以下の問いに答えなさい。
『西暦1492年、アメリカ大陸を発見した人物の名前をフルネームで答えなさい』
姫路瑞希の答え
『クリストファー・コロンブス』
教師のコメント
正解です。卵の逸話で有名な偉人ですね。コロンブスという名前は有名ですが、意外とファーストネームが知られていないことが多いです。
清水美春の答え
『コロン・ブス』
教師のコメント
フルネームはわかりませんでしたか。コロンブスは一語でファミリーネームであって、コロン・ブスでフルネームというわけではありません。気をつけましょう。
島田美波の答え
『ブス』
教師のコメント
過去の偉人になんてことを。
水瀬楓の答え
『クリストファー・クラヴィウス』
教師のコメント
それは16世紀に活躍したドイツ出身の数学者・天文学者のフルネームです。
――静かすぎる。
最初に抱いた感想はその一言だった。
このFクラス、勉強も黙ることもできない最底辺の連中が集っているのだが、今日はどういうわけか物凄く静まり返っている。いつもなら先生の声が聞こえないくらいにはうるさいのに。
ちなみにこの静寂な空間を生み出した元凶であるアキ君は今、もう一人の元凶と言える人物、島田さんを見つめながら頬を赤く染めている。無論、島田さんの方も教科書で顔を隠しながら赤面中である。
「……ねぇ雄二」
「……なんだ、裁判長」
「誰が裁判長よ、誰が」
というかまだそのネタ引っ張ってたの?
「この空気どうにかなんない? あとさり気なく私の頭を鷲掴みにしないで」
やはりさっきの審議会で自分が巻き込まれたことを恨んでいるようで、雄二はいつもの表情を崩すことなく私の頭を右手で掴んできた。
今は授業中だが、ここで翔子が乱入してくると洒落にならないので、そうなる前に雄二の右手を引き剥がす。どうやら力の強さからして半分ほど冗談だったみたいね。
「放っておけば自然と鎮静化するだろ。少なくとも、俺たちは標的にされずに済む」
とりあえずアキ君を見捨てること前提なのはわかった。
『では須川君。この場合、3molのアンモニアを得るために必要な薬品はなんですか?』
『塩酸を吉井の目に流し込みます』
『違います。それでは、朝倉君』
『塩酸を吉井の鼻に流し込みます』
『流し込む場所が違うという意味ではありません。それでは、有働君』
『濃硫酸を吉井の目と鼻に流し込みます』
『『それだっ!!』』
『それだ、ではありません。それと答えるときは吉井君の方ではなく先生の方を見るように』
今気づいたけど、須川達の方では変な議論が繰り広げられていた。どうやらアキ君の粛清方法を考えているみたいね。それが先生に当てられたせいで口に出てしまったようだ。
まぁ、こんないつもと違うように見えてわりといつも通りな空気の中、一時間目の終了を告げるチャイムと共に、担当の先生も大きなため息をつきながら教室から出て行った。
『吉井のヤツ、島田と目で通じ合っていたぞ……!』
『島田は狙い目だと思っていたのに、あのクソ野郎……!』
嘘つけ。入学して以降、そんな気配は微塵もなかったわよ。それどころかお前ら、清涼祭のときに女装したアキ君――アキちゃんにときめいてたじゃないか。島田さんそっちのけで。
『畜生……! 姫路、木下、水瀬に続いて島田までヤツに持っていかれたら、このクラスの希望はアキちゃんしかいねぇじゃねぇか……!』
異議あり。私をお持ち帰りしても良いのは秀吉だけだ。
というか、やっぱりコイツらアキちゃんにゾッコンじゃないか。確かにアキちゃんは可愛いが、奴の中身は生物学的に雄だ。残念ながら異性ではなく、同性に該当する。
そんな殺意の籠められたバカ共の視線が飛び交う中、島田さんがピコピコと馬の尻尾を動かしながら、アキ君の席へやってきた。あぁ、これが火に油を注ぐってやつね……。
「……雄二」
「なんだ、水瀬」
「これ、状況が悪化する未来しか見えないんだけど」
「奇遇だな。俺も同じことを考えていたところだ」
こういうときは相談が一番なので、心底楽しそうな、いや若干めんどくさそうにもしている雄二に相談してみることにした。
そうしてる間にも、どんどん火へ油を注ぐようにアキ君と島田さんは距離を縮めていき、相席になっていた。島田さんも島田さんだ。卓袱台が壊れたなら瑞希の席へ行けば良いものを……。
「あれを見てると頭が痛くなってくるわ」
「まぁな。だが、アイツらが動いてない分まだマシだ」
と、アキ君と島田さんの周囲を見渡す雄二。その視線の先には、機会を窺う例のバカ共(クラスメイト)の姿があった。どうしてこんな丸わかりの殺気に気づかないんだアキ君。
しかも二人だけの世界に入ろうとしているのか、相席に続いて今度はアキ君とお昼を共にしようとする島田さん。席が近いから会話の内容が普通に聞こえてくるわ。
「お姉さまっ! 何をしているんですか!? そんな豚野郎に密着して!?」
いきなり教室内に制止の声が響いたかと思えば、まるで話は聞かせてもらったと言わんばかりに、Dクラスの清水美春さんがどこからともなく乱入してきた。タイミング良すぎでしょ。
今にも発狂しそうな清水さんに対し、『代わりの卓袱台がなく、卓袱台自体も狭いから密着してしまうのは仕方がない』と丁寧に説明する島田さんだったが、
「それなら姫路さんか水瀬さんの席でいいじゃないですか! どうして豚野郎の席にする必要があったのです!」
と、清水さんも負けじとなかなか鋭い指摘で返してきた。
彼女の言い分もわからなくはない。というかごもっともである。席――卓袱台を使わせてもらうだけなら、同じ女子である私か瑞希の席へ行けばいいのだ。
だけどそこは……ねぇ? 彼女の気持ちというか、アキ君への想いを考えたら……ねぇ?
微妙にアキ君の悪口を言いつつ、努力家の瑞希を気遣ってアキ君の元から離れようとしない島田さんだが、ようやく錯乱状態から脱した瑞希が、おずおずと手を上げて口を開く。
「み、美波ちゃん。私は邪魔だなんて思いませんから、こっちに来て下さい。色々と……話したいこともありますし……」
どうやら瑞希の方は大丈夫みたいだが、島田さんはこれっぽっちも譲らず、清水さんは狙ったかのように島田さんのお弁当を食べるためにお腹を空かしてきたと言い張り出した。
しかも彼女の話を聞く限り、昨日島田さんを尾行していたようだ。いや、彼女が買い物をしているところを見ただけだから尾行とは言わないか?
「お姉さまが朝の四時に起きてわざわざお手製のタレで下味をつけた唐揚げとか、ちょっと奮発して買った挽肉で作ったハンバーグとか、産地に気を遣って選んだじゃがいもで作ったポテトサラダとか、考えるだけで美春は、美春は……!」
前言撤回。尾行以上にヤバいことしてたわこの子。
さすがにここまで知られているとは思っていなかったようで、とどめにご飯のところにはハートマークがあると言われて顔を真っ赤にする島田さん。これは可愛いわね。
そんな顔を真っ赤にした可愛い島田さんは、清水さんにはっきりと爆弾を投下した。
「――ウチはアキと付き合っているんだから」
「畳返しっ!!」
「ステイ!」
『『『はっ!』』』
こうなることを予測していたアキ君が畳でガードしようとするも、ほぼ同時に私が大量のカッターを投げようとしたバカ共を一喝して鎮めた。つまりアキ君の防御は空振りに終わったわけだ。
誰も仕掛けてこないことに驚くアキ君をよそに、島田さんが投下した爆弾発言(嘘)を真に受け、酷く動揺する清水さん。
「じょ、冗談、ですよね……? つ、付き合っているなんて……」
「冗談なんかじゃないわ。ホントの話」
未だに勘違いしているとはいえ、ここまで堂々と嘘を言い切れる島田さんが凄い。
今朝のキスを見ていたらしい清水さんはそれを幻覚だと思っていたようだが、島田さんがそれを認めるや否や、ついに抑えていたであろう感情を爆発させた。
――アキ君に矛先を向けて。
「この豚野郎を始末します! そして美春が第二の吉井明久としてお姉さまと結ばれるのです!」
それはアキ君の顔面の皮膚を丸ごと綺麗に剥ぎ、その皮を使ったマスクを作って、性転換でもしない限り絶対に不可能だ。
というかそれ以前の問題である。そもそもアキ君と島田さんは付き合っていない。まずは島田さんがそれに気づかないと話が進まないわ。
「極力身体に傷をつけないように始末した後、剥いだ皮を被って吉井明久になりすまします!」
大体合ってた。
「それ凄くグロいよ! ちょっと本気で考えてそうだし!」
「大丈夫です! 日本昔話で狸さんもそうしていました!」
「しかも原典は意外と可愛い!」
私は『悪魔のい○にえ』を参考にしてたわ。まさか日本昔話がアレに匹敵するえげつなさだなんて、思いたくなかったよ。
尋常じゃない速さで襲い来る清水さんから、必死に逃げ回るアキ君が向かう先にいるのは――土屋康太ことムッツリーニ。忍者の如き速度で動ける彼を頼ることにしたようね。
さっそく助けを乞うアキ君だったが、
「…………今、消しゴムのカスで練り消しを作るのに忙しい」
まぁ、そうなるよね。さっき凄い恨めしそうな顔でアキ君に迫ってたもんね、君。だから清水さんのスカートを目で追うのはやめなさい。
しかもアキ君にその事を指摘されてもなお、首を横に振りながら清水さんのスカートを目で追うムッツリーニ。後で何色か聞いてみよう。
男はこの世からいなくなればいいと喚く清水さんを、「キミにだってお父さんはいるでしょう?」と説得するアキ君だが……。
「アレは誰よりも最初に消えるべき男ですっ!」
家族関係で何かあったのだろうか。
とにかく男という豚野郎は消えるべきだと主張し、自分は島田さんと結婚して生まれてくるであろう娘に『美来』と名付けることを宣言する清水さん。
彼女が言うには島田さんの『美波』から字を取った名前とのこと。私の推測を入れるなら『未来』の意も含んでそうだ。
しかし、アキ君も負けじと返す。
「待つんだ清水さん! 息子が生まれたらどうするんだ!」
「男なんかが生まれたら『波平』で充分です!」
某国民的アニメに登場する波平さんに謝れ。
「ちょっとアンタたち! その前にウチと美春じゃ子供ができないってことに気付きなさいよ!」
ところがどっこい、そうでもない。理論上ではあるが、女同士という環境で子供を作る方法は三つある。
まず一つ。清水さんにとっては最も不本意だろうが、性転換手術を受けて完全な男になる、もしくは女としての肉体を残したまま男になること。これらは彼女自身が言ったアキ君になりすますに最も近づける方法だ。……男嫌いの彼女にはまず無理だが。
次に二つ。人工授精。これなら男にならなくとも、女同士という環境で子供を作ることができる。だけどこれはこれで清水さんにとっては、不本意かつ少々手間が掛かるけどね。
そして最後に三つ目。養子を迎えること。血が繋がっていないのが難点だが、男嫌いの清水さんのことを考えるとこれが一番手っ取り早い。……名前を付けるという希望は叶わないが。
「さぁ、五秒あげます。神への祈りを済ませて下さい、豚野郎……!」
と、私がアホなことを考えているうちにも、清水さんはアキ君を葬ろうと近づいていく。これはさすがのアキ君も万事休すか?
ガラッ
「さぁ、授業を始めるぞ。今日は別件で外している遠藤先生に代わり、この俺がビシビシ――ん? やれやれ……また清水か……」
タイミング良く開いた扉から姿を現し、清水さんを見てため息をつく鉄人。
まぁ、気持ちはわからんでもない。何せ彼女、男子全員が停学中だった先週が一番酷かったからね。男子という邪魔者がいない教室で、島田さんと一緒に授業を受けたいってしつこかったもん。
鉄人がやんわりと自分の教室へ戻るよう注意するも、清水さんは『この教室の男子を全て殲滅する』という目的を明かして――
「今後この教室への立ち入りを禁じる」
――出禁宣言と共に追い出された。
それでも鉄人の存在をガン無視するように島田さんへ物騒な呼び掛けをする清水さんだったが、鉄人に釘を刺されたことでようやく引き下がった。
『お姉さま……! 卓袱台だから豚野郎の近くにいるというのなら、美春にも考えがありますからね……!』
という不穏当な言葉を残して。
「……とりあえず鎮静化したってことで良いの?」
「ひとまずな」
先が思いやられるわ。
「…………初めてバカ共の気持ちがわかった気がするわ」
鉄人がまるで英語担当であるかのように淡々と授業を進めていく中、私は近くでアキ君と島田さんが、彼女の髪がヅラかどうかを小声で言い合っているのを見て、軽くイライラしていた。
なんだこれ。私に実害はないはずなのに、妙にイライラするんだけど。この状況でどうでもよさそうに眠ろうとしている雄二が羨まし過ぎる。ちょっと立場を代わってほしいくらいだ。
『『『もう我慢ならねぇ――っっ!!』』』
この妙なイライラをどうにかしたい私に代わるかの如く、ついに感情を爆発させるクラスメイト達。しかも全員、カッターを構えていた。
『さっきから見てりゃあお前、これ見よがしにイチャイチャしやがって!』
『殺す。マジ殺す。絶対的に殺す。どうあがいても殺す』
『出入口を閉めろ! ここで確実に殺るぞ!』
全員が一斉に投擲の体勢を取る。鉄人の存在を忘れているのだろうかコイツらは。
『……お姉さまの髪に触るなんて……八つ裂きにしても尚、赦されません……!』
おい待て。一人教師の警告を無視しているバカ女がいるぞ。
『全員カッターの投擲終了後、間髪入れずに卓袱台を叩きつけるのですっ! 決してお姉さまに当たらないように注意するのですっ!』
『『『了解っ!』』』
「ステイ!」
『『『はっ!』』』
さすがにクラスメイトが他クラスの女子である清水さんに従うという光景に耐えられず、私はバカ共を再び一喝して鎮める。
すると数秒前の殺気が嘘のように治まり、カッターを構えたままではあるが、それぞれ自分の席に座るクラスメイト達。
清水さんはどういうわけか、それに気づいていないかのように島田さんへ避難を促すも、
「お前ら! 今は授業中だぞ!!」
鉄人の一喝が入ったことで、教室が真の静寂を迎えた。
それでもなお、全く懲りない清水さんは無謀にも鉄人に抗議しようとするも、二度目の警告をされたことで頭が冷えたのか、アキ君を睨みながら大人しく教室から出て行った。
「お前らも授業中に遊ぶんじゃない。そういうことは休み時間にやれ」
休み時間でもダメだと思います。
それからは特に何事もなく、鉄人による英語の授業はチャイムと共に終わりを告げた。
鉄人が教室から出ていこうとするのを、逃げる準備をしながら見つめるアキ君と、そんな彼を凝視する卓袱台と仕舞っていたカッターを構えるクラスメイト達。そして――
「GO!(パチン!)」
『『『くたばれ吉井ぃ――ッ!!』』』
「楓の馬鹿ぁ――ッ!」
――鉄人が出て行ったのを見計らって私が掛けた号令と共に、武器を構えていたバカ共が一斉にアキ君へ跳び掛かり、アキ君が号令を掛けた私に捨て台詞を吐きながら逃げ出した。
いやー愉快愉快。飛び交うカッターや卓袱台をかわしていくアキ君を見てそう思っていると、少し深刻な表情をした雄二とムッツリーニと秀吉がこっちにやって来た。
「水瀬。少し良いか?」
「どうかした?」
「明久のせいで面倒なことになりそうだ」
少しとはいえ、この雄二が深刻な顔になるんだ。きっとかなりの厄介事だろう。
私が一言問い掛けてみると、雄二に続いてムッツリーニがそれを教えてくれた。
「…………Dクラスで試召戦争を始めようとする動きがある」
後でクラスメイト達に追加の処刑を依頼しよう。
「……なるほどね。清水さんがアキ君と島田さん絡みの八つ当たり目的で、Fクラスに戦争を仕掛けようとしている。これで合ってる?」
「そこまでわかるなら、説明の必要はなさそうだな」
今この状況でDクラスが仕掛けてくる理由なんてそれくらいしか考えられない。
それにしても、八つ当たりのためだけにクラス全体を動かそうとするなんて……正直見くびっていたよ。確かにこれはマズイわね。
こっちは朝の騒ぎのせいで点数を補充できていないのがほとんどだ。しかも点数を補充できている女子生徒は私を含めてたったの三人。仮に万全であったとしても作戦がなきゃ太刀打ちできないのに、点数が残っているのは私と瑞希と島田さんだけ。つまりよほどのことがない限り絶対に勝てない。
……まぁ最悪、私と瑞希でお互いの苦手科目を補いつつ無双すれば、ギリギリ勝てるかもしれないんだけどね。でもこれは一種の甘えだ。勝つならクラス全員でないと意味がない。
「で、何か対策はあるの?」
私がそう言いながら座れと手で合図すると、三人とも私の席へ座り込んで顔を突き合わせる。そして雄二が口を開いた。
「いや、まだ何もない。何せさっきわかったもんでな。対策はこれから考える」
「向こうがいつ仕掛けてくるのかわかれば良いのじゃが……」
「…………何にせよ、備えは必要」
結局、いつも通りの呑気な感じで作戦会議は始まったが、その数分後にクラスメイト達から逃げおおせたアキ君がこっちに来たので、再びイチから状況を説明することになるのだった。