板張りの床に正座は辛いものがある。
「ほら言うてみい」
腕を組んでこちらを見下ろす龍驤はん。
ちなみにあっちのほうで餓えた狼さんを孕ませた提督さんが神通さんと正座で向き合って話し合っている。向こうは畳の上である。
「ねー、なんで龍驤は怒ってんのー?」
人の膝の上に乗るんじゃないよ時津風。いくら軽いとはいっても、こちとら板間で正座してんだぞ。
「さんをつけんかい!」
「えー?」
「えー? やないで!
なんで龍驤がこんなに怒っているかといえば、俺が神通さんと騒ぎを起こしていると何処からか聞き付けてやって来たところ、何故か朝潮さんの手を握って感極まっている俺がいるという謎の状況。
「なんやねんこの状況?」と呟いた龍驤に朝潮さんが、「再会が果たされ感極まりました」と律儀に涙声で答えて上げたら、あら不思議、吼える龍驤の出来上がりである。
「じゃ龍驤ものるー?」
だから何度もいうが俺の頭の上はアトラクションじゃないと……口に出して言ったこと無かったわ。
「いらんわ!」
もちろん、ウチかて龍驤のことは大切な仲間だと、そう思ってるで?
セヤかて龍驤、オマエさん俺にあったときの第一声なんやった? チンピラの如く絡んできてたやん。しかもだ、指揮下の娘に縛られてズボンを脱がされそうになったりナガモンにお姫様抱っこされたり、そのナガモンが平波や南鳥島の基地を破壊の限りを尽くしたりとか色々あって頭痛が痛い状態よ? 小粋なボケでも挟みたくなるもんじゃろ。
「朝潮」
「はいっ!」
元気いいなぁ。
「龍驤の隣に並べ」
「朝潮、了解しました」
「なんや?」
今現在、龍驤は暑いのか水干みたいな上着は脱いでいる。つまりは朝潮型の服装とひっじょーに似た姿と相成る。
「龍驤型駆逐艦」
これがお笑いにおける天丼である。
「……」
「……っ!」
無言で肩にグーパンは良くないと思う。
仕方ないのでグーパンしてきた彼女の手を包み込んでやる。伝われ俺の思いの丈っ! 朝潮も龍驤も駆逐艦の長女同士、皆、俺の同期が乗ってたし似たとこも多いっ! 俺たちは仲間だっ!
「…なんやこの得も言われぬ微妙な感覚」
解せぬ。
「テートクー! 愛しの金剛ちゃんがもどったヨー!」
手にいっぱい袋を持った霧島を引き連れて、一目散にかけてきたであろう金剛。どうして俺の居場所が彼女たちには分かるのだろうか?謎である。
「司令。長野司令」
「主計、なにか?」
主計さんは俺が神通さんとやりあってたときに観戦しながら電話かけてた。薄情もの!
「これから向かいたいところがあるのでご同行願えますかな」
ほう、何処へ行こうというのかね?
人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。
急ぐべからず。不自由を常と思えば不足なし。
こころに望みおこらば困窮したる時を思い出すべし。
堪忍は無事長久の基、いかりは敵と思え。
勝つ事ばかり知りて、負くること知らざれば害その身にいたる。
おのれを責めて人をせむるな。
及ばざるは過ぎたるよりまされり。
老人はテレビの前で騒ぐ孫たちを眺めながら、ふと徳川家康の遺訓と呼ばれるものが頭に浮かんだ。
外では夏の強い日差しと気温に蝉時雨。一方、家の中は空調による快適空間のなかで、孫たちが寝転がりながらピコピコと手元を忙しなく動かしながらテレビゲームで一喜一憂。ごくありふれた日常である。
盆に息子、娘夫婦、或いは孫夫婦が子供を連れて里帰りをしている……というわけではなく疎開してきたという点を除けば、であるが。
そう疎開である。
国家総力戦、戦時体制といっても過言ではない状況にあるにも関わらず、未だにその感覚が鈍いのは老いたせいなのかと自問する老人。
卓袱台に置かれる新聞に目がいった。
多くの新聞、ニュースはこの状況でさえ、ただただ政権批判、ミスリードを誘う文面にて不安を煽る事ばかりに躍起になる。もはや報道機関ではなく情報操作機関といった方が正しい。新聞など国の発表や統計にバイアスをかけた二次報道にしか過ぎないというのに、それに釣られてしまう人間のなんて多いことか。一部の良心的な報道機関がそのあり方に苦言を呈しているが、会社が潰れて頭を総入れ替えしない限り、その会社の体質は変わることはないだろう。まぁ、それすらも新聞法で守られている現状では難しい事などだが。
それは戦前から見てきた老人にとっては分かりきっていることだった。あの夏の日の提督との会話を思い出してて老人は苦笑いを浮かべる。
もう戦える力がほとんど残っていないのに新聞は大勝利、勝って賠償金をと囃し立て続ける。
「これでは戦争は終わりません」
「彼らは理念の人だ。勤め人にはなれんよ。学校の先生か役人、新聞屋位しか道がないのだろう。それでも我々はこの戦争を終わらせねばならない」
それで貴方が死にに行くことになんの意味があるというのか、その言葉をグッと呑み込んで見送り、ついぞ約束は果たせないまま今日に至る。
当時は良くわからない答えだったが今なら良く分かる。
戦後の経済成長の中で、極端な話だが24時間働ける人間と24時間議論できる人間、企業はどちらが欲しいかということである。つまり教師、教授、役人になれないものが行き着くところが報道機関ということなのだろう。これが報道機関の平常運転であり、いつもの日常。鈍いのは自分が老いたからではなく、この国全体であったかと結論づけた。
あれから七十年。ずいぶんと長く生きたものだと新聞の日付を見つめ、老人は感慨に浸る。
ゆるりと滅びゆく国にもはや思い残すことはない。
いや一つだけあるのだが、それでも自分は十分生きたので諦めはついている。ただ心残りがあるとしたら子や孫たちの今後の人生であろう。
海に現れた化け物は提督の化身だと言う者がいる。
堕ちた神が悪鬼となりて国の滅びを望むのだと。
「………本当に提督がそれを望んでいるというのか」
果たせなかった約束。照りつける太陽のもと見送ることしかできなかった背中は今でも鮮明に思い出せる。
「じーちゃんなにか言った?」
「いや、何でもないよ」
中学生になり多感な時期となった下の孫の声に対して緩く首を振って答える。
「……おや? それは陽炎型か?」
孫たちが遊んでいるテレビ画面には海を疾走する懐かしの軍艦の姿。
「じーちゃんしってんの?」
と下の孫が驚いた顔を向ける。
知ってるもなにも自分はそれに乗っていたと老人は口を開こうとして思い止まった。しかし、いくらか思巡したあとに口を開いた。
「じーちゃんはそれの艦長してたんだ」
敗軍の将は兵を語らず。戦後、多くの将官、特に現場指揮官たちは固く口を閉ざした。家族でさえ軍人だったのは知っていても何をしていたか、どういう役職であったかなど知らないことがままあった。改陽炎型駆逐艦天津風の艦長。もっとも、自分が艦長となったのは艦の上官たちが皆、戦死してしまったからであったが……。
「え、まじで!?」
今度は高校生の上の孫が驚いた顔を向ける。テレビ画面では軽快なファンファーレが鳴り響き、孫たちは再び画面を振り返った。
「え、おお、まじか!?」
「にーちゃん、レア艦長来た!」
画面にはどことなく見覚えのある旧海軍の制服姿の男のグラフィックが浮かんでいる。
「いくつものミッションや称号を経て、尚且つガチャ。しかも確率は1パー以下のアドミラル信濃が……」
上の孫が唖然と呟いているが、ゲーム用語が全くわからない老人。ただアドミラル信濃という言葉で何となくではあるがクジで当たりを引いたのだろうということは察したのであった。
「何がきつかったって? 最後の希望から逆転勝利を七回だ。なによりコラボイベントで苺ちゃん使うと実績リセットとか運営に殺意を覚えたわ!」
一体、上の孫は何をぶつぶつ喋っているのか老人には分からなかったが、アタリはアタリでも相当良いアタリだったのは雰囲気から感じとった。
そんな時に、玄関のチャイムが鳴る。
弱った足腰に力を入れようとすると下の孫が「俺が出るよ」と軽快な足どりでかけていく。
いくらもしないうちに戻って来る孫が告げる。
「じーちゃん、なんか着物着た山村って人が会いに来たよ」
「山村? はて……」
直ぐには思い出せないが、わざわざ訪ねて来たのであるから会わねばなるまいと、卓袱台に手をつきよろよろと立ち上がる老人。
そして玄関先に出向いてみれば、杖をついた和装の老人が立っていた。
「ご無沙汰しております。森田艦長」
海軍式の敬礼をするその人物をみて老人、森田は目の前の人物の事を思い出した。
「あぁ山村君。本当に久しぶりだ。どうか遠慮なく入って欲しい」
「お気遣いはありがたいのですが、他にも回らなければなりませんので手短に用件をお伝えしたいのです」
「それは残念なことだ。では用件を伺おうか」
「沖縄へ行って頂きたい」
「沖縄?」
と疑問を待ったが、あれよあれよとのうちにジャンボジェット機で沖縄へとついてしまった老人、森田である。
機内には自分と同じような年齢の老人たち。それも大体が老けていたが見覚えのある連中で、そのものたちと共に慰霊祭へと赴き、そして今はホテルの宴会場である。
そして老人が集まれば昔話に花を咲かせるのは自明の理でもある。
ましてやここにいる者たちは、大日本帝国における最後の反攻、坊ノ岬沖、オホーツク海、相模灘空襲を見届けた生き証人たちなのである。
「我々は傷付いて膝をついて立ち止まり、時が癒した。そして立ち上がって前へ進んで、もうすぐ棺桶に浸かるところまで来た。そこで振り返ると思うわけだ。
かろうじて国体も誇りも守られた。代償に連合国にあれやこれやと指示されることとなったが戦後の復興からこの国は豊かになった。しかし、同時になにかを失ってしまったのではないだろうか? 年を取ってからそんなことばかり考えてしまう」
「失ったものはあまりに多く、得たものなどなにもない戦争だったからなぁ」
「悲劇は理想家によってもたらされる、か」
「その悲劇の尻拭いをするのがいつの時代でも優秀な現実主義者だ」
「熱狂して始めた先の見えないあの戦い。調べて知れば知るほど愚かだったと思い知らされる。英国とソ連に物資を供給し続け、それも潤沢といえる程の量を。さらに自国の軍備を拡大させつつ欧州に派兵し、太平洋では日本相手に物量で圧倒する戦い方。日本はヒィヒィと爪に火をともすような戦いを強いられていたというのに。彼らの国力からいえば我々など片手間で相手にしていたに過ぎないと思わされるよ」
森田は目の前で話す老人たちの話しを聴きながら相槌を打つ。
「でな、一番下の孫娘がついに結婚してな。相手は空軍の軍人だって言うもんで、孫が式で一発挨拶かましてくれっていうからな。俺も昔は戦闘機乗りだったって挨拶してやったわけよ」
「烈風は良い機体だったなぁ」
「そうよ! 新郎側の同僚たちから何に乗っていらしたのか? なんて聞かれたから、坊ノ岬で烈風に乗って戦ったって言ってやったら連中大騒ぎよ!」
「まぁ、俺たちは化け物揃いの飛行機乗りからしたらひよっ子扱いだったけどな!」
「にやけるの堪えるに苦労したぜ」
この一角は理知的にしみじみと会話しているから気が楽ではあったが、別に視線を向けるとまた違った雰囲気に包まれているところもあった。
「大東亜共栄圏などはまやかしだ!」
「なら、お前は東南アジア諸国が列強の植民地のままのほうが良かったって言うのか!」
「そうはいってない! よしんば日本が戦争に勝てたとてアジア諸国を支える力は我が国にはなかったと言っているのだ! その先は列強国以上の搾取しか手はない」
「なら、なんのための戦争だったというのだ!」
顔に怒りをにじませたその者は、酒のはいったコップを叩きつける。
ゴンッと鈍い音が響き、一瞬静まり返った。
「おう、帝都事件以来か」
そこに着物姿の老人が会場入りすると、皆が一様に視線を向けた。
「山村ぁ、憎まれっ子世に憚るとはよう言うたもんや。慰霊に参加もせんと重役出勤か」
会場入りした老人が近くの者に声をかけるが返ってくる言葉は皮肉であった。
その二人の人物は過去、共に同じ旗印を仰ぎ、死をもって祖国を守らんと志したが、結果的にそれは叶わず。その後の確執が二人の関係を今日に表していた。
戦後、方や「東天に昇る、かげりのない、朝日の清らかな光」という願いを胸に旭日章を制服に纏う道を進んだ男。
方や「日陰に落ちる、敗者、失望者、失墜者にも生きる道を」という願いを胸に古典的な意味合いの強いヤクザとなった男。
1960年に起きた帝都事件。
政治家や政府機関を狙った連続爆破・狙撃事件である。
経緯はどうであれ、東京に拠点を置く反社会的組織が疑われるのは自然であり、そこで厳しい取り調べや追及を受けた事が起因となる。結局は犯人が捕まり組織は無関係であったものの、両者に痼が残るかたちとなった。
「こちらにもやるべき事があった」
「で、なんで死に損ないの俺らを大集合させたんや、理由あるんやろな?」
「詠さんから直々に今回の話があり、飛行機の手配などは文乃さんだ。詳しくは知らんが出来るだけ死に損ないを集めろといわれたんだ。儂とて老体に鞭打って動いた。文句ならもうじきくる詠さんに言ってくれ」
「ウチに来たんは、オメェのとこの若衆やったけどな」
「まぁまぁ、二人とも。主計閣下、文乃さんもとなれば、大事な何かがあるのだろうから待とうじゃないか」
森田は当時の役職で一番上であったことから、その場を収めた。
しばし時がたち、
「Hey! everyone! お元気デスカー!?」
会場の襖が勢いよく開かれた。
今年の抱負
完結させる。