へっぽこ冒険者がダンジョンに挑むのは間違っているだろうか 作:不思議のダンジョン
ダンジョン地下一階。ダンジョン内部では最も地上に近い場所を六人の男女が歩いていた。地上に最も近いだけあって人の出入りが激しく、先ほどから六人の前に幾人もの冒険者が現れ、すれ違っていく。
ここはいわばダンジョンの入り口であり、冒険者であるならば新人もベテランも必ず通る。出会う者たちの顔触れに法則性など皆無。新人と思しき者もいれば年季の入った鎧に身を包んだベテランもいる。人種もエルフ、ヒューマン、ドワーフ、獣人、アマゾネス、パルゥムと多種多様であった。
しかし、そんな彼らに共通することがあった。それは、六人の姿を視界にとらえた瞬間、誰もが一様に目を丸くして先頭のヒューマンの少女を凝視することだ。
「イリーナさん! 魔石の回収、終わりましたよ!」
「こっちのも全部拾い終わっただ!」
「ありがとうございます、ルヴィスさん、ドルムルさん。それじゃあ、いきますよ……よいしょっと!」
ドルムルとルヴィスの手によって拾い集められた魔石がはち切れんばかりに背嚢に詰め込まれ、それをイリーナは勢いよく持ち上げる。その数、なんと六個。一つ一つがイリーナの頭よりも大きく、それが六つとなればもはや小柄な少女など押しつぶしてしまいそうになるはずだが、イリーナは鼻歌交じりに運んでいる。その足取りは軽く、鈍重さとは無縁の様に鉄靴が振り出される。
しかし、その鉄靴に覆われた足が地面を踏みしめるごとに数多の冒険者によって踏み固められたはずの地面が破砕音と共に陥没する。
魔石と自身の重量だけでは決して起こりえない異常事態。それを成したのはイリーナが纏うプレートアーマーである。幾重にも重ねられた装甲によりまるで着ぶくれしたかのようにイリーナの体格を一回りも二回りも大きく見せ、その重量たるや並の男が二人掛かりでも持ち上げるのがやっとという有様である。
山のように積み上げられた背嚢を抱え込み、黒鉄の城塞の如き鎧を身にまとう少女。
イリーナは地面だけでなく冒険者たちの心にもその存在を刻み込んでいった。
「すごいです! そんな大量の魔石を軽々と……! 一体どうすればそんな力がつけられるんですか!?」
「あたしもいつか、あんな風になれるかしら……?」
「あはは……こうなるともはや笑うしかないですよね……見慣れてはきましたが、第一級冒険者というのはやはり規格外なんですね」
「いやー、そこまで褒められると照れてしまいます。私、単に人よりも力が強くて頑丈なだけですよ?」
そんなイリーナの後方にいた少女たちは驚嘆、羨望、諦観と各々異なる視線を送る。彼女たちは地下17階層にてイリーナ達に助けられた冒険者たちだ。本来であれば、違うファミリアの人間たちと帯同することなどあり得ない。
彼女たちがこうしてイリーナ達と同行している理由、それはイリーナが地上までの付き添いを買って出たためだ。ミノタウロスの群れに追いかけまわされた少女たちの有様ときたら悲惨の一言に尽きた。装備は破損、ポーションを始めとした消耗品は使い切っていたか紛失しており、とてもではないが探索はおろか、帰還にも危険が残る様子であった。
そんな彼女たちの状況にイリーナは助力を申し出たのだった。
当初、少女たちは丁重ながらも申し出を断った。命を助けてもらった上にその後の後始末までしてもらうなど厚かましいことこの上ない。しかし、説得されるうちに改めて自分たちの状況を鑑みてみると、その申し出を断ることは非常に難しいことに気が付いていった。やがて、ベテラン二人も説得に加わることで押され始め、元々イリーナ達も帰還する頃合いだったということが決め手となり、結局ファミリアに戻った後に礼をするということで話が付いたのであった。
そうして、この世にも珍しい、四つの異なるファミリアからなる一行が結成されたのであった。
そして、それは少女たちにとって驚きの連続であった。
レベル3のドルムルとルヴィスの戦いぶりも上級冒険者として自信をつけ始めた彼女たちに冷や水をかぶせる程の衝撃を与えた、だがそれ以上にミノタウロス戦ではその実力の一端しか見られなかったイリーナの力をまざまざと見せつけられたのだ。
「何言ってるんですか。15階層でモンスターの大群に囲まれたとき、剣の一振りで全滅まで追い込んだじゃないですか!?」
「そうそう、それとフォースって言ったけ? あの魔法も一小節で撃てるだなんてそんな魔法があるなんて聞いたこともないわよ!」
照れるイリーナをヒューマンとアマゾネスの女戦士、シンシアとアマンダは興奮した様子で誉めそやす。同じ女性であり、前線で戦う戦士としてイリーナに二人はシンパシーを感じるとともに強い憧れを抱いているのだ。
そんな二人をやや後方から仲間のエルフの女魔導士、ロゼッタは苦笑気味に見守っていた。
「おーし、そろそろ出口だな。お前ら、よく頑張っただな」
最後尾にて後方への警戒を行っていたドルムルが指さす方向には岩でできた長い階段、そして周囲の暗闇からくり抜いたような出口が開いていた。
逆光で外の景色が見えないが、光がやや赤みを帯びている所を見るにそろそろ夕方なのだろう。まだ正午が過ぎてしばらく経ったぐらいだと思っていたのだが、どうやらダンジョン内部で戦っていたために時間の感覚がずれてしまっていたらしい。これは、正確な時間を知る方法を探す必要があるかもしれない。
そう、イリーナが思った瞬間、どさりという音が横から聞こえた。
「あ、あれ……? ど、どうしたんだろう……? あ、足に力が……」
「ロゼッタさん!?」
振り向けば、そこには割座でへたり込むロゼッタの姿がいた。その顔色は真っ青で、手にしていた杖を取り落とし、全身が凍えた様にガタガタと震えていた。
明らかに尋常な様子ではない。
そして、それはロゼッタだけではなかった。
「ひっぐ……やっ……た……えっぐ……わた、したち……う、うううう……生きて、る……生きて、みん……なの所に……!」
「ば、馬鹿ね……イリーナさん、達が……見てる、でしょう……!」
道中では気丈だったシンシアが、快活に笑っていたアマンダまでもが膝をつき、自らの体をかき抱き、赤子の様に嗚咽を漏らし、涙を滂沱する。
地上の光を目の当たりにし、ようやく自分たちが死の淵から生還した事を実感したとき、その衝動を抑え込むことなどとても少女たちには不可能であった。
少女たちが泣き崩れる姿にイリーナも、ドルムルも、ルヴィスも、そして、周囲にいる通りすがりの冒険者たちも横目で見るだけで何も言わない。冒険者にとって死はありふれたことであるが、同時にそこから生還もまた確かに存在するのだ。
願わくば、一人でも多くの冒険者がこうであってほしい。イリーナはそう思った。
「……見苦しい所をお見せしました」
「すみませんでした!」
「あ、あはは……ごめんね?」
そう言って、三人はイリーナ達に謝罪する。その頬が赤く染まっているのは夕日のせいだけではないだろう。
あれから十分ばかりの後、ようやく落ち着いた三人を連れ、イリーナ達はオラリオへと戻った。時刻は夕暮れ時。迫り来る夜の気配から逃げる様に人々は早足でかけていく。
イリーナ達が歩いているギルドへと続くメインストリートでは特にそれが顕著であり、もうすぐ起こるであろう帰還した冒険者たちによる混雑の前に買い物を済ませようとする主婦や、新鮮な食材を仕入れようとする店主、イリーナ達の様に早めに探索を切り上げた冒険者たちなどがせわしなく歩いていた。
帰還した冒険者たちのピークはもうすぐだ。そうなれば、魔石の換金するのにも大いに時間を食うこととなるだろう。人込みの隙間を縫うようにしてイリーナ達はギルドへと急ぐ。
「いえいえ、それよりも今日は随分と人が多いですね。この街はいつもこんな感じなのですか?」
「まさか。確かにオラリオは元々人口が多い街ですが、そこまでではありませんよ。ここまで多いのは今度の怪物祭の影響でしょう」
「怪物祭? なんですか、それ?」
「ん? イリーナ、怪物祭を知らないだか?」
聞きなれない祭りに疑問の声を上げるイリーナに、ドルムルが少し驚いた様子を見せる。どうやらなかなか有名なお祭りらしい。
ドルムルは低い背丈で人込みに難儀しながら説明する。
「怪物祭ってえのは、ギルドが主催し、ガネーシャ・ファミリアが全面協力しての祭りでな。ダンジョンからテイムした魔物を使った催しを街中でするだ」
「ええっ!! 魔物を街中に入れるんですか!? 危なくないんですか!?」
「まあな。そういう声もあるっちゃあ、あるんだが……何せギルドの肝いりの上、全面協力しとるガネーシャ・ファミリアってのは規模だけなら最大の大手中の大手だ。こうなるとなかなか反対も難しいだ」
「むむ……」
力の強いギルドと有力ファミリアの専横にイリーナの眉根が歪む。秩序の至高神に仕える身としてその様な横暴は憎むべき悪徳である。
ギルドとまだ見ぬガネーシャという神にイリーナが悪印象を抱いていると、慌てた様子でドルムルがギルドとガネーシャの弁護を始める。
「ああ……すまねえだ。ちっと言葉が足らんかったな。確かにそれだけ聞けばギルドとガネーシャっちゅう神様は傲慢に聞こえるかもしれねえだが、それは違うだ。ギルドにもいろいろと事情があるだろうし、ガネーシャもむしろ神の中じゃあ一二を争う良識派だ」
「街中で魔物を連れまわすような方々が、ですか?」
イリーナの信じられないという顔で周りの人間を見渡すがシンシアも、アマンダも、ロゼッタも、ドルムルとは仲の悪いルヴィスですら否定の声を上げなかった。どうやら、ドルムル個人の見解という訳でなく、全員の共通のものらしい。
「なにせ、冒険者って言ったら荒くれ者の無法集団なんてイメージがつき纏いますから。それを払拭するためにギルドも何かしらの手を打つ必要があるんだと思います」
「ガネーシャ・ファミリアというのはオラリオの自警団みたいな側面もあるんです。有象無象の冒険者が沢山いるこの街が一応の治安を保てているのは彼らのおかげです」
「それに本当に傲慢な神ならいくら規模が大きくたって、ロキ・ファミリアとフレイヤ・ファミリアを抑えてこの街最大の団員数を抱えることなど到底不可能だわ。そして、そんな神格者を協力させることができたということはギルドもそれなりの考えがあった筈よ」
「成程! そういうことなら、仕方がありませんね!」
難しい政治の話が絡み始めたと見るや否や、速やかにイリーナは矛を収めた。
おそらくは自分にはそういった話を理解することは難しいという自覚があるからこそなのだろうが、いっそ清々しい程に思考を放棄したイリーナに一行は苦笑するほかなかった。
そうこうするうちに一行は目的地にたどり着く。
冒険者たちを管理し、そして魔石の換金所も兼ねそろえたギルドの本拠地、白亜の塔が夕日で赤く染まっていた。混雑のピークの前に到着したことに胸を撫でおろすと一行はその中へと入っていく。
「いやー、間に合って良かったですね」
「ええ、全くです。人が思った以上に多かったときはどうなるかと気をもみましたが、これならば……」
ぴたり、と先頭を歩くルヴィスが動きを止める。その背中に当たる寸前でイリーナは踏みとどまった。重武装のイリーナに追突され、あわや大事故という状況であったがルヴィスは全く意に介さない。目を見開いたまま、ワナワナと身を震わせるのみであった。そして、それは隣にいたドルムルも同様であった。
「ルヴィスさん? ドルムルさん?」
「「……っ!!」」
不審そうなイリーナの問いかけが合図であったかのように二人は弾かれたようにごった返すギルドの受付へと駆け出し、人込みをかき分けていく。
突然の二人の失踪に一同はしばし思考が停止した。
最初に我に返ったのは、イリーナであった。
「どうされたんですか!? 二人ともーー!?」
「エ、エイナちゃんに何をしてるだあああああっ!!」
「その手を放しなさい! そこのヒューマン!!」
「え、エイナさん?」
イリーナの声に答える様に、人込みの奥から二人の怒声が聞こえた。思いがけない人の名前に反応するイリーナだったが、その名前に反応したのは彼女だけではなかった。
「エイナさん? あの、もしかしてエイナ・チュールさんの事ですか? もしかして、ハーフエルフの?」
「ひょっとして……イリーナさん達ってエイナさんとお知り合いなんですか?」
「はい。私の冒険アドバイザーをやってもらっているんです。もしかして……シンシアさん達もエイナさんのことをご存じなんですか?」
「はい。私たち三人も冒険アドバイザーをしてもらっているのです。すごい偶然ですね……」
まさか、救助された者と救助した者同士にこんな縁があるとは思いもしなかった。一瞬思考がそちらに移ってしまったが、すぐに現状を思い出し、イリーナは焦った。
「あの二人があそこまで焦るなんて、エイナさんに何かあったのでは……!?」
「ああっ……! 待ってください、イリーナさん!」
制止の声も聞かず、イリーナも人込みに突進する。正直、あの重武装で人込みをかき分けるのは迷惑を通り越して危険極まりないのだが、イリーナの頭からは抜け落ちてしまっているらしい。あっという間に人込みの奥に消えて行ってしまう。
「ほら、あたしたちも行かないと! もしかしたらエイナさんが質の悪い冒険者に絡まれているのかもしれないわ!」
「ええっと……そういうのとは違うと思いますよ?」
自分もまた飛び出そうとするアマンダにロゼッタが待ったをかける。恩人の危機かもしれないと、意気込んでいたアマンダは若干眉を逆立てる。
「ロゼッタ、どうしてそんなことが分かるのよ」
「先ほどですけど、ちらっとエイナさんの姿が見えましたので。なんか、男性の方に言い寄られているようでしたよ」
「ああ、成程……そういうことですか」
ロゼッタの報告にシンシアは合点がいったとばかりにうなずく。ギルドの受付嬢は容姿端麗なものが選ばれるというのは周知の事実であり、その容姿に惹かれ冒険者が言い寄るというのはよくあることである。そして、それによる三角関係がらみのトラブルもまた日常茶飯事であった。
「ふーん、それで慌てふためいたってことはあの二人もエイナさんに好意を寄せている、というわけですか」
「なーんだ。それなら焦る必要はないわね。……そうだ! ねえ、ロゼッタ。ちなみにエイナさんに言い寄っていた男ってどんな奴?」
色恋沙汰と聞いて、アマンダは途端に焦りを消して年頃の少女らしく他人の恋路に興味を示しだす。
レベル3冒険者二人が絡んだ恋愛トラブルというのは断じて焦らなくても良い事例ではないのだが、そこは冒険者であり、情熱的なアマゾネス。
魅力的な女性ならば取り合いが起こって当然だし、男ならば争いの一つでもして勝ち取るべきだ、というのがアマンダの信条だ。
鼻息を荒くするアマンダにロゼッタは苦笑すると、自身の優れた視力でとらえた男性の特徴を告げた。
「はっきりとは見えなかったですけど……ヒューマンの少年でしたね。オレンジ色の髪をしていて、手には随分使い込んだ槍を持っていました」
二度あることは三度ある、という言葉がある。
たとえそれが珍しいことであったとしても物事というものは繰り返し起こるものだから気を抜かずに注意をし続ける様に、と戒める言葉だ。
ならば今朝に妙な二人組がやって来て、その後に自称レベル7の女の子の相手をした以上、こうなるのは必然だったのかもしれない。
そんなことをエイナは本日三度目の厄介な客を前に現実逃避気味に考えた。
「はあ……! はあ……! ハーフエルフのお姉さん、どうですか、今夜は一緒にお食事でも……!」
エイナの手をがっしりと掴んで離さないまま、興奮した赤毛の少年の鼻息がエイナの前髪をふわりとくすぐる。
エイナは生ごみの匂いでも嗅いだかのように顔を大きく顰めるとすぐに営業用の笑顔に切り替える。
「申し訳ありません。私、仕事とプライベートは分ける主義なんです。今回はご縁がなかったということで、そろそろ手を放していただけませんか?」
「ああっ! その仕事にストイックな姿勢! デキル女って奴ですね! 僕、そういう知的な女性に憧れてるんですよ!」
「そうですか、それは分かりましたから手を放してください。迷惑です」
「ああっ! そのクールな対応、森の貴人と呼ばれるエルフの血を引く女性らしい……! 間違いない! 貴女こそ僕の理想の女性です!」
「人の話を聞いていますか? 私は手を放してくださいと言ってるんです。あなたの理想が私であったとしてもそれは私とは何も関係のない話です」
完璧な営業スマイルとは対照的にエイナの声は絶対零度の冷たさを持って赤毛の少年を切り捨てる。声と表情のギャップから一般人であるはずのエイナの威圧感は上級冒険者もかくやという迫力を持っている。
しかし、少年もまたなかなかの強者であった。隠しようのないエイナの拒絶の意志をことごとく無視し、なおも口説き落とそうと甘い——本人がそう思っているだけで、エイナを始め周囲の者たち全員から怪しいと思われている口調で言い寄っていた。
「今日は厄日ね……」
げんなりとした口調でエイナは肩を落とす。
エイナとて伊達にギルドの花形である受付を務めているわけではない。こういう手合いには慣れたものであった。しかし、そんなエイナであってもここまで冷たくあしらわれてもめげない人間は初めてであった。
ため息をつき、改めて少年の姿を見る。
年はエイナよりもやや年下といったところであろうか。髪は夕日のようなオレンジ色で目は大きく、少年から男へと移る年齢特有の美しさを持っている。線の細い、華奢な体格も相まって一瞬女性かと見まがうほどに中性的な雰囲気を醸し出している。
どう見ても荒事とは無縁の様子であった。大方、華々しい冒険者の話に感化された少年が軽い気持ちでギルドにやって来て、そこで冒険者特有の空気に中てられ、浮足立っているのであろう。
エイナがそう結論付け、頭の中でこの世間知らずの少年をどう諭すかを考え始めたときであった。
「エ、エイナちゃんに何をしてるだあああああっ!!」
「その手を放しなさい! そこのヒューマン!!」
ギルド中に響く様な怒声が二つ、エイナと少年の体に叩きつけられた。
はっと振り返ってみれば、そこには見知った、しかしこの場においては一番いてほしくない姿がそこにあった。
「ドルムルさん! ルヴィスさん!」
突然現れた二人の姿に、さしもの少年も驚いたらしくエイナの手を放す。自由になった手にエイナは助かったと思うと同時に、この状況に焦りを覚えていた。
思い人である自分に馴れ馴れしい態度を取っていた少年に対し、レベル3の冒険者二人は明らかに冷静さを失っていた。それこそ、少年と自分たちの力量差が分かっていない程に。
幸い、得物まで抜いてはいなかったが、そんなことは何の気休めにもならない。3レベル冒険者の腕力ならば新人冒険者にとっては素手であろうとも武器を持っていようとも対して違いはない。どちらも取り返しのつかない怪我をするということに違いはないのだから。
真っ青になりながらエイナは二人を宥める。
「お、お二人とも落ち着いてください! この人は初めてのギルドで少し舞い上がっていただけなんです!」
「新人だあ……? んなこと関係ねえだ! 新人のくせにエイナちゃんに言い寄るだなんて身の程知らずもいいところだっ!!」
「ええ、全くです。新人であっても……いえ、新人だからこそこういったことはしっかりと躾けなければなりません」
「ああ……! なんでこんな時だけ意見が一致するのかしら、この人たちは……!」
頭を抱え、エイナは絶叫すると少年の方へと振り向く。
「そこのあなた、何をしているの!? 早く逃げなさい! あの二人、レベル3よ!」
「え、そうなんですか。ふーん、あれがこの街でも珍しい、3レベル冒険者かあ……」
そう言って、少年は値踏みするようにドルムルとルヴィスを観察し始めた。
切羽詰まったエイナとは対照的に少年は子憎たらしい程に余裕である。
その姿にエイナは処置なしとばかりにかぶりを振る。
この子は分かっていないのだ。第三級冒険者がどれほどの規格外であるのかを。大方、ケンカ自慢の延長上程度と侮っているのであろう。そうでなければこうも落ち着いた態度でいられるはずがない。
怒れる二人も、少年の様子から自分たちが舐められているということが分かったらしい。既に怒気は殺気へと変貌し始めている。
こうなってしまえばもはや血を見ることは避けられないであろう。
「この状況でその余裕とはずいぶん舐められたものですね……!」
「まあ……怯える必要もないし……」
「ぶっ殺してやるだあああああっ!!」
少年の何処までも生意気な態度にレベル3冒険者二人は遂に怒りを爆発させ、殴りかかる。上級冒険者二名による、下級冒険者への一方的なリンチの始まりにギルドに悲鳴が響く。
エイナを含め、その場にいた全ての人間が派手に殴り飛ばされる少年の姿を幻視した。
だが……
「ふっ!」
鋭い呼気と共にふわり、と巨大な体が宙に舞う。
そう、巨大な体だ。少年の小柄な体ではない。
ドワーフ特有の、殴りかかった筈の、レベル3冒険者の体が、である。
「な、なんだとおおおおっ!!」
驚愕の声を上げながらドルムルの体は一回転した後に地面へと無情にも叩きつけられ、うめき声を一つ上げると、動きを止めた。
あまりの事態に先ほどまでの喧騒が嘘のように周囲が静寂に包まれる。
誰もが何が起こったのか理解できなかった。ドルムルの拳が少年を捉えようとした瞬間、少年がその拳に触れると突然拳があらぬ方向へと向けられ、そのままドルムルの体は空中へと投げ出されたのだ。
あまりに摩訶不思議な状況に投げられた張本人でもあるドルムルは勿論、一連の動きを見ていた周囲の者たちも少年が何をしたのかはっきりと理解できなかった。
だが、その中でもルヴィスだけは少年のしたことに気が付いていた。
「組み技……! それも、ここまで見事な……!」
世の中には人間の身体的な構造を利用した体術が存在する。少年が行ったのはその基本、力の誘導だ。向かってくる力に対し、別方向から力を加えることで力のベクトルを本来とは別の方向へと導き、それにより、相手の体勢を崩すという技だ。
恩恵に頼らず、自身の力量も重視する上級冒険者たちならば修めている者も多い技術だが、これほどまでに鮮やかな冴えは見たことがなかった。
少年の力量はルヴィスのそれを大きく上回っている。
己の迂闊さにルヴィスは内心舌打ちをする。相手の容姿に気を取られ、油断しきっていた。
改めて少年を観察してみれば、今もこうしてこちらへの構えを解かない少年の姿には隙など微塵も見受けられない。傍らにある愛用の槍に目を向ければ、華奢で目立った傷のない少年の体とは反対に傷だらけで年季の入ったものだ。つまり、この少年は槍がボロボロになる程の年月を戦いながら、その体には大きな傷を負ったことなどない、歴戦の、それも凄腕の戦士であるということを如実に表していた。
「それで、まだやるの?」
「ぐ……!」
気怠そうな少年が尋ねる。完全にこちらを脅威とは見なしていない態度であった。
レベル3冒険者としての矜持が特攻を叫んでいたが、それに従うにはルヴィスの理性は高すぎた。とはいえ、思い人の前で無様な姿をさらすにはエルフ特有のプライドの高さが許さず、ルヴィスはただ悔しそうに歯噛みをするしかなかった。
第三級冒険者の怒気とそれを平然と受け流す少年の不気味さに夕暮れ時を迎えるギルドが支配され、その場の空気が鉛に変わったのかと思うほどに重苦しいものへと変化する。
このままでは、遠からず良くない結末へと至る。誰もがそう確信しながらも恐怖と混乱から何もできずにただ手をこまねいて、事態を静観するしかなかった。
「あれ? 何しているんですか、エキュー?」
そして、イリーナが現れたのはそんな戦場のような状況だった。
突然の、そして周囲の状況を何も分かっていないイリーナの登場に周囲の者たちは慌てる。ただでさえ一触即発の状況なのに、そこに何の事情も分かっていない部外者が余計なことをすればどんな事態に陥るのか分かった物ではないからだ。
この場において、数少ないイリーナの知人であるエイナは焦燥に駆られながらイリーナを呼ぶ。
「イリーナさん! はや「何だ、イリーナじゃないか。そっちこそ何してるんだい?」……え?」
エキューと呼ばれると、少年は先ほどまでの剣呑な空気をあっさりと消し、イリーナの方へと駆け寄る。気安く言葉を交わす、エキューと呼ばれた少年とイリーナの姿にポカンとエイナは口を開けたまま見つめる。
彼女の中ではイリーナは自分の力量も分かっていない新人冒険者であり、一方エキューの方は先ほど実力者のドルムルを軽々とのした凄腕である。本来ならばあまりの実力差に接点などそうそうあろうはずがないのだ。
エキューとイリーナの関係が分からず、困惑するエイナの前でエキューとイリーナはまるで気の置けない友人同士のようにおしゃべりを始める。
「もちろん、冒険ですよ! 今日は早速、先輩冒険者のドルムルさんとルヴィスさんと一緒に……って、えええっ!? そ、そこにいるのはドルムルさんじゃないですか!? どうして、ひっくり返っているんです!?」
「殴りかかって来たんで、投げ飛ばしたんだけど?」
今更ながら追ってきたドルムルがひっくり返っていることに目をむくイリーナにあっけらかんとエキューは自白する。
「殴りかかって来たって……ドルムルさんは理由もなく暴力を振るう人じゃありませんよ。一体何があったんです?」
「そこのハーフエルフのお姉さんと仲良くしようとしたらそこの二人が絡んできたから返り討ちしただけだけど?」
ハーフエルフという言葉とエイナの姿に事情を察したイリーナはため息をつく。
「また、いつもの病気が出たのですか、エキュー? ダメですよ。ドルムルさんとルヴィスさんはエイナさんのことを真剣に思っているのに、それを邪魔しては」
イリーナのなだめすかす様な発言にエキューはとんでもない、とばかりに反論する。
「何を言うんだ!? 僕だって真剣に思っているさ!」
「へっ!? ちょ、ちょっと、君……!?」
何のためらいもなく、エイナへの好意を衆目の前で宣言するエキューに周囲からどよめきが上がる。皆、他人の恋話に敏感なのはどこの世界でも同じである。ましてや、それが三角関係に絡んだものとなれば尚更である。
男性からは好色的な視線が、女性からは複数の男に言い寄られるという立場とそれにふさわしい美貌に対する羨望と嫉妬の視線がエイナへと注がれる。
それは普段、他人の視線になれたエイナにとってもひどく居心地が悪いものであり、思わず、エイナは受付嬢の仮面を外し、素のエイナ・チュールという一人の少女として羞恥の声を上げた。
その姿に、普段は事務的な笑顔とは違う初々しく赤く染まった顔に周囲の者たちはますます興味深そうにエイナをにやにやとはやし立てる様に見つめる。
それが分かり、エイナは恥ずかしさやら怒りやらで頭が一杯になり、口からは声にもならない音が漏れ、終いには外界からの情報を全て遮断するように机に突っ伏す。
そんな風にエキューが主人公でエイナがヒロインという恋愛劇が始める中でただ一人、イリーナだけはため息を一つ付くと、ジト目でエキューに質問をぶつける。
「ふーん……そこまで言うのならエキューはエイナさんの魅力的な所を言えますか?」
「イ、イリーナさん!? ちょっと、これ以上は勘弁してください! 私、もう、恥ずかしさで死んでしまいそうなんです!」
「勿論さ! いいかい、エイナさんの魅力、それは……」
「ああっ……!! やっぱり、今日は厄日だわ!!」
イリーナの提案とエキューの快諾に周囲から歓声と口笛の音、それからエイナの悲鳴が木霊する。
まさか、素直そうなイリーナから追い打ちを喰らうとは思っていなかったエイナは遂に頭を抱えて崩れ落ちる。
期待に満ちた野次馬たちと絶望するエイナ。様々な感情が入り混じった視線がエキューに集中する。もはや物理的な圧力すら感じられる感情のうねりを前にしながらエキューの態度には気おくれや気圧された様子はなかった。
その堂々とした態度にますます周囲の反応はうなぎ登りに上がっていく。
皆、知りたかったのだ。この凄腕の冒険者がここまで心惹かれる魅力が一体、エイナ・チュールという女性の何処に存在していたのか。そして、それをどのような情熱的な言葉で表現をするのかを。
そして、遂にエキューは高らかにエイナの魅力を言葉短く、そして高らかに伝える。
「エイナさんの魅力……それは、耳が長いことさ!!」
しん、と周囲が再び静寂に包まれる。
うるさかった野次馬も、事態を苦々しく思っていたルヴィスも、いつの間にか気を取り戻していたドルムルも、ことの張本人であるエイナも皆一様に時が止まったかのように固まり、一言も言葉を発しない。
先ほど3レベル冒険者をのした時のそれとはまったく違うそれは困惑によるものである。
情熱的な愛の言葉が聞けると思ったら出てきた言葉はフェチズムに満ちた妄言であったのだ。歓声を上げるために開かれた口をそのままに、周囲の人々は一転して怪訝な瞳をエキューへと注ぐ。
そんな微妙な空気の中、イリーナは知ってた、とばかりに肩をすくめると再度質問する。
「他にはどんな魅力があるんですか?」
「他? そんなのあるわけないじゃないか?」
あ……? なんだと?
お前の魅力は耳だけだと言われ、女のプライドを傷つけられたエイナは内心、そう毒づいた。
意中の人から怒りをかっているのだが、エキューは一切気づくことなく持論を展開する。
「いいかい、イリーナ。僕がいつも言っているだろう? この世の人間は二種類に分けられる。耳が長いか、そうでないかだ。女性の魅力のあるなしは耳の長さで決まり、それ以外の要素なんて全て些末事なんだ」
ああ、コイツはダメだ。
言葉にはしなかったが、周囲の者たちの意見は一致していた。
先ほどまでのエキューへと向けられていた暖かい視線はどこへやら。完全にアレなものを見る目になっていた。同時にエイナに向けられていた視線も先ほどまでの三角関係に捕らわれた恋愛劇のヒロインを見る羨望の物から、変なのに絡まれている可哀そうな人を見る物へと落ちぶれていた。
突然、物語のヒロインの様に持ち上げられた途端コメディリリーフに叩き落されるという理不尽にエイナは怒りに身を震わせた。が、すぐにはた迷惑な視線から解放されたことに気が付くと、ホッと胸を撫でおろし、未だにエルフの素晴らしさを説き続けるエキューにげんなりとしているイリーナの元へ急ぐ。
「イリーナさん!」
「あっ、エイナさん!」
知り合いに出会ったことで喜色を表し、イリーナはエイナに向かって手を振る。その姿はどこにでもいる少女の様であった。だからこそ、エイナはイリーナに駆け寄ると、その手を引き、エキューから引き離す。
幸い、エキューは自論を展開するのに夢中でこちらに気づいた様子はなかった。エイナは胸を撫でおろすと、急に手を引くエイナに目を白黒させるイリーナを少し離れた場所まで連れていく。
「あの……? どうかしたんですか、エイナさん?」
「どうかしたんですか、じゃないですよ! イリーナさん、どうしてあんな危ないことをしたんです!?」
「へ!? 危ないって?」
エイナからの突然の非難にイリーナは訳も分からず驚く。その姿にエイナはますますその眉を逆立てていく。エイナはイリーナが一体どのくらい危険なことをしたのか、その自覚を全くしていないと思ったからだ。
「いいですか、イリーナさん。どうやら、あなたと先ほどのエキューという少年は知り合いのようです。ですが、彼は貴方よりもはるかに格上の存在です。そんな人間が揉め事を起こしている時に近づくなんてとても危ないことですよ!」
「え!? 格上って……エキューとは同じパーティーを組んでいる仲間ですよ?」
「はあ? そんな訳が……」
「あー、エイナさん。イリーナさんの言っていることはおそらく真実だと思われますよ」
「んだな。イリーナの仲間というならばあの小僧の強さにも納得だな」
イリーナのことを新人に毛が生えた程度と思っているエイナが両者の力量の差を理由に否定の言葉を告げようとした時、二人の会話に割り込んでくる者たちがいた。
「ドルムルさん、ルヴィスさん! 大丈夫だったんですか!?」
驚くエイナの前に現れたのはのは先ほど投げ飛ばされたドルムルとそんな彼に肩を貸しているルヴィスの姿であった。
痛々しいドルムルの姿にイリーナは仲間の蛮行に胸を痛めた。
「すいません、二人とも。エキューは普段は冷静なんですけど、エルフのことになると途端にああなってしまうんです」
自身は何も悪くないのに、心の底から申し訳なさそうに頭を下げるイリーナに二人は笑って年長者らしい態度を示す。
「なあに、冒険者たるものあのくらいの喧嘩ぐらいよくあることだ」
「その通りです。まあ、冒険者としてのメンツなどの問題はありますが、貴女のお仲間に負けたというのであればそんなに恥とはならないでしょうし」
レベル3冒険者として自分の能力に自負を持っていた筈の二人が笑って敗北を認めている事にエイナは驚く。それも、認めた理由がイリーナの仲間だから、というものでだ。
事情を全く分かっていないエイナは不審そうに三人を見る。
そんなエイナにドルムルとルヴィスは苦笑する。
「エイナさん。どうやら我々はイリーナさんに対して少々勘違いをしていたようです」
「勘違い……? それは、一体……? ダンジョンで何かあったのですか?」
「あー、それについては当事者に聞くのが一番だ。おーい、お前ら! ちょっとイリーナの活躍について、エイナちゃんに説明してやってくれ!」
不思議そうな顔をするエイナにドルムルは下手に説明するよりも当事者たちに話をさせる方が手っ取り早いと判断し、後ろの人間たちに呼びかける。
ドルムルの後ろから姿を現す三人の姿にエイナは、あらと驚いたように声を漏らす。
「あなた達は……」
「お世話になっております、エイナさん」
ドルムルに連れられた三人の人間、それはシンシア一行であった。彼女たちの顔を見た瞬間、エイナは顔をほころばせ、先頭に立っていたシンシアが親しみと感謝を滲ませながらエイナに礼儀正しく頭を下げる。
今日も三人がダンジョンから生還できたことにエイナは幾分か弾んだ声で話しかける。
「当事者というのは貴方たちのことだったの。一体、イリーナさんと何があったの?」
「はい。それについては私から説明させてもらいます。あれは、中層域に潜っていた時のことでした……」
「……と、まあ、こういう訳で私たちはイリーナさんに助けられたのです。」
「へ、へえ……そ、そうなんですかあ……」
シンシアの話を聞き終わり、自分の勘違いの正体に気づいたエイナはかろうじて相槌を打つことに成功した。
その顔には汗がびっしりとうかんでおり、チラチラとイリーナの様子を窺い見る。
「……ん? どうかしましたか、エイナさん?」
「い、いえ! 何でもありませんよ、イリーナさん!」
不思議そうに首をかしげるイリーナにエイナはやや、大仰な動作で何でもないと答える。が、その仕草は明らかに挙動不審な様子であり、イリーナはますます不思議そうにエイナを見つめ、それにエイナはさらに狼狽していく。
そんな二人を事情が分かっているドルムルとルヴィスはさもあらんと思った。
主神に騙された可哀そうな新人冒険者だと思って接していた人間が実は掛け値なしの英雄でした、と知って平静を保つことなどそうそうできるわけがないし、相手の機嫌を損ねる様な失礼がなかったであろうかと不安に駆られるのはごく自然な反応である。
大げさに感じられるかもしれないがレベル7の冒険者というのはそういう存在だ。その影響力は下手をすると一国の王すらしのぎかねないものだ。機嫌を損ねればどのような結果を及ぼすか分かった物ではない。きっと、エイナの内心ではギルド職員としてのキャリアは勿論、自身の身命の不安すら抱えているのであろう。
そんな風にドルムルとルヴィスが思い人の内心の胸中に思いをはせていると、エイナはやおら顔を上げるとイリーナに話しかける。
「ごめんなさい、イリーナさん。少々、予想外の事態に混乱してしまったの。それと……」
エイナはそう言って言葉を切ると、深々と頭を下げた。
「イリーナ・フォウリー様、この度の無礼、申し訳ありませんでした!」
「へ!? い、いきなりどうしましたか、エイナさん!?」
突然の謝罪に当然ながらイリーナは驚き、うろたえる。そんなイリーナにエイナは頭を上げると真摯な口調で説明を始める。
「突然のことで驚かれていると思います。ですが、どうか自分の話を聞いていただけますか?」
そう言って、エイナは自分の計画について一部始終を話し始めた。
イリーナのことを何も知らない駆け出し冒険者だと思っていたこと、身の程を知らせるためにレベル3冒険者であるドルムルとルヴィスを同行させたこと。
やがて、エイナの話は終わった。
だが、イリーナは何も言わなかった。非礼を怒るわけでも、笑って許すこともなく、ただエイナのことを見続けるだけであった。程度はどうあれイリーナが機嫌を損ねていることは明白であった。
さもあらん、とエイナは思った。何せ冒険者というのは総じてプライドが高く、扱いにくい性格の者が多い。毎日を己の力量のみで生き抜いている為、自身の腕っぷしに自負するだろうし、それを侮られれば不快に思うのは当然であろう。
そして、レベル7というのはその頂点だ。現状、存在が確認されているもう一人のレベル7であるオッタルは比較的紳士的な性格をしているが目の前の少女もそうであるとは限らない。
冒険者に慣れている筈のエイナの顔は未だ気丈さを保っているがやや青白く染まり、ドルムルとルヴィス、それに今回の一件に何も関与していないシンシアたちも固唾を飲んで事態の推移を見守っていた。
当事者のエイナにとっては永遠にも感じられたが、沈黙は数十秒にも及んだところで終わりを告げた。
「あの……」
遂に、イリーナが口を開く。彼女は一体どんな言葉を口にするのか。怒りの言葉か? 謝罪を求めるのか? それとも脅迫するのか。
だが、イリーナの言葉はどれでもなかった。
「あの……それで……お話の続きは……?」
「え? 続きって……これで終わりですが……?」
「そう……なんですか? あの……それで、どうしてエイナさんは謝られたんですか?」
イリーナが口にした言葉、それは疑問であった。
先ほどまでの沈黙。あれは怒りや葛藤によるものではなかった。ただ、単純にイリーナは話の続きを待っていただけであったのだ。
イリーナにとって、ひよっこ冒険者と思われていたことなど、謝られる理由になるとは思えなかった為に。
「ええっと……イリーナさん。私、あなたのことを駆け出し冒険者だと思っていたのだけど……?」
「はい。それで、エイナさんはドルムルさんとルヴィスさんを紹介してくださったんですよね。心配してくださってありがとうございます」
「えっ? いや、その……どう、いたしまし……て?」
むしろ、イリーナはエイナの行動に怒るどころか自分に気を使ってくれたと感謝すらしていた。
しかし、エイナとしてはその言葉を額面通りに受け入れられるわけがない。
ひょっとして、表面上では感謝している素振りで、内心はらわたが煮えくり返っているのではないだろうか、ともはや偏執的な気持ちでチラチラとイリーナの顔色を窺う。
笑顔を浮かべているがその目は笑っているか、しきりに口元を触っていないか、唾を飲む回数はどうだろうか。冒険者ギルドの受付として培ってきたスキルを総動員し、イリーナの本心を探り出す。
そうして、様々な角度でイリーナの仕草をつぶさに精査した結果、エイナは確信した。
この娘、本気で言っている、と。
その目には後ろ暗い濁りは一切なく、笑顔には一切の嘘の影は見当たらなかった。
裏表のない人間などいない、と多くの人間と触れ合うギルド職員として働いてきたエイナは常々考えていたが、どうやらそれも改める必要があるようであった。
一気に緊張が抜け、崩れ落ちそうになる膝に気合を入れて立たせると、背筋を伸ばしギルド職員として聞かなければならないことをイリーナに問いかける。
「それで、イリーナさん。貴方はこれからどうされるおつもりなのか、何か具体的にお考えはお持ちなのですか?」
「これから? とりあえず、魔石の換金をしてもらってあそこのエキューを連れて帰ろうと思っていますが?」
「いえ、そういう直近のことではなく、貴方はどういった目的を立てて、その実現に対し、どのようなプランをお持ちなのか、ということです」
「プ、プランですか……? え、えーと、とりあえず、頑張るではいけないのでしょうか?」
エイナの言葉の羅列はイリーナの頭の処理能力の限界を超えてしまったらしい。まるで石化の魔法でもかけられたかのようにその動きを止める。
無理もないことであった。基本的にイリーナは頭を使うことは得意ではない。いや、いっそ苦手と言ってもいい。その為、作戦立案から交渉まで、戦闘以外のことはほぼ全て兄のヒースやガルガドに丸投げにしていた。
正直、冒険者として、その姿勢は騙してくださいと言っているようなものなのだが、不思議と彼女の仲間たちは奇妙な一面はあるが、そういったことに関しては珍しい程にクリーンであり、問題となることはなかったのだ、今までは。
「要するに、エイナちゃんは今何かしたいことはあるか、と聞いてるだ」
「付け加えると、その実現を目指すうえでオラリオの平穏を乱すようなことはしないでいてくれますか、とも聞いています」
見かねたドルムルとルヴィスが助け船を出す。かみ砕いた二人の言葉にイリーナはようやく質問の意図を理解し、自身の目的を考える。
自分の最終目的、それは考えるまでもなく元の世界への帰還だ。その為に、今真っ先にやらなければならないことと言えば……
「それでしたら私、はぐれてしまった仲間を探したいです!」
「はぐれた……? オラリオまでは一緒だったんでしょう? 一体何が……いえ、何でもありません」
思いがけない言葉にエイナは事情を尋ねかけたが、すんでの所で言葉を飲み込んだ。レベル7冒険者の一行が離れ離れになるなど相当に込み入った事情があるに違いない。安易に聞くのはお互いにとって不幸なこととなるだろう。
ある意味においてエイナの危惧は正しい。異世界からやって来たというのはまさにややこしい事情という点において最上であるのだから。
「仲間、ですか……確か、あのエキューという少年だけでなく、今朝方のガルガドさんとノリスさんもイリーナさんの仲間でしたよね? まだ、他におられるのですか?」
ちらり、とエイナはエキューの方へと視線を送る。そこではエキューが通りすがりのエルフをナンパしている所であった。言い寄った女性の前ですぐに別の女性に声をかけるとはここまでくるといっそ感心する。
エイナの目の前でエキューの行動はさらにエスカレートし、遂には手を取り、異性との接触に敏感なエルフの女性に思いっきり引っぱたかれたところでエイナは視線をエキューからイリーナへと移す。
「はい! 後は幼馴染のヒース兄さん、ハーフエルフのマウナ、ドワーフのバスです!」
「……後三人もいる、のですか……」
げっそりとした声がエイナの口から漏れる。他の人間たちも同様だ。オラリオの勢力図を一新させかねない戦力が今も野放しになっている。この事実だけで頭が痛くなってくる。
これは早急に探し出さなければオラリオの平和が脅かされてしまう。さて、どうしたものかとエイナが頭をひねった時だった。
「それでしたら、私たちのファミリアが力になれると思います」
今まで話に参加していなかったシンシアがそう言って前に進み出る。
その言葉にシンシアたちのファミリアがどこか知っているエイナは納得と言った表情でうなずく。
「そうね……確かに貴方達のファミリアはいろんな冒険者と付き合いがあるものね。顔の広さという点ではオラリオでも有数だわ」
「本当ですか!?」
渡りに船の話にイリーナは飛び上がる。
シンシア達は誇らしげに自分たちのファミリアと敬愛する主神の紹介を始める。
「ええ、私たちのファミリアは探索以外にも怪我の治療や薬品の売買も取り扱っているんです」
「結構評判がいいのよ。神様が医療を司っていてね、薬の出来もいいけど、怪我の治療に関しては四肢の欠損も治療できるぐらいで、オラリオ一と言われているわ」
「おかげで大抵の冒険者には顔が利くんです。店に来た冒険者たちに手伝って頂ければきっとイリーナさんのお仲間さんたちもすぐに見つかると思います」
予想以上の結果にイリーナは内心喝采を上げた。傷の治療と補給物資の調達は冒険者にとって生命線と言っていい。そこを多くの冒険者から任せられているということはシンシアたちのファミリアへの信用はかなりのものであろう。それ程の組織が協力してくれるというのであればこれ程心強いことはない。
一体何という名前のファミリアなのだろうか。異世界に来て日が浅いイリーナがそう尋ねようとしたとき、ドルムルとルヴィスが驚嘆した様子でシンシア達に話しかけた。
「四肢の欠損が治療出来る? ……ひょっとして、あなた方のファミリアというのは……?」
「あ、分かっちゃいましたか? まあ、四肢の欠損の治療ができるところなんてうちぐらいなものですよね」
「驚いただ……お前さん方、あそこの人間だったか」
「あれ? ひょっとして、シンシアさん達のファミリアって有名なんですか?」
ドルムルとルヴィスの様子から思い当たる節があるのかと尋ねるイリーナに二人は今度こそ驚いたと言うように目を見開く。
「なんと! ご存じないのですか、イリーナさん。欠損した四肢を生やせるファミリアなど、この世に一つしかいないでしょう!」
「んだな、こと怪我の治療に関してはあそこに勝るところはねえだ。おかげでオラリオだけでなく、世界中から治療を望むものがやって来てるだ」
「そうなんですか!?」
どうやら、想像以上にシンシア達のファミリアは力を持った所らしい。そして、同時にこの世界では四肢の欠損を治療するのは非常に困難な事柄のようだ。
フォーセリアでは四肢の欠損の治療ならば限定的ながら可能とする者は一定数存在しており、実際仲間のうちではガルガドが可能としていた。
この分では死者の蘇生など夢物語扱いになっていると想像するのは難くない。どうやら、元の世界の様な感覚でいるのは危険な様だと、一度死亡した経験を持つイリーナは気を引きしめる。
改めて元の世界との違いを実感するイリーナの前でシンシア達はくるりと背を向けると自分たちのファミリアの名を告げた。
「それでは、皆さん、ついてきてください。私たちのファミリア、ミアハ・ファミリアにご案内します!」
お待たせしました。第八話、完成しました。
今回、遂に三人のオリキャラが出てしまいましたが、今後もさらに増えることになりそうです。オリキャラを出し過ぎると原作の雰囲気を崩しやすくなるのでその点には気を付けていきたいものです。
それでは皆様のちょっとした楽しみになれたことを祈って筆を置かせてもらいます。