深層域58階層。
視界を遮る仕切りもない、黒鉛の壁と天井が長方形を描く巨大『ルーム』はつい先刻ミクロとへレスが戦い、そしてミクロが敗北した場所でもある。
「……そうか、へレス達がここに来ていたのか」
無事にフィン達と合流することが出来たミクロはフィン達に事情を説明するとフィンは苦い顔を浮かべていた。
「お師匠様が負けるなんて………ッ!」
自身の尊敬する師であるミクロの敗北に少なからずのショックを受けるセシルは今でもミクロの敗北が信じられなかった。
いや、セシルだけでなくアイズ達もミクロが負けたことに少なからず驚愕している。
ミクロは強い。
それはこの場にいる誰もが知っている。
「……団長、ミクロが話してくれた【シヴァ・ファミリア】はどのぐらい強いのですか?」
フィン、リヴェリア、ガレスを除く【ロキ・ファミリア】は【シヴァ・ファミリア】がどれぐらい強いのか知らない。
「……歴代最強を誇るゼウス、ヘラの両【ファミリア】に負けを劣らない実力者が集まる【ファミリア】だった。ミクロ・イヤロスの話を聞く限り実力は劣ってはいないようだね」
『………ッ!』
フィンの口から語られるその言葉にアイズ達は目を見開く。
ゼウスとヘラ。
アイズ達でもその【ファミリア】の実力は知っている。
その二つの【ファミリア】と同等の実力を持つ【シヴァ・ファミリア】。
そして、その【ファミリア】団長であり、父親でもあるへレスにミクロは敗北した。
だけどそれは決してミクロが弱いという訳ではない。
むしろ、それだけの実力者と相対して生き延びただけでも称賛に値する。
誰もが視線をミクロに向ける中でミクロは一言。
「………次は勝つ」
そっぽを向きながらそう言った。
負けたことが悔しかったのか、悔し気に言うミクロに全員の表情が和らぐ。
「そうだよね!負けっぱなしはあたしも嫌だもん!」
「今度はあんたがぶっ飛ばしてやりなさいな」
ヒリュテ姉妹に活気を言葉を投げられるとそれに続くようにレフィーヤも。
「ミ、ミクロさんなら負けませんから頑張ってください!」
「………ケッ」
一度はミクロの下で師事を受けたレフィーヤもミクロを励ましてベートは特に何も言わなかった。
「………負けるのは嫌」
アイズもミクロに連敗中が嫌で今も勝つ為に努力している。
だからミクロが今、抱えている悔しさはよくわかる。
「お師匠様なら負けません!!」
弟子のセシルも次はミクロが勝つと信じる。
「話は終わったかな?今から三分間休憩を取る。回復に努めてくれ。ミクロ・イヤロス、今の君はどこまで動けるのか教えてくれるかい?」
「三分あれば8割は回復できる」
「上々だ。しっかり休んでいてくれ」
弛緩する空気を読んでフィンはこれから向かう未到達階層の
59階層に続く階層南端に空いた暗い大穴。
【ゼウス・ファミリア】が残した記録では59階層からは『氷河の領域』と呼ばれ、至るところに氷河湖の水流が流れて進みづらく、極寒の冷気は第一級冒険者の動きを凍てつかせる程の恐ろしい寒気。
しかし、59階層に直通する連絡路からは冷気の欠片も伝わってこないことにフィン達は怪訝していた。
「ミクロ、無理をしてはいませんか?」
フィン達が怪訝するなかでリューはミクロに歩み寄る。
「大丈夫、怪我は魔法で治した。
「私が言っているのは心の方です」
仮にもミクロは血の繋がった父親と戦った。
いくらミクロが強くても心はまだ自分よりも年下の男の子。
辛くない訳がない。
「………問題ない」
視線をリューから逸らしてそう答えるミクロにリューはミクロの両頬を押さえて無理矢理目を合わせる。
「私の目を見ながら同じことが言えますか?」
真っ直ぐ見据える空色の瞳がミクロを映す。
「………愛していないって言われた」
ぽつりとミクロはぼやいた。
「俺は俺のやりたいことがある、その為に俺を利用する。親子の愛情なんて存在しないって言われた……………」
ぽつり、ぽつりと心の悲鳴をぼやくミクロ。
ミクロはわかっていた。
破壊の快楽の溺れているへレスが自分のことをどう思っているのぐらい容易に想像していたし、いずれは自分の前に現れることもわかっていた。
だけど、心のどこかで期待していたかもしれない。
シャルロットほどとまでは言わずとも父親としての愛情があるかもしれないという期待。
しかし現実は残酷だった。
へレス本人からその期待を完膚なきまでに壊された。
へレスはミクロの事を自分の為に利用できる駒としてでしか見ていない。
わかっていた、理解もしていた。
それでもという淡い期待を抱いていた自分が馬鹿だっただけの話。
本音を話したミクロにリューは頬から手を離してミクロの手を握って隣に腰を下ろす。
「ミクロ、私は貴方を愛しています。私だけではない、セシルやアグライア様、【ファミリア】の皆さんが貴方のことを大切に想い、心配している」
アイズ達には聞こえないぐらい小声で話すリューは優しい笑みを浮かべていた。
「貴方は自分の傷さえも受け入れてしまう。ですので私の前ぐらいは弱音を吐いて欲しい。貴方が私や皆さんを助け、受け入れてくれたように私も貴方を助けたい」
リューが握っているミクロの手は多くの者を助け、受け入れてきた証。
差し伸ばされたその手はとても暖かく優しい。
握る手に力が入る。
「………ありがとう」
ミクロはリューに礼の言葉を告げた。
ミクロの力になれたことが嬉しいリューもその一言で救われた気持ちになる。
いつも強大な敵をたった一人で立ち向かい撃破してきたミクロ。
何もできなかったことに腹を立て、頼りにしてくれないことに悔しい気持ちがあった。
「初めて……かもしれない」
ミクロがこうして弱音を見せて自分を頼ってくれたことが。
「総員、出発する!」
休憩が終わったことにそれぞれ武器を手に持ち大穴に足を踏み入れる
「寒い、どころか………」
「……蒸し暑い、ですね」
暗闇に包まれる連絡路の中でラウル達サポーターが携帯用の魔石灯に明かりを入れる中、ティオナとレフィーヤが汗をうっすらと滲ませる。
階段を降りる冒険者の足音が響いていく。
暗闇の底へ底へ。
そこを進んだ先にある、光のもとへ。
「フィン、これは……」
「ああ、今から僕達が目にするのは……」
「神も見たことのない『未知』」
そして、光の先へ到達する。
連絡路の階段を下り終えたミクロ達は、未到達階層59階層へ進出した。
「――――――――――」
視界に広がった光景に、誰もが言葉を忘れる。
ミクロ達の瞳に映ったのは氷山や蒼水の流れなどではなく不気味な植物と草木が群生する変わり果てた59階層の景色だった。
「………密林?」
ティオネが唖然と呟く。
直上の58階層の規模を超える広大な『ルーム』には緑一色に染まっていた。
「何かいる……」
スキルによりこの場の誰よりも速く異常に気付いたミクロの耳に奇怪な音響を捉えた。
視界の奥から聞こえる謎の響きに、立ち止まるパーティーの視線はフィンに集まるとフィンは間もなく告げる。
「前進」
ベートとティオナを先頭に切り開かれた一本道を通る。
近づくにつれて大きくなる音響。直進を続けること数分。
密林が消え、視界に広がった冒険者達の目に、それは飛び込んだ。
「……なに、あれ」
灰色の大地が広がる大空間には夥しい量の芋虫型と食人花のモンスター。
その怪物の大群が囲むのは、巨大植物の下半身を持つ、女体型だった。
「『宝玉』の
「寄生したのは……『タイタン・アルム』なのか?」
深層域に棲息する巨大植物のモンスター『タイタン・アルム』。
食人花も魔石を露出させて、女体型は触手で極彩色の供物を片っ端から貪る。
そこで気付いた。
自分達が踏みしめているこの灰色の大地は、尋常ではない数のモンスターの灰へと姿を果てた死骸そのものだということに。
「不味いっ……!」
戦慄する中、フィンは顔を歪める。
「『強化種』か……!?」
ベートもまた顔の刺青を歪ませて呻いた。
「――――――――――」
そしてアイズは鼓動の音を聞いていた。
鼓膜が張り裂けるような心臓の悲鳴を。
視線の先に存在する喚起される血のざわめき。
「………」
それはミクロも同じだった。
以前、アイズと戦って魔法を見て疑問から確信に変えた時の同じ体の中に流れる
次の瞬間。
『――――――ァ』
対応に乗り出そうとするフィン達の視線の先で、変化が起こった。
上半身を起こす女体型、醜怪な頭部から落ちるかすかな声音。
女体型の上半身が、蠕動のごとき打ち震えた。
『―――――ァァ』
醜い上半身が蠢くように震え続け、一気に肉が盛り上がる。
驚倒する最中、恍惚の息を漏らす女体型の上半身から―――――蛹から羽化するように、美しい体の線を持った『女』の体が産まれる。
『―――ァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!?』
歓喜の叫びが迸る。
膨れ上がった肉の殻を裂いて現れる『女』は仰け反り、天を仰ぐ。
緑色の髪と肌、緑色の上半身。
変貌するのは人型の上半身だけにとどまらず、異形の下半身もまた組織を変容させ、巨大な花弁や無数の触手を出現させる。
「なっ、なんだっていうのよ、アレ……!?」
未だ続くあまりの声量に、耳を手で塞ぎながらティオネが呻く。
歓喜の歌を紡ぐ正体不明の存在に、誰もが戦慄の眼差しを向けた。
「………うそ」
「嘘じゃないのはわかるだろう?」
愕然と立ち尽すアイズにミクロは冷静に告げた。
自身の体に精霊と
天に叫んだ『彼女』は、ぐるりと首を回し、アイズそしてミクロを見つめ歓声を上げる。
『アリア――――――ペアレント!!』
嬉しげに叫ぶ異形の存在。
立ち竦みながら震える口を開く。
「『精霊』………!?」
「ペアレント?」
アリアがアイズと呼ばれていることは理解出来たミクロだが、ペアレントは自分のことなのか首を傾げた。
精霊は神に愛された子供であり神の分身である。
つまり精霊にとって神は親のような存在であるが故に精霊はそう叫んだ。