ストライクウィッチーズ 明日と昨日を繋ぐ魔女   作:乾操

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ペリーヌ回とシャーリー、ルッキーニ回は番外編の形でやりたいと思います。今はとにかく最終回までやることだ。

誤字とか脱字があればお願いします


9.逃亡

マルス作戦(オペレーション・マルス)の開始日時が正式に通達された。一週間後の1000からだそうだ。

マルス作戦自体は加織も知っている。訓練学校の座学だけでなく、中学の歴史の授業でも習うような内容だ。つまり、歴史の動いた地点なのだ。

そのような事を実際に見て、聞いて、感じることが出来るのだ。これ程凄いことがあるだろうか?

 

「全員揃いましたね?」

大和の事件から一週間。ミーナは再び隊員たちをブリーフィングルームに集めた。

「知っている人もいるだろうけど、総司令部からヴェネツィア奪還作戦の通告が来たわ。作戦名は『マルス』」

マルスとは古代ローマの軍神である。ヴェネツィアを取り戻す攻勢作戦には相応しい名であると言える。

この作戦が成功することを加織は知っている。

作戦の流れ自体は詳しく知らないが、この作戦が成功し、ここにいる人々はガリアに続きヴェネツィアまでも解放した英雄として讃えられるのだ。

(すごいなぁ……)

その作戦を、この人たちと共に戦えるのだ。

「坂本少佐、()()を皆に配って……」

ミーナは作戦の概要を話すと坂本に何やらを配るよう命じた。坂本は手元にあった袋から紙と封筒を取り出し、一人一人に配っていく。紙には501の部隊章と連合軍総司令部を示す記号が印刷されていた。

紙を配られた人は溜め息をついたり深呼吸したりと反応は様々であった。

「坂本さん、これ何ですか?」

その空気がイマイチ理解し得なかった芳佳、リーネ、加織は坂本に尋ねた。

「なんだ、知らんのか?」彼女は封筒と紙を三人の前に並べた。

「これは遺書だ」

その言葉に、加織は殴られたような衝撃を受けた。

「遺書、ですか?」

芳佳の鸚鵡(おうむ)返しに坂本は、

「大きな作戦の前は書くのがしきたりなんだ」

と言う風にさらっと回答した。まるで、それが当然であるかのように。

 

 

その後、ミーナから作戦開始まで緊急事態以外全員非番という達しがあった。皆はやはりローマに行きたいそうだが、今日は生憎の雨で外を歩くに向いていない。その事から、各自各々、食堂や自室で自由な時間を過ごすことにしていた。

加織も、あてがわれた部屋へ行き、ベッドに横になって配られた遺書用の紙をぼうっと眺めた。

窓の外からは雨が降り注ぐ音が聞こえてくる。すきま風が吹いているのか天井から吊るされた電球がゆらゆらと揺れていた。

………加織はそのまま眠りに着いた………。

 

 

加織は、夢を見た。

夜、というより夕刻。祖母と鎌倉へ行った……浅草だったかもしれない……その帰り。加織の背はぐうんと低くなり、手には溶けかけたソフトクリームが握られていた。幼い加織はソフトクリームが垂れないように一生懸命舐めている。

「加織、美味しいかい?」

「うん」

ソフトクリームの冷たい感触がハッキリと分かった。

夕日に照らされた人混みが影法師の集団に見える。表情もわからず、全く感情が不透明だ。もしかすると、それらは全て自分の顔なのではないかと思った。

遠くには高層ビル群れが夕日を背にして乱立して、その手前にある銭湯の煙突から煙がモウモウとあがっている。

舐めていたソフトクリームが、地面にビチャと落ちた。

 

暫くすると場面は突然電車の中に変わった。

やはり時刻は夕暮れだったが、太陽は山の稜線に今にも沈まんとしているのが向かいの窓から見えた。電車の中は薄暗く、逆光になった向かいの座席の少女が先程の鎌倉か浅草のように影法師になっていた。

太陽はみるみる沈み、加織の顔を照らしていた光は次第に暗くなっていく。電車の中はようやく電灯が点った。しかし、目の前の影法師は相変わらず影法師のままであった。

不意に窓の外で一羽の(さぎ)がギャアギャアと喧しく哭きながら飛び立った。

『アッハハ!』

そして、鷺が哭くのに重なるように影法師が笑った。鷺が哭く度に影法師は大きな笑い声をたてる。

「おばあちゃん!おばあちゃん!怖い怖い!私怖い!あの子が笑うの!笑うのよ!」

加織は思わず祖母の膝の上に顔を埋めた。

「何を怖がるんだい?あの子はお前じゃないか……」

「違うわ!あの子は違うわ!私なんかじゃないわ……」

幼い加織は喚いた。祖母が加織自身だと言う影法師は益々笑い声を高め、加織の側にスウッと寄ってきた。その影法師の顔を恐る恐る見てみると、その顔には眼がなくて鼻らしき突起と異様に真っ赤な口があるだけだった。

窓の外では鷺が哭いている。電車は動いているはずなのに、鷺の声はいよいよ大きくなって、それに比例して影法師の高い笑い声も大きくなっていく。

「いや!いやよ!怖い!」

加織はそれらを振りきるために大きな声をあげた。しかし、それでも哭き声と笑い声は消えない。

「おばあちゃん!助けてよ!おばあちゃん、おばあちゃん……!」

 

 

「……ちゃん……加織ちゃん!」

「……!?」

加織は芳佳の声に目覚め、シーツをはね除けてバッと起き上がった。いつの間にか夜になっていて、ザアザア降っていた雨は止み、静かな月明かりがレースカーテン越しに部屋に差し込んできていた。

「大丈夫?すごくうなされてたけど……寝汗もひどいし……」

確かに、着ていた服は嫌な汗にびっしょり濡れている。

「晩御飯、食べる?皆もう済ませちゃったけど」

「あ、ありがとう……」

加織は芳佳から着替えの服を受けとるとさっと風呂を済ませ、さっぱりした気持ちで食堂へ向かった。夢のことは、ほとんど忘れていた。

芳佳の言った通り、皆はもう食事を済ませたらしく、そこにいたのは加織の分の準備をしてくれている芳佳とテーブルを拭いているリーネ、そしてトランプに興じるバルクホルンとエーリカのみだった。

「どうだハルトマン、フラッシュだぞ」

勝ち誇るバルクホルン。だが、

「にしし、残念」

と、フルハウスをテーブルの上に出してきた。

「明日のお昼ご飯、トゥルーデの奢りね!」

「ぐぬう……」

「何してるんですか?」

「ポーカーだよ、明日のお昼を賭けた」

エーリカはそう言いながらコップにビールを注ぐ。

「ローマに行くんですか?」

「私じゃなくてトゥルーデが用があるの」

「うむ。明日、ローマにクリスが来るんだ」

クリスというのはバルクホルンが溺愛する妹である。なんでも、芳佳とよく似ているらしい。

「私はそのドライバーってわけ」

「なるほど」

「やはり、何かあったときのため、遺書だけじゃなくて会っておきたいからな」

加織は遺書という言葉でふと夢のことを考えた。内容は輪郭がボンヤリして正確には思い出せない。が、その漠然とした不安や恐怖は彼女の背筋を震わせるのには十分だった。

「……遺書って、どんなこと書くんですか?」

「ん……別に何を書いたっていいんだ」

バルクホルンはビール瓶をひっくり返したが、すでに中は空だった。

「何を書てもいいって?」

「自分が死んだ後どうしてほしいとかも必要だけど、やっぱり一番伝えたいことを書かなきゃね」

今度はエーリカが答えた。彼女はトランプを箱に片付けている。もうゲームは終わりのようだ。

「そういうハルトマンは、ちゃんと書いたのか?」

「私はまだ書いてないよ」

「やはりな!何かあったらどうする、書かんか」

「私はエイラの占いで長生きするって言われてるからねー」

やはり、こう言う風に慣れてるのは激戦を戦い抜いてきた貫禄や自信なのだろうか。加織には、それは無い。

「芳佳!もう一本持ってきてよ」

「ダメですよ!」

芳佳はエーリカの願いを一蹴すると夕飯を載せた盆を加織の前に置いた。肉じゃがとワカメの味噌汁、ご飯という献立だ。

「いただきます」

「はいどうぞー」

早速味噌汁を啜る。良く出汁の効いた美味しい味噌汁だった。

「芳佳ちゃん、加織ちゃん」

「なぁに、リーネちゃん?」

リーネは使っていた布巾を畳みながらある提案をして来た。

「私たちもローマに行こうよ!」

「明日?」

加織が訊くと彼女はコクンと頷いた。

ローマ。いつ聞いても胸の踊る名前である。

「うん!行く行く!」

芳佳と加織は賛成の挙手をした。リーネと芳佳がどうなのかは知らないが、加織は取り合えず遺書とか、そういうことを忘れられる時間が欲しいのだ。

それが何故なのかは自分でもよく分からなかった。

 

 

 

翌日、空は真っ青に晴れ渡り、太陽が眩しく照っていた。ローマの街は朝から相当の賑わいを見せている。

「しまぱふ運送御利用いただき!」

「ありがとうございましたー!」

シャーリーとルッキーニのトラックはヒスパニア広場で加織たちを放り出すと脱兎の勢いで街の角に消えていった。

「………………」

やはりシャーリーに運転を頼んだのが間違いだった。

ジープ程度なら三人とも運転できるが、生憎ジープはエーリカとバルクホルンが使っており、トラックの運転ができてローマに用があったのがシャーリーとルッキーニだけだったのである。しかも荷台に乗っていたため、気分は最悪だった。

「これがイェーガー大尉の運転……正直舐めてた……」

「だからやめようって言ったのに……」

「ごめんね、加織ちゃん、リーネちゃん。シャーリーさん、言えばわかるかなって……ウッ」

三人はこのまま歩き回るわけにはいかないと思い、近くの喫茶店にでも入って休むことにした。幸い、近くには数多くの喫茶店がある。三人はその内の一つに入ることにした。特別洒落ているわけでもない、落ち着いた雰囲気の喫茶店である。扉を開けると軽やかなベルが店に鳴り響いた。

店員は丸眼鏡をかけた細めの老人(マスターであろうか)と明るい調子のウェイトレスが一人ずつだった。ウェイトレスは三人を窓際のテーブルに案内する。

「ご注文がお決まりでしたら、お申し付けください」

「えっと……私はオレンジジュース」

芳佳はメニューを指差しながら言う。

「私は紅茶を」

「私も同じで……何かおすすめとかありますか?」

リーネが訊くとウェイトレスは何が面白いのかケタケタ笑いながら、

「この季節なら、ダークチェリーパイが美味しいのよ。ほら、向こうのお客様も食べてる、美味しそうなやつ」

彼女は反対側の窓際に座る客を目で示した。その客は、三人の見知った人物だった。

「バルクホルン大尉!」

バルクホルンは妹のクリスとそのダークチェリーパイを食べているところだった。こちらに気がついたバルクホルンは「うん?どうしたんだ三人とも」と振り向いてくれた。

「お席、移動しますか?」

ウェイトレスは気をきかせて三人にそう訊いたが、せっかく妹と水入らずの時間を楽しんでいるのに悪いと思い、辞退した。しかし、頗る機嫌の良いバルクホルンは、「遠慮するな」と招いてくれた。

「クリスちゃんこんにちわ」

芳佳はクリスと顔馴染みなこともあって親しげに声をかけている。

「ここのダークチェリーパイは旨いんだ」

バルクホルンはそう言いながらパイをフォークで器用にカットし口に運ぶ。

「奢ってやろう……三つ頼む」

三人はバルクホルンに礼を言った。成る程、妹分が満ち足りていれば彼女はおおらかになるのか……それとも、また別のことだろうか……。

 

 

その後、五人は店を出た後エーリカと合流してローマ市内をブラブラした後昼食を食べ(バルクホルンの奢りである)、またローマを散策した後、バルクホルンとクリスを駅に置いて(クリスとちょっと出掛けるそうだ)帰途についた。

エーリカの運転する軍用ジープは日の光を受けてテラテラと光っている。

「あっ」

加織はまだ沈みそうにない夏の太陽を見て小さく声をあげた。唐突に閃いたのだ。

「すみませんけど、基地の近くの町で下ろしてもらえますか?」

「ん?……いいけど、なんで」

「ちょっと散策してみたくなったんです」

基地のすぐ近くにある小さな港町は『港町』として機能しているか些か怪しい町だった。度々ちょっとした買い出しに出掛ける場所だから、別段観光するものがあるわけでもない。

町についた頃には流石に太陽の光は橙がかっていた。

「あまり遅くなっちゃダメだよ」

加織を降ろした三人はそう言うと基地へとそのまま帰っていった 。

時刻はとっくに夜と呼ばれる部類に入っている。

路上では疲れた労働者が座り込み、安いネオンの下では客引きが羽振りの良さそうな男がいないか目を凝らしている。

加織はここで降りたところで自分がどうしたいのか分からなかった。整理のつかない心が虚しく痛むばかりである。

「おまえ!」チカチカする街灯の下を歩いていると、後ろから声をかけられた。声をかけてきたのは小肥りの紳士風の男だった。

「いくらかね?」

突然の問に加織はしばらくポカンとしていた。そして、何かを察したような顔をした紳士は

()()()()じゃないのかね?チエッ……」

と言うと何やら捨て台詞を吐いて夜の町のなかに消えていった。

加織がこの意味を理解したのはそれから数十秒経ってからだった。そして、しまった、と思った。

(護身用の拳銃を持ってくるのを忘れた)

もっとも、元々はローマに遊びに行くだけの予定だったのだ。拳銃を持っていくなどもっての他だった。

彼女は分からなかった。

自分がどうしたいか、何故こんなに()()()()から悶々とした気分が続いているのか。いっそのこと、さっきのエセ紳士にこの身体を売ってしまえば楽になるのではないかとも考えた。が、そんなこと出来る筈もなく、彼女は足下の小石をコツンと蹴り飛ばした。

しばらく歩くと、ちょっと進んだところに小さな居酒屋があるのが見えた。居酒屋、とすぐにわかったのはそこから酔いどれの男二人が気持ちよさげにフラフラと出てきたからである。

加織は何かに惹かれるようにその店に入った。

店の中は幾つかのはだか電球に照らされており、柱や壁には酒の臭いが染み込んでいるようだった。あちらこちらで仕事に疲れた人々やそれ以外の人が酒をあおっていた。

彼女は初めての場所には緊張する質なのだが、この日はあまり緊張せず、安心して酒がこぼれてベタついたテーブルに座ることが出来た。

「なんになさいます?」

給仕の少年がニタニタしながら加織に注文を訊いてきた。

「なんでもいいんで……お酒とか」

「わかりました……へっへ……」

昼間のウェイトレスと違って感じの悪いやつ、と思った。

一分ほど待つと給仕はビール瓶と曇ったグラスを持ってきて乱暴に机の上に置いた。ビールの銘柄は昨日エーリカとバルクホルンが飲んでいたものと同じだった。

彼女はグラスにビールを注ぎ、一気に飲み干し、むせた。給仕の少年がニタニタと笑う。 そのようなことを二三回繰り返した。

……しばらくすると給仕の他に別の視線を感じた。加織はアルコールで少し混濁する頭をフルフルと振ってその視線の主を探した。

はたして、それは見つかった。店の奥の方の席で胡瓜かなにかの酢漬けをかじりながらビールをチビチビ飲んでいる。彼は加織が気付いたことを知るとやおら立ち上がってフラフラとこちらに近づいてきた。

男は痩躯長身(そうくちょうしん)でボロボロのフロックコートに穴の空いた革靴という出で立ちだった。

「お嬢さん、お嬢さん……お嬢さんは見たところ扶桑人だ」

男は加織の座るテーブルに手をつくと充血させてトロンとした目をこちらに向けてきた。

「歳は十六、七だろう……間違いないね、私の娘も貴女くらいでしたよ」

彼の話は長くなりそうだった。が、加織は変に興味をもって、グラスをくるくる回しながら話を聴くことにした。

「私はね、元々カールスラントの官吏だったんですよ……三等官吏です。三等ですよ!皇帝陛下に謁見したこともある。私には妻が居てね、そいつは気立てもよくて、美人で……私にはちょっと勿体なかった。そんな妻と一緒に子供を産みましたよ。名前はハンナと言いました」

男の顔は幸せに満ちていた。充血した目には涙が溜まり、電球の光でキラキラしていた。

「幸せだった……!世界に私ほどの幸福者(しあわせもの)はそうそういませんよ!」

彼の溜まっていた涙は決壊して脂ぎった頬をつうっと流れた。

「ですがね!奴ら!ネウロイのせいで全てパーだ!あんなに素晴らしい妻が死んだんですよ!ダイナモ作戦の過程で……間に合わずに……。私はその後ブリタニアには行かずヴェネツィアに避難しました。ちょうど十五歳になった娘と共に。妻が死んで、落ち込んでいた私を娘は慰めてくれましたよ。『お父さん(ファーター)、私も頑張るから、お父さんも頑張って』……どうです!素晴らしい娘でしょう!」

男がそう言うと周りの客はへらへらと笑った。

「でもね、避難民の私にはろくな仕事はありませんよ。服も買えないからね。すると娘はどうしたと思います?……自分の身体を売ってお金を稼いだんですよ……ああ!可哀想なハンナ……!一回でかなりの金額が入りましたよ。えぇ、ハンナは若くて、可愛らしかった」

そこまで話すと彼は鼻をズズッと啜った。周りの客が「その服は娘のアソコで買ったのかよ!」と野次を飛ばした。

「黙らないかね、いたいけな少女の前で!……でね、ハンナは言ったんです。『お父さん、これで上物のフロックを買って頑張って』てね。彼女は聖女ですよ」

加織は男の話を黙って聴いていた。遠くの客の一人がまた野次を飛ばす。

「その聖女様はどうなさった!」

すると、男は先までトロンとしていた目をクワと見開いてテーブルを思いっきり、しかし力無く叩いた。

「死んだよ!死にましたよ……!ヴェネツィアに出てきたネウロイに殺られたんだ!私は娘の骨も回収できずにロマーニャへ逃げてきた!……こいつぁ、避難してきたって意味じゃぁないですよ……正真正銘、私は逃げ出したんだ!娘が作った金で私はこのように逃げている!」

彼は加織のテーブルにあったビール瓶をグイッと煽った。勢いよく流れ出たビールが彼の口から溢れだす。

「あの子は……ハンナは優しい子だから言いませんでしたけどね、セックスするなら本当に愛している男とやりたかったでしょうよ……。でも、ハンナは自ら戦ったんだ。お嬢さん、貴女と形は違えど、娘は戦ったんですよ!」

彼は続ける。

「お嬢さん……貴女は今私と同類になろうとしている。運命や義務から逃げ出そうとしている……分かるんですよ、私には」

彼のその言葉は、酔いの回りかけた加織の頭に強く刻み込まれた。そう、私は怖かったのだ。ただ怖いのではない。あの部隊、501の中で唯一どうなるか分からないから怖いのだ。

他の人は皆生き残るこれは間違いない。何故なら、歴史がそれを証明しているからだ。だが、加織はどうだろう?

分からない。ただ分からないではない。あの中で自分一人がどうなるか分からないのだ。その孤独、独りぼっちの恐れが堪らなく辛かったのだ。

だから彼女は無意識に逃亡を始めようとした。

「私はとんだ最低野郎ですよ……娘の身体で作った金で逃げているのだから……だけど、分かっているのです。そうすればするほど、逃げれば逃げるほど世界は自分から離れていく。全くの、孤独だ」

孤独感。彼女は時代を共有する仲間を持たない。それなのに、今逃げ出したらどうするのだ。時を共にする仲間まで失ってしまう。誰も知らない、何も分からない、全ての人々が影法師の世界で死んだように生きていかなければならなくなる。

「…………」

加織はスッと立ち上がった。酔いはもう醒め、頭の中の霧も晴れていた。

「ありがとうございました……」

彼女は男に礼を言った。

「何の……お前さんが娘に似ていたのです」

彼女は男のそう言う声を背中に受けて居酒屋の外へ飛び出した。空には夏の星座が煌めいている。

あの空に、一週間たったら上がるのだ。大怪我をするかもしれない、死ぬかもしれない。しかし、今の彼女にそのようなことはどうでもよかった。

「私は逃げない。あの空から……」

それは、静かな決意だった。

 

 

 

つづく




友達が
「おれのサーニャ(お前のじゃない)勝手に殺すなよ」と言ってきたのでウィッチ名鑑をやめます。もうちょいしたら前までのも全部消していきます。まぁ他にも理由はあるのですが(本編との折り合わせがしずらくなってきた)ご了承ください。
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