本編時間かかってて申し訳ないです。
「――小鷹、コーヒー」
すっかりお馴染みとなった隣人部での光景、そのうちの一つに、三日月夜空のティータイムがあった。
尤もそれは、英国式の正式な作法に則ったアフタヌーンティーでは無い。単純に、放課後に友人とお茶をしているかのような気安い、格式張らない日常の一コマである。
「はいはい。今日はちょっと違うのでもいいか?」
「ん」
お茶うけとして用意されたジンジャーブレット――これは小鷹が作って来たものだった――を齧りながら、夜空は手元の文庫本へと目線を落とした。
「あ。夜空、口元に食べ残し付いてるぞ」
「う……い、いいから早くお代わりを持って来い……!」
気恥ずかしそうに顔を赤らめた夜空が照れ隠しにがなる姿を見て、小鷹はくすくすと忍び笑いをしながらコーヒーを淹れるべく、席を離れる。
その二人のやり取りを伺っていた星奈が、手にしていたコントローラーを床へ置くと、呆れたように溜息を吐き出した。
「……アンタ達、部室で何やってんの?ていうか、小鷹と夜空、なんか親子っていうか……姉妹、みたいに成ってない? マジ、ウケるんですけどー」
部室でギャルゲーに興じる人に言われたくはない、と小鷹は内心で反論した。
声に出せばターゲットになるだけなので、小鷹は聞こえないフリをしつつ、コーヒーメーカーからカップに中身を移して行く。
「ふん、神聖な部室で破廉恥極まるゲームに興じていた奴に言われる筋合いは無い。
というか――誰が姉だ、この駄肉が」
夜空も同じことを思ったのだろう、つっけんどんな調子で星奈へと食ってかかった。
「だぁれが駄肉よ!ていうかさ、何それ、ボケのつもり?どう考えてもアンタが妹役でしょ。小鷹はさしずめ、出来の悪い妹を見守る母親代わりの姉、ってトコね」
妙に細かい設定を披露した挙句やれやれと両手を広げる星奈に、ムッとした顔を浮かべた夜空が声を荒げた。
オーバーリアクションなのがまた、夜空の神経に障ったのだろう。煽るような星奈の顔が、彼女に背を向けている小鷹にも容易に想像出来る。
「何を……おいそこの破廉恥痴女肉、これだけは言っておく。いいか、私に姉など居ない。
……後、誰が妹だ、誰が。寧ろそれなら私が姉だろうが、この阿呆が……!」
「……突っ込む所そこかよ。はい、コーヒー」
小鷹の差し出したコーヒーカップを、夜空は一瞥の後、静かにソーサーから口元へと運ぶ。
無意識か、前髪から覗く夜空の長い睫毛が閉じられる。彼女の薄く赤い唇と、白磁器のカップが触れ合う瞬間――それは何処と無く小鷹に官能的な描写を思い出させるものだった。
「む……今日のはちょっと酸味があるな。これはこれで好みの範疇だが……
おい小鷹、何をジロジロ見てる」
「あ、いや……何でもないよ。コーヒー、酸味がちょっと強い方がジンジャーブレッドに良く合うと思って」
ぼうっと夜空を見ていた小鷹の視線に気付いたのだろう。
コーヒーに舌鼓を打っていた夜空の怪訝そうな顔に、小鷹は慌てて言葉を取り繕うと夜空の対面に着席した。
「それと北欧の方じゃ、コーヒーにジンジャーブレッドをちょっと浸けて食べるらしい」
小鷹は自前のカップに注がれたコーヒーに、ジンジャーブレッドを軽く浸けてみせる。
焦茶色をしたジンジャーブレッドへ、ブルマン・ブレンドのコーヒーが染みこんでいく様が夜空にも伺えた。
仄かに香るジンジャーとコーヒーの組み合わせの妙。夜空の細い指先が、ジンジャーブレッドの一欠片を摘み上げる。
「ほう……まあ、確かに組み合わせとしては悪くない……」
コーヒー味に染まったジンジャーブレッドを堪能しつつ、夜空は幾枚目かの新しいジンジャーブレッドに手を掛ける。
そこへゲームを中断した星奈が、意気揚々とした調子で割り込んできた。
「そういえば、小鷹は下に妹が居るじゃない。それって言わば『お兄ちゃん』な訳でしょ?
だったら姉役でも問題無いんじゃない? ま、夜空みたいな妹を持つと、姉としては大変よねぇ……同情するわ」
星奈はそのまま夜空の隣へ腰掛けると、まるで夜空を挑発するかのようにニヤリと笑った。
夜空もコーヒーを一含みすると、臨戦態勢を整えるかの様に足を組み替え、手にしていた文庫本に赤い栞を挟んで閉じる。
本を閉じる小気味良い音をゴング代わりにして、夜空は星奈の青い瞳を射抜くように見遣った。
「私も、貴様のような公序良俗に反するド変態が、だ。
もし、万が一、何かの間違えで――姉だか妹だかに居ると考えただけで……全身に震えが走るな。家出も考える」
「だ、誰が公序良俗に反するド変態よ!」
大袈裟に自らを抱きしめるように震えてみせる夜空へ、星奈は羞恥で顔を赤くしながら反論を飛ばす。
それを受けた夜空は、まるで『何言ってんだコイツ』と言わんばかりの呆れ顔で以って、はあ、と大きな溜息を――わざとらしく零した。
「自覚症状も無いとは……いよいよもって重症だな。
良き隣人を作るこの神聖な部に、こんな重篤な変態が居るなど……全く、世の中とはままならんものだ……」
な、小鷹。そう言いたげな視線を、夜空はコーヒーを含みながら一つ、対面で苦笑する小鷹へと向けて見せる。
まるでイタズラが成功した子供のような顔を浮かべる夜空。対照的に、怒りで百面相に成っている星奈が、猛然と夜空へと挑みかかった。
「な、なんですって……! 私だってアンタみたいな性悪女が妹だなんて、此方から願い下げよ!」
どうやら星奈の中では、既に夜空は妹キャラで決まっているようだ。
小鷹はコーヒー片手に、眼の前で繰り広げられる舌戦の終焉を待ちわびていた。
ここまでの判定では、圧倒的に夜空が優勢である。このまま夜空が逃げ切りを決めるだろうと、小鷹は予想した。
「別に私は妹になった覚えも、そうしてくれと頼んだ覚えも無いが」
「っああぁぁもう! ああ言えばこう言うんだから……!」
しれっとした顔の夜空に、星奈は自身の不利を悟ったのだろう。
口惜しそうに唇を噛み締めながら、テーブルに置かれているジンジャーブレッドのバスケットへと手を伸ばす。
だがそれを、本を再び開き始めた夜空が慌てたように制止した。
「おい待て肉、それは私のだ。どうして貴様が勝手に、許可無く手を付けようとしているんだ?」
「へ? 別にいいでしょ、一枚くらい」
バスケットに手を伸ばす星奈から遠ざけるようにして、夜空はバスケットを動かす。
「肉類肉族の貴様には、ジンジャーブレッドなど文化レベルが高すぎる。塩コショウでも振っていろ」
(肉だけに下味……)
小鷹の内心での呟きを悟ったか、あるいは偶然か――星奈は小鷹をひと睨みすると、再びバスケットと小鷹、両者を交互に指さし始める。
「な、何よそれ! それを言ったら小鷹だって食べてるじゃない!」
「小鷹はいいんだ」
「なっ……え、えこひいきするっての!?」
もう半泣きに成りながら、星奈は夜空と小鷹を交互に睨んでいる。
正直な所、小鷹としては星奈の分も含めてジンジャーブレッドを作ってきた事もあって、少なからず星奈に同情心を覚えていた。
「ぎゃあぎゃあと煩い肉だ……いいか。これは小鷹が、私に、お茶請けとして、作ってきたものだ。この意味が分かるか?」
夜空がうんざりした表情で放った言葉に、星奈は衝撃を受けていた。
バスケットに納められたジンジャーブレッドは綺麗に整形されており、一見しただけで丁寧に作られている事が分かる。
何処ぞで買ってきたのだろうとアタリをつけていた星奈にとっては、ある意味で、衝撃的なことであった。
「えっ……これ、小鷹が作って来たの……?
ていうか、普通に美味しそうなんです、けど……?」
愕然と言った調子の星奈に、小鷹はポリポリと頬を掻いた。
「ま、まあ……不味くはないと思うけど。
夜空も、元々星奈の分も作ってきたんだし、どうせ食べきれないだろ?」
星奈にも分けてやれ、と言外に零す小鷹から、夜空はやや不満そうに視線を外した。
「……持って帰って食べる」
ぷいっ、と顔を背けた夜空の表情は、好きなおもちゃを取り上げられた子供のようだった。
先程の星奈を誂う時に見せる、あの悪どい顔よりも――小鷹からすれば、やや子供らしいかも知れないが――好ましい表情だ。
「そう言って貰えるのは有り難いけどさ。夜空が気に入ってくれたなら、また作ってくるから」
誰であれ、自ら作ってきたものが評価されれば、それは大きな喜びである。
小鷹もまた、両親から褒められた子供のような笑顔で以って笑った。
夜空はその表情を見てほんの少しばかり、何処か苦しそうな表情を浮かべたが、誰もそれには気付かなかった。
「……分かった。仕方がない。感謝しろ、肉」
渋々とバスケットを星奈に差し出した夜空に、さしもの星奈もやや呆れたような顔を浮かべた。
「どんだけガメついのよ、アンタ……。一枚くらい貰ったって別に変わらな――」
口一杯に広がる仄かなジンジャーの香りと、下品過ぎない程度の甘さ。
サクッとした歯応えと深みのある味わいは、食べる者にある種爽快な経験を与えてくれる。
「――あ、お、美味しい。むー……何か、ムカつくわね……!」
顔も良い、性格も良い、頭も悪くない上に料理――お菓子作りも上手、とくれば、成る程完璧超人の名に恥じぬ能力であった。
先日の水泳といい、柏崎星奈という人間にとって小鷹は一つの教師であったし、嫉妬心を覚えるライバル関係でもあるのだ。
「それは……素直にありがとう。
クロニカに来る前は、結構作ってたんだけどな……っと、星奈、何か飲むか?」
席を立った小鷹に、星奈は暫し悩んだ様子を見せた後小さく頷いた。
「……じゃあ、貰おうかしら。私もコーヒー、飲んでみる」
折角だから、という事だろうか。普段、コーヒーを飲まない星奈からの注文に、小鷹は僅かに驚き、だが快活な笑みを一つ浮かべた。
「……了解。コーヒーに浸けるの、試してみ」
「…………おい、肉。その合っているんだか合っていないんだか、微妙な音程の鼻歌を止めろ。優雅な放課後のティータイムが台無しだ」
隣人部の閉ざされたカーテンからは、僅かに茜色となった陽の光が滑りこんでいる。
隣の席で鼻歌を歌い出した星奈に、夜空は読みかけの文庫本に落としていた視線を再度、星奈へと向け直したのだった。
次こそ幸村編。