「―――ん、あれ」
思い返しているうちに、寝てしまったみたいだった。机に突っ伏した体勢のせいで腰が痛い。ていうか部屋に誰もいないし、あの薄情者どもめ。
「だーれだ?」
「・・・・・鈴谷さん」
訂正、一人いた。
「バレてしまってはしょーがない!あ、みんなには私が見とくからって言っといたよ」
「ああ、それで。というか手外してくだ・・・・・外してくれない?」
「よしよし」
敬語外さないと手も外してくれない気がしたが、当たりだったようで安心。やっぱり慣れないなぁ。
「そういえば鈴谷さん、休暇はいつとれば?」
「あーそうねぇ、ぼのたんは艤装直るまで余裕あるでしょ-?実は明後日に外出許可アリの休暇がありまして。そこでどうよ?」
「そこに合わせればいいのね。それじゃあ休暇申請出してきま・・・・・くるわね」
「にひひ」
あー、やっぱり慣れない!それに恥ずかしい!さっさと申請にいってしまおう。鈴谷さんに顔赤いの見られたくないし、もう夕方だし。
胸に手を当てて、深く息を吸う。
「よし」
鎮守府には慣れたけど、この場所にはまだ慣れない。気軽に電や時雨の部屋に入ることだって出来るし、寝ぼけながらでも迷わない自信がある。でも、この扉の前ではそんなものは意味が無いのだ。
執務室。提督が日々書類と格闘する戦場にして神域。
「失礼しまーす」
トントントン、とドアをノックする。そう、三回たたくのが重要だ。何でも、二回だとトイレらしい。執務室をトイレ扱いとか流石に出来ない。まぁ、提督はその辺りあんまり気にしない人だけど―――あれ、返事が無い。
「失礼しまーす!」
ちょっと大きめに、もう一度。それでも返事は無い。
つまり―――秘書艦が部屋にいない。ついでに言うと提督は居眠りしている可能性が極めて高い。
・・・・・・よし。
音を立てないように、ゆっくりと室内へ入る。
軍艦色の壁に鉄格子付きの窓、そして青を基調とした調度品。いかにも出来る男の仕事部屋といった様相で、ちょっとカッコイイ。
まぁ、当の提督は机に突っ伏して寝ているようだけど。
「まったく、休暇申請出しに来たんだけど・・・・・」
ため息をついて、提督に近づく。大量の資料によって築かれた塔を、三つのモニターが煌々と照らしていた。最新式のコンピュータだって自慢していたっけ。
机に突っ伏して寝ている。なんとなく、頭を撫でてみたくなった。たまには良いだろう、なんて気が緩む。
「そーっと、そーっと」
そのまま手を伸ばしたいが、下手に立ち入れば資料の塔を崩しかねない。
でも、これはチャンスだ。今なら誰もいない。いつもクソ提督なんて言ってしまう私への、ささやかなご褒美。
机の後ろに回り込んで、何とか資料の塔をかいくぐる。提督の椅子のすぐ横という位置になったのは想定外で、ちょっと恥ずかしい。顔が赤いのは、きっと夕陽のせいだ。
「ちょっとだけ、ちょっとだけだから」
なんて、言い訳。だから動いてよ、と自分に呼びかける。伸ばした手は、提督に触れる寸前で止まってしまっていた。ここまで近づいておいてあとちょっとが埋められない。あと数センチが遠い。私の中にある後ろめたい気持ちが、温もりさえ感じるこの距離を遠ざける。
ちょっと泣きそうで、後ろめたい気持ちが溢れる。それはきっと罪悪感だ。提督の知らない所で、私はこの手を血に染めている。この手で命を奪っている。触れられる訳がない。触れるなんて、おこがましい。
だからせめて、触れることが出来なくても。もう少しこのままで―――。
「ここにいても、大丈夫だよね?」
同時刻。執務室に隠れていた青葉は、困り果てていた。
(ベストショット!でもこれ、ずっと隠れてないといけないパターンですよぅ)
息を殺してアンブッシュ中の青葉であったが、曙の妙な雰囲気に違和感を覚えていた。
(曙さんといい時雨さんといい、どうも隠し事してるっぽいですねぇ)
それも、良くない方向の隠し事だと青葉は感じていた。遠征任務の筈なのに妙に損傷が多い。毎回ではないが、かなりの頻度で帰投予定時刻を超過する。そして何より―――。
(あんまり精神状態、良くないみたいですし)
提督にカウンセラーの手配を進言した方がいいかと考えだした青葉だったが、まずは他の秘書艦に相談するべきだと思い留まった。
(というかいつまでやってるんですかあのツンデレ!)
結局、青葉は退室するまで待てないと判断し、奥の書斎から出てくる体を装って曙に声をかけた。声はなるべくフレンドリーに、さも以外そうに。
「あれっ曙さんじゃないですか。どうかしました?」
「・・・・・見てました?」
ばっちり見ていましたとも。何なら写真見ますか?なんてセリフをおくびにも出さず、青葉は欠伸を手で隠すふりをした。
「いえ、奥で居眠りしちゃいまして。あ、見られて困るようなことしてたんですかぁ?」
「しっ、してないわよバカじゃないの!?」
相変わらず分かりやすい、と青葉は苦笑い。
「提督ならこの通り居眠り中なので、休暇申請なら受け取りますよぅ」
「―――っ!最初から見てたんじゃないこのパパラッチ!!!」
「まぁ、最初から居ましたしねぇ」
執務室のドアを、ちょっと強めに閉める。そして、そのまま立ち竦んだ。
「切り替えないと、駄目だ」
最近妙に情緒不安定なのは、私自身も感じている。自分自身を制御出来ていない。鬱屈とした気持ちが頭を支配して、まるで底なし沼だ。
「曙さん、どうかしたのです?」
「っ!な、なんだ電じゃない。どうしたの?」
「どうしたも何も。執務室の前に突っ立って、しかも随分と顔色が悪そうなのです」
心配そうな顔をする電に、私は苦笑いを返すのがやっとだった。眩しすぎて、直視できない。
「うん、ちょっと疲れただけ。大丈夫よ」
「・・・・・なら良かったのです。何かあったら声かけてくださいね」
そう言って、電は執務室へと入っていった。まいった、言外に相談しろと言われてしまった。とはいえ電に相談出来ることは少ないので、期待に沿えることはないと思う。
とりあえず、ここから離れよう。出来れば誰もいない場所まで。
「・・・・・いや、とっとと寝よう」
緩慢な足取りで、宿舎へ向かう。今なら誰もいない筈だ。
執務室の奥にある、資料室。
青葉は、電に相談を持ちかけていた。
「カウンセラー、ですか?」
「えぇ、最近曙と時雨、ほか数名の精神状態が良くなさそうですし」
いずれも前線ではなく、遠征や資材回収を主な任務としている艦娘たちに症状が見られる。軽いケアなら行われてはいるものの、本格的なカウンセリングとなると本部に要請する必要がある。
「私個人としては、呼んだほうがいいと思うのです。でも・・・・・」
電は、そこで言葉に詰まる。
「鎮守府としては、あまり呼びたくはないですよねぇ」
言葉を引き継いだ青葉が、嘆息しながら机に寄りかかる。カウンセリングを呼ぶということは、自分たちでは手に負えないと宣言するようなものだ。提督の椅子を狙っている者なんてごまんと存在するのだから、些細な弱みでも見せるわけにはいかない。
「・・・・・電さん。響さんの報告って纏めてあります?」
「まだ書面には起こしてないのです。確か内容としては、復路で深海棲艦に遭遇し被害を被ったため帰投の予定時間に間に合わなかった、なのです」
青葉は、顎に手を当てるような仕草をしながら思考を巡らせる。今までの超過理由は、天候悪化によるものや深海棲艦への応戦がほとんどだ。決して響の弁を疑っている訳ではないし、疑いたくなんてない。それでも、可能性はある。
「うーん、どうにも繋がらないか。ともかく、この件はこちらで対処したほうがいいですねぇ」
「そうですね。私も、それとなく聞いてみるのです」
今の鎮守府を守ることと、大事な仲間を守ること。優先するべきは後者だ。頭ではそう分かっていたとしても、どうしても前者に偏りがちになってしまう。
「組織って、面倒なのです」
「同感です。こういうのは、スクープする側が一番楽しいもんですよぅ」
それも勘弁してほしいという気持ちのこもった電の視線を、青葉は笑顔でスルーした。