提督(笑)、頑張ります。   作:ピロシキィ

73 / 87
ねぇ、ほんとに小規模作戦なの?(´・ω・`)



提督(笑)と主計

 

 

──あの時、我々は確かに熱狂の中にいた。言い換えれば人工的な狂気だった。愚かな行いであったと歴史家たちは語るであろう。それでも我々にもう一度があるのならば、喜んで提督の下で死力を尽くし戦いたいと思うだろう。

 

     『戦艦金剛 最期の戦い』より抜粋

 

 

 

「あの日も雪が降っていた」

 

 詠氏は降り続く雪空を見上げ語り始めた。

 

 

 戦争が終わって、私は遺品を届けに汽車に乗り、司令の実家に向かっていた。川を渡り群馬に入ると汽車を揺らす程の風が吹いていた。客車の中、軍服姿の私に向けられる視線と車窓の外で吹きすさぶ風のどちらが鋭いのだろうか? と得もない事を考えていた。

 

 私が鋭い視線とは何故か問うと、詠氏は苦々しい表情で答えた。

 

我々、軍人が不甲斐ないから戦争に負けたのだ、という視線だと答えた。それは民衆からすれば当たり前と言えば当たり前の感情に思えるが、それまでの戦争報道で日本が苦境に陥っていたことを公表せず抽象的に勝利しているかのごとく発表を行っていた反動が大きかったのではないだろうか。詠氏も負けた責任に対しては否定しないのだから。

 

だが、私は彼ら軍人を一方的に悪と決めつけてしまうのは如何なものであろうと考える。

せめて彼らが何を思い命を懸け戦ったか、そこを考えるべきではないだろうか。

 

さて、詠氏の回想に話を戻す。

 

 

 

 私と司令の出会いも雪こそ降っていなかったが冬だった。

 

 

 

──1939年(昭和14年)1月

 

 

 鉛色の空と肌を刺す風はまるで今の国内の不穏な空気に同調したように感じられた。

 

「主計長、艦長はどのような方なのでしょうか?」

 

その日、詠進一主計少尉は巡洋艦『五十鈴』に着任した。

 

「……軍人というよりは学者のような方だ」

 

 狭い艦内を五十鈴の主計長の後に続く。

組織というのは巨大になるほどに構造的な欠陥と多くの問題を内包する。それは大日本帝国陸海軍、ひいては大日本帝国そのものも諸外国も例外というものは存在しない。それは人類史が記されてからの普遍的な事実といえるだろう。

 

 さて、日露戦争後に海軍経理学校と改称し、主計科士官要員を育てる軍の養成学校であるが、この学校の入学は非常に高く狭い門である。日中戦争が始まる前は採用枠20名程。短期現役士官(旧制大学卒業者等を対象に特例で現役期間を2年間に限って採用した士官)ですら倍率は25倍以上あったと言われるほどだ。その狭き門を潜り抜けた主計士官は俊才中の俊才達である。難関と言われる兵学校、機関科学校出身者ですら下に見る傾向があったことは否めない。

 

 五十鈴の主計長である男は最も採用枠の厳しい時期に入学を果たし、自然エリート意識は高くなった。表面上は取りつくろうが、艦の誰よりも賢いとの自負が滲み出ているのを詠は見てとれた。

そのプライドの高そうな男が学者と言う。果たしてそれは主計科にある程度の理解があるから故か、それとも学者風を吹かせた偏屈者か。と。

 

詠という男は海軍という組織にひどく醒めた考えの持ち主である。いや、そう考えるように至ったという表現のほうが正しい。主計の仕事というのは多岐に渡る。

庶務・会計・被服・糧食の管理。士官の秘書のようなことまでこなす。言わば雑事と片付けることもできる。されどその中の庶務一つとっても戦闘時における戦闘報詳から弾薬・燃料消費における補給手配の申請。その他もろもろ艦を動かすに必要な書類は全て主計科の仕事と言っても過言ではない。言わば縁の下の力持ち。だが、大陸の情勢は不安定であったが概ね海軍は平穏であった。故に海兵の多くが主計の仕事は飯の献立を考える飯炊き班。そのような認識がまかり通っていた。平時(というには些か不穏な情勢だが)ゆえの不幸。各科の軋轢が至るところで散見されていた。詠は海軍に憧れ、海軍兵学校の門戸を叩いた。しかし、若干の弱視から入校することが叶わず、それでも諦めきれずに海軍経理学校へ進み主計士官の道を選んだ。しかし、実際に組織に身を置くと開明的といわれた海軍でも、各兵科との格差や不条理を強いて暴力を部下に振るう士官、下士官。勇ましい言葉を並び立て憂国の士を気取りながら食糧庫から盗みを働く兵。そういったものを目の当たりにして当初あった憧れや情熱は枯れ醒めきった。若さゆえの潔癖。この当時でも現在でも見られる傾向だが、詠はその中でも郡を抜いてそれを持っていた人物であった。

 

「失礼」

 

艦長室の前、声をあげる前に水密扉が開く。

いかにも技術士官といった男が三人。皆、背嚢、鞄、脇に丸筒をいくつも抱えている。男達は身をよじり、詠達に不馴れな敬礼をして去って行く。

 

「艦長、入ります!」

 

開いたままの扉の前、主計長が口を開いた。

中から見えていたのであろう。すぐに「入れ」との声。

大きくも小さくもないよく通る声だと詠は思った。

 

主計長に続いて入室する。

 

そしてしばし唖然とした。

 

巡洋艦の艦長室は決して広くはない。艦隊司令部のある戦艦長門ですら、大の大人が四人も入ると圧迫感が感じられたほどである。さらに小さい軽巡洋艦の五十鈴でその部屋はまさに足の踏み場もないといった様相を示していた。移動式の黒板には数式が書き込まれ、その上に図面が張られ、床や机に乱雑に積まれた専門書や書類。模型のようなものからギター。

製図台の前、こちら見る男の視線に気付き、詠は慌てて敬礼と着任の挨拶をした。

 

「詠進一少尉。本日より着任いたします。ご指導ご鞭撻のほど宜しくお願い致します」

 

「ご苦労。艦長の長野だ。宜しく頼む」

 

 詠はその日、後に彼の人生に多大な影響を与えることになる傑物と出会う。

 

 

 

 詠が五十鈴に着任して一月あまり。詠の仕事は艦長の秘書のようなものを兼ねることになった。もともと長野という艦長は多忙を極めていた。短期任官でも構わないので主計科の人員補充を掛け合っていた。それが通る程度には長野は海軍の信頼と期待を背負っていたと言える。そこに詠が充てられたのは如何なる運命の悪戯であったか。

 

 昭和14年の2月に紙面に民間が所持する金製品の、政府による強制買い上げという記事が載った。

 

眉間に皺を寄せて天井を見上げる長野は呟くように口を開く。

 

「性能がほぼ同じものを陸と海で別々に開発する。馬鹿げている。主計、航空本部に行く」

 

「移動の手配は?」

 

「不要だ」

 

大日本帝国の陸軍と海軍という組織は仲が悪い。後の戦史研究者達が「リソースの無駄遣い」と口を揃え言う程に仲が悪い。金製品買い上げという政策をしなければならないほど当時の日本は経済基盤が脆弱であった。にもかかわらず、長野が言ったように巨大な金食い虫の軍隊が非合理的な兵器開発を行う。太平洋戦争中期になるまでこの状況は続いた。それを憂慮する人材は陸軍と海軍の双方にもいたが、巨大組織の中で声高々に提唱したのは少数であった。その一人が長野だ。

 

 彼は1898年5月◯日 群馬県群馬郡渋川町(現:渋川市)で旧上野沼田藩士の家系に生まれる。

祖父の業景は戊辰戦争時、官軍に降るのを良しとせず脱藩し会津藩側で戦った(沼田藩は会津藩と婚姻関係があったことから)志士であるが、両親は豆腐屋を営む至って平凡な家庭で育つ。いかにして軍人を志し頭角を表したのか? 日露戦争の海軍の活躍が少なくない影響を与えたのではないだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

パタン──

 

 

 

 本を閉じる音で目が覚めた。

 

 ぼやけた視界は寝起きによるものではなく老化による衰え故。今年、白寿を迎えるのだから無理もない。

薄暗がりの部屋で寝ていたようだ。はて、ここはどこだろうか、と記憶を辿ろうとしたところで左腕に違和感を感じた。

ナイトテーブルに付随する常夜灯が年老いて枯れた左腕に刺さる細い管を浮かび上がらせていた。視線をたどり透明な点滴バックへと行き着けば、だんだんと記憶が甦ってくる。

 

「…あと五年」

 

 と呟いた声はしゃがれて、喉の乾きを覚える。

視線を動かせば右側に置かれたナイトテーブルには水滴が伝う水差しが置かれていた。

手を伸ばすが、このまま水差しを取れば覆水盆に返らずではないかと思いとどまる。ことわざの意味ではなく由来の方であるが、つまり溢してしまう。

手をいっぱいに伸ばしてようやく届くかという広いベッドに寝かされているのだ。反応の鈍い体を起き上がらせて再び手を伸ばす。

 

横から白い影がするりと伸びる。

 

 水差しからグラスに水が注がれ、ゆっくりとこちらに差し出された。手に取ればひんやりとした温度が伝わり、なんとも気持ちよく感じられる。

 

水が喉を通り越して一心地ついた。

 

 太公望は離婚だが、自分は妻との死別であり、普段は一人で隠居生活を送っている。昨夜……自身が何日も寝ていたのではないのなら昨夜だ。古い馴染みから連絡を受けて故郷から上京してきた。馬鹿馬鹿しいとは思いながらも沖縄に行く算段をつけるついでだ。そして東京の暑さというのは老体の意識を刈り取るには十分すぎる威力を発揮したようだ。

靖国で熱中症に倒れ、病院に担ぎこまれた。

宿泊先はホテルのような病室だった。政治家時代、馬鹿が収賄の容疑で逮捕されそうになったとき、体調が芳しくないと逃げ込んだ病院にこのような病室があったことを思い出した。ならば、水を差し出したのは医者か看護師か。

 

視線を向ければそこにはおらず、カーテンを開き窓から空を見上げていた。

 

「……今夜は月は出ていないな主計」

 

グラスが手から滑り落ちた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 千の顔を持つ男こと業和です。真名は壱業と申します。怒濤な一日? を過ごし現在、次の日の夜です。

 

 細倉にフライングクロスチョップで銃を叩き落として殴る蹴るしようとしたけど、あの野郎、離さないんでやんの。仕方ないので宍戸梅軒ばりに絡み付いて落としてやったが、トッキーにマウント取られて、制服を破られ、はだける俺という誰得ないろいろアウトな状況で。小銃持った方々が突入してくる怒濤な展開。

突入の際にスタングレネード投げ込むのは基本だと思うけど、

 

「「目が、目がぁ〜!」」

 

とトッキーと一緒に悶絶。

俺は大佐じゃないのにっ! ……いや大佐だった。

あと三元というおっさんは俺に投げ飛ばされ、細倉に撃たれ、スタングレネードの直撃を受けて失禁、失神、泡をふくという超絶コンボを食らったらしい。南無。

 

彼がいた理由は、金剛を他国に派遣という名の身売りをさせようとしていた細倉に抗議していたからだという。

 

え、めっちゃ良い奴やん! 

 

と思ったが、そうでもないらしい。

思想が右に傾きすぎて全方位敵国だっていう感じで、末期の頃の陸軍の青年将校が本土決戦で二千万の犠牲を払えば講和に持ってけるなんて言ってたけどそれに通ずるものがあるのだとか。

……海軍さん、こんな人が中将で大丈夫なんでしょうか?

と思ったけど帝国海軍にもこいつが中将で大丈夫なん? っていうのもいたからな。

乙事件と捷一号までは防衛に撤しろ命令を破ったことは忘れない。おかげでレイテで艦隊全滅しかけたからな。ま、乙事件の方は全方位に言いふらしたけど。

思考がずれた。

三元のおっさんのことだ。このおっさん要人暗殺未遂の黒幕だというのが判明し拘束された。暗殺対象は俺。

うん、意味がわからないな。

一介の海軍士官候補だった頃の俺に何の価値があったというのか、数ヶ月前の鹿島とお出かけしたあの日の襲撃だ。

おっさんの軍籍剥奪は確定らしいけど、刑と後釜をどうするかで揉めてるらしい。

舞鶴で司令やってたおっさん。舞鶴は知ってると思うけど日本海側だ。日本海の深海棲艦は今日まで強力な個体は存在しないとされている。

それにも関わらず駆逐されていない。日本本土近海から追い払うというのが基本スタンス。

 

イヤー、何か関わりたくない黒いものが見えてくるよね。

 

今の日本海側の防衛スタンスに与野党、軍部に支持者が一定数いるのだから下手に正義感強い人物を置くのもどうかっていうのと、おっさんの今までの功績もある程度汲んでやれよという感じなのだとか。ほんとに色んな人の思想、思考が複雑に絡んで全体で深海棲艦の撲滅を掲げてはいても一枚岩にはなれないという人類のジレンマを垣間見ましたよ。

 

……取調室で。

 

俺氏、拘束される。ちなみにカツ丼は出なかった。

まぁ、そうなるな。としか言えないのだけど。ただ、半日ほどで解放された。娑婆の空気はうまいぜ! と徹夜明けでナチュラルハイになっていたところ、我が妹が頭押さえている姿を発見。夏の暑さにやられでもしたのではないかと心配して声を掛けた。

 

「大丈夫か?」

 

「大丈夫ではありません! 兄様、この時代で誰を頼れば良いのか分からないのは理解致します。ですが、全て一人でなさるのは間違っております。この文乃に相談してください、頼ってください。家族なのですから、貴方を想う彼女達を頼ってください、大切な絆のある子達なのでしょう?」

 

と文乃の後ろには泣き腫らした指揮下の乙女達の姿。

妹の言葉は真摯に受け止め、「すまない、ありがとう」と言った。ほんとはもっといろいろ言葉を並べたいのだが、兄ちゃん口下手やねん。何か説明するときとか割かし長文しゃべれるけど。万感の感謝をこめて白くなった頭をひとなでし、文乃の後ろの乙女達に向き直り、一人ひとりの顔を見た。そして皆の前で頭を下げる。

 

「皆にひどいことを言った。すまなかった。許されるならもう一度一緒に戦って欲しい」

 

虫の良い話だった。だが、やらなければいけないことがあるんだ。だからお願いします。全て終わったならこの身がどうなろうと構わないから。

 

「デェドグゥゥゥ」

 

と金剛の胸に抱き締められたのだと気がついた。

「提督」「司令」という言葉と共に温もりと重みが増えて……増えて……、

 

ちょ!? 一人二人ならともかく十を超えたら無理だから――っ!

 

押し潰されて何も見えなかったが噎せるほど何か良い匂いはした。でもこのままだと窒息しそうだった。

どうにか艦娘の山の中から這い出す。

色々と当たったり触ってしまったりしたが不可抗力であろう。

 

どうにか頭が外に抜けたところで妹が俺を見下しながら言う。

 

「兄様、会っていただきたい方がいます」

 

「……兄は妹の結婚には反対である」

 

お兄ちゃん許さないんだからねっ!

 

 

 

 

 

と言って数時間後という頃。場所は病院の一室。

噂には聞いたことあるけどホテルのハイグレードな部屋みたいだ。

妹の会って欲しい人は結婚相手ではなかった。

そもそも、ユーリエちゃんというひ孫がいるのだから、妹は既に結婚しているのだ。お兄ちゃんウェディングドレス姿見てないんだけど……。いや、時代的に白無垢だったのだろうか、とにかく相手は誰だよ。ぶっ殺してやる。

 

──既に鬼籍に入っているようです。

 

……冗談だよ。半分くらい。んで、どんな人だったのかわかるのミック先生?

 

──鳴かず飛ばずの童話作家だったようです。

 

 童話作家……作家かぁ……。作品はともかくあの時代の物書きって人間性は駄目人間が多かったんだよな。資産目当てで騙されたんじゃ……なんて考えてしまう。それでも文乃が幸せであったのなら別にいいかとは思うのだが、全く知らない人間よりは知っている人間がお相手であったらと考えしまうのが人の心情ってやつだろう。

 

  VIPな病室で眠る老人は未だに目を覚まさない。

年齢は文乃より五個か六個上である。もう百歳間近ということだ。しかし、幸薄少女の方を選ぶとはなぁ。

吉原に身売りに来ていて、たまたまそこにいた俺が買い取った少女のサチ。まぁ、彼女もずっと結婚しないので心配ではあったのだ。戦争末期の頃には完全に行き遅れと呼ばれる年齢になっちゃってたものな。うちの母上、凄い可愛いがってたし縁談とか養子にしようとしてたけど彼女は固辞し続けた。最終的に母上から「おまえ、結婚する気がないならこの子を嫁にしろ(意訳)」とか言い出される始末だ。いや、あれは母親故の優しさだったのかもしれないな。でも彼女は「これ以上のご恩を受けたら」なんたらかんたらって言って断った義理堅いお嬢さんであった。

 

……あれ、俺って遠回しにフラれてたんじゃないの?

 

やめよう悲しくなりそうだ。とりあえず彼が起きたら二人の結婚に対して祝辞を述べよう。彼がノンケであったことも喜ばしい。「月が綺麗ですね」とは本当にそのままで深い意味はなかったということだ。本当に喜ばしい限りである。ただ、もう一人のほうには伝えることができないのが悲しい。七十年という時間は残酷だ。

 

 

せめて幸の多からん来世を願う。

 

 

ちょっとしんみりしてしまったな。気分を切り替えて何かするか。といっても病室で騒ぐわけにも行かないのである。

 

――読書などいかがでしょうか? ちょうどそこに本が置かれています。

 

まぁ、無難な選択である。

 

 

…ってまたこの本かーいっ!

 




おまけ


図鑑説明 龍驤(苺味)

軽空母だけど、結構歴戦の空母なんよ、うち。
インド洋なんてうちの独壇場やったわ。
ああ、ダンビールな。まあ、あんまりにも多い飛行機相手は勘弁やな。あれはきつかったわー。いや、ホントありえへん。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。