「う~ん……むにゃむにゃ……」
「……」
夜の帳が下りた時間帯、窓から差し込む月明かりの中で自分に寄り添いながら眠っている少年。
自分の首に巻かれた包帯をそっと撫でた後、自分に掛かっている毛布をベッドにうつ伏せになっている少年にかけてから、瞳を窓の外へと向ける。
今日の伝説の三鳥のミアレへの襲撃が終息してから、次第に雲行きが怪しくなり、今ではザアザアと雨が降っていた。
ボールの外で眠るのは久し振りであるが、自分が負傷しているからという理由だと、易々と安眠できるものではない。
『リザードンの首の傷は思ったより深いし、疲労もあるからゆっくり休ませてあげてね』
『……はい』
ポケモンセンターで自分の事を受け取った主人である少年の表情。自分の所為で傷つけてしまったという後悔を含んだような表情に、得も言えぬ感情になってしまった。
その責任感からなのか、夕食をとった後、ベッドに横たわらせられている自分の面倒を看ていたのだ。その内、何時の間にか眠ってしまっていたようだ。
どうにかして近くに置かれているソファにまで移動させたいが、情けない話、疲労で体が動かない。
少年が明日、悪い姿勢で寝たために体がバキバキになるといったことにならないよう、心の奥で願う。
そんなことを思いながら窓の外を眺め続け、何時の間にかに郷愁に浸るような感覚に陥る。
故郷というには余りにも荒んだ思い出しかない土地であるが、あの場所は―――。
―――……そうだったな。
―――アンタと初めて会った時もこんな雨の日だったな……マスター。
***
生まれた時から彼の世界は檻の中だった。揶揄でもなく、本当に彼は檻の中で生まれて管理されながら生活している過去を送っていたのである。
彼を管理するのは『ロケット団』。
世に名を轟かせる悪の組織。強盗、殺人、違法売買などなんでもござれという、悪の組織といえばこれ、というような組織だ。
彼が生まれた土地の名前は『5の島』。カントー地方から見て南に存在する七つの島―――『ナナシマ』と呼ばれる地域の内の一つの島。
その5の島に密かに建設されていたロケット団倉庫と呼ばれる場所で、思いもよらずに産まれた一体だった。
売買目的で管理されていた母親のリザードンが身ごもっていたタマゴ。それから生まれたのが彼だ。
しかし、彼が生まれて程なくして母親のリザードンはどこかに売り飛ばされた。母親の愛情を充分に受けることなく孤独の身になった彼は、『ここから出たい』、『帰りたい』と叫ぶポケモン達が数多く存在する精神衛生の良くない場所で育ち、生まれたばかりであるのにも拘わらず荒んだ性格になった。
愛想のないポケモン。人を見れば牙をむき出しに威嚇する可愛げのないポケモンに、管理係であったが団員は、次第に彼に餌を与えることを怠るようになった。
食事をとることができなければ飢え、次第に痩せていく。当たり前といえば当たり前であったが、まだまだ幼体の彼はそれが顕著であったのだ。
痩せこけていく彼は、生まれたばかりで死を覚悟するようになった。
だがある時、彼が居るロケット団の倉庫に一人のポケモントレーナーがやって来たのである。
名前までは分からなかった。だが、六体のポケモンに指示を出して団員達を蹴散らしていくトレーナーと、そのポケモン達が凄まじかったことは覚えている。
そのトレーナーと団員達が戦っていると、ふと戦闘の流れ弾であった攻撃が自分の檻に直撃し、彼の檻には逃げるだけの隙間ができた。
そんな隙間からこっそりと抜け出していった彼は、初めて見る土地に臆する事もせずに森の中を進み、野生のポケモンに襲われ傷だらけになりながらも、一つの家屋にまで辿り着いたのだ。
豪雨の中、森を進むことによって何とか尻尾の炎が消えないようにと注意を払いながら進んだだけのことはあった。
だが、既に満身創痍の彼は最後の希望を託すように目の前の家屋の扉を開け、そのまま前方に崩れ落ち―――。
「おやおや。こんな雨の日のカフェに、ポケモンが一人でご来店とは珍しいことだ」
その店は5の島で唯一のカフェであったのだ。
そして、店主である白髪の老人が弱った彼を保護するに至った。栄養失調や、体の傷で大分弱った彼であったものの、店主の献身的な介護もあってすっかり元気になったのである。
5の島の中でも辺鄙な土地に建てられたカフェ。そこには老人と、バクフーンというポケモンが居た。
一人と一体で切り盛りするカフェは寂れており、アンティークな雰囲気を漂わせる店であったが、客足はそれなり。
気の良い店主の性格と、5の島がセレブの住むリゾートという島であることも相まって、ジェントルマンやマダムといった風貌の人物が訪れるカフェだった。
コーヒーの香りが店の建材である木材に染み込み、四六時中香ばしい香りが漂うカフェは、今迄暮らしていた環境とは打って変わって落ち着く場所だ。
そんなカフェで飼われる彼は、バクフーンと名を連ねる看板ポケモンとして訪れる客に可愛がられていた。
どうやら、彼の無愛想な性格が逆にウケたようだ。時にはセレブな家族に連れられてくるお坊ちゃまやお嬢様というような風貌の者達も、彼を微笑ましく眺めていた。
誰にも靡かない彼であったが、カフェの落ち着いた雰囲気によって次第に荒んだ心は潤いを取り戻していくのであった。
店主特製であった珈琲豆の粉末が練り込まれたポケモンフーズを食べたり、客の遺したコーヒーをこっそり飲んでみたりした彼は、最初こそその苦味に顔を歪ませていたものの、次第に好き好んでコーヒーを口にするようになる。
彼にとってコーヒーは、自分に安らぎを与える存在になったのだ。
穏やかな物腰で接してくれる店主。何の関わりもない自分の面倒を看てくれ、家族のように扱ってくれる店主を、彼はとても感謝していた。
やはりと言うべきか、彼の人徳は広いところにまで及んでおり、ラプラスを連れた赤い髪の女性や、『ゴゴッと唸る炎の究極技を教えるのじゃ~!』と叫ぶ老婆など、様々な人物がこのカフェには訪れる。
十人十色な人物を見ていく中でも、彼の心は潤っていく。
母親の愛情を受ける事が無かった心が、次第に温かいものによって潤っていくのだ。
そんな生活を続けて暫くすると、数人の警察がカフェに訪れた。
どうやら、ロケット団の帳簿に記載されていたポケモンの数と保護されたポケモンの数が合わず、この5の島のどこかに逃げ出したポケモンが居るのではないかと言うのだ。
その帳簿の中には、『ヒトカゲ』の名も―――。
大体の内容を察した店主は『そういう訳でしたら』と彼を警察に託そうとした。
警察は『よければ』と、手続きを踏んだうえであればこのまま彼を店主の下に置く事を勧めたが、それでも店主は頑なにそれを断る。
店主を離れることを察した彼は、寂しそうな顔で店主の瞳を見つめたが、何かを訴えるかのような彼の瞳に何の抵抗もできなくなった。
だが、店主は最後にこう言ったのだ。
『君を待つポケモントレーナーに』と。
老い先短い自分と共に居るよりも、彼を待つこれからを生きるトレーナーと共に生きることを勧められた彼は、警察の手を渡ってオーキド研究所に引き取られることになった。
研究対象にされるのかと考えた彼であったが、どうやら『初心者用のトレーナーのポケモン用に』とのことらしい。
しかし、無愛想な彼を初見で選ぶ子は余り居らず、時間だけが経っていくのであった。
そんな中、彼は他の二体と共にとある者に託され、とある街に住む少年に引き取られることになったのだ。
清き水の都に住まう少年に。
彼の瞳は『湖』だった。
湧き出る水によって、周囲には青々と生い茂っている植物が数多に存在する、緑豊かなオアシスとでも言うべきか。
どんな者であっても心安らぐことのできるような湖を瞳に宿した少年に引き取られた彼。
無愛想な彼を苦笑で見つめるも、それも個性だと認めて距離を縮めようと話しかけてくる少年。
彼は、そんな少年を鬱陶しいと思う事は時折あったが、次第にそれが子守唄の様な安らぎを与える声に変わっていくのを心の奥に感じていた。
故郷と訊かれても、あの寂れたカフェしか思い出せない彼であったが、彼と共に旅立つことになり、移り変わる景色と共に世界の広さを知る。
そんな世界を歩みながら少年はこう言うのだ。
『チャンピオンになる』と。
それが何なのかはイマイチ分からない。だが、共に歩んでいけばそれが何であるのかは自ずと知る事ができるだろうと突き進む。
特にこれといった個性も無い自分を選び、特別な存在へと育て上げてくれたこの少年と共にあれば、彼の言う光差す頂にいずれ辿り着くのではと―――。
***
「……」
ふと目を開ければ、燦々と朝日がカーテンの隙間から降り注いでいるのが見えた。チュンチュンと鳥ポケモンの囀りを聞きながら見渡せば、未だベッドにうつ伏せになるように眠る少年を確認できた。
健やかな寝息を立てて眠る少年を見た後、モーニングコーヒーでも飲みたいと考えながら再び窓の外を眺める。
あの朝日は、昨日の朝日とは一体どこが違うのだろうか。
でも、一つだけ言えることがある。
ライトは自分に、多くの新しい景色を見せてくれた。
今までも、そしてこれからもだろう。
背中に乗って飛んでみたいと言った少年を、いずれは自分の背中に乗せてあの大空へと羽ばたきたいと考えるリザードン。
今すぐには無理だろうが、いつかは出来る筈だ。
蕾がいつか、花開くように。
***
「あ゛ぁ~~~!!」
バキバキゴキゴキッ!
腰に手を当てながら反り返るライトの腰からは、凄まじい程に音が鳴る。その様子に周りで見ている者達は苦笑を浮かべながら朝食の準備をしていた。
一晩中とはいかないまでも、それに迫るほどリザードンの面倒を看て、そのまま寝落ちしてしまったライトの腰は大変なことになっていたのである。
そんなライトをひょいと抱えるポケモンが、ここに一体。
「えっ?」
「グォウ」
「ちょ、リザードン?」
突然背後から現れたリザードンは、腰を鳴らすライトを抱え上げ、そのままテーブルの前にある椅子へと座らせた。
唖然とするライト。そんな主人を余所にリザードンは、余った椅子に腰かけて用意されていたコーヒーを啜り始める。
「いつか豆を挽きそうな雰囲気ですわね……」
「それは流石に……いや、ありそう」
「焙煎したりとかもありそうだね」
「本当にありそうだから止めて」
「その気になったらブレンドとかも……なんちゃって!」
「いや、聞かせたら本当にやっちゃうから」
ジーナ、デクシオ、コルニの言葉に苦笑を浮かべながらリザードンに目を向けるライト。
そこには、コーヒーを啜るのを止めて、やけに真摯な眼差しのまま無言で主人を見つめるリザードンが―――。
「ほら! あの目はやる気だって!!」
「はははっ、面白いじゃないか」
「他人事だと思わないで下さいよ、プラターヌ博士!」
「いやぁ、ポケモンが淹れてくれたコーヒーを飲むというのも、少し粋だと思っちゃってね」
「豆だって安くないんですよ!?」
「そう言えば、アローラ地方にはポケモンに食べさせてあげるポケ豆という物が……」
「話を逸らさないで下さい!」
必死になって抗議するライトだが、プラターヌは呑気に紅茶を啜っている。
朝からツッコミを入れて疲れたライトは、テーブルの上に置かれていたモーモーミルクの入ったコップに手を付けた。
喉を潤す為にゴクゴクと飲みながら、ちらっとリザードンに目を遣ると、
「いや、何がグーサインなの?」
「ドン」
三本爪の内、人間で言うところの親指の部分を立ててみせるリザードン。
―――自重はする。
そう言わんばかりの動作に、ライトは朝から溜め息を吐くのであった。
***
カロス地方ポケモンリーグ。
『そう……申し訳ないわ』
「いえ。貴方の留守を守るのも、わたし達四天王の役目。それに今回の一件は、貴方が出向くほどのものでもなかったでしょう」
大広間にある画面に大きく写しだされているのは、カロス地方チャンピオンであるカルネだ。
だが現在彼女は映画の撮影である為、このカロス地方には居ない。
そんな彼女と画面を通じて会話をしているのは、四天王の一人・ズミだ。
彼のすぐ横にあるキャスター付きのテーブルの上には、ボールが二つほど収められているケースが存在する。
そのボールに入っているのは―――。
「サンダー、ファイヤー、フリーザーの処遇に関して本部の方は、捕獲した者の判断に任せるとのことを言っていました」
『ファイヤーはパキラが捕獲したのよね? なら、彼女はそのまま手持ちに加えるのかしら?』
「妥当でしょう。それでわたしの捕獲した一体と民間人が捕獲して託してくれた一体……サンダーについてはミアレジムリーダーに。フリーザーはエイセツジムリーダーに任せることにします」
『ミアレはシトロン君。エイセツはウルップさんね? 貴方がそう決めたのであれば、あたしはどうこう言うつもりはないわ』
画面に映し出されるカルネは柔和な笑みを浮かべ、終始険しい表情を浮かべるズミにそう言い放つ。
対してズミは、深々と一礼をした後に左腕の腕時計を一瞥し、フッと笑みを浮かべる。
「では、わたしはレストランの予約が入っていますので、これで失礼。貴方も映画の撮影があるでしょう」
『ええ、ゴメンなさいね。他の皆にもよろしく伝えておいてくれるかしら?』
「機会があれば」
自分が時折ジムリーダーや四天王を招いて料理を振る舞うことを知っているカルネの言葉に、踵を返しながら広間から去って行くズミ。
そんな彼の背中を見届けるカルネは、ヒラヒラと手を振った後にテレビ通話を停止させる。すると、途端に画面は黒一色になった。
カツカツと音が響き渡る広間も、少し経てば誰も居なくなり静寂が訪れる。
此処はポケモンリーグ。
リーグトーナメントを勝ち抜いた一握りの人物だけが来ることの許される場所。あと一、二か月もすれば、四天王・チャンピオンへの挑戦権を掛けたミアレ大会が開催する。
その時に、挑戦権を勝ち取れる者はただ一人。
つまり、その年のチャンピオンのみに与えられるのだ。
今年の大会が如何なる者になるか。
それは神のみぞ知ることだ。