「俺には、世界の
「俺には、ここがこの世の淵に思える」
なんとも珍しいことに、その日男士らを集めたのは
「……四十七。たしかにこの本丸の刀剣は全て集まったようですね。それでは早速本題に入らせて頂きます。刀剣男士を強化する法が新たに見つかりました」
大阪城の探索任務を言い渡す、あるいは演習への参加を促す時のように、機械音ではないというのに奇妙なほど温かみのないあの声で管狐は言う。
「ですがこの強化法を適用する前に、皆様には現在の主こそ支える対象であると証明していただかねばなりません」
「故に。かつて支えていた所有者のうち、印象的、あるいは好意的に感ぜられた人間を三人までお伝えください」
「新たな段階、『
と、それが
厚藤四郎を皮切りに、本丸のおおよそ半数は疾うに修行の申し込みを済ませて、必要な道具類が揃うのを待っているところ。けれどまだ、「かつての主人」の名を管狐に伝えることすらせずにいる刀剣も幾振りか残っていた。
「修行」から帰って、厚は言った。自分達は前の主の死を見つめることになるのだと。蜻蛉切は言った。再び前の主人と共に戦うことの誘惑を断ち切れるか、試されているのだと。
「たぬ、たぬや。式の狐から通達じゃ。広間へ来いとな」
「ん?ああわかった。今行く」
藍の狩衣を身に纏う青年がひょい、と障子を開けて顔を出す。洋装とも和装ともつかぬ墨染めの衣の少年にそう言うと、ぼんやりと座って中空を眺めていた黒髪金目の彼が身を起こした。二人、
「呼ばれてんのは俺たちだけか?」
「さてなあ。俺が呼べと言われたのはたぬきだけだが……はて、そういえばお主、たぬきと言われても怒らなくなったな」
「それであんたが止めたためしがあったかよ」
「うむ。そう言われてみればそうだな」
広間に続く障子は開いていた。中にいたのは審神者と御手杵、小狐丸。この部隊の「一軍」の内、未だ修行に出ていない者たちが集められたのだろう。狩衣の青年、三日月宗近と、それから彼に続いて三日月からたぬきと呼ばれていた少年、同田貫正国が室内に入る。それを確認するや否や、審神者と呼ばれている顔を和紙で隠した男は障子を閉めるよう告げた。後ろ手に引き戸を閉じた同田貫が御手杵の横に胡座をかいたところで、審神者が声を発する。
「今回お前らを呼んだのは他でもない。修行に出てほしい……んだが」
一瞬言い淀んで、ぐるりと部屋を見回してからもう一度審神者が唇を離した。
「御手杵は良い。問題ない。問題なのはお前らだ、三日月、小狐、同田貫!まだどこに行くかも決めてないんだって!?…………こほん」と、落ち着くためか咳払いを一つする審神者。
「とにかく。明後日の朝には修行に出てもらいますこれは確定事項です。行き先が決まってないならもういっそ最初に思い付いたところでいいですともええ」
殆ど息継ぎもせずにそこまで言い切って、審神者は(紙に隠れてその目は見えないが)三振りを睨み付けた。けれど当の刀どもはそ知らぬ振り。三日月はほけほけといつものように笑うだけ、同田貫も何を考えているのやら濁った金眼でどこか遠くを見ている。小狐丸に至ってはそっぽを向いて欠伸を一つ。
「ああ、もう!とにかく明後日には修行な!解散!」
呆れたように自棄になったようにそう言い放って、審神者は足音も高く出ていった。歌仙兼定の、雅でないと叱る声が中庭から響いてくる。
暫くの間は、誰も何も言わなかった。
その後、五分ほども経っただろうか、御手杵が呆れ気味に口を開いた。
「で、あんたたちまだどこに行くか言ってなかったのか?」
「まあ、私は一条御前の元に行きますよ。始めの主ですから」
「ふむ。どうしたものかな。俺には特段思い入れのある所有者なぞおらなんだが」
「え、三日月のじいさんホントに決めてなかったのかって痛いっ」
「じいさん言うなよ失礼だろ」
とそう言うのはたった今拳骨で、失言した長身の青年の頭を軽く叩いた同田貫。尤も、当の三日月の方は、事実だから構うなと言うのだったが。そこでふと同田貫の方に振り向いて、御手杵が訊く。
「正国は?えーと、なんとかって言う兜割の人のとこじゃないのか?」
「あー……まあ、たぶんそうなる。あと、なんとかじゃなくて榊原鍵吉な」
言い淀む理由が何かあったろうか、と御手杵は怪訝に思った。小狐丸はそんなことはどうでもいい、と端から聞いてもいなかった。三日月宗近は、他の刀剣で例えるならば自分等三条派のそれに似ている、同田貫の在り方を思い出していた。
「ま、そのとき思いついたとこに行くんでも構わねえだろ」
あっけらかんとそう言うと、同田貫は相も変わらぬ泥のような瞳を一瞬畳へ向けて立ち上がった。そしてそのまま、「腹減ったなあ」などと言いながら三振りの方を見もせずに部屋を出て行った。
───***───
その朝は、生憎雨だった。屋敷の門を出た先に、四つの人影が並ぶ。背丈は様々だが皆揃いの笠を被り、藍で露草と月白に染められた、縞模様の合羽を羽織っている。この装束は、人ならざる姿の刀剣男士をそれらしく見せるためのものだった。笠は髪や瞳、場合によっては肌の色までも誤魔化し、合羽はその下に着込んだ普段通りの戦装束に、その時々に相応しい幻術を重ねる。
その場に立つのは四振りと、それから時の政府によって使役される、「こんのすけ」と呼ばれる狐の式のみ。審神者が見送りに来ないのは何も彼が薄情だからではなく、水先案内人を務める作り物の獣にそれを禁じられたからだった。
不意にゆらり、と景色が揺らめいて、雪を被った山岳を臨む展望は消え去った。代わりに、何度も枝分かれしてはそこかしこで合流する数多の道が、同田貫の前に現れた。見渡す限りの彼方まで広がるそれらに彼は戸惑いを隠しきれなかったけれど、そんな彼とは裏腹に最も長身の青年、御手杵と、獣の耳にも似た白髪の男、小狐丸は迷いなく歩を進める。まるで彼らには一本道しか見えていないかのように、あたりを見渡すことすらせずに、一礼して去って行く。
周囲を見渡しているうちに、小さい方の狐までもが姿を消していた。残された二振りはどうしたものかと遠くを見遣って、どちらともなく口を開いた。
「どこへ行けと云うのだろうなあ、これは」
「どこへなりとも、ってことなのかねえ、こりゃ」
「たぬ、お前、この中に入っていくつもりなのか」
「ん?ああ。何か変か?」
「いや、お前がそれで良いのなら」
そう言って三日月は、彼の前に広がる奇妙な暗闇をもう一度見た。ありとあらゆる染め粉を混ぜ合わせればこうなるだろうか、決してのっぺりとした一遍通りの黒ではなくおおよそこの世全ての柵を絡み合わせたような。
「同田貫、お前には何が見えている。俺には、何も見えんのだ」
「道が。世界の果てまで分かれていく道が」
「ふむ。心当たりは?」
「行かなきゃならねえと思う場所は、三つじゃすまねーからなあ」
同田貫は三日月に目を向けぬまま、集中していなければ、すぐさま様相の変わってしまう乱雑な網目を見やった。今この瞬間になおも誰を主と呼べば良いのか、どれを自分と言えば良いのか迷っている自分を思って同田貫は、嘲るような笑みを溢した。
「なるほど、な。ならば、行くべき場所が思い当たらぬ以上、俺がこうしているのも道理というわけだ」
「……あれだけの人間に仕えて、なおも誰一人あんたのお眼鏡にかなわなかったってのか」
「そのような、傲慢なことを言うつもりはないのだが……しかしその通りやもしれん。俺には、死に様を変えたい人間も、生き様を変えたい人間も、ただの一人とておらなんだ」
「そうか」
「俺ァ……なあ。どこに行けば良いのかまだ分からねえんだ。主と呼ぶべき人間は、
ぽつり、ぽつりと溢すそれは、本丸の誰も聞いたことのない、紛れもない彼の本心だったのだろう。
「まあ、悩んでいても仕方がねえ。とりあえず端から回ってみるか……あんたに対して、どうするべきとも俺は言えねえが、思い悩まなくともなにか一つくらい無いのか。人でなくてもいい」
「こいつの手に渡らなければと思ったことはないか」
「ここで滅んでしまえればと思ったことは」
「憐れに思ったことは。人でも、刀でも、他のものでも」
そう矢継ぎ早に言う間にも、彼は頑なに隣の太刀を見ようとしなかった。三日月は、その言葉の一つ一つに、嫌に実感がこもっているような気がした。そして錯覚であろうと無意識に決めつけてしまったが、その声まで違っているような気が、ほんの一瞬。
それは確かに、どこかの同田貫が見てきたものだった。この数ヶ月、彼が悩み続けたものそのものだった。
「それもないなら、
終いにそう言って、同田貫は一歩、未だ三日月には暗闇にしか見えない場所へ足を踏み入れた。
「何も言えぬなどとは、たいした嘘だ」
いくらか薄らいだように思える闇を見据えて、三日月はその千年の生涯を思い起こしている。