「――なるほど。君の考えはわかった」
美城常務は、武内が提出した企画書を読み終える。
「――いいだろう。鷺沢の件は、君の好きなようにするといい」
「――ありがとうございます」
本心を言うなら、断られると思った。なぜなら、鷺沢文香は自分の担当ではないからだ。
「……一つだけ、聞きたい。君は、彼女が本当に輝けると思っているのか? 君は、前に私に言った。雲に隠れたとしても星はそこにあり、輝いていると。しかし、彼女は違う。今まさに消えようとしている。星は、太陽のような恒星による光だ。一度消えかければ、再び輝きを増すことはない。仮にあるとすれば、消える一瞬だけだろう。命の灯が消えるように最も輝くのは」
「確かに、アイドルとしての光は消えかけているのかもしれません。今の彼女の行動が、消えゆくときの光なのかもしれません。しかし、本物の星と違い、アイドルと言う名の星は、己の意思で再び輝く事ができます。彼女は、決して諦めてはいないと私には思えます。それは、消えゆく者が見せる光ではないと」
「――輝かせられるのか? 彼女を?」
「――はい。私は、鷺沢さんを必ず輝かせて見せます」
「……彼女は、私が346に相応しいと思い選んだ人材だ。しかし、今や見る影もない。……見せてもらおう。君の魔法とやらを」
♢♢♢♢♢
鷺沢文香を変えるために何が必要かを考えた。
「鷺沢さん。貴女に必要なのは、精神的な強さと自信だと思います。体力的なものは私の方でも見ますが基本的には、トレーナーさんの方でやって頂けている方法で問題はないと思います」
「……精神的な強さと自信……ですか」
確かに、今の私にはないものかもしれない。
「そこで、共にレッスンをしていく人を用意しました。――シンデレラ・プロジェクトの新田美波さんです」
「――はい。よろしくお願いしますね、鷺沢さん」
「よろしくお願いします」
文香を輝かせるには、自分一人では不可能に近い。精神的な強さとは、そう簡単にどうこう出来るものではない。精神的な強さもある意味では才能であり、今までの積み重ねによるものだ。文香は、お世辞にも精神的な強さの才能はないだろう。彼女の事を考えるのならば、積み重ねた物もそう多くはない。だからこそ、同じ境遇を乗り越えた者の力が必要だ。
「これからしばらくの間、新田さんと共にボーカルレッスンをして頂きます。最終的にお二人で、ステージに立って頂こうと思います」
「……ステージですか?」
ステージに立つ。その言葉を聞くと、あの時の事を思い出してしまう。
「……大丈夫、鷺沢さん?」
美波が、そっと文香の背中に触れる。
「……大丈夫です。ご心配をお掛けしました」
「……そんなに畏まらないで。これから一緒にステージを目指す仲間なんだから」
「……仲間ですか?」
「ええ、私と鷺沢さんは仲間です。一緒に頑張りましょう!」
美波は、まっすぐに文香の目を見ている。その目には、自信が溢れているように見える。
(羨ましい……)
彼女のような目が欲しい。自信に満ち、まっすぐに相手を見られる目が。
「……私も頑張りたいと思います」
この人と一緒に居れば、私も同じような目を持つことができるようになるのだろうか?
「――レッスン内容に関しては、特別なものはありません。曲に関しては、『ラブライカ』の『Memories』を使用します」
ラブライカとは、新田美波とアナスタシアのユニット名である。二人は、シンデレラ・プロジェクトでユニットを組み、Memoriesをデビュー曲として披露した。ちなみにアナスタシアは、プロジェクト・クローネにも参加している。
「……確か、アナスタシアさんの?」
「そうです。私とアーニャちゃんの曲です!」
そう言葉にする美波の表情は、とても嬉しそうだ。アナスタシアと組むラブライカを大切に思っているのだろう。
「――では、先ずは簡単にお互いの歌声を聴くことにします。これに関しては、それぞれの持ち歌を使います。先ずは、新田さんからお願いします」
「――はい!」
場所はレッスン場。特別な機材などはなく、ノートパソコンにスピーカーを繋げただけの物だ。
「――それでは、始めます」
武内が曲を流し始める。
すると、美波は呼吸を整え、歌声を響かせる。
(これは……)
思わず見惚れてしまう。場所は、殺風景なレッスン場。衣装もレッスン用のジャージ。音楽も簡単な物ですませている。でも、見惚れてしまう。
(綺麗……)
美波は、歌声で着飾る。ノビノビと歌う彼女は、自分の思う世界を歌声で形にしていく。彼女は、Memoriesと言う曲にどれだけの感情を籠めているのだろう。どれだけこの曲と向き合い描いたのだろう。彼女が歌う度に、その想いと共に、華やかな景色が見える。
「――ありがとうございます」
「――ふぅー。どうでした、プロデューサーさん?」
「よく練習されているのがわかります。最近は、あまり見られなくはなりましたが、安心できます」
「そう言って頂けると頑張ったかいがありました。でも、ちゃんと見て下さいね?」
「わかっています。それでは――どうかされましたか?」
「――えっ……」
「鷺沢さん」
武内がポケットから手布を取り出し、文香へと差し出す。
「これをお使い下さい」
言われて気づいた。
「……涙?」
いつの間にか、涙を流していた。
「……今日は、やめておきますか?」
優しい声で言われる。
「……いえ、大丈夫です」
なんで泣いてしまったのだろう。
「……そうですか。では、これをお使い下さい」
「……ありがとうございます」
文香は、武内から手布を受け取ると涙を拭く。
「……洗ってからお返しした方が?」
「いえ、かまいません。それよりも、始めるとしましょう」
「――はい」
文香は、武内に手布を渡すと立ち上がり、自分の番を待つ。
「――では、始めます」
曲は、同じプロジェクト・クローネのメンバーである橘ありすとユニットを組んでいる時の曲だ。何度も練習した曲。
「――ァ――ッ――」
(……なんで?)
何度も練習した曲なのに声が上手く出ない。それだけじゃない。身体が震える。
「――鷺沢さん!」
動揺で倒れそうになる身体を抱きとめられる。
「……今日は、やめておきましょう」
初めて行われたレッスンは、これで終わる。
♢♢♢♢♢
美波は、他にもやる事があるので先に帰らせることにした。レッスン場には、武内と文香だけが残る。
「……なぜ、声が出なかったのでしょう……なんで……」
隣で座り込む文香は、小さく呟く。
「……可能性であるならば一つだけあります」
今の文香のような子を見るのは初めてではない。むしろ、珍しい事ではない。特に文香のように感受性の強い子なら。
「おそらく、自信を無くしてしまったのだと思います。新田さんの歌声を聴いて。新田さんは、シンデレラ・プロジェクトの中でも特にボーカルのレベルが高い方です。彼女の歌声には、力があります。そして……彼女は、多くの冒険を経験して成長しました」
「……冒険ですか?」
「……鷺沢さんには、新田さんはどう見えましたか?」
「……とても……輝いていて、羨ましいと思いました。私も……ああ、なれたらと」
彼女は、自分とは違う。自信に満ちて、堂々と想いを籠めて歌を歌っていた。
「……新田さんも、鷺沢さんと同じような経験をしています。彼女も、初めてのステージの時に体調を崩しています」
「――えっ……」
私と同じ? あの人が?
「彼女は、シンデレラ・プロジェクトのリーダーとして頑張っていました。それで、無理をさせ過ぎたのでしょう。私の不注意で、本番当日に体調を崩してしまいました。彼女は、責任感の強い方です。その時の彼女の気持ちは、とても辛く、酷いものだったでしょう」
「……それを乗り越えたのですか?」
「……はい。ですが、その道のりは決して楽なものではありませんでした。そんな彼女を支えてくれたのは、共に道を歩んでいた仲間達です。同じプロジェクトの仲間達が彼女を支え、救ってくれました。……鷺沢さんにも心あたりはありませんか?」
「……あります」
落ち込んでいる時の私をクローネの人達は励ましてくれた。今も、こうして私の為に動いてもくれた。
「失敗をしない者はいません。迷惑を掛けない人もいません。鷺沢さん。――私もそうですが、鷺沢さんを迷惑に思っている人はいません。クローネの皆さんは、鷺沢さんの事を大切に思っていると思います。それは、鷺沢さんが一番わかっているのではありませんか?」
「……でも……迷惑を掛けてしまうかもしれません」
「そんな時もあるでしょう。でも、それはお互いにあるものです。他の方に何かあればその時は、鷺沢さんが力を貸してあげて下さい。貴女は、一人ではない。私も、プロジェクト・クローネの皆が傍に付いています。それでも、まだ不安はありますか?」
言っている言葉はわかる。でも、怖い。
「……私は、一人でした。本当に、そんな私にも傍に居てくれる人はいますか? どんなことがあったとしても……」
「……私は、鷺沢文香のプロデューサーです。前に言ったと思いますが、貴方が前を向いて進む限り傍に居て支えます。この言葉には、嘘はありません」
彼と目が合う。この人は、私を見て言葉を言ってくれる。等身大の鷺沢文香を知った上で。
「……傍に居てくれますか?」
「――はい」
「……他の人達も居てくれるでしょうか? こんな私と」
「――居てくれます。彼女達がそんな人ではない事はわかっているはずです」
プロジェクト・クローネの人達の顔が浮かぶ。私を心配してくれる人達の優しい顔が。こんな私でも受け入れてくれる人達と一緒に居たい。そう思うと、不思議と不安が納まる気がする。今ならできるだろうか?
「……まだ時間はありますか?」
「……ええ、時間はあります」
「お願いします。もう一度、私を歩かせてください」
「――もちろんです」
文香は、立ち上がる。
そんな彼女を仲間達が支えてくれる。
不安はまだある。
でも、皆と共に居たい。
もう、遠くから見ているのは嫌だ。
「……お願いします」
文香は、前を向いて歌を歌う。
まだ弱々しいものかもしれないが、それでも精一杯に。
想いを籠めて。
♢♢♢♢♢
「今日は、すみませんでした」
「――いえ、私にできる事があるのならなんでも協力します。プロデューサーさんの頼みならなんでも」
用事が済んだ美波とオフィスで話をしている。
「それで、鷺沢さんは?」
「まだ不安はあるみたいです。そう簡単には、消える事はないでしょう。ただ、前向くことはできたかもしれません」
「……そうですか。安心しました」
美波は、ホッと一息つく。彼女も心配だったのだろう。
「これからは、新田さんの協力も必要になります。今後ともよろしくお願いします」
「私で力になれるなら喜んで。それに、プロデューサーさんが見てくれるんですよね?」
「はい。今度のステージまでですが、私の方で担当させて頂きます」
「ふふっ、久しぶりにプロデューサーさんに教えてもらえるんですね、楽しみです」
「申し訳ありません。時間を作れなくて」
「……そうですね。でも、今はこうして話せる時間があります。相談に乗ってもらえるのは助かります」
彼女に言われると重い言葉だ。一時期は、彼女にシンデレラ・プロジェクトの事を任せていた。
「新田さんには、御迷惑をお掛けします。シンデレラ・プロジェクトのリーダーをして頂いていますから。本当に助かっています」
「……そう言ってもらえると嬉しいです。でも――少しだけわがままを言ってもいいですか?」
「なんでしょうか? 私にできる事なら」
「今回の件の間だけでいいので、他に用事が無かったら帰りだけでいいので送っては頂けませんか?」
「……そんなことでよければ。レッスンで時間も遅くなると思いますから」
「……そうですね。今はそれでいいです。頼りにしていますからね、プロデューサーさん」
どこか不満気な言葉に疑問が浮かぶが、それが何かまではわからない。
「はい。新田さんの期待に応えられるように」
ただ、今は美波と言う強力な味方を得る事が出来る。今は、一人ではなく共に何かをできる者が傍に居る。それだけで、どんな事でも乗り越えられる気持ちになる。