「この身は家財を食い潰す放蕩者、日がな日にち書を読み漁り釣りばかりをする毎日。そのような者にいったい、何をお求めなのでしょうか?」
丁度いい、曹操がどんな思惑を秘めて俺を求めて来たのかは分からん。だが袁紹、丁原とは一度
「謙遜は無用よ、冀州での噂は耳に入っているわ。郭図に許攸、逢紀と袁紹軍に名立たる軍師たちを相手に大立ち回りしたそうね?非公式ではあったものの、『司馬の麒麟児』と言えばその界隈では既に有名よ」
以前、南皮に兵糧などを運び込んだ時の事である。あの時は他に手の空いた人物がおらず、やむを得ず俺が指揮を取って搬入を行っていたのだ。その折に、俺に喧嘩を売ってきたのが郭図、許攸、逢紀の三人だった。直接的では無いにしろ俺に対してあからさまにバカにするような発言を織り交ぜてきたのだ、がそれに対し俺の忍耐が振り切れる前に振り切れてしまった人がいたのだ。
『えぇいっ!!お主何時まで黙っておるつもりじゃっ!』
それが袁紹軍にその人あり、と言われた古参の軍師田豊殿だった。南皮以外でも幾度か顔を合わせていたのが田豊殿だったが、初めて会った時から何故かこちらを気に入ってたらしく、今回の事にご立腹だったらしい。それで俺が引きずり出されたのが模擬戦だった。五千対五千、あちらは二枚看板の一人文醜将軍と淳于瓊、睦元進の二将に郭図、許攸、逢紀の三軍師。こちらは二枚看板の片割れ、顔良将軍と田豊殿に沮授と俺。
『お主ならば同数の戦であの阿呆共に負ける事などありえまい、儂が許可する。この五千、顔良と沮授にこの儂を手足の如く扱って戦ぇい!!』
俺が採った戦術は簡単な奇襲だ。こちらで前線に出れる将は顔良一人、田豊殿と沮授に隊を率いて戦う事は出来ない、と勝手に断じていたようだ。『だからこそやる』、それこそが活路であると、俺は沮授に伝えた。
『・・・・然り、言外に馬鹿にされてなお黙っていられる程私は出来た人間ではございませぬ』
乗ってきてくれた沮授と共に三百の兵を引き連れ戦場東部の森を使って奇襲、ひたすらに後方から引っ掻き回し、揉め事は面倒、と一度乱戦から離脱した際に南皮に戻り、家の者を引き連れてちゃちゃっと遁走。というのが事の顛末だ。ついでに言うならば、最近田豊殿から仕官を促す書状が月三ぐらいで届くようになっている。
「少々、若さに任せてヤンチャをしただけです」
「ふふっ、若さに任せたヤンチャで袁紹軍の新進気鋭の三軍師を打ち破る。これは凡俗には出来ない事よ?」
「幾ら実力があろうともそうとうな慢心が軍の動きに反映されていました、将の数による優位を自覚していたが故に過信した相手でした」
実際、あの時の相手側の指揮はかなり雑だった。文醜が顔良を抑えさえすればそれで勝てる、とでも思ったのかも知れない。実際、あの時は「田豊殿ともあろう方も耄碌したか」「あのような若造を気にかけるようでは先も長くは無い」「これは我らの時代も近いか」などと堂々と公言していた程だ。まったく、いくら知識があろうともそれを使う者があのザマでは・・・・と言ったところだ。
「指揮雑にして一兵卒にまで慢心が蔓延し、幾分まともであった文醜兵を顔良が抑え込んでいた以上、さほど難しい戦ではありませんでした。俺でなくとも、駆け出しの机上の軍師であったとしても勝てたでしょう」
「敵方に実力を見誤らせるのも実力。三軍師だけでは無いわ、そのヤンチャをしでかすまで司馬朗、田豊を除いて貴方の名を知る殆どの知恵者たちが貴方を見縊っていた。貴方はあの一戦でいとも簡単にその評価を覆した、田豊が貴方に再三再四の仕官要請を出しているのはそう言う事よ。貴方が他に行けば後顧の憂いとなると、ハッキリ確信しているから誘った」
多なり少なり覚悟はしていた事だ、例え非公式であっても人の口に戸は立てられぬ。あそこで田豊殿の口車に乗ってしまった以上、こうなることは避けられぬと。
「その後顧の憂いとなりに来たのが曹操殿、と言うわけか」
「えぇ。今の大陸の情勢、貴方ならこの後どうなるかは簡単に予想出来るでしょう?」
前世の知識もある、だがそれ以前に司馬懿としての20年の生の中で得た知識と経験がハッキリと告げている。史実の通り、これからの漢王朝は荒れ、群雄割拠の乱世が再来する。そして目の前にいる英傑は、俺と同じ精度で訪れるであろう未来を予測している。
「俺に担える役割があるのですか?夏侯惇、夏侯淵の二将に加え荀家の神童、荀彧を手中に収めたとも聞きますが」
武も知も現状の曹操軍の規模を考えれば十二分に思える、それに史実通りになるならば煌星の如き人材が次々に集まるはずだ。それこそ、今の俺程度の人材ならば両手で余るぐらいにまで。
「確かに、武は夏侯惇に及ばず、知は荀彧に及ばない。それでも、『私と同じ視野』を持っているのは貴方ぐらいなものよ」
「・・・・そう言う事ですか」
俺の反応に、我が意を得たり、と言わんばかりに曹操が笑みを浮かべる。
君主が一人で描く行く末と言うのは限界が存在する、それが突拍子も無いモノであるならば尚更だ。だがもし、重臣の中に同じ視野と考えを持ち、言葉にせずとも尽くを理解し、意に沿うように動いてくれる者がいたならば?
大志を抱く君主と言う者には常に孤独が付きまとう、だが想いを理解し、共に歩調を合わせ歩んでくれる者がいるならば?それはその君主にとって、一筋の光となる。
「俺が貴女の意を解したとして、今の今まで見ず知らずの者です」
「ならば我が重臣として働きたくなるよう、私が貴方の理想の主君で有り続ける努力をするまでよ」
その眼には傲慢でも、慢心でも無い、そうする、と言う確固たる意思が宿っている。もう、煙に巻いて逃げると言うわけには行くまい。またあちらも、逃すまいとしている。ここで俺を口説き落とし、陳留へと連れて帰るつもりでいる。
「未だこの未熟者に何が出来るかは分かりません、ですが君主自ら足を運んで下さったのは貴女だけだ。他は臣下が訪れる事や書状を寄越す事はあっても、半信半疑、直に言葉を交わそうとする者はいませんでした。それ故に、俺は貴女に仕える事を選びましょう」
その場で俺は、片膝を床に付け、拱手し頭を垂れる。
「我が真名、紫狼の名をお預かり下さい。我が真名に賭け、全知全能、全身全霊を貴女のために使いましょう」
「我が真名は華琳。紫狼、貴方の真名を預かりましょう」
―――――――――
華琳様には後日、準備を整えてから登城すると伝え、俺は兄の部屋を訪れていた。
「あぁ、ようやく紫狼も仕官するんだね?良かった良かった」
華琳様に仕える事を決めた、と伝えると兄は笑みを浮かべて喜んでくれた。大分昔に、勉学に励んでいた俺に「紫狼はもう六韜を読めるのかい?偉いねぇ」と褒めてくれた時のようだ。
「家の事は気にしないで良いよ、ボクもいるしね。あぁ、でも商談となれば手心は加えないよ?」
「無論、俺は曹操様の下で働く事を第一とする。兄上は司馬家の事が第一と心得てください・・・・とは、言わずとも分かっているでしょうが」
「うん、大丈夫だよ」
俺と兄のやり取りを見て、仲が悪い、と言うより一方的に俺が冷たい、と見る者が多い。だが実際、俺と兄はこんなものだ。これが俺と兄の距離なのだ。
「でも、兄として餞別の一つは送らせて欲しいんだよね」
そう言って兄は、壁に立てかけてあった剣を手に取り、俺へと差し出す。
司馬家を守護する二振りの宝剣の一振り、『劫火』。形状は角張った両刃の剣、刀身は黒く、真紅で焔を模した波紋が描かれている。
「司馬家を護るだけならば『凍河』で十分、弟を心配する兄心だと思って受け取って欲しい」
差し出した兄の手は、微かに震えている。心配してくれているのだろう。俺にとって兄は最大の理解者であると同時に、最も長く苦楽を共にした肉親である。それは、もしかすれば兄にとっても同様だったのだろう。
「兄上、感謝する」
俺は『劫火』を受け取り、腰へと差す。
「紫狼、君の生きる道に一片の疑いも抱くな。疑う余地があるならば、その全てを道行く事に注ぎ込め。ボクの心は常に君と共にある、辛いことがあったならばこの兄を思い出せ。例え君が世界の全てを敵に回したとして、ボクは君の味方であり続ける・・・・お兄ちゃんだからね」
生前、兄より優秀な弟などいない、と言う言葉を聞いた覚えがある。俺は今、それはある種真理であると思っている。正確に言うならば、弟を思う兄に、思われる弟は勝てないのだ。
「あぁ、そうだな」
だから俺は、そんな心優しき兄が居ることを誇りとし、前に進もう。