ss書きたいけどすぐエタりそうだわー。
「改めて、助けてくれてありがとう」
目の前の少女にそう言われ、十三は思わず背筋をぴんと伸ばした。
逃げるように目を背けると、ガラス越しに通り過ぎる通行人や乗用車がちらほらと目に入った。
休日の昼過ぎだというのにこのファミレスには客は少なく、彼女の言う『話し合い』には図らずもぴったりの状況になっていた。
我ながら、ファミレスは隠しごとには向いていなかったなと十三は思った。
十三は苦笑いを浮かべる。
その顔は、もうあの覆面には包まれていなかった。
今は彼の足もとの鞄に突っ込まれている。
十三はあの事件が終わってからというもの、なんとかうまくごまかす方法を探したが、最強のスタンドといえどそれは不可能だという結論に陥った。
しらばっくれることも不可能、力ずくで口止めなど論外だ。
故に、仕方なく彼は佐天涙子の前で覆面を脱いだのだった。
あの時の彼女の喜んだ顔が忘れられない。
それから彼女をこのファミレスに連れこみ現在に至る、というわけである。
しかし、正体が看破されたからといって全てを話すことはできない。
十三の出生や能力の正体、その入手経路なんかを知られた暁には、十三は文字通り死に至るだろう。
そう考えるだけで、十三の背筋に久しぶりに寒気が走った。
冗談じゃあない、と彼は思う。
だが、彼にはまだ逃げ道と呼べるようなものがあった。
それは、佐天涙子が何を真実とするか判断できる手段を持っていないということである。
つまり、十三が何を言ったところで、それを信じるかは彼女に委ねられているのだ。
根本的な話、佐天は十三が『多重能力者』であるという事実さえ確認できれば良いはずだ。
だから、自分が神様について話題にあげる必要はない。
そこまで考えて、十三は寒気がやっと引いていくのを感じた。
しかし、代わりに足先から這い登るような恥ずかしさを感じ始めた。
あれだけ格好つけた後にこうして顔合わせしているとなると、これは想像を絶する恥ずかしさがある。
佐天はそのことが分かっていないのか、やや緊張した面持ちだった。
さっきまで人質にされていたのだ、無理もないだろう。
こんな状態では面白半分に十三を強請ることなどできはしないだろう。
もちろん彼女に十三を貶めようという気は微塵も無いのだろうが。
すると、佐天がとうとう口を開いた。
「あの、怒ってる?」
そう言われ、十三は面食らった表情になった。
そして言葉の意味を理解し、慌てて片手を左右に振った。
確かに佐天の先程の態度は好奇心丸出しだったが、それはあくまで年相応のものだと十三は理解している。
精神的には既に三十路になろうかという男だ、そのことに目くじら立てることはない。
十三が怒ってないぞと否定すると、佐天はほっと胸を撫で下ろした。
「良かった、さっきから何も言わなかったから」
下手に口を開くといつボロが出るか分からないから、という言葉を十三は飲み込んだ。
それより、と十三は口を開く。
「俺がやばい人間だったらどうするつもりだったんだ。口止めがてらひどい目に遭わされてたかもしれないんだぞ」
「それは…その、そんな人間なら人助けはしないかなって」
明らかに今考えられた理由だった。
さっきまでそんなことは考えもつかなかったのだろう。
十三は溜息を吐いた。
と、佐天が何かもぞもぞと動いているのに気づく。
質問か何かかと聞くと、彼女は小さく頷いた。
十三も頷き、許可を出す。
「それじゃ、まず、能力のことを聞いてもいい?」
小声だったがはっきりと聞き取れる、最初の質問だった。
許可を出しておいてなんだが、さっそく十三は返答に困る。
だが、その様子を彼女に悟られてはいけない。
嫌だね、と突っぱねることもできる。
が、その場合、彼女は一層十三に絡んでくることだろう。
十三は慎重に、しかし迅速に答えを紡いだ。
「正直俺もよくわからん」
は?と佐天が素っ頓狂な声を上げた。
「生まれ持った能力なのは知ってるんだが、能力の詳細なんかは、何とも」
「『原石』みたいなものってこと?」
そのニュアンスが一番近いな、と十三は答えた。
能力開発を受けずに、何らかの環境下で超能力を発現する者を学園都市では原石と呼んでいる。
その中には自身の能力を知らずに使用している者もいるという。
自分もそういうやつなのかもしれないと、十三はつぶやいた。
「でも超能力とは違うんだよね?」
十三はぐっと言葉に詰まった。
そうなのだ。
彼の能力は時を止めるスタンド能力、ザ・ワールドの他に能力開発によって目覚めた能力がある。
もちろんレベルは0、戦闘に堪える能力ではない。
『多重能力者だから』と一括りにしてしまえばいいかもしれないが、それだと他の能力が判別できない理由にはならないのだ。
そうらしい、と十三は頷いた。
あすなろ園の園長先生にも同じ説明をしたことがある。
しかしこの説明で納得してくれたのは彼女と十三の信頼関係、及び園長先生の生来のお人好しさによるところが大きいのだ。
そのため、十三はこの説明を佐天にするべきか困ったのだ。
佐天は腕を組んで小さく唸った。
こういう反応をするということは、少なくとも冗談の類だとは思われてないのだろう、と十三は解釈する。
彼は再び店内を見回した。
ちらほらと客がいたが、こちらに気を配っている者はいないようだった。
うん、と佐天の声が聞こえた。
納得したかのような口振りだったが、表情はいまいち理解していない人間のそれだった。
仕方が無い、と十三は思う。
超能力すら科学的に説明できるこの学園都市で、超科学的な現象を信じろと言うのが無理な話だろう。
納得してくれたかと、十三は話した。
「うん、まあ、とりあえず。翌桧君の言うことが嘘だとか、あたしには判断できないし」
歳の割に聡明な子だと、十三は少し感心した。
手放しで信用してくれた訳ではないが、少なくとも十三がこれ以上能力について追求されることは無いだろう。
もちろん、彼がミスをしなければの話だが。
そこで佐天は気分を切り替えたか、そうだ、と表情を明るくして口を開いた。
「超能力じゃないんなら、あたしにも使えるかな?」
幾分か緊張はほぐれたかのような声色と表情だった。
笑顔の佐天とは対象的に、十三は苦い顔をする。
彼女にはきっとスタンドを扱えないだろうという事実にではない。
佐天はおそらく無能力者、あるいは低レベルな能力者なのだろうと、十三が理解したからだった。
彼女もまた、科学的に才能が無いとレッテルを貼られた人種なのだろうと。
十三はそれが失礼なことだとは分かっていたが、日頃から無能力者に同情してしまっていた。
自分もまた、能力にしか価値が見出せていなかった人間だったのだから。
だが、自分もそうだったのなら、誰にでもチャンスはあるべきなのに、と十三は考える。
期待に目を輝かせている佐天の目の前に、黄色に輝く腕が突き出される。
やがて腕だけでなく、同じように黄色の上半身が十三の背後から露わになる。
ギリシャ彫刻のような芸術性を孕んだ、魂を削り出したような姿だった。
ザ・ワールド。
まるで背後から流し込まれるようなパワーを十三は感じた。
だが、目の前の佐天はザ・ワールドの姿を視認できてはいないようだった。
今も十三の肌を震わせている凄みの欠片すら、彼女は感じ取っていない。
十三は溜息をつき、ザ・ワールドを引っ込めた。
「誰にでもできることではないらしい……、悪いけど」
そう言うと、佐天はそっか、と酷く残念なような声を上げた。
十三の胸の奥がちくりと痛む。
話し合いをすると決めたのは自分だというのに、自分は彼女をむやみに落胆させ、あまつさえ嘘をついている。
徹底できない中途半端な自分の気質を、十三は少し呪った。
両者の間に、しばしの沈黙が流れた。
ガラス越しに、道路の音が聞こえてくる。
しばらくして、佐天が再び口を開いた。
「…なんで隠してるの?」
「何を?」
「顔とか、能力とか、いろいろ」
十三は何度目かの溜息をついた。
一番言うことのできない質問だった。
「…自分の能力を把握してないのに、隠すもクソもないだろう」
「それならそれでさ、そういう研究所とかあるじゃん」
佐天が何気なく言った一言に、十三の眉がピクリと動いた。
「俺にモルモットにでもなれってのか?」
言葉の節に、剣呑な雰囲気が漂う。
十三の思考が、直情的なものに一気に塗りつぶされた。
その一言だけで、佐天はびくりと体を震わせた。
脳内に先ほどの光景がよぎる。
あの力をほんの少し行使すれば、佐天の細い首など簡単にへし折ることができるだろう。
彼女は慌てて否定した。
「そんなつもりで言ったんじゃないよ!ただ、その…単純に疑問に思っただけだってば」
十三は答えず、そっぽを向いた。
へそを曲げたからではなく、少し気を落ち着けるために。
小心者め、と彼は内心で毒づいた。
彼女に悪気が無いことくらい分かっているというのに。
十三には少し神経質なところがあった。
そのくせ考えなしなので、自分の行った行動を後で思い返して後悔するということがままあった。
今回の覆面もその一つである。
正体を隠そうと『顔』というファクターを重要視するあまり、足がつく私物を現場に持ち込むという愚行に至ってしまったのだ。
そもそも、身の丈に合わない能力を望んでしまったのが事の発端なのだが、十三はそのことをなるべく考えないようにしていた。
しばらくして、ようやく頭から血の気が引くのを感じると、十三は小さく「悪い」と呟いた。
「顔を隠すのは、仕返しが怖いからさ。今日のような」
続けて答えると、佐天は不思議そうな顔をした。
「あんなに簡単にやっつけられるのに?」
「そりゃ俺はな」
そこまで聞いて、佐天はああ、と声を上げた。
「家族とか知り合いとかいるもんね」
「そういうことだ」
これは嘘ではなかった。
もし今回のような連中が園長先生に危害を加えるようなことになればと考えただけで、自分のことのように背筋が凍る。
十三はスタンドを持っているものの、彼女は能力すら無いのだから。
十三はあえて、施設出身だということを話さなかった。
むやみに同情されるのも嫌だったし、何より聞かれてもいないことを話すことはないと考えたからだ。
いつどこで、今までの嘘に不整合さが出るか分からない。
本当は、十三も園長先生のことを話したかったのだけれど。
「でもさ」
佐天が口を開く。
わずかに憂いを含んだ表情だった。
「翌桧君が沢山の人を助けてるのに、その人たちは翌桧君の顔も知らないんだよね」
そういうのって、ちょっと悲しいよね、と彼女が言うのを聞いて、十三は目を丸くした。
今までそんなことを考えたことがなかったからだ。
クライムファイターとしての姿を格好よく見られたいという願望はあっても、翌桧十三という個人として褒められたいという願望はない。
なるほど、確かに今まで助けた人物の中で自分の名前はおろか、顔すら知っている者はいない。
そもそも十三がさっさとその場から立ち去ろうとするのがその原因だったが、とにかく今まで正体を隠せていたということはそういうことだ。
十三は佐天の顔を再び見た。
彼女は本気で残念そうに言っているように見えた。
十三はふむ、と息を吐く。
「別にほめられたくてやってることじゃないしな」
「…すごいね」
佐天がため息交じりに言う。
自分とは違う、と一線を引いたような声色に、十三は少し考えた。
ザ・ワールドという能力がなければ、自分はこんなヒーローまがいの行動はとっていないであろうことを。
しかも、一度は見て見ぬふりをしていた。
つまるところ、強い能力を持てば誰だって同じようなことができるのではないかと、彼は考えたのだ。
自分のような一市民にできたのだから、と。
しかし無能力者である佐天に『大切なのは能力』などとのたまうことはできない。
とはいえ耳触りのいい言葉だけ並べるのも、彼のほんの僅かなプライドが許さなかった。
どう答えていいか分からず、十三は適当に相槌をうってお茶を濁した。
彼がちらと時計を見ると、ファミレスに来てからだいぶ時間がたっていることが分かった。
別段急いで用事があるわけでもないが、できれば今日中にあすなろ園に戻って先生たちに弁解がしたかった。
佐天ももう質問をするそぶりを見せない。
本当に話がしたかっただけかと、十三はやや呆れた。
と、そこで言い忘れていたことを思い出す。
「わかってると思うけど、誰にも言わないでくれよ」
「うん、了解」
ていうか、殆どの人は信じないと思うけどね、と彼女はおどけて見せた。
と、そこで彼女の動きが止まる。
彼女の視線は一点に、窓の向こうへと向いている。
十三もそちらに目を向けると、そこにはガラス越しに手を振っている少女がいた。
頭には花壇のような髪飾りが乗せられており、それを見て佐天も手を振り返した。
十三にも見覚えのある少女だ。
以前佐天と一緒にいたのを見たことがある。
少女は小走りで店内に入ってくると、十三たちの前まで歩いてきた。
少女は休日にもかかわらず制服を着ており、腕には緑色の腕章が留められていた。
彼女はニコニコ笑って口を開いた。
「偶然ですね、佐天さん」
「だねー。あ、翌桧君、もう会ったっけ?」
「ああ。名前は、確か…」
「初春です。初春飾利。よろしくです、翌桧さん」
初春が手を差し出す。
十三は腕章に少し目を向けながら、素直に握手に応じた。
彼女は風紀委員だった。
もう少しタイミングが悪かったらと思うと、彼の胆が少し冷える。
「そういえば、初春なんで制服着てんの?」
佐天が初春に疑問を投げかけると、彼女は腕章をいじりながら答えた。
「今日は仕事があるんですよ。ほら、こないだ佐天さんが言ってた『多重能力者』の」
「へ、へぇー」
初春に言われ、佐天が十三をちらりと見る。
こっちを見るんじゃあない、と十三は心の中で叫んだ。
しかし彼も、無意識のうちに顔を伏せている。
初春はそのままで続けた。
「近くでスキルアウトの立てこもり事件があったらしいんですけど、それを『多重能力者』が鎮圧したらしくて。でも現場から人質ごと消えちゃったから、風紀委員が周辺警戒をしてるんです」
「それが本当なら…」
必死で表情を作りながら、十三が聞く。
質問した時点で、彼も答えが分かっているようなものだったが。
「まあ下手すれば未成年者略取誘拐の疑いもかけられますね。正当防衛とは別物ですし」
「そうか。俺用事あったんだったわ、帰る」
「え、ど、どうしたんですか?」
突然席を立った十三に、初春が慌てる。
さっさとここから離れたいのだということを、佐天も理解した。
ここで佐天が説明することもできたが、いくらなんでも恩人を売ることはできない。
佐天が一種の共犯者になってしまったことを、オロオロする初春は知らない。
何か気に障ったのかとうろたえる初春に、十三は「ほんと気にしないでいいから」とひたすらに作った表情を浮かべていた。
不思議な能力と、噂のせいで、どこか超然とした印象が彼にはあった。
しかしこうしてそばで見ていると、表情も豊かで感情のある、愛嬌のある人間なんだなと佐天は思った。
「ほら初春。急いでんだから、あんまり邪魔しちゃだめだって」
佐天はそう言って、初春の襟をちょいと引っ張った。
初春がバランスを崩しているうちに、十三は文字通り逃げ出した。
十三は口パクで『悪い』と佐天に伝えると、急いでファミレスを後にする。
駆け足で。
覆面の入った鞄を忘れて。
佐天はとっさに呼び止めようとしたが、十三は既にファミレスから遠くへ行ってしまったらしい。
能力を使ってしまうほどに、せっぱつまっていたのだ。
「あれ?この鞄…」
「あ、翌桧君が忘れてったみたいだね、もー、しょーがないなー」
そう言われて、初春はその鞄に手を伸ばした。
明らかに善意からの行動だったが、佐天は慌ててひったくるように鞄を手に取った。
その鬼気迫る態度に、初春は面食らった表情になる。
「大丈夫!あたしが!届けるから!」
「いや、まだ何も言ってませんよ」
午後のファミレスは、相変わらず人が少なかった。
佐天にメールで事の次第を伝えられ、十三は再び自分に嫌気がさした。
どうして自分ってやつはこう、いつも抜けているんだろうか。
いくら最強のスタンドを持ったところで、本体がこれではどうしようもない。
そうした感情がすぐ態度に出てしまうところも、彼は嫌っていた。
十三は動揺を、感情の機微すら悟られないようなタフな人間になりたかった。
助けてくれる人物が、拳銃に怯えて指先を震わせていたら、決して安心などはできないだろうから。
それに、恐れや動揺で力加減を間違えてはならない。
ザ・ワールドには、簡単に人一人を殺害できる能力を有しているからだ。
それこそ、パンチ一発で人間の腹に風穴を開ける程度には。
しかし今までに一人の死亡者も出していないのは、このスタンドが併せ持った精密性のおかげだった。
素早く、かつ精密に、しかし手加減をして攻撃できるザ・ワールドを選んだことは、間違いではなかったと彼は信じている。
だが、扱っているのはあくまでも十三自身で、ザ・ワールドはその精神体なのだ。
自分の動揺のせいで誰かを過剰に傷つけることがあってはならない、と彼は思う。
そのためには、強靭な精神力、ひいてはザ・ワールドを強化することが必要なのだと。
しかしその未熟な心内を佐天に吐露しなかったのは、彼女への信頼がそれほど構築されていなかったからではない。
彼の親代わりである園長先生にすら、話したことはなかった。
その理由は、彼にとって最も青臭く唾棄すべきものの一つ。
恐れられたくなかったからだ。
力加減すらろくにできない獣と思われたくなかったからだった。
言うなれば、今の十三は巨大な不発弾のようなもの。
個人が振るうには大きすぎる力を、十三は面白半分に手に入れてしまったのだ。
そのため、全てを打ち明けるのは、ザ・ワールドを完全にコントロールできるようになってからにすると、彼は心に決めていた。
とはいえ、彼も最初に比べて成長していない訳ではなかった。
ヒーローまがいの行動をとるようになってから、ならず者に怯えなくなってから、少しづつザ・ワールドが力を増していくのを彼自身感じ取っていた。
事実、今のザ・ワールドの停止可能時間は5秒まで延長されている。
だが、助ける人を経験値のように考えてはいけない、と彼は自分に言い聞かせていた。
いつもこうして考えるところも小市民らしくて彼は情けなく思っているのだが、この思考時間が彼に目的と手段を逆転しないようにさせていた。
日々の反復のおかげで、あくまで力を手に入れるのは助けを求める人のためであり、力のために人を助けるのではないということを、彼は無意識化で理解できているのだ。
誰かがやらなくてはならないことなら、準備は必要なのだから。
「おい、5万だと?てめーなめてんのかよ」
こんな時のために。
声が聞こえてくるのは、ありきたりなビルとビルの隙間からだった。
ザ・ワールドを使用するために、人通りの少ない場所を選んで移動していたからこそ、遭遇してしまった現場だった。
僅かに体を緊張させ、声の方へと静かに移動する。
ビルの陰からザ・ワールドを先行させ、その様子をうかがう。
よく見る、しかし見飽きない光景だった。
3人のガラの悪い男たちの前で、痩身の男が狼狽していた。
ガラの悪い男の一人―――バンダナを頭に巻いた男が、手元の札束で痩身の男の頬をぴたぴたとぶっている。
「これっぽち持ってこられても困んだよ。こっちだって苦労したんだ」
「そうは言ってももう今週15万も払ってるじゃないか」
十三は周囲に他の人間がいないことを確認する。
辺りに人気はなく、足音もしない。
これ以上会話を聞く必要もないなと、十三はビルの陰から歩み出ようとした。
「一体いつになったら売ってくれるんだ!?」
痩身の男の一言で、その歩みを止める。
恐喝じゃあないのか、と十三はつぶやいた。
彼らは何らかの取引をここで行っているのだろうか。
だとすれば、それは安易に暴力で片付ける問題ではないのではないか、と十三は考えた。
バンダナの男が答える。
「ガタガタうるせーな。いつから口答えできるような身分になったんだ?」
バンダナの男が睨むと、痩身の男は小さく悲鳴を上げた。
バンダナが小さく顎を動かすと、他の2人が痩身の男にじりじりと近づいてくる。
薄ら笑いを浮かべながら、彼らは腕を回したり、関節を鳴らしたりしていた。
バンダナの男は、上着の胸ポケットから煙草を取り出した。
「俺ちょっと一本吸ってくっから、そのうちに教育済ましちまえよ」
それを聞いて、他の2人がにやにや笑いながら頷いた。
おとなしく金だけ出してりゃいいのによ。
その分殴られてくれるんだから、勘弁してやれよ。
そんな声が聞こえ、痩身の男は頭を抱えてうずくまった。
その姿が酷くみっともなく見えたのだろう、男達は失笑した。
そのうち、一人の男が笑いながら腕を振り上げた。
痩身の男は思わず目をつぶった。
路地裏に、湿った音と、人が地面に転がされる音が反響する。
「事情は知らんがね。そういう教育の仕方は今時はやんないぜ」
背後からのくぐもった声に、ガラの悪い男たちは振り向いた。
見れば、先ほど煙草を吸いに行ったバンダナの男がうつぶせになって倒れていた。
しかし、その頭にバンダナは巻かれていなかった。
「ああ、これか。ちょっと借りてるだけさ。後で返すから、気にすんなよ」
代わりに、ビルの陰から現れた十三が、顔をぐるりと覆うようにして巻いていた。
男達はたじろぐ。
最近噂の『多重能力者』ではないかと思ったからだ。
十三はそのまま、できるだけ芝居がかった口調で続けた。
「一応みんなに聞いてるんだが、その人を置いて今すぐ家に帰るんなら…何もしないと約束しよう。ああ、勘違いすんなよ。こいつにも聞いたんだぜ」
そう言って、十三は足もとで転がる男を指さした。
そして腕を組み、男達に問いかけた。
どうする?と聞くと、男達は一目散に路地裏から逃げ出した。
これは名前が売れてきたからなのか、相手が賢かったからなのか、彼は知らない。
十三は自分の横を素早く逃げ去ってゆく背中を、特に感慨もなしに眺めていた。
彼は足もとでダウンしている男の脈を確認し、ほっと胸を撫で下ろした。
今回もうまくいった、と。
彼はバンダナを顔に巻いたまま、今度は痩身の男の無事を確認しようと、そちらへ目を向ける。
すると、いつの間にか男は目の前にいた。
男は必死の形相で元バンダナ男の衣服をまさぐっている。
金を探しているのかと思ったが、札束は財布とともに地面に散らばっていた。
しかし男は、そちらに目も向けようとはしない。
「おい、あんた何か探してんのか?」
十三が聞くと、痩身の男は彼に目もくれずに答えた。
「そうだ…こいつ、音楽プレーヤーみたいなもの、持ってなかったか?絶対あるはずなんだ…どこかに」
そうか、と答え、十三はゆっくり立ち上がった。
すると突然、痩身の男の体が宙に持ち上がる。
ザ・ワールドが彼の胸ぐらを掴んでいるのだが、痩身の男にはその姿を認知することはできない。
十三は、やや語気を強めて言った。
「助けたのはよお、俺の勝手にやったことだから、あんたに貸しを作ろうなんて思ってない。だけどよ、気絶した奴から物を盗ろうとすんのは、どうかと思うぜ」
「ぼ、僕はこいつから買ったんだ!なのにそいつが渡そうとしなかったから、悪いのはそいつだろ!」
そう言われ、十三はザ・ワールドに手を離させた。
どさりと音を立てて男が尻餅をつき、わざとらしく咳き込む。
そうだな、それはこいつが悪い。
十三は呟き、男に歩み寄った。
「だから何を買おうとしたのか言え。まともな市販品とかならよお、通販とかで買おうとするよな。高い金出して、ゴロツキまで頼って、何がそんなに欲しかったんだ?」
不必要に顔を近づけ、わざとぼそぼそ声でしゃべった。
痩身の男は、小さく悲鳴を漏らしながらも、絞り出すような声で答えた。
「
「レベルアッパー?」
十三が聞き返すと、男は急に彼を睨みつけた。
恨めしそうな視線だった。
むき出しの感情に、十三も一瞬たじろぐ。
「使うだけでレベルを上げる機械さ。あんたみたいなのには必要ないんだろうけどさ!」
言うや否や、男も路地裏から駆け出した。
呼び止める暇もなく、男の姿はすぐに見えなくなってしまった。
今の男を締め上げて、レベルアッパーについて問いただすこともできた。
が、最後の言葉のせいで、とっさに動くことができなかった。
この力を疎まれたのは、初めてだったからだ。
十三は頭にかかった靄を振り払うように、別のことを考えようとする。
「使うだけで、レベルが上がる…?」
もしそれが本当なら、それは素晴らしいものだ。
ややこしい能力カリキュラムも無しに、才能の壁すら取っ払って、強い能力を与えてくれる機械。
表ざたになっていないということは、それなりの後ろめたい理由があるのだろう。
しかし、わかっていても飛びつかずにはいられないだろうな、と十三は考えた。
それに、幾らか自分のケースに似ていることも。
この能力だって、自分の能力で勝ち取ったものではない。
文字通り、これはギフトだったからだ。
借り物の力を行使する自分に、果たして今の男を戒める資格があったのかと、十三は顔をしかめた。
学園都市の学生のほとんどは、低レベル能力者なのだから。
「風紀委員ですの」
少女の声が、路地裏に響く。
その声で、十三の思考は中断させられた。