「―――ちゃん。時雨ちゃん!」
電が僕の顔を覗き込んでいる。心地良い気怠さで体が重い。どうやら、帰って入渠するなり寝てしまったようだった。
「どうかしたの?」
「もうすぐ出来上がるのです。起きた方がいいですよ」
エプロン姿の電はミトン片手にキッチンスペースへ向かう。寝ころんだままでその姿を追うと、フライパンで焼かれている丸っこい銀色の包みが目に付いた。
「じゃがバター?」
「なのです♪」
電はそう言いながら、机の上にじゃがバターを置いた。仕方なく――決してじゃがバターの誘惑につられた訳ではない――体を起こしたが、カーペットの上で寝たせいか少々ぎこちなかった。
「いただきます」
食べようとした矢先にコンコンコン、とドアをノックする音。
「僕が開けに行くよ」
電はジャガイモ転がしに忙しいので、自分で動くことにした。まだ半覚醒の頭と体を引き摺って、やたら重く感じるドアをこじ開ける。
大きな段ボール箱を持った雪風が、倒れこむように段ボール箱を置いた。
「運んでくるの大変でしたよぉ」
「艦娘ならそれぐらい軽いはずだよ、雪風」
「むー、響さんはフォークと小皿とバターだけですもん」
ホットカーペットに寝転がる雪風。それを跨いで二人掛けのソファーに腰掛けようとした響だったが、雪風がゴロゴロ転がるせいで足を引っ掛けてしまう。具体的にいえば、雪風のわき腹に響のつま先がクリーンヒット。
「オウッ!?」
「あ、ごめん」
ソファーに腰掛け、いや、ソファーの上に寝転がった響はため息をはく。やたら偉そうにしているのは―――なるほど。
「はぁ、重たい荷物を運んだから疲れたよ」
「まさか箸より重たいものを持ったことが無い、なんてのたまうつもりじゃないよね」
即座にツッコミをいれる。私は分かっていたよ響。
「おお、よく分かったね。私はか弱い乙女だよ」
「その鉄面皮でよく言うよ。面の皮が一番重たいんじゃないかな?」
「時雨は慎ましやかで軽そうだね。肩は凝り固まってないかい?」
「響は肩こりとは無縁そうだね。私の、揉んでもらおうかな」
「胸をかい?」
「肩をだね」
「私も揉んでもらおうかな」
「無いじゃないか」
「・・・・・・・・・じゃがバター、出来たのです」
いいところだったのに。
「もう電もツッコまなくなって私は悲しいよ」
「もう少し胃に優しい会話なら喜んでツッコむのです!」
「早く食べましょうよ~」
雪風は僕らの毒吐き合戦を気にすることなく、未だに寝転がっている。
「だったら早く起き上がるのです」
「はーい、お母さん」
「・・・・・雪風ちゃんの分は無しということで」
「そんな!?」
作戦が終了して、ようやく入渠出来た。報告は旗艦である響に任せて入渠した時雨と私だったが―――。
「恒例の寝落ちとはいえ、ほんと心臓に悪いわね」
時雨は、ダメージ自体は軽微であり数分かからず入渠を終える筈だった。しかし、毎度の如く入渠中に寝落ちしてしまったのだ。今頃服を着せられて、秘書艦である電の部屋に託されていることだろう。
「まったく、私は中破したってのに」
なんか鬱屈たるものを感じるのは何故だろうか。例えば直接海水混じりの雨を浴びていた筈の時雨の髪の毛、全然傷んでいる風に見えない。まさか修復材って効果あるのか。
なんとなく毛先をクルクルと弄っていると、でっかいシルエットが見えた。
「ぼのたんや、修復材じゃキューティクルは回復しないぞー?」
「誰がぼのたんよ!って鈴谷さん・・・・・いい加減その呼び方止めてもらいたいんですけど」
自分の胸を湯船に隠しながら、ちょっとだけ抗議の目で睨んでみる。あくまでちょっとだけ、本気で睨む度胸なんて無い。
「うんうん、本気で睨む度胸は無いからちょっとだけ。かーわいいー」
「っ!」
クソ、完全に見透かされてた。そして絶対心の中で胸も無いけどね!って思っているに違いない。よっこらせっと、なんておっさんみたいに湯船に浸かった鈴谷さんは、その豊満なボディを揺らしながら大きく腕を伸ばした。
「ふいー、此度の任務も疲れましたよぉ。ぼのたんもおつかれぃ」
「お疲れ様、です」
もうぼのたん呼びはいいや、疲れた。まぁそれは置いといて、結構深刻な髪の傷み具合について鈴谷さんに聞いておかないと。この人女子力高いし。
「鈴谷さん」
「んー?」
「髪の手入れってどうしてます?特に毛先とか」
そう聞いた途端、鈴谷さんは私の方に手を伸ばして毛先を弄りだした。
「あー、結構傷んでますなぁ。でも毛先以外はわりかし大丈夫そうだし、少しだけカットするのが手っ取り早いかな」
「どこか良いところあります?」
「にっひひー、なら今度の休日一緒に外出許可貰おうよ。連れて行ってあげますとも」
今度か・・・・・。特に予定も無いし外行って買いたい物あるしアリかも。
「じゃあお言葉に甘えて」
「ただし条件がいくつかあるよー?」
条件?ぼのたん呼びを許可しろとか間宮アイス奢れとか?
「ひとーつ、ぼのたん呼びを許可すること!」
「いや、許可する以前にもう呼んで―――」
「ふたーつ、当日はうんとお洒落してくること!」
無視か。まぁぼのたん呼びはもう別にいいとして、お洒落か・・・・・。手持ちの服でなんとか出来るか不安ではある。
「みーっつ」
「ちょっと待って何個あるんですかそれ」
「これでラスト。一番大事な条件ですとも。手、出して」
私が手をお湯から出すと、鈴谷さんは両手を伸ばしてきた。突然のことで呆気にとられる私は、呆然と握りしめられた手を見つめることしかできない。
「最後の条件、それはねぇ。私に敬語を使わないこと!」
「・・・・・それは」
ちょっと、難しいかもしれない。私はどうも潜水艦と駆逐艦以外の子には敬語を使う癖があって、それは無意識な線引きだ。
「何を引け目に感じてるのか、遠慮してるのか。鈴谷にはわっかんないし興味ないけどさ。まずは私から練習ってことでどうよ?」
もう、完全に図星。鈴谷さんには敵わない。でも、ここまで親身にされて無理だなんて言う訳にもいかない。
「分かった・・・わよ。でも三つ目の条件はあまり期待しないで下さいよ?」
「よし約束!少し敬語崩せたけどやっぱり最後は敬語な曙ちゃんに期待しますとも!」
自然と頬が緩みそうになるのを隠して、湯船に深く沈んでみた。きっとバレてるだろうけど、別に鈴谷さんならいいかなって思う。
「ん、ぼのたん入渠終了じゃない?」
「あ、うん」
さて、疲れも癒せたことださっさと部屋に戻ろう。だから緩んだ頬よ早く元に戻れ。
「ツンデレぼのたんにこうご期待!」
「うっさいわ!」
まだツッコミぐらいしか敬語崩せないけど、ちょっと頑張ってみますか。
いつもより念入りに髪を手入れした後、私は明石さんの工廠へと向かった。
「あ、曙。お疲れみたいね」
「色々とありまして・・・・・直りました?」
先の作戦で艤装が破損してしまい、入渠前に頼んでおいたのだ。中破というのはあくまで身体的なダメージであり、艤装に関してはまた別の話。端的に言えば、しばらくは出撃不能だろう。
「そんなすぐ直る訳ないでしょ~?」
「冗談です。結構酷そうですか?」
「んー、中枢機能はなんとか無事。でも外装がヒドイわね」
何があったの?と無言で問いかけてくる明石さんは、心配している様子だった。
「ちょっと盾代わりにしただけですよ。それじゃあ行きますね」
「盾代わりって、えぇ・・・・・?」
詮索されない内に工廠を後にする。とはいえ、明石さんが訝しむのも頷ける。外面こそ通常の遠征任務を装っていたし、現に提督からは資材収集のための遠征任務だと知らされていたのだ。
ただ遠征任務に、上層部から直接指示された任務が秘密裏に付加されただけ。提督すら知らないソレは、一部の艦娘しか知らない特殊任務。
いや、そんなことはどうでもいい。
「・・・・・何この良い香り」
通りかかった部屋のドアから、ジャガイモを蒸したような香りが漂ってくる。私は食欲に抗えず、そのドアを開いた。
「ハラショー、一足遅かったね。じゃがバターはもうないよ」
ふてぶてしくソファーに寝転がる響。満足げに机に突っ伏す時雨。カーペットに寝転がる雪風。後片付けをしている電。
私は任務中に感じた、目も覚めるような蹴りをデリバリーしてやりたいという感情を思い出し、それをため息の中に封じ込めた。
―――その後の戦いも、思い出しながら。