ポケの細道   作:柴猫侍

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番外編 二人の出会い方

 

 

 

 

 

「今日からお世話になります、ボンゴレさん」

「いえいえ……アルトマーレによくお越しで」

 

 互いに礼をし合う中年の男性と恰幅のある老人。彼らが話をしているのは、アルトマーレにある大きな博物館の職員の部屋であり、館長であるボンゴレが今日から連携をとる研究員と挨拶をしていたのである。

 研究員の名はシュウサク。彼のポケモン研究の権威であるオーキドの研究所―――その職場での水生ポケモン(主に海洋)の生息地などの研究を任されている、それなりの人物だ。

 彼にはマサラタウンに家を有しているが、未だ詳しい生息ポケモンが研究されていないジョウト地方のアルトマーレに単身赴任をしようとしたのだが、

 

「こら、ライト。あんまり周りの物触っちゃダメだぞ?」

「は~い!」

「ははッ! 元気な息子さんですね」

「ええ、好奇心旺盛で……」

 

 二人の大人の周りをコラッタの様にチョコチョコと歩き回るのは、シュウサクの背丈の半分以下の身長しかない少年。

 太陽のような笑みで父親の言葉に反応を返すが、それでも目新しい物が非常に多い為、落ち着きは全くと言っていいほどない。

 

「ライト君と言うんだね? 歳は何歳かな?」

「六才です!」

「はっはっは! そうか六歳かい。儂の孫は七歳だから、いい友達になれるんじゃないかな?」

 

 両手、それぞれ指を三本ずつ立てて自分の歳を教えるライト。

 それを見たボンゴレは、自分に七歳の孫がいることを口にして、『今度ウチの子と遊んでくれないかな?』と屈んでお願いする。

 その頼みに元気に『は~い!』と返事をするライトであるが、シュウサクは元気が良すぎではないかと苦笑を浮かべていた。

 

 本来、一人で単身赴任をするつもりであったシュウサクであったが、息子のライトがどうしても付いていきたいと駄々を捏ねる余り、半ば仕方なしに連れて来たのだ。

 その際、ライトの姉であるブルーはそのことに大反対であったが、最終的に『お姉ちゃんから離れるライトは嫌いよ! でも、お姉ちゃんはライトが大好き!』と意味不明の供述を―――。

 兎に角、紆余曲折を経てアルトマーレにやって来たライトなのであるが、初めてのジョウト地方に興奮を隠せないでいた。

 博物館の中央に佇む巨大な昔の機械や、大理石に埋め込まれているポケモンの化石など、マサラタウンでは見る事の出来なかった物の数々。何より、見たことのない数々のポケモン。

 テレビ越しではない、現に目の前に居るポケモン達を見てライトは動かずにはいられなかった。

 

 現にライトはうずうずしながら辺りを忙しなく見渡しており、それを見かねたシュウサクは一言告げる。

 

「ライト、博物館を見て来るか?」

「えッ、いいの!?」

「ああ。でも、あんまり遠くに入っちゃ駄目だぞ」

「うん!」

 

 父親の承諾を得たライトは、すぐさま全速力で博物館の中を見学する為に走っていく。途中で『走ったら危ないぞー!』とシュウサクが伝えるものの、『わかってるー!』と言うだけで速度は一切変わらない。

 分かっていないのは一目瞭然。

 ライトの姉のブルーも小さい頃はガキ大将のような立ち位置でマサラ中を駆け巡っていたが、あの時よりはまだマシだろうとシュウサクは溜め息を吐く。

 

「はははッ……元気なのはいいんですがね……」

「ハッハッハ! ライト君に比べてウチの孫のカノンはませてて、人前であんな元気な様子は見せないので羨ましい限りですよ」

「おませちゃんですか。それに比べてウチの娘は男勝りで……」

 

 互いの孫や娘のことを口にする大人たち。だが、なんだかんだ言っても可愛がっているのが現状だ。

 特にシュウサクに関しては、人前ではこう言っているものの家では『家族LOVE♡』を全面に出している。

 

「それにしても、アルトマーレは良いところですね……パッと見でも水質は随分よさそうですし、街に流れている水路の水も綺麗そうだ。住んでいるポケモンも、さぞかし気持ちがいいことでしょうね」

 

 水生ポケモンの研究を担当するシュウサクは、一目見てアルトマーレの水の美しさに感嘆の息を漏らしていた。

 一瞥すると、街の水は緑色に見えてしまうが、それは水路に石材に張り付いている藻の影響でそう見えているだけで、実際は不純物も少なくかなりいい水質である。

 専門家にそうして故郷を褒められたことに対し、ボンゴレは誇らしげに微笑みながら、彼の研究の為に貸し出す部屋へと案内する為に腕を差し出す。

 

「そう言われると光栄です……ささッ、こちらへ。古代にアルトマーレの海域に生息していたポケモンの資料は、既に部屋に移しているので……」

「ありがとうございます、何から何まで……」

「いえいえ。是非、アルトマーレのよさを知っていただくためのこちらの協力ですので」

 

 そう言われて部屋に案内されていくシュウサク。

 同時刻、ライトは―――。

 

 

 

 ***

 

 

 

「カブトプス……プテラ……」

 

 大理石に埋め込まれているポケモンの化石を眺めながら、刻まれている文字を声に出す。カブトプスは甲羅のような巨大な頭部と、ストライクのように鋭い鎌が特徴のポケモンだ。

 そしてプテラは、太古の大空において王者と称されたほどの凶暴なポケモン。だが、そのようなポケモンの化石を目の当たりにしてライトが感じていたのは、

 

「かっこい―――ッ!」

 

 憧れであった。

 何時ぞやのテレビ番組では、化石から太古のポケモンを復元するというトンデモ技術が確立されていると言われ、化石ポケモンが現代においても見る事が当たり前になるのは、そう遠くない未来であると言われている。

 ポケモントレーナーを目指すライトは、もしこのような化石ポケモンが自分のパートナーになったらと妄想を膨らませながら駆け足で博物館を見て回った。

 

「ちょっと!」

「わぁ~……このオムスターの化石も……」

「君!」

「……ん? 僕?」

「博物館は走るの禁止! そのくらい分かんないの!?」

「あ……ごめんなさい」

 

 同年代位の白いベレー帽を被る赤茶色の髪の少女が強めの口調で注意してきたため、先程の興奮が冷めたライトはシュンとした様子で謝罪する。

 その姿に『ふんッ!』と鼻を鳴らす少女は、ライトに歩み寄ってから持っていた画用紙が束ねられているノートでライトの頭を叩く。

 

「いい!? 博物館は貴重なものがい~っぱいあるんだからね! 君みたいなお子様が壊したら、とてもじゃないけど弁償のお金なんか―――」

「……君だって子供じゃないか」

「なんですってェ~!?」

 

 口を尖らせながら反論するライトであったが、憤慨して顔を真っ赤にする少女に頬を抓られて、横に引っ張られる。

 

「イタタタタッ!?」

「もう一度言ってみなさいよ!」

「痛いから離してって! もう……すぐに手を出す君の方が子供じゃんか!」

 

 力尽くで少女の手を引きはがしたライトは、自分への仕打ちを糾弾し始めるが、火に油を注いだのか少女の額や手には血管が浮かぶ。

 そして、先程よりも強い力を持ってライトに『お仕置き』をしようとするが、寸前の所で一歩下がったライト。下まぶたに指を掛け、舌を出来るだけ出す。

 

「ベー、だ!」

「うぐぐぐ……バーカッ!」

「バカって言った方がバカだよーっと!」

「っく~~~!!」

 

 子供らしい喧嘩を繰り広げる二人であったが、顔を真っ赤にして怒りを露わにする少女は、地団太を踏んだ後に踵を返して博物館の出口へと全力で走っていった。

 ライトからすれば敗者の逃走にしか見えない光景に、先程抓られた頬を擦りながら勝利の余韻に浸るようにフフンと笑みを浮かべる。

 だが―――。

 

「……ちょっと言い過ぎたかなァ?」

 

 ライトのカノンの最初の出会いの印象は、最悪であったと言えよう。

 

 

 

 ***

 

 

 

「ライト、ほっぺた赤いけどどうしたんだ?」

「ん? ううん、何でもな~い!」

「そっか。アルトマーレ楽しいか?」

「うん!」

「なら良かった! 後でお姉ちゃんとお母さんにも連絡しような!」

 

 家で昼食をとるライトとシュウサク。

 引っ越して来たばかりで荷物の片付いていない部屋の中で、商店街で買ってきたサンドイッチを口に含む。

 シュウサクの飲み物はドリップコーヒーであるのに対し、ライトが口に含むのはエネココアだ。カカオの風味とモーモーミルクの滑らかな舌触りが絶妙な、子供に大人気の飲み物である。

 

 そんな熱々のエネココアをゴクゴクと飲み干すライト。早く食事を済ませ、この新天地であるアルトマーレを探検したいという好奇心に駆られているのだろう。

 大急ぎで口に食べものを運ぶ息子の姿を見たシュウサクは、優しい笑みを見せながら語りかける。

 

「ライト。ご飯食べたら、広場に遊びに行っていいぞ」

「えッ、いいの!?」

「ああ、友達は早く作れた方がイイもんな」

「わかった!」

 

 父親の言葉を聞いたライトは、先程でさえ凄まじい速さで食事を進めていたというにも拘わらず、それ以上の速度でモグモグと口に詰め込み、ものの数十秒で残っていた物を全て食べ終えた。

 空になった皿を手に持ち、駆け足で台所へ片付けるライト。それと同時に口に含んでいた物を呑み込み、すぐさま玄関へと向かう。

 

「行ってきまーす!」

「夕飯前には戻ってくるんだぞ~!」

「はァ~い!」

 

 流れるような所作で靴を履いたライトは、勢いよく扉を開けて外に飛び出していく。

 

「……ははッ、誰に似たんだろうなァ」

 

 子供の頃は内向的であった自分に比べ活発的な息子。娘も同様に―――と言うより、それ以上に活発である為、明らかに母親の方に似たのではないかと考えるシュウサクなのであった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 カリカリカリ。

 

「……」

 

 ガリガリガリ。

 

「……」

 

 ガリガリボキッ。

 

「……あ―――ッ、もォ―――! なんで折れるの!?」

 

 画用紙に風景画を描いていたカノンは、鉛筆の芯が折れたことに憤慨して頭をガシガシと掻き毟る。

 先程の不躾な少年の所為で腹の虫が治まらないカノンは、趣味の絵描きも普段のように上手くかけずストレスマッハであった。

 

 つい先日、誕生日プレゼントであるベレー帽を被って趣味に没頭できるかと思いきやのこれである。

 今日、これほど心がかき乱されているのはあの少年の所為だとイライラしながら、乱暴な動きで新たな鉛筆を取り出して再び風景画に取り掛かった。

 

 現在彼女が居るのは、広場から少し裏路地を通った場所にある人どおりの少ない水路前。そのお蔭で騒がしくも無い為、普段であれば集中して絵描きできる場所だ。

 多少ジメジメとしており、気を付けなければ足元も滑る場所であるが、それ以上に彼女の周囲には怒りと言う熱気が纏わりついていた。

 

「う~~~……ええい!」

 

 苛立ちを発散しようと近くにあった小石を水路に投げるカノン。

 だが、小石は水面に僅かに出ていた水色の頭部に当たり、一バウンドしてから水中の中へと消えていった。

 

「あれ?」

 

 狙った訳ではない水色の頭部に首を傾げるカノンであったが、次第にそれが自分の方に近付いてくることに気が付いた。

 そして、

 

「タッツ―――ッ!!!」

「ぷぁ!?」

 

 水面から顔を出したタッツーの“みずでっぽう”を顔面に喰らった。

 びしょびしょに濡れた顔からは、止めどなく水滴が滴る。これが本当に頭を冷やされるというものだと一人納得する中で、カノンは両手で顔の水を拭う。

 持ってきた画材も万遍なく濡れてしまった為、これ以上絵を描く事は困難だと考えたカノンはスッと立ち上がる。

 

「あッ!」

 

 その瞬間、頭を前に出した時に被っていたベレー帽が風に吹かれて水路へと落ちていってしまった。

 辛うじて水中へは沈んでいかないものの、風でグングン海の方面へと流されていく。

 

「わたしのベレーぼ―――」

 

 

 

 ザパ―――ンッ!!!

 

 

 

 何とか掴みとろうと腕を伸ばした瞬間、濡れていた足場の所為で水路の中へと落水してしまうカノン。

 水面から五十センチほどの高い足場から落ちてしまった為、大きな水飛沫を上げるカノンであったが、数秒後には水面に顔を出した。

 

「プ……ぷはぁ! あッ……やばッ……!」

 

 ザパザパと音を立てながら必死に足掻くカノンであるが、如何せん足場まで手が届かない。

 頑張って壁際まで泳いで見るものの、藻の生えている石には指を掛けても滑るのみで、とてもではないが上ることはできなかった。

 更にここは裏路地の水路。人通りが少なく、それだからこそカノンが良く通っていた場所であったのだが、緊急時には周囲の人の助けを呼びづらい場所である。

 

 足をバタつかせ、手を伸ばす。

 しかし、一向に上がる気配はない。溺れた際は、服が水を吸ってしまわないように脱いだ方が良いと言われているものの、咄嗟のこととなるとそのような基本なことでさえも忘れてしまうのが人間、ましてや子供だ。

 助かりたい一心で声を上げようとするも、その度に口の中に水が大量に入ってきて咽るのみ。

 

(だ……誰か助けて!!!)

 

 

 

 ***

 

 

 

「迷っちゃったなァ~……」

 

 昼食を終えて広場に着た後、見たことのないポケモンを追って来て裏路地に迷い込んでしまったライト。

 特に自分の行動を省みる訳でもなく、逆にこれも探検だと言わんばかりにニコニコと笑みを浮かべて路地を突き進んでいく。

 

 見慣れない土地を右へ左へ。

 迷子の時、それは愚行であると思われるかもしれないが、彼はまだ好奇心旺盛な六才の少年だ。ジッとしていろと言う方が無理な話である。

 トコトコと道を突き進んでいくライト。ふと、彼の耳には水を激しく叩いているかのような音が聞こえてきた。

 

「これって……ポケモンかな!?」

 

 活きの良い水生ポケモンがいるものだとばかり思ったライトは、目を輝かせながら音を頼りに路地を進む。

 次第に音が大きくなり、目的地に近付いている事を察したライトの胸の高まりは大きくなっていく。

 そしてとうとう路地の角を曲がった所で、水飛沫が高く上がっている水路を見つけた。

 

「ん? あれって……」

(人の手?)

 

 水面との高さの関係で明確には見えないものの、ちらほらと人の手の様なものが視界に映り込んでくることから、大急ぎで水飛沫の下へと駆け出す。

 数メートル程駆けたところで、地面に手を付けて水路に顔を覗かせると―――。

 

「あッ」

「ぷはぁ……た、たすッ……!」

「ッ……掴まって!!」

 

 溺れている少女。全身濡れているものの、心なしか彼女の目尻には涙が溜まっている様に見えた。

 緊急事態であることを理解したライトは、すぐさま自分の手を伸ばし、必死に水中から腕を伸ばしている少女の手首を掴んだ。

 濡れているため若干滑るものの、ガッチリと手首を掴んだライトは余ったもう一方の手でも手首を掴み、全力で少女を引き上げようとする。

 

 勢いをつけ、子供らしからぬ力で少女を水面から腰が出る辺りまで引き上げると、すぐさま手首を掴む手を離し、今度は少女の脇に手を掛けて自分の体ごとのけ反らせるようにして引き上げた。

 びしょ濡れの少女を引き上げたことによりライト自身も濡れるが、そんなことはお構いなしだ。

 目論見通り、無事引き上げられた少女は勢いのままライトの上へと覆いかぶさる。

 『ぐえッ!』と潰れたニョロトノのような声を出す少年であったが、少女を無事に引き上げられたことに安堵の息を漏らす。

 

「ふぅ~……大丈、夫……?」

 

 体を起こして肩を掴むライト。その際、助けた少女がどこかで見覚えのある者であることに気付き、一瞬言葉を詰まらせた。

 

 博物館で、自分の事を注意して来た少女。

 

 なんたる偶然か。

 頬をポリポリと掻き、次なる言葉を紡ごうとする。しかし、中々言葉が出てこないため、どうしたものかと少女の方へ目を遣ったが、ビクッとしてしまう。

 何故なら、少女が顔を真っ赤にして震えながら、目尻から止めどなく滂沱の涙を―――。

 

「う……うぇええん……ひっぐ……えっぐ……!」

「あ、あの、えっと!?」

「うぁあん……ぐすッ……うっく……!」

 

 ゴシゴシと目尻から流れる大粒の雫を拭おうとすれど、服が既に濡れている為なんの意味も為さない。

 癇癪を上げる様にではないものの、大泣きする少女にライトはどうすればいいのか分からず、ただタジタジするしかできなかった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「―――カノンって言うんだ。僕、ライト」

「ひっく……ライト、助けてくれてアリガト……あと、ゴメン……」

「な、なにが?」

「博物館で……うっく……『バカ』って言ったこと」

「それは……えっと……僕もゴメン……言い過ぎたと思ってたトコだったから」

 

 ずぶ濡れのカノンの服を地道に絞って乾かそうとする二人は、先程の路地から動かずに自己紹介をしていた。

 複雑な心境の下で、何とか会話を広げていく二人だが、すぐに言葉はピタリと止まる。

 

「……大丈夫?」

「……うん」

 

 掛けるのは、当たり障りのない言葉。

 涙は渇いたものの、大きく張れた涙袋がどれほど彼女が泣いたことかを如実に示していた。

 ギュッと服を絞るライト。勿論カノンは裸ではない。着たままだ。

 如何せん効率が悪いが、今はこうするしかない。

 

 そう自分に言い聞かせながら服を絞るライトであったが、再び水路の方からバシャバシャと水が弾ける音が耳に入り、何事かと様子を確かめに立つ。

 同時にカノンもライトの服の裾をギュッと掴み、一緒に何があるのかを調べに行く。

 

「あッ、コイキング……」

「ンボッ、ンボッ」

「……わたしのベレー帽……」

「え? これが?」

「ンボッ」

 

 水面で音を立てていたのは、さかなポケモンのコイキングであった。コイキングの頭には、どこで拾ったのか分からない白いベレー帽が乗っかっていたが、それが自分の物だとカノンは口にする。

 必死に尾びれを動かして水面から顔を覗かせ続けるコイキング。

 

「……もしかして、拾って来てくれたの?」

「ンボッ」

「へェ~! 賢いね! ありがとう!」

「ンボッ」

「ほら、カノンもお礼言ったら?」

「ンボッ」

 

 グッと手を伸ばし、コイキングの頭に乗っかっていたベレー帽を取ったライトは、そのままカノンの頭の上へと乗せる。

 多少濡れているものの、既に関係なしと言わんばかりにカノンは深く被り、小さい声ながらもコイキングに『アリガト……』と感謝の言葉を口にした。

 

「明日、なにかお礼持って来るから! 待っててね!」

「ンボッ」

「良かったね、カノン!」

「……ん」

 

 大泣きしたことで喉が疲れて余り喋りたくないのか、カノンの言葉は終始控えめだ。博物館での喧嘩が嘘のようだと思いながら、とりあえずカノンの手を引くライト。

 

「……広場に戻れる?」

「……ん」

「じゃあ、僕も連れてってくれない? 今日引っ越してきたばかりで、この辺りの地形とか全然分からないんだよね……」

「……ん。こっち……」

 

 ライトの言葉を聞き、カノンは先導するようにライトの前を歩んでいく。進みはゆっくりであるものの、これでようやく迷路のような路地から抜け出せると、ライトは再び安堵の息を漏らした。

 しかし、変な部分が何一つない自分に対し、片やずぶ濡れで泣き腫らした顔の少女だ。

 このまま広場に行けば、どのような白い目で見られるか。破天荒な姉を持った所為で、そこら辺の羞恥心は存分に鍛えられていたライトは、少々困ったように呻く。

 

 だが、カノンに手を引かれて進んでいくうちに、小さな水飲み場を発見した。

人が飲めるように。そしてポケモンが水を飲んだり、水浴びができる様にと蛇口が上と横に二か所設置されている水飲み場を見て、妙案が頭を過る。

 

「ちょっと待って!」

「え……?」

 

 バシャアア!!

 

 すると、何を思ったのか全開の蛇口から流れる水を手で汲み取って、顔や髪、果ては服に至るまで濡らしていくライトに、カノンは何を考えているのかと唖然とする。

 暫し茫然としたまま立ち尽くしていると、水滴を髪の毛の先からポタポタと垂らす少年が、満面の笑みでカノンにこう言い放った。

 

「水遊び!」

「……へ?」

「僕とカノンで水遊びしてたって事でさ! だから僕もびしゃびしゃ~、なんてね!」

「……ふふっ! バッカみたい……」

 

 少年の言葉に、初めて華の様な笑みを咲かせた少女。

 その顔を見て、ようやくライトも心の中で胸をなでおろした。溺れていた事は秘密にし、二人で水遊びしていたことにしようと考えたライトの目論見は、どうやら一先ず成功したようだ。

 そのままカノンの下へと歩み寄り、再び柔らかい少女の手を取る。

 

「道案内、よろしくっ!」

「……うん、ライト」

 

 ギュッと握りしめた手。

 それはとても温かく、とても頼りがいがあって―――。

 

 

 

 ***

 

 

 

「あれ? これ……」

 

 初めてライトに出会ってから六年後。

 部屋の片づけをしていたカノンは、一枚の写真を見つけた。そこに写っていたのは、太陽のような満面の笑みを浮かべるライトと、唇を尖らせて恥ずかしそうにそっぽを向いて立っている自分の姿。

 背丈が低いことを考えると、かなり昔に撮ったものであることが分かる。

 

「……ふふっ、懐かしいのが出て来ちゃった」

 

 第一印象とは裏腹に今は仲のいい幼馴染であるライト。

 そんな彼と一緒に写った写真を見て微笑みを浮かべるカノンは、そっとその写真を机の上に置き、代わりにベレー帽を手に取って被った。

 今日は、秘密の庭でラティアス達と共に遊びと決めていたのだ。

 昔はブカブカであったベレー帽も、今はピッタリと頭に嵌る。

 

「……ライト、今頃釣りでもしてるのかな?」

 

 このベレー帽を拾ってくれた当時のコイキングは、今やギャラドスだ。きょうあくポケモンであるギャラドスの背に乗って釣りに没頭するのが、ライトのここ最近のトレンドらしい。

 特性の“いかく”で野生のポケモンが怯え、釣れるのはほとんどいないらしいが。

 

「さてと……お爺さ~ん! 出かけてきま~す!」

『おぉ~! 気を付けていくんじゃぞ~!』

 

 船大工である祖父のボンゴレに出かける旨を口にしたカノン。靴を履いて、軽快な足取りで秘密の庭へと駆け出す。

 

 

 

 

 

―――アルトマーレは快晴だ。

 


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