今回は随分長くなりました。
通常の二倍くらいの長さだと思います。
ではお楽しみください。
(※投稿してからタイトルを書くのを忘れていたことに気が付きました)
2020/10/19:文章を修正しました。
モノリス・コードの代役として達也が出ることが決まった。
そのことに先輩達は安堵したが、問題はまだ残っている。
「それで俺以外のメンバーは誰なんでしょうか?」
禅十郎が残りの選手は使い物にならないと言い切ってしまったのだが、それでも出場する残りの二人を決めなければ出場すら出来ない。
「お前が決めろ」
「はっ……?」
克人の一言に達也は理解出来なかった。
「残りの二名の人選はお前に任せる。時間が必要なら一時間後にまた来てくれ」
同じ内容に補足しただけで、克人はそれ以上のことは言わなかった。決定権を委ねても克人は責任を手放さない。己の保身のために責任を押し付けない度量は天性の物だと言えるだろう。
そんなことを達也は考えていたが、直ぐに目の前のことに意識を戻した。
「いえ、選ぶだけなら時間を頂く必要はありませんが……。相手が了承するかどうか」
「説得には我々も立ち会う」
つまり拒否はさせないつもりらしい。
「誰でも良いんですか? チームメンバー以外から選んでも」
克人が強引な性格であるならば、それを利用してやろうと達也は心の中で人の悪い笑みを浮かべる。
「えっ? それはちょっと」
「構わん。この件には例外に例外を積み重ねている。あと一つや二つ増えても今更だ」
「十文字君……」
真由美から呆れ顔で非難の目を向けられたが、克人の表情は揺るがなかった。
「では、E組の吉田幹比古と後ろの奴を」
達也が親指を立てて自身の後方を指した。自然と全員がそちらに視線を移すが、そこにいるのはただ一人である。
「えっと達也君、二人目は?」
「ですから、後ろの奴です」
戸惑う真由美に対して、達也はもう一度同じことを口にした。
「なぁ達也、俺の後ろに誰も居ないぜ」
達也に指を向けられた二人目、禅十郎はおどけた口調で言った。
残念ながらこれで笑うものはいなかった。
「達也君、本来禅君は安静にしてなきゃいけないのよ。出場させるわけには……」
「あっ、俺? うん、良いよー」
「ほら、禅君もそう言って……って禅君!? 良いよってあなた……」
驚きの声を上げる真由美に禅十郎は愉快に思い笑っていた。
「だって俺、達也にモノリス・コードの全権譲っちゃったんで。こいつが出ろって言うなら出ますよ」
先程の任せたと言うのはそういう意味だったとは知らなかったが、達也はあえて口にしなかった。
「そういう問題じゃない。君は怪我を負っているんだ。本来ならここにいるのもおかしいほどだぞ。君が了承しても出せるわけないだろう」
誰もが摩利の言う通りだと頷いている。
「問題ありません。俺の見立てが間違っていなければこいつの怪我は殆ど治っていますよ」
そんな彼女の言葉を達也は首を横に振って否定した。
「なっ……」
その言葉に誰もが愕然とした。
摩利の怪我でさえ、全治一週間と言われた怪我を負い、十日間は激しい運動を禁止されている。禅十郎の怪我はそれとは比較にならないほど重傷であり、折れた骨を繋ぐことや傷を塞ぐことは出来ても完治するまでに更に時間が掛かる。本来なら治っているはずがないと言うのが彼らの常識だ。
「まず一人でここに来る時点でおかしいでしょう。いかに体力お化けで我慢強い上に非常識の塊の大食いバカと言っても治癒魔法と痛み止めを打った程度ではそこまで出来ません」
「なぁ、達也。物凄く貶されてるのは俺の気のせいか?」
「事実を言っているだけだ。他意はない」
「あっそ……」
そんなやり取りを見ていた殆どの者はうっすらと気付いていた。呆れ顔で溜息をつく禅十郎は達也の言葉を一切否定しておらず、仏頂面で頭を掻いていた。
彼の前では自分達の常識が無意味なものへと変わっていく。常識って一体何だっけと感覚が麻痺し始めていた。
「そんなこと可能なの?」
主に禅十郎をよく知らない花音達上級生達はそうはいかない。そもそも、そんな奇跡の御業ともいえる魔法が存在するかも分からないのだから当然である。
「あー、一般公開されてない治癒魔法を使って治したとしか言えませんね。それでも不安なら今すぐ証拠でも見せますか? 身に付けてる包帯なんて外すの面倒だからそのままにしてるだけですし。……よし構えろ達也、重いの行くから受け止めろ」
「何故俺が受けなければならないんだ」
「え、何となく? そうだなぁ、ストレス発散」
「今すぐ病院に送り返すぞ」
「えー、そりゃ困るわー。じゃあ、これで」
禅十郎はボクシングのフォームで左拳を素早く二回突き出してみせた。それだけで証明するのは十分である。
まったく痛みを感じさせない動きを見せつけられ、その光景を最も見慣れてない花音は摩利に困惑した目を向ける。
「摩利さん、彼ってここまで非常識なんですか?」
「今回は度が過ぎるがな。今の内に慣れとけ。あと一年以上お前はこいつの先輩をやらなければないからな」
「すでに自信がないです」
「花音、そんなこと言ったら……」
言い過ぎだと五十里は花音を窘める。
「いえ、千代田先輩の反応が正常です。渡辺先輩達はこいつの非常識さに慣れ過ぎているだけですから」
自分達の感性が禅十郎の所為で狂い始めているのはあながち間違いではない。そんな中、唯一動揺することなく、達也達のやり取りを見ていた克人は禅十郎に目を向けた。
「篝、出来るのか?」
禅十郎の言葉の通りであるなら、モノリス・コードの作戦の指揮権と決定権はすべて達也が持っている。
本人も怪我を理由にやらないと口にしていない。克人は達也に約束した通り、説得に回っていた。
「会頭、その問いかけは無意味ですよ。出来るかどうかと問われても俺の答えは一つですから」
禅十郎は克人の問いに対してそう口にした。
そんな禅十郎の答えに対して誰もが拍子抜けする中、鈴音と摩利は微かに笑みを浮かべる。
「確かに彼に今の質問は不適切ですね」
「そうだな。そう言われれば君の答えは一つしかない」
それは克人も同じらしく、うっすらと笑みを浮かべていた。
「すまない。では改めて。篝、新人戦モノリス・コードのメンバーとして司波達也と共に出場してくれ」
克人がそう言うと禅十郎は即座に姿勢を正し、頭を下げる。
「謹んでお受けいたします」
克人は満足したように頷いた。
「そうか。では、中条」
「は、はいっ!」
突然、呼ばれたあずさは思わず上ずった声を上げた。
「吉田幹比古をここに呼んでくれ。確か彼は応援メンバーとは別口でこのホテルに泊まっていたはずだ」
(へぇ、そこまで知ってたのか)
克人がそのことを知っていたことに意外感を覚えながら、禅十郎は達也に目を向けた。
「それで達也、幹比古を選んだ理由は? お前が選んだんだ。それなりの理由はあるんだろ」
「ああ。勿論。最大の理由は俺がお前以外の選手の得意魔法と魔法特性を知らないことだ。今すぐチームを組めと言われても、明日の試合に向けて作戦も調整も出来ない」
「ま、当然だな」
不敵な笑みを浮かべる禅十郎に対して、達也はやや呆れた顔をしていた。
「それ以前にお前が使い物にならないと言い切ったのも理由に入っているんだが」
「まぁな。それに今から準備したってあいつらがまともな作戦が作れるとも思わんし、用意しようとしても今から朝まで先輩達に急ピッチで仕上げてもらうことになるんだぜ。そんなことしたら本戦前に先輩達が過労で倒れるって」
酷い言い方だが、禅十郎の言い分は正しい。今から用意するとしてもモノリス・コード用に向けて選手に合わせた魔法の調整をしなければならない。
長い時間じっくり考え、選んだ魔法と戦術を即興で組むことは熟練でも難しい。それをぶっつけ本番で出来るかと問えば、首を縦に振る者は学生の中ではほぼいない。加えて技術スタッフも寝る暇を惜しんで用意することも考えると即席チームで勝てる見込みはほぼない。
この二人の規格外を除いては。
「だが幹比古なら手の内も理解しているから、調整も作戦も出来るって訳か」
「そう言うことだ。それにお前が最も重要視している実戦における判断能力も高い」
「ほう」
納得したように禅十郎は頷く。
実際、禅十郎の知る中では森崎と井上はその手の判断能力は比較的高い方だと感じていたが、身近にいるとは思いもしなかった。
「なら問題無いな。で、俺を選んだ理由は? 俺の怪我が治ってるから選んだんだだけじゃないんだろ?」
禅十郎は人の悪い笑みを浮かべて達也に問いかけた。
「ああ。そうじゃなかったらレオに任せようと思ったんだが、折角だ。大怪我を負ったはずの選手が再び出場する、その影響力を利用させてもらう。勿論、お前の実力も踏まえてな」
達也も微かに人の悪い笑みを浮かべている。その真意を禅十郎は理解した。
「利用できるものは何でも利用するってか。かー、相変わらずだねぇ」
「お前が用意していた策に比べれば、即興で思い付いた俺の策なんて軽いお遊びさ」
「さぁて、どうかねぇ?」
今の二人の様子を分かり易く言うのであれば、時代劇の悪代官達のよくやるアレである。
悪巧みをすることにおいてこの二人は似た者同士だ。二人の笑みを見れば嫌でもそれが分かる。
「啓、あの二人、すごく楽しそうね」
「花音、そんなこと言ったらダメだよ。分からないこともないけど……」
二人の不敵な笑みを見て、上級生達は揃って同じことを思うのだった。
ただ一人を除いては。
幹比古の説得は克人達によりすんなり終わった。作戦も大雑把なフォーメーションを決め、戦術もそれなりの形になった。
そのほかの面倒な話もどうにかなり、現在、禅十郎は部屋でゆっくりしていた。
二人部屋ではあるが、一緒に泊まっている井上は現在、病院のベットの上だ。それ故に伸び伸びと部屋でくつろぐことが出来ている。
「これで用意はできたな。後は大神達がどうにかしてくれることを祈るだけか」
大会委員会や病院の方には既に結社が話をつけている為、明日の出場においても情報伝達に不備があったことでどうにか出来るだろう。
それでも気になることはいくつかあるが、それは今考えても仕方のないことであり、今は明日の試合に向けて意識を向けるべきだと自分に言い聞かせる。
椅子に座り窓から夜空を眺めて、余計な事を考えないように心を落ち着かせる。だが、本人はそのつもりでもその表情はやや迷いがあった。中々、頭から余計な事だと思っていることが離れず、苛立ちが込み上げていった。
「……何か飲むか」
別の事で発散するかと禅十郎は冷蔵庫を開けようとすると扉をノックする音が聞こえた。
それほど遅くはないが、こんな時間に誰だろうかと首を傾げた。
「あれ、こんな時間にどうしたんですか?」
扉を開けるとそこにいたのは真由美だった。誰も一緒に来ていない為、一人でここに来たようである。
「禅君、ちょっといい?」
「ええ、構いませんけど……」
「じゃあ、お邪魔します」
真由美は先程禅十郎が座っていた椅子に向かい合うように座る。
「あっ、お茶飲みます? 姉ちゃんに持ってきてもらった茶葉があるんですよ」
禅十郎の提案に真由美は首を横に振って断った。
「ありがとう。でも今日は暑かったから何か冷たいものがあれば、そっちにしてくれるかしら」
「あー、ですよね。じゃ、今から自販機で買ってきます」
禅十郎のそんな提案に真由美は首を傾げた。
「あら、禅君って確か朝と夜に訓練してるから冷たいものを常備してると思ってたけど?」
その一言に禅十郎はピクリと瞼を動かした。
「いやー、今日色々あったから何も用意してないんですよねー」
「ふーん。そうよね、確かに今日は色々あったものね」
真由美が意味ありげに相槌をうつ。
「ええ。じゃ、今から何か冷たいものを買ってきま……」
「禅君、冷蔵庫の中を見せてくれる?」
「はっ……?」
唐突の真由美の言葉に呆けた顔をする禅十郎。
「何でですか?」
何故、冷蔵庫の中を見たいと言う彼女の意図が分からなかった。正直に言えば、分からなくても見せたくないと言うのが禅十郎の本音である。
「ふーん、嫌なんだ」
「いや、嫌も何も。何にも入ってないですよ?」
真由美が何かに気付いているのは分かり切っていたが、可能であればこのまま有耶無耶にしておきたい。しかし、そんなことを望んでも無駄であった。その上、昔から真由美に対して嘘をつくことは誰よりも抵抗があったために隠し通す気力がなかった。
(これも血の呪いってヤツか……。分かっちゃいるがめんどくせぇなぁ)
先程からじっと見つめる真由美に禅十郎は頭を掻いた。
「あー、分かりました、分かりましたよ。見せますよ、見せりゃいいんでしょ」
諦めたと言わんばかりの溜息をつき、禅十郎は部屋にある冷蔵庫からあるものを取り出した。一本と言わず、何本も取り出した。
「やっぱり……」
それを目にした真由美は予想通りだと言いたげな顔を浮かべていた。
その手にあったのは何の変哲もないペットボトル。冷蔵庫にあるのは当たり前の物だが、真由美が気にしていたのはその飲料の種類だった。
「やっぱり疲れたんだ」
「いや、全然。猪瀬さんの治療のおかげで絶好調ですよ」
力こぶを作って体に不調がないことをアピールした。
そんな姿を見た真由美は少々苦悶に満ちた表情を浮かべた。
「肉体的じゃなくて精神的に疲れてるって言ってるの」
「っ……」
その一言に言葉を詰まらせる。完全に図星だった。
「昔から嫌な事があるとドカ食いとか辛いものばかり食べたり、炭酸飲料を飲んだりすることが多くなるんだもの。ここ数日、何度も見かけてるんだから嫌でも気付くわよ」
「……まぁ、そう……ですね」
歯切れが悪くなり、禅十郎は苦い顔をしていた。
真由美の言う通り、禅十郎は精神的にストレスが溜まると過剰に食べるだけでなく、炭酸飲料や辛い物など刺激のあるものを摂取することが多くなる傾向があった。もともと食べることが好きな禅十郎にとって、食事は良い気分転換になるはずだったが、今回はストレスが溜まり過ぎ、自棄食い状態になっていたのである。
どうでも良いが、その所為で九校戦に出ているすべての店の激辛メニューを制覇するという偉業を成し遂げているのだが、その話は割愛させてもらう。
「……迷惑かけちゃったよね」
禅十郎の顔色を見て真由美はそう呟いた。
「本当はね、気付いてたのよ。今回の一連の事故について禅君は何か知ってるんだって。いつも通りにしてるように見えて、本当は神経を張り巡らせて気を使ってくれたんだよね。私達が心配しないようにする為に」
禅十郎は黙ったままで何も答えてくれなかった。
しかし否定すらしない為に、真由美の考えが間違っていないことを証明していた。
「禅君のお見舞いに来た時、十文字君と今後の話を聞いてたからあんなことしたのよね」
「……はい」
禅十郎は短く答えた。
ミラージ・バットが始まる少し前、森崎とは別の治療を受けた禅十郎の面会は比較的早く出来た。
克人が大会委員会と交渉して代理の選手を立てることで方針が決まり、そのことを見舞いに来ていた千景に話していた。
その時には禅十郎の意識が回復していたのだが、黙って話を聞いていたのである。
代役を誰にするかを決めあぐねていたが、真由美達の会話からして選手から代役を選ぼうとしていないのだと推測出来た。
真由美達が去って禅十郎は千景から詳しい話を聞き出し、代役が達也になったことを知ると病室から抜け出した。その後は彼女の知るとおりである。
「ねぇ、どうしてあんなことしたの?」
「俺がしたいから、じゃ納得してくれませんよね」
「当然でしょう」
即答だった。
真由美の態度を見て、これは詳細に話さなければ納得してくれない上に帰ってくれないだろう。
禅十郎は真由美の後ろに移動し、窓の外を見た。
「元々、俺らに横槍を入れてくる奴らに関しては事前に把握してました」
そのことを口にしても真由美は驚かなかった。ただ今はありのままの話を聞くことに徹することに決めていたからだ。
「当初は公安にでも任せるつもりだったんですが、九校戦に向かう途中であった事故が奴らの仕業だと分かって、そんな奴らに九校戦の邪魔をさせたくないって思ったんです。九校戦は魔法師を目指す学生が競い合う場であって外道達の遊び場じゃない。目的の為に選手に手を出すことを躊躇わない奴らを俺は絶対に許す気はありません」
禅十郎は本心を語っても真由美の反応はなかった。
「大会委員の中に奴らの協力者がいるようですが、上の奴らは揃って耳を貸そうとしない。今までの事故はすべて偶然で片付けようとしている。だから、俺は奴らが動かざるを得ない状況を作りました」
「それが初戦で体術を使った理由なのね」
体術を使うことは知っていたが、それはあくまでも奥の手だと真由美は思っていた。
そもそも禅十郎は対策を取られないように、各試合で同じ戦法を使うつもりはなかったのだ。なのに、奥の手とも呼べる体術を初戦で使ってくることに真由美はおかしいと感じていたのだが、一条将輝への牽制だと言われて納得してしまったのである。
「普段通り戦っても奴らが動くかどうか難しいから、あそこまでやれば奴らも危機感を覚えると思いました。でも、まさか破城槌を使ってくるとは思いませんでしたが……。その上、一高の生徒が事故にあったのにまだ委員会は動く気配すらない。巻き込んだ森崎達には悪いとは思ってますが、思い通りに事が進まないことに正直腹が立ちました」
淡々と口にする禅十郎に真由美は怒ることはしなかった。
目的の為に手段を選ばないと言うことにおいては禅十郎も同じであるが、どうしても感情的に怒ることが出来ない。
禅十郎は時と場合によれば冷酷な判断も辞さないことを彼女は知っている。どんなに考えても犠牲を払う必要があることが最善の策あればそれを躊躇せずに選ぶ。
森崎と井上を巻き込んだ策を練ったことに対して真由美は本当は許せなかった。だが、彼が積極的に二人を捨て駒にしようとしたわけではないのは理解していた。そうでなければ、彼らが取り返しのつかない重症にならない為に自分を犠牲にするはずがないのだ。それが出来たのはあの事故で自分が死ぬことが無いと知っているからの行動であって、それも決して褒められたことではない。
そんな彼の一連の行動を達也のように否定することが真由美には出来なかった。
彼がこれまでどんな事を経験してきたのか、それを知っている彼女には正面から否定する勇気がなかった。
「ねぇ、今はどっちの禅君なの?」
真由美は禅十郎の顔を見ずにそう尋ねた。
彼女の質問の意図を理解した禅十郎は少しだけ困った顔を浮かべた。
「どっち……と言われても今回はどの俺でいれば良いのか自分でもよく分かりません。選手として振る舞えばいいのか、結社として動けばいいのか。俺にしか出来ない事をやろうと思っても、皆と一緒に優勝したいと望む自分もいますし、現場に最も近くにいるから親父達が出来ない事をしなきゃいけない使命感に駆られる自分もいます」
禅十郎は今回の件はどれも大切なことであり優劣をつけることが出来なかったのだ。それ故に今回は普段以上にピリピリとしており、精神的に余裕がなかった。
だが、周りに当たらないだけの冷静さを残しつつ、表情には出さないよう徹底していたため、誰もが彼の異変に気付かなかった。その上、チームメイトが不調になったり、統括役としての役割を熟したりと多忙となってしまい、最悪の悪循環が発生していたのである。
「結局、未だに迷ってる俺は中途半端の半人前。半端な結果しか出せない俺に親父達が怒るのも当然です」
「そんなこと……」
「親父なら俺と同じ立場だったとしても森崎達を巻き込まずに済ませてましたよ。ほんと、自分の力不足が恨めしいです」
真由美は背後を向いて禅十郎の顔を見た。そこには後悔と悲愴に溢れた目をしていた。彼のそんな顔を見たのは久方ぶりだった。
「……気付いてあげられなくてごめんなさい」
「先輩の所為じゃないですよ。俺がちゃんとしてればこうならなかったんですから」
「でも……」
「今更、たらればの話をしても次に活かすぐらいしか出来ませんよ。だから、これ以上は自分を陥れないでください。先輩は生徒会長としての責務を果たす為に俺の力が必要だと思ったから俺に任せてくれた。ただ俺がその期待に応えきれなかっただけです」
「それなら私がちゃんと禅君の事情を把握していれば良かったことになるじゃない」
「俺の事は本来なら先輩だって知ることは無かったことですよ、だから気にしないで……」
「だとしても、私が禅君に甘えていたのは事実なのよ!」
既に夜である為に声を抑えてはいたが、力強い彼女の声が禅十郎の言葉を遮った。
「あなたが魔法師として頼りになることを知っていたから私は選手として選んだ! あなたがリーダーとして役目を全う出来ると分かっていたからあなたに統括役を任せた! あなたが私の頼みを絶対に断らないって知っていた筈なのに、重荷を背負わせ過ぎたことに気付いてあげられなかった!」
真由美は今になって禅十郎にどれだけ依存していたか気付かされた。本来なら先輩である自分が彼を支えているべきなのに逆に支えられていた。彼は人を依存させやすい性格なのだと言う事を忘れてしまっていた。
椅子から立ち上がり、真由美は禅十郎に寄り添って彼の顔を見つめた。
「お願い、今からでもモノリス・コードを棄権して! 後の事は私が何とかするから、これ以上無理をしないで!」
真由美は涙を浮かべる程強く自身のしでかした事を後悔した。どんなに禅十郎が気にするなと言っても、あれだけの怪我を負ったのを見せつけられては彼の言う通りにする事など真由美には出来なかった。
「……すみません、例え先輩の頼みでもそれは出来ません」
だが禅十郎は彼女の懇願を拒んだ。
「どうして! もうあなた一高代表として十分にやったじゃない! それに達也君はああ言ってたけど、本当は禅君の体は完全に治ってなんかない! だってあの人がいたってことは、あなたが受けたのは……」
「
禅十郎が左手の人差し指を真由美の口元に置いた。
「それ以上口にすれば俺でもあなたを庇い切れません。だからそれ以上は心の奥底に仕舞ってください。あなたが俺の事を心配してくれているのは分かっていますから」
真由美は自分が何を口にしようとしていたのか思い出して口元を抑えた。
「……ごめんなさい」
「言わなければ問題ありませんよ。それに別に結社としてとか、選手としてとかの柵で明日の試合に出ようとした訳じゃないんで。あの一件に関しては百パーセント私情です」
「え……?」
禅十郎個人の思惑でモノリス・コードに出ようしていることに真由美は目を瞬かせる。
彼女の反応に禅十郎はバツが悪い顔を浮かべ、真由美にハンカチを渡した。
「いやぁ、ほら、達也と試合に出れるなら少し無理しても良いかなぁって。それに試合に出たら結社としての仕事も出来ますし、優勝すれば先輩達も大喜びの一石三鳥になるんで……」
「……禅君、まさか本当にそれだけの為にあんな無茶を?」
禅十郎のハンカチで涙をぬぐいつつ、真由美は尋ねた。
「……はい」
その言葉に真由美は愕然とした。ここでまさかの戦闘狂としての一面が出てくるとは思わなかったのだ。
そして今になって彼に寄り添い、泣いて懇願したことに真由美は少しずつ恥ずかしくなってきた。自分が必死になっているのにこの男は頓珍漢な理由で行動していたのだ。
「いや、達也が代役じゃなかったら俺だって無理はしませんよ。でも、アイツが出るなら絶対面白いことになるし、公式戦で出る機会なんて恐らくこれ以降無いだろうって思ってたら居ても経ってもいられずに……ね」
涙目からジト目に変わっている真由美に禅十郎は乾いた笑い声を上げた。
ただしそれも束の間、すぐさま、先程までの神妙は顔持ちに戻った。
「まぁ、あの時は自分の願望剥き出しで動いてたんですけど、今になって色々と考えてしまってるんです。この先の俺の行動一つでどうなるのか、本当にこれが正しかったのかって。結局、誰にも相談出来ずに今に至ります」
「……高校生の、それも一年生が考える事じゃないわね」
そんな真由美の言葉に禅十郎は苦笑を浮かべた。
「先輩が言えたことじゃないですよ。あのおっさんも九校戦前の娘に何で家の用事手伝わせてんだか……。お陰で先輩に余計な負担かけやがって。こりゃあ、泉美ちゃんも香澄ちゃんもおっさんの所為で大変なことになりそうですね」
呆れている禅十郎を見て真由美はここに来て初めて笑った。彼女の父である弘一をおっさん呼ばわりするのは知ってる中でも禅十郎ぐらいだからだ。
「それって禅君が言えたこと? 今だって大変なのに」
「俺はこの道を行くことを自分で選びました。親父の仕事を継ぐのが最も最適だと思いましたから」
その後、大きく息を吐いた禅十郎は窓際のベッドに仰向けに倒れ込んだ。
「でも、まだまだですね、ホント。自分の立場が決められなくて、何をすれば良いのか分からないまま全力で走って躍起になって……。結局、ねーちゃんに心配かけて泣かせて……。ハハハ、笑えるわ。達也に偉そうなこと言っといて一番使えねぇのは俺じゃねぇか」
弱音を吐き、自嘲的な笑い声をあげる。普段の禅十郎からしてみれば想像出来ない姿だった。
だが、真由美はその姿を目にしても意外だと思わない。寧ろこれこそが禅十郎の本来の姿だと言っても過言ではないことを知っている。悩みのない人間などいないし、疲れない人間などいない。禅十郎はそれを人前で見せたことがないだけなのである。
昔から禅十郎は困難な壁にぶつかることが多く、それらを乗り越えるために考え続け、自身の力で乗り越えてきた。その過程でなかなか乗り越えられないことがあると、弱音や愚痴を吐くことも少なくなかった。
学校でそんな姿をさらすことは無いのはただ単に他の人に比べて、年頃の学生がぶつかる壁を彼は既に乗り越えているからだ。
それを除けば禅十郎も他の人と何ら変わらな……、いや、ちょっと非常識な学生だ。
そんな禅十郎の姿を目にした真由美は禅十郎の隣に座り直した。
「禅君、ちょっとこっちに来て」
軽く手招きする真由美に対して、寝たままの禅十郎は怪訝な顔をする。
そんな禅十郎の反応に真由美は仕方ないという顔をして更に禅十郎に近づく。
具体的には禅十郎の頭の近くに真由美が座り込み、禅十郎の頭を優しく両手で包み込んだ。その直後、禅十郎の後頭部に柔らかい感触が伝わった。
「ちょっ……!」
「はいはい、暴れない暴れない」
「……」
禅十郎は膝枕をしてもらっていた。それも第一高校の男子生徒なら誰もが羨む相手に。
「どう? 美少女に膝枕される気分は?」
「……自分で言って恥ずかしく、いひぇひぇひぇひぇっ……」
「何か言った?」
両頬を思いっきり引っ張る真由美の笑顔はどこか黒かった。
「なんれもないれふ」
「そう? で、感想は?」
じっと見つめる真由美に禅十郎はつねられた頬を擦りながら笑った。
「このまま朝まで寝ます。おやすみ」
「こーら、調子に乗らない」
こつんと額に真由美のデコピンが当たる。
少々痛むが、リラックスしてきたのか、体中から力が抜け、禅十郎の瞼が重くなってきた。
気が抜けたのか、口調も普段の学校で真由美に対するものではなく、さらに砕けた口調になっていた。
「膝枕なんて久しぶりだなぁ。昔は毎日してもらったっけか?」
「小さい時のお昼寝は絶対に誰かに膝枕してもらってたもんね」
「母さんが忙しい所為で、ねーちゃん達がその代わりに面倒見てくれてたからな。その所為で母さんが何度も拗ねてその度に慰めるのが大変だったわ」
あの頃がとても懐かしく感じる。小さい頃、母親より一緒にいるんじゃないかと家族に言われた禅十郎の母が、まだ幼かった真由美に向かって「うちの子を取らないでー!」と懇願したことがあった。そんな母親の奇行は今でも家族内での笑い話である。そんなことを思い出すほどに禅十郎の心は落ち着き始めていた。
「少しは気分は楽になった?」
「……ああ。やっぱりねーちゃんのが一番落ち着くわ。俺の家族にゃ悪いけど」
「それはどうも」
「でもなぁ、やっぱり色々考えないといけないって思う自分がいるんだよなぁ。誰かがやってくれるだろうって思っていても俺と同じ立場の人はいない所為で誰にも任せることが出来ない。だから俺がどうにかしなきゃいけない、って思っちまうし……」
手を上げて力強く拳を握りしめる禅十郎の手を真由美はそっと触れ、その拳を優しく開かせた。
「禅君は普段は破天荒なくせに、本当は真面目で頑張り屋さんだから、誰かに疲れたなんて言えなかったのよね。変な所で臆病というか、気が弱いというか。そう言う事ははっきり言いなさい」
だが、禅十郎は素直に頷かなかった。まだ心の何処かでそうするべきなのだろうかと悩んでいるようである。
「禅君がボロボロになってまですることじゃないわ。確かに禅君の行動もその思いも正しい。でも正しいから絶対にやらなきゃいけないってわけでもないわ。いくら体が動けても、心が疲れてたら上手くいくことも出来なくなる。禅君は何でも一人で背負い込みすぎてるの。今回の件が誰にも頼れない状況なのは分かる。でも……」
「それでも、誰かの為だって思うと動かないといけないって思っちまうんだ。それに大会三連覇はねーちゃんもしたいだろ?」
真由美の言葉を遮った禅十郎の言葉に彼女は戸惑った。
「禅君……それは、そうだけど」
「ねーちゃんだけじゃねぇ、雫にしたってそうだ。九校戦をずっと見てきて、ようやく自分も選手になれるって嬉しそうにしてやがった。あんな顔されてたら、最高の思い出にしてやりたいって思っちまうよ」
この男は他人に対して優しさと厳しさを持って接することを真由美は良く知っている。人としての道を違えれば誰よりも激しく憤り、その者を律しようとする。目標を持って努力する者がいれば親身になって支えようとする。
その在り方は人として間違ってはいないが、問題があるとすれば彼は加減を知らないと言う事だ。全力で物事に取り組む彼はこれほどまでに多忙の状態に陥ったことは無かった。当時の体力と気力だけで十分に事を成していた。彼は本当に精神的に疲れることを知らなかったのだ。
今回はそれが災いした。一高の代表として、一年生の統括役として、一人の選手として、結社の一員として、数多の立場が彼の心を疲弊させた。
「それでも私は禅君に加減をして欲しいの。禅君は達也君に自分の立場に甘えるなって言ってるくせに、あなたは自分の特殊性に甘えてる。自分は他の人より頑丈に出来てるから大丈夫だなんて高を括っている。例えどんな重傷を治せるとしても、禅君の心まで治せるわけじゃない。あなたはそれを知っているはずなのに……」
真由美が悲しい顔を浮かべて、禅十郎の目を見つめる。
(ああ、やっちまったなぁ……)
彼女のそんな顔は見たくなかった。最も見たくなかった、させたくなかった表情の彼女に対して禅十郎は罪悪感を覚えた。
だが、それでも今の禅十郎はそれを受け入れることは出来ない。
「分かってる。でも、今回ばかりは譲れない。あいつと一緒に九校戦で戦えるなんてもう二度とないかもしれない。だからこそ、俺はこの無茶を通す。俺が認めた男が九校戦の試合でどんなことをするのか近くで、この目で見てみたい」
真由美と繋いでいる手を優しく振りほどき、再び彼は拳を握った。
混じりっ気のない禅十郎の純粋な思いを込めた言葉を耳にし、獰猛さと年相応のあどけなさを併せ持った笑顔を見て、真由美は嘘をついていないと理解した。
「禅君らしいと言えばらしいけど。あなた、本当にバカでしょ」
「悪い? やりたいことがあったら好きなようにやれってのが家の家訓なもんで」
「それは禅君だけよ」
真由美の一言に禅十郎は思わず吹いてしまう。
「そうでもないけどなぁ。俺の上の兄弟は揃って色々やったんだよなぁ。嫁さんの為に兄貴なんて島の村一つ壊滅寸前まで追い込んだし、清史郎の兄貴は研究の為なら何でもする狂人だし、この間もまーたやらかしてたしな。千鶴姉なんて付き合ってもらう為に荻さん殺しかけるし……、姉貴は暴君発揮して先輩扱き使ってるし。この中だと姉貴はまだマシか。いつもの手口を使わない辺り、少しは丸くなったかな」
何でもないように言う禅十郎に真由美は苦笑を浮かべた。その話は大雑把に知ってはいるものの、平然と物騒なことを言われる身にもなってほしいものだ。
「まぁ、でも、こういうのは溜め込むもんじゃないのは理解出来たかな。今のでかなりスッキリした。もう明日は何もかもどうでも良い。ただ達也と試合に出たい、アイツや一条、試合に出る選手の実力が知りたい。ただ戦って勝ちたい。だから、明日はなーんも考えずに九校戦を楽しむよ」
子供の様に明るく話す禅十郎に対し、真由美は彼の闘争心に呆れ、彼の貪欲な性格に諦めを抱き、苦悩せずただ一人の選手として九校戦に臨むことに安堵した。
「そう……。それだったら思いっきり楽しんでらっしゃい。これまでの柵を全部取っ払ってきなさい。そんなあなたなら明日の結果がどうなっても誰にも文句は言わないわ」
「ああ、そうする……。でさぁ、ちょっとお願いがあるんだけど……」
「なに?」
真由美にあることを伝えると、流石に疲れたようでゆっくりと禅十郎は目を瞑り、完全に寝てしまった。
安らかな寝息をたてている禅十郎に膝枕をしたままでいる真由美は仕方ないと言わんばかりの笑みを浮かべていた。
「おやすみ、禅君」
今日の彼はぐっすり眠れる、そんな気がした。
如何でしたか。
今回はあのシーンを書きたかったと言う自分の願望を叶えただけな気がしますが、気にしません。
次回からモノリス・コードが始まります。
どのようになるのかお楽しみに!
では、今回はこれにて。