深海生まれのバガボンド   作:盥メライ

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轍を踏む鉄靴のポロネーズ

 目を開けるという簡単な動作すら億劫なほど身体が重かった。波に揺られる度に鈍い痛みが全身を巡る。

 存在を丸ごと塗り潰すかのような雷撃の斉射を受けながらも私は沈まなかった。悪あがきのように撃った魚雷が爆発を上手い具合に相殺でもしたのだろう。一方的に攻撃されていた状況から逃げ切れたのは僥倖と言うほかない。無事に、とはいかなかったけれど。

 脚部艤装はほぼ全壊。腰部から伸びる艤装は主砲が一基吹き飛んでしまっている。辛うじて航行可能ではあるけれど戦闘に堪え得る状態ではない。今の私は動く的だ。

 海にいれば治るはずの身体は全くと言っていいほど回復が進んでいなかった。以前撃たれた腕は痛いまま、新たな傷は治る気配を見せない。更によくないことに、私がいるのは同族の補給艦の航路の一つだった。資材を満載して彼方の同族の許へと運ぶ補給艦はこの海域を越えた先に姿を現したことはない。それが意味するところは、今の私にとって死の宣告のようなものだ。

 八方塞がり。絶体絶命。孤立無援。絶望を意味する言葉ならばなんでも当てはまる状況だ。どんな奇跡が起きればこの状況を打開できるだろうか。

 近くの島に身を潜めようにもここは艦娘の制海圏と言ってもいいような海だ。身を隠す場所があるかどうかも疑わしい。上手く隠れられたところで救援なんて来るはずもない。

 手詰まり、ないしは王手というやつだ。王なんて柄ではないけれど。

 

 

 いつか来るだろうと思っていた最期はすぐそこに来ていた。傷ついた身体ではロクに動くことも出来ず、無闇に動けば見つかる可能性が高まる。一度でも見つかればそれでおしまい。本当に、どうしようもない。

 もう、いいや。ここで眠ろう。全てを海に投げ出してしまおう。別に構わないはずだ、生き延びる意思もないのだから。一人ぼっちの航海にしては長く持ったじゃないか。

 不貞腐れているうちに、私は自分にずれが生まれていることに気付いた。

 これでいいやなどと本当に思っているのなら、私の行動には矛盾がないか。水面に映る私は遣る瀬無さを眼に滲ませていた。

 

 

 生き延びる意思がないのなら、どうして私は抗った。何故傷の治りを待っている。あの雷撃を耐える必要なんてなかった。あの場で沈んでしまえばよかったのだ。

 終わりを先延ばしにしたのは、まだ沈みたくなかったからではないのか。

 今更沈むのが怖いなんて言わない。もっと生きていたいなんて言わない。死ぬるべき時節はすでに訪れている。

 絶望したと言いながらその実、まだ諦められずにいるのではないのか。

 

 

 濁る思考とは裏腹に、冷たい身体が熱を持った気がした。

 私の漂流は永遠には続かない。どうせ終わりは来るのだから、いっそこちらから迎えにいってやろう。

 いつだったか、死に化粧に炎を望んだ。いいじゃないか、今際の望みが一つ増えるくらい。

 

 

 これは生きようとする意思ではない。終わりに向かっていく意思だ。とても後ろ向きな前進だというのに、私の心は未だかつてないほどに晴れていた。

 生き延びてやろうと思わなくなったのは随分と前のことだ。かといって死を避けるでもなく、のんべんだらりと漂っていた。

 私は今、死んでいくことを決めた。治らない身体を引きずって進む死に損ないの行軍を始めよう。

 

 

 誰にも受け入れられなくていい。誰も迎えてくれなくていい。最後まで敵として在り続けよう。海を蝕む悪魔で在ろう。そして、人間の望む平和の礎になろう。

 壊れた艤装がしっかりと海を踏んだ。痛みは消えないけれど、気にならなくなった。

 状況は何も変わっていない。いつ艦娘が現れるかもわからないし、身体は全く治っていない。それでも不思議とこの状況をなんとか出来てしまったような気がしてしまっている。

 これが全くの勘違いの産物でも、自棄を起こした思考の結果でも構わない。パンドラの壺の底に残った偽りの希望でもいい。諦めきれない絶望も喜んで享受しよう。

 おそらくは柔和に歪んでいるだろう私の目が雷跡を捉えた。艦娘の姿は見えない。おそらくは潜水艦だ。うだうだと悠長に思い悩んでいるうちに捕捉されていたらしい。

 歴史は繰り返すと言うけれど、知ったことか。私が沈むのはこの海じゃない。

 

 

 悲鳴のような砲声を響かせながら大きな水柱が空を衝く。長らく使っていなかった上にまともな状態ではないけれど主砲はなんとか作動してくれた。壊れてしまってもいい、今この瞬間さえ持ってくれれば。

 波濤を砕き、事のついでのように迫る魚雷を吹き飛ばし、姿の見えない艦娘を追い払うように手当たり次第に海を撃った。傷ついた足の三拍子。片欠けの砲の四拍子。型もあったものではない、火薬に塗れた独りぼっちの舞踏。

 この海域に現れる艦娘はこんな砲撃に巻き込まれるような手緩い相手ではない。無差別に撒き散らされる砲弾に少しは難儀したようだけれどかすり傷もなく撤退していく背中が見えた。

 長い漂流の間に帰りたい海がどこにあるのかわからなくなってしまっていた。今の私は手を引いて貰わなければ行きたい場所にも行けない迷子だ。案内人は追い払った艦娘が務めてくれるはず。

 退いていく彼女達の背中に裾をつまんで気取った礼を捧げる。どうか彼女達が私の八咫烏になってくれますように。

 

 

 願い叶って目的の場所に辿りつけたら。その時になにを言うか、もう決めている。返って来るものもわかっている。

 起死回生の遠い親戚。数手後には詰んでしまう反撃の狼煙。会心の悪手を打ちに行こう。

 故郷に帰るんだ。私の漂流は、そこで終わる。




空気のみっちり入った風船は今にも割れてしまうかもしれないし、手を離せばどこに飛ぶかわからない。ターゲットランダムの空飛ぶびっくり箱。傍迷惑。
風船に他意はない。空気が尽きるまで飛んでるだけ。



このネ級さんはそんな感じかもしれない。

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