彼は(完璧すぎて)友達が居ない   作:ソーダ水一号

8 / 8
楠幸村参戦決定。
投稿間隔ガバガバで申し訳有りません。

**以下エクスキューズです。
私生活が多忙になったことに加えて、
原作の最新話付近を今更確認し、本作の当初構想と整合性が取れなくなった事を悩んでいましたが……元々、整合性もへったくれもない事に気付きました。



07 : 後輩達は遠慮がない そのいち

 市民プールでのアバンチュールから数日して、羽瀬川小鷹は変わらぬ日常を過ごしていた。

相変わらず、羽瀬川小鷹には友達が居ない。それでも、何かが少しずつ変わっていた事を、小鷹自身、ハッキリとした形では無いものの認識していた。

自らの意思で誰かを叱り飛ばした――不遜にも、己の未熟さを棚に上げて――日以来、彼の中で間違いなく、従来の羽瀬川小鷹を超える部分が生まれてきたのかも知れない。

例えば、クラスメイトに小鷹の方から話しかけるようになった。彼自身、自らが極力、そうした接触を避けている事を認識すらしていなかっただろう。

相変わらず、周囲からは距離を置かれたままではあったが――それでも、これまで他人と無意識的に距離を置いていた過去の彼からすれば、これは大きな一歩と言えた。

 

小鷹は自問自答する。

何処か超然として、誰からも距離を置くようになったのはどうしてだろうか。

小鷹の脳裏に浮かぶのは、一人の少年だ。まだ小鷹が幼い頃、夕暮れの公園で共に喧嘩をした――羽瀬川小鷹にとって唯一無二の友達の事。

昔の自分は、ハッキリと周りから拒絶されていた。もっと言えば、イジメられていた事は間違いない。

だから毎日が嫌で嫌で、どうして自分だけがこんな目に合うのかと、ずうっと辛い思いをして来たのだ。

日本人とは思えぬ容姿に加えて、人見知りの激しい、常に周りに怯えながら過ごして来たような子供。

それが周りにすんなりと受け入れられる筈も無い事を、あの頃は理解していなかったのだから無理もない。

 

そんな中に差し込んだ一筋の光――些か大袈裟かも知れないが、それでもあの日の小鷹にとっては正しく光だった――こそが、あの日出会ったソラという少年(・・・・・・・・・)だった。

己の手を取って、彼は言ったのだ。

あいつらが気に入らないなら、立ち向かえ。俺も一緒に戦ってやるよ――今思えば、何と少年の勇ましい事か。

 

人生で初めて誰かへ拳を振り上げた。泥と痣まみれになって、彼と共に大立ち回りをした日。

あの日から、自分の意思で戦うことを覚えた筈なのだ。それを、今度こそ忘れないようにしなければならない。

 

「……よし。やるぞ、羽瀬川小鷹」

 

時は放課後。意気込んで、何時もの様に教室を出た羽瀬川小鷹が感じ取ったのは、彼を何処からか探ってくる無遠慮な目線であった。

尤もそれはもう、暫く前から続いているものだった。

彼が隣人部へと入部し、学園生活の充実を願う以前から。今思えば、その片鱗は確かにあったのかも知れない。

 

「……まずは、これからだ」

 

ぼそりと呟かれた言葉は、昼休みで賑わう廊下の喧騒に入り混じり、誰の耳にも届くことはない。

それでも言葉を発した当の本人だけは、苦笑混じりの笑みを顔に張り付かせる。

 

実のところ、小鷹にはこうした探るような――ストーカーにまでエスカレートしなくとも――視線を受けた経験があった。

客観的に見れば、羽瀬川小鷹という人物は瑕疵の無い、白馬の王子様にも似た存在に捉えられ易い。

そういう意味で『人から見られること』に対して、小鷹は、数十年間の人生を通じて慣れ親しんでいた。尤も、慣れなければストレスで潰れていたのだから、慣れざるを得なかったのだ。

小鷹に向けられる熱視線の内、九割は一月を過ぎた所で消えていく事が常だった。そこにどういう力学が働いたのかは、小鷹自身知る由もない。

ただ、小鷹自身が全くそれを知らない様に振る舞えば振る舞う程、何時の間にか、探るような視線は消えているものだった。

だから今回も、それと同じように振舞っていたのだ――ただそれも、もう、デッドラインの一月を超えつつある。

 

(それに、今回の視線は何処か違う。探る……そう、本当に探るような。

 行動の一挙一動を具に観察されているような――余り、歓迎したくはない感じ)

 

授業中には消えるものの、休み時間、放課後。最近では何処に行くにも、例の視線が彼に付きまとう。

隣人部へ逃げ込もうにも、最近では日常のルーチンがバレつつあるのか、礼拝堂付近まで視線を受ける事が多い。

夜空や星奈にこの話をした事もあったが、二人共、呆れたような顔で――

 

『ほー、流石金髪碧眼の長身イケメン殿はおモテになりますなあ』

 

――等と嫌味を言われて、その日1日中居心地の悪い思いをさせられた、苦い記憶が小鷹の脳裏に蘇った。

 

(もし。万が一、これが本物のストーカーらしき人間だったら……。

 夜空や星奈にも迷惑をかけることにもなる。やはり、先に解決しておかないと駄目だ)

 

誰であっても、見知らぬ人間に付き纏われている、という事態はそれなりに恐怖を覚えるものだ。

小鷹は廊下を折れ、トイレへと向かうフリをして――曲がり角で、件のストーカーを待ち構える事にした。

単純な作戦ではあったが、小鷹の居る教室から西側の男子トイレは、人気も少なく、周りに教室も少ない。

その為に、ここ数日、小鷹は人目を避けるようにこの男子トイレを使っていたのである。全ては今日、名も知らぬ追跡者を捕まえる為に。

 

(――来た)

 

歩幅の小ささを伺わせる、短いスパンの足音が曲がり角の先から響いてくるのを聞きながら、小鷹は自然と身構えた。

ひょっとすれば、余り身長は大きくないのかも知れない。自惚れる訳ではないが、女子ならば、光物を取り出されなければ対処出来る自信が彼にはあった。

 

十分に相手を引き付け、足音が曲がり角直前に迫った時――小鷹は、勢い良く曲がり角から飛び出した。

突然の闖入者に、件のストーカーは面食らったようにブレーキを踏む。其の姿を小鷹の青い両目はしっかりと捉えていた。

小柄な体躯。聖クロニカの男子用制服を着込んだその顔は、驚愕に満ちている。男となれば遠慮は要らないとばかり、踵を返そうとしたその肩を小鷹は逃すものかと引っ掴んだ。

 

「あっ……」

 

小鷹に肩を掴まれた少年が、思わず、と言った調子で声をあげる。

それは男のものとは思えぬ程にか細く、儚げな声音であったから、小鷹は暫しバツの悪い調子で以って掴んだ手を緩めながらも、彼を逃さぬように注意を払いつつ問いかけた。

 

「待つんだ。乱暴しようって訳じゃない」

 

小鷹の言葉に、肩を掴まれていた生徒は小さく頷く。

上げられた顔は、男子というよりは寧ろ女子と形容するべき、可愛らしいものであった。

体型や身長も相まってか、女生徒が男装しているようにも思える。いや、女だと言われても不思議では無い。

小鷹は内心で暗澹たる気持ちに陥りそうになった――とうとう、女のような男にも言い寄られてしまうとは。

 

「……ばれてしまいました」

 

小鷹の内心を知らずか、件のストーカーと思しき男子生徒――だと思われる――は、幾分かおっとりとした調子でそう呟いた。

まるで焦りを覚えたり、あるいは言い逃れをする算段を立てているようには思えぬ、抑揚のないゆったりとした口調に小鷹は少なからぬ困惑を覚えてしまう。

単に観念しただけなのか、あるいは実際の所、ストーカーとは無縁の存在なのか。少年の正体が掴みづらくなってしまったからだ。

 

「暫く前から、俺をつけていたのも、君だね?」

 

そう問うてから、小鷹は静かに男子生徒を見遣った。

素直に謝罪するならばまだ良し、しらを切る様であれば――知らず鋭くなる視線にも、しかし、男子生徒は臆する所を見せなかった。

 

「はい。そのとおりでございます」

 

小鷹の訝しげな視線を受け、男子生徒は罰の悪そうな顔を浮かべた訳では無かった。

それどころか、彼の取った行動は小鷹の予測を遥かに斜め上に越えていくものであった。

 

「……はせがわせんぱい。いえ、あにき……どうぞ、わたくしをお好きなようにしてください」

 

「――えっ、何だって……?」

 

呆然とした様子の小鷹に、件の生徒は俄に居住まいを正し膝を折ると、背筋の伸びた美しい正座をしてみせた。

そのままゆっくりと前方に手を付きながら、頭をゆっくりと伸ばした腕の間へと落としていく。

 

「……どうぞ、わたくしをお好きなように――」

 

三つ指をついて頭を下げ続ける男子生徒に、小鷹は慌てて顔をあげさせるべくしゃがみ込んだ。

 

「言い直さなくていい、取り敢えず落ち着いてくれ」

 

男子生徒の顔は、やはりと言うべきか、睫毛も長く、控えめに言っても男装の麗人、と評すべき顔立ちであった。

ますます状況が理解できなくなる小鷹が、次に何を言うべきか逡巡している内に、曲がり角から現れた女生徒と目が合って――小鷹は、思わずその身を固くした。

腰まで伸びた長い黒髪。鋭く、黒曜石の様な瞳。小鷹が彼女を見間違う事も無い。三日月夜空が現れたのだ。

 

「……聖クロニカの完璧超人、その裏の顔に迫る――成る程、見出しとしては悪くない一文だな」

 

にやり、と夜空の口端が釣り上がる。

まるで特ダネを間近にしたやり手の記者の様な顔で笑う夜空に、小鷹はただ、白ばんだ顔を向けて口を開く他は無かった。

 

「……夜空、これは……その」

 

まるで浮気の現場を押さえられた亭主のように、小鷹は――彼にとっては非常に珍しい程――狼狽した調子で、夜空に弁解を試みる。

客観的に見れば、土下座をしている後輩の顔を無理やり上げさせている金髪の男がそこに居るのだ。夜空もまた、大袈裟な程狼狽えた調子で一歩、その場から後ずさった。

 

「いたいけな後輩に土下座を強要……次は何だ、財布でもカツアゲするのか?」

 

「ち、ちょっとまってくれ。それは話が――」

 

益々、浮気を見られた亭主とその奥方の様相を呈してきた所で、夜空は『ふふっ』と小さく、無邪気に笑った。

普段眉尻を釣り上げてばかりで、どこかつっけんどんな印象の顔ばかりしている彼女からは想像できない、子供っぽい悪戯な笑顔。

彼女と初めて教室で会話した時、その去り際に見せたような――純粋な、綺麗な笑みだった。

 

「まあ冗談だ、小鷹。事情は分かっている――それと、だ。顔を上げろ、楠幸村」

 

ぼんやりと夜空の表情を見遣っていた小鷹の眼前で、夜空は表情を元――夜空らしい、凛とした顔つき――に戻すと、足を踏み鳴らして楠幸村と呼ばれた男子生徒を見下ろした。

楠、という苗字には思い当たる節は、小鷹には無かった。昔の知り合いだとか、あるいは同じクラスや同じグループで一緒に成ったことがあるとか、そんな小さな接点すらも無い関係らしかった。

夜空の視線の先に映った彼、幸村は彼女の言葉を受けて尚も土下座の姿勢を崩そうとはしなかった。

だがやがてゆっくりと頭を上げると、彼を見下ろす夜空へと静かに目線を合わせる。

 

「……幸村、私はお前にそこまで――土下座までしろ、とは言っていないのだがな」

 

夜空の言葉を重く受け止めたか、幸村は自身に恥じ入るかのように俯いた。

 

「よぞらのあねご……もうしわけありません。ですぎたまねをいたしました……」

 

幸村の芝居がかった古風な言い回しに、小鷹は思わず彼と、そして夜空を交互に見遣った。

両名のやり取りを伺う限り、二人は互いの事を知っているらしかった。勿論、小鷹はそれを知る余地も無い。

そのことが何処か小鷹の胸中を掻き乱すのだ。努めて冷静さを装って、小鷹は夜空へと向き直った。

 

「夜空の姉御……? それに、幸村って……夜空、かの――彼と知り合いなのか?」

 

「数日前に、幸村が礼拝堂前まで小鷹を付け回しているのを捕まえてな。

 それで、私が直々に小鷹を監視しろと任命した、という訳だ」

 

尚も氷解しきらぬ疑問を浮かべ、小鷹は夜空の顔を真っ直ぐに見遣った。

鋭さを湛える碧眼が、夜空の長い睫毛に隠れる瞳を射抜くようにしている様に、夜空は思わず息を詰まらせた。

聡明な彼女の頭脳が理由を弾き出すよりも先に、小鷹の碧眼が――その真剣な眼差しが、夜空の胸を揺さぶったのだ。

熱を帯びる頬に手を当てながら、夜空は努めて平静さを装って答えた。

 

「……ジロジロ見るな」

 

気恥ずかしさを押し殺したような夜空の声に、小鷹は逆に冷静さを取り戻していく。

羽瀬川小鷹という人間が、これまで除外していた選択肢を選ぶ人間。それが三日月夜空なのだ。

 

「悪い。でも夜空、どうしてわざわざそんな真似を?」

 

「……何もお前に嫌がらせをしようとした訳じゃない。

 本来なら、今日きちんと伝える筈だったのだがな。予定が繰り上がった」

 

夜空からすれば、生徒間で話題に成りつつあった『羽瀬川小鷹の放課後』について、彼と、そして隣人部のセキュリティを考慮した上での行動だった。

数日間、楠幸村という男子生徒を泳がせたのも、偏に、羽瀬川小鷹へのストーカー対策、その心積りだったのである。

 

「この幸村のように、他にもお前に張り付いている変態が居るかも知れないからな。

 毒をもって毒を制す――という訳だ」

 

つまりはこういうことだった。

元々、小鷹を付け回していた楠幸村という後輩を利用し、他に小鷹のストーカーが居ないかどうかを精緻に探らせる。

その代わりに幸村自身は、隣人部の設立者である夜空からある意味で『お墨付き』を貰い、小鷹をこれまでと同じように監視していくことを一定内で許される――

 

「お陰で幾らか興味深いこともあったしな」

 

にやり、と黒い笑みを浮かべる夜空の姿に、小鷹は文句を言う事も忘れ、はあ、と溜息を零した。

元より小鷹の中には、このような勝手を取った夜空に対する怒りは――彼自身驚く程に――無かったのだった。

三日月夜空は確かに傲岸不遜な所があるが、だがしかし、本当に他人を害するような事には手を染めないと、小鷹は強く信じていた。

その信頼が何処から生まれたものなのか、小鷹には分からなかった。もしかしたら、これまで隣人部の一員として活動する中で生まれた、ある種の連帯感なのかも知れない。

 

「……まあ、お前に一言云わなかったのは悪いと思っている。

 だが、こういうことは本人には内緒でやるから面白――いや、効果があるんだ」

 

分かるだろ、と言いたげな夜空に、小鷹は小さく頭を振ってみせる。

夜空が黙っていた事に関して文句があるわけでは無い。ましてや、小鷹の意思を蔑ろにしているという怒りを覚えた訳でも無い。

ただ、それでは一つ説明の付かないことがあるからだった。

 

「それは分かった。夜空が面白がってる事も含めてな。

 でも、一つ。そもそも、どうして幸村は俺を付け回してたんだ?」

 

小鷹の疑問に、幸村は夜空の顔へと視線を移す。それはまるで、理由をここで話しても良いかどうか逡巡しているようでもある。

何時の間にかイニシアティブを取っている夜空が小さく頷いたのを確認したのか、幸村はゆっくりと理由を語りだした。

 

「わたくし『しんのおとこ』をめざしているのです。

 せんごくのあらなみをいきぬいてきた、くっきょうなおとこに」

 

真の漢。

それは如何なる困難にも負けず挫けず、動乱を生き抜く男の姿。

輝くような、ある種の憧れを抱く幸村のその視線を受けて、小鷹は些か困ったように頬を掻く。

 

「……なる、ほど。それは分かったけど」

 

「つまり、だ。真の漢とやらを目指すのであれば、まず、目標となる人間を参考にすればいい。

 では、ウチの学園で真の漢に一番近い人間は誰か。聖クロニカ学園の完璧超人――羽瀬川小鷹。妥当な結論だろう」

 

何処か誇らしげな夜空の態度に、小鷹は何かを言い返す事も出来ずに頬を掻く。

屈強な戦国の荒波を生き抜いて来た益荒男共と、羽瀬川小鷹という人間は――少なくとも小鷹本人にとっては結びつく所が無かった。

そもそもルーツが違うのだ。半分、英国の血が入っている事について、小鷹は寧ろそれを母との繋がりとして誇らしく感じているが、しかしながら、である。

 

「わたくしも、あにきのような、あまねく他者をかしずかせる『かりすま』を、べんきょうしたくぞんじます……」

 

「カリスマって……生憎、俺にそんなものは無いと思うけど……」

 

寧ろ、ある種のカリスマ性を持つのは羽瀬川小鷹ではなく、先程から不敵な笑みを浮かべている三日月夜空その人では無いのか。

困惑したような小鷹の視線の先に居るのは、呆れたような諦観の表情を浮かべている夜空の姿であった。

 

「そう思っているのはお前だけだ、この完璧超人鈍感ぼっち男が」

 

編入生でありながら圧倒的な存在感を示し、完璧超人等と噂される男が――ある種のカリスマ性を備えていない筈も無い。

夜空は胸の前で腕を組むと――彼女が日頃から良くやる仕草だ――未だ廊下に座り込んでいる幸村へと目を向けた。

 

「ふん……まあ、幸村を今からムキムキマッチョの益荒男に生まれ変わらせるのは、流石の隣人部でも無理というものだ。

 それならば――今の幸村から然程遠く無いスタイルを学ぶ方が良いだろう。お前のような、な」

 

「はあ……でも、それなら尚更、夜空を参考にしたほうがいいと思うけどな」

 

小鷹にある種のカリスマがもし備わっているとすれば、それは生まれ持った容姿のなせる技なのであり、他者が真似るには難しい部分であった。

然るにこの少年――楠幸村の容姿は、控えめに言っても可愛らしいと評すべきであって、ある種の威厳や圧倒感を醸し出すには些かに足りぬ部分が多過ぎるのだ。

それであれば、例えば眼の前の少女、三日月夜空のようなある種の頑迷な行動力を見習うべきでは無いか――そんな小鷹の褒め言葉にも、夜空は鼻を鳴らして反論してみせる。

 

「私は女だから参考にならんだろうが」

 

「いや……寧ろ、女の子っぽい彼なら、まずは夜空を参考にさせた方が話が早いんじゃ……」

 

傲岸不遜な態度。男まさりの口調。

勿論、小鷹からすれば、それらは三日月夜空を肯定する要素であって、否定する要素では無い。

お淑やかな彼女なんてものは想像し得ないし、彼女自身も、今の――ある意味で男らしい自分を受け入れて過ごしているのだろうと、小鷹は想像していた。

 

「幸村本人が『お前がいい』と言っているんだ。それを無下にする事も無いだろう?」

 

そう云われてしまえば、小鷹としては反論しづらい。

こんな男の何処を学ぶ心積りなのか。小鷹の内心を知ってか知らずか、幸村は辿々しくも言葉を続けた。

 

「あにきはなにをせずとも、しぜんとひとをあっとうしております……。

 それに、あにきは求められればほどこしをためらわない……わたくし、なんどもあにきのやさしさを目にいたしました……」

 

求められれば、施しを躊躇わない。

幸村のその言葉に、小鷹は動揺を隠せなかった。

決して、己がそうした善行を意識して積んでいる人間で、それをひけらかす輩では無いのだと声高に主張したい訳では無い。

 

「そんな事は……無い」

 

ただ、幸村の言葉は小鷹の性質を残酷なまでに言い表しているような気がしたのだ。

羽瀬川小鷹には自分がない。自分が無いから、外からの刺激に応じて反応する他は無い。

働きかけられなければ何も起こらない。思えば、自ら何かを求めて動いた事があると、胸を張って言える事があるだろうか。

あの市民プールの時でさえ、己は本当に、打算無く人の為に動いていたのだろうか。

 

「あにきの『おーら』とでもひょうしましょうか……。

 それをみて、わたくしはりかいいたしました。『ほんとうのつよさ』とは、おごりたかぶることではえられぬ、と……」

 

それは誤解だと、小鷹は叫びそうになった。

そうしなかったのは単に、彼の眼の前にいる夜空の前で、余りにもみっともない姿を晒したくはないというつまらない意地故であった。

本当の俺は、こんなにもつまらない男なのだと。否定する事で殊更にそう示してしまう気がして、小鷹はただ何も云わずに押し黙る他は無いのであった。

 

「能ある鷹は爪を隠す――真実の強さはひけらかすものではなく、必要なときに、必要なだけ発揮されるべきものだ」

 

小鷹の心を理解したか、あるいは、ただ押し黙るその姿に業を煮やしたのか――夜空は、ゆっくりとした口調で幸村へと声を掛けた。

自然と、それを合図に幸村が立ち上がる。

 

「真の漢を目指すのならば、今後も、小鷹の側でその真髄を学ぶがいい」

 

夜空が満足気な笑みと共に差し出した手を、幸村は恭しく握った。

その姿は堂に入っており、まるで二人が主従の関係にあるようにすら思えた。

 

「はい……よろしくおねがいいたします、よぞらのあねご。

 ごしどう、よろしくおねがいいたします、あにき」

 

幸村の真っ直ぐな瞳。

それを受け止めきれない己の弱さに、小鷹は臍を噛む。

市民プールの日以来、何かが変わり始めていたと感じていたのは嘘だったのだろうか。

否、違う。そうではない。これからなのだ、羽瀬川小鷹がより『真の漢』に近づく為に必要なことは、これから学べる事なのだから。

 

「……よし、幸村。お前の気持ちは理解した。

 実際、まだ俺も未熟者だ。故にではあるが――共に『真の漢』を目指そう、幸村!」

 

「……はい!」

 

小鷹が差し出した手を、幸村の小さな手が掴む。

ここに隣人部、真の漢を目指す会が発足した――唐突に繰り広げられた男同士の熱い友情に、夜空は呆れたように一言、部室でやれ、と零すのだった。

 

 

 

 廊下での小芝居の後、隣人部を訪れた三人を待ち構えていたのは、一人の修道女の服装に身を包んだ少女だった。

 

「ああーっ!三日月夜空!?」

 

年は小鷹の妹、小鳩と同じ程だろうか。『先生』と呼ばれるには些かに幼さを残すその出で立ち。

まるで子供が先生ごっこをしているのかと疑ってしまう程に、先生に足る風貌を彼女からは感じることが出来ない。

平時ならば歳相応、無邪気な顔を浮かべているであろう少女の顔は、今はただ驚愕と僅かな怒りに染まっていた。

 

「なんだ、マリア先生じゃないですか」

 

何とも無しに呟かれたマリア先生という言葉に、小鷹の記憶が想起される。

隣人部の顧問は、高山マリアという人物では無かったか。その問いに答えるようにして、夜空が続けて言葉を投げた。

それも、彼女にしては珍しい敬語で。小鷹は思わず目を丸くして、夜空の横顔をしげしげと眺めてしまう。

 

「熱心な顧問なのは有り難いことですけど、此処に来る必要はないと――」

 

やはり眼の前の子供が『高山マリア』という隣人部の顧問で間違いないらしい。

いかに男勝りな口調がトレードマークの夜空と言えど、教師に――それがどうみても子供にしか見えなかろうが――敬語を使ってみせる程度の事はするのだろう。

内心で失礼な感想を吐き出した小鷹は素早く、怒りに身体を震わせている修道女、高山マリアへと目を向けた。

 

「――煩い煩い煩い!きょ、今日こそはっきり言うんだからな!この部屋を返せ!」

 

穏やかでは無い雰囲気に、小鷹は夜空の表情を俄に伺った。

その顔は何時も通りの無愛想なものだ。何事かと不思議そうな表情を浮かべた幸村とは対照的だった。

 

「返すも何も、先生がここを使っても良いと。書類にもサインをして頂きましたよね?」

 

「私はそんな書類にサインした覚えはないぞ!大体、顧問だって名前だけ貸してくれってしつこいから――」

 

「ちょ、ちょっと待って下さい。マリア先生……でしたよね。どういう事なんですか?」

 

堪らず割って入った小鷹を鋭く見上げたマリアは、吠えるように小鷹へと食って掛かる。

事態を全く飲み込めていない小鷹からすれば、謂れ無き非難を受けているに等しい。

 

「お、お前も三日月夜空の手先か!?ま、負けないからな!」

 

「何よ騒がしいわね……」

 

子犬が唸り声をあげているかのようなマリアの口調。

そこにひょっこりと現れた星奈が顔を出すと、堪らずと言った調子でマリアは夜空から距離を取った。

 

「ひっ、卑怯だぞ!仲間を呼ぶなんて!」

 

マリアの言葉に――もはや脊髄反射に近いのだろうか――星奈は眉尻を上げて反論を零した。

 

「仲間……? ちょっと待ちなさいよ、いつから私が『こんなの』の仲間になった訳?」

 

――頼むから事態を複雑化しないでくれ。

小鷹がそう口に出す前に、夜空はすかさずカウンターを星奈へと叩き込む。

右の頬を打たれたら二倍打ち返す。これが『隣人部』のバイブルなのである。

 

「ああ、そこの駄肉は全く無関係の赤の他人です。仲間どころか部員ですら無いのでお気になさらず」

 

「ちょっと!」

 

「ああああああーっ、もう! もういい、今日限りでこんな部活の顧問なんてやめてやる!

 いいからこの部屋から出てけ!ここは私のお昼寝部屋だったんだぞ!」

 

堪忍袋の緒が切れたかの如く声を張り上げたマリアに、だがしかし、夜空は全く動じる気配を見せなかった。

それどころか、さも気だるそうに溜息を一つ吐く始末である。その態度が癇に障ったのだろう、マリアはまたも烈火の如く怒りをぶち撒けようと口を開きかけ――

 

「やはり、子供には荷が重かったか」

 

その夜空の言葉に、思わず口を閉じた。

 

「『こんな子供』にはやはり、部活の顧問、なんて無理な話だったな。

 私が間違っていたようだ……ああ、それでも。それでも、皆に『マリア先生』と慕われている先生なら、うまくいくと思っていたんだがな」

 

「ぬ、ぬぬぬ……こっ、子供扱いするな!先生だぞ!」

 

マリアの小柄な脚が、隣人部の床を鋭く踏みしめる。

だが夜空には暖簾に腕押し、明らかな失望の色を滲ませた表情で以って、マリアを静かに見下ろしていた。

 

「誰かもっと別の、大人の先生だったなら一度約束したことはしっかり守ってくれるだろうに……

 こんなちびっ子教師に期待した、私が愚かだったのか……」

 

いっそ清々しいまでに肩を落として見せる夜空の、その明らかな落胆の表情にマリアの顔が歪む。

子供扱いされた挙句、役立たずと言わんばかりの評価を受けたのだ。その怒りたるや相当なもので、代わりに先程までの癇癪すらもすっかり何処かへやってしまったようだった。

 

「ちっ、ちびっ子言うな!私は大人だ!それに約束も守れる!」

 

「言うだけなら、誰にでも――」

 

がなり立てるようなマリアの言葉にも、夜空はただ冷笑気味に鼻を鳴らすばかりである。

様子を其の後ろから見遣っていた小鷹からも、マリアの狼狽ぶりがよく伺えた。

 

「――分かった!顧問もしっかりやってやる!」

 

「ではこの場所も」

 

「うっ……そ、それは……」

 

「主はおっしゃいました。大人なら、一度口にした言葉は――」

 

「う……うう……わ、分かった。神様に誓う。先生は大人だからな!偉いだろ!」

 

「……さすがは『マリア先生』です」

 

売り言葉に買い言葉。あれよあれよという間に、夜空はマリアを言い包めてしまう。その手際の良さたるや、星奈をして呆れさせる程だ。

隣人部を立ち上げる時も同じような手管を使ったのだろう。場面が容易に想像できてしまう辺り、却って感心してしまう程の手管である。

 

「あにき、よぞらのあねごは『じんしんしょうあく』にたけておりますね」

 

幸村が感心したように零す言葉に、小鷹は小さく頷く。

先程までの調子から一転して、夜空はマリアを褒めそやしているようだった。

頼りになる、大人の先生、流石はマリア先生……どれも酷く嫌々に言わされているかのような形ではあったが、それでも、マリアの胸には届くものがあったのだろう。

夜空の賛辞を受け取るにつれて、当初の怒りを何処かへと捨て去ってしまったらしい。

終いには嬉しそうな顔つきのまま、また来るからな、と言い残して談話室を後にしてしまった。

 

「ふう……全く、あれで教師が務まるのだから、存外、教師というのも楽な仕事だな」

 

邪魔者を追い払ったとばかり、夜空はソファーへと身を投げるように座ってしまう。

先程のマリア先生には悪いが、ああも簡単に言い包められてしまっては、夜空の言葉に反論するのも躊躇われる。

かと言っても、あの年頃の少女を半ばだまくらかした夜空に対しても何を言うことも無く、小鷹は素直な感想を口にした。

 

「しかし、マリア先生……だっけ。中等部の子くらいにしか見えなかったが……」

 

「実際、年齢もソレくらいだろう。だが案ずるな、アレでもこの学園の教員だ。書類に問題はない……筈だ」

 

すらり、と伸びた脚を組んだ夜空が、疲労を吐き出すように再度溜息を吐く。

 

「……星奈、本当にマリア先生はクロニカの教員なのか?」

 

小鷹からすれば、マリアのあの無邪気な表情をみる度に妹である小鳩の顔が思い浮かぶのだろう。

尊敬すべき教師というよりは寧ろ、妹のような可愛げのある存在として見てしまうのだ。

 

「ええそうよ。でも確か……特別教員、って扱いだったと思うけどね」

 

ああ見えて頭は良いのよ、と失礼な感想を零した星奈だが、それを咎める人間は隣人部には居なかった。

 

「わかくしてきょうしとは……あっぱれです」

 

「……そういえば、この子、誰なの?」

 

感心したような幸村の言葉に反応したのだろう、星奈がおずおずといった調子で夜空へと尋ねる。

普段の彼女らしからぬ調子なのは、やや人見知りの気があるのだろうか――意外な一面を見たような心持ちで、小鷹は星奈を見た。

尤も、友人付き合いが苦手な連中が集まったのが『隣人部』なのだから、星奈の反応は概ね、その部員としては真っ当なものだろう。

 

「あぁ……肉にはまだ言ってなかったな。我が隣人部に加わった新入部員、楠幸村だ」

 

「くすのきゆきむら、ともうします。よろしくおねがいいたします」

 

夜空の言葉を受けた幸村は、恭しい調子で星奈へと一礼してみせる。

使用人にも似たような幸村の行動も、だがしかし、柏崎家の長女である星奈からすればありふれたものなのだろうか。

 

「戦国武将みたいな名前ね……。私は柏崎星奈よ、宜しくね」

 

特に幸村の所作に反応を返す訳でも無く、淡々と――勿論これは、小鷹から見れば『淡々』と評すべきなのだが――名を告げる星奈に、小鷹は内心で感心してしまった。

 

「ところで……えっと――」

 

「――ゆきむら、とおよびすてください」

 

恭しい調子で頭を下げる幸村に、星奈は微かに困惑したかのような表情を浮かべるが、直ぐにその表情を消しそのまま言葉を続けた。

名を呼ぶという行為は、星奈にとってそう馴染みのあることでは無い。

だからこそ、何処かくすぐったいような嬉しさを覚えて――それを悟られぬ様に取り繕うのも、柏崎星奈という人間の習慣だった。

 

「――じゃあ、そう呼ぶわ。えっと、幸村はどうして隣人部に来ることになったの?」

 

星奈の内心を知らぬ小鷹がその動揺の無さに感心している中、幸村は静かに答える。

 

「『しんのおとこ』とはなにかを、あにきのおそばでまなぶためにございます……」

 

幸村の言葉に、星奈は瞬間言葉を失った。

余りにも彼女の埒外にある部分で話が進んでいる――堪らず頼る様に視線を向けた先の夜空もまた、何を言う事も無く押し黙ったままだ。

 

「し、真の男……? それに兄貴って……それってもしかして、小鷹のこと?」

 

仕方なく言葉を続けたと言わんばかりの星奈ではあったが、小鷹はそれには気づかず、ただ苦い顔を星奈へと返した。

 

「ああ、そういうことになった。ただ『真の漢』には俺もまだ遠い。

 俺も幸村も、これから共に努力していこうと思う」

 

「よろしくおねがいいたします、あにき」

 

がしっと手を取り合った男子二名に、星奈は目眩を堪えるかのように眉根を寄せそうになった。

『真の男』等というものを目指すことに、どれだけの意味があるのか――女性である星奈には良く分からない価値観だった。

しかし、そんな理解が及ばない所で妙に仲良さそうな二人に、何処か嫉妬心を覚えずには居られないのもまた、複雑な感情を彼女に与えていた。

 

「そういえば――幸村は、どうして『しんのおとこ』を目指そうと思ったんだ?」

 

不意に、小鷹の脳裏に疑問が過った。

幸村が『真の漢』を目指しているのは理解したが、何故それを目指しているのか、という事を小鷹は知らない。

それに――小鷹にはある予想があった。

楠幸村という人間を見た時、まず始めに受ける印象は『女の子』というものだ。であれば、それを嫌って男らしさを求めるようになったのかも知れない。

それはつまり、自身の容姿に悩みがあることに他ならない。

自身の容姿に悩んでいるとすれば、それは小鷹にも理解でき、共感を覚えずにはいられないことだった。

 

しかし、幸村は僅かな逡巡の仕草を見せた後に、やはりゆっくりと――小鷹にとって更に衝撃的な事実を口にして見せた。

 

「……じつはわたくし、いじめをうけているのです」

 

いじめを受けている。

その言葉は、小鷹にとっては衝撃的なものだった。

羽瀬川小鷹にとっては、人間関係とは何時だって彼にとって遠巻きなもので、悪意よりも疎遠さを感じてしまうものだったからだ。

 

「っ……そう、か……いじめか。クロニカでもあるんだな、そういうのは……」

 

故に小鷹の口から出た言葉は、どこか漠然とした、意見とも言い難いものにしか成らなかった。

隣人部の部室を、俄に沈黙が支配しかける。それを破ったのは、ソファーからやおら立ち上がってみせた夜空であった。

 

「……いじめなど、何処にでもある。隣人を愛せよ、という教えのあるこの学園にもな」

 

「どうして……どうしてあるんだろうな。いじめなんて、良いことじゃないのにな……」

 

ぽつりと零された小鷹の言葉へ、夜空は皮肉混じりに答えてみせる。

 

「自分が優位な立場に立っていると思えるからだ。

 人間誰しも、自分が傷つかずに他者を傷つけるのは楽しいものだからな。それに――誰だって、次のターゲットには成りたくない」

 

例えば虫を潰したり。例えばネットで誰かを攻撃したり。例えば動物や幼児を虐待したり。

攻撃的な行動は、本質的に快楽に結びついている。狩りを生業にしていた時代から、そういう意味では何も変わってなど居ないのだから。

 

「さすがリアルいじめっ子ね」

 

そう語る夜空に対して、星奈が零した言葉。

星奈からすれば、それは日頃何かと言い込められている夜空に対しての、冗談混じりの意趣返しだったのだろう。

だが、それは夜空の逆鱗に触れたようだった。一瞬にして、夜空の端正な顔が憤怒に歪んでいく。

 

「私を……あんな臆病者達と一緒にするなッ!」

 

齎された激発のままに夜空は一際鋭い口調で叫ぶと、テーブルを強く叩いた。

向けられた明確な『怒り』の感情に、星奈は勿論の事、小鷹や幸村さえも言葉を失った。

 

「――ふん。まあ、それはいい。

 いじめそのものを無くすことは無理でも、対応の仕方を変えることは出来る」

 

発散された夜空の怒りが、談話室に溶けて無くなるまで押し黙ったままの部員を不機嫌そうにひと睨みすると、夜空は再度ソファーへと腰を下ろした。

 

「真の漢はいじめなど受けることはない。それをいじめだとも思わない。

 そもそもいじめのターゲットに選ばれないだろう――幸村が目指すべきは、そういう男だ。そうだろう?」

 

「――はい、そのとおりです、よぞらのあねご。

 わたくしも、あにきのようにしぜんとひとをかしずかせる『ふうかく』をみにつけたいのです」

 

夜空の力強い言葉を受けて、幸村もまた、肚に力を入れる様にしてハッキリとそう答えた。

確かに、羽瀬川小鷹という人間は『いじめ』のターゲットには程遠い人種かも知れない。

だが代わりに、彼が背負う事になった孤独は大きかった。

そも、積極的に彼と関わろうとする人間が居ない――その事実は、ある意味では立派な『いじめ』案件として議論され得る話ではあるのだが。

 

「……いじめって、具体的に何されてるの?」

 

何時の間にか長机に身体を預けていた星奈の疑問に、幸村は些か辛そうな面持ちで言葉を続けた。

 

「たとえば……きがえのとき、わたくしのまわりからだんしがいなくなったり……

 どっぢぼーるのさいにも、わたくしだけねらわれなかったり……」

 

放課後の買い食いにも参加出来ず、カラオケにも混じれず、学校生活でも彼と共に過ごす者は少ない。

つまりはクラスメイトであり、友人となる筈の男子生徒から避けられている――幸村の悩みはつまるところ、そういう事に尽きた。

 

「わたくしがめめしいから、このようなめにあうのです……」

 

肩を落とし、落胆する様子の幸村からは、それが嘘偽りであるとは到底思えはしない。

だがしかし、話を聞くにつれて小鷹の中には一つの仮説が思い浮かんでいた。

だが、それを幸村へと話すべきなのか。事もすれば、それは楠幸村という人間のアイデンティティにも関わりかねない問題だ。

深入りする覚悟も無しに、踏み込むべき話題なのか――そんな小鷹の葛藤を余所にして、しかし、幸村へと声を掛けたのは夜空その人であった。

 

「――天は自ら助くる者を助く。

 自らを変え、状況を打開しようとする気概、実に素晴らしい。楠幸村」

 

脇に置かれた鞄から一枚の書類を取り出すと、夜空はソファーから立ち上がり、幸村へとそれを手渡す。

それは部活への入部希望書であり、ご丁寧な事に、所属希望部活欄には既に『隣人部』と書かれている。

恐らく初めから用意していたのだろう。夜空の準備の良さに、小鷹はおろか、星奈も呆れたように頬杖をついて事態を見守っていた。

 

「当初の約束通り、お前を隣人部の部員と認めよう。

 真の漢を目指し、友人を作る。その為に、私達は協力を惜しまんぞ」

 

「――ありがとうございます。よぞらのあねご」

 

努めてにこやかな夜空の態度に、幸村は疑うこと無く、入部届に自らの名を書き記していく。

 

「……夜空、ちょっといいか?」

 

幸村の注意が書類へと向いている間にと、小鷹は夜空を部屋の隅へと引っ張った。

 

「なんだ、小鷹」

 

内緒話を受ける理由も分からないとばかり、夜空は困惑した顔を小鷹へと向ける。

それでも、小鷹は静かに話を切り出した。

 

「幸村の事なんだが……本当に良いのか?

 話を聞く限りじゃ、なんだか結構複雑な気がするんだが……」

 

楠幸村という人間は、本当に男なのか。

生物上は女であっても、所謂性同一性障害の為に、自らを男だと思っているのではないか。

それを確かめる術を持ち得ないからこその疑念。言外に齎された小鷹の意見に、しかし、夜空は毅然とした態度で切り返した。

 

「そうかも知れん。だが、そうでないかも知れん。

 だが小鷹――それは『知る必要の無いこと』(Need not to know)だ、そうだろう」

 

夜空の言葉に、小鷹はまるで身体を打ち据えられた様に感じた。

 

「そもそも隣人部の入部資格に、性同一性障害の有無は取り決められていない。

 それはお前も知っているはずだ。そうだろう、小鷹」

 

隣人部の入部資格はただ二つ。

友達が居ないこと。そして、チラシに書かれた『ともだち募集』の暗号文に気付くこと。

それが満たされれば、誰であれ隣人部の部員として認める。そう、夜空はハッキリと告げたのであった。

それは三日月夜空自身が決めたことであり、小鷹も、それを追認した人間として曲げることの出来ない規則なのだから。

 

「……そうだな。俺が間違ってた」

 

道理に叶った夜空の意見に、小鷹もそれ以上の反論をすること無く、素直に引き下がらざるを得なかった。

同時に、小鷹は夜空の持つある種の高潔さを好ましくさえ感じたのだった。

己の矮小さを恥ずかしく感じさえもした。

確かに、羽瀬川小鷹は隣人部の募集要項を認めていた。であれば、幸村が条件を満たした以上、余計な口を挟む事はするべきで無かったのだ。

 

「……夜空こそ、真の漢に一番近いかもな」

 

「――む。小鷹、それはどういう意味だ?

 何か、私は幸村よりずうっと男っぽいと、そう言いたいのか?」

 

参った、とばかり告げられた小鷹の言葉に、夜空はぶっきらぼうに反論する。

頬を膨らませるその姿は、何時もの仏頂面をした彼女らしからぬ姿で――小鷹はそのまま、夜空に笑いかけたのだった。




マリアがどうしてもベッキーになってしまう、何故だろう。
次は志熊理科が参戦。
早く彼女も出したい。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
一言
0文字 一言(任意:500文字まで)
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。