ずっと歩んできた、止まらず、振り返らず、前へ。そうすることでしか、自分を肯定できなかった。あらゆる戦いを歩いて渡り、受け入れ、その業を背負う。その果てに、静かに眠ることが出来るなら、それでよかった。彼は、独りではなく、静かに眠りたかった。それだけを望んだ。けれども、彼の最後は、暗い、暗い、冷たい、粘着質な、不快感しかない、得体のしれない何か、それに蝕まれ、叫び、唸り、狂騒する姿だった。彼と共にあることは何人にも出来ず、彼は死ぬまで閉じ込められ、皮肉にも、彼を伝承でしか知らぬ、時渡りの騎士に、慰められるかのように殺された。けれども、彼は、多少なりとも独りではないことに満足した。最後の最後に迷惑を掛けた自分が、知らぬ誰かでも看取ってもらえる者がいたのであれば、自分の存在を感じることが出来る。
彼は死ぬ寸前に、漸く、意識を取り戻すことが出来た。自分を取り戻せた。喉元からあふれるのは、情けない自分の姿を糾弾する慟哭だった。泥にまみれ、薄汚れた紫紺の魂が、淡い光すら発することもままならず潰える。惨めな騎士の終わりを見ていた流れ人は、胸の前に握った拳をよせて、小さく祈った。出来ることなら、彼に祝福を、と。
騎士は立っていた。まばゆい白色の世界に。彼の目は灼けていた。暗がりを歩き続けた彼にこの世界の光は強すぎる。目がシパシパする。何度も慣れるようにと眉間をもみほぐし続けた。受け止めきれない光が耳からも入ってきて、甲高い耳鳴りに変わっているような気さえした。気分が、悪かった。
ゆっくりと景色は日が移ろうのと同じく変わっていく。夜空を思わせる、黒色の粉末を脂で溶かして薄めた様な色が世界の色となって、散りばめられた白光の残骸がキラキラと屑星になって薄く光っている。
白と黒のタイルが並べられた床に立ち、死んだ彼は、自らの傷だらけの篭手に包まれた掌を見る。左肩から手先までが一切動かない事を含めなければ、中々に良い健康状態にある、ように彼は思いながら虚空に彷徨う自らの存在をのものに輪郭を与えるように分析を繰り返した。手、視線、思考、足、呼吸、唯、繰り返した。
「なーにしょぼくれた顔したまま突っ立ってんのよ。もっと何かないの?」
ふと、彼に声が掛けられる。言葉自体は、ずっと前から掛けられていた。厳かな雰囲気のなか、凛と音のなるような静かな声で、決まりきった言葉を放っていたが、彼の耳には届いていなかった。小馬鹿にしたような調子の声、それの元に視線を向けると、気持ちの悪い白色の椅子にすわって、小馬鹿にしたような目で彼のことを見る、空色の髪(光の具合によっては勿忘草色に近い)、勝ち気な少女がそこにいた。
「全く、情けないわよねぇ。国を救うだとか、友を救うだとか、ご立派な事言ったわりには、ちゃっちゃか敵の力に飲まれて、挙げ句の果てには誰かも知らない奴に殺されるなんて、身長だけののっぽじゃない。」
そう言っている内に、面白おかしくなったのか、口元に手を当てて(それでも、彼が知っている上品な者達に比べたら格段に劣る)、ぷぷぷと笑いを漏らしている。
ーー彼女は、いったい誰だろうか。
彼は単純に、誰もが思うであろう模範的なことを頭の中で呟くと、出たばかりの問をものの数瞬で、誰であっても別にいい、と切り捨てる。彼女よりも、自分が一体何なのか、そちらのほうが重要であり、またそれだけ理解が追いつけば、それ以外は別に取るに足らない情報とも、彼には言えた。
ーーまさか、今いる私は、私という記憶を植え付けられただけの傀儡だろうか、だとするなら私は今ここで持って自害するのだが。しかし、さっきから私のことを言う彼女の言葉を聞くに、死んだ私を認識して、かつ私を見ている。だとするならば、これは言わば死後の世界だというのだろうか。ならば、私は地獄に向かうことを今から告げられるというのか。……この様な軽薄な少女に、自らの罰を言われるのだろうか、いや、罪を悟らせる物に容姿はいっさい関係ない、か。だというのならば、この身体に背負った痛みも全て、今この場まで、死ぬ時と等しく、負いたかったものだな。
矢継ぎ早に色々な彼にまつわることを嘲笑と共にぼろぼろと口から落としていく彼女は、区切りのいいところまで話し終えたのか、面持ち幾ばくか正して、改めてその視線を彼に向けた。
「貴方には、今、二つの選択肢を持っているわ。」
びしっ、そんな音が似合うように鋭く人差し指で少女は彼の事を指差す。語り始めた彼女が言うには、死したものには二つの選択肢があたらえられているということらしい、一つに、魂に刻まれた記憶を全て消し去り、新しい魂として元の世界に転生させる、もう一つは、魂に刻まれた業を量り、天国か地獄に行くということ。
「あ、ちなみに貴方が行くことになるのは天国になるわ。」
一瞬、彼はまゆを潜めて、怪訝な顔で彼女の顔をみた。
「天国?……私が?」
「ええ、だって貴方、生前、曲がりなりにも英雄なんて呼ばれてたんですもの。人望も一応厚くて、貴方を知るものは貴方を敬う。まぁそんな人には見えないけど、そんな人を地獄にやったら怒られちゃうわよ。」
「何を、馬鹿な、私が、天国?いや、嫌な冗談だ、おかしい、私が?」
「あーあ、そうやって自己嫌悪に陥るとかやめてくれないかしら。騎士が多くの敵をやっつけたならそりゃ讃えられるに決まってるじゃない、馬鹿ね。」
彼は今にも崩れ落ちてしまいそうなめまいがした。何かよくないものを強い酒に漬け込んで一気に喉元に流し込まれたような、吐き出してしまいたい灼熱と気持ちの悪い異物が飲み下され血肉に混じって蝕んでいく。
「あ、でも天国って結局肉体も何もないから日がな一日ひなたぼっこをする他無いのよねー。エッチィことなんて出来ないのよ。」
思い出したことをぽろりとこぼすと、からかうように最後の言葉を強調して、難しい顔をしている彼に向かって言った。英雄って色を好むんでしょ、なんて言葉も付け足して。
「そこで貴方には、もう一つの選択肢を与えるわ!」
やけに胸を強調してふんぞって、其のようなことを言い出した。依然として気分の悪い彼が黙っているということを、この話に興味をもったと勘違いした彼女は、次々と彼を魅了しようとしているのか、様々な好条件をならべて、新たな世界への転生を進めてきた。
「貴方が選べる最高の選択肢だと思うわ。だって、貴方の記憶は残ったままだし、何より私達神から一つだけ特典をもっていけるのよ。貴方がひょろっちいのっぽの騎士だとしても、それなりの力はあるんでしょ?そこに私達が授ける特典があれば、結構いい所までイケルと思うのよね。」
「……分かった。その転生という選択肢を選ぶ。特典とは一体、なんだろうか。」
彼は、静かに選ぶ。記憶が残るのなら、それならばより自らに枷のかかる生きる道を選ぼう、それこそが、自らのやるべきだということと信じて。
「そう言うと思ってたわ!これで私の評価も上がるわね!」
彼の言葉に喜んだ彼女が加えて叫んだ言葉に、彼は一瞬むっとしたが、捨て置くことにした。
「じゃあ、特典を選んでいいわよ。」
唐突にばらまかれる紙片数々、描かれているものは様々の武具に、何やら効果のようなものが書かれている。しかし、その殆どが、彼にとっては理解の出来ないもの数々だった。
「どうしたの?貴方みたいに騎士だったら、この魔剣とか良さそうだけど。」
上機嫌の彼女がつまみ上げた紙に描かれた黒々とした剣は、確かに魔剣の名のごとく、魔を宿し、そしてあらゆるものを、一筆線を引くように簡単に切り裂くイメージを彼に与えた。しかし彼は既に自分の得物を持っている。それ以外を使う気にはなれなかった。
「……これは。」
彼女が色々と勧めてくる物の一切を無視して、漸く、彼の目に留まる物があった。
「あら、それにするの?あんたが飲まれた力を自由自在に使うとか、結構物好きね、貴方。」
彼の最期でもまた思い出したのか軽く笑い出した彼女が言う。彼の手元に収まる紙に書かれた言葉、深淵を操る、この言葉に彼はどうしようもない皮肉を感じた。
ーーまさか、深淵を操るだと?馬鹿な。こんなことがあって……。ふふ、ふふふふ、何たることか。この身を削って手に入れた仮初の深淵、闇をこの体へと入れ、最期に飲まれてしまったものを何の苦もなく宿し操るだと?何たる、何たることだ……。
巨大な喪失感が彼を襲う。このまま、全ての闇が彼を押しつぶした方がずっと良いような、そんな気さえしてくる程、彼は打ちひしがれた。
「で、それで決定でいいの?」
彼女はさっさと次にでもいきたいように、急げというニュアンスの口調で言う。
「あゝ、あゝ、これでいいさ、これ以外に、選びようがないじゃないか。」
彼は自嘲するように吐き捨てる。
「あっそ。じゃあ、頑張ってきなさい。無事、魔王を倒せたなら、貴方の願いを何でも一つ叶えてあげるわ。」
彼女の其の言葉と同時に魔法陣が展開され、ゲートのようなものの上に彼は立つ。
「女神アクアの名において、騎士アルトリウス、貴方を異世界に送り届けてあげます。」
妙に演技じみた口上で彼女が告げる。なるほど、こう締めくくるのが、彼女にとっての楽しみにの一つなのか、などとアルトリウスは思った。
「女神、アクア。」
「なによ。」
「君は性格に難有りだな。其のような格をもっていると、何時か後悔する時が来るぞ。」
「はっ。余計なお世話よ。」
「そうだと、良いがな。」
アルトリウスは落ちていく。底へ、底へ。冷たい光と、暖かい闇の底に。
まぁ、楽しんでいただけたら、幸いです