バカと私と召喚獣   作:勇忌煉

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 バカテスト 強化合宿の日誌

 強化合宿二日目の日誌を書きなさい。


 姫路瑞希の日誌
『今日は少し苦手な物理を重点的に勉強しました。いつもと違ってAクラスの人たちと交流しながら勉強もできたし、とても有意義な時間を過ごせました』

 教師のコメント
 Aクラスと一緒に勉強することで姫路さんに得られるものがあったようで何よりです。今度の振り分け試験の結果次第ではクラスメイトになるかもしれない人たちと交流を深めておくと良いでしょう。


 土屋康太の日誌
『前略。
 夜になって寝た』

 教師のコメント
 前略はそうやって使うものではありません。


 吉井明久の日誌
『全略』

 教師のコメント
 あまりにも豪快な手抜きに一瞬言葉を失いました。


 水瀬楓の日誌
『明日から本気出す』

 教師のコメント
 その本気を少しでも勉強に向けてくれると助かります。





第三問

「……楓。じっとして」

「は~い」

 

 様々な理由で掻いた汗を流すべく、AEFクラスの女子が集った旅館の女子風呂。

 お風呂に浸かって疲れを取るため、一糸纏わぬ姿となった私は、身体に白いタオルを巻いた翔子に後ろから髪を洗ってもらっていた。

 あれからも瑞希のお説教は続いたが、『今後は部屋を出る前に一声掛ける』という条件で解放してもらった。彼女は心配性なのかもしれない。

 

「霧島さんと楓ちゃん、仲が良いんですね」

 

 そう言ったのはさっきまで私を叱りつけていた瑞希だ。タオル一枚を挟んでいるというのに、彼女の大きな胸は主張をやめてくれない。

 その隣には瑞希の胸を睨みつけ、今にも涙を流しそうな表情になっている島田さんがいる。こちらはタオル一枚を挟んでも真っ平だ。

 

「……去年クラスメイトだった」

「そゆこと」

 

 入学して間もない頃。訳あって孤立していたらしい私に、恐ろしいほどしつこく声を掛けてきたのが翔子だった。なんであんなに声を掛けてきたのか、私の中では今でも謎となっている。

 

「……終わった」

「んじゃ、次は翔子ね」

「……うん」

 

 お次は私が翔子の後ろに回り、彼女の黒髪を丁寧にシャンプーで洗っていく。どうやったらこんなに艶のある髪を維持できるのだろうか。

 泡だらけになった髪をシャワーで綺麗に流し、間髪入れずにコンディショナーを使う。面倒だけど、髪の質を保つためには必要だからね。

 翔子に「流すわよ」と一声掛けてからシャワーで洗い流し、今度は彼女の背中を予め用意していたボディシャンプーが付いた手拭いで、ゴシゴシと洗っていく。……そうだ。

 

「瑞希。私の背中、洗ってくれない? あと、島田さんが瑞希の背中を洗ってくれると嬉しい」

「それって……」

「洗いっこですね!」

 

 そう、私は洗いっこがしたいんだ。二人以上いるときに、座ったまま一列になって前の人の背中を洗う、あの洗いっこがしたいのよ。

 翔子はもちろん、瑞希も島田さんも快諾してくれたので、さっそく翔子←私←瑞希←島田さんの順で背中を洗っていく。これを、これを生きているうちに一回はやりたかったんだ……!

 

「ん~気持ちいいわぁ~」

「……少し痛い」

「あぁ、ごめん」

「こういうのって男子がするものだと思ってたけど……」

「女の子同士でもできるものなんですね」

 

『歯ぁ食い縛れぇっ!』

『ごぶぁっ!?』

 

 前の人の背中を洗いつつ、皆でわいわいと盛り上がっていると、外からアキ君の断末魔と鉄人の喝が辛うじて聞こえてきた。……まさか、犯人を確かめるためだけにここまで覗きに来たの?

 他の三人をチラ見で確認するも、洗いっこと雑談に夢中で外の騒ぎに気づいている様子はない。これは幸いと捉えるべきだろうか。

 洗いっこを存分に堪能したところで、一応外の様子を確かめようと皆に一声掛けてから脱衣所へと向かう。一体何が起こっているのやら……。

 

「ん?」

 

 脱衣所に入ったところで、誰も気にしないであろう部屋の隅が一瞬だけキラリと光った。どうやら灯りが何かに反射したようだ。

 怪しまれないよう周囲を警戒しつつ、その隅をこっそりと覗いてみると、ムッツリーニが使っていてもおかしくない小型カメラが置かれていた。小山さんが見つけたやつとは別のものだね。

 

「うわぁ……」

 

 なんでこんなものが、と考えるまでもない。間違いなく、アキ君と雄二を現在進行形で陥れている奴が仕掛けたものだろう。

 そうと決まればすぐにでも回収したいところだが、今持ち出せば再びアキ君達に盗撮の容疑が掛けられる。しかも下手すれば私まで犯人扱いされ、アキ君達との間には深い溝ができてしまう。

 

 

 ――私にできることは一つだけだ。

 

 

「おぉ、あったあった」

 

 自分の着替えが置いてあるロッカーから、万が一に備えて持ってきたコップを取り出し、洗面所でそれに水を入れていく。幸いなことに、録音マイクは仕掛けられていないから音の心配はない。

 そしてカメラの元まで持っていき、コップに溜めた水を上から容赦なくカメラにぶっ掛けた。これでカメラは壊れたはずだが、問題はその事実がいつ犯人にバレるかだ。向こうも壊れたカメラをそのままにしておくほどバカではないだろう。

 

「…………またアレの出番かな」

 

 翔子達を待たせていることもあり、次の一手を考えつつ浴場へと戻る。それと明日、どうやって秀吉の個室風呂へ行くか考えておこう。

 

 

 

「……雄二。一緒に勉強できて嬉しい」

「待て翔子、当然のように俺の膝の上に乗ろうとするな」

「翔子はこっちに座ろうね~。それはちょっと早すぎるから」

「……うん」

 

 強化合宿二日目。今日の予定はAクラスとの合同学習となっていた。どうせやるなら筆記や暗記といった普通の勉学よりも、召喚獣の操作練習の方が良いと思ったのは私だけだろうか。

 学習内容は基本的に自由だし、質問があれば他の生徒や教師に聞くこともできる。言ってしまえばただの合同自習である。合宿を行ってまでやることが単なる自習とはこれ如何に。

 

「……楓は寝てる暇があるなら、数学をやった方が良いと思う」

「そんな教科、この世には存在しないわ」

 

 現在、この学園で確認されている教科は現代国語、古典、物理、化学、生物、地学、地理、日本史、世界史、現代社会、英語、保健体育、総合科目の13教科だ。数学なんて都市伝説よ。

 

「楓。これを見るんだ」

 

 何か言われる前にもう一度寝ようとするも、アキ君が呆れたように一冊の本を差し出してきたので、それが何の本か横目で確認する。

 

 

 数学の教科書(仮)

 

 

 どうしてありもしない空想上の産物が、今ここにあるのだろうか。

 

「ダメじゃないかアキ君。英語の教科書に数学なんて書いちゃ」

「さてはキサマ、数学を都市伝説か空想上の産物だと考えているな?」

 

 幼馴染みって怖い。

 

「代表、ここにいたんだ」

 

 次はどう言い訳しようか考えていると、タイミング良く見覚えのあるボーイッシュな女子がやってきた。Aクラスの工藤愛子さんだ。

 彼女は魅惑的な台詞の混じった自己紹介を終えると、さっそく短いスカートの裾を摘まんでアキ君を誘惑し始めた。私としては助かったとしか言いようがない。ありがとう。

 

「えっと、水瀬さんだっけ?」

「何?」

 

 工藤さんに心の中で感謝していると、その工藤さんにいきなり話しかけられた。

 

「昨日、代表達と洗いっこしてたよね?」

「それが何か?」

「次はボクも混ぜてよ」

「うん……うーん?」

 

 どうして今になって、昨日の件を引き出してきたのだろうか。洗いっこなら同じクラスの木下さんや佐藤さんとやればいいのに。

 

「いやー、見てて楽しそうだったからさ」

「……あぁ、そういうことね」

 

 特に断る理由がないのでこれを承諾し、さりげなく数学の教科書(仮)をアキ君に返す。

 ちなみに工藤さんはスパッツを履いているようで、それを知ったアキ君が『畜生がっかりだ』とでも言わんばかりに騙された人の顔になった。いや実際に騙されたんだけどね。

 そんなバカ馴染み(とムッツリーニ)の純情を弄んだ工藤さんは、笑いながら小型録音機を取り出した。もう嫌な予感しかしない。

 

 

 ――ピッ 《工藤さん》《僕》《こんなにドキドキしているんだ》《やらない?》

 

 

「わああああっ! 言ってもないことを再生しないでよ!」

「どう? 結構面白いでしょ?」

 

 録音機のターゲットにされたのがアキ君で本当に良かった。私だったら一番やりたくない実力行使でしか止められないし、何より――

 

「……ええ。最っっ高に面白いわ」

「……本当に、面白いですね」

 

 ――刺激的だから。身体が疼きそうなほどには。いや~心が満たされるわ~。

 

「瑞希。アレを取りに行くの、手伝ってもらえる?」

「喜んでお手伝いします」

「やめなさい」

 

 部屋から出ようとする瑞希と島田さんを、少々強引に引き止める。このまま行かせてしまえば、この空間にアキ君の汚い悲鳴が響き渡ってしまう。それだけは衛生的な意味で避けないと。

 当然、止められた二人は不満そうな顔で私を見てきた。安心しなさい。誰もアキ君へのお仕置きを止めたわけじゃないから。

 ……決して、決してアキ君を助けようとしたわけではない。人のお尻を堂々と見ようとした奴を簡単に助けるほど、私は優しくないからね。あくまでソフトな刺激が欲しいだけだ。

 

「別に止めるわけじゃないから、今回はコレで我慢しなさい」

 

 そう言って買ったばかりの、何も書いていないA4ノートを瑞希に差し出す。

 

「ノート……ですか?」

「そっ、ノート」

「そっか! コレの角で叩けばいいのね!」

「ご名答!」

「畜生! 君なら助けてくれると少しでも思った僕の期待を返せ!」

 

 何か期待していたようだけど、残念だったねアキ君。私は刺激のためなら手段を選ばない。だから犠牲も止む無しなんだよ。

 そんな私達をよそに、雄二は真剣な顔で工藤さんから再生された台詞が録音した会話を合成したものであるかを聞き出していた。

 ……なるほど。今の手際の良さを見て、工藤さんが例の犯人かもしれないと思ったのか。

 

「工藤さん。キミが……」

 

 小声で雄二に確かめるよう頼まれ、工藤さんを正面に見捉えて口を開くも、要件を言いかけたところで固まるアキ君。さすがに真っ向から聞き出すのは危険と考えたのだろう。

 普段は使うことのない頭を必死に使い、目を泳がせるアキ君。わかりやすいわね。

 

「き、キミが――」

「ボクが?」

「キミが――僕にお尻を見せてくれると嬉しいっ!」

 

 彼はもう手遅れだ。

 

「い、今のは違うんだ工藤さん! 別に僕はお尻が好きなわけじゃなくて!」

「さすがだな明久。録音機の前でそんな発言ができるとは」

 

 雄二の言葉から察するに、どうやら今のアキ君のセクハラ発言も工藤さんはしっかりと録音したようだ。その証拠に、彼女はからかうような笑顔で持っている録音機を再生しようとしている。

 

《僕にお尻を見せてくれると嬉しいっ!》

 

 というか再生された。

 

「ひあぁぁっ!? お願い工藤さん! それは消してください!」

「あはは、吉井君はからかい甲斐があって面白いなぁ」

 

 

 ――ピッ 《お願い工藤さん!》《僕にお尻を見せて》

 

 

「もうやだぁっ! どんどん僕が変態になっていくー!」

 

 さっきの発言でとっくに手遅れなアキ君ではあるが、これはさすがの私でもどうやってフォローすれば良いのかわからない。というか、昨日の件もあるから正直言ってフォローしたくない。

 そんな変態のレッテルを貼られつつある彼の後ろには、的確に脳天を叩こうと私があげたノートで素振りをする島田さんと、アキ君を縛る気満々であろう、縄を構える瑞希がいる。

 

「二人とも、これは誤解なんだ! 僕はただ純粋に《お尻が好きな》だけなんだ――待って! 今のは途中で音を重ねられたんだ! あと皆も笑ってないで助けてよ! 特に雄二!」

 

 彼女達の存在に気づいて必死に弁解するアキ君だったが、工藤さんの追撃でその二人に後ろ手に縛られる寸前にまで追い詰められた。

 いよいよ年貢の納め時か。そう思ったその時、一人の男が立ち上がった。

 

「…………工藤愛子。おふざけが過ぎる」

 

 その男――ムッツリーニは立ち上がると、工藤さんと同じように小型録音機を構えた。まぁ確かに、諜報専門の彼なら上手く対処できるだろう。

 

「姫路さん、美波。よく聞いてほしいんだ。さっきのは誤解で、僕は《お尻が好き》って言いたかったんだ。《特に雄二》《の》《が好き》ってムッツリィーニィィーッ!」

 

 少しはマシになると思っていた私が甘かった。さっきよりも明らかに酷くなっている。

 

「…………お前はまだ甘い」

「さすがはムッツリーニ君……!」

 

 発狂したかのように喚くアキ君とよそに、ライバルの如く火花を散らす保健体育コンビ。この二人、結構お似合いかもしれない。

 そして雄二が取られると思ったようで、翔子はアキ君に『雄二は渡さない』と宣言していた。当の本人は物凄く嫌そうな顔をしているが。

 

「そんなに坂本のお尻がいいの……? ウチじゃダメなの……?」

「前からわかっていましたけど、そうはっきり言われるとショックです……」

 

 この二人に至っては完全にアキ君を同性愛者扱いだ。もちろん、彼にそんな趣味がないことはこの私が一番よく知っている。

 アキ君が『僕にそんな趣味はない』と言い切ろうとしたところで、学習室のドアが開き、縦ロールの髪をツインテールにした女子が入ってきた。というかDクラスの清水さんだ。

 

「同性愛を馬鹿にしないで下さいっ!」

 

 彼女自身が同性愛者なのもあってか、その発言には恐ろしいほどの説得力を感じる。

 島田さんに会うためだけにこっそり抜け出してきたらしい清水さんは、いきなりその島田さん目掛けて飛びついた。抱き着く気満々だ。

 

「須川バリアー」

「け、汚らわしいです! 腐った豚にも劣る抱き心地ですっ!」

 

 島田さんによって盾にされた挙げ句、清水さんに口汚く罵倒され、涙を堪えて上を向く須川。どうやら彼はマゾヒストじゃないようだ。

 そんな須川には目もくれず、泣きながらも島田さんへの愛を叫ぶ清水さん。ちょっと変わっているとはいえ、その愛は本物だろう。

 その事実をどうしても受け入れたくない島田さんは、首を横に振りつつ叫ぶように清水さんの愛を否定していたが、そこへ待ったを掛けるように、またしても第三者が割って入ってきた。

 

「君たち、少し静かにしてくれないかな?」

 

 誰かと思ったらかつて瑞希に秒殺された、学年次席の久保利光だった。さすがにまともな彼が相手だと罪悪感が湧くのか、アキ君は久保を含むこの部屋にいる皆に頭を下げる。

 

「吉井君か。とにかく気をつけてくれ。姫路さんといい島田さんといい、Fクラスには危険人物が多すぎる」

 

 久保に危険人物として名前を挙げられたのが効いたらしく、アキ君にお仕置きをしようとしていた瑞希と島田さんは困惑し出した。

 ……それにしても、前言撤回をした方がいいかもしれないわ。同性愛者に対する偏見を見逃さない久保もまた、清水さんと同類のようだし。いや、それをバカにする気はないけどさ。

 

「美春はお姉さまを愛しているんです! 性別なんか関係ありません!」

「はいはい、ウチにその趣味はないからね」

 

 収まることを知らない清水さんを、島田さんはやや強引に学習室の外へと追いやった。これで少しは静かになるだろう。それにしても……

 

「「……性別なんか関係ない、か……」」

 

 思わず近くにいた久保とハモる形で、清水さんの捨て台詞を反芻する。何故だろう……この言葉に深く感銘を受けてしまった。

 

「性別なんか関係ない、ですか……」

 

 だが瑞希、アンタはダメだ。その素晴らしい台詞を呟きながら、アキ君と雄二を交互に見るんじゃない。それと頬を赤く染めないで。

 

「ひ、姫路さん。キミが誤解しているのはわかったから、雄二と僕を交互に見るのはやめてもらえる? 知っての通り、僕は《秀吉》《が好き》なんだってちょっと!?」

「み、水瀬よ……。な、なぜ青ざめた顔で後ろからワシの首に手を回しておるのじゃ……?」

「…………!!(ブンブン)」

 

 ダメ。秀吉だけは、絶対にダメ……!

 

「ご、誤解だよ楓。僕は秀吉の《特に》《お尻が好き》なんだ――ってコラそこの二人! 大人しくその機械をこっちに渡しなさい!」

 

 おかしい。こんなのおかしいよ。アキ君から秀吉に対する否定の言葉が出てこない。どうしてさっきみたいに否定しないの?

 しかも信じ難いことに、秀吉は頬を赤くして困惑している。頬を、赤くして。

 

「あ、明久……。ワシは男じゃぞ……?」

 

 いるなら教えて下さい神様。私は一体、何を信じたら良いのでしょうか。

 

「まさかもう手遅れに!? こうなったら、《久保君》《雄二と》《交互に》《お尻を見せて》違う! どうしてここで久保君のお尻を見る必要があるのさ!」

「吉井君。そういうのは少々困る。物事には順序がある」

「わかってる! 順序以前に人として間違っていることも!」

 

 残念ながら手遅れどころか、すでに取り返しのつかない領域まで来ていると思う。まっ、今回は自業自得だと諦めなさい。

 ……ただ、今のアキ君の言い分にはちょっと物申したい。そうと決まれば、この空間がカオスになる前に言ってしまおう。

 

「いやいやアキ君。人としては間違ってないから。そういうのが好きな人もいるわけだし。君のようにさ」

「違う! 僕は断じて尻フェチなんかじゃない!」

「アキってやっぱり女より男のお尻の方が……」

「だからどうして僕をソッチの人にしようとするの!? 僕は尻フェチでもなければ、同性愛者でもないからね!?」

 

 アキ君が必死になって大きな声を出しているのにも関わらず、教室内のざわめきによってそれはあっさりと打ち消されてしまった。

 そしてこの騒ぎは収まる気配もなかったが、最終的に鉄人が怒鳴り込んできたことでようやく終結へと向かったのだった。

 

 

 

『吉井! ここは俺たちに任せて逃げろ!』

『この場の全員で血路を開くぞ!』

『男の意地ってやつを見せてやるぜ!』

 

「向こうは派手にやってるねぇ……」

 

 大浴場付近でFクラスの男子と大勢の女子と教員が激突する中、私は監視の目が疎かになるこの瞬間を狙って、個室風呂の前に来ていた。

 そう、ここは木下秀吉だけが使っている場所。つまり邪魔はいない。残念ながら当の秀吉もいないが、今回は下見だけだから問題はない。

 もちろん、ただの下見ではない。次に来たとき、ここへ楽に侵入するための仕掛けを施しに来たのだ。他の女子生徒は当然のこと、今なら先生の大半が向こうへ出張ってるしね。

 

「おっ、開いた」

 

 周囲を警戒しつつピッキングをしていると、鍵穴からカチャリという音が聞こえた。

 私は間髪入れずに扉を開け、誰かに見られる前に個室の中に入って慎重に扉を閉める。

 

「う~ん……地味なものね」

 

 続いて内装がどんなものか見てみるも、何てことのない普通の個室風呂だった。せめて秀吉の所有物が置いてあれば良かったのに……。

 これじゃ仕掛けを施す必要もないわね。時間的に秀吉が入浴するのはもう少し先だろうし、一旦部屋に戻りましょうか――

 

 ガチャッ

 

「……………………はぁ」

「出会い頭にため息とはなかなか失礼な人ですね」

 

 一時撤退しようと扉を開けた途端、目の前で仁王立ちする鉄人と鉢合わせしてしまった。かつてないほどの緊急事態だが……大丈夫。女子である私なら、きっとこの事態を回避できる!

 

「水瀬」

「はい」

「お前は問題児だ」

 

 まさかいきなり問題児呼ばわりされるとは思わなかった。いくら何でも酷すぎる。

 

「とはいえ、お前も一応女子だ。覗きはさすがにやらないものだと思っていた。だから、今回だけは少しばかりお前のことを信用していたんだ」

「あはは、何を言い出すかと思えば。覗きなんてした覚えはありませんよ? 第一、この部屋には誰もいませんし」

 

 アキ君ならともかく、私が覗きとか心外である。鉄人の目も曇ったなぁ。

 すると私の言うことを見透かしていたのか、鉄人は頭を抱えながら口を開いた。

 

「だが、それは間違いだった。水瀬――」

 

《放送連絡です。Fクラス吉井明久。至急臨時指導室に来るように》

 

「――お前も念入りに指導してやろう」

「さよならっ!」

 

 地獄の宣言をされると同時に走り出し、脇目も振らずに全力で廊下を駆ける。

 冗談じゃない。ここに来てまで、アキ君のように鬼の補習を受けるなんて死んでもごめんだ。絶対に逃げ切ってやるわ。

 ある程度でチラッと後ろを見てみると、少し出遅れたらしい鉄人が物凄い勢いで追ってきていた。相変わらず速すぎるよ。

 

「貴様が女子だからと少し大目に見ていたが、もう容赦はせんっ! 大人しく指導を受けてもらうぞ!」

「そこは今まで通り容赦して下さい!」

 

 私と鉄人による恐怖の鬼ごっこは、秀吉の入浴時間が過ぎるまで続いた。

 

 

 

 


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