加織は妙に眼が冴えてまだ薄暗いうちに基地の外へでてぶらぶらと歩き回っていた。
季節はもう夏だというのに、早朝の地中海はひんやりとした風を吹かせている。空にはまだ星がチラチラと光り、雲が風に流れていた。
「
何となく、彼女はそう呟き、ハッとした。
(昔……昔って何時だろう……二ヶ月と少し前だ。私はそれをもう昔と言ってしまっているのか)
彼女は愕然とした。身体がこの時代に馴染んできているのだ。この空の下に、時を共有する人は居ないとうのに。
「あれ?加織ちゃん?」
少しうつむき加減に歩いていると、向こうの方から芳佳の呼ぶ声が聞こえた。顔をあげると、不思議そうに首をかしげる彼女の姿があった。
「加織ちゃんも早起き?」
「うん、なんか妙に眼が冴えちゃってさ」
そう言うと芳佳は此方に歩いてきて、「じゃあさ、坂本さんの所に行こうよ」
「少佐の?」
聞くところによれば坂本は毎朝海辺で木刀を振るっているのだという。扶桑生まれの芳佳は時々一緒に振るっているそうだ。
(そう言えば、この時代はまだ扶桑刀で戦うウィッチもいたんだ)
ふと、そう思い出す。
加織はそのまま芳佳に連れられ海岸まで駆けていった。海岸までは細い階段で繋がっており、そこを降りると広い砂浜に出る。まるでブライベートビーチか何かのようだと前々から加織は思っていた。
その砂浜にちょっとした岩が生えている。坂本はその岩の上に立っていた。
「坂本さん」
芳佳はそう声を掛けようとした。が、坂本の雰囲気が何時もと違うことを感じとり息を潜めた。
坂本の手に握られているのは木刀ではなく、朝日に輝く真剣だった。刀についてド素人の加織にもその扶桑刀が相当の業物であることがわかった。
後ろ姿ではあるが、彼女が瞳を瞑り、集中力を高めていることはわかる。肩がゆったりと上下していた。
……そして、どれ程時間が経っただろうか……。
「………!」
坂本は刀を上に掲げるように構える。すると、刀身が蒼白い光を放ち始めた。
「烈風斬ッ!!」
彼女が得物を縦に振り下ろす。瞬間、刀身の輝きは増し、放たれた斬撃が海をモーゼの如く割った。吹き上げられた海水が霧となって辺りにしとしとと降り注ぐ。
「す、すごい……!」
「む……なんだ、宮藤に佐藤じゃないか。朝練か?」
二人の感嘆の声が聞こえたのだろう。坂本が振り向いて微笑みながらそう訊いてきた。
「はい!あ、でも、坂本さんの邪魔になるかなって」
「いや、すまなかったな」
「少佐!その刀は……」
加織は芳佳の影から坂本の持っている刀を指さした。
「あぁ、これは烈風丸だ。戦闘の時はこれを使っている」
なるほど、確かに坂本は戦闘では刀を手にして戦っている。実戦の際はそれほどゆっくり観察することができないこともあって、加織には始めてみたように感じた。
「私はこれで真・烈風斬を体得したいと思っている」
「真・烈風斬?」
「烈風斬を越える烈風斬だ」
加織と芳佳には坂本の追い求めるものを掴みかねた。ただ、二人は応援の言葉を言うしかできない。
基地全体を、ラッパの音が震わせた。起床である。
朝食を食べるとすぐに模擬戦となった。
飛ぶのは芳佳とペリーヌで、残りは全員地上で模擬戦の観戦である。オレンジ色の模擬銃は遠くからでも良く見えた。
芳佳とペリーヌ、どちらが優れた戦闘技術を持っているかと言えば、ペリーヌであろう。彼女の方が実戦経験は豊富なのだ。しかし、芳佳にも自ら体得した「左捻り込み」の技術がある。一瞬の油断もならない、息を呑む格闘戦になると思われた。
先手を打ったのはペリーヌだった。彼女は積極的に芳佳の背後につこうとする。
芳佳はそれを振りきろうとするが、中々剥がれない。
ここまではいつも通りの流れであった。そして毎回、芳佳は左捻り込みで一気にペリーヌの背後につき、機銃を連射するのだ。だから、ペリーヌもそれを警戒して身構えていた。
(ッ!あれ!?)
しかし、芳佳が上昇を掛けようとしたとき、ストライカーユニットが一瞬だが煙を吐いた。そして、回転が安定しなくなる。
何故か捻り込みをしてこない芳佳を見て不思議に思いつつも、ペリーヌは容赦なく引き金を引いた。身体に染み付いた動きだからだ。そして、放たれたペイント弾は芳佳のストライカーユニットや身体に叩き付けられた。
「奇妙だな……」
地上で模擬戦を見ながらバルクホルンがポツリと呟いた。模擬戦は既に二回戦へ突入しており、またも芳佳が一方的に銃撃を受けていた。
バルクホルンの言葉をいまいち飲み込めない加織は訊いた。
「大尉、どういうことです?」
「いや、何時もなら二人ともいい勝負をするのだが……」
「と、言いますと?」
「宮藤のユニットに不具合があるのかもしれないな」
そう言うと彼女は飛行停止を伝達した。
「ユニットに不具合は有りませんがね?」
油にまみれた顔で報告するキュンメル翁に坂本は「む、そうか」と相づちを打った。
「バルクホルン大尉はユニットの整備不良じゃあないかと言ってるんだが」
「冗談じゃありやせん。こちとらそれに命かけとるんじゃ」
キュンメル翁はムスッとしてそう応じた。これには坂本も慌てて、
「いやいや、他意は無い。気にしないでくれ……」と弁明した後、「とりあえず、もう一度確認してみてくれ」と念を押しておいた。
「仕事ですからな。やりますぞ」
彼も、笑顔でそれに応じてくれた。
所変わって医務室。そこでは芳佳が軍医士官の診断を受けていた。
「身体に悪いところは無いわね。素晴らしく健康体よ」
「ありがとうございます」芳佳は嬉しそうに礼を言った。「私、一度も病気になったことがないのが自慢なんです」
実家が医者なだけあってそういうことには十分気を付けていたのだ。勿論、日頃の食生活も健全なものである。従軍していれば誰もがたしなむ程度には呑むアルコールの類いも口にしていない。
「さてと診断は終わりよ……外で立ち聞きしている人も、入ってらっしゃい」
軍医がそう言うので、芳佳は入口の方へ顔を向けた。扉がゆっくり開き、三人が苦笑しながら入室してきた。加織、リーネ、ペリーヌの三人である。
「三人とも、どうしたの?」
「どうしたもなにも、芳佳ちゃんが心配だったんだよ?」
何とも呑気な調子の芳佳にリーネが声を荒げる。
「あはは。でも、大丈夫。身体は何ともないって!」
「何言ってますの、ならば尚更ですわ!」
ペリーヌの言う通りで、何一つ問題の無い健康体だからこそ、何故飛行に不調が出たのかが分からない。
「でも、一晩寝ればどうにかなるんじゃない?」
「いや、佐藤。ソイツは違うぞ」
加織が楽観的なことを言うと、後ろのベッドスペースにかけられているカーテンの後ろから声がした。そして、中からバルクホルンが顔を出した。
「大尉!?いつからそこに!?」
「まあ軍医殿、気にしないでくれ……宮藤、ウィッチは常日頃の健康管理が肝だ。一夜にしてどうにかなるわけではないぞ。それだけは心得ておけ」
「それは、わかりますけど……このまま飛べなくなるなんてことはないですよね?」
「分からん。お前の思い次第だ」
芳佳には思い次第というのが分からなかった。飛びたいという思いは強いと自分でも思う。守りたいという思いも強いと自分でも思う。しかし、それほど思っているのにストライカーユニットは思うように動いてくれなかった。
それが、悲しかった。
翌早朝、加織はまた一人基地の外を歩いていた。
起床の時間まではまだある。この日の風はやや熱を帯びていた。
「うん?」
丁度基地の裏手に回ったときである。加織の目が一つの植木鉢に向いた。植木鉢の黒い土からピンと緑の茎が立ち、先に白い花を付けている。
「綺麗な花……」
それほど大きな花ではなかったのだが、加織は何故かそれに惹かれ、顔を花に近づけた。
その小さな花は空に向かって一生懸命に茎を伸ばそうとしているように見える。より高く、より高く。
「加織ちゃん?」
加織は急に声をかけられ少し背筋を震わせた。声のする方を向くと角のところでリーネが顔をこちらに覗かせている。
「何してるの?」
「いや、綺麗な花があったから……リーネちゃんは?」
「目が覚めたら芳佳ちゃんが居なかったから、外で朝練してるのかなって」
そう言うリーネの顔は少し雲って見えた。やはり芳佳のことが心配なようだ。
「芳佳ちゃん、どんな感じなの?」
「何時もと変わらないように見えるけど、やっぱり元気無いよ……」
そう言いながらリーネは加織の横にしゃがんで、同じく花に顔を近づけた。
「綺麗な花でしょ?」
「そうだね。でも、少し窮屈そう」
「窮屈?」
疑問符を浮かべる加織に、リーネは植木鉢を手に取り土を押さえながら引っくり返してそこに空いている孔を此方に見せた。その孔の中は白い根でびっしりと埋められていた。
「うわ」
「この植木鉢じゃ小さいんだよ」
リーネは丁度近くにあった古い花壇に手で穴を空けた。そしてな慣れた手つきで植木鉢から花をポンと取り出すと空けた穴にそれを入れて、優しく土をかけてやった。
「慣れてるね」
「前にガリアでペリーヌさんとやったから……よし!」
彼女は土の着いた手をパンパンとはたくと立ち上がった。
「加織ちゃん、海岸へ行こうよ。きっと芳佳ちゃんそこにいるよ」
海岸は全く静かだった。波の音だけが薄明かるい空に響いている。
「………」
芳佳は一人そこで箒に跨がり、意識を集中していた。
箒で飛ぶことはウィッチの基本である。魔力が安定していれば思うように飛んでくれるし、不安定なら思うように動いてくれない。
「………」
彼女は箒に魔力が流れる様をイメージした。
私は飛べる、飛べる、飛ばなくてはならない……。
しかし、いくらそう念じても、願っても、箒は飛び上がらず、挙げ句、
「ッ!?」
箒の先は軽い爆発音を立てて吹き飛んだ。エニシダの枝が白い砂の上に散らばった。
「………」
彼女は呆然と座り込んだ。
どうして?どうして飛べない?これほど空に恋い焦がれているのに、まるで一方的に片想いしているようだ。
「芳佳ちゃん……」
じっと自分の膝を見つめていた芳佳だったが、声をかけられてハッとした。
そこにいたのはリーネと加織だった。リーネの手には吹き飛んだエニシダの枝が握られている。
「リーネちゃん、加織ちゃん、私どうしよう、飛べなくなっちゃった」
座り込んで此方を見る彼女の目は力なく涙を湛えていた。
「どうして、私分からないよ……こんなに飛びたいのに……」
「…………」
そして、暫くしないうちに嗚咽が漏れ始めた。
加織とリーネはこんな芳佳を慰めるのも儘ならない。なんと無力なことか……。
丁度その頃、坂本は自室で一枚の書類を眺めていた。
先日、扶桑本国から彼女宛に届いたものだ。差出人は海軍大臣となっている。
内容は、要するにさっさと引退して後輩の育成に専念してくれというものだった。海軍だけでなく、扶桑軍、更には政府としても国民的英雄に何かあって死なれたら困るのだ。
「桜月章授与の準備も整っている、か……」
桜月章を授与されるなど、扶桑軍人にとどまらず、扶桑人として最大級の誉れである。
「…………」
しかし、彼女はその書類を縦に引き裂いた。
彼女は勲章を貰うより、この部隊の仲間であり続けたかった。それに、やらなければならないこともまだ残っている。
「……ン……」
ふと、彼女の目が机の上の本立てに向いた。
そこには様々な種類の本が納められているのだが、その中で一冊異彩を放つものがあった。
『世界のエースたち』………かつて、加織が持っていた本である。今活躍するウィッチたちの、未来を覗ける本……。
彼女はその本にスッと手を伸ばし抜き取った。そして、表紙をじっと見つめる。
(……何を考えている坂本美緒……このようなものを見て何になるのか!)
頭の片隅でもう一人の自分がそう言っているのが聞こえる。しかし、彼女の震える手は意識せずともその本を開こうとしていた。
「……………」
嫌な汗が噴き出す。
本一冊読むのに、私は何を躊躇っている……!
………結局、彼女がその本を開くことはなかった。本を棚に戻すと、まるで全力疾走した後のように鼓動が速まり、息が荒くなっていた。
「風呂にでも、入るか……」
彼女は先程の書類をくしゃくしゃと丸めてゴミ箱に放り込んだ。
「この先どうなるか分からない……だが、切り開いて見せるさ……」
本に向かってそう言うと、彼女は立ち上がり、そのまま部屋を出ていった。
続く