Fate/trinity chalice -The Fourth Wizards- 作:琴浪新(水)
マディソン・スクエア・ガーデン。
通称ガーデン、と呼ばれるマンハッタン八番街にあるスポーツアリーナやシアター等を備えた建物である。
そのシアターで、現在、とあるミュージシャンのライブが行われていた。
空はとっくに暗くなり、冬の寒さがガーデンを覆っていたが、そのコンサートホ会場の熱気は増す一方だった。
五千人を収容するシアターの客席は完全に人で埋められていたが、着席している客はほとんどいない。
会場は異様なほどの熱気と一体感に包まれていて、今この中に入ったならば面食らってしまうであろう熱狂を観客が作り出していた。
彼らの視線が注がれるのはステージに立つただ一人の女性である。
彼女の二十歳を越えたばかりのような若々しい美貌は人々を魅了して逃がさない。
しかし、それは美少女ではなく美女、と形容するに相応しい魅力だった。
それほどの魅力を振りまきながらも、観客は彼女の美貌に目を奪われてはいない。
普段、道ですれ違ったり、彼女の写真集を見るだけならば観客は彼女の美貌に目を奪われるだろうが、この会場のこのひとときだけは主役は彼女の歌声だった。
その声は万人を魅了して彼女の地位を不動のものにしている。
まさに、彼女は「世界の歌姫」と言える立場にいるのだ。
ダンスのフリは誰にでもできる簡単なもの。
その美貌も群を抜いてはいるものの、絶世の美女というわけでもない。
彼女の声が、歌が全てを魅了しているのだった。
そして、歓声とともにライブは終わりを迎える。
興奮は最高潮に達し、その中、歌姫は最後の一曲を歌いきった。
観客達の歓声が割れんばかりにホールに響き渡る。
そして、惜しむように観客達は帰っていった。
建物を出ても彼らの顔からは感動と興奮が抜けきっていなかった。
しかし、その中にあって一人だけ全く感情の起伏が見られない男がいた。
その無表情を見る限り歌手のファンとは思えないが……。
彼は全く周りの風景を見ている風もなく、人とぶつかっても謝罪をすることもなく受けることもなくスタスタと歩き続ける。
彼の顔は正面を向いていたが、彼の目は進行方向とは違う遠い場所を見ているようだった。
彼の紺碧の瞳に光は無い。
ただ、彼の目には嵐の海が広がっていた。
もちろん彼の目の前に海など無く、マンハッタンの街並みが広がっているだけだったが……。
死んだような目をした男を含めた観客が去ったホールでは舞台の片付けが行われていなかった。
それどころか、歌手の女性を除いて他に人がいなかった。
会場は未だに清掃もされず、舞台の片付けも行われていない。
スタッフやホールの作業員、清掃員の姿は一つも無かった。
歌姫は一人ステージに立って惚けたように立ち尽くしている。
しかし、そんな顔さえも彼女の魅力を損なうことはなかったが……。
歌姫はしばらくそのままボーっとしていたが、我に返ったように舞台を降りていく。
舞台裏を抜け、通路を抜ける。
しかし、ここにも人はいなかった。
そもそもホールの周囲から人気が消えている。
彼女は誰ともすれ違うこと無く控え室へ入った。
控え室には化粧品が少し散らばっていたが、その他には白い大きなスーツケースが二つあるだけだった。
歌姫はそのスーツケースを見比べた後、片方を引いて部屋を出る。
そして、再び誰とも出会うこと無くホールに戻った。
彼女は白のスーツケースを開く。
その中に入っていたのはおおよそ歌姫が携行しているとは思えないビーカーやフラスコ、試験官などのケミカルな実験道具だった。
彼女はその中から黄金の懐中時計を取り出し首にかけて時間を確認する。
時間は二十一時半を少し過ぎていた。
歌姫はそれを見て少し慌てたように手早くスーツケースの中から色とりどりの液体や個体の納められたビンや栓のされた試験官を取り出していく。
そして、迷う風も無く複数の空のビーカーにそれらを注ぎ、銀の混ぜ棒で撹拌する。
液体は化学変化にしては多段にその色彩を変化させ、そして朱に染まって安定した。
彼女はそれを満足げに見て、笑顔で何度か頷くとビーカーの中身を一気に呷った。
美しい喉が数回脈動し、ビーカーは空になった。
彼女は他のビーカーの中身も次々と撹拌しては、その色が安定する度に呷っていく。
たちまち全てのビーカーの中のカラフルな液体が全て彼女の口の中に消えた。
歌手が飲むには毒々しすぎる色ではあったが彼女の表情はご機嫌そのものだった。
美しい音で鼻歌まで歌っている。
歌姫は器具をケースに収め、中から黒塗りの箱を取り出した。
そして少しの間躊躇して箱を開いた。
その中に収められていたのは美しく装飾された一足の靴だった。
と言っても、現代の仕様はない。
彼女が持ってしまうと不思議と突き抜けたファッションのようにも感じてしまうが、それは現代ではまず売られていない形の靴だった。
それは彼女が履くために用意されたものではない。
その靴は唯一人の王のために用意された靴だった。
長らく玉座にて彼の王の不在を埋めていた靴。
彼の王が民から、臣下から、兄弟から慕われていた証。
そして、彼女はその靴を自身の目の前の床の閉じられた黒塗りの箱の上に捧げるように置いた。
彼女は歌う。
「素に銀と鉄、礎に石と契約の大公、祖には我が恩師『レメントシンガー』
降り立つ風には壁を。
四方の門は閉じ、王冠より出で
王国に至る三叉路は循環せよ
繰り返すつどに五度、ただ満たされる刻を破却する
」
歌うように詠唱する。
その声は光を受けて具現化し色とりどりの文字となって誰もいないホールを舞う。
文字は一部がインクとなって空中に巨大な魔法陣を描いていく。
その詠唱は一つの歌のように彼女の口から積むがれる。
「
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-------告げる
-----告げる
汝の身は我が下に、我が運命は汝の剣に
聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば答えよ
誓いを此処に、我は常世総ての善となる者、我は常世総ての悪を敷く者
汝三大の言霊を纏う七天
抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ…………‼︎‼︎‼︎‼︎」
白い輝きがホールを覆い、眩ゆい光の中に一人の青年が姿を現す。
輝が去った後のホールからは空中を舞う文字は消えていた。
そして、青年をこの世に呼んだ靴は青年の足に収まっていた。
青年はやや幼さの残る顔立ちだが、その風格は圧倒的な威厳をまとっており、それでいてどこか親しみを感じさせる温かさを持っている。
朱い長髪をなびかせて青年はあたりを見渡す。
青年は少しの間、哀愁の漂う表情を見せていたが、歌姫、エカテリーナ・シャンタールの姿を目に止めると彼女に笑いかけた。
青年は問う。
「汝が余のマスターか?」
二人目!