凡矢理高校へと続く道を多くの生徒が歩いている。
集英組と言うヤクザの家族を持つ一条楽も、同じように歩いていた。その表情は冴えない。
朝っぱらから家の者が近所の皆様に大声出して威嚇するわ、どこぞのギャングとドンパチしていたと言われるわ、散々な始まりだったからである。
「……はあ」
楽の目標は堅実な人生。ヤクザなど正反対と言ってもいい。
(ああ、早く家から出たい)
その思いに連なるように、やや猫背気味になったその背中に、元気のいい声が掛けられた。
「よう、楽」
「ん、今日は早いんだな」
声の主は身長百八十は優に超える偉丈夫であった。目つきは鋭く、スポーツ刈りの頭。名を佐藤悟と言う。
悟は振り向いた楽の隣まで行き、そして二人はまた歩きだした。
「……」
歩きながら、楽は悟をじーっと見つめていた。
「どうしたよ、こんな朝から熱い視線をよこすなんて。俺にそっちの気はねえぞ?」
「俺にもねーよ! そうじゃなくてさ、俺と悟、どっちがヤクザの息子に見えるかっつったら、絶対悟だよな」
「ん~、まあそうかもしれねえなあ。でも実際逆ってなわけだ」
「不平等すぎだろ、神様」
楽がため息を吐くと、悟は豪快に口を開けて、かっかっかっかっ、と楽しそうに笑った。
「そりゃあれだ、贅沢な悩みだ。なりたくてもなれるもんじゃねえぜ、やーさんの息子なんざよ」
そんな調子で高校のグラウンドまで入り、塀の近くを歩いていると、悟が不意に立ち止まり楽の制服の襟首を引っ張った。そんなことが起きるとは全く考えず歩いていた楽は、「おうふっ!?」と変な声を上げた。
「な、何すんだ!?」
「いや、俺のシックスセンスがな」
悟が言い切る前に、だんっ、と音を慣らし、女生徒が塀を乗り越えてすぐ目の前に降り立った。砂埃が舞う。
想定外の事態に硬直する二人。
長い金髪の女生徒は、そんな二人を見て。
「ごめん! 急いでたから!」
それだけ言って校舎へと走って行った。それを呆然と見ていた二人は、少ししてまた歩き出す。
「……ここの塀って結構な高さだよな?」
「常人じゃあまず乗り越えられねえわな」
「……それに今の位置だと完全に俺の顔面コースだったよな」
「だな」
何だったんだあの女、二人ともそんな思いを持って校舎へと入って行った。
「シックスセンス、持ってんのか?」
「まさか。あるとしたらセックスセンスだ」
悟は自分が思っている一番の決め顔でそう言い放つ。
「……」
「何か言ってくれねえと寂しいなあ……」
「おいーす」
悟はそんな気の抜けた挨拶をしながら教室に入った。楽もそれに続いて教室に入る。
「オース、二人とも」
悟の挨拶に言葉を返したのは、二人の共通の友人の舞子集である。
「なあ、集。ここの塀を乗り越える女がいると思うか?」
自分の席に座った楽は、先ほどの光景を思い出して言った。
「ここの塀って二メートル以上あんだろ。それ乗り越えるってどんな女の子だよ」
「だ、だよな」
「それがいんだよなあ。金髪の女子でよ。今まで見かけたことねえから誰かまでは分からねえが」
悟は自分の席に座らずバッグだけを置いて、楽と集の近くの空いている席に腰を下ろした。
「金髪の女の子か……もしかしてあの!?」
集は突如テンションを上げ、誰も聞いていないと言うのに話し始めた。
「噂によると今日来る転校生女らしいんだよ! しかも美人!」
「ああ、そう」
楽は興味なさそうに適当に相槌を打ち、悟は静かに自分の席に戻った。
それから少しして鐘が鳴り、担任がやって来た。
「今日は転校生を紹介するぞー。入って、桐崎さん」
桐崎、と呼ばれた生徒は黒板の前まで来て自己紹介を始めた。
「初めまして! アメリカから転校してきた桐崎千棘です」
長い金髪を揺らしながら元気に話すのは、楽と悟が見るのは二度目になる塀越え女であった。
楽は瞬時に悟にアイコンタクトを送る。
(あいつ、だよな?)
(ああ、あの金髪は間違いねえだろうな)
(俺たち覚えられてたりするか?)
(さあ)
そんな会話をアイコンタクトで交わしている間にも千棘の自己紹介は進み、教室内は歓声で湧いた。そして二人の意識の外でいつの間にか自己紹介は終わっていた。
「じゃあ、まあ、ひとまず後ろの空いている席に座ってくれる?」
担任に促され教室の後ろまで見回すと、千棘は、あ、と声を上げた。
不意に合う視線。視界に入ったのは塀を超えた直後に出会った大男、佐藤悟だった。体が大きいから嫌でも視界に入った。
「先生ー、俺の隣空いてまーす」
悟は手を上げてそう言った。
「じゃあ、桐崎さん」
「あ、はい」
千棘は、楽しそうに笑みを浮かべこちらに手を振る佐藤の隣の席に腰を落ち着ける。
するとすぐに声をかけられた。
「よう、俺は佐藤悟ってんだ、これからよろしく」
「はい、よろしくお願いしますね」
千棘が自己紹介の時と同じように愛想よく言うと、悟は軽く笑って顔の前で手を振った。
そして先ほどよりも小さな声で言う。
「素でいいぜ、素で。多分、塀のとこで会ったほうが素だろ?」
「な、なんのこと?」
「そんな丁寧に接するよりよ、もっと大雑把な方が話しやすいってなもんよ」
「そ、そう言うもん?」
「おう、そう言うもんだ」
そんな二人が話している様子を見ていた担任の日原は、もうあの席でいいか、とひとりごちた。
次の休み時間には、千棘の席の周りは他の生徒でいっぱいになっていた。机にうつ伏せになって寝ようと考えていた悟は、仕方なく席を立ち、空いていた楽の隣の席に座った。
「よう、楽は行かんのか。集の奴ぁ女子に負けじと頑張ってるぜ」
「俺はいいよ」
「ま、お前は小野寺一筋か」
「ぶっ!?」
かっかっかっかっ、と豪快に笑う悟。楽は慌てて周囲を見回した。
「ふう」
小野寺がいないことが分かると、汗を拭うように腕を額に当て息を吐く楽。
「もう告白すりゃあいいんじゃねえの」
「い、いや、それは、勇気が出ねえっつーか……」
「当たって砕けろ、な?」
「砕けたくねえんだよ!」
「つってもよお、そうやって何もしねえままだと、小野寺、他の男と付き合っちまうかもしれねえだろ?」
うっ、と楽は小さく呻いた。
「集から聞いた話だと、男子人気結構あるらしいぜ?」
「そ、そうなのか?」
「あいつのこういった話に嘘はねえだろうから、そうなんだろ」
楽は少なからず衝撃を受けたものの、告白までは踏ん切りがつかないようだ。
千棘に質問攻めをしている生徒の中で、笑顔で話している小野寺を見て、楽は一人顔を赤くした。
「と、トイレ行ってくる」
「お、じゃあ、俺も行くかね」
「なんでだよ」
「俺の席、占領されちまってるからよぉ。戻るに戻れねえんだ」
様子を窺うと、確かに千棘の席の周りだけでは収まらず、その勢力範囲は悟の席をも飲み込んでいた。
二人が教室を出ると、ちょうど歩いてきた日原に呼び止められた。
「お、佐藤いいところに来たな。桐崎の席はお前の隣で決まりな。あと色々学校のこと教えてやってくれ」
「わっかりました」
それだけ言って、日原は去っていった。
「お前も大変だよな、俺も一緒に行こうか?」
「飼育係があんだろ、楽は。俺は何もやってねえしちょうどいいさ」
連れションの男二人は、そう言ってトイレに向かった。
放課後。窓から差しこむ夕陽が照らす廊下を、二人の生徒が歩いていた。一人はクラスメイトからの質問攻めと言う徹底攻勢により、すっかり疲労困憊となった桐崎千棘。もう一人は、日原から世話を頼まれた佐藤悟である。
「とまあ、こんなもんか。何か質問あるか?」
「ううん、よく分かったわ」
「そりゃよかった。どうだ、うちのクラスは。うるせえ奴ばっかだろ」
悟は転校生の紹介の時の盛り上がりを思い出し、苦笑した。
「あんたも含めてね」
ふふ、と千棘は笑う。
「お、いいねえ、その調子で行きゃあ友達なんざ出来る。困るくらい出来る」
「そ、そんなに?」
「おう。俺みたいのでも出来んだ。お前が出来ないわけがねえ」
千棘は悟の目つき、髪型、体格を見て苦笑した。
「今日楽に言われたしよぉ、お前の方が、っと」
悟は慌てて言葉を止めた。
「どうしたのよ?」
「いんや、いねえところで言っちゃいけねえ話だと思ってよ」
「ふーん」
そして少しの間会話は途切れ、悟は思いついたように声を上げた。
「そういやあ、何で今の時期に転校してきたんだ? 何か親御さんの仕事の関係とかか?」
「うっ、ま、まあそんなところよ」
千棘は露骨に言いづらそうに言葉を濁した。
その時ふと楽の姿が頭を過ったが、まさかな、と否定する。幾らなんでも確率が低すぎるだろう、と。
悟は次の言葉が思いつかず適当に相槌を返したところで、下駄箱についた。
「じゃ、今日はこんなとこだな。何か困ったことがあったら言ってくれ。俺じゃなくても、友達にな。目指せ友達百人だ!」
千棘は悟の天を指さすポーズに思わず噴き出した。
「な、何よそれ、ふ、くく」
「お、そうやって笑やあいんだよ。自己紹介の時は何か硬かったっつーか、何つーか。大事なのは自然体、これ実体験だ」
千棘は素直に首を縦に振った。
「でも、まだそれは難しいわね……」
「じゃあ、あれだ、手始めに楽と話してみたらどうだ? あいつなら話しやすいだろ」
千棘は首を傾げた。
「さっきも出てきたけど、楽って誰なの?」
悟はそこで、自分はまだ楽を紹介していなかったことを思い出した。
「悪ぃな、すっかり知ってると思って話しちまったわ。ほら、あいつだよ。お前が塀乗り越えてきたときに、俺と一緒にいた」
そう言うと、千棘も思い出したのか、一瞬にして表情を変えた。
「……あ、ああー!? そ、そうよ、そうじゃない! 私の素を知ってるのもう一人いたのすっかり忘れてたわ! そ、そいつ今どこにいる!?」
「終わってなけりゃあ、飼育係の仕事してるだろうから……」
「さっき見た動物がいっぱいいたところね!?」
あまりの剣幕に悟は首を縦に振ることしかできなかった。
「ちょ、ちょっと行ってくる!」
「あ、おい、楽なら別に言いふらすような奴じゃ……」
悟の言葉を聞き終える前に、千棘はものすごい速さで靴に履き替え走り去っていってしまった。
大丈夫だろうか。もしかして喧嘩になったりしないだろうか。
心配ではあったが、楽なら大丈夫だろうと思い、悟は帰路に就いたのだった。