忘れ形見の孫娘たち   作:おかぴ1129

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15. 和之、みんなに煽られる。

 僕が課長に提出した辞表は目の前で完膚なきまでビリッビリに破り捨てられ、僕は呆気に取られた。

 

「却下」

「いやいやいやなにしてくれちゃってるんすか課長」

「却下だ」

「いや、ホントすみません。実家に戻りたいんです」

 

 爺様の二回目の告別式が終わって数日後、僕は休暇の終了を前に会社に顔を出した。そしてその日のうちに辞表を提出した。

 

「お前、ここ辞めて再就職のアテはあるのか? もう次は決めたのか?」

「ないです。でも実家に戻ります」

「アテがないなら俺が許さん。却下だ」

「課長に俺の進退を決める権利なんてないでしょう」

「なぁ斎藤。じいさんが亡くなったのが悲しいのは分かるけど、それでここの仕事を辞めなきゃいかんぐらい打ちひしがれてるのか?」

 

 僕が実家に戻る決心をしたのは、爺様の死がきっかけではない。

 

――かずゆき!

 

「違います。実家に戻りたいんです」

 

 僕の気持ちは変わらない。僕は実家に戻る。課長は大好きな上司だけど、僕は実家に戻りたいんだ。これからはあの土地で暮らしていくんだ。

 

「いやだからさ。俺はお前が実家に戻るのは反対してないんだよ」

「んじゃ何が気に入らないんですか?」

「いや別にさ。ここを辞めなくても実家に戻る方法はあるだろ?」

「ムリでしょ。ここから僕の実家はかなり離れてる。実家から通うのは現実的じゃありません」

 

 頭にモジャモジャ線を浮かべながら課長は頭をボリボリとかいた。なんだ? 課長は割と迷ってる部下に対して『責任は俺がとるんだからチャレンジしてみろやボケナス』と背中をドンと押してくれるタイプの人なのに……なんで今回はこう、やたら僕の前に立ちふさがってくるんだ?

 

「……あのな斎藤?」

「はい?」

「お前、職業は何だ?」

「プログラマーですが……」

「だよなぁ」

 

 机の上の湯のみをつかみ、ずずず……と音を立ててお茶をすすったあと、課長はまっすぐ僕を見て再び口を開いた。

 

「お前の商売道具は何だ?」

「パソコンです」

「お前が作るものは?」

「プログラムです」

「……ここまで言ってもまだわからんか?」

「さっぱりです」

 

 課長、いい加減ハッキリ言いましょうよ。僕は頭の回転が早い方じゃないんすよ……。

 

「……お前、ノーパソでいつも仕事してるよな?」

「ですね」

「仕事に詰まった時はどうしてる?」

「スタバで店への迷惑を顧みずにコーディングしたり、図書館で企画書書いたり……」

「つまり?」

「つまり……?」

 

 ……僕の仕事は場所を選ばない?

 

「そうだよバカタレ!」

「ひやっ?!」

「お前はパソコンがひとつありゃどこでも仕事が出来るんだ! だったらここの社員のまま実家に帰りゃいいんだよ! 会社は貴重な社員を失わない! お前も実家に戻れる! みんなハッピーになれるじゃねーかッ!」

「いや、でもうちって在宅勤務は認められてましたっけ?」

「心配すんな! 俺が人事部と部長に認めさせるから!」

「セキュリティの問題とか……」

「そんなもん俺の得意分野だろうが! どうとでもしてやるわ!!」

 

 僕は課長がけっこう好きだ。そしてウマもあう。

 

「だから辞表は却下! お前は在宅で社員続行! いいな!」

「……はい」

 

 その理由が今日なんとなく分かった。この人は爺様みたいだ。高圧的でエネルギッシュ。爺様よりもちょっと言葉遣いが辛辣だけど……。

 

「ぶふっ……」

「なんだよ?」

「ああ、いえ……。課長、ありがとうございます」

「おう。ぶっちゃけな。俺がお前を手放したくないんだ。それは分かってくれ」

「はい」

 

 というわけで、課長の鶴の一声……いや迫力的にはヒグマの咆哮だったけど……によって、在宅勤務という形で僕の社員続行が決定。今までは企画書作ったり折衝に行ったりといった機会も多かったが、今後はゴリゴリのプログラミングの鬼になることが出来る。結果的に良い方向に転がったのかもしれない。僕の在宅勤務がうまいこと行けば、僕の実家を拠点みたいな扱いにしてもいいのでは……という話にもなったようだが、僕にその気はまったくない。

 

 休暇が終わらないうちに自分のアパートの片付けをして引っ越しをする。元々荷物は少ない部屋だったから荷造りも楽だ。使わないものはすべて捨ててしまってもいい。商売道具のパソコンと着替えがあれば事足りる。少ない荷物を宅急便で送り、会社から支給された仕事用のノートパソコン……元々僕が会社で使ってたやつだけど……とその他諸々をバッグに入れ、僕はそのバッグを片手にアパートを出た。

 

「……おつかれさま。今までありがと」

 

 さらば大学時代からお世話になった僕のアパート。大家さんに言われたとおり鍵を郵便ポストに入れ、踵を返す。スタスタと軽快な足取りで、僕はその場をあとにした。

 

 役所で転出届を提出した後、新幹線とローカル線を乗り継いで実家に戻る。

 

『今どのへん?』

「あと一時間ぐらいで着くかな。荷物は届いた?」

『届いてるけどなにこれ……パソコンばっかじゃん……』

「爺様みたいな道楽とはわけが違うんだよ。本職のプログラマーさんのスゴみを爺様にわからせてやるッ」

『ぶふっ……はいはい』

 

 LINEで連絡を入れた後、ローカル線に揺られながら一時間……この一ヶ月の間のことをいろいろと思い出していた。爺様の逝去からはじまった奇妙なコスプレ集団とのふれあい……ぼくの貯金をすっからかんにしてまで行った、その子たちのための二回目の告別式……そして、きっと夢だったんだろうけど……爺様との再会。いろいろと騒がしい一ヶ月だった。

 

 騒がしいといえばアイツ。爺様が亡くなってからしばらくして、突如僕の前に姿を表したムカつく女子高生の鈴谷。

 

――あ、ちーっす!!

 

 未だに忘れない。初対面の時、見慣れたはずのうちの実家を果てしない異空間に変貌させていた、あの鈴谷の存在感。僕が爺様のアカウントで艦これをプレイしてみたらすぐにメッセを飛ばしてきたり……その後いろんなコスプレマニアをうちに連れてきたり……家族と焼き肉した時は僕の肉を片っ端から強奪していったり……最終的には僕が二回目の告別式を決心するきっかけになった、明るい笑顔が最高にムカつく水色の髪の女子高生。

 

――じゃあさ! 一緒に行ってみようよ!

 

 仲間たちのために必死に駆けまわるような優しい性格で……でもみんなと溶け込めなくてちょっと悩んでたり……時々僕の手を握って力になってくれたり……あの日、ホタルを見せたらすごく喜んでくれて、僕を爺様と引きあわせてくれたり……

 

 実家の前に到着する。あの日に異彩を放っていた鈴谷の後ろ姿はない。いつもの見慣れた実家だ。玄関のドアを開ける。ガラガラと音を立てる引き戸。玄関には父ちゃんと母ちゃんの靴やスリッパが散乱している。

 

「とっちらかってるなぁ……」

 

 靴を脱いで上がる。一つだけ異彩を放っている小さなローファーがあるが気にしない。

 

「ただいまー」

「おーう。おかえりー」

 

 居間から父ちゃんの声が聞こえた。今日は日曜だから父ちゃんは仕事は休みか。居間に行くと、台所からは野菜を切るトントンという音が聞こえる。母ちゃんが晩御飯の準備をしているようだ。

 

「僕の荷物は?」

「部屋に上げてくれてあるぞ」

「そっか」

「さっきひーこらいいながら運んでたな。早く行って手伝ってやれ」

 

 見ているテレビの片手間という感じで、めんどくさそうに父ちゃんがそう答えた。そっか。手伝ってくれてるか。だったら早く部屋に行こう。環境を整える必要もある。あと2日休暇は残ってるけど、ヒマな今のうちに環境をすべて整えておきたい。生前の爺様が構築したネットワーク環境も整えておきたいし、この家のどこかに隠されたサーバーも早く見つけなきゃ。

 

 荷物を持ったまま、自分の部屋に向かう。高校生の頃まで使っていた部屋で、その部屋は今も僕が帰ってきた時に使わせてもらってる。部屋の前に立つと、中で待ってるアイツの声が聞こえてきた。

 

『ちょっとぉー……マジ無理……何をどこに置けばいいの……』

 

 いい気味だ。だいぶ苦戦してるようだ。サーバーに使うデスクトップやらネットワークストレージやら諸々持ってきたからな。配線やら何やらがそら大変だろう。……つーか無理して自分で全部一人でやらなくてもいいんだけど。

 

『……まぁいいか! テキトーに並べて片っ端からコードで繋げちゃえばなんとかなるんじゃん?』

 

 僕は勢い良くドアを開け、部屋の中のヤツの暴挙にストップをかけた。

 

「人の商売道具をテキトーに並べて片っ端からつなげるな鈴谷ッ!!」

「ぉお?!! かずゆき?!」

 

 部屋の中にいた鈴谷は、頭に三角巾を巻いて掃除のおばちゃんみたいな格好をしていた。

 

 僕の前から鈴谷が姿を消し、爺様のアカウントが消されたあの日……僕はそのことに随分気持ちが沈み、その日の夜はほとんど寝られなかった。

 

 そして次の日……疲れてるにもかかわらずみんなに会えない不安で目が冴えてしまい、まったく寝付けなかった僕の目の前に……

 

「ちーっす! かずゆきおはよー!! いやー昨日は疲れたね!!」

 

 と鈴谷は何食わぬムカつく笑顔で姿を見せた。起きてきた僕よりも先に居間にいて、母ちゃんのパソコンを叩きながら『べしっべしっ』と僕の真似をしていた。

 

「……なにやってんの?」

「え……何って、かずゆきの真似しながらパソコン。べしっ」

「人の気も知らないで……昨日さ、なんで何も言わずに帰ったんだよ。しかも意味深なメッセージをLINEで残して」

「へ? それ鈴谷のセリフですけど……? なんで昨日、鈴谷に何も言わずに帰っちゃったの?」

「?」

「?」

 

 ん? なんか話が噛み合ってない気がするぞ?

 

「昨日ホタル見に行ったよね?」

「行ったねぇ。鎮守府から少し離れたところにある川にさ」

「いやいや、うちの近所の川ですやん?」

「いやいや鈴谷んちの近くの川だし」

「?」

「?」

 

 あれ? やっぱり話が噛み合ってない……?

 

「ま、まぁいいか。んでその後、爺様に会いに連れてってくれたろ?」

「いやいや、それかずゆきだし。かずゆきが鈴谷を連れてってくれたし」

「?」

「?」

「いや待てよ。お前昨日、ここにいたろ? 僕といっしょに寝たろ?」

「やだ……かずゆき大胆……べしっ」

「いやいやいや。ついでに言うとべしは余計」

 

 いまいち会話が噛み合わない鈴谷の弁によると……鈴谷は昨日、キャンプ場から自分の家……鎮守府に戻ったそうだ。その後鎮守府で朝まで爆睡。今朝早くに起きた鈴谷は、そのままこっちに遊びに来たとのことだ。

 

「でもさー。変なんだよねー」

「ん?」

 

 僕は鈴谷が僕の家に泊まったと思っていたが……鈴谷は鈴谷で、僕が鎮守府の方に泊まったと思っていたそうだ。『鎮守府に行ってみたい』と言い出した僕が鈴谷にくっついて鎮守府に行き、そのまま鈴谷とともに同じ部屋で爆睡したんだとか……?

 

「うわっ! なんかこええ?!! 僕も昨日、鈴谷がこっちに来て同じ部屋で寝たと思って……」

「かずゆきのえっちー」

「お前だって僕といっしょに寝たんだろ?!」

「仕方ないじゃん鈴谷の部屋に入るなりぶっ倒れて『クカー』って寝るし! 寝っ転がった鈴谷に『枕がないから』ってもたれかかってくるし!!」

「それはお前だろうがッ!! ホタル見に行った時も『一緒に鎮守府に行こう』つって僕の首にしがみついてきたくせに!!」

「それかずゆきだし! 鈴谷そんなことしてないし!!」

「僕がそんなこと鈴谷にするわけないだろッ!」

「したし! 『僕達ならいけるよ。キリッ』とか言ってたし!!」

「……母ちゃん、席外したほうがいい?」

 

 ハッとする僕と鈴谷。二人で台所を見る。……母さん、そのニヤニヤをやめてください。違うんです。これは間違いなんです。僕と鈴谷は何もないんです。

 

「いやー、母ちゃんいない方が思う様口ゲンカできるかなと。ニヤニヤ」

「いや母ちゃん、ホンット勘違いしないで」

「うーぃおはよー……いやーよく寝た……ぉお鈴谷ちゃん」

 

 眠そうな顔をして父ちゃん起床。年齢のせいで多少存在感が増した自身の腹をボリボリとかきながら居間にフラフラとやってきた。そして、僕と鈴谷を見比べるなり……。

 

「えーと……そのー……まぁ、なんだ。俺と母ちゃん、今日出かけたほうがいい?」

 

 と、父ちゃんにあるまじき無駄な心配りをしてくれる。だからそんなのいらんっつーにこの似た者夫婦は……。

 

「あなた、どこ行こう?」

「いや親なら真相を察してくれマジで! ホント何もないから!!」

「まぁまぁそう言わずに。ここは素直に俺達の配慮ってやつを受け取ってくれよ」

「そうだーかずゆきー! 人の好意は素直に受けろー!」

「そろそろ素直になったらどうだ和之?」

 

 素直になれってどういうことだ? さっぱり意味が分からん。調子こいて何血迷っちゃってるのうちの両親は?

 

「だってお前、昨日大声で『すずやー!!』って吠えてただろ」

「?!」

「ニヤリ」

 

 僕の顔から一瞬で血の気が引いたのが分かった。上半身にぞわっとしたイヤな感触が走り、瞬間、髪の毛の先まで身体がブルッと震えたのが分かった。ヤバイ。聞かれてたのかあの叫び……。

 

「……なんで知ってるんだ父ちゃん」

「だってなぁ……あんだけ悲壮な声で『返事しろ鈴谷!!』とか叫んでたらなぁ」

「なになに? 鈴谷と離れたのがそんなに寂しかったの? ニヤニヤ」

 

 やめろ。すっげームカつく。ニヤニヤ顔で僕を覗き込むな鈴谷。

 

「だいたいお前が僕のLINEに返事しなくて余計な心配かけたからだろうがッ!!」

「あー。そういやなんか切実そうなLINEがいっぱい来てたねぇ。鈴谷爆睡してたけど。ニヤニヤ」

「『ありがとう』なんて色々と余計な誤解を招きかねないメッセ残すお前が悪い!!」

「そらぁお世話になった人にはお礼言うのは当然じゃん? 眠くて眠くて素っ気なくなっちゃったけど。ニヤニヤ」

「で、改めて聞くけど俺達やっぱ出かけた方がいい?」

「頼むから両親らしい振る舞いをしてください父さん母さん」

 

 とこんな具合で、あれだけ不安で眠れなかった自分が馬鹿らしくなるほどに、鈴谷は普通にまた僕の前に姿を表していた。その後父ちゃんと母ちゃんは夫婦で出かけるというあからさまで迷惑この上ない心配りを見せてくれ、僕と鈴谷は居間で鈴谷たちの状況とこれからのことを話していた。

 

 鈴谷曰く、摩耶さんはけっこう気持ちが前向きになったらしい。今朝は秘書艦として復帰し、爺様の代わりに提督代行として辣腕を振るっているそうだ。といっても艦隊指揮を取る爺様もいないし(つーか艦隊指揮?)、特にすることもなく鈴谷たちはヒマを持て余しているそうで。

 

「で相談なんだけどさ」

「あ?」

「これからちょくちょくみんなで遊びに来てもいい?」

 

 それは別に構わん。……つーか老後生活の近い父ちゃんと母ちゃんのいい話し相手になってくれればあの二人も喜ぶだろう。

 

「別にいいよ。僕はもうすぐ東京に戻るけど」

「え……かずゆき、ここに住んでるんじゃないの?」

「いや、今は休暇中だからここにいるだけなんだけど……言ってなかったっけ?」

「聞いてない。つーかぶっちゃけ仕事してないと思ってた」

「お前あとで説教」

「えー……涼風ちゃんとかよく『今度カズユキの家に行ってアイツに足四の字かけてやるッ!!』とか意気込んでるしさ」

 

 ほほう。大人の僕にケンカを売るとはいい度胸だ。次のパロ・スペシャルの餌食は涼風に決定だな。僕がこっちにいる間に来てくれればだけど……

 

「鈴谷も、かずゆきがいないと来てもつまんないしなー……」

 

 え……ちょっと何なのこれ……なんで鈴谷のこんな他愛無い一言で僕の胸ドキンとかしちゃってるのよ……なんでちょっとぞわってうれしくなっちゃってるのよ……。

 

――和之。

 

「まー……仕方ないか! んじゃかずゆきがこっちにいる間にできるだけみんなをつれてくることにする!」

「みんなって……何人ぐらい?」

「みんな」

「だから具体的に……ってちょっと待て。みんなって、みんなか?」

「うん。みんな」

「……まさかとは思うけど……全員?」

「そだよー。摩耶さんも“一人でひこざえもんに挨拶したいし、久しぶりに帰りたい”て鼻の穴広げてたし……あれちょっと待って。帰りたいってなに?」

「……マジかよ……つーか僕に聞くなよ知らないよ……」

 

 摩耶さんも気になるけど……やっばり爺様の言うとおり、婆様の生まれ変わりなのかどうか気になるけど……それよりもだいたい僕がここにいる期間なんてあと2日ほどしかないぞ? その間に全員がくるってのはどだいムリな話じゃないか。そんなのダメに決まってる。

 

 ……しまった。ある解決方法が僕の心の奥底からむくむくと頭をもたげつつあった。この決断は、おいそれと軽い気持ちで下していい決断ではないけれど……今の御時世、かなり勇気が必要な決断だけれど……

 

――お前も満更でもないんだろ?

 

 やめて爺様……今は僕をからかわないで。そういう言葉を囁かないで。

 

「仕方ないよねこればっかりは。こっちに帰ってくるときはLINEで連絡してよ。鈴谷絶対こっちに来るから」

 

 鈴谷は笑顔でそう言うが……その笑顔には陰がさしていた。やめろ鈴谷。そんな目で僕を見るな。僕を惑わせるな。

 

―― 末永くよろしく頼むッ

 

 ちょっと待って那智さん。今そういうこと言わないで。僕に余計な決断をさせようとしないで。

 

――鈴谷も今は和之さんの秘書艦みたいなものなんだから

 

 頼むから。頼むから僕を惑わせないで。今の僕はひどく不安定だ。だからいくら大天使オオヨドエルといえどもやめて。

 

――行けるよ? 鈴谷とかずゆきが一緒なら

 

 お前は実物じゃなくて僕の妄想の鈴谷だろうがッ! 本人が目の前にいるのに、僕を惑わせようと耳元で囁くなッ!!

 

――『ありがとう』

 

 クソッ?!! 思い出させるなあの時のイヤな感覚を!!!

 

――いい加減素直になれや和之。

 

 やめろ爺様!!

 

――鈴谷はね…… かずゆきが好きだよ

 

 ……だあッ!! 分かったよちくしょうッ!!

 

「んじゃ早速明日は半分の80人ほどを……」

「ふざけるな鈴谷……ッ」

「お?」

 

 どいつもこいつも無責任に好き勝手言いやがってッ!!

 

「こんな普通のジャパニーズ・トラディショナル・ジッカに百人近くも客を収納出来るはずないだろうがッ!!」

「えー。でもかずゆき帰っちゃうんでしょ? その前になるべく……」

「人数は鈴谷を入れてせいぜい五人だ! それ以上はゆるさんッ!!」

「えー!! なんでそんな意地悪言うのー?! みんなかずゆきにお礼言いたいんだよ?!」

「ぁあクソッ……だからだなぁ……!!」

「?」

 

 あーもう! 無責任だッ! こうなったら僕自身、人生に無責任になってやるッ!!

 

「僕がこっちに戻れば万事解決だろうがッ!!」

「え……マジ?」

 

 決めた。僕は仕事をやめてこっちに戻る。一気に50人以上のコスプレ珍客集団を家に招待なんてできるわけないし。なにより……

 

「んじゃ、今までみたいに会えるの?」

「今までどおりとはいかんだろうが、ここに来てくれりゃ毎日会えるわ! 文句あるかッ!!」

「よかった! んじゃ今まで通り、少しずつみんなを呼べばいいよね!」

「これで文句ないだろう!! だからお前も毎日こい!!」

 

 世界一受けとりたくない『ありがとう』を受け取った時のような気持ちはもうごめんだ。だから僕はこっちに戻る。できるだけ、この小生意気でムカつく小娘と距離が開かないようにするために。

 

 この話を父ちゃんと母ちゃんに話した時、二人とも妙にニヤニヤといやらしく笑いながら僕の話を聞いていた。

 

「まぁなぁ……ニヤニヤ……男にゃ自分の生き方を変えざるを得ないときってあるよな」

 

 父ちゃん。ムカつくからその『いいんだよ。俺は全部分かってるから』って顔をするのはやめてくれ。

 

「……父ちゃん、何も言うなよ?」

「だってなぁ?」

「ねぇ」

「?」

「「すずやー!!!」」

 

 僕は至極真面目に話しているのに両親揃って何叫んでるんだッ!! 息子の醜態をあざ笑うのはやめてくれッ!!!

 

「だってなぁ」

「うん」

「頼むから自分の息子をからかわないで。僕は真面目に……」

「すずやー!!」

「返事しろ鈴谷!! ……女子校時代を思い出すわー……」

「あんたらそれでも僕の親かッ?!!」

 

……

 

…………

 

………………

 

 これが、僕が実家に戻ることを決めた顛末だ。僕はその日のうちに荷物をまとめ、一度自分のアパートに戻って出社。課長に辞表を提出したわけだ。同僚がお別れ会みたいなのをしようって言ってくれてるらしいけど、それは後日ってことにしてもらった。つーか別に退社するわけじゃないしね。

 

「かちょー。とりあえず環境整えましたよー」

『おうご苦労さん。んじゃ業務開始は明後日からだな』

「はい」

『お前の勤務評価は今後成果物メインになる。拘束時間はなくなるがその分残業という考え方もないし実績オンリーで評価が下されるから厳しいぞ』

「了解です」

『あと、お前は初めての自宅勤務社員だ。最初のうちは会社のシステム面で色々とトラブルがあるだろうが、軌道にのるまではのんびり構えとけ。気長に行こう』

 

 その日の夜。自分の仕事環境が整った段階で、一度Skypeで課長に連絡を取った。オンライン会議の時に利用するwebカメラなんかの動作確認も兼ねてだ。感度は良好。課長が話す顔もくっきり見えるし、僕の顔も課長にはハッキリと見えていることだろう。マイクの感度も問題ないようだ。すみませんねぇ課長日曜の夜だというのに……

 

『あと電気代だが、詳細が出せるようなら必要経費としてこっちで落とす。明細みたいなのを毎月出して……』

「かずゆきー。麦茶持ってき……て、あれ? なにやってんの?」

 

 課長と業務に関する話をしていたら運悪く……いやタイミングよく? 鈴谷が麦茶を持ってきてくれ、そのままこっちの画面を覗き込んできやがった。これどう見てもカメラに鈴谷写っちゃってるな……めっちゃカメラつんつんしてるし……麦茶のグラスで濡れた手でつんつんするからカメラちょっと濡れちゃったじゃないか……。

 

『斎藤、このお嬢さんは?』

 

 やべ……何も嘘が思いつかねー……

 

「ちーす! かずゆきの秘書艦の鈴谷でーす! いつもうちの提督がお世話になってまーす!!」

「バッ……!! なんつーことを……!!」

『……あーなるほど。よろしく鈴谷』

 

 あれ? 課長、納得するの妙に早くない? つーかなんでそんなに鈴谷に慣れてるの?

 

「すみません課長! この子は知り合いでして……」

『斎藤。お前が実家に戻る決心をしたのは鈴谷のためか。ニヤニヤ』

 

 課長……アンタもか。アンタも僕をからかうか。

 

「いや関係ありません」

『ホントか? ニヤニヤ』

「ホントですって!」

『……まぁいい。邪魔しちゃ悪いしそろそろ切るか。それじゃ鈴谷。秘書艦として斎藤の補佐、よろしく頼む』

「了解!」

『斎藤も鈴谷とお幸せに。んじゃッ』

 

 このクソ課長……言いたいことだけ言って勝手に通話を切りやがった……と思ったら、通話が切れる寸前……

 

『“ていとくー?”“おー、今行くぞーず……”』

 

 という会話がディスプレイの向こう側から聞こえてきた。なんか聞き覚えあるぞ今の声……

 

「ん? ていとく?」

 

 鈴谷が首をかしげていた。腕を組み、右斜め45度に首を傾けて、頭に大きなはてなマークを浮かべた様は、僕に某ステルスアクションゲームの兵士を思い起こさせた。スネークっ!!

 

「ん? どうかしたか?」

「いや、今のあまーい『ていとくー?』て呼び方、どっかで聞いたことあるなーと思って」

 

 同じく僕も腕を組み、首を右斜め45度に傾けて自身の記憶を懸命に辿ってみる。僕もなんか聞いたことある声なんだよね……あの告別式の日に……はッ!! ひょっとして課長の奥さんも!!

 

「鈴谷たちと同じコスプレ電波系?」

「ひどっ」

 

 季節は夏真っ盛り。日中はモチベーションの高い太陽がやる気に満ち溢れた熱と光で大地を照りつけ、恐怖の生命体であるセミたちが湧き上がる熱情を恐怖の咆哮で表現する、戦慄の恋の季節にして過酷な季節。扇風機の前で『ワレワレハウチュウジンダ』と宇宙人の真似をしたくなり、水滴のついたグラスに入った麦茶とチューペット、そしてスイカがこの上ないごちそうになる、魅惑の季節。

 

「まぁ課長のことは置いといて……明日は誰か来るのか?」

「さっき連絡したらね。摩耶さんと金剛さんたちが来たいんだって! 金剛さんたちはティータイムの準備して行くって行ってた!」

「なるほど。なら爺様の言ってたことが本当かどうか確認してやるッ」

 

 この季節を境に、僕は鈴谷をはじめとしたたくさんのコスプレ電波集団の女の子たちと仲良くなることが出来た。爺様は亡くなったが、その代わりに僕はたくさんの楽しい人たちと……爺様の孫娘たちと固い絆で結ばれることが出来た。今後は、代わる代わるやってくるみんなプラス鈴谷と、なんでもないけどなんとなく楽しい……そんな他愛無い毎日を送ることになる。

 

「鈴谷も明日来るんだろ? そろそろ帰っていいぞ」

「ぇー……夜遅いからもう帰れないよー。泊めてよー」

 

 でもそれは、後日判明した課長の奥さんの正体と同じく、また別の話。

 

「泊まるのはかまわん」

「やった! んじゃかずゆきの部屋で」

「それは却下」

「ひどっ。鈴谷がいないと寂しいくせにー……」

「あとでスコーピオンデスロックで折檻だ」

「すずやー! 返事しろすずやー!!」

「やめろぉおおおお!! 人の羞恥心をえぐるなぁぁああああ!!!」

 

 僕と鈴谷の今後は、恥ずかしいから秘密。……でもバレてるんだろうね爺様には。爺様の遺影は、思い通りに事が運んだことできっと上機嫌で肌をテッカテカにしながらニヤニヤしていることだろう。摩耶さんにそっくりな……いやひょっとしたら摩耶さん本人かもしれない、婆様の写真の隣で。

 

 終わり。

 

 


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