃないかな、としみじみ思う。
「お前っ、よくもっ…………よくもアルをッ!!」
「アーサー、だろう?」
「ッッッ…………ッォォォオォオオオォォオォォォッ………」
堪忍袋がはち切れんばかりの怒りを抑えて、ケイは掴んでいたマーリンを離す。
ケイはちょっとしたきっかけで
それとアルトリアは現在、精神的な疲労もあって部屋で休んでいる。それにこの話はあの子に聞かせられる類ではないだろう。
「で、アルフェリア。君は私に何か言う事はあるかい?」
「ない」
「理由を聞いてもいいかな」
「こうなることはわかっていた。貴方みたいな存在が干渉してきた時点で嫌な予感はしていたからね。それに、アルの修練に付き合っていた身としては……魔力が異常だったから、何かされてるな、って思った。で、貴方がこちらに接触してきたという事は、貴方がアルに『何かをした』という事。要するにアルは生まれた時から王になるために『調整』されたと推測した。だから分かったよ。貴方はどんな手を使ってでもアルをブリテンの王にするつもりだって。だから、諦めた。彼我の実力差は理解しているつもりだし。罵詈雑言をぶつけたいのは山々だけど、言葉で言った所で何かが変わるわけでもない。だから何も言わない。受け入れる心の準備はできていたしね」
「……だとさ、ケイ。君の方が年上だと言うのに、こっちの方がまるで君の姉だ」
こいつ胃痛でケイを殺すつもりなのだろうか。
何かを悟った様にケイは今まで見せた中でも一番酷い表情で、深い溜息を吐いて天井を仰ぐ。
一言で例えるなら、死人の表情であった。
しかしそういう表情をするという事は、薄々わかっているのだろう。
もう結果は変えられない。後は成り行きに任せるしか先に進む道は無い。妹を連れて逃げてもマーリンに始末されるだけ。
できることは、隣で我が義妹を支えること程度。
そんな葛藤が滲み出るため息を吐きながら、ケイは天井から私に視線を変えた。
「アルフェリア、お前はどうするんだ。アルに着いて行くのか。それともこの胡散臭い魔術師の元で魔術の腕を磨くのか?」
ケイとしては前者の選択をしてほしいのだろう。しかしマーリンは希少な観察対象を失うのは惜しいと思っているのか少々珍妙な顔をする。
けど私はどちらも選ばなかった。
選んだのは第三の選択肢だ。
「フランスに渡る」
それを聞いた途端、ケイの顔から表情が抜け落ちた。マーリンに至っては予想外の答えが嬉しいのか、殴りたくなるくらいに爽やかな笑みを浮かべている。
「何故だ!? あの子には今お前が必要なんだぞ!?」
「わかってるよ。でも私が傍に居ると、あの子が成長できない。私、あの子が危機になると余計な手出ししそうだから。それじゃ、あの子のためにならないでしょ?」
「しかし……お前を失えば、アルがどんな気持ちになるか」
「うん。まぁ、そこはケイ兄さんの出番だよ。どうにか説得してね」
「俺任せかよ!?」
「それに、武者修行も兼ねているから。今の私じゃ、王になった時のあの子は守れない。だから海の向こうで強くなってくる。当面はそれが目的かな」
「…………そうか。もう、選択は決まったのか」
残念ながら、何年も前から決めていたことなのだ。
今更そう簡単に変えるわけにもいかない。歴史に可能な限り干渉せず、抑止力の目を避ける方法はこれしかないのだから。
私の出番は。私が消えていいのは。
一番最後の瞬間なのだから。
「私としては、出来の良い弟子がいてくれると助かるんだけどね~」
「忘れたの? 私の妹を泣かせた罪は重いよマーリン」
「あちゃ、やっぱ駄目?」
「駄目。むしろたった一発殴っただけで済んだことにありがたいと思ってくれないかな」
「はっはっは、しょんぼりしちゃうなぁ」
相変わらずウザい奴だよマーリン。死ぬまで絶対変わらないだろうなこいつの性格は。
「それじゃあ、今日旅立つのかい?」
「ええ。別に急ぐ理由も無いけど……かといって時間を無駄にするわけにもいかないから」
「ふんふん。ではこの大魔術師マーリンが一つプレゼントを贈りましょう」
そう言ってマーリンは指を鳴らす。
すると食卓の上に一本の剣が何もない空間から出現した。空間転移の魔術を詠唱も無しに発動するとは。伊達に大魔術師と名乗ってはいないらしい。性格は最悪のくせに実力は一級品なのだから本当に性質が悪い。
「これは……選定の剣?」
「いや、正確にはその
私は卓上に置かれた剣を取り、豪華な装飾が施された鞘から黄金色の剣を抜き放つ。
確かにあの時アルトリアが握っていた剣と同じ風貌だ。纏う気配という物が類似している。少々憎たらしい存在ではあるが、剣としては名剣と言えるだろう。
「……ん? ちょっと待って、
「そうだよ? ウーサーに頼まれてね。むしろ、私以外にあんなものを作れる奴が居るなら、是非拝見したいね。とは言っても、そこまで手間暇掛けたわけでもないけど」
確かに特定の条件にあてはまる人物でなければ抜けないという仕組みは魔術でなければ不可能だろう。
まさかアルトリアが生まれる前から既に仕込みを終えていたとは――――罪状が増えたな爺め。
「でも、失敗作ってことは」
「そう。その剣はちょっと『剣』としての機能を重視した代わりに、肝心の『王を選ぶ』機能が欠けていたんだよ。いやぁ、一番重要な機能を付け忘れるとは、あの時の私は抜けていたよ。はっはっは」
「つまり、強度や切れ味なんかはこっちの方が上ってことね」
「そういうこと。それがあれば魔獣程度なら両断できると思うよ~?」
「……くれるなら有り難く貰って置く」
少々鞘が派手だが、布でグルグル巻きにしておけば大丈夫だろう。
私はマーリンからの贈り物を頂戴し、予めまとめていた自分の荷物の入ったカバンを肩に掛ける。
早いが、もう旅立ちの時だ。
運命の日が出立の日とは、縁起が良いのか悪いのか。
「――――姉さんっ!!」
閉じられていたアルトリアの部屋の扉が開き、そこから金色の影が私に飛びついてくる。
それは涙で顔をくしゃくしゃにした我が妹の姿であった。行かせないと言わんばかりにアルトリアは私を抱きしめ、嗚咽を漏らしている。
どうやら、もう起きてしまっていたらしい。しかもよりにもよってマーリンと私の会話まで聞かれてしまった。
義理とはいえ自分の姉が何も言わずに旅立とうとした。自分から離れようとしたのだ。ショックも悲しみも大きいだろう。この涙がその証拠だ。
それを見て酷く胸が痛む。
だが一緒に居れば何が起こるかわからない。
私だって何もないなら離れたくない。ずっと一緒に居たいのだ。
だけどそれは双方のためにならない。
別れの挨拶の様に、私もアルトリアを力強く抱きしめる。
「嫌だ……一人に、しないでっ…………行かないで、くださいっ……!」
「アル……」
「ひぐっ、うっ、え」
号泣しながら愛しの義妹は引き留めようとする。
だけど、駄目だ。
これが私のためでもあり、アルトリアのためでもあるのだから。
「ごめんね」
「……っ、どう、して」
「だけど、約束する。必ず帰ってくる。何年かかるかわからないけど、貴女に降りかかる脅威を取り除くための力を手に入れて、必ず戻ってくるから。――――いつでも私は、貴女の姉だから」
「…………姉、さんっ」
「さようなら、アルトリア。またいつか会いましょう」
「っあ」
昏睡の魔術を使い、アルトリアの気を失わせる。まさかあのマーリンから学んでいたことがこんな所で役に立つとは。
私はケイにアルトリアの体を預け、改めて踵を返し背を向ける。
呼び止める声は無かった。
マーリンも何も言わずにただ見ている。
塔から出る扉を開き、静かに私は別れの言葉を告げる。
「いずれまた会うその日まで。――――あと私以外の原因でアルを泣かせたらぶっ飛ばすからね」
柄にも似合わず、私は最後まで一人の少女の姉としての言葉を送り、塔から立ち去った。
離れるたびに「これでよかったのだ」と自分に言い聞かせる。
酷い後悔が胸を絞める。
だけど――――だからこそ。
私は何時か絶対に妹と再会しようという気持ちが、底なしに溢れたのだった。
黄金の剣の贋作を握りしめ、私は歩き続ける。