真金神社――屋敷町の中核ともいえるその場所に、深夜、二つの影が浮かび上がる。
八重垣いちこに、火之迦具土の二人だ。
部屋の中を照らす灯りは、頼りのない蝋燭の灯火のみ。本殿の中に浮かび上がる影の背はゆらゆらと幽鬼のように揺れている。
「そんで、それが瑞泉の持ってきた例の剣か?」
「ええ、そうなります」
向かい合う形で座っている両者の間には、一振りの剣が置かれている。
それは瑞泉がこの真金神社へと運んできたものである。
「……本当にこいつぁ使えるのか?」
「それを今から試します。何かあるとは思いませんが、万が一の場合は――」
いちこが最後まで言葉を口にするまでもなく、ツッチーは小さく頷く。それを合図に、彼女はその剣を手に取ると柄へ手をかける。瞬間――
「くっ……!」
いちこの唇から苦悶の声が漏れた。押し殺した声色には苦痛の色がはっきりと浮かんでいる。
だが彼女はそれに構わず、剣を鞘から抜き放とうとし――
手に持った剣を中心に突風が吹きすさぶと同時、いちこは剣から弾き飛ばされた。彼女が手にとっていた剣は、音を立ててその場に落下する。
「いちこ!」
「いえ、大丈夫です……」
背中から柱に叩きつけられた彼女は、しかし顔をしかめつつも倒れることなく足を踏みしめる。
歯を食いしばりながら、鋭い眼差しを剣へと向けた。
「……随分と手厳しい。拒否されるであろうことは予想していましたが、ここまでとは」
「出鉄大社でやられてる実験の内にもあったことだが……例え同名の刀だとしても、縁はそれぞれ固有の刀と縁者の結ばれてるってのはコイツも同じ……ってことで良いのかこいつぁ」
そう口にしつつも、解せない、とツッチーは胸中で呟く。
縁が結ばれている、と自分で口にしたことではあるものの、そんなことはあり得ないと分かっているからだ。
原則、真剣少女が縁を結べるのは一度に一振のみ。これは真剣少年であろうと同じ事だ。
そう――あの剣の本来の持ち主の名は三笠瑞泉。この剣を屋敷町に持ち込んだ彼こそが、剣本来の持ち主だったのだ。
「刀との縁が断たれるってのは初めて聞いたが、その後にまったく違う刀と縁を結ぶというのも初耳だ。これはアイツが真剣少年だからこそ発生した事象なのか、それとも真剣少女でも起こりうることなのか……まぁともあれ、この剣は今、誰とも縁を結ばれてない。だから、いちこと縁を結べると思ったんだが……」
否、いちこ
だからこそ富士調査隊などという自殺志願者の集まりが編成され、多大な被害を出してまでもこの剣の回収を決行した。
もっとも、任務の内容を厳密に語るのであれば、剣の回収だけではなく、これと縁を結んだ真剣少年の救出も含まれていたのだが。
「少し、思い違いをしていました」
「何がだ?」
まだ痛みが引かないのか、いちこは表情を歪めながら畳の上へと落ちた剣に視線を向ける。
「この剣は、まだ所有者と繋がっています」
「……はぁ? いい加減なこと云うな、んなわけねぇだろ! 原則として真剣少女が縁を結べるのは一度に一振のみ。これは真剣少年だろうと違いはねぇ!」
「ええ、そうですね」
「肯定してどうすんだ、矛盾してるぜ? それじゃあ今アイツの使ってる刀はなんだってんだよ」
「……彼、瑞泉さんは今所有している刀を使いこなしています」
「……何が云いたい?」
「……彼が今縁を結んでいる刀と、この剣の関係。そこに何かあるのではと、そう、思います。ツッチーさんが云ったように、今の状況は異常です。不条理とすら云って良い。二振の刀と縁を結んでいる状態……これを紐解く鍵は――」
そこまで口にし、いちこは眼を細める。
「ツッチーさん、彼の刀の銘を知っていますか?」
「あん? そんなもん、あいつの名前から簡単に分かるだろ。三笠といえば――三笠? そんな刀派あったか?」
「……」
首を傾げるツッチーに対し、いちこは沈黙を返す。
彼女の様子に、思わずツッチーは腕を組みながら唇を尖らせた。
「おめぇの秘密主義は今に始まったことじゃねぇが、これは秘密にするほどのことなのか?」
「あ、いえ、すみません、そういう意味ではないんです。思えば私も、三笠の名を名乗る真剣少女と会ったことはないと思って」
「なんだよ、知らねぇのか? お前が?」
彼女の言葉はツッチーにとっても意外だった。
真剣少女に関するあらゆることを知っている――というのは言い過ぎだが、それでもいちこの知識は、出鉄大社所属の各武装神社を統括している司令の中でもトップクラスのはずだ。憑喪との戦いに身を投じてからの時間も相当に長い。そんないちこの知らない刀がある――
それは軽い衝撃を受けるほどの話だ。
「そんなに驚かないでください。私にだって知らないことぐらいはありますよ。そう――混乱期、あるいは空白期とも呼べる、関東での戦い……真剣少年、富士の大天狗、それらにまつわる話は流石に噂程度のものしか知りません」
「それを知ってる連中はもうほとんど死んじまったし、生き残った奴だって秘密を墓まで持ってくつもりだろうよ……瑞泉の奴に聞くにしたって、教えてくれるとは思えねぇ」
関東からの撤退戦――その時何が起こったのか、知る者は少ない。分かっているのは、ただ大規模で多くの犠牲が出た戦闘があったということのみ。
その詳細は関係者であるならば後ろ暗いところがあるから口にしないであろうし、瑞泉の場合――これはツッチーといちこの推測だが――戦いの当事者であったからこそ、口にしたくないこともあるだろう。
もし教えて貰うのならば、彼と相応の信頼関係を築く必要がある。そして今の自分たちの間にあるのは単なる利害関係のみ。
「……まぁ、そこは気長にやるとしましょう」
「そんな悠長なことで良いのか?」
「仕方ありません。今の我々は、彼に真剣少女を率いて貰う役目を押し付けたばかりなのです。それ以上のものを要求するには時期尚早」
「それには同意するが……まぁ、そうだな」
溜息を一つ吐くと、ツッチーはどっかりとその場に腰を下ろした。
†††
「それじゃあ今日はよろしくお願いね、瑞泉ちゃん!」
「ええ、よろしく。御蔵ぼっこさん」
朝の空気の中に張りのある少女の声が響く。
橙色の着物の上に、蔵の文字が入った紺色の前掛け。癖の強くボリュームある桃色の髪は長く、腰ほどまで伸びている。
大きな目は早朝であるにも関わらずしっかりと開いており、彼女の活発な印象をより強くさせる。
彼女の名は御蔵ぼっこ。出鉄大社から物資の運搬業務を委託された万屋に勤めている少女であり、また、真金神社の担当者である。
今日、瑞泉たちは以前あった話の通り、帰らずの森と呼ばれている場所へ向かう。
屋敷町と疎開村の中間地点に存在する森から、木材の調達を行うための下準備ともいえる調査活動を行うためだ。
これから町を発展させる必要がある屋敷町としては質の良い木材の供給先が増えるのは助かるし、今回の調査には木材の件とはまた別の思惑もある。
また、住民が増加したことで物資の消費も今まで以上に激しくなるだろう。そうなれば万屋とのパイプもより太くしておく必要がある。
数々の理由から調査への同行は避けることの出来ない任務になってしまっていた。
万屋からの依頼という形で今回の護衛任務は発生しているため、当然、断ることもできる。
しかしこれから屋敷町の運営をスタートさせようとしている所で物資の流通を一任されている彼女たちとの間に溝を作ってしまうのは得策ではないため、どの道避けては通れない状況ではあった。
護衛すべきスタッフは合計で五人。これは瑞泉、左文字さよ、一文字めづるの三名で確実に守れる数として万屋に通達した数と一致している。
もしこれ以上の人数となった場合、誰一人として怪我なく守りきれる自信が瑞泉にはなかった。
村人たちを護衛して逃避行を続けた際は戦力が瑞泉一人、そして護衛対象はもっと多かったが、これは憑喪の少ないルートを選んで進むことが出来たからだ。
これから自分たちが向かう土地は、憑喪の巣となっている可能性が高い。
今回の調査ではまず地形の把握と現地の状況確認が目標として設定されている。状況次第ではあるものの、それらを憑喪に囲まれた状態で果たすのは非常に困難だろう。
あわよくば憑喪が森に巣くっている原因の究明と解決を図りたい所だが、それも可能であればの話である。
また、万屋、真金神社の思惑とは別に、瑞泉個人としても今回の護衛任務には目標として据えているものがあった。
それは自分の率いている二人の少女、一文字めづると左文字さよの二人に実戦経験を積ませることだ。
刀の扱いという点のみを見れば真剣少女は今の時点でも完成している。だが憑喪との戦いという点に焦点を定めるのであれば、二人の実力はまだまだ。
憑喪の種類、それぞれの弱点、立ち回り、それらを戦いながらも冷静に判断できるようになるには、慣れ――要するに経験を積む必要がある。
「それじゃ早速行きましょうか、瑞泉ちゃん」
「ええ、分かりました」
いやに気安く名を呼ばれることに最初は戸惑ったものだが、短時間でも彼女と向き合うと慣れてしまう。
持ち前の明るさも相まって、彼女ならば仕方ないという変な納得をしてしまうのだ。
「めづる、さよさん。準備は良いか?」
「はい、御館様。問題ありません」
「いつでも」
ちなみに今回の調査に、いちことツッチーは参加しない。
未だに戦力の乏しい屋敷町を空けてしまうわけにはいかないため、二人は町を護るため待機となっている。
「では、出発しましょう」
「はーい、それじゃあ改めてよろしく、三人共。憑喪への相手は任せるから、お願いね」
「はい、よろしくお願いいたします」
「よろしくお願いします」
そうして瑞泉たちは帰らずの森へと向かう。
荷物は荷馬車へ一纏めにし、目的地へは徒歩で向かうことになっている。
文明が衰退する前は車を用いることで簡単に移動できたものの、今となってはそれも不可能となっている。
もしそんなものを持ち出せば使用している化石燃料を狙って憑喪が寄ってくる――という直接的な問題に加え、メンテナンスや燃料の確保、といった数々の問題が出てくるため利用するのは不可能に近い。
そのため長距離を移動する際は馬を用いるのが一般的となっているが、馬もまた入手、調教、飼育に多大な手間とコストがかかるため大々的に使用されることは少ない。
今回のような荷馬車が用いられることが精々だろう――そう、瑞泉も事情を理解しているものの、
「……車が使えればすぐなんだけど」
そんなぼやきが口から出てしまう。
「くるま、ですか? くるまというのは自動車のことでしょうか。御館様は乗ったことがあるんですか? すごいです!」
「うん、まぁ、あるにはあるよ。もうどれだけ乗ってないかも覚えてないぐらい前の話だけど」
ぽつりと漏らした言葉に、めづるが食いついてきた。
「関東にいた頃の話なのでしょうか」
「そうだね……というか、大天狗が落ちてくる前の話なんだけど」
「両親がよく話していたのですが、昔は一家に一台、自動車があったらしいですね」
「そうだね。一家に一台……ってわけではないけど、持ってる人は多かったかな」
口にしつつ、瑞泉の脳裏に当時の街並みがふっと蘇る。目まぐるしく、忙しなく行き交う車は当然のように生活の一部として存在しており、その姿を見ることがなくなるなどという事態になるとは思ってもみなかった。
昔は――そう、思い出話が口を突いて出そうになり、瑞泉は慌ててそれを噛み殺す。
そんな話をしたところで愚痴っぽくなるだけだという自覚があるからこそ、わざわざ当時の様子を話に出そうとは思わなかった。
「……ところで三笠隊長」
「なんだい、さよさん」
「大天狗の前の様子を知ってるって見てきたように云いますけど……一体隊長は何歳なんですか?」
「……何歳だろう」
「覚えてないんですか?」
「まぁ、そうだね。ある程度歳を重ねると自分の年齢を意識しなくなるし」
それに――数えられるような状況ではなかった。
「多分、四十歳前後ぐらいだとは思うけど」
「は!?」
「えっ……と、御館様、それは一体?」
瑞泉の口にした年齢を聞き、二人は目を白黒させる。
それも当然だろう。瑞泉の外見年齢は成人前の少年と云っても良い。そんな人間が四十代などと口にしたら、誰だって面食らうし、真に受けようとは思わない。
「そんな驚くようなことでもないよ。俺が真剣少年になったのも二十半ばで、そこからずっと若い姿だから」
「……年上だとは思っていましたが、それほどとは」
納得いかない様子でさよは眉間に皺を寄せる。
その気持ちも分からなくはない。
世間一般では基本的に真剣少女になる者は年端もいかない乙女である。
これは単純に、瑞泉のような適正のある青年たちが粗方戦場へ出てしまったことが原因だ。
そのため、昔は真剣少年の実年齢と外見がまるで釣り合わないという事態が日常茶飯事ではあったが、今は滅多にないだろう。
教育を受ける課程で子供の性格等から特徴を抽出し、出鉄大社が保有している刀と相性の良い子を選出。真剣少女とする――という手法が取られているため、さよのような真っ当なルートで真剣少女になった子は外見との差異が小さい。
そうした環境の中で彼女は育ってきたため、瑞泉のようなイレギュラーに違和感を覚えてしまうのだろう。
「御館様は姫たちよりずっと歳を重ねておられたんですね」
「ああ。黙ってるつもりはなかったんだけど、騙すような形になって悪かったね」
「いえ、姫は気にしておりません。御館様が年上であろうと、年下であろうと、姫にとっては。むしろ、御館様の落ち着きや戦い振りに納得できましたし、秘密を知ることが出来て嬉しく思います」
「……そうですね。納得はできました」
「何々? なんの話?」
雑談が長くなったせいか、ぼっこも瑞泉たちが話している会話に興味が湧いてきたようだ。
「あっ……とすみません、護衛中なのに」
慌てて瑞泉は話を打ち切ろうとするが、ぼっこは気にするなとでも云うように手を振る。
「いいのいいの、ここはまだ憑喪が出てくるような場所じゃないって分かってるし! ずっと張り詰めてたら疲れちゃうからね。でも、目的地に着いたらしっかりお願いよ?」
「それは勿論。しっかりと護衛させていただきます」
申し訳ないと思いつつ小さく頭を下げると、ぼっこはどこか不満そうに唇を尖らせた。
彼女はすらっとした腕を組むと、口を開く。
「瑞泉さん、そんな固くならなくても良いわよ? 確かに今回、私たちは依頼主って立場ではあるけど……」
「いや、そういうわけにも」
「もっと気安く接して欲しいの! ツッチーほどとは云わないけど、いちこさんみたいに肩肘張った人が増えたら私もやりにくいし。締めるところを締めてもらえば五月蠅く云うつもりはないからさ。ね、瑞泉ちゃん!」
「……瑞泉ちゃん」
ぽつりとめづるが呟く。いやに不機嫌そうな響きを孕んでいたが、瑞泉は敢えて気付かなかったことにし、ぼっこの言葉に苦笑した。
「分かりました……いや、分かった。これで良いかな?」
「そうそう、それで良いの! それでなんの話? 瑞泉さんが年上ってこと?」
「そう。まぁこんな外見から予想することなんて難しいだろうって話」
「まぁ確かにねー。アタシは瑞泉ちゃんが真剣少年だっていちこさんから聞いてたから、それなりの年齢なんだろうなーって思ってたけど」
「真剣少年だと年上……ということになるんですか?」
「そうよー。だって世代が違うもの。刀剣を対憑喪用の兵器として運用し始めた黎明期に生み出されたのが真剣少年なんだしね?」
さよの質問に対し、ぼっこはさらっと応えてしまう――だが彼女が口にした事情を知る人間がどれほどいるのだろうか。
真剣少年という存在を知らない者すらいるだろう。だというのに、当然の知識であるかのように彼女は口にする。
出鉄大社から業務委託を受けている万屋、という次点で真っ当なものではないと瑞泉は予想していたが――
「そういう意味じゃ瑞泉ちゃんは大ベテラン。めづるちゃんにさよちゃん、いい人がリーダーになってくれて良かったわね」
「はい。屋敷町にいる真剣少女は、誰もが未熟でしたから……経験豊富な三笠隊長がいてくれて助かります」
「そうよねー!」
そんな風に雑談を躱している間にも、一行は目的地へと進み続ける。
元々整備されていた道というわけではなかったが、屋敷町から離れるにつれ道は徐々に荒れ始める。馬車が通れないほどではなかったが、人の手が入っていないと察することができるほどに。
アスファルトで舗装された前時代の遺産とも云える道も、無事な物はまだ利用できるものの、完全に剥がれむしろ通行の邪魔になっている場所もあった。
完全に馬車が通れなくなってしまうような場所では、瑞泉たちが馬車を持ち上げるなど力業で押し通る。氾濫した川で道が寸断されてしまった場所があった場合は、迂回路を通る。
そうして三時間ほど進むと、ようやく目的地である帰らずの森へと辿り着いた。
「さて、それじゃあ少し早いけどお昼にしましょうか。森の中に入ったら休憩取るほど余裕がない可能性もあるしね! それじゃあこれよりお昼休憩、調査開始は一時間後で!」
「了解」
「御館様っ!」
食べたら早々に昼寝でもして休んでおくかと考えていると、勢いよくめづるが声をかけてくる。
見れば、彼女は包みを胸に抱えている。
「昼食を作って参りました。姫の手作りです。お口に合うかは分かりませぬが……一生懸命作りました。どうか、食べていただけないでしょうか」
「い、いや、そんなに畏まらなくても大丈夫。いただくよ。さよさんも一緒にどうだい?」
「私は自分で作ってきましたから」
「いや、そうじゃなくて一緒に食べないかってことで」
「あぁ……めづるさん、良いですか?」
「……構いませんよ?」
一瞬の間はなんだったのだろうか、と瑞泉は思いつつ、適当な木陰に茣蓙を広げて昼食の準備を開始する。
靴を脱ぎ座り込むと、体に溜まった疲れがじわりと染みだしてくるような錯覚を覚えた。
刀と縁を結び超常の力を得たとしても、疲れるものは疲れる。無論、瑞泉が感じている疲労など人間だったときに感じるものと比べれば微々たる物だ。肉体的な疲労よりも、精神的なももの方が大きいだろう。
極めて珍しいが、群れからはぐれ単独で活動している憑喪もいるにはいる。そういった偶発的な遭遇を想定し、ある程度の注意を払い続けていたためどうしても気疲れをしてしまっていた。
こうした精神面の脆さこそが真剣少年、真剣少女の弱点ともいえる。
「簡素なもので申し訳ないのですが、今日も姫が腕によりをかけて作りました!」
「ありがとう。いつも悪いね」
「炊事当番が決まっているんですし、わざわざめづるさんが作らなくても良いんですが……」
「私が好きでやっていることです」
「そうですか」
水を差した――というほどではないのだが、つい口を出してしまったといった風なさよに対し、頑なな響きの言葉をめづるは返す。
対するさよは、この話題をもう引きずるつもりがなくなったのだろう。我関せず、という言葉が似つかわしい態度で、持参した弁当の包みを開いてゆく。
……万事がこの調子、というわけではないのだが、めづるとさよはあまり仲が良いわけではない。特別悪いというわけではないのだが、無関心、不干渉、これに尽きる。
これは二人の性格が悪い意味で噛み合ってしまっているからだろう。
一途である一方で興味のないことにはとことん無頓着なめづると、冷静で一歩引いた場所から物事を眺めるさよ。
どちらも決して悪い子ではないと分かっているのだが……。
どうしたものか――瑞泉としては共に戦場へ出る仲間ではあるのだし、せめてもう一歩踏み込んだ関係に成って欲しいとは思っている。
ただそれは本人たちに強要するようなものではない。もしするとしてもそれは最後の手段だ。
今はまだ二人が出会ってから日も浅いのだし、急ぐ必要もない――そう思う一方で、午後からは憑喪の住処で活動することになる。戦闘は確実に発生するだろう。
二人の間に決定的な不和が生じているわけではないため、命のやりとりをする場でなんらかの確執が生まれることはないと瑞泉は思っているが……。
「御館様、それではお口を開けてくださいませ。あーん、と」
「……自分で食べるから大丈夫だよ」
「いいえ、ここは姫に任せてくださいませ!」
どうやら彼女に退く気はないらしい。
ちらり、とさよの方を見て見ると、彼女はそっぽを向いたまま早速昼食へ手を付けていた。
見て見ぬふりをしてくれることに対し薄情と思うべきか有り難いと思うべきか。
「……あーん」
「はい、あーん」
娘ほど歳の離れた子に何をさせているのだか、という言葉が脳裏に浮かんでくるが、まともに考えてしまえば情けなくなってくるため瑞泉は無視する。
器量の良い娘に世話をされることに対し決して悪い気はしないのだが、それはそれとしてこんな状態の自分を客観視し平然とできるほど瑞泉の面の皮は厚くなかった。
「どうですか、御館様?」
「美味しいよ」
「そう云っていただいて、姫は嬉しく思います!」
しかしそんな瑞泉を他所に、めづるは輝かんばかりの笑顔を浮かべている。
悪意や他意が一切ないことは疑うべくもなく、ただ本心から彼女が行動していることなど、どんな鈍感な人間でも気付くだろう。
そのあまりに直向き過ぎる彼女の気持ちは、嬉しくもあると同時に、距離を詰めることに対し躊躇を覚えてしまうほどだ。
いずれ彼女に対する態度は決めなければならない――そう思いつつも、その時がいつになるか、瑞泉には分からなかった。