――息が苦しい
「どうした! 動きが悪いぞ!」
――めまいもする
「――おい、聞いているのか?」
――どうして私は……
「――大丈夫か? おい、さぎ――」
♢♢♢♢♢
私は、つまらない人間だ。
会話が上手くできない私は、いつも一人で居た。
だから、祖父はそんな私に一冊の本を渡してくれた。
その本の中では、少女が魔法使いの魔法によって灰の世界から這い出て、素敵な王子様と結ばれる夢物語が描かれていた。
私は、その少女に自分を重ねるのが好きだった。
いつか自分も魔法で、今の灰のような世界から抜け出し、素敵な王子様と結ばれるような夢の世界の住人になれたらと。
♢♢♢♢♢
「――大丈夫か? 鷺沢!」
また、いつもと同じように名前を呼ばれる。
「……はい……大丈夫です……」
変わりたかった。
「……そうか。今度からは、早めに言ってくれ。最近のお前は、私の目からもわからない程に最後まで立っているからな」
魔法使いが現れない私は、自分で変わる事を選んだ。
「……すみません」
でも、上手くはいかない。
「今日はもう休め。端に寄っていろ」
トレーナーの肩を借り、レッスン場の端の方まで移動する。
「――さて、続きをやるぞ!」
私は、またこうして一人でこの景色を見る。灰色の景色を。
♢♢♢♢♢
「――最近、二人とも調子が良いわね」
「まーね! アタシには、プロデューサーがいるからね!」
「別に加蓮だけのプロデューサーじゃないだろう?」
「別にアタシは、『自分のだけ』なんて言ってないけど?」
「奈緒。もしかして貴女……」
「――ちっ、違うぞ!? 特に何とも思ってないからな! 本当に! ただ……頼りになるとは……思うけど……」
神谷奈緒は、いつも通り速水奏と北条加蓮の二人にからかわれている。これもプロジェクト・クローネの日常の一コマだ。
「――でも、興味はあるわ。確か、秋フェスで一緒だった人よね? 背が高くて、真面目な感じの?」
「そうだよー。プロデューサーは、背が高くて真面目だよ。でも、話はわかるよ」
「そうだな。口うるさくないし、必要な事は教えてくれるもんな」
「……プロジェクト・クローネのプロデューサーになったとは聞いていたけど、今はトライアドプリムスだけなのよね? 私も少しだけでもいいから見てもらいたいわ。二人を見ていると、腕は良さそうだもの」
「それは間違いないと思うけど、結構大変だよ? レッスンとかは、普通に厳しいから」
「……加蓮は、まだいいだろう? 私なんて、アドバイスも少ないんだからな」
「そうなの?」
「奈緒は、良くも悪くもなんにもないからねー」
「――なんだとー! かーれーんー! その言葉は許さないからな!」
「――きゃあー! 奈緒に襲われるー!」
レッスンが終わったばかりなのにもかかわらず、二人は追いかけっこを始める。少し前までは、見られなかった光景だ。最近は、レッスンも段階を上げてハードなものへと変わってきている。それでも二人には余裕があるように見える。
「――大丈夫、文香?」
奏は、部屋の隅で休んでいた鷺沢文香に声を掛ける。
「……ご心配をお掛けします」
「気にしなくていいわ。同じユニットの仲間でしょう?」
奏は、文香の隣へと座る。
「……ねぇ、文香? ……最近、無理をしていない? ……もしかして、秋フェスでの事を気にしているの?」
少し前の話。プロジェクト・クローネは、秋に行われたアイドルフェスティバルに参加した。その時に文香は、体調を崩してしまった。
「……あの時は、すみませんでした」
「……気にしないで、って言うのには無理があるわね。あの時は、無事に済んだけど……不安なのね?」
当時の文香は、橘ありすとユニットを組んでいた。あのままなら彼女に迷惑を掛けていただろう。まだ、幼い少女に。それに関わっている多くの人達にも。
「……はい。また、同じような事がある気がして」
そう思うと、怖くなる。震える身体を抑えるように抱き寄せる。
「……ねぇ、文香。私から提案があるのだけど、聞いてみる気はない?」
「……提案ですか?」
「今日も一緒にレッスンしたからわかるでしょう? 加蓮も奈緒も短い期間で成果を出しているわ。文香、一度相談をしてみたらどうかしら? 彼は、プロジェクト・クローネのプロデューサーなのだから」
「……でも、確か今は、トライアドプリムスだけのはずでは?」
「確かにそうね。でも、大丈夫だと思うわ。私は、あの時に彼に会っているの。彼なら、困っている女の子を見捨てるようなことはしないはずよ? それは、文香もわかるでしょう?」
後から聞いた話。私が、体調を崩している時にシンデレラ・プロジェクトのプロデューサーが動いてくれたと後から聞いた。今、そのプロデューサーがクローネに居る。
「……そうですね」
今は、他に選択肢もない。それに、まだあの時のお礼も言えていない。
「詳しい事は、加蓮達から聞いておくから今は休んでね。無理はしないで」
♢♢♢♢♢
プロジェクト・クローネのメンバーであり、シンデレラ・プロジェクトのメンバーでもある渋谷凛の協力もあり、話す機会がもたらされた。武内と話すのならその方がいいと、加蓮に言われたからだ。
「――ご相談ですか?」
「……はい」
こうして話すのは初めてだ。緊張する。
「……あの……その前に一つだけいいですか?」
「なんでしょうか?」
「……前に行われた秋のフェスティバルで、助けて頂いたと聞いています。まだ、そのお礼を言えていなかったので」
文香は姿勢を正し、頭を下げる。
「あの時は、助けて頂きありがとうございました」
「――いえ、同じステージを創る仲間でしたからお気になさらずに。鷺沢さんのステージは見せて頂きました。とても綺麗な歌声をお持ちなのですね」
いきなり褒められたからか、恥ずかしくて顔が熱くなる。
「――ありがとうございます」
どこかに隠れたい。今すぐにでも逃げ出してしまいたい。でも、この機会から逃げ出してしまえば、もう変わる事はできない気がする。
「簡単な物ですが、プロジェクト・クローネの資料を頂きましたので、中身を拝見させて頂きました。その中での鷺沢さんのボーカルに対する評価は、とても高いものでした」
「……ありがとうございます」
知っている。こんな私が、プロジェクト・クローネに参加する事になったきっかけだから。でも、それ以外は――
「……悩みと言うのは、それ以外の部分ですか?」
「――えっ……」
心を見透かされるように私の不安を言葉にされた。
「渋谷さんの方から鷺沢さんの相談に乗ってほしいと言われました。内容までは教えては頂けませんでしたが、真面目な鷺沢さんならと思い少し調べてみました。……最近、レッスンの方で無理をされているとトレーナーの方から聞きました。――まだ気になりますか?」
この人は、わかっているのだろう。なら、素直に心の内を言おう。
「……はい。今も不安です。トレーナーさんは、以前よりも良くなったとは言ってくれます。でも、周りと比べると……。私は、昔から誰かが何かをしているのを見ているだけの人間でした。私にはできない事をやっている人達をただ見るだけの。……そんな自分を変えたくてこの道を選びました。――でも、今も変わらずに見ているだけなんです」
遠くから見るだけの灰色の景色。それが私の知る世界だ。
「……なるほど」
武内は、文香の話を聞き考え込む。
「体力面などに関しては、食事やレッスンしかないと思います。……鷺沢さん。今もまだ、変わりたいと思いますか? たとえ、その道が辛く厳しいものであったとしても」
「……もしその先に、本当に変われる自分が居るのでしたら……頑張りたいです。いいえ、頑張ります」
「……わかりました。少しだけ時間を頂けませんか? こちらで考えをまとめますので」
「……ありますか? 私が変われる道が? こんな私にも?」
不安がある。これまでも頑張って来た。それでもダメだった。だから言葉が欲しい。
「――あります」
目の前に居る人は、はっきりとそう言う。私が欲しい言葉を。
「前を向いて歩こうとする意志があるのでしたら道は必ずあります。鷺沢さん、共にその道を歩んで行きましょう。私が、貴女をその道の先まで連れて行きます」
「――本当ですか? あなたに……プロデューサーと一緒になら行けるのでしょうか?」
「はい。これから共に頑張りましょう」
今は、この人の言葉を信じてみようと思う。私の事を見ても、欲しい言葉をくれるこの人に。