アスファルトを擦るような音が聞こえる。自動運転が当たり前の現代ではほとんど聞かない、タイヤの悲鳴だ。慌てて鉄格子の付いた窓に飛びつくと、そこには軍用車から降りてくる白衣を着た初老の男の姿。あんな最新式に乗ってくるのは軍本部の連中ぐらいだけど・・・・・。
「っ!」
男は、立ち止まって鎮守府を眺めている。その表情、懐かしみと悔恨が一緒になったような笑みには見覚えがあった。私を艦娘として育てた、あの研究者だ。
「今更、何の用だってのよ」
感情が絵の具なら、きっと今の私は真っ黒だと思う。たくさんの色が混ざって滅茶苦茶で、支離滅裂で、どうしようもなくグチャグチャだ。だって私はわざと艤装を壊した。そんなの、罪悪感が湧くに決まってる。私たちを襲った深海棲艦が脳裏にこびりついて笑っている。両目を紅く灯した深海棲艦。好戦的で無邪気な表情を浮かべ、人間とは逆に折れ曲がった足を持つ―――人間そっくりな、少女の形。
疑問よりも、恐怖が先だった。私たちは出せる限りの全速力で艤装を駆り、振り切ろうとした。それでも逃げ切れなくて、私は艤装を盾にした。生き延びるためだった。直撃すれば沈むと本能で理解出来たから、何振り構っていられなかった。
―――必死さの中で、ふと沸いた誘惑に気付かずに。
あの時、わざと艤装を盾にしようと思い付いた。思い付いてしまった。壊れてしまえば逃げられると、こんな酷い任務に就かなくて済むと、それを実行に移した。私は、みんなが必死に戦っているあの海から逃げ出した。
だから/それなのに。
どうしようもなく、心が軋むんだ。
轟音と共に水柱が上がる。深海棲艦―――戦艦ル級二隻による砲撃。叢雲を旗艦とする陽動部隊と深海棲艦の戦い、その火蓋が切って落とされた。
「戦艦ル級二隻に軽巡ホ級一隻、駆逐イ級二隻。いつも通り行くわよ!」
叢雲は、水柱を縫うように果敢に突き進む。それに合わせ、艦隊を組む五人の艦娘は自らの役割を果たすべく動き出した。
「駆逐、こっちへ来るクマ」
「こっち向けー!っぽい!」
夕立と球磨が、駆逐二隻に砲撃を浴びせつつ左右へ散会する。砲弾の飛んできた方向へと回頭する駆逐イ級だったが、
「これでも食らいなさいな!」
「主砲、狙って・・・・・!」
その隙を、叢雲と古鷹が狙い撃つ。気付いた時にはいくつもの砲撃を浴びていた。大きく口を開け、喉奥に備えた主砲を覗かせていた駆逐二隻は、横っ腹に直撃弾を受け轟沈する。
しかし―――敵方がそれを黙って見ている訳が無い。真っすぐ進んだがゆえに最も戦艦ル級に近い叢雲。その四肢を狙う戦艦ル級が、口元を歪める。
「やば―――榛名、扶桑!」
叢雲は浮力ユニットの出力を最大まで上げる。波を滑走路のようにして飛び、通常両足に半々で割り振られる浮力を右足に集中させる。そして着水の瞬間―――片足のみで海面を蹴る。
大きく横っ飛びする形になった群雲。戦艦ル級は再度照準を合わせようとする。それが、致命的な隙を生んだ。扶桑は重心を低く保ち、主砲を構える。榛名もそれに追随する形で照準を合わせた。
「今っ!」
「はい!合わせます!」
轟音。直撃弾を受け、轟沈とはいかずとも大きく体勢を崩す戦艦ル級。追撃するには絶好の機会だったが―――軽巡が二人を狙っている。
「させないっぽい!」
それを阻止すべく、夕立は軽巡に飛びかかるように主砲を撃つ。駆逐艦としては高火力を誇る夕立の砲撃を叩き込まれた軽巡は、呻き声と共に海へと沈んでゆく。
「残り、戦艦二隻!夕立以外、撃てるわね!?」
「うー、一斉射撃も参加したかったっぽい!」
横っ飛びからの制動を終えた叢雲、そして球磨、古鷹、扶桑、榛名。流石の戦艦クラスといえど、一斉射を受ければひとたまりもない。
「一斉射、撃てーっ!」
戦艦ル級は雨あられと砲撃を浴びせられ、黒煙をまき散らしながらその機能を停止した。しかし、これで終わりではない。周囲への警戒を解くことなく、陣形を元に戻す。
「―――交戦終了。ふぅ、これなら上出来ね」
「凄いっぽい!一度も撃たせなかったっぽい!」
「えっと、夕立さん。最初に戦艦二隻に―――」
「榛名、それは野暮クマ」
ここまでの完封は素直に称賛すべきものだ。叢雲はそう思いつつも、これが何度目の戦闘かと思い返していた。自分たちの役割は深海棲艦の戦力分散が目的の陽動に過ぎず、勝利は主力艦隊に託されている。しかし―――主力艦隊の苦戦は全部隊に伝えられている。
それでも信じて戦い続けるしかない。燃料も弾薬も十分、まだしばらくは前線を維持できる。叢雲はそれを司令室へ伝えつつ、更に深く敵深海棲艦の勢力圏に切り込むことを進言した。
戦闘の跡は無く、ただ残骸が波に流されていく。その残骸に何かが群がっているように見えた叢雲は、しかし瞬きの後にその姿を見失ってしまう。
「叢雲、何か気になるっぽい?」
「ん、なんでもないわよ。さて、次行くわよ次!」
深く、海底へと沈んでゆく残骸。それに群がった何かは形を変え―――異形の笑みを浮かべていた。
第二鎮守府に足音が響く。普段は騒がしいから、なんか新鮮だ。でも、床が軋むのは木材だからで決して私が重いわけじゃない。そして、私の足音に続いてもうひとつ歩幅の広い足音が後ろから聞こえてくるけど、何かのホラーゲームって訳でもない。
「えーと・・・・・久しぶり、になるのかな」
うっさい黙れ。このタイミングで来客とかもっと空気読め。というか―――。
「なんの用よ、研究者」
「経過観察みたいなものだよ」
胡散臭い。そもそも、なんでスーツの上に白衣なのよ。中身はただのマッドサイエンティストな癖に、妙な清潔感出すんじゃないっての。こんなやつに私は造り出されたのかと、ちょっとだけ納得いかない。
「ここよ」
「案内ありがとう。あぁ、ここが明石の工廠か。なかなかいい設備じゃないか」
小躍りしながら工廠内を見て回る研究者。やっぱり血が騒ぐのか。
「そんな入り口で腕組んでないで、君も入ってきたらどうだい?」
「嫌に決まってるでしょ。そもそも、アンタ何しに来たのよ?」
わたしはあくまで工廠内には入らない。ぶっちゃけ怖いし。コイツはあの時、私を特殊遠征部隊へと送り出したクソ野郎だ。用心するに越したことはない。
「まぁ、経過観察みたいなものだよ。見た所身体的な問題は無さそうだし、健康そのものだね。あとは精神面だけど―――その様子だと、何かあったね?」
「・・・・・・・・・」
急激に、冷えていくのを感じた。よりによってアンタが、なんでそんな心配をするんだ。私がこんな事になってるそもそもの原因はお前で、それならせめて悪人面でもしてあざ笑えというのに。
「大方の事情は分かるよ、何せ僕がそこへ送り出したんだ。でも、君が気に病んでいるのはそこじゃない」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
私は答えない。
「今、他の艦娘たちは戦場にいる。みんな戦っている。でも、自分はここで怠惰に過ごしている」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
私は応じない。
「艤装をわざと壊して、逃げ出した。仕方なかったんだと言い訳して、罪悪感まで感じている」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
私は信じない。
「でも君は、それ以上に―――みんなが戦う理由が分からなくて、そんな自分が嫌なんだ」
「・・・・・・黙れ。アンタに何が分かる」
私は―――アンタの戯言なんて。
「分かるさ」
「うるさい!ふざけんな!アンタにとやかく言われる筋合いはない!アンタだって研究者でしょ!?艦娘を生み出して、都合が悪ければ使い捨ての部隊に放り込んで!人でなしの非人間で情なんて無いお前ら研究者が―――なんで、私のこと見透かすのよ・・・・・」
研究者の言葉は、薪のようだった。一度火の手が上がった感情にくべられ続けた燃料は、私の心からも離れて本音を紡ぎ出す。
「あの戦場は地球で、あれは人類の故郷。造られた私たちには関係のない場所で、どうだっていい筈なのに!なのに皆は必死に戦って、取り戻すぞって士気を上げて訓練を続けてる。そんなのありえないし、訳が分からなくて当然でしょ!?」
植え付けられた記憶のせい、と一言では片づけられない。響や時雨だって、地球を取り戻したいと言っていた。
「もう、宇宙で十分に暮らせてる。地球なんて用済みじゃない・・・・・」
私には考え付かない。深海棲艦に支配されたあの地球を、取り戻す価値が分からない。
「そうだね。君たちを戦場に送り出しているのは、人間のエゴだ。でもそれはひとまず置いておいて、もっと身近で現実的な話をしよう。そう、例えば。君の友達が窮地に陥っていると知ったらどうする?」
「―――っ!そんなの・・・・・」
本当、ズルい質問だ。そんなの、答えなんて決まってる。そんなこと言われたら、こう答えるしかないじゃない。
「放っておけない。助けに行く―――アンタ、艤装は直せる?」
「勿論だ。元々そのために来た訳だしね」
「ならさっさとお願い。私は提督に連絡するわ」
工廠に、足を踏み入れる。まだ、私の問題は何一つ解決していない。それでも、戦う理由はあった。無駄にスケールの大きい悩みは、ひとまず置いておく。
―――たとえ、私の参戦で戦況が変わらないとしても関係ない。
友達のため、私は逃げ出した戦場に舞い戻る。それだけで十分だ。