──1943年(昭和18)5月。
前年の11月の第三次ソロモン海戦では戦艦比叡、霧島、重巡衣笠、軽巡由良の喪失、戦艦金剛、榛名の大破等、参加艦艇の多くに損害をもたらした。損害比はアメリカ側の方が大きかったものの主目的であったガダルカナル島及び、ツラギ島の占領は失敗。ガダルカナル島を巡る戦局は泥沼の膠着状態に陥った。日本の戦術的勝利、アメリカの戦略的勝利。
太平洋戦争には転換点と呼ばれるいくつかの戦いがあるがその一つとしてこの戦いが挙げられる。日本側が空母部隊を損傷し艦隊保全の為に撤退したのに対してアメリカ側はこの一戦を正念場と捉え、損傷しつつもダメージコントロールで戦線に残った。13日の夜戦後、空襲により日本の艦隊の被害が拡大した原因はこれにある。後に日本は空母の出し惜しみ、戦力の逐次投入と指摘される事となる。
翌年2月にアメリカは遂にガダルカナル島、ヘンダーソン飛行場を把握。4月に日本側は同島から完全撤退する。この頃から東部ニューギニア方面でも連合国が攻勢に出ており、守備を固めるべく陸軍海軍で立案された作戦、第八十一号作戦が実施される事となった。しかし4月に前線視察に赴いた山本五十六聯合艦隊司令長官が乗った一式陸上攻撃機がラバウルからブインへ移動中、ブーゲンビル島上空で、アメリカ陸軍航空隊のP-38ライトニング16機に襲撃・撃墜され戦死しており(海軍甲事件)、海軍には少なからず混乱が生じていた。この時点では山本の戦死は秘匿されていた。
ソロモン海戦後、長野は井上成美と共に本土に戻り海軍航空本部附になっていた。(井上は海軍兵学校の校長に就任)長野は作戦実施に伴い三川軍一中将の要請で木村昌福第三水雷戦隊司令官指揮下の外南洋部隊増援部隊の参謀として再び、南太平洋に身を置くこととなった。
「龍驤を輸送部隊の直掩にか」
実動部隊の指揮官木村昌福以下輸送部隊駆逐艦9隻、第十一駆逐隊〈白雪、叢雲〉、第十九駆逐隊〈浦波、敷波〉、第八駆逐隊〈朝潮、荒潮〉、第九駆逐隊〈朝雲〉、第十六駆逐隊〈時津風、雪風〉、空母龍驤、輸送船8隻(陸軍輸送船7隻〈大井川丸、太明丸、建武丸、帝洋丸、愛洋丸、神愛丸、旭盛丸〉、海軍運送艦1隻〈野島〉)で編成された船団の首脳陣が集められ会議が開かれていた。
立派に蓄えられたカイゼル髭を撫でながら実動指揮官が
説明を聞き感慨深げに呟いた。
「それでも他の航空部隊を合わせても万全とは言いがたい。陸軍航空隊は洋上作戦に不向きです」
第三水雷戦隊の参謀の一人が難しい顔で言えば、口にこそ出さないものの他の面々も内心では同じ意見であった。
「しかし第八艦隊からは全滅覚悟でやってもらいたいとお達しだ。作戦中止も聞き入れられていない。やるしかないだろう」
第八駆逐隊司令の佐藤康夫が苦々しくそう言葉にした。
「今、議論すべきはこの難局をどう乗り切るかだ」
木村が、そう口にすれば各々が意見を出しはじめる。
「長野、お前の考えは?」
龍驤の艦長の杉本が問うと、しんと場は静まりかえった。
「子供の頃、川で水きりして遊んだか?」
「まぁ、やったが、急に何の話だ?」
「おそらく、アメリカは今回航空機の爆弾でそれをしてくる」
「…相変わらず、お前の頭の中はどうなっちょっと」
「まずは搭載魚雷は全て下ろす。龍驤の航空機隊は低空での護衛に専念してもらいたい。高高度の迎撃は他の航空艦隊が引っ張られるから無視だ。低空で進入を試みる航空機に目標は徹底。各駆逐艦は主砲を片側に向け、上空は機銃のみで対処。低空で進入してくる航空機には敢えて腹を見せたまま主砲で迎撃。魚雷ではないことを祈れ」
「と言うことらしい」
カイゼル髭を撫でながら笑う木村。
「しかし、その水きり爆撃をしてくるという保証は? と言ってもお前が言うのならそうなんだろうが…」
第八駆逐隊の司令である佐藤は苦笑しながら、同期である男を見る。仏頂面を下げて、細かいところを説明するのが心底面倒だと言わん態度は兵学校の頃から変わらない。そのせいで多くの喧嘩の仲裁をしてきた佐藤。
「いつでも腹を切る覚悟だ」
その言葉で流れは決まった。
だが、佐藤も杉本も「あぁコイツ説明するのが面倒になりやがった」と内心で思ったのであった。
「ついては時津風の指揮権を一時的に頂きたい」
これは階級が上であっても明らかな越権行為であるが、インド洋の鮮烈な記憶が残る時津風艦長はこれを承諾した。
方針が決まると兵学校同期の長野、佐藤、杉本は集まり酒を酌み交わしていた。そこに一期下の後輩にあたる野島の艦長がやってくる。四人で酒を飲み他愛のない会話が続く。
しかし、ふとした時に誰もが無言になる。
「今回の作戦…、いえ何でもありません」
「…心配するな。貴様の艦がやられたときにはすぐに飛んでいって救助してやるから安心しろ」
野島の艦長に佐藤がそう約束をする。
長野は杯を見つめ、黙して語らず。
そして後世、『ダンピールの悲劇』と呼ばれるビスマルク海海戦が幕を開ける。
当初の予想通り、苛烈な航空機攻撃に曝される事となった輸送部隊。龍驤が艦隊に存在したこと、長野によって反跳爆撃とその対処法を事前に知らされていたことで、ある程度は被害を抑える事に成功した。しかし、改陽炎型(後期陽炎型)以前の駆逐艦は艦隊決戦を想定して作られ、対空防御は貧弱であり、度重なる空襲で被害は拡大していく。
唯一、高角砲を装備している時津風は足の遅い輸送船二隻を守るのに手一杯の状況で、その二隻(大井川丸、太明丸)が八隻いた輸送船の最後の生き残りという有様。龍驤は集中的に狙われ傾斜回復できずに沈没は時間の問題。護衛駆逐艦の多くが損傷、漂流または沈没。
その中でそれでも二隻の輸送船を守りきり、ラエに送り届けた時津風と龍驤の航空機隊。
揚陸中の輸送船と燃料が心許ない航空機隊を残し、救援に向かう。
「取り舵っ! 原速っ!」
艦橋から空を睨み、長野が叫ぶ。
B-25からの反跳爆撃が艦首の先を掠める。
「一杯っ!」
息つく暇もなく矢継ぎ早の命令。
「二番(主砲)撃てっ!」
カーチスP―40が火達磨になった上、破片を撒き散らして右舷数メートルに墜落。
「面舵っ!」
命令復唱省略で時津風の乗員はそれに応え、巧みな操船で何度も爆撃や戦闘機機銃をやり過ごす。
しかし、救援には間に合わず、洋上に姿を留めている艦は沈没間近であった。
大発やカッターで脱出した者達や浮遊物にしがみつく者達を救助して回る。その間にも襲いくる敵軍。
時津風に対してだけでなく漂流する者達にも容赦なく機銃掃射を加えていく。味方は北方に退避しており、援軍は見込めない。木村が北方退避を命令したとき、第八駆逐隊司令の佐藤は『我野島艦長トノ約束アリ 野島救援ノ後避退ス』と発して朝潮単艦で救援に向かっていたが、それ故に集中的に狙われて被弾を重ねていた。
時津風はひたすらに神経をすり減らし、日没まで耐え抜いた。
夜間になり味方を救助していると北方退避していた味方駆逐艦が合流。救助した生存者を預け、時津風は更に救助活動を続行。
早朝、漂流中の野島艦長以下、龍驤乗員多数を救助。
その生存者から長野は同期の最期を聞くこととなる。
「佐藤司令は『俺はもう疲れたよ。このへんでゆっくり休ませてもらうよ』と私に仰いました。退艦後に朝潮を見たところ、甲板の構造物に腰をかけ、艦橋を見上げておりました」
「…そうか」
「『長野、あとは任せた』と言伝を預かりました」
そう、野島の艦長から涙ながら伝えられた長野は艦橋から空を睨んだまま。
「杉本艦長は爆撃により負傷。総員退艦命令を発令後、最期は龍驤と共にされました。長野参謀に『おんしにまかせっと。ワシは休む』と言伝を頼まれました」
「…そうか、ご苦労だった。休め」
龍驤の参謀の一人からそれを聞き、それだけいうと口を真一文字に固く閉じて艦橋から相変わらず空をにらんだままだった。
その後も魚雷挺や爆撃機の襲撃を撃退、回避しつつも救助活動を続け、乗員の疲労、燃料がこれ以上の任務続行に耐えられないと判断し撤退する。
途中、撃墜されたA―20の生存者2名を救助。
ラバウルまで四海里程の位置で燃料不足で機関停止に陥ったが、雪風に曳航される。
東京の街を走りながら時津風はその時のことを思い返した。
「なぜ、コイツら米兵など助けたのでありましょう? 乗員は殺気立っております。奴らが機銃掃射したところを貴方も見ていたはずです」
時津風の艦長室ではA―20の生存者捕虜の2名と長野と時津風の艦長。艦長が長野に詰め寄っていた。
捕虜がこの場にいるのは救助者がたくさんいる他に置いておけば、何をされるかわからないからである。
「…艦長。これから話すこと少なくとも戦争が終わるまでは口にしないと誓えるか?」
眼光炯炯で長野が艦長に問えば、静かに首肯く。
「この戦争、間違いなく負ける。責任を取る立場の山本長官は前線視察中に戦死された」
「なっ!?」
「黙って最後まで聞けっ! そもそも上は陸軍海軍共に誰も勝てると思って戦端を開いていない。それでも始まったのだ。山本長官の首を差し出すことが叶わなくなった今、責任の押し付けあいで我が国は混迷の一途を辿るだろう。最終的に我が国が負けたときに悪逆非道の鬼畜国家と罵られる事態になる。少しでも心証を善くせねばならん。もう既にフィリピンで陸さんがやらかしているのだ。挽回には遅いかもしれない。だが、開き直って武士道に悖(もと)る行いをするわけにはいかん。俺とてコイツらを斬り捨ててやりたいが…辛抱せねばならんのだ。それが祖国が生き残る為になるのだ…。わかったか」
そう言って握りしめた拳。
そこから血を滴らせていた背中は大きくて、寂しそうだった。
ずっとしれーは難しい事を考えて、なんとかしようってがんばってたんだ。いっぱい悲しいのに、この国を守るって。だから、みんなもがんばってしれーを守ろうってずっと追いかけたんだよ。でも待ってくれないと追いつけないじゃん。
マリアナもレイテも嵐の海もしれーはいつも先にいるんだもん。
無理な作戦はやだー、凄く嫌。でもしれーに置いていかれるのはもっと嫌なんだよぉ。
だからずっとずっと追いかけたんだよ。
それなのに、やっと逢えたのにい、あたしを置いてっちゃっダメなんだよぉ。
あたしね、艦むすになってずっと寂しかったんだ。
初風にも雪風にも天津風にも会えたけど寂しかったんだー。
だから、しれーが生まれ変わった? また会えるって聞いてすんごく嬉しかったんだー。雪風といっしょに会ったらどうするかいっぱい考えてさ。
『お、時津風か。懐かしいな? 俺だ長野だ』
でも、こんな偽物なんていらない…。いらないっ!
「軽々しくしれーを騙るなーーー!」
そしたらさ、いっぱい、いーっぱい怒られて、深海棲艦を見るみたいにあたしを見てさー。あいつらしれーの事だって悪くいうんだよ。あたしはいらないから父島に行けって。初風も雪風も天津風も悪くないのに一緒に付いてきてくれてさ…。
だからね、がんばって守ってたんだ。時津風はすごいって思われるよーに十六駆がすごいって言われるようにがんばったんだよ。でも、にんげんは誰もほめてくれないの。たまにくるしれーもどきはぜんぜん、ぜんぜーんわかってないの。だからすぐに天龍と龍田が追い返す。
思ったんだ。
「なんでこんな国を守んなきゃいけないの?」
そんな風に思っちゃったんだ。
「そうね~。じゃあ滅ぼしちゃおうか~?」
龍田が笑っていうんだもん。駄目なのに。あたしだって、にんげんはみんな悪くないんだって知ってるもん。
しれーが、ぜんぶ賭けて守ろうってしたんだもん。
「ダメにきまってるじゃん」
「そうね~。そんなことしたらあの人が悲しむわ~」
龍田はときどきいじわるだよ。
だから、時津風はしれーの守った国を守んなきゃダメなんだよ。あの日、しれーの乗った金剛に追いつけなかったから、しれーを守れなかったから、…かわりに守んなきゃダメなんだよ。
そしたらさ、きっとしれーは喜んでくれるって思ってたんだ。しれーはいらないけどやっぱり寂しかったんだー。
「長野業和という。宜しく頼む」
そしたらさ、しれーがくるんだもん。雪風といっぱい考えてたこと、ぜんぶ忘れちゃった。でも、うれしー! 凄くうれしー! しれーの体は暖かくてあの日から時津風の胸はぽかぽかしてんの。でも、しれーはときどき悲しいの? 寂しいの?
しれーが悲しくないように寂しくないように時津風が頭に乗っててあげる。そしたらさ置いていかれないし!
だから、
「しれー! しれー!」
置いていかないでよ。
「しれー!」
見つけた。見つけたー! 大きなもみの木の前にいた、しれーを見たら前が見えづらくなった。
「しれー! しれー!」
しれーの体はぽかぽかで、
「…やだよっ…置いてっちゃっ…やなんだよぅ…」
いっぱい言おうと思ったことがあったのに。
「ごめんな。駄目な提督だったな」
しれーにぎゅっとされたら、どうでもよくなっちゃった。ほんとしれーはダメダメだから頭の上で時津風がいっしょにいてあげるー。
夜になっても明るい街を歩く。あたしはしれーの頭の上に乗って。
ギターケースってやつをしれーと一個ずつ背負うとパカパカとぶつかってちょっとうるさい。
「しれー」
あたしは雪風と考えてたことをじっこーする。
「…なんだ?」
「トゥルデルニークが食べたい」
物知りといわれるしれーを困らせるんだー。
みんなを悲しませた罰なんだよ。
「…ふむ」
えー知らないのー? って言ってやるー。
「シナモンが心許ないが、どうにかしてみよう」
「え、知ってるの?」
「チェコスロバ…チェコの伝統菓子だな」
「んなバカな」
くやしい、くやしい。
むぅ。雪風といっしょに調べたお菓子、あとは…あとは忘れちゃった。
「……」
「しれーどーしたの? 悲しいの?」
苦しい? お腹いたい? どーしたの?
「皆にひどいことを言ってしまっただろう?」
しれーはしょうがないなー。
「時津風がいっしょにあやまってあげる」
「…そうか、良い追い風だな」
そう時津風だからね!
知ってる人は知ってる豆。
微速、半速、原速、強速、第一、第二、第三、第四、第五戦速、最大戦速、一杯の順で速くなる。
減速じゃなくて原速であってるからね?
おまけ
図鑑説明 龍田(苺味)
軽巡洋艦、天龍型2番艦の龍田よ。
生まれは佐世保なの。
天龍ちゃんと共に第18戦隊で色々と頑張ったわ~。
最後は満身創痍でたどり着いた天龍ちゃんが生まれた横須賀でお役目を終えたのよ。
ほんと潜水艦と航空機の波状攻撃は参ったわ~。
龍田さんは大規模近代化改修中にドックで終戦を迎えております。