「…………」
ミクロは
『私に万が一のことがあったらリオンをお願いね』
今は亡き、アリーゼが死ぬ前にミクロに言っていた言葉がミクロは理解できなかった。
何で自分にそんなことを頼んだのか?
何でアリーゼは自分が死ぬことがわかっていたのか?
何でミクロに装備一式を買ってくれたのか?
何で自分の愛刀である梅椿をミクロに託したのか?
アリーゼの言葉が、行動がミクロはわからなかった。
アリーゼが所属していた【アストレア・ファミリア】が全滅したという話を聞いた時にその中にエルフはいなかった。
生き残った一人はリューだとミクロは何故か確信が持てた。
あれからリューとも会えていない。
リューは今、何を思っているのか、どうしているのかさえわからない。
自分が何をすればいいのかさえ、ミクロはわからなかった。
「ただいま、今日は雨が酷い………どうしたの?」
仕事から帰ってきたアグライアはミクロの様子に気付いて声をかける。
「………わからない」
尋ねてくるアグライアにミクロは言う。
「わからないんだ、アグライア。アリーゼが何でリューのことを俺に頼んだのか、俺は何をすればいいのかわからないんだ……」
今思っている正直な気持ちをアグライアに話すミクロ。
アグライアはミクロの隣に座って微笑みながらミクロを抱きしめる。
「アグライア……?」
ミクロを抱きしめながらアグライアはミクロの頬を優しく撫でる。
「本当にわからないの?ミクロ。貴方はもう気付いているはずよ、自分が何をすればいいのかを」
「………わからない。俺は………」
何をすればいい?
どうすればいい?
それがわからない。
そのミクロにアグライアはヒントを与えた。
「アリーゼは何で貴方にリューを頼んだのか本当にわからないの?貴方にとってリューはどういう存在?」
アグライアの言葉にミクロは考える。
アリーゼが何でリューの事をミクロに頼んだのか?
アグライアに抱きしめられながらミクロは考えるが答えがわからなかった。
「答えは信頼よ。アリーゼは貴方にならリューを任せてもいいという信頼があったから貴方に頼んだのよ」
「信頼……」
たった半年一緒にいただけでそこまで信頼されるようなことをした覚えはミクロにはなかった。
何かを与えた覚えも、した覚えもミクロにはなかった。
むしろ貰ってばっかりだ。
一方的に貰っているばかりなのに何でアリーゼは親友であるリューを託すほど信頼しているのかミクロにはわからなかった。
そのミクロにアグライアは微笑む。
「ずっと一人で暗い路地裏で生きていた貴方にはまだわからないかもしれない。だけど、信頼は物なんかでは決して買えない。貴方自身がつかみ取った大切な心よ」
「心……」
ミクロは自分の胸に手を当てるとその手をアグライアが握る。
「ミクロ。私は貴方の事が大好きよ、愛してる。ミクロは私の事好き?ずっと一緒にいたいと思ってくれる?」
笑みを浮かばせながら問いかけるアグライア。
「………わからない。でも、一緒にこの世界を見てみたい」
その答えにアグライアはありがとうと礼を言う。
「じゃ、リューは?リューとは一緒にいたいと思えない?離れ離れになっても平気?」
「………」
黙り込むミクロ。
この半年間、ずっと傍にいたのはアグライアよりもリューの方が多かった。
どこにいる時もリューは傍にいた。
色んなことを教えてくれた。
時に怒られたり、呆れられたり、悲しい顔もしたことがあったが、いつも最後は微笑んでいたリュー。
そのリューがもう自分の前に現れなくなったらと思うとミクロの心に痛みが走った。
今まで殴られ、蹴られた時とは違う痛み。
自分の心臓に鋭いナイフが突き刺さったかのような痛みがミクロを襲った。
何で痛いのか?
この痛みは何なのか?
今まで感じたことのない痛み。
これが心なのかわからない。でも、一つだけわかったことがある。
このままではいけない。
それだけは確信した。
ミクロはアグライアから離れてアリーゼが買ってくれた装束とフードを身に着けてアリーゼがミクロに託した小太刀『梅椿』を腰に掛けて装備を整える。
「行ってきます」
「いってらっしゃい」
ミクロは雨の中、
そのミクロの後姿をアグライアは嬉しそうに見守ると自分も行動することにした。
【アストレア・ファミリア】の団員で唯一の生き残りであるリューは雨の中路地裏を走っていた。
全ては【ファミリア】の仇を取る為に。
自分の主神であるアスレトアには何度も頭を下げて一人で都市を去って欲しいと懇願したリューはアストレアが都市を出た後、敵対している【ファミリア】に襲撃。
闇討ち、奇襲、罠、手段を厭わず襲うリュー。
激情に身を任せて、ただ私怨をぶつけるリュー。
そこに正義はなかった。復讐に突き動かされているリューは敵対している組織に関係する者や与する者までリューは襲った。
そして、今日もリューは敵対派閥の息の根を止めようと路地裏を走っている。
「―――――ッ!?」
走っている最中に目の前に投げナイフが地面に突き刺さり、動きを止めて小太刀を抜くリューは周囲に警戒する。
敵対派閥の者に待ち伏せされたと思ったリューだが、投げナイフを見てそれは違うとわかった。
「リュー」
声と共に姿を現す常闇の装束とフードを身に纏う白髪の少年、ミクロ・イヤロスがリューの目の前の現れた。
「ミクロ……」
この半年間一緒にいたミクロが今、自分の目の前に現れた。
「どうしてここが……」
「路地裏で生きていたから足跡さえわかればどこに向かうはわかるんだ」
何年も路地裏で生きていたミクロにとって普通の人では知らないところまで詳しく知っている。
「――――ッ!!」
見られた。
見られてしまった。見られなくなかった。
私怨に駆られ激情の言いなりになっている醜い自分を見られたくなかった。
「…な、何の用ですか?」
顔を隠しながらリューは震える声でミクロに尋ねる。
「………俺はこういう時何を言えばいいのかわからない。だから率直に言わせてもらう。もう止めろ、リュー。こんなことをしてもアリーゼは報われない」
「……貴方に……貴方に何がわかる!?貴方に私の気持ちがわかるはずがない!」
「ああ、リューの言う通り俺にはわからない。リューの気持ちがほんの少しも理解できない」
怒鳴るリューの言葉を肯定したミクロは腰に掛けている梅椿を抜いてリューに見せる。
「それは……」
見覚えのあるその小太刀にリューは目を見開く。
「だけど、アリーゼはわかっていたんだ。だからこれを俺に託した。自分の代わりにリューを止めるようにとも言われた」
「アリーゼ……」
親友の名を呼ぶリュー。
アリーゼはわかっていた。
こうなることを見越していたからこそアリーゼはミクロに頼んだ。
止めることができない自分の代わりにリューを止める為に。
だけど、リューは止まらなかった。
「……どいてください、ミクロ。どかなければ実力行使します」
小太刀を構えるリュー。
アリーゼの気持ちは確かにリューに届いた。
だけど、リューはもう止まることができなかった。
仲間を親友を卑劣な罠に嵌めた【ファミリア】を壊滅させるまで激情が、私怨が止まることが許さないかのようにリューを突き動かす。
「………俺はアリーゼと約束した。リューを止めるようにと約束した」
ナイフと梅椿を構えるミクロ。
「―――――っ」
だけど、勝負は一瞬だった。
リューはミクロの背後に回って首後ろに小太刀の柄を当てて強打してミクロの意識を刈り取る。
Lv.1のミクロがLv.4のリューに敵うはずがなかった。
倒れたミクロを見て敵対派閥のところへ向かおうと一歩踏み出す。
「っ!?」
糸が足に絡まり付いた。
罠。と気付く前にリューの全身に鎖が巻き付いた。
「これは……っ!?」
こんな路地裏に罠が仕掛けられることに驚くリューの背後に起き上がる音が聞こえてリューは気付いた。
「……貴方が仕掛けたのですか?ミクロ」
「ああ、リューがここに来る前にな」
起き上がるミクロの首には何重にも鎖が巻き付いていた。
ミクロは初めからリューと戦っても負けることはわかっていた。
だからこそ、罠を仕掛けてリューがこの道を通るのを待ってあたかも今来たかのように演出して罠の存在に気付かせないようにした。
「リューなら最小限のダメージしか与えないと思って鎖分銅を首に巻いておいたのは正解だった」
この半年間でリューはいろんなことをミクロに教えてきた。
その中には罠の仕掛け方もあった。
ミクロにいろんなことを教えたことが今になって仇になった。
「これで、私を封じたつもりですか……?」
鎖とはいえ、罠として使っていた為Lv.4の冒険者であるリューなら力尽くで破壊できる。
持って後数秒の罠だが、ミクロにとって数秒あれば十分だった。
「【壊れ果てるまで狂い続けろ】」
詠唱を
「【マッドプネウマ】」
指先から黒い波動がリューに向かって放たれて直撃するとリューの精神に異常が起こる。
ミクロの
精神を汚染させ狂わせて壊していく
いくらLv.4のリューでも
「……くっ………ミク……ロ……」
精神が壊れながらミクロを睨むリューだが、すぐに意識が遠のいき意識を失う。
「【狂い留まれ】」
気を失ったのを確認したミクロは解除式を唱えてリューにかけた呪いを解除する。
「リュー。お前の
気を失っているリューを罠から解いて壁にもたれさせてフードを羽織らせるとミクロはその場から姿を消した。
「……ここは」
見慣れない天井を見てリューは目を覚ます。
そして、意識がはっきりすると何故自分が眠っていることを思いだしたリューは勢いよく起き上がる。
「おはよう」
「っ!?ミクロ!貴方……は………」
ミクロの声が聞こえて振り向くとリューはミクロの姿を見て声が出なくなった。
何故ならミクロの姿があまりにも痛々しい姿をしていたから。
体の殆どが手当てされたあとがあり、左目には包帯が巻かれていた。
「ミクロ……その姿は……?」
青ざめながら問いかけるリューにミクロは普段と変わらないように答えた。
「手こずった」
「っ!?馬鹿ですか、貴方は!?いいえ、馬鹿です!!」
その一言で全て理解したリュー。
ミクロは自分の代わりに敵対派閥と戦ったことに気付いたリューはミクロの胸ぐらを掴む。
「何故貴方がそんなことをする!?敵対派閥とはいえ【ファミリア】には変わりはない!下手をすれば、いや、もう
「アリーゼとの約束を守るにはこれが一番良かった」
パン!と乾いた音が
リューがミクロの頬を叩いた。
「約束を守る為なら自分がどうなろうと構わないのですか!?」
「リューに言われたくない」
「私は覚悟は出来ていた!激情の言いなりになろうと私怨をぶつけようとその後どうなろうと構わなかった!それを何故関係のない貴方がするのですか!?私の復讐の邪魔をするのですか!?」
私は最低のエルフだとリューは思った。
ミクロはアリーゼとの約束の為、リューの為に大怪我を負ってまで何とかしてくれたのにリューは激情を、私怨をミクロにぶつけている。
酷い八つ当たりだ。
自虐するリュー。
そのリューの手をミクロは握る。
「今、リューが何を思っているのか、何を考えているのかは俺にはわからないけど。もし、この場にいるのは俺じゃなくアリーゼなら責任を全部一人で背負うなと言うと思う」
どこまで自分を見透かす親友に驚かされるリュー。
ミクロの言葉通り、アリーゼならそう言って自分の頬を叩くことぐらいはすると納得する。
「リューは前に言ってくれた。自分を大切にしないとアグライアが悲しむって。だからリューも自分を大切にするべきだと思う。そうしないとアリーゼ達が悲しむ」
リューの空色の見開かれる。
自分が前にミクロに言ったことを言い返された。
「俺はアリーゼの代わりにはなれないけど、困っているのなら頼って欲しい。もう一人で背負うのはやめろ」
その言葉が
「う…うううっ………アリーゼ……皆……」
ミクロの胸に顔を埋めながら涙を流すリューにミクロはどうすればいいのかわからなかった。ただ、アグライアの真似事のようにリューに頭を撫でるので精一杯だった。
それからミクロはリューが泣き止むまで待っているとアグライアがミクロとリューの傍に寄っってきた。
「ミクロ。貴方はミアハのところに行って治療して来なさい」
「わかった」
アグライアに言われて
その背中をリューは寂しげに見ていた。
「さて、体の調子はどうかしら?」
「……問題はありません。そんなことより神アグライア……」
パン!と乾いた音が鳴り響いた。
それはアグライアがリューの頬を叩いたからだ。
頬を叩かれて呆けるリューにアグライアは怒っていた。
「そんなこと?あの子が、ミクロが片目を失ってまで助けた貴女をそんなことで済ませるの?」
「え?」
リューはアグライアの言葉が一瞬理解出来なかった。
だけど、すぐに理解出来た。
ミクロ左目に包帯を巻かれていたのを見たからだ。
「貴女は気を失っていたから知らないでしょうけど、ミクロは貴女を抱えながら血まみれでここに戻ってきたのよ。すぐに治療はして命に別状はなかったけどもうあの子の左目は治ることはできないわ。例え、
「そんな……」
残酷に告げられる真実にリューは言葉が出なかった。
ミクロは自分の事を何も言わなかった。
それどころか自分なりにリューを励ました。
そんなミクロに対してリューは暴言を吐いた。
激情を私怨をぶつけた。
自分の人生を捨ててまで守ってくれたミクロに対して本当に酷いことをしたとリューは自分を責めた。
「私は……なんてことを……」
復讐しなければ、激情に突き動かされなければこんなことにはならなかったかもしれない。だけど、もう何もかも遅かった。
ただ自分を責めることしかリューには出来なかった。
「自分を責めることは私が許さないわよ、リュー」
だけど、アグライアはそれすらも許さなかった。
「そうやって自分を責めて許されると思っているのかしら?貴女はあの子から
「―――――――ッッ!!」
何も言えなかった。
アグライアの言葉通りだった。
ミクロから
「だから私が貴女に罰を与える」
「……罰?」
「ええ、だってこのままだと貴女は自分から命を絶ちそうですもの。そんなことをしたらミクロは何のために傷付いたかわからなくなるわ。だから、私が貴女に罰を与える」
それは疑似的な『神の審判』。
アグライアからリューに判決を下す神の裁判。
「ミクロの
「――――――ッッ!!」
これでもかというぐらい目を見開くリュー。
アグライアからリューにへと与える罰はこれ以上にないぐらい寛大で慈悲深いく慈愛に満ちていた。
アグライアに、ミクロに感謝しかなかった。
だけど、それじゃダメだった。
リューの代わりに敵対派閥を壊滅させたミクロの冒険者としての人生を終わらせてしまったリューにとってそのような寛大な罰を受けるわけにはいかなかった。
「神アグライア……私は……」
「あ、そういえば言い忘れていたけど、ミクロは冒険者を止めることも何らかの罰が下されることはないわよ」
もっと重い罰を懇願しようとした矢先にアグライアは思いだしたかのようにリューに告げる。
「ギルドや商人に情報を規制させたから、誰もミクロを犯人だと気づくこともないでしょうね。まぁ、ウラノスの高い借りはできたけどあの子が初めて自分で考えて動いたのだから私もこれぐらいはしないとね」
アグライアはミクロが飛び出してから何もしていなかったわけではない。
オラリオの創設神であるウラノスと会っていた。
今夜何が起ころうと問題にするなとアグライアはウラノスに直談判しに行っていた。
約束を守る代わりにアグライアはウラノスに高い借りを出来てしまったがアグライアに後悔はなかった。
「だから、貴女がこれ以上気にするようなことはないわ。でも、罰はしっかりと受けて貰うわよ?」
微笑みアグライアにリューは頭を下げる。
「その罰しかとお受けします。神アグライア」
「よろしい。それで、貴女の今後の事なんだけど私の眷属にならないかしら?」
満足そうに頷くアグライアはリューの自分の眷属になるように勧誘する。
「実はね、少し前にアストレアがここに来ていたのよ」
「アストレア様が………」
リューが都市から去って欲しいと懇願した日にアストレアはアグライアに会っていた。
「もし、貴女が望むのなら
前の【ファミリア】から退団し別派閥へと移籍する、再契約の儀式。
アストレアは万が一の救いがリューに訪れるのならと思ってアグライアに会っていた。
「………」
リューは悩んだ。
リューは【アストレア・ファミリア】の団員であることに誇りを持っている。
それだけじゃない。アリーゼや仲間達との思い出もある【ファミリア】。
それをそう簡単には捨てることはできなかった。
だけど。
「私を貴女の眷属にしてください」
申し訳ありません。と、リューは今は亡き仲間達に謝った。
【ファミリア】の誇りを捨てるわけでも仲間達との思い出を忘れるわけでもない。
ただ、自分を救ってくれたミクロの傍にいたい。助けになりたい。
「私はミクロと一緒にこれからも生きていきます、アリーゼ」
今はもういない親友に告げるリュー。
「ようこそ、【アグライア・ファミリア】へ」
アグライアは微笑みながらリューの