とあるで転生もの   作:ぺぺろー

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学園都市はその名の通り、様々な教育機関の集合体である。

そのどの学校でも外部の学校とは一線を画した教育がなされており、学士並みの知識を持つ中学生等という眉唾物の話もよく聞く。

つまりはいつか記したように、俺のごく一般的、もしくは劣っている知能では底辺の普通校に通うのが精一杯だったということである。

情けないことに、ザ・ワールドを使ってカンニングしたこともある。

が、隣の奴も頭が悪かったのか、安心していた問題が実は外れていたのかは知らないが、勧められた進学校は軒並み全滅だった。

しかし幸いなことに、学園都市にも学校のランクというものがあるようで、こんな俺でも無事合格できた学校もあった。

柵川中学、という第7学区の中学校だった。

校風は俺のよく知った一般的な中学校と類似しており、訳の分からん科目なんかを除けば普通に生活できそうな学校だ。

入学した時点で学生寮への入寮を義務づけられており、後から聞いたがこれはどの学校でも一律で定められている条例のようなものらしい。

前世で通っていた高校の学生寮はまるで便所のような狭さと聞いたので、入寮の時はひたすら心配していたが、普通に生活できるスペースはある一人部屋で安心できた。

そのため生活に不自由はない、とはいえ、嗜好品や娯楽品を安易に購入できないほど生活は切り詰めたものだったが。

というのも、学園都市では生徒にレベルに応じた生活費を支給しているからだ。

学業のレベルではなく、レベルそのものだ。

学園都市には先程記したように訳の分からん科目が多くある。

『能力開発』もそのうちの一つだ。

生徒の脳に開発を施し、いわゆる『超能力』を人為的に目覚めさせる授業。

これは前世でもなんとなく知っていた知識だったが、実際に見ると想像とのギャップがかなりあった。

スプーンを曲げたり持ち上げたり、裏返したカードの絵柄を当てる授業風景は見ていて若干頭がどうかなりそうだった。

その能力の強度に応じてレベルが各生徒ごとに与えられており、最低のレベル0から最高のレベル5までが割り振られている。

特にレベル5は単独で軍隊との戦闘が可能と言われるほどの超能力があり、現段階では7人しか存在しないという。

しかし能力は大抵の場合知能と比例するようで、この柵川高校には強くてレベル2の生徒しかおらず、また殆どの学生はレベルが0で固定されてしまっていた。

クラスのどんな奴に聞いても、能力に関しては羨望と落胆の二種類の言葉しか返ってこなかった。

そして俺はというと、レベル0。

どうやら身体検査とやらでは俺のザ・ワールドは検出されないらしく、また能力開発も意味をなさないようだった。

いや、勿論ザ・ワールドを使えばスプーンを飴細工のように曲げることもできたし、時を止めてカードの裏側を確認することもできた。

しかしそれをしなかったのは、ひとえにあの神のせいである。

以前病院で記憶喪失を装った時に自分の不用心さを思い知ったので、なるべく不審な行動は行わないよう努めていたのだ。

誰が何をきっかけにして俺の異常性に気付くか分からない状況で、俺の能力を全て晒すのは危険だと判断したためである。

しかし、親しい者には真実をぼかして能力を告げることもあった。

すなわち学校内で披露することは無かったという程度の事である。

尤も、今までに話したことのある人間はあの園長先生だけだったが。

とにかく、その点をふまえた上で俺は友人もほどほどに、適度に快適な学校生活を楽しんでいた。

俺は生前友人と呼べる者はほぼいなかったと以前記したと思うが、あすなろ園での経験もあり、こと年下に関しては親しくなることは難しくなくなっていた。

いや外見や年齢的には同い年だが、精神的には彼らと俺には長男と末っ子くらいの差はあると思う。

そんなある日だった。

 

 

いつもの通り授業を終え、寮にすぐ帰宅するのではなくコンビニへ向かっていたときの事だ。

そのときは金を下ろすがてら立ち読みでもしようかと思っていたのだが、いかんせんタイミングが悪かったらしい。

コンビニより少し手前、背の高いビルのせいで日の光もあまり届かず、薄暗い影のみをたたえているような路地裏。

数人の男が一人の小太りの男を囲んで立っていた。

囲んでいる方も小太りの方も高校生くらいだろうが、どちらが弱いかは考えるまでもなかった。

小太りの学生は見るからに怯え、壁を背にやっと立っているような状態だった。

囲んでいる学生はそれを見て下卑た笑いを浮かべ、髪型だけでなく頭もキマっちゃっているような風貌をしている。

話し声も通りに僅かに漏れてきており、どうやらカツアゲと呼ばれる行為をしているようだった。

ここまで確認できたのは、俺の洞察力が優れているとか観察力が素晴らしいとかといった話ではない。

単純に、その姿は通りからもよく見えるからだ。

俺の他にも道を行く人は多くいる。

その誰もが、路地裏を見つけて暫く眺めて何か考えた後、やっぱり見なかったことにして歩き去っていった。

こういうところは、前世の世界と何ら変わりない光景だった。

俺が以前と違いすぐにその場を離れなかったのは、この世界に来て何らかの心境の変化があったからなのだろう。

しかしやはり俺も、通行人と同じように何もできずにいた。

俺にはザ・ワールドという能力がある、あるが、今はその指一本動かせずにいた。

きっとこの力を使えば目の前のチンピラを蹴散らして、囲まれた学生を助けることができるのだろう、しかし、体はまるで自分のものではないように動かなかった。

例えば拳銃を自分が持っているとして、目の前に丸腰の犯罪者がいるとしよう。

はたして犯罪者に恐怖を感じず、躊躇無く撃てる人が何人いるだろうか。

そういう訓練や経験を積んできたのならまだしも、俺はただ生まれ変わっただけの人間だ。

犯罪者どころか、目の前のチンピラにさえブルってしまう人間なのだ。

どんな強力な能力を持っていたって、結局俺はみっともないいち人間にすぎない。

そうだ、俺は弱い人間だ、だから仕方がない。

こうやって他の人と同じように通り過ぎても、仕方がない。

きっともっと別の相応しい誰かがやってくれる、だから俺がやらなくてもいいんだ。

そう言い聞かせて路地裏から顔を背ける。

すると、鈍い音と共に小さな悲鳴が聞こえた。

路地裏に向き直ると、囲まれた学生の顔には打撲痕が浮かび、口元からは僅かに血が流れていた。

もうダメだ、見てられないと思い、コンビニも無視して寮に帰ろうとしたとき、

 

「風紀委員ですの」

 

背後から声がして、俺はみっともなく驚きつつも慌てて振り返った。

振り返ると、そこには俺より幾分か背の小さい女学生が立っており、その右袖には緑色の腕章が留められていた。

しかしその視線は俺を見ておらず、路地裏に向けられていた。

彼女は続ける。

 

「暴行未遂のーー、ではありませんわね。暴行の現行犯で拘束しますわ」

 

彼女はチンピラが自分より遙かに背が高いことや、袖から除く腕が筋肉に包まれていることなんか全く気にしていない様子だった。

彼女は憮然とした様子でチンピラに詰め寄り、どこからか手錠を取り出した。

しかし、彼女がチンピラに脅威を感じていないように、チンピラの方も彼女を脅威とみなしていなかった。

二言三言、彼女たちの間で言葉が交わされた後、一番手前にいたチンピラがポケットからナイフを取り出した。

声を上げる暇もなく、決着はついた。

チンピラの全滅を以て、だったが。

突き出されたナイフは彼女の服も掠らず、逆にその勢いを利用されて投げ飛ばされて一人は気絶した。

他も似たようなものだ。

壁に叩きつけられたり蹴り飛ばされたり方法はまちまちだが、とにかく文字通り『あっという間に』事態は収束した。

全て終わった後の路地裏を俺は暫く呆然と眺めた後、風紀委員の女学生がこちらを振り向く前に急いで立ち去った。

金も下ろさず、立ち読みもせず、半ば転がり込むように寮に逃げ帰った。

望んでいたとおり、『相応しい誰かが』彼を助けてくれたというのに、俺の心は全く晴れなかった。

悔しいような情けないような腹立たしいような、あるいはその全ての感情が俺の頭の中で渦巻いていた。

もし俺が見たときすぐに助けていれば、あの学生は殴られずに済んだのではないだろうか。

助けを請うあの目が脳裏に焼き付いて離れなかった。

その日はそれから何もせず、ベッドに倒れてひたすら眠るよう努めた。

 

 

その日から、俺はザ・ワールドを使わなくなった。

クラスの奴に言わせると、俺は最近暗くなったらしい。

それを聞いて、俺は根拠もなく納得し、同時に不思議な居心地の良さを感じていた。

俺が元々どんな人間だったか思い出せたからだ。

馬鹿は死ななきゃ治らないと言うが、あれは嘘だ。

正しくは『死んでも』治らない、だろう。

一度や二度生まれ変わったぐらいでは俺の人間的な本質に変化をもたらすことは無いのだろう。

俺はめでたく負け犬の座に返り咲いたわけだ。

しかし俺はどこかひねくれた諦めを感じると共に、それから抜け出したいという欲求も感じていた。

自分はろくでもない人間だと思う反面、そうでない立派な人間になりたいと思う心もあったのだ。

いっそのこと開き直ってクズになれたらいいのに、と思うほど、その良心の呵責は俺を静かに苦しめた。

だがその良心も俺を実際に行動に移らせるだけの効果は持たず、俺は以前と同じ消費するような毎日を送っていた。

 

そんなある日だった。

 

 

 

 

俺はいつも行くコンビニではなく、銀行で金を下ろしていた。

その日が休日で、またATMの手数料すら節約したいような状態だったと言えば分かって貰えるだろうか、とにかく俺は銀行で金を下ろしていたのだ。

たまたまその日に、通帳を作ってから初めて銀行で金を下ろしに行ったのだが、それがどうも拙かったらしい。

結論から言うと、金を下ろすこと自体は成功した。

しかし金を下ろすやいなやその銀行が1人の覆面の男に占拠されてしまったというのが、事の顛末である。

本当にたまたま、その日だけ、その銀行に行ったのだ。

すると窓口に覆面の男が近づき、拳銃を懐から取り出し、天井に1発だけ射撃した。

客は悲鳴を上げて逃げようとしたが、降りてきた防犯シャッターのせいでそれは叶わなくなった。

男が命令したのだろう。

覆面の男は野太い声で窓口の銀行員を脅しており、その額に拳銃を押しつけていた。

強盗は拳銃を押しつけたのとは別の銀行員に金を持ってくるよう命令し、俺を含めた一般客に妙な真似はするなと釘を刺した。

客の中には子供もいた。

老人も、赤ん坊を抱いた母親もいた。

しかし俺の役立たずの体は再び硬直し、視界に拳銃が入る度に胃が痙攣して胃液が逆流した。

ヘドを吐く一歩手前というやつだった。

同時に目の前に迫る大型車がフラッシュバックし、思わず声を上げそうになる。

俺はどうしようもなく怯えきっていた。

強盗は銀行員が命令したとおりに金の詰まった鞄を持ってきたことを確認すると、わざとらしく拳銃を振り回し、大きな声で言った。

 

「誰か一人、俺に着いてきて貰おうか?」

 

人質の要求だった。

しかし、どう考えてもさっさと逃げた方がいい状況のはずだ。

なぜ余計な人質など欲したのだろうか?と俺が考えた瞬間、強盗がぐるりと首をこちらに向けた。

 

「何か疑問に思ったな?」

 

銃口が同時にこちらを向き、体が意図せずびくりと跳ね上がった。

強盗は続ける。

 

「そりゃ俺だってここから一刻も早く離れたい。だけどよ、外にもう警備員のやつらがきてるんならよぉー、一人で逃げ切るのは難しいってことだ」

 

どういう事だ、と考える前に、男は窓口に向き直り、鞄を持ってきた銀行員に再び銃を向ける。

 

「お前、『まさか通報してねえよな?』」

 

銀行員が慌てて首を振った。

すると強盗はにやりと笑い、鞄を持ってきた銀行員の肩を撃ち抜いた。

俺は喉の底が干上がるのを感じた。

乾いた音の後に、女性客の誰かから悲鳴が上がる。

撃たれた銀行員は肩を押さえてその場に倒れ込んだ。

押さえた指の隙間から血が滲む。

 

「お前が余計なことをしなけりゃこんな事しなくて済んだんだけどな。バレねーと思ったんだろうが、そういうの通じない能力なんだわ」

 

恐らくはあの撃たれた銀行員が鞄を持ってくる間にどうにかして通報したのだろう。

そしてそれを強盗が察知したーー、恐らくは、超能力で。

さっき俺が疑問を抱いたときに気付いたのも同じ理屈なのだろう。

 

「あんまり詳しい事は分かんねーがよぉー、この銀行にいる奴らは皆小便ちびりそうなほどビビってるのは分かるぜ」

 

強盗は低レベルの精神感応系の能力者だったのだ。

強盗はうずくまった銀行員を二、三回つま先でつつくと、再び銃口をこちらに向けた。

 

「そんで、だれが俺とデートしてくれる?そっちのババアか、ガキか、それとも」

 

銃を向けられたのか、誰かの小さな悲鳴が上がる。

 

「その赤ん坊か?」

 

強盗が赤ん坊を抱える母親の方へ歩き出した。

母親は逃げようとはしないが、泣きながら必死で子供を強盗から守ろうと覆い被さるように抱きしめた。

母親のその姿が、いつかの路地裏と被る。

しかし強盗のその姿が、迫る大型車と被る。

半ば反射的に強盗から顔を背けてしまい、そちらを再び向く事ができなくなった。

強盗の足音を振り払うように、自分に必死で言い聞かせる。

あの時だってそうだったんだ、きっと今度も大丈夫だ。

そうさ、俺が飛び出てもし死んじまったらどうするんだ。

必ず助けられる保証は無いし、ここでじっとしているのが正解のはずだ。

誰かがやってくれるって皆思ってんだ、俺は悪くない。

誰かが、誰かが、誰かが、誰かが。

 

「…誰か…」

 

それは消え入りそうな女の声だった。

子供を抱える母親が、叫ぶ事すらできずに呟いた声だった。

 

 

強盗の手が、とうとう泣く母親の体に触れた。

 

 

 

 

 

その瞬間、強盗の手はひしゃげて潰れた。

 

「⁉‼⁉」

 

いや、俺が潰した。

強盗は誰に何をされたのか全く分からないだろう。

恐らくは能力ですら理解できないはずだ。

なぜなら、俺はまだゲロ吐きそうなほどビビってるし、緊張で足がガクガク震えていたからだ。

つまりあの強盗が簡単な心の機微しか察知できないのなら、この俺の小指の先ほどの決意なんざ分からないだろう、という事。

俺はガタガタ震える足を無理やり動かし、頼りなく立ち上がった。

恐らく他の人達から見れば、俺はこの上なくみっともない姿をしているだろう。

だが、理解した。

誰かがやってくれるって事は、誰かがやらなくてはならないという事なのだ。

奇声を上げながら、腕を押さえてうずくまる強盗の傍に、俺の半身は佇んでいた。

そこにはギリシャ彫刻のような美しい体が黄色い光をたたえ、一種の芸術のような美しさがあった。

初めて見たときとはまるで違い、その顔には内側から光り輝くようなスゴ味が確かにあった。

ザ・ワールドとこの世界がまるで歯車のように噛み合うのを感じる。

恐らくは本来あるべき姿に戻ったのだろう。

体の震えは止まらなかったが、目の前のクソ野郎をぶちのめすという確信はあった。

強盗は俺が立ち上がっている事に気づいたようで、無事な手で銃をこちらに向けてきた。

何か言いたそうに口がパクパクと動いていたが、聞いてやる余裕もない。

拳銃から弾が吐き出される前に、ザ・ワールドの拳が拳銃を握る手ごとメチャメチャに叩き潰す。

強盗はカエルのような呻き声を上げてのけぞった。

人を殴って怪我をさせるのは初めての事だったが、罪悪感なんてものは微塵も湧かなかった。

正直いっぱいいっぱいなのだから。

銃という目に見える凶器を排除した事で、みっともない体の震えも少し引き、声を出すだけの余裕が出てくる。

 

「手加減は…見ての、通り…で、できそうにない。もしこれ以上怪我をしたくなければ、警備員にこ、拘束されるまでそこでじっとしてろ…」

 

緊張と恐怖でろくに声が出ない。

我ながら最低の脅しだと痛感した。

俺はこれで強盗が言う事を聞いてくれれば儲け物だと思ったが、どうやら逆効果だったようだ。

強盗は度を越した混乱と恐怖で動転したか、母親から赤ん坊をひったくって俺の前に突き出した。

そしてひしゃげた手で無理やり懐からナイフを取り出し、赤ん坊の頬に近づける。

赤ん坊の頬から紅い雫が垂れ、甲高い泣き声が響いた。

 

「とっととシャッター開けろ、コラァッ!!!ガキ殺されてぇか‼」

 

強盗が銀行員に大声を上げる。

しかし彼らも何が起こっているか理解していないようで、怯えて見ているだけで命令に従おうとはしなかった。

その姿に業を煮やした強盗は、ナイフを握る手に力を込めた。

 

「ナメやがって、こいつは殺すーーー!」

 

母親の叫び声が響く。

赤ん坊の頬にナイフが僅かに刺さった。

俺の体から今度こそ完璧に震えが消える。

俺は力の限り叫んだ。

 

 

 

ーー世界(ザ・ワールド)

 

 

 

たったそれだけで全てが停止した。

地面に落ちようとする血の雫、宙に舞う埃の粒、バラバラになった拳銃の部品。

そして、銀行内にいる人間。

俺を除いた全てが停止したそこは、まさに俺だけの世界だった。

しかしその持続時間は最長で2秒。

今は体に力が満ち、もっと止められるような不可思議な気がしていたが、2秒だけでも充分だった。

1秒以内にザ・ワールドは強盗に何発かの拳を叩き込み、赤ん坊をその手から奪い返す。

そして優しく元の母親の腕の中へと返還した。

全て終わってもまだ時は止まっていたので、ついでだと駄目押しに顔面に拳を叩き込む。

へし折れた歯が血しぶきと共に空中で静止し、強盗の顔が不細工に歪む。

と、そろそろ時間のようだ。

 

「時は動き出す」

 

その言葉と同時に、強盗は吹き飛んで壁に叩きつけられた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それから事態は速やかに終息した。

銀行員達は吹き飛んだ強盗を数秒間呆然と眺めた後、何かに弾かれたように急いでシャッターを開けた。

その瞬間銀行の前に列を成していた警備員が視界に入る。

彼らもまた、既に無力化された犯人と思わしき人物が寝転がっているのをしばらく唖然とした様子で見ていた。

俺は未だ肩を押さえてうずくまる銀行員に近寄ると、耳元で小さく言った。

芝居がかった動きだったがそんなつもりはなく、単に大きな声で言うだけの気力や勇気が無かっただけの話だった。

内容はこんな感じだった。

 

「すみません、最初ビビって動けませんでした」

 

実際にはもっとどもって伝えていたが、要約するとこういう事を言いたかった。

それを聞いた銀行員は何も言わず、ただ苦しそうにくぐもった息を漏らすだけだった。

多分恨んでいるのだろう、俺が直ぐ動きさえすればこの人は撃たれずに済んだのだから。

しかし銀行員は、俺が思ってもいなかった言葉を口にした。

 

「いや、君はそれでも皆を助けてくれた。君は立派な男だよ」

 

俺は顔が熱くなるのを感じた。

銀行員がそれ以上の言葉を発したのを無視して、俺は身を翻した。

彼に対して酷い罪悪感はあったが、もはや以前感じたようなぼんやりとした不安感は無かった。

だがやっぱり凄く後ろめたい事でもあったので、俺はそのままザ・ワールドを使って時を止め、銀行から急いで逃げ出した。

連続して時を止める事はできなかったので、恐らく見られてしまったのだろう、後ろから誰かが呼び止める声が聞こえる。

俺は立ち止まらず、10秒経ったのを確認して再び時を止めた。

 

 

 

俺は自室の扉を閉めてからベッドに寝転がり、一息ついた。

疲れたような清々しいような不思議な達成感が体を包んだが、それも最初だけだった。

やがて足先から羞恥心や自責の念が頭まで這い上がってきて、耳が熱くなるのを感じた。

なんて無鉄砲な行動だっただろう!

結果的に強盗に勝てたから良かったものの、確実にそうできるという保証はあの時どこにも無かった。

下手を踏めばあの銀行内はもっと凄惨な事件現場になっていたかもしれない。

それに加えて、去り際のあの態度はなんだ、十三。

まるでこそ泥じゃあないか、そもそも逃げ帰る必要があったのか?

俺は必死で現場を離れたあの時を思い出して、情けなさのあまり枕に顔を埋めた。

と、そこで思い出した。

そういえばあの時確か、後ろから呼び止める声がしたはずだ。

今思い出せば、あれは女の声だった気がする。

警備員の誰かにしては、声が幼すぎたような。

一体あの声は誰だったのだろう?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

始業のベルが校内に鳴り響く少し前、教室内は眠そうな学生達でにぎわっていた。

様々な顔をした生徒が男女それぞれ教室内にはびこっていたが、その中でも一際個性輝く生徒がいた。

その女学生は大きなマスクをしていたが、先程記した個性とはその事ではない。

彼女の髪の毛の上には、まるで花壇のように花が咲き乱れていた。

さながら花瓶のようであったが、造花なのか、生花なのか知る者は校内にはいない。

彼女にその事を聞こうとすると、間が悪くそれを阻害する出来事がたびたび起きるからだった。

彼女はマスクの内側でくぐもった咳をしながら、小さな情報デバイスを弄っていた。

デバイスには先週起きた強盗未遂事件の報告が表示されていた。

ある精神感応系の能力者が銀行へ強盗に入り、たまたま居合わせた高レベル能力者がそれを鎮圧した『というだけ』の内容だったが、その高レベル能力者はすぐにその場から離れてしまったらしく、その素性も特定できずにいた。

警備員はその逃げ去る人物を目撃したようだが、いずれも『空間移動系の』能力者であったと話しているという。

確かに防犯カメラにも、フラッシュ写真のように一瞬で十数メートルを移動する男性(実際にはもっと幼いと報告されていたが)の姿が確認されていた。

しかし銀行内での事情徴収によると、誰もが口をそろえて『念動力系の』能力者だったと話したそうだ。

事実拘束された強盗は両手を複雑骨折しており、体にも幾つか殴打された痕があったらしい。

警備員や風紀委員の間では、一般客は恐怖のあまり何らかの見間違いをしてしまったのではと結論づけられていた。

そうしてその『多重能力者』の捜査への打ち切りが決定されたのである。

超能力は一人一つ、という常識的な思考に則った判断だったが、何だか腑に落ちないものを彼女は感じていた。

そうやって真面目に考えていたため、彼女は背後からの影に気付くことができなかった。

 

「初春」

 

名前を呼ばれた彼女は振り返るより前に、下半身の開放感に気付く。

気付いたときにはもう遅く、スカートという名の防御力の低い布は重力に従って緩やかに元の位置へ帰ろうとしている最中だった。

教室内の大半の視線が彼女に向いている事に気付くと、彼女は顔を真っ赤に染めた。

背後からはまた声がする。

 

「今日は淡いピンクの水玉かー」

 

「佐天さん!いつも挨拶代わりにスカートめくるのやめてくださいって言ってるじゃないですかー!」

 

振り向いた初春はスカートを押さえ、デバイスを持ったままの手でスカートめくりの犯人をぽかぽか叩いた。

犯人は特に悪びれた様子もなく笑っていた。

長い黒髪の上に、花の髪留めが初春とは違い一つだけ光っている。

 

「ごめんごめん。お詫びにあたしのパンツでもーーー、って」

 

と、突然佐天と呼ばれた女学生は初春の手からデバイスをひったくり、興味深そうにのぞき込んだ。

その様子を不思議に思った初春も、一緒になってデバイスをのぞいた。

 

「どうかしましたか?」

 

「これアレでしょ。『謎の多重能力者』!」

 

「はぁ?」

 

目を輝かせる佐天とは対照的に、初春は間の抜けた声を返した。

彼女はどうも噂好きなきらいがあることを初春は知っていたので、今回もその類なんだろうと思ったのだ。

彼女が早口で事態を事細かに、多少の脚色をこめて伝えてくるあたり、噂話が広がるのは非常に早いのだと初春は考えた。

だが、どうしてそんなに詳しく調べたのかと初春は訪ねた。

すると佐天は胸を張り、ポケットから携帯電話を取り出した。

彼女がそれを数回操作して、初春の鼻先へ突きつける。

画面には僅か数十秒足らずの動画が流れていた。

内容は、銀行から現れた短髪の少年が目の前を横切って行くだけの動画だったが、そこに隠れた佐天の本心を悟った初春は目を見張った。

 

「まさか、これ」

 

初春が言いかけると、佐天はそう、と言葉を遮った。

 

「偶然撮影しちゃったんだ。ね、どう思う?」

 

「どう思うって・・・」

 

佐天は初春の肩を抱き、耳元で芝居がかった声でささやいた。

探してみない?と。

その瞬間、教室に始業のベルが鳴り響いた。

教師は既に入室しており、手を叩いて着席を促している。

佐天は初春の肩から手を離し、さっさと自分の席に行ってしまった。

初春の席は彼女のすぐ前なので、続きは授業中に話す気なのだろう。

教師が黒板にチョークを走らせ始めると、それはすぐ再開した。

背後から、小声で佐天が話してくる。

 

「風紀委員の設備かなんかでさ、探せないかな?この人」

 

「それは、できないことはないと思いますけど・・・」

 

佐天とは違い、この件に関して初春は消極的なようだった。

それは彼女の常識的な一面が赤の他人への詮索をためらったせいでもあるし、また得体の知れない人物への恐怖のせいでもあった。

しかし初春の明確な拒否反応を目にしても、佐天は全く諦めなかった。

両手を顔の前で合わせ、初春を拝むように頼み込む。

 

「いいじゃん、お願い!今度何かおごるからさ」

 

その言葉に、とうとう初春の耳がぴくりと動いた。

勝った、と佐天は思った。

もとより初春が頼み事を断り切れない性格だというのを佐天は知っていたが、またやや食い意地が張っていることも知っていた。

風紀委員という業務上、自由にゆっくり食事をとる場面が少ないせいである。

そしてとうとう交渉の甲斐あって、放課後に検索をかけてくれるとの約束をこぎつけたのであった。

 

 

 

 

 

 

「本当はいけないんですからね、こういう事」

 

「ごめんごめん」

 

放課後の教室。

ぶつぶつ言いながら初春は、鞄から取り出した少し大きな端末を指先で弄っていた。

他の生徒は殆ど皆下校してしまったようで、少なくとも彼女たち以外に教室に人影は無かった。

この状況は意図的なものではなく、自然的なものであったが、彼女たちにとっては図らずもプラスな結果になっていた。

端末の画面には佐天から転送された動画の一場面、短髪の少年が目の前を通り過ぎる瞬間が映されていた。

初春は少年の顔の部分だけを拡大し、ソフトを使って解像度を上げる。

二回、三回と同じ作業を繰り返すと、次第に少年の顔が細部まではっきり分かるようになった。

どこにでもいるような、特に特徴の感じられない顔だった。

その横顔を佐天と二人で暫く見つめ続けたが、共に自分の記憶には無い人間だと判断した。

次に初春は、データベースに該当する顔であるかどうかを調べることにした。

このデータベースとは学園都市の学生全ての指名と人相が記憶されており、風紀委員では『書庫』と呼ばれているものである。

初春が動画にあった人間を書庫で検索すると、黒髪短髪の男子学生が数十人画面に表示される。

それを見て、佐天が彼女の後ろでため息を漏らした。

情報は横顔の写真たった一枚だったので、可能性のあるものとして候補が複数になってしまったのだ。

 

「・・・儚い希望だった」

 

がっくりと肩を落とす佐天を見て、初春はくすりと笑った。

佐天はこういう都市伝説的な事件に憧れを抱いている面があるらしく、今回は期待も大きかった分落胆も相応なものなのだろう。

うなだれる佐天に対して、初春はまだデバイスをしまおうとしなかった。

この友人にもう少しつきあってもいいだろうと思ったのだ。

 

踵を返して帰ろうとする佐天を、そんな初春が呼び止めた。

 

「待ってください。ほら、この人」

 

「?」

 

振り返った佐天の目の前に、初春のデバイスが突きつけられる。

画面には先程の短髪の少年の内の一人が表示されていた。

 

「この人が何?」

 

「この人、うちの学校の人ですよ」

 

佐天がデバイスを覗き込むと、なるほど在籍校にはしっかりと『柵川中学校』と記されている。

 

「身近なトコから、ってこと?」

 

「そうですね。まぁ、宝くじでも引くような感覚でいいんじゃないですか?」

 

悪戯っぽく片目を閉じる初春を見て、佐天も小さく笑った。

励まして貰っているのが分かったからだ。

よし、と佐天は拳を固めた。

 

「じゃー明日この人探してみよう!待ってろよぉー、えーと、誰だっけ」

 

「名前は、と・・・」

 

初春はデバイスを再び操作し、画面に表示された文面をそのまま読み上げた。

 

「翌桧、十三さんですね」

 

 

 


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