その日の空は全くの快晴で、雲一つと無かった。
前回の模擬戦から一週間、智香たち宮菱スタッフと由美は雪辱を晴らすべく滑走路にあった。智香の脚には智香の要求に答えうるよう仕上げたストライカーユニットがある。
「軽量化はしましたが、少々扱いづらくなっています。ですが、高木さんなら大丈夫でしょう」
「いいの? 使いづらいものにしちゃって」
「かまやしません。後でいくらでも調節できます」
由美は笑いながら答えた。
彼女達は対戦相手であるカールスラント空軍大尉の装備するタイフーンに負けないドッグファイターをつくるつもりであった。納入予定先である軍は格闘性能などさして求めていないらしいが、あって困るものでもあるまい。
「さぁ、バルナー大尉、吠え面かかせてやるから覚悟しなさい!」
「フッ、なんどやっても同じさ」
智香とコジマは顔を見合わせニヤリと笑う。
さわやかな春風が飛行場周りの草原を撫でた。二人のウィッチの髪も美しく靡く。まるでそれが合図であったかのように、管制塔から離陸許可が降りた。
一週間前と同じよう、二人は同時に加速し、同時に上昇し、同時に別れる。
旋回の際、智香は自分の身体が軽いことをハッキリと実感した。機体は確かに軽量化されている。思った通りに動き、まるで自分の脚のように感じられた。
「これならイケる!」
素晴らしい旋回性能だ。彼女は飛行場の上をグルリと回り、コジマの背後にピタッとついた。
「!」
「背中を取ったわよ!」
コジマは身を捻らせ、降下しながら智香の斜線軸から離れる。その後もジグザグに急速な方向転換を繰り返し、狙いを定めさせなかった。だが、智香も負けじと追いすがり、度々コジマをヒヤッとさせる。
真っ青な空で戦う二人は、地上からは白い糸がもつれあっているように見える。
『ミサイルは、使わないんですか!?』
「由美もウィッチなら分かるでしょ! そんな無粋なもの……っ!」
機銃のみでのドッグファイトは、レシプロストライカーが姿を消し、ミサイルやコンピュータの発展の後に全く行われなくなった。それが今、この地球でもっとも最新鋭の二機により行われている。由美は智香の言葉を聞きながら、その事実に感慨深いものを感じた。
大空を舞う乙女の姿はよく見えないが、その場にいる全員が白い軌跡にうっとりしていた。
だが、青天の霹靂とも言うように、事態は急展開する。
「……!」
何度目かの左急旋回をした後、X-2がにわかに振動し始めた。足下から登ってくる不愉快な振動、エンジンは音を増し、軋むような音も聞こえた。
「こちらX-2高木。機体に振動が発生している」
『えっ!?』
智香の報告を受けた由美は地上で顔を真っ青にした。それは他のスタッフにも同じことで、互いに顔を見合わせながら、模擬戦を中止するよう言い合った。
『高木さん、バルナー大尉、模擬戦を至急中止し、着陸してください』
『了解』
「了解……」
智香は口の中に悔しさを噛み締めた。前回は撃墜され、今回は機体の不全による敗北だ。X-2は最高のストライカーユニットだと信じていた自分が馬鹿のようであった。
眼下には飛行場。そこに悠々と着陸するコジマの姿。
智香は降下して、自分も着陸しようとした。下に降りたら、コジマの何とも言えない笑みを見ることになるのだろうな……。
だが、その心配はなかった。それよりも重大なことが起きたからだ。
降下を始めた瞬間、先程まで振動していたユニットが突然静かになった。そして、左のユニットが小爆発を起こした。
「うわっ!?」
その爆発に便乗するように、機体の他の部分も剥がれたり、吹き飛んだりし始め、身体の制御がいよいよ利かなくなった。
「制御が出来ない!」
『脚のパージレバーを引いてください! 早く!』
「……だめ、反応しない!」
彼女はきりもみ状態になりながら急速に降下した。先程まで描いていた白い軌跡とは対照的な黒煙がユニットから漏れている。そして、飛行場から数百メートル離れた、水の張ってある緑豊かな水田に墜落した。
※
「………」
墜落したかと思ったら、智香の身体は病床にあった。個室タイプの病室で、窓の外にはここが都心の近くであることを示す無個性なビル群と、もうすぐ夜であることを示す斜陽と、沈んだ橙の空が見えた。
視線を脚に移すと、左足がガッチリと固定されている。どうやら脚を折ったらしい。そして、サイドテーブルにあった手鏡を見ると、頬の辺りに大きな絆創膏が貼られていた。少し剥がしてみると、剥がれ落ちたパーツによるものか、縦に大きな傷ができていた。この傷は一生消えないだろう。
「あ、高木さん……」
声がしたから、入り口に目をやると果物篭を持った由美の姿があった。いつも見るワイシャツにネクタイという格好ではなく、その上に濃紺のジャケットを羽織っていた。
「私、どうなったの?」
「墜落したんです。機体の強度不足で……ごめんなさい……」
果物篭をギュッと抱え込んで、由美は泣きそうな顔を伏せた。心の底から罪悪感を感じているらしい。
「なんであなたが謝るの。空での事故は、空に上がった人間の責任よ……」
「そんな……私が……私達が、ちゃんとした整備をしていれば良かったのに……」
智香も、整備スタッフ達にも大きな過失があったことは分かっている。しかし、由美達はこの一週間で全力を尽くしたし、そもそも自分が少々無理な要求をしたのが原因でもあるのだ。
「あなたはいいの、泣かないの! 次はこんなことがないようにすればいい話じゃない」
智香は由美を手招きして、ちんちくりんな頭を軽く撫でた。
「その果物、私にくれるの?」
「はい」
由美は目許の涙を拭ってうなずき、ジャケットを脱いでハンガーに掛けるとベッドの脇の椅子に座った。
「今、リンゴを切りますね」
「悪いわね」
バッグから果物ナイフをとりだし、篭から取り出したリンゴを剥いていく。ショリショリという音が夕闇に沈もうとしている病室に響く。
「全治どれくらい?」
「三ヶ月ほどだそうです。神奈川の方へ行けば、治癒魔法とかも扱っている病院があるそうなんですが、連絡したら大人しくしているのが吉だとのことで」
「まぁ、骨折を治癒魔法でどうにかするって話は聞かないしね」
「はい」
夕日の沈む様子が妙に速く見える。部屋は暗くなり始め、そろそろ電気を点けた方が良いだろう。
「三ヶ月かぁ」と、智香は笑う。
「リベンジは三ヶ月後……か。なまらないといいなぁ」
彼女がそう言うと、由美のリンゴを切る手がピタリと止まった。部屋はシンと静まり返り、外の道路を走る車の音が大きく響いた。
「タイフーンとの模擬戦は……今後やりません……」
「……はい?」
「X-2の開発方針は、当初の予定通り、対大型ネウロイ用の攻撃機というものになります……」
「……ちょっと、どういうこと……」
最初は由美が言ったことの意味が飲み込めず、口許に笑みを浮かべていた。しかし、由美がそれに対して顔を背けたことが、智香に意味を理解させ、同時に怒りを沸き上がらせた。
「どういうことよ!」
「あの機体をドッグファイターとして完成させるのは無理だと判断したんです」
「無理って……今更じゃない!」
由美は黙り込む。夕日が山の向こうに沈み、病室はほとんど闇になった。窓から差し込むわずかばかりの光が、二人の顔に深い陰影を作り出している。
「何か言いなさいよ……」
「高木さん、すみません。でも、仕方がないんです。諦めてください……」
刹那、智香の右手が走った。握り拳が座っていた由美の顔を捉え、由美は椅子から転げ落ちてしまった。
「嘘つき! 嘘つき嘘つき嘘つき! あなた言ったわよね? 私を最高のストライカーで空にあげて見せるって。タイフーンに勝たせてやるって! あれは嘘だったの?」
「………」
「私はあなたの嘘に付き合って脚の骨を折ったの? これがホントの骨折り損ってやつ!?」
智香は身を起こして激しく怒った。床に転がっていた由美は打たれた頬を押さえながら立ち上がり、目許から流した涙を窓から差し込む残滓に煌めかせた。
「私だって、そうしたいですよ。だけど、やっぱり駄目ですよ……」
「今更弱音をはくなんて……!」
「弱音なんかじゃありませんよ!」
由美は始めて怒鳴った。智香は怒りを露にする由美を始めてみたものだから、一瞬呆気にとられてしまった。
「高木さんは嫌がるかもしれませんから黙ってたですけどね、私はおばあちゃんの影響で扶桑海の巴御前に憧れてたんですよ……」
「………」
「私、X-2の……高木さんの担当になれた時、本当に嬉しかったんです。高木さんの凛々しい姿も、飛ぶ姿も、私には何もかも眩しくって……」
部屋はいよいよ真っ暗になった。由美は話ながら電気のスイッチのもとへいく。
「最初は、『巴御前の孫』である高木さんを単に素敵だと思っていました。でも、一緒にユニットを育てていく中で、私の憧れの対象は巴御前の孫から高木智香に変わったんです」
パチリ、と病室の蛍光灯が灯された。白い明かりが二人の少女を照らし出す。張り詰めた空気は去り、不思議と穏やかな感情が室内には流れていた。
「私は、憧れのあなたに最高のユニットで飛んでほしいです。タイフーンに勝ってほしいです。でも、そんな私のエゴのせいで、高木さんが死んじゃうようなのは、もっと嫌なんです……」
「………」
由美はベッド脇の席に戻り、切りかけのリンゴを再び切り分け始めた。智香は天井を眺めて、瞳を閉じた。
「……それはさ、あなたのエゴじゃないわよ……」
「………」
由美は静かにリンゴを切る。智香は続けた。
「私の……私達の目標でもある……今更心配事なんていいわ。私は空を飛ぶ人間なの」
「………」
「一緒に最高のユニットを目指してきた。それを諦めるのは、死んだも同じよ……妥協して、ウィッチとしての長所を殺した安全なだけのユニットに、誰が魅力を感じる?」
リンゴを切り終えた由美はそれを皿に移し、フォークを添えた。そして、立ち上がるとバッグを手にとって部屋を後にしようとした。その去り際、智香が半身を捩らせ、微かな声で言った。
「お願い……」
ジャケットを羽織り、病室を後にする。
消毒液の匂いが立ち込める廊下で、彼女は歩きながらネクタイを締め直すと、ジャケットのボタンを丁寧に留め、胸を張って歩いていった。
※
季節は巡り、夏も終わりを迎えようとしている。
高木智香はそのような空気を風で感じながら、飛行場にいた。
退院後、彼女はすぐに飛行場へ舞い戻り、コジマに帰国延長を懇願して、再び模擬戦を実施することに決めた。職員達も、三度目の正直だと意気込んでいる。
今回の模擬戦には呼んでもいないのに軍の関係者も多く見学に来ているようで、「扶桑の醜態を見せるなよ」と無言の圧力をかけてきていた。
「何よあの連中。お呼びじゃないっつの」
「まぁまぁ、ここでいいとこ見せとけば、もっと予算もらえるかもですよ?」
智香と由美は格納庫で雑談をしていた。と、いうのも、ユニットは現在東京工場で最終整備の後、こちらに運ばれてくる手筈となっているからだ。
「あと、一時間くらいかしら?」
「楽しみですね」
二人はそう言って笑い合う。と、その時、格納庫内の電話がけたましく鳴り響き、由美はそれに応答した。
「はい第二飛行試験場……はい……はい!?」
「どうしたの?」
「それが、渋滞に捕まったらしくて……」
「は!?」
これもまた青天の霹靂である。
なんでも、首都高速道路に乗り、こちらに向かっていたのだが、大規模な渋滞が発生しているらしく、こちらに着くのがいつになるか分からないのだという。
「今はどの辺にいるの?」
「箱崎あたりだそうです」
「はぁ……なんで万年渋滞の首都高を使うかなぁ……」
「でも、どうします?」
二人は格納庫から顔を出し、外の様子を見た。いかにも偉い風体の人々がフハハフホホと談笑している。こんなところで「渋滞のため、大幅に遅れます」なぞ言おうものなら間違いなく面倒なことになるだろう。
「今から行って回収することは出来ない?」
「無理ですよ。時間がかかります。それに、渋滞ですよ?」
智香は唸った。コジマに相談するか……いや、やめておこう。また「フッ」という笑いをされるのは嫌だ。ならば、どうするのか……。
「……仕方ない……」
万事休すかという中、そう呟いたのは由美だった。
「何か手があるの?」
「はい。あまり使いたくないんですけど、『コネクション』を利用させていただきます」
そう言うと彼女は懐からPHSを取り出し、格納庫の外へ出ていってしまった。
その後、智香は格納庫で時間をもて余していたのだが、三十分ほどすると、由美がとある人物を連れてやってきた。
「高木さん、海軍のヘリを使わせてもらうことになりました」
「か、海軍の? なんで?」
「私の家が代々海軍で、ちょっとコネがあるんです」
そう言えば、由美の父親が海軍のお偉いさんだという話をどこかで聞いたことがある。本人があまりその事を話さないから意識はしなかったが、もしかすると由美は良家のお嬢さんなのかもしれない。
「で、こちらが海軍でヘリパイをやってる佐藤少尉」
「佐藤加織少尉です。どうぞよろしく」
智香より数歳年上の女性は海軍式の敬礼を見せてくれた。智香は「はぁ、どうも……」と間の抜けた返事をする。
軍隊が民間の都合でホイホイ動いてくれることはない。つまり、この佐藤少尉は誰かしら偉い人の指示の下で任務についているわけだ。一体どのようなコネを使ったのだろうか。
「さ、高木さん! 行ってください! 責任は私が取れる範囲で取ります!」
※
ヘリは小型のもので、恐らく模擬戦の『客』を乗せてきたのだろう。
智香を乗せたヘリはメーンローターを勢いよく回し、ふわりと宙に浮いて首都高の渋滞ポイントへ向かった。
「あの、ありがとうございます」
『いいのいいの。困ったときはお互い様だから』
智香はインカムで佐藤少尉に礼を言った。少尉は一つ笑うとこちらに軽く顔を向けた。
『私も元ウィッチなんだよ。海軍航空隊の』
海軍航空隊のウィッチ隊は三年前に軍の再編成にともない空軍のウィッチ隊に併合されて消滅した部隊である。四年前の事件の時、少尉も戦ったのだろうか。その事を訊くと、少し寂しそうに笑って、
『まぁね。それが原因で魔法力が尽きて、今はこうしてヘリパイやってるんだけどね』
「魔法力が、ですか」
『私のおばあちゃんは、魔力が尽きない体質なんだけどね。一度尽きたけど、復活したらしいし、分かんないもんだよ』
少尉は優しい雰囲気の女性だった。智香の顔もほころぶ。
『高木さんは、穴吹智子のお孫さんなんだってね?』
「えっ……えぇ、まぁ……」
智香の顔が一瞬こわばる。だが、少尉は智香の予想とは違う切り口で話してきた。
『大変でしょ』
「えっ……どうして?」
『いや、私なら凄いプレッシャーとか感じちゃうなーって』
こういうときは大抵孫だということを誉めちぎられたりするものだから、少尉の言い方は智香に嬉しかった。あぁ、わかってくれる人もいるんだ、と。
しばらく飛んでいると、眼下に車が長蛇の列を成しているのが見えた。
『ほら、見えた。どの車か教えてね』
少尉はそう言うと、ヘリを降下させた。
つづく
次回で完結予定