ではでは、夏休み編はしょっぱなオリジナル展開となります。
楽しんでいただけたら幸いです。
※タイトルを変更しました
「ん……」
禅十郎が目を覚ますと、日差しが僅かに開いている窓の隙間を抜けて自分の顔に当たっていることに気が付いた。
起き上がると、自分が敷布団で寝ていたことに気が付く。
周りを見るが、頭がボーっとしている所為で自分が何処にいるのかいまいち掴めない。
そんな状態でも自分がいるのは和室であり、見覚えのある部屋だということは分かる。
「えーっと、何でここにいるんだっけ」
そんなことを呟いていると、引き戸を開ける音が聞こえた。
「おはようございます、禅十郎様」
「ん……?」
声を聞いて、やや意識がはっきりしてきた禅十郎は声のする方へと目を向ける。
そこにいたのは着物を着た一人の少女だった。
黒の長髪で、着物がよく似合っている彼女を見た瞬間、禅十郎は今自分が何処にいるのか理解した。
「明日香か。てことは、俺、帰って来たのか」
「はい。遅くなりましたが、お帰りなさいませ、禅十郎様」
その少女は、
年は禅十郎の一つ下で、千香と同い年である。
彼女はとある事情で九州の本家で住み込みで働くことになった使用人であり、禅十郎が九州にいる間、彼の身の回りのお世話をするのが彼女の役目となっている。
そして、彼女がいるということは自分は九州の本家にいることになる。
時計を見ると七時半を回っており、どうやら起こしに来たらしい。
「俺、どれくらい寝てた?」
意識がはっきりとした禅十郎は彼女に尋ねる。
「先日の夕方にこちらにお戻りになってからですので、半日以上眠っていたかと」
それを聞いた禅十郎は溜息をついた。
「暴れないように、強めの薬で眠らせやがったな」
「そのように伺っております。宗士郎様が禅十郎様を肩に担いで戻られたときは私も驚きました」
それは容易に想像できた。
家に戻ってきたら、兄が弟を荷物のように肩に担いでいるのを見れば誰だって驚く。
さて、では何故禅十郎がここにいるのかについて説明しよう。
それは九校戦最終日の次の日のこと。
宗士郎が禅十郎を強襲してフルボッコ。
戦闘不能に陥った瞬間、睡眠薬で行動不能にして、いざ九州へ。
以上。
「もう皆起きてるのか?」
「はい、そろそろ朝食のお時間ですので。すでに源十郎様と
「分かった。悪いが……」
「着替えはこちらに」
明日香が示した方向には自分の着替えが置かれていた。
この家で使用人として叩き込まれている為、禅十郎が口にしなくても必要な物を用意してくれていた。
因みに、家では和服を着て生活している為、彼女が用意した着替えは当然和服だった。
「では、私は外で待っておりますので、何かありましたらお声がけください」
そう言って明日香は戸を閉めた。
それから禅十郎は用意された服に着替えて、居間へと向かう。
「それにしても相変らずこの家はでけぇな」
実は篝家の本家はかなり大きい造りとなっており、始めてきた人は高確率で迷ってしまうのだ。
実際、禅十郎がいた部屋からここまでちょっと時間がかかる。
「東京の住まいも広いと伺っていますが?」
「いや、ここの半分もねぇよ。敷地も含めればもっとないわ」
「こちらでは多くの方々が通られる道場がありますから、致し方ないかと」
「まぁな。で、今年はこっちには誰が帰ってくる予定なんだ?」
「明日には
「マジで? 珍しいこともあるもんだ」
兄弟が大学を卒業してから、夏に家族が本家で全員揃うことは珍しく、かなりの確率で二人か三人は戻ってこないことがあった。
それは他の親戚も同じである為、全員が揃うことになるとは禅十郎は思ってもみなかった。
「それと、本日午後四時から道場の総会が入っております」
道場の師範代と師範が揃って顔合わせする総会と言うものが毎年春夏冬にて行われる。
「議題がなんだか知ってるか?」
「禅十郎様の弟子に関することと伺っております」
「あー、そろそろ一人くらい取っておかねぇとなぁ。ありがとさん」
それから居間に到着すると家族が殆んど揃っており、禅十郎を送り届けた明日香は朝食の準備の為に台所に戻っていった。
「起きるのが遅いぞ、禅十郎」
源十郎が注意するが、禅十郎は何処吹く風と言いたげな態度であった。
「文句があるなら、そこの次期師範筆頭候補に言ってくれ。面倒になったからって薬で眠らせて連れていきやがったんだからよ。大方、薬の配分間違えたんじゃねぇか」
そんなことを言っていると素知らぬ顔をしている宗士郎の隣に座っていた千香が禅十郎を睨んだ。
ちらっと千香に視線を向け、仕方ないなと禅十郎は呆れを含めた笑みを浮かべる。
「千鶴
「はーい」
千鶴は祖母である千歳と共に隣の台所で朝食の準備をしていた。
「起きたかい、禅十郎。お前、ちょっと手伝いな」
すると台所から千歳が顔を出して禅十郎を呼ぶ。
年は既に八十を超えているが、かつては道場の師範代を務め、引退した後も健康に気を使っている所為か、肉体年齢は六十台の元気溌剌な婆ちゃんである。
しゃーないと思いつつ、祖母の言う通りに禅十郎は朝食の用意を手伝うことにした。
「禅十郎、総会のことは聞いてるかい?」
手伝っていると、祖母が禅十郎に尋ねた。
「明日香から聞いた。いい加減に弟子をとれってことだろ」
「議題の半分はそれだよ」
「半分? まだあんのかよ」
「残り半分は『カグツチ』を仕上げだよ」
それを聞いた禅十郎は眉間にしわを寄せた。
「仕上げって言っても術式と専用のCADに問題があってしばらく出来ないって言われて……出来たんだ」
「ああ、清史郎が仕上げたそうだよ。あんたが指摘した問題点を大体はクリアしたってね」
「だから帰ってくるって訳か。あの引き籠り野郎がここに戻ってくる時点で妙だと思ってたけどさ」
「帰ったら絶対鍛えられるから、帰りたくない言っておったしね。兄弟の中でも一番の軟弱者さね」
「お婆ちゃん、誰だって得意不得意があるんだから、無理強いしちゃダメよ」
「最低限の護身術も学びたくないって言っておいてか?」
千鶴が清史郎を擁護するが、自分の身ぐらいしっかり守れない彼に家族の大半が呆れていた。
「代わりに魔法の素質なら兄弟で一番なんだから、そんな才能を持った研究者を周りが何もしないわけがないじゃない」
「その周りに迷惑をかけまくってるから問題なんだろうに。半月前にも苦情の電話が来たよ」
「そうそう。あの人でなし、帰ったら兄貴のトレーニングメニューフルコースをやらせようぜ」
禅十郎が宗士郎に顔を向けると彼は頷いた。
「考えておく。だが、お前の『カグツチ』が完成してからだ。それまでは奴が五体満足でなければ意味がない」
「了解、了解。さっさと終わらせて、ぼろ雑巾にして東北に送り返してやろうぜ」
「そうしてやんな。あの馬鹿もんは一度、体を限界まで酷使することを知らんと将来が不安だよ」
家族の中では清史郎の扱いは禅十郎の次に雑であった。
少々インドア派には厳しい家なのである。
それから皆で朝食をいただいた後、禅十郎は自主トレをして総会まで時間を過ごした。
午後三時を過ぎた頃、禅十郎は総会の為に部屋で総会用の和服に着替えていた。
着替えの手伝いは明日香が行っており、着崩れしていないか最後のチェックしていた。
そして最後の仕上げをし終えた後、明日香は禅十郎の前に立った。
「禅十郎様、これで完了です」
「ありがとさん。久しぶりに着るけど似合うか?」
そう尋ねると明日香は笑みを浮かべて頷いた。
「はい、とてもよくお似合いです」
「そうか。さて、そろそろ総会の会場に行くとするか。明日香も一緒に来てくれ」
「……私もですか?」
何故と問いかけるように首を傾げる明日香。
「一人寂しく会場に行きたくねぇから、話し相手として付き合ってくれ」
本家から道場にある総会の会場までかなり距離があり、十分から十五分ほど歩かなければならないのだ。
その為、一人で歩いて行くのは何か物寂しい為、禅十郎の世話係となっている明日香を連れていくことにしたのである。
「禅十郎様がそう言うのであれば、そのように」
彼女はいつでも人前に立てる服を着ている為、準備はいらなかった。
そして二人は会場まで向かった。
篝家の本家があるのは九州の山奥の一帯にある。
道場や様々な設備もある為に規模はそれなりに大きく、本家の邸宅から場所によっては車で移動もあり得るのだ。
そんな中、道場の方針を決めたり、宴会を開いたりする会場への道は樹木で囲まれていた。
近くには川も流れている為、東京と比べるとやや涼しく歩くのにちょうど良い環境だった。
「明日香、孤児院の奴等は元気にやってるか?」
禅十郎は三歩後ろで歩いている明日香に顔を向けた。
「はい、元気でやっています。皆、禅十郎様に会うのを楽しみにしていますよ。早く学校や九校戦のお話を聞きたいと」
「ハハハ、元気なら何よりだ。土産話は山ほどあるから、あいつらも満足できるだろうさ。あと、勉強はちゃんとやってんのか? やんちゃ坊主が多いから、明日香も大変だろ」
「いいえ、皆良い子にしておりますよ。院長先生も禅十郎様ほどの元気な子はいらっしゃらないから楽だと仰っておりましたし」
院長先生と明日香の口から出ると、禅十郎は不機嫌な顔になった。
「あの婆さん、まだくたばってないのかよ」
それを見た明日香はクスリと笑みを浮かべる。
「まだまだ若い者には負けていられないと仰っていました」
「まぁ、あの婆さんなら百まで生きそうだしなぁ。でも、いい加減に若いもんに道を開けてやれって気がしなくもないが……」
「後任の方もそろそろ余生をゆっくり過ごしてほしいと嘆いておいででした。ですが、院長先生もあのような方なので致し方ないと思います」
「ハハハ、道場出身の奴は揃って我が強い奴等ばっかだからなぁ」
あなたがそれを言いますか?と言いたげに首を傾げる明日香だったが、禅十郎は気にせず先へと進んだ。
「明日香、道場はどうだ? 俺が帰った後、中段試験に合格したのは聞いていたけど……。あ、悪い、合格祝いを渡し忘れてたわ。後で渡しておく」
それを聞いた明日香は驚いた顔を見せた。
「そんな! 私がそのような物をいただくわけにはいきません。それに私だけ特別扱いさては他の師範代に……」
「大丈夫だって気にすんな、気にすんな。師範代なら少しくらい勝手したって文句は言われねぇよ」
「いえ、いけません。結社の跡を継ぐあなたが規律を守らなければ師範や他の師範代に示しがつきません! あまり自分勝手に動いては禅十郎様の今後に差し支えてしまいます!」
頑なに拒む明日香に禅十郎は苦笑交じりに頭を掻いた。
(まぁ、そんなに問題はないんだけど……。相変らず頑固っつうか、心配性って言うか)
彼女の心配は実は無意味なものなのだが、それを今言う必要は無いと禅十郎は黙っていることにした。
「まぁ、確かにああいう立場は思っている以上に規律が厳しいからな。でもな、色んな人達の話を聞いてると、学生の内はもっと自由でいいかなぁって思っちまってさ」
「自由……ですか?」
「どうせ、規律だのなんだのに振り回されるって言うなら、振り回されないうちに出来ることを目一杯やっておいた方が、何かと役に立つだろ。色々経験しておけば、色んな視点から物事を見られるようになる。遠くない未来に親父と同じ場所に立つんなら、多くを経験しておくに越したこたぁねぇよ」
確かに禅十郎の言う通りだと思うが、それでも明日香は食い下がった。
「……だとしても、禅十郎様はもう少し自重を覚えるべきです。人の上に立つというのであれば、その命は自分一人の物ではなくなってしまいます。だからこそ、自身の身をもっと大切に……」
「常識に囚われるなってば。常識が非常識に敵う訳がないことはこれまでも多くあっただろうが。かのトーラス・シルバーだってそうだ。常識に囚われた巨匠を古臭い老害と呼ぶ奴はいつだって予測不能の結果を出してきた」
「それは……そうですが。そうなんですが……」
すると背後から歩く足音が途絶えた。
(ん?)
背後を振り返ると、下を向いて立ち止まっている明日香がそこにいた。
「禅十郎様」
「お、おう?」
やや低めの声に禅十郎はたじろいだ。
「成程、確かに禅十郎様の言い分は最もです。一度ルールから離れた視点は規律で縛られた世界に変革をなすこともありますから、いずれ役に立つものでしょう。ですが……ですが、ですが、ですが」
徐々に呪詛のようにぶつくさと言い続ける明日香に禅十郎は少し後ずさりする。
「あのー、明日香さーん?」
明日香を呼ぶと彼女は下を向いていた顔を上にあげて、禅十郎をまっすぐ見る。
そしてそのまま物凄い形相で禅十郎に詰め寄った。
「ですが禅十郎様!」
「あ、はい……」
ほぼ無意識に禅十郎は返事をする。
「だからと言って、いつも非常識な行動をしていい理由にはなりません!!」
禅十郎の言葉に理論的に反論出来なくなった明日香は声を張り上げた。
「確かに禅十郎様の言うことは間違っておりません! しかしながら、無礼を承知で申し上げます! 禅十郎様はご自身の行動が周りにどれだけ迷惑をかけているのか分かっておいでですか!? 自身が傷ついた時にどれほどの方々が心配しているのか分かっていないのではありませんか!」
「いや、だってそれは死ななきゃ問題無い話だろ」
「道場の方針に毒され過ぎです! ビルの下敷きになれば、下手をしたら死んでしまったのではないかと普通は心配するものです!」
「うーん、まぁ、そうだな。普通は死ぬか」
禅十郎は気付いていないが、死ななければ問題無いという考えが非常識だと認識していなかった。
道場も少々怪我した程度であれば、直ぐに直してしまい、骨折や脱臼でも専属の魔法師による治療で直ぐに復帰できる。
それが当たり前となってしまった禅十郎は死なない努力はするが、怪我は少しくらいしてもいいやと考えるようになってしまったのである。
つまり禅十郎が怪我をするギリギリのところまで平然としていられる肝の太さは、道場の修行によって培われたものであったと言える。
実際、今の彼は目の前に爆弾を持った者がいたとしても冷静な態度でいられるだろうし、九校戦に向かう途中も高速で突っ込んでくる車体に対して臆することなく『ドレッドノート』を発動させて事態を収拾した。
本当に命の危機にならない限り、彼は一般的に言えば無茶と言える行動をとり、そんな無茶を可能としてしまう能力があるが為に、彼は非常識な行動を取るのである。
「周りは『禅十郎様だから大丈夫』などと言っていますが、私はとてもそうとは思えません」
そして、長年それを見てきたな真っ当な感性を持っている明日香は九校戦の試合でとうとう堪忍袋の緒が切れてしまったのだ。
「自身の行動が非常識であり、それが周りを不安にさせていることを自覚してください」
「うーん、してるつもりなんだけどなぁ」
「いいえ、まだまだ自覚が足りません。良いですか、禅十郎様、今日という今日は……」
それから彼女のお説教が始まった。
長々と説教をしたことで、どれほど自分を思ってくれていたのかは嫌というほど理解させられた。
しかし……。
「あのさー明日香、これ以上話を続けると遅刻するんだけど?」
端末の時計を見せると総会まであと十分しかない。
それを見た明日香は目を丸くする。
「も、申し訳ありません! 処罰は後でいくらでも……きゃっ!」
深々と頭を下げる明日香だが、その後すぐに驚きの声を上げる。
彼女が驚いたのは自分の体が浮いたような感覚を味わったからだった。
そして、自分の現状を認識して、彼女は顔を赤くした。
「ぜ、禅十郎しゃまっ!?」
思わず噛んでしまう程慌てているのは、彼女が今禅十郎にお姫様抱っこされているからであった。
「すまん、時間がねぇからとっとと行くぞ。下噛むなよ」
禅十郎は明日香を抱えて、自己加速術式を発動しようとCADを操作する。
それを見た明日香は赤く染まっていた顔が、徐々に青くなっていった。
「ま、待ってくだ……」
恥ずかしい思いをしていた彼女の顔が既に恐怖で染まっていた。
何故なら彼女は知っているのだ。
禅十郎の自己加速術式による高速移動は本当に非常識であることを。
「禅十郎様、まだ心の準備が……」
魔法師の自己加速による移動速度は平均で時速八十キロメートル前後。
それに対し、禅十郎の最高速度は時速百二十キロメートルを余裕で超える。
つまり、通常では体験できない高速の世界を生身で感じることになるのだ。
「よし、レッツゴー!」
そして、禅十郎が走り出した瞬間、彼女はその世界に足を踏み入れた。
踏み入れてしまったのである。
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!」
その日、九州の山奥で少女の叫び声が木霊した。
いかがでしたか?
禅十郎が夏休みをどのように過ごすのか、お楽しみに!
ということで、今回はこれにて。