「どこにしようかな? お酒の神様の言う通り!」
残業で仕事をしている訳なのだが、今日は珍しい客が来ている。
「高垣さん。もう行かれたらどうですか?」
ソファーに座りながら持ってきた温泉旅行のガイドブックを見ている高垣楓に言う。楽しそうなのはいいが、もういい時間だ。
「ダメです。私は、武内さんを連れていく係なんですから」
この後、川島瑞樹、片桐早苗、姫川友紀など他のアイドル達と飲みに行く事になっている。別に約束していたわけではないがどうも参加は決定らしい。
「ですが、他の方も待たれていますし」
「もう、どうしてそういうこと言うんですか?」
楓に睨まれる。オッドアイの左右で色の違う瞳は、昔と変わらずにそこにある。そう思うと悪い気はしない。
「そうやって来なくなったじゃないですか! ダメです! もう、参加しないのはダメなんですよ!」
珍しく彼女に怒られる。彼女が怒るのは本当に珍しい。それこそ、担当していた時でも数えられるぐらいだろう。数が少なくてどれも憶えている。
「……すみません」
「……謝らないでください」
気まずい空気が流れる。彼女と居ると上手くできない。彼女は、自分の事をよく知っているから。自分が彼女を知るように。
「ですが、本当に時間が掛かります。確かに残業ですが、仕事ではないですから」
別に隠しているわけではないが、知られたくもない。知られたら何か言われるのはわかっている。
「お仕事じゃないんですか?」
「今度、島村さんに勉強を教える事になっています。実際は他の方もいますが。それで少しでもわかりやすく教えられるように予習をしているんです」
武内の言葉を聞いて、楓はデスクの方へと来る。
「なんだか学生の頃を思い出しますね」
面白そうに問題が書かれている紙を手に取る。
「そうですね。昔は、勉強などは好きではありませんでしたが、今ではこうして仕事でもやっています」
基本的には、346プロダクションの方で用意している学校にアイドル達は通う事になっている。ただ、必ずしもそうしなければいけないわけでもなく好きな所に通う事もできる。そのため、勉強の内容や質が違ったりして教えるのは大変だ。だからこそプロも手配できるようになっているのだが、アイドル達にとって勉強しやすい環境を考えると知っている人の方がいいだろうと思ってやっている。
「武内さん、私にも教えてください」
なにか面白い事でも思いついたのだろう。嫌な予感しかしない。
「ダメです。遊びではないんですよ?」
楓から紙を取り返す。相手のペースに乗ると負けるのは経験からわかっている。こういう時は、強く出た方がいい。
「先に高垣さんを送る事にします。それでいいですね?」
「……わかりました」
楓は、ゆっくりとソファーに行くと自分の荷物を手に取る。
「場所は、いつもの所ですよね?」
「……はい」
目に見えて落ち込んでいる。言い過ぎてしまったのだろうか? いや、相手のペースに乗ってはダメだという事はわかっているはずだ。
「では、行きましょう」
♢♢♢♢♢
目的の場所まで着くと確保される。
「よくやったわ、楓ちゃん!」
「武Pゲット!」
346プロダクション近くの居酒屋まで楓を送り届けたわけだが、入り口近くに潜んでいた早苗と友紀に捕まる。
「片桐さん!? 姫川さん!?」
いきなりの事で状況が理解できない。
「プロデューサーさん、1名ご案内です! キャハ!」
居酒屋の入り口の方から安部菜々の姿が現れる。既に顔が赤く、テンションが高いのはなぜなのだろうか?
「行きましょう、武内さん!」
両腕を掴まれている状態で、楓に背中を押される。
「ま、待ってください! 私には、まだ仕事が!」
「楓ちゃんから聞いてるわよ? 勉強なんて大丈夫大丈夫! なんとかなるって!」
「そうそう! それよりも飲もう飲もう! 今日は、キャッツの試合もあるから一緒に見ようよ!」
「みんな待ってますから行きますよ、プロデューサーさん!」
「一緒に楽しみましょう! 武内さん!」
女性とは言え、レッスンで鍛えているアイドル3人には勝てない。仮に勝てても怪我をさせるかもしれない行動はとれない。
(そういえば前にもあった気が……)
今思うと、似たようなことが前にもあった気がする。
(勝てませんね……)
無駄な抵抗はやめて従う事にする。彼女達に勝てた事は、今思うと記憶にはない。
♢♢♢♢♢
「……大丈夫ですか?」
オフィスに来た鷺沢文香に来て早々心配される。
「いえ、大丈夫です。少し、飲み過ぎただけですから」
結局、朝方まで飲んでいた気がする。気がするというのは、飲んだ後にそのまま会社に来たからだ。家に帰る時間ももったいないのでオフィスで寝る事にした。着替えなどは予備の物で代用している。
「お水をお持ちしましょうか?」
「お願いします」
武内の言葉を受け、文香は水を取りに行く。
(今日の予定は……)
朦朧とする頭で考える。そもそもなんでこんなに早く文香が来ているのだろうか? 確か、レッスンは午後からだったはず。では、なぜ此処に?
「お待たせしました」
「ありがとうございます」
文香が持ってきてくれた水を飲み干し、考えている事を聞いてみる。
「すみません、鷺沢さん。今日は、どうしてこんな早くに?」
「……言っても大丈夫でしょうか?」
文香の表情に不安がある。まさか彼女もこんな形で会うとは思っていなかったのだろう。
「大丈夫です。それよりも鷺沢さんの要件の方が気になります」
深呼吸をして少しは体裁を整えるように心掛ける。
「お願いします」
「……実は、レッスンの方なのですが、トレーナーさんの方からプロデューサーさんに見てもらうように言われました。技術以外の所を見てもらうようにと」
「そうですか」
レッスンに関しては、今は細かいところの調整をしている。本番までは、このまま続くはずだ。
「それでは、次のプロジェクト・クローネのレッスンには私も顔を出します。そこで、鷺沢さんの様子を見たいと思います」
「ありがとうございます」
文香は、丁寧に頭を下げる。
「他にはありますか?」
「いえ、特にはありません。ただ、その……」
文香は、恥ずかしそうにこちらを見ている。
「お邪魔でなければ此処で本を読んでいてもいいですか? プロジェクト・クローネの方は閉まっていまして」
「それでしたら、シンデレラ・プロジェクトの方を使いますか?」
「……いえ、その、此処でお願いします。開くまでの間だけでいいですから」
「わかりました。ご自由にお使い下さい」
「ありがとうございます」
文香はお礼を言うと、ソファーの方に行き手荷物を自分の隣に置くと、本を荷物から取り出す。
(次からは、ほどほどにしましょう)
心にそう誓うが、今回も自分のペースで飲ませてもらえなかったので意味もないだろう。
「――あの、プロデューサーさん」
文香の声が聞こえる。
「もし、私もお酒を飲めるようになったら何処か連れて行ってもらえますか?」
文香の方を見ると、手に持つ本で目元以外が隠れている。
「いいですよ。その時は、一緒に飲みましょう」
いつになるかもわからないが社交辞令で答えておく。これから先はまだわからない。
「……楽しみにしています」
酒による痛みと不快感で武内は気づかなかったが、本越しに文香は少しだけ笑顔で笑っていた。