とあるで転生もの   作:ぺぺろー

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学園都市でも学生が休日にやることは外とあまり変わらない。

友人と遊びに行ったり、1人で過ごしたり、まあ、勉強したり。

狭まった選択の中から佐天涙子がその日選んだのは、調べ物だった。

例の噂に関する、調べ物である。

とは言っても、ネットでまことしやかに囁かれるグレーな噂を、掲示板から断片的に拾って来る程度だが。

彼女のシンプルなデザインの寮には、年頃の女子らしい雰囲気の小物や家具が気持ちばかり置かれていた。

その部屋の隅に置かれた机の上では、パソコンのディスプレイが淡く光を放っている。

学園都市内で構成されている掲示板でも、内容は外と大差は無い。

くだらない冗談、罵倒、まがい物の情報。

佐天はそれを流し読みしながら、疲れたように息を吐いた。

様々な情報の全てが、彼女の満足するものではなかったからだ。

『謎の多重能力者』。

唯一手の届きそうな、身近な都市伝説とでも言おうか。

とにかくそれは、その身近さゆえに情報の虚偽性を高めていた。

嘘の報告ならまだしも、多重能力者を自称する書き込みまでもが掲示板にはあった。

少しで良いから、真実味のある情報に触れたい。

と、そこまで佐天が都市伝説や噂にこだわるのには、彼女も把握しきらない理由があった。

学園都市の住民の八割は学生である。

そして、その内六割弱は無能力者である。

多くの学生が超能力に憧れて都市を訪れ、無能力者という事実に少なからぬ落胆を抱くことになるのだ。

そして、佐天涙子もその類に漏れない人間だった。

押された無能の烙印。

消えることのない苦しみをひたすら誤魔化しながら生きようとも、能力への憧れは簡単に断ち切れるものではなかった。

だからこその、都市伝説。

この科学が蔓延した世界でも起きる何らかの超常的な事柄に、佐天は反射的に期待してしまうのだ。

勿論そういう噂が形成されている以上、同じような感性の人間は掃いて捨てるほどいる。

彼女が今覘いているネット掲示板も、そういう人間で賑わっていた。

適当に更新ボタンを押し、その回数が増す度に、佐天の体からどんどん熱が抜けていく。

意味のない情報はそれだけで彼女を現実に引き戻そうとするからだ。

部屋の中に感情のないクリック音が静かに響く。

が、突然ふと、それが止まった。

彼女の目は一つのレスポンスに釘付けになっている。

それはわざわざ目立つように、大量の改行とともに書かれていた。

 

『第7学区の廃工場で【多重能力者】処刑予定。拡散希望』

 

呆けたように眺めた後、佐天はもう一度だけ更新ボタンを押した。

 

『【多重能力者】が正午までに来なければ人質は殺す。警備員や風紀委員が来ても殺す。見物人は歓迎』

 

端的に書かれたその文の下にはURLへの直接リンクがペーストされており、クリックすると大きな画像が貼り付けられたページに飛ばされた。

そこには、白い袋を被せられ、椅子に縛り付けられた人間が映っていた。

数人の人間に人質が囲まれ、わざとらしく拳銃を突きつけられている画像だった。

喉が根本から干上がるのを佐天は感じた。

しかし同時に、僅かに高揚する感覚もあった。

佐天は風紀委員の友人にメールを送ろうとして、その手を止めた。

もし自分のせいで『人質』が死んでしまったらどうしよう。

他人の命だからと割り切れるだけの胆力は彼女にはなかったのだ。

その書き込みを皮切りに、水を得た魚のように掲示板は騒ぎ始める。

『通報した』という旨の書き込みが多数だったが、見物を志願する書き込みもぽつぽつと沸いていた。

我ながら、どうかしていると佐天は思った。

人というのは、他人の生き死にをどうにかする覚悟は無い。

しかし、ただ見るだけの図々しさは備えているものなのだ。

彼女の名誉の為に記すなら、佐天涙子という人間はごく普通の、善良な中学生でしかない。

魔が差した、というのが一番的確だろうか。

下卑た打算など無く、ただ純粋に、噂の真相に近づきたいと思ってしまったのだ。

佐天は外行きの服をクローゼットから引っ張り出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「立てこもり事件ですか?」

 

寝ぼけ眼を擦りながら、初春は精一杯真面目に言葉を反芻した。

せっかくの休日に制服を着込んでいるのは、ひとえに風紀委員という仕事のせいであった。

事件物騒な言葉を平然という辺り、この街の治安の悪さが透けて見えるようでもある。

本来彼女の所属する風紀委員という組織は、こういった犯罪行為を取り締まることが業務内容である。

しかし、構成員の全てが学生であることもあり、業務に含まれるのは軽犯罪の取り締まり程度であった。

刑事事件のほとんどは、警備員の仕事である。

もちろん、この立てこもり事件も。

 

「随分と落ち着いていますのね」

 

初春の目の前の少女は、大した戒めも込めずに言った。

彼女は事務机の前に座っており、机上にはパソコンと小さなデバイスが置かれている。

椅子を左右へ回す度、彼女のツインテールが僅かに揺れた。

 

「だって、もう警備員が到着してるって白井さんが言ったんじゃないですか」

 

白井は初春の言葉に応えず、つまらなそうにパソコンの画面を眺めた。

そして同じくつまらなそうに、表記された文面を読み上げる。

 

「人質のみを盾に警備員を牽制、犯人グループに組織力は無し、おまけに要求は顔も知らない都市伝説。お粗末な限りですわね」

 

白井の言葉を聞いて、初春はどう反応していいか分からず苦笑いした。

結論から言うと、犯人グループにはもう退路はない。

報告によれば、犯人達を刺激しないために距離こそとっているものの、現場は包囲済みで、狙撃班も待機しているらしい。

仮に彼らの要求が通ったとして、そこから進展することは無いだろう。

彼らの中に相当な知能犯がいれば可能性はあるかもしれないが、そもそも知能犯はこんな犯行に及ぶはずもないだろう。

留意点があるとするなら、やはり人質だろうか。

報告には人質は複数いると知らされているだけで、その身元や詳細は伝えられていなかった。

初春は顔も分からぬ人質に心を痛めながら、再び口を開いた。

 

「私達にも、何か出来ませんか?」

 

その言葉を聞いて、白井は面食らった表情をした。

そして僅かに微笑み、諭すように言った。

 

「現場で体制が組まれている以上、私達が向かっても混乱させるだけですのよ。気持ちは分かりますけれど、今は警備員の方々を信じましょう」

 

そう言われて、初春は少し恥ずかしげにうつむいた。

白井はそれを見てまた微笑んだ後、パソコンに向き直る。

口では初春にああ言ったものの、白井自身この事件に納得がいっているわけではなかった。

勿論人質は心配だが、また別のことである。

当初この事件は、通報を受けた警備員七十三支部が受け持つことになっていた。

が、別部署に指揮権を奪われたのだ。

『より的確な処理を行えるため』という曖昧な理由で現れたその部署は、事実迅速で的確な行動を行っている。

しかし、わざわざ出張る理由が分からないのだ。

単なる点数稼ぎなら良いが、何か目的でもあるのだろうか?

 

「・・・考えすぎですわね」

 

「?何か言いました?」

 

「いいえ」

 

言うや、白井はおもむろに椅子から立ち上がった。

要らぬ心配を、初春にはかけたくないと思ったからだ。

まさか警備員の中で軋轢があるなんて事を、彼女が好んで知りたいとも思えない。

そんな白井の心情に気付かず、初春は何の気なしに呟いた。

 

「来ると思いますか?」

 

「え?」

 

「多重能力者」

 

その言葉に、白井はああ、と相づちをうつ。

 

「さて、来ないんじゃありませんの?」

 

「そんな適当に・・・、来なかったら人質の方が危ないんですよ?」

 

「そもそもこの事件が伝わってない可能性もありますのよ。まぁ来なければ、適当に警備員から誰か偽物見繕って、機を見て突入ですの」

 

そんなもんなんですかねえ、と初春が呟く。

この子も結構、噂好きな類なんだろうか、と白井は思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

廃工場は、朝にもかかわらず薄暗い。

ぼろぼろの屋根の亀裂から差し込む光のみが、内部の光源になっているからだ。

黒塗りのバンが、工場の奥に停まっていた。

バンパーの前には三人の人間が座らされており、それを囲むように、ナイフを持った数人の男達がただ立っていた。

そこから少し離れた場所に、煤けた古いソファーがあった。

それに座った男は、神経質そうに携帯を何度も確かめている。

まるで初デートだなと、工場内の何人かは思った。

つられてそのうちの一人が、同じように携帯を取り出す。

時刻は10時過ぎだったが、工場には誰も入ってくる気配は無い。

本当にあの男は来るのだろうかと、誰かが呟くのが聞こえた。

その声を聞き、誰かが小さな引きつった悲鳴を上げた。

神経質な男は悲鳴を聞いて、人質がいたことを思い出した。

その時はその時だと、男は吐き捨てた。

辺りを見回すと、様々な風貌の男達が佇んでいる。

顔や腕に痛々しく湿布を貼っている者もいた。

ここに集まった人間はいずれも、あの都市伝説とやらに面子やプライドといったものをズタズタにされた(と思っている)人間だ。

仲間意識や信頼なんてものはさらさら無いが、敵意は同じ場所へ向いている。

そして目的も同じ、その都市伝説に泥を塗ってやることだ。

何も物理的な行為で痛めつけなくてもいい。

奴がここに来ず、人質を見殺しにしてまで逃げ出したとあれば、失われた自分たちの尊厳も奪回できる。

だがこの大人数、それに例の装備もある。

一番なのはやはり、直に叩きのめしてしまうことだ。

神経質な男は、多重能力者のことを思い出して拳を握った。

彼がそれにあったのはつい最近のことだ。

彼がいつものように、仲間達と『募金』を募っているときだった。

通行人を吟味し、手頃な人間を捕まえて、あとは脅すだけ。

今時珍しくもない、スキルアウトなら誰でもやっているような行為。

彼も毎日のようにやっているが、誰一人として咎めようとはしない。

ひと睨みするだけで、通行人は弾かれたように逃げてゆく。

何だか自分が誰よりも強く強かになった気がするような、不思議な自信を彼は心地よく思っていた。

だがその日、彼は怯えて地面を這いずり回ることになった。

何をされたのか全く分からなかった。

脅している最中に、いつの間にか近くに人間がいたのだ。

帽子を深く被り、更にフードを被っていたので顔はよく分からなかったが、小柄な体躯だったのを覚えている。

彼はいつものようにそいつを睨みつけた、が、そいつは逃げ出さない。

更にそいつは、彼に『募金』をやめるように言ったのだ。

今すぐどこかに行けば、見なかったことにすると。

彼は酷く驚いた。

これまでそんなことを言ってくる人間などいなかったからだ。

彼の仲間が、その言葉に苛ついたのか、そいつに無言で近づいていった。

並ぶと頭一つ分ほどの体格差があることがわかり、また風貌も相まって、ライオンの檻に迷い込んだウサギのようなイメージが湧く。

このままいけば、数秒と持たずにボロぞうきんのようになってしまうだろう。

フードの人物が呟いた。

手荒な真似はしたくない、どうかそのままどこへなりとも消えてくれ、と。

彼は思わず吹き出した。

今何て言った、こいつ。

するととうとう仲間が激情し、太い腕をフードめがけて振り下ろした。

鈍い音がして、彼はわざとらしく目をそらす。

と、そらした先に、何か白い塊が幾つか落ちていた。

よく目を凝らすと、知っている形なのが分かる。

歯だった。

慌ててフードの人物の方へ向き直ると、殴りかかったはずの仲間が地面に倒れ伏しているのが見えた。

フードの人物は健在で、ふてぶてしく首を回している。

その様子が何とも言えず不気味で、彼の顔からどっと汗が噴き出た。

そいつはゆっくりと彼の方向へ歩き始める。

勘弁してくれ、と彼は震える唇で口走った。

生まれて初めてだった。

その言葉を発したことで、彼が今まで培ってきた尊厳は粉粉に砕けて散った。

フードの男は、譲るように横に避けて言った。

だから『そう』言っているじゃあないか。

言われて、彼は半泣きでその場を飛び出した。

あんなに惨めな思いをしたことは、生まれてこの方一度もなかった。

だから奴を叩きのめし、自分が優位だということを証明しなくてはならない。

そうしなければ、もう二度と自信を取り戻すことはできないのだと、彼は激しく思う。

そのための人質、そのための人員、そのための装備。

噂目当てに現れた野次馬を捕まえて盾にする作戦は、彼が考えたものだった。

人質は三人。

女子学生が一人に、男子学生が二人。

その全てが、彼に睨まれただけで怯えて目をそらした。

彼はそれを見て満足そうに笑い、ポケットに携帯を戻した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人質の一人の女学生は目を伏せたまま震える。

首元に突きつけられたナイフを少しでも目から離そうとしたからだ。

その女学生、佐天涙子(犯人達は名前などに興味はなかったが)はひたすら後悔していた。

なんでこんな所にのこのこと来てしまったのだろう。

叶うなら1時間ほど前の自分を怒鳴りつけてやりたかった。

佐天の隣で同じように震える二人も、同じように思っていることだろう。

彼女がここに来たとき、既に他の二人は拘束されていた。

が、そこに写真で見たような格好の人質はいなかったのだ。

やばい、と思ったときにはもう手遅れだった。

抵抗する間もなく、佐天は羽交い締めにされ、同じように拘束されて床に転がされた。

乱暴に髪を掴まれて上体を起こされ、気付くと首に刃物が押し当てられていた。

緊張がピークに達し、悪寒と吐き気がこみ上げてくる。

ヘドを吐く一歩寸前、彼女の耳に聞き慣れた電子音が届いた。

よく知っている音、彼女の携帯のカメラのシャッター音だった。

どうやら、スキルアウトの一人が佐天の携帯で佐天達を撮影したらしかった。

意味不明な行動にようやく少し落ち着きを取り戻し、やっとの事で声を絞り出す。

何をしているんだと、佐天は震える声で聞いた。

無視されるかと思ったが、意外にもスキルアウトは口をきいてくれた。

 

「お前の知り合い中に送るんだよ。その中に『あの野郎』がいるかもしれねーからな」

 

多重能力者のことだと、佐天は理解した。

 

「いいか、知ってると思うけど、12時までに野郎が来なきゃお前らを殺す。精々来るように祈ってろ」

 

殺す、という言葉には何のためらいも込められていなかった。

少なくともその男は、彼女らのことを虫けらでも見るような目で見ていた。

男はそれだけ言うと、工場の隅にあった古いソファーにどかっと座った。

あれからどれだけの時間が経っただろうか。

携帯を奪われているため佐天には正確な時間は分からないが、とにかくあれからさっきの男はずっとソファーに座ったままだった。

男が携帯を取り出す度に、体が恐怖で動かなくなる。

いつ首元のナイフが自分の喉をかき切るかと考えただけで、気が狂いそうになった。

もはや彼女達人質にできることは、言われたとおりに祈ることだけだった。

佐天は既に観念していた。

ナイフにではなく、抗うことのできないもっと大きな流れに対してだ。

あれからどれだけの時間が経っただろうか。

突然男がソファーから立ち上がった。

佐天は体を震わせつつ男の様子を窺った。

男はこめかみに血管を浮かび上がらせ、ぎらついた目を一点に向けていた。

見れば、背後のナイフを持った男も同じようにしていた。

廃工場の入り口に、その人物はいた。

外にはスキルアウトの見回りがいたはずなのに、その人物は一人で立っていた。

 

「来やがったな」

 

男が凄んだが、その人物に怯んだ様子はなかった。

外から差し込む光を頼りに、佐天は改めて人物の姿を確認した。

無地のシャツに、濃い色のジーンズを着ていたが、何より目を引く物があった。

スキルアウト達も気付いたようだった。

自分の記憶と格好が違ったのだろう、動揺した声が上がった。

その人物は、覆面のような物を着用していた。

覆面と言っても、真っ白な袋を縄で結んだだけの歪な物だったが。

覆面のせいで表情が分からず、何も言わないので、佐天達人質にすら不気味に見えた。

 

「今すぐ人質を解放すれば、何もしないと保証する」

 

と、覆面が唐突にくぐもった声でそう言った。

スキルアウトの男が舌打ちする。

周りの男達も、口々に汚い悪態をついた。

覆面は続けながら、ゆっくりと歩き出す。

 

「とっとと消えろ。手荒な真似はしたくない」

 

「おっと、動くなよ」

 

男が覆面にそう言うと、ナイフが佐天の首にぐいと押しつけられた。

彼女が小さく悲鳴を上げると、覆面が歩を止める。

それを見て、男はにやりと笑った。

周りのスキルアウト達も、下卑た笑い声を上げる。

 

「お前が悪いんだぜ。お前がいなけりゃ、こいつらもこんな思いをすることもなかったってのによぉ」

 

聞いて、佐天は眉をひそめた。

噂通り、こいつらは逆恨みで仕返しを目論むただのチンピラだったのだ。

そう思うと急にスキルアウト達が小さい存在に思えてきて、恐怖の代わりに怒りが湧いてきた。

そんな器の小さな男達に良いようにされていると思うと、自分にもスキルアウト達にもむかっ腹が立った。

 

「まぁお前が大人しくボコられてくれりゃあ、言われたとおりにカイホーしてやるよ」

 

「・・・ここは」

 

覆面がまた、くぐもった声で呟いた。

 

「あ?」

 

「10mちょいってところか。少し遠いな」

 

「何言ってんだお前?」

 

「なんでもない。とにかく、さっさと人質解放しろって。そんなんいなくても、いつでも相手してやるから」

 

スキルアウトの男の顔は、まるで地殻変動が起きたかのようになっていた。

馬鹿にされたと思ったらしく、目からは正気が失われている。

何を次に言ったところで、返ってくるのはパンチかキックだろう。

 

「テメェ、状況がわかってねーようだな」

 

男は上着のポケットから、何かの機械を取り出した。

ポータブルオーディオに似たその機械を男が操作すると、佐天の後ろのバンからけたたましい音が鳴った。

キーキーと小動物が喚くようなうるさい音だったが、佐天はそれ以上異常を感じられなかった。

男は正気を失った目のまま、ニタリと笑みを浮かべる。

これが切り札だと言わんばかりだった。

 

「『相手してやる』だとかそういう問題じゃあねーんだよ。テメェの仕事はサンドバッグだ」

 

男がそう言うと、覆面の背後に人影が現れた。

スキルアウトの見回りが金属バットを振りかぶり、今まさにスイングしようとしている最中だった。

 

「後ろ!」

 

「!!」

 

佐天が反射的に叫ぶと、覆面は振り返り、両腕を使ってバットをガードした。

鈍い音が工場内に響く。

小柄な覆面男はそれこそボールのように吹っ飛び、地面でゴロゴロ転がった。

その姿があまりにも惨めで、工場内のスキルアウト達は栓を切ったように馬鹿笑いした。

 

「どーした、ご自慢の多重能力はよ!俺たちのように、テメェにも惨めな気持ちを味わってもらうぜ!!」

 

バットを持った男が、倒れた覆面に近づく。

追い打ちをかけるつもりなのだ。

再び男がバットを振りかぶる。

頭がたたき割られる光景が脳裏に浮かび、佐天は思わず目を閉じた。

すると、くぐもった声が耳に届く。

今まさにリンチされそうになっている人間の言葉とは思えないほど、落ち着き払った声色だった。

 

「これで10m。『世界(ザ・ワールド)』」

 

 

 

 

がきん、と甲高い音が聞こえて、佐天はびくりと体を震わせた。

まるで固い物が地面にぶつかったような音だった。

地面に?

 

「・・・?」

 

佐天は恐る恐る目を開けると、そこにはさっきと全く違う光景が映っていた。

全く違う、とは文字通りの意味だ。

首元にナイフはなく、背後に黒いバンもなく、目の前には覆面男の後ろ姿。

何より覆面は何事もなかったかのように立っており、その足下ではバットを持っていたはずの男が崩れ落ちている。

からから、とバットが転がる音が響いた。

工場の中では相変わらず、黒いバンから流れる音が鳴り響いていた。

覆面の男はそれを気にした様子は無く、ただ億劫そうに首を捻った。

 

「もう一度だ。無駄でも何度だって言うぜ。とっとと消えろ」

 

覆面が呟く。

その姿は自信に満ちあふれていて、どこか光り輝いているような印象を受けた。

対照的に、スキルアウト達は狼狽えていた。

『妙な音』『人質』の二つものカードが無効化されてしまったのからだ。

スキルアウトの中から、誰かが弱気なことを口にする。

それを機械を操作していた男が恫喝した。

 

「ビビんな!こっちに何人いると思ってんだ!それに奴は人質を護りながら闘わなきゃなんねー、有利なのは俺たちの方だ!」

 

そう言われて、スキルアウト達は皆それぞれ武器を取り出す。

ナイフ、パイプ、バットに警棒、木刀なんかがガチャガチャ音を立てて現れた。

覆面は動じず、佐天達に「下がって」と小さく言った。

元人質の三人は身を寄せ合うようにして少し離れる。

覆面がそれを確認して一歩だけ踏み込むと、スキルアウト達が一斉に飛びかかってきた。

結論から言って、彼らは覆面男に触れることすら、その服を掠めることすらできなかった。

それより先に、『何か見えない力に』吹き飛ばされ、叩きつけられ、投げ捨てられたからだった。

蹂躙なんてものではなかった。

覆面男はそれが『当たり前のように』立ち振る舞い、力を行使し続ける。

彼に殴りかかろうとした者が、体をくの字に折り曲げて後方へ数m吹き飛んだ。

人質に近づいた者は、蠅のように地面に叩きつけられた。

彼に迫ったナイフが、文字通り空中で丸めて投げ捨てられた。

まるで台風のように、都市伝説はその姿を露わにしたのだった。

その姿を見て唖然としながらも、佐天は僅かに高揚した。

 

 

やがて工場に立っているスキルアウトは、あの機械を操作していた男だけになった。

男は目に見えて狼狽していて、始めに比べて幾らか年をとったように思えた。

相変わらずバンからは騒音が鳴っていたが、不可視の力にバンが叩き潰されるとそれも止んだ。

ゆらり、と覆面男が動くと、男は女の子のような悲鳴を上げた。

 

「わ、分かった!もうなんもしねえから、ここから消えるから勘弁してくれ!」

 

両手を挙げて喚くその姿が酷く惨めで、佐天は男が少し可愛そうに思えた。

覆面男は動きを止め、深く息を吐いた。

佐天はそれが『no』のサインだと思ったが、覆面は道を譲るように一歩横へ引いた。

その動きのせいで、ジーンズのポケットから携帯がこぼれ落ちる。

カシャッと音を立てて佐天の目の前に落ちたが、覆面は拾おうとしなかった。

覆面が何もしないことを確認して、男は弾かれたように飛び出していった。

工場から男がいなくなったのを確認し、覆面男はようやく携帯を拾ってポケットにしまい込む。

彼は屈んだまま、くぐもった声でぽつりと呟いた。

 

「勘弁してやるとも。外の警備員は知らんがね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

元人質達は、ようやく去った嵐を前にして口をぽかんと開けていた。

覆面の多重能力者は立ち上がり、いきなり佐天達に頭を下げた。

再び彼女らは唖然とする。

すまなかったと、彼は言った。

自分の軽率な行動の為に、迷惑をかけてしまったことを彼は短く謝罪した。

真っ当な行為ではあったが、佐天には誠意はあまり感じられず、寧ろ彼の自己満足的な行動のように思えた。

それだけ告げると、さて、と多重能力者は頭を上げて言う。

 

「もうこんな所に用はないだろう。外には警備員が待機している、保護を願い出るといい」

 

そう言われて、佐天以外の二人は彼に二言三言礼を言い、そそくさと出て行ってしまった。

そのため工場に残っているのは、自然と物言わぬスキルアウトを除けば佐天と多重能力者の二人だけになる。

多重能力者は暫く何か確かめるように、地べたに転がるスキルアウトを足先でつついていた。

が、突然、ぐるりと首を回して佐天の顔を凝視する。

どうしてまだここに留まっているのか。

そう問うているような様子だった。

そう、佐天は自分の意思でここに残っていた。

一つだけ、たった一つだけのことを確かめるためだ。

助けてくれた礼を告げた後で、佐天は少し震えた声で、多重能力者に話しかけた。

 

「携帯…取ってくれない?そこに落ちてる…あたしの携帯」

 

能力者はああ、と声を上げて、開いたまま投げ出されていた携帯を拾い上げた。

それを佐天に差し出すと、能力者は腕を組んでくぐもった息を吐いた。

いいかげん呆れているのかもしれない。

しかし佐天はそれを気にせず、ボタンを幾つか押して、自分の携帯の無事を確かめた。

少し傷こそ入ってしまっているが、メールや音声通話する分には問題は無かった。

佐天はぐっと息を飲み、メールの送信画面を開いた。

彼女の確かめることとは、先程目の前に落ちた多重能力者の携帯のことだった。

あの携帯には見覚えがあった。

特に最近見たことのある形の携帯だった。

同じ型番の携帯なんてこの学園都市中に溢れているだろうけど、佐天の知る中であの携帯を持っているのは一人だけだったのだ。

その持ち主のアドレスへと、メールを送信する。

 

能力者のジーンズのポケットから、バイブレーションの振動音が小さく鳴った。

白い袋に包まれた顔が、狼狽に歪むのが佐天の目に見えた。

袋の中から「しまった」とくぐもった声が出たのを、彼女は聞き逃しはしなかった。

 

「翌桧君?」

 

佐天はその名をおずおずと口に出した。

覆面男は何も言わなかったが、それはささやかな抵抗でしかなかった。

そのような対応をした時点で、もはや返答したことと同じようなものだからだ。

覆面は何も言わずに、佐天の顔をただ見つめていた。

次の言葉を必死で吟味しているように、彼女は思えた。

その様子が噂で聞く冷静なクライムファイターとしての姿とは真逆に見え、佐天は思わず口元が緩んだ。

と、覆面がくるりと背を向ける。

まるで表情を見られまいとしているようだった。

 

「俺が誰かなんて、重要なことじゃあないはずだ」

 

誰だっていいだろう、と多重能力者がそう話す。

その言葉を聞いて、佐天はほとんど確信した。

彼は――、多重能力者は、翌桧十三であると。

とても下卑た感情だと彼女自身思ったが、佐天は喜びを抑えきれなかった。

誰も知らない噂の正体を、自分だけが知ったのだ。

その時ばかりは、十三がどんな事情を抱え、なぜ正体を隠しているのか慮ることなどできなかった。

まるで自分が特別な存在になったような気がした。

 

「あのさ、もし嫌じゃなかったらでいいんだけど…。話とか…聞かせてくれない?」

 

佐天が言うと、多重能力者は深くため息を吐いた。

正直、彼は白を切ることもできる。

何も言わずにここを立ち去ることも。

しかしこの少女は、『噂の正体は翌桧十三』だと確信しているのだ。

どのような行動をとり、言動を試みても、その考えは変わることがないだろう。

それこそマスクを取り、違う顔を晒さない限り。

ならば口止めも兼ね、話し合いをする他ないと、少なくとも彼はそう結論づけた。

 

「ここじゃあなんだ、そういうのに向かないだろう。ファミレスにでも行こう」

 

そう言って、多重能力者は覆面を脱ぎ捨てた。

想像通りの素顔を見て、佐天はとうとう体裁も気にせず声を上げた。




書き直し済みです。
原作キャラを動かすことがこんなに難しいとは知りませんでした。
とりあえずはこれぐらいで勘弁してください。

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