しんけん!! ― ひふみ歌 ―   作:黒海透

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漆話

 帰らずの森と呼ばれるこの森は、未だ人の文明が残っていた時、禁足地として扱われていた場所だった。

 禁足地とは、一言で説明するならばその文字の通り、人の立ち入りを禁じられた場所だ。

 土地にまつわるなんらかの伝承から人の出入りを制限された土地というのは機械文明の発達した21世紀でもいくつか残っていた。最も有名な場所は沖ノ島だろうか。女人禁制、男であろうとも特定の期間を除いて決して出入りすることは叶わず、滞在を許されているのは駐在する宮司のみが。その閉鎖的な環境により古より続く文化や遺産が継承されていた一種の異界。

 この帰らずの森もそうった禁足地の一つであり、やはり人の手が入った痕跡を見付けることはできない。

 鬱蒼と生い茂る緑は人を拒絶するが如く。木々は太古の姿のままそこにある。

 その場所へ足を踏み入れ、あろうことか木材の調達を行おうとするなどまともな神経の人間がすることではないだろう。

 

「うんうん、やっぱり私の目に狂いはなかった! ここからならかなりの木材が調達できる! タタラ場の運営だって出来るかもね!」

 

 だがそんな理屈は知らないとばかりに、禁足地の木々を単なる資材としか認識しない彼女――御蔵ぼっこは、目の前に広がる一面の緑に満足げな笑みを浮かべていた。

 

「ただちょっと足場が悪いのが難点よね。いきなり奥地へ行くよりは、街道に近い場所から徐々に切り取るのが一番かしら。瑞泉ちゃんはどう思う?」

 

「それが良い。ここで活動するのは骨が折れるだろうし」

 

 ぼっこの言葉に短く返答しながら、瑞泉は手にした鉈で足下の草木を断ち切る。

 銀光が一閃する度に緑が宙に舞い、辛うじて足場といえる場所ができる。

 元々は最低限の管理が行われていたようで、道の痕跡らしいものはある。それを辿って奥地まで進んできたのだが、人の手が完全に入らなくなってからもう十年単位での時が経過しているのだ。結果、奥へ行けば行くほど人がこの土地へ入った痕跡は消え去り、今いる場所に至っては自ら切り開かなければ視界の確保すら難しい有様だった。

 瑞泉は長年の経験から、憑喪の気配、とでもいうべきものを察知することが出来るものの、こうも視界が悪いとやはり戦闘に支障が出てしまう。

 そのためぼっこたちから鉈を借り、草木を伐採しながら先に進んでいた。

 

 昼食を終えてから三時間ほどの間、一行は森の中に入り調査を行っていた。

 主に動植物の分布や、伐採を行うポイントの見極め、水場の有無。他にも細々とした項目は存在したが、それらの調査は大方終わったと云っても良い。

 結果は先ほどぼっこが口にしたように、木材の供給源として合格――といったところか。

 

「御蔵さん、他にまだ調べたいことは?」

 

「うーん、地質調査もできればやりたいんだけど、今日はそれが出来るほどの準備はしてきてないのよねぇ。いざって時のために野営の道具は持ってきてるけど、これもあくまで非常用。今日は日帰りのつもりだったから」

 

 それも当然の話だろう。仮に泊まりの調査になるのだとしたら、瑞泉は今回の依頼は先延ばしにし、めづるたちにもっと戦闘経験を積ませてから調査に乗り出すという形しただろう。

 

 安全地帯である神霊都市から離れた場所で、泊まりがけの調査を行うとなれば、今の真金神社が保有戦力では非常に難しい。誰か一人でも怪我で戦闘不能となればすぐに撤退することになるだろう。それでは酷く効率が悪い。

 

「まぁ私たちのことはともかく、そっちはどう?」

 

「……さて、どうかな」

 

 ぼっこは瑞泉たちの目的が達成できたか――と聞きたいのだろう。

 曖昧な返事をしつつ、瑞泉は眉根を寄せる。

 今回の目的は二つ。一つは帰らずの森に憑喪が発生している原因の究明と解決。

 そしてもう一つが妖刀少女の捕縛だ。

 

 一つ目の目的は、いちこもそこまで期待はしていないはずだ。

 憑喪の生態、習性は彼らが地球上に襲来してから長い年月が経過しているにも関わらず、その多くが謎に包まれたままとなっている。そのためこの土地に巣くう憑喪に何か目的があるのか――それを考えたところで無意味に終わる可能性の方が高い。いちこもそれを重々承知しているだろう。

 

 そして二つ目の、妖刀少女の捕縛について。

 こちらの方はまず遭遇することができなければそもそも話にならない。そして瑞泉たちは未だ妖刀少女と出会うことが出来ていなかった。

 道すがら散発的に憑喪と交戦することはあったものの、目的の妖刀少女は影も形も見当たらない。

 気配、という意味では憑喪よりもより濃厚なものを放っているため、近くにいるならば瑞泉もすぐに気付くはずなのだが、その兆候は一切見えなかった。

 

「こっちは空振りに終わるかもしれない。そろそろ撤収するんだろう?」

 

「そうねぇ。瑞泉ちゃんたちには悪いけど、夜になる前に真金神社へ戻ること考えたらそろそろ……近くに宿屋でもあるならそこで一泊することにして、浮いた移動時間を探索に宛てられるんだけど」

 

「こんな山奥にそんな都合良く……」

 

「ないわよねぇ。あっても山猫軒って看板がかかってそうだわ」

 

「違いない」

 

「あの、御館様」

 

「めづる、どうした?」

 

「あの、見間違いでなければなのですが……道のようなものがあるような気がして、それをお知らせに参りました」

 

「道?」

 

「はい。草木に埋もれているのですが、木が階段状に組まれている場所があって」

 

「……少し見て見ようか」

 

 めづるの発見した場所は、瑞泉たちが進んできた道から少し外れた場所にあった。

 彼女が云ったように草木に埋もれているため一瞥しただけではとても気付くことは出来ないが、確かに、今にも土に還りそうな有様の階段が残っている。

 

「お手柄だ。よく見付けたね、めづる」

 

「はい、ありがとうございます御館様!」

 

「……何かあったんですか?」

 

 瑞泉たちが騒いでることが気になったのだろう。

 さよは周囲を警戒しながらも近付いてくる。

 

「階段ですか……人の手が入っていた痕跡、ですね」

 

「ああ。これを追っていけば、その先に何かあるかもしれない……御蔵さん、この先に何があるのか確認したら……もしくは時間がきたら撤収、ということで良いですか?」

 

「そうね、それで行きましょ!」

 

 ぼっこの同意を得ることが出来たため、一行はめづるの見付けた手がかりを元に、進行方向を変える。

 山の斜面を蛇行するように設置されていたであろう階段は、どこへ続いているのだろうか。あまり時間に余裕がないこともあり、瑞泉たちはやや急ぎながら足を進める。

 

「――どうやら、当たりだったか」

 

 そう呟きながら、瑞泉は鉈を腰のホルダーへ戻し、入れ替わりで自らの愛刀を抜き放った。

 まるで瑞泉たちの行く手を阻むかのように、憑喪の気配がぽつりぽつりと浮かび上がる。まだ方向転換を行ってからそれほど経っていないというのに、こうも露骨な歓迎をされればこちらが正解と教えているようなものだ。

 

 この先には何か(・・)がある――その何かに瑞泉たちを接触させないため、この憑喪たちは湧いてきたのだろう。どこかに隠れていたのか、それとも何者かに差し向けられたのか――そこまで知ることはできないが、憑喪の行動を一変させる何かがこの先に待ち受けていることだけは確かだ。

 

「めづる、さよさん、戦闘準備! 前から来る、俺が蹴散らすから二人は御蔵さんたちの護衛を!」

 

「はい、御館様!」

 

「分かりました」

 

 二人の返事を耳にすると、瑞泉は刀を両手で握り締め地面を蹴りつける――超人の脚力を受け止めた足場は爆ぜ、それと同時に瑞泉は憑喪との距離を一気に縮めた。

 出てきたのは以津真天に一本踏鞴と、特に珍しいものではない。しかし、こんな森の中だというのに人工物由来の憑喪が出現していることは異常と云っても良いだろう。何かに誘われてここへと辿り着いた――憑喪が求めているものといえばまず真っ先に浮かぶ物はエネルギーだが、こんな山奥に熱量を生み出す物があるとは考えにくい。この森は火山帯というわけでもないため、地熱を求めて集まってきたというわけではないだろう。

 であるならば何が――判明している数少ない憑喪の習性、その中から彼らが優先して探しているものといえば魂鋼が思い浮かぶ。

 だが、もしそうだとしたら更に解せない。魂鋼があるというならば憑喪は既にその目的を達成しているはずなのだ。瑞泉たちが辿り着くよりも早くこの地へ到達していることを考えたら、ここの魂鋼は既に憑喪の物となっている可能性が高い。そして既に魂鋼を得ているならば、憑喪がこの地に留まる理由はないはずだ。

 

「……古い社でもあるのか?」

 

 答えを誰に求めるわけでもなく、口の中で言葉を転がす。

 草木を巻き込みながら憑喪を次々と両断し、集まってくる憑喪を一掃し、おそらくは、と胸中で呟く。

 

 憑喪は瑞泉たちより先にこの地へ到着し、しかし未だに目的を達成することができていない。であるならば目的の達成を妨害している何かがある――そういうことだろう。

 憑喪の行動を阻害できる物などそう多くはない。まず真っ先に思い浮かぶのは憑喪を寄せ付けない力を秘めた、特定の様式に則って建てられた社だ。

 こんな山中に――しかしそう不思議な話でもない。沖ノ島を始めとして、禁足地として定められた土地には社が建てられていることも珍しくはない。おそらくこの場所にもそういったものが建てられているのだろう。

 

 そう考えると、自分たちを襲ってきている憑喪の行動の意味も違って見えてくる。瑞泉たちの行く手を阻むのではなく、長い間現れなかったエネルギー源が目の前に出てきたため、堪えきれず食いついてきたといったところか。

 

 しかし瑞泉には、自分も仲間も憑喪に食わせてやるつもりなど毛頭ない。

 森の中で誰に知られることもなく石くれに成り果てろ――銀光が空を薙ぐごとに憑喪の断末魔が森の中へと木霊する。

 

「瑞泉ちゃん聞こえる-!?」

 

「なんだ!?」

 

「このまま憑喪倒しながら前進しちゃいましょ! ここで戦ってたら埒明かないし! 文字通り日が暮れちゃうわ!」

 

「……めづる、さよさん! これから憑喪を討伐しつつ先に進む! 殿はめづる、直衛はさよで着いてくるんだ!」

 

 さよと五十歩百歩とはいえ三人の中で最も戦闘経験の薄いめづるを最後尾に置くことに不安がないわけではなかった。

 しかし彼女の得物は太刀――今の彼女が護衛対象を気にしつつ思う存分刀を振ることはできないと判断したため、小回りの利くさよをぼっこたちに護らせるしかない。

 

「……こういう時は、憑喪の習性を利用させてもらうか」

 

 呟きながら、瑞泉は両手で握る刀へと意識を伸ばす。

 柄、その下にある鋼、そして更にその内に秘められた、この刃の魂へ――そこに熱量を注ぎ込む。

 瞬間、熱量への返礼ともいうべき力が瑞泉の全身へと駆け巡る。意識は冴え、微かに蓄積していた疲労は吹き飛び、四肢には活力が満ちる。熱量の消費と引き替えに瑞泉が力を得ると同時、見境無しに一行を襲っていた憑喪の行動に変化が現れる。

 

 今までは突出していた瑞泉に憑喪が集中していたが、それでも何割かは瑞泉を無視しめづるたちの方へと流れていたのだ。

 しかし今は、その内の半数近すらも、瑞泉の方へと殺到する。

 憑喪はエネルギーを食らう――その餌の対象は人間だけではなく、真剣少年、真剣少女もまた該当する。

 であるならばその餌の中に一際強大なエネルギーを孕んだ者が現れたのならば、優先順位はどうなるか――最早語るまでもないだろう。

 

 しかし追加された化け物を事もなく平らげ、瑞泉はその歩みを進めてゆく。

 無人の荒野を行くが如くに。強者と弱者の関係はこの場において決定的であり、斬れば散るという意味ならば、そこらに生えている草木と憑喪になんら違いはない。単調な解体作業を淡々と執行する瑞泉の瞳に浮かぶ光は、ただひたすらに冷たい。

 

「……空気が変わった」

 

 肌を撫でる空気の質が変わったことで、瑞泉は頭上へと視線を投げる。

 雨が降るようならばここで撤収するべきだが、しかし木々の合間から見える空は未だ晴れ。雨が降り出す気配を感じることはない。

 であるならばこれは――

 その他にも状況に変化が生まれる。

 瑞泉たちへと殺到していた憑喪の数が、徐々にだが減りだしたのだ。

 これで打ち切り、という可能性もあるが、あるいは憑喪たちが立ち入ることの出来ない場所へ自分たちが近付いているから――という可能性もあるだろう。

 

 そろそろかもしれないな――胸中でそう呟きながら更に森の奥へと進む。

 緑は今までよりも更に濃く、木々はより巨大に。そしてそれに反比例するように、憑喪の数は目減りしてゆく。

 そうして更なる奥地へ辿り着いた時、ようやく気付く。この森全体を禁足地といちこは云っていたが、おそらく真の聖域はこの場所なのだ――目の前に広がった光景を目にし、瑞泉はそう感じた。

 

 瑞泉たちが辿り着いた場所は、今までのように木々に覆われた場所ではなく、広々とした空間となっていた。

 柱と見紛うような太く高い木々に囲まれた様は、この広場そのものが一種の神域であるかのような錯覚すら抱く。

 憑喪の音や小動物たちの囀り、木々のざわめき。そういった音は一切存在せず、風も吹かない隔離空間。

 聖域ではあるのだろう。あるいは揺り籠と形容できる穏やかさすら備えている。

 だが――そのあまりの静けさはあらゆる動的なものを拒絶している排他的な雰囲気を瑞泉たちに抱かせた。

 

「……戻る?」

 

 静寂を破ったのはぼっこだった。

 彼女の声からは普段の明るさが失われ、微かな震えを帯びていた。それでも怯えを表情に出していないのは、彼女の意地か。

 

 そんな彼女を安心させようと笑みを浮かべつつ、大丈夫、と瑞泉は返事をする。

 

「戻って八重垣司令にここの報告をするにしても、せめてあそこに何があるのかぐらいは確かめたいんだ。もう少し付き合って貰える?」

 

「……うん、そうね。謎だけ持ち帰ってもいちこさん困るだろうし」

 

 あそこ――と瑞泉が指し示した先には、古ぼけた社が存在していた。

 苔生し、茅葺きの屋根には草木が生え、灯籠はすっかり植物のツタで覆われてしまっており、自然の一部として佇んでいる古い社。

 だというのに崩壊しそうな気配は一切なく、むしろその在り方が自然であるかのような確信を見る者に抱かせる異質さはなんなのか――

 

「めづる、さよさん。二人はここで待機」

 

「ですが御館様!」

 

「何が出てくるのか分かりませんし……一人で行くのは危険じゃありませんか?」

 

「そうです! 姫たちもお供します!」

 

「……分かった。それじゃあ頼もうかな。俺の後に付いてきて。悪いけどぼっこさんたちはここで」

 

「頼まれたって行きたくないわよ! 明らかに怪しいじゃないあそこ! 絶対何かあるわよ!」

 

「その何かが、悪いものじゃなきゃ良いんだけど……」

 

 慌てた様子のぼっこに苦笑しつつ、瑞泉は踵を返して社へと向かった。

 手に持った刀を鞘へと収めようとし――止める。

 刀を手に持ったまま社の中を暴くというのは酷く不作法な行いだろうが、しかしどうしても武器を手にしないままで行くことに抵抗を感じてしまうのだ。

 何か根拠のあることではなく、俗に言うところの嫌な予感……そんな程度のものでしかない。憑喪の気配のような、敵意、殺意――そういった悪意を向けられているわけではないというのに。

 

「……これ、相当に古いですね」

 

「ああ。建物そのものもそうだけど、人の手が入った気配もない。だというのに崩壊もせず建物の体裁を保っているのはちょっと異常だ」

 

 人の手による保守を受けず、風を取り入れぬままに放置された木造の建造物は驚くほどに寿命が短い。

 だというのにこの社はその常識を無視して目の前に存在している。

 

「……帰らずの森の正式名称と、この社の正体が分かれば色々考察の余地もあるんだろうが、今のところは一切の手がかりがない状態だしな」

 

「確実に云えることは、不可思議な力で維持され続けているってことでしょうか」

 

「そうなるね」

 

 あるいは、いちこならばこの社の正体も分かるかもしれない。

 瑞泉は力の使い方こそ知っているが、知識の深さにそこまで自信はなかった。経験則からくる力の善し悪しは直感で把握できるものの、事象の由来や根拠といった点に言及するとなればあまり深い部分まで語ることはできないだろう。

 今回の調査は真金神社の防衛体制の関係で連れてくることが出来なかったが、次にこの森へ訪れるときは彼女の知識を借りる必要が出てくるだろう。

 まずあり得ない話だと瑞泉も分かってはいるが、憑喪避けの結界を保持した社が残っているならば、ここも神霊都市の候補地として上げられる可能性もあるのだから。

 もっとも、開拓の手間を考えたら可能性は限りなく零に近いが――

 

「――ッ、めづる、さよ! 退け――!」

 

 ゾク、と背筋を這い上がる悪寒と同時、反射的に瑞泉は手に持った刀を構えた。

 次いで伝わる衝撃と擦過音。その場でたたらを踏みつつも、体勢を崩すことなく踏みとどまることに成功した。が、拮抗出来たのは一瞬で、徐々に瑞泉が圧され始める。

 

 耳に届く息を呑む音は、めづるとさよ、二人のものだろう。

 瑞泉が声をかけたにも関わらず動くことが出来ないのは、咄嗟のことに思考が追いついていないからか。

 

「貴様、何者だ……何故ここに来た。気が昂ぶって眠ることもできんわ」

 

 声――高く細い、少女の声。

 だがしかしその声色に滲む感情は、その華奢さに見合わぬ憤怒で濡れている。

 至近距離で瑞泉を射貫く眼光は鋭く、喰い殺さんとする獰猛さは野獣のそれだ。

 黄金の瞳(・・・・)。血色を失った肌と、色素を失いつつある頭髪。

 長く柔らかな頭髪や身に付けた臙脂色のドレスは平時であれば柔らかな印象を抱かせたであろうが、しかしそんな印象は彼女自身が放つ威圧感の前では霧散してしまう。

 

 赤い光を帯びた刀――瑞泉をその愛刀ごと両断せんと叩きつけてくるを持つ存在。

 

「……妖刀、少女」

 

 その存在が、瑞泉たちの前の前に立ちはだかった。

 

 咄嗟に瑞泉が反応できたのは運が良かったとしか云いようがない。

 彼女――妖刀少女は社の中に潜み、瑞泉たちを待ち受けていたのだろうか。

 社の戸を叩き斬り飛び出してくる瞬間まで、気配を一切探知することができなかった。

 もし切りつけられたのが瑞泉ではなく他の二人であったのなら、咄嗟に庇うことが出来たのかすらも怪しい。

 それほどまでに彼女の太刀筋は鋭く、そして力強かった。

 

 辛うじて鍔迫り合いの状態を維持しているが、純粋な力比べともなれば押し切られるか――熱量を注ぎ身体能力を上昇させようにも、意識を集中させる一瞬を突かれてしまうのは致命的。

 それならば――

 重心を傾けつつ刀を寝かせる。それと同時に鍔迫り合いは一気に妖刀少女の側へと傾くが、それは瑞泉が意図したことだ。

 躱し――しかし逃がさぬと妖刀少女の太刀が振るわれる。

 まるで鈍器のような扱いを受けながら大雑把な軌跡で瑞泉へと殺到する斬撃は、しかしそのどれもが必殺の威力を秘めている。受け止めれば先ほどの二の舞、打ち合おうものなら一方的に崩される。であるならば――

 

 視野が狭まり、余計な思考が一切削ぎ落とされる感覚――致命の刃を眼前に、しかし瑞泉は吹き荒ぶ暴風を悉く捌き、弾く。以前めづると道場で対峙した際の再現だ。力押しで攻めてくる相手に対し、ただ技巧のみを武器に立ち回る。

 避け、誘導し、封じ、強いる。

 思うままに暴れていた妖刀少女は、攻防が進むにつれ徐々にだが表情を険しくしてゆく。

 

「貴様――我を弄ぶか……!」

 

 怒髪衝天――そう例えるのが相応しい怒気と共に、妖刀少女は瑞泉の作っていた"流れ"を強引に断ち切るため、その太刀を大上段に振り上げる。

 力任せの制動は間違いなく肉体へ多大なダメージを与えているはずだが、それに構う様子も見せず彼女は瑞泉を一刀の下に断ち切らんと力を溜め――刹那ほどの間を置いて断頭の刃が疾駆する。

 

 が、血色の刃が瑞泉を両断することはなかった。

 彼女が刀を振り上げた瞬間、彼は両足に力を込めると同時、バックステップで一気に距離を稼いでいた。次いで、裂帛の気合いを乗せた咆吼を上げると同時、熱量を刀へ一気に捧げる。

 自らの能力を制限していた枷、その二つ目を解放すると同時、地面を蹴りつけて妖刀少女の下へ躍りかかる。

 

 響く舌打ちは一つ。妖刀少女は刃を返して瑞泉に刀を向けるが、それもまた空を切る

 今度は捌かれたわけでもなく、単純な反射、そして速度によって避けられた――

 

「おのれ、舐めるな!」

 

 それを理解した妖刀少女は、瑞泉の後を追うかのように熱量を消費する。瞬間、彼女が身に纏っていた力――真剣少女の持つ霊力と似て異なるエネルギー、妖力――が大気を震わせる。

 妖刀少女となった次点で、刀に備えられたリミッターはすべて解除された状態だ。

 そのため今の彼女が行ったことは、枷を外したわけではなく、自らの肉体に大量の燃料を過給したようなもの。更なる力を得るために、より大きな力を発揮するために。

 その行いが何を引き起こすのか――

 

「やめろ!」

 

 それを理解している瑞泉は、咄嗟に制止の声を上げていた。

 

「なんだ貴様。敵の身を心配するなど、随分と余裕があるな」

 

「分かっているはずだ。度を過ぎた熱量の消費が何をもたらすか――お前は、縁を結んだ子を殺すつもりか!」

 

「たわけが。お前にこれ(・・)の何が分かるという」

 

「何も知らない。だがそんな強引に熱量を絞り出せば何が起こるのか……」

 

 刀が食らう熱量とは純粋なカロリーを始めとして、その他、物質以外にも宿主の精神力や記憶といったものも該当する。

 そういったものを喰われ尽くした人間がどうなるか――

 

「それで? だからといって何故止める?」

 

「目の前で死に向かう人がいるなら当然、助けるだろう」

 

「そうか。なら止めてみせると良い。手遅れにならければ良いがな」

 

 やってみろ――口角を釣り上げ笑みを浮かべると、妖刀少女は刀を振るう。

 妖刀少女の振る舞いに表情を歪めつつ、瑞泉はそれを迎え撃った。

 

 

 

 

 

†††

 

 

 

 

 

「え、援護を――」

 

「駄目です、止めて下さいめづるさん」

 

 刃金の立てる音と火花の乱舞するする刀の暴風――その中心で刀を交える二人から僅かに距離を置いて、めづるとさよの二人は両者の戦いを眺めていた。

 否、眺めていることしか出来ない、というべきだろうか。

 瑞泉と妖刀少女の戦闘は、はっきり云ってしまえば二人の入る余地がない領域の戦いだ。割って入る隙を見付けることができないばかりか、何をすれば瑞泉の援護が出来るのかも分からない。多人数で一人を相手をする場合、どう立ち回れば良いのか……それすらも二人は知らない。

 瑞泉がそれを教えなかったのは、偏に二人と共に戦うつもりがなかったからだろう。こうして戦場に出ているというのに二人は瑞泉にとっての護衛対象でしかない。多少憑喪と戦うことができるのだとしても、その程度の実力では手を出すことのできない領域の戦いというものが存在するのだ。

 

 そんな中へ割って入ろうとするめづるを、さよは咄嗟に止めた。

 そんなことをしたら何が起こるか――まず間違いなく邪魔になると分かりきっているし、運が悪ければ互角のままに続いている戦いが、妖刀少女の側に傾いてしまう可能性もある。

 端的に云って愚かな行動――そう称することが出来るが、一方で、さよは無謀にもそんな行動に出ようと思えためづるに敬意すら覚えた。

 真剣少女になったことで、さよたちは"死"という人間であった時は身近な存在であったものから遠ざかることが出来た。だというのに、今目の前で繰り広げられている戦いは、遠ざかった死があまりにも簡単に量産されている。

 とてもではないが近付こうと思えない。命の重さがああも軽い場所に出向くことなど、左文字さよには絶対に許せないし、したくもない。

 しかしこの一文字めづるという真剣少女は、その死を理解していながらも瑞泉の手助けに入ろうとしているのだ。

 死ぬことが怖いわけではないだろう。制止するために掴んでいる腕からは震えが伝わってきている。この戦野で軽々しく命を捧げることが出来るというならば、彼女が常日頃から口にしている想いが本物だという証左だろう。

 

「ここは三笠さんに任せましょう。私たちには何も……」

 

「ですが、せめて盾になるぐらいは!」

 

「それを三笠さんが喜ぶとは思いません。堪えて下さい」

 

 戸惑い、怯え、怒り、様々な感情で顔を染めながらも、さよの言葉でめづるは唇を噛みしめる。

 不気味なほどに澄んだ彼女の瞳は、じっと一点――瑞泉へと注がれている。

 

 瑞泉と妖刀少女の戦いは、未だ続いている。

 ほぼ拮抗状態と云っても良いだろう。力では圧倒している妖刀少女と、技術で上回っている瑞泉――しかしその瑞泉が先ほど熱量を刀に注いだことで、戦いの流れとでもいうべきものは瑞泉の方へとゆっくり傾き始めていた。

 

 殴打するように振るわれた横薙ぎの一撃、それを横に避けつつも斬撃を刀を腹で受ける――伝わった衝撃をそのまま加速に用い、一歩踏み込みながら旋回し刀を振るう。

 攻防一体の一閃は妖刀少女に防御する暇を与えず、彼女の背中を引き裂く――はずだった。

 

 刀という凶器に触れれば人体など簡単に避けてしまうはずであるが、瑞泉の振るった刀で斬ることができたのは彼女の衣服のみ。

 これは彼女が身に纏っているエネルギーが、その肉体を防護しているせいだ。

 これは妖刀少女のみが行っていることではなく、瑞泉やめづるたちも霊力を用い、不可視の鎧のようなものを身に纏っている。

 いくら身体能力が強化されようとも人の体は憑喪と戦うには脆すぎる。そのため刀という矛の他にも、身を守るための盾として生み出されたのがこの霊力の鎧だ。

 

「効かぬわ!」

 

 一瞬の硬直の後、振り向き様に妖刀少女は刀を振るう。

 しかし再び太刀は空を薙ぎ、返礼とばかりに瑞泉は平手突きを少女の胸へと見舞う。そのまま横薙ぎに刀を振るい引き戻されようとした刀を払うと、袈裟に刀を振り抜いた。

 

「ガッ――貴ッ様……!」

 

「もう見切った。一枚一枚鎧を剥いでやる」

 

 苦悶の声を上げつつ尚も反撃に出る妖刀少女――しかし瑞泉は一切の反撃を許さないとばかりに、刀を走らせる。

 打刀と太刀。間合いの広さで云えば後者の方が有利であるのは確かだが、瑞泉は彼女の間合いへ一歩、そこから更にもう一歩踏み込むことで彼女の動きを制限している。

 あまりにも距離が近すぎ、得物の特性を妖刀少女は生かすことができない。しかし距離を取ろうにも、この場の流れを主導しているのは今や瑞泉だ。

 先ほどまでの暴風の如き勢いは、ただひたすらに受け流されるか、あるいは発動前に封じられている。

 

「本当に……本当に強いんですね三笠さん」

 

「……まだ気は抜けません」

 

 おそらく――とさよは推測する。瑞泉がさっきまで圧されているように見えたのは、小手調べをしていたからなのだろう。妖刀少女の力がどれほどのものなのか確かめるため見極めてから攻勢へと転じるための。

 

 瑞泉が口にした、鎧を剥ぐという言葉。これは文字通り、妖刀少女が身に纏っている妖力の鎧を削り取っていることを指している。

 妖刀少女を撃破するのではなく捕縛するという目的がある以上、自分たちが行うべきことは彼女の無力化と鎮圧だ。

 であるならばまずはその戦闘能力を奪う必要がある。

 瑞泉が絶え間なく攻撃を加えているのも、これ以上妖刀少女に熱量を消費させないためか。

 鎧を剥ぎ取り、疲弊させ、捕縛する――この一連の作業を自分一人で行ってしまえる時点で、やはり瑞泉は自分たちのずっと先を進む者なのだと痛感した。

 

「……決まり、ですかね」

 

「かもしれません」

 

 目の前で繰り広げられている戦いが終わりに向かっていることに気付き、さよはそう口にした。

 

 最早、刀同士が打ち合う音は聞こえない。ひたすらに瑞泉が妖刀少女を斬りつけ、散発的な反撃を躱すだけの状態――そして遂に、耐えきれなくなったのか妖刀少女がその場に膝を付く。

 

 体力も限界に近いのだろう。荒々しい呼吸は離れた場所にいるさよたちにも聞こえてくるほどで、激しく肩が上下している。

 肉体の方も無事ではなく、鎧を貫通して傷付けられた刀傷が薄く全身に走っていた。

 だがそんな状態になりながらも、妖刀少女の瞳からは闘志が失われていない。獰猛な笑みを口元に浮かべたまま、自らを見下ろす瑞泉を睨み付けていた。

 

「……どうした? 好きに処すれば良い。首を刎ねるもこの体を弄ぶも、今ならできよう」

 

「残念だがどちらもその気はない。……大人しく捕まって貰おうか」

 

 云いながら、瑞泉は外套の内側から一束の赤黒い鎖を取り出す。

 捕縛鎖――妖刀少女の力を封じる、捕縛用の拘束具だ。

 

「我を捕らえるか。檻の中で飼われるつもりなど毛頭ないが……なぁ、最後に一つ教えてくれまいか」

 

「なんだ?」

 

「そう、その――あそこの二人のことなんだが」

 

 瞬間、今まで意識の外に出されていただろう二人へと、妖刀少女の瞳が向けられる。

 さよはまるで自らの心臓が握られたような錯覚を抱いた。

 黄金の瞳。満身創痍の獅子。これ以上戦う余力はないはずなのに、絶体絶命の状況下――だというのに、一瞥を向けられただけでプレッシャーに意識が酩酊する。

 

 瑞泉の戦いを眺めている内に忘れつつあった死への恐怖、それが背筋を駆け上がる。

 

「めづる、さよさん……!」

 

「阿呆が!」

 

 そして二人の様子に瑞泉が意識を向けた瞬間、妖刀少女が吐き捨てた。

 鎮まりつつあった力の圧力は再び膨れあがり、全身に刻まれた切り傷は一瞬の内に塞がってしまう――

 瑞泉がここまで咎めていた熱量の消費による強化、妖刀少女は一瞬の隙を突いてそれを実行してしまっていた。

 

「がっ……!?」

 

 そして立ち上がり様に瑞泉へと太刀を振るう。咄嗟に反応が出来たのは流石といえるが、しかし勢いまで殺すことは出来ずに彼は吹き飛ばされてしまった。

 

「一人でこの地に赴いたのならば我を屈服させることなど容易かっただろうに……その報いがこれだ、さあどうする? どう凌ぐ?」

 

 瞳に浮かぶ感情は侮蔑か憐憫か――瑞泉へ意識を向けつつも、妖刀少女はさよたちに体を向けたまま刀を振り上げる。

 ゆらり、と陽炎のように彼女の姿が揺れる。それは錯覚などではない。妖刀少女を中心に発生した急激な熱が大気を軋ませている。中心にある彼女の長い癖毛は踊り、広がる。

 湯気の如く彼女の肉体から立ち上る熱量、それは一つの像を結んだ。

 形状は獅子。眼光は鋭く、さよたちを食い千切らんと歯を剥き出しにし唸り声を上げる。

 それを背負い、妖刀少女は両手で握った刀を背負い、膝を落とす。

 

「奥義――」

 

 爆発したと錯覚するほどの轟音に衝撃――それが向かう先は瑞泉ではなく、めづるたちだった。

 何故――そんな言葉だけが脳裏に浮かぶが、刹那の内に疑問は氷解する。

 死がすぐそこまで迫っている中、避けることも守ることもできない――そんな二人の前に、一つの人影が躍り出た。

 その時になってようやくさよは理解する。どう凌ぐ、という妖刀少女の言葉の意味を。

 

 「――眠り乱獅子」

 

 口ずさむは彼女の刀剣、その特性を乗せられた必殺の一撃を示す名。

 地を揺るがすほどに力強い踏み込みと同時、背負った太刀が振るわれる。刀身に纏われた、獅子を形取ったエネルギーの塊が、定めた獲物を仕留めるべく踊りかかる。

 めづるたちを庇うべく前に飛び出した瑞泉は、刀でその一撃を受け止めるべく守りの構えを取った。

 だが、それがどれほどの効果を持つというのか――失墜する魔剣が振るわれると同時、妖刀少女の口元は大きく歪んだ。

 

「砕け散れぇ!」

 

 次いで発生する閃光、爆音――全身を蹂躙する衝撃に浮遊感。一度に叩きつけられた身を蹂躙する情報は一瞬でさよの処理能力を上回り、思考が真っ白に染まってしまう。意識の手綱を手放すか否か、といった瞬間、地面へと叩きつけられたため辛うじて気絶せずに済む。

 それが幸か不幸か、さよには分からなかったが。

 

「う、あ……っ」

 

 まず真っ先に覚えたのは、浮遊感にも似た麻痺。早く立ち上がらなければ、と分かっているものの四肢に一切力が入らない。目を開いているはずなのに視界はぼやけ、耳鳴りが脳内で反響する。

 

「がっ、げほっ、はっ……あ……!」

 

 ようやく呼吸が出来た――それと同時に五感が徐々に戻ってくるが、知りたくもなかった激痛に苛まれ、彼女はその場に蹲ってしまう。

 口の中には血と土の味。四肢はくっついているものの、無事ではない。僅かにでも身動ぎすれば熱さにも似た鋭い痛みが痛覚を抉る。

 

「あ――アァァッ!」

 

 故に半ば反射的に、さよは熱量を消費し、リミッターの一つを解除すると共に肉体の治癒を行った。

 全身が燃え上がるような錯覚に包まれると同時、彼女の身を蝕んでいた致命の傷がすべて修復される。急激なエネルギーの消費に意識が暗転しかけるが、唇を噛みしめることで耐え切り立ち上がる。

 

 復活した視力で周囲を見回し――その惨状に絶句した。

 さよが今立っている場所から十メートルほど離れた場所には、先ほどまで存在していなかったクレーターが生まれていた。淵には妖刀少女が佇んでおり、彼女はつまらなそうに周囲を睥睨している。

 

 瑞泉との戦闘を経て更に奥義を使用するのは流石の妖刀少女でも相当な消耗を強いられたのだろう。頬を伝う汗の量は明らかに普通ではなく、顔色も良くはない。

 

「おやかた、さま……御館様……!」

 

 不意に耳へと届いた声の方に顔を向け、さよは言葉を失った。

 さよと同じように、めづるもまた妖刀少女の奥義を受け重傷を負ったのだろう。だが今までの戦闘では大して熱量を消費していなかったのは彼女もさよと同じだ。傷を癒そうと思えば出来るだろう。

 だが、問題は彼女ではなく、彼女の隣に横たわる少年。

 

 余波を受けたさよやめづるでさえここまでのダメージを負ったのだ。直撃を受けた瑞泉はまともな状態ではないだろう。例え防御が間に合ったのだとしても、あの衝撃は守りごと対象を叩き潰す鉄槌の如き一撃だった。

 だから瑞泉が無事なわけではないと予想することは出来ていたが――さよの目には、瑞泉がもう生きているようには見えなかった。

 

 四肢は折れ曲がり、頭を中心に血だまりが広がっている。刀は辛うじて握っているようだったが、柄を握る手には本来有るべき本数の指が揃っていない。

 制服や外套は赤黒く染まっており、今すぐにでも手当をしなければ間に合わない出血量であると医療に詳しくないさよでも察することができる。

 

 なんてこと――

 

 もしこの場に姉である左文字みよしがいたならば、彼女の奥義で瑞泉を癒すことも出来ただろう。だが彼女はいない。今の瑞泉を復活させることが出来るとしたら、それは本人が自らの肉体を修復するしかないだろう。

 しかし今の瑞泉にはとても意識があるようには見えない。

 一体、どうすれば――

 

「引導を渡してやろう」

 

 ざり、と砂地を噛む音が響くと同時、背筋を悪寒が駆け巡る。

 今の声は。今の音は。

 分かっていても理解したいとは思えない。

 だがしかし、彼女が何をするつもりであるかは考えなくても分かるほどに明白だ。

 

 この場で彼女と戦える者は瑞泉ただ一人。彼の命を摘み取ってしまえば、最早敵と云える存在はいなくなる。

 そしてそれは、さよたちにとっての死刑宣告に等しい。

 

 あんな存在と戦えるわけがない。瑞泉との応酬を目にし、自分たちとどれほど次元が違うのかは嫌と云うほど理解した。

 もし自分があの戦いに割って入れば軽く十度は死ねただろう。そればかりか、命を賭したところで一矢報いる様を想像することなど出来ない。

 絶対的な格の違い、覆しようのない力量の差は歴然であり、太刀打ちするなどという言葉を口にすれば冗談にしか聞こえない。

 しかし――

 

 ざり、と重々しく更に一歩踏み込まれる。

 

 急激な喉の渇きを覚え、さよは思わず喉に手を当てる。

 知らぬ内に呼吸は激しくなっており、肌はびっしょりと汗で濡れていた。

 

 ……絶対に敵わない。そんなことは分かりきっている。分かりきっているが――

 

「う――アァァァッ!」

 

 擦れた叫び声を上げ、さよはありったけの熱量を刀へと叩き込む。

 限界までリミッターを解除すると同時、今まで得たことのない力の充足、万能感、そして燃えたぎるような戦意が心に灯る。

 

 地を蹴ると同時、その身は疾風の如き勢いで妖刀少女へと肉薄した。

 妖刀少女の得物を注視しつつ踏み込み、速度を一切緩めぬまま、すれ違い様に一閃。

 腕に返ってきた衝撃は想像以上に重かった。今まで何匹もの憑喪を狩ってきたが、こんな手応えは一度も――そもそも本当にこれは人間なのかという疑問すら抱くほど。

 

 だがしかし、最早他にとれる手段はない。

 瑞泉が動けず、妖刀少女が動き出した今この状況下で出来ることは限られている。

 妖刀少女と戦うことが出来るのは、瑞泉のみ。その彼が復活するまでの時間を稼ぐしか自分たちの活路はない。

 瑞泉を見捨てて逃げ出したとしても、今度は満身創痍の身を引きずりながら帰らずの森を引き返すことになる。そんなことは不可能と分かりきっている。

 だから今のさよに出来ることは、瑞泉の目覚めを待って戦うことだけ。

 もしかしたらもう立ち上がることがないのでは――その可能性を脳内から排除し、再び妖刀少女へと躍りかかった。

 

 全身をバネにしながら一気に跳躍し、再びすれ違い様に一撃。着地し、間髪入れずに更にもう一撃。与えるダメージは微弱であると、攻撃しているさよ本人も理解しているが、足を止めて戦おうなどと考える気にもならない。

 

 今の自分に出来るのは、瑞泉が目覚めるまでの時間を稼ぐこと。倒そうなどと考えず、ただひたすら妖刀少女の気を引けば――

 

 三度接近し刃を走らせようとした瞬間だった。

 

 瑞泉へと向けられていた視線がさよを捉える。妖刀少女の黄金瞳にさよはどう映ったのだろうか。酷く不機嫌そうに瞼が細められ、次いで、太刀が無造作に振るわれた。

 

「――ッ!」

 

 回避に成功――だがこれは運が良かっただけだ。

 妖刀少女の視線が突き刺さった瞬間、ぞわりと全身を蹂躙した悪寒に耐えきることが出来ず飛び退いた。もし僅かにでも遅れていたら、妖刀少女の足下には二分割されたさよの死体が転がっていただろう。

 

「ああ……邪魔だぞ」

 

 鬱陶しい――言外にそう云いながら妖刀少女は軽くステップを踏む。

 それは瑞泉と戦っていた時の勢いと比べれば、あまりにも弱々しい。

 だがさよにしてみれば、彼女の遊びにも等しい踏み込みですら反応するだけで精一杯である。

 太刀が弧を描き空を裂く。呼吸を忘れ必死に斬撃を回避するも、次々に迫る刃を避け続ける度に余裕が削り取られてゆく。五、六、七、と回数を経て完全に余力が無くなり、そして八度目――最早避けることは出来ないと判断したさよは、とっさに刀の腹で妖刀少女の一撃を受けた。

 

「がっ――!?」

 

 折れる――そう錯覚するほどの衝撃が腕を伝い、火花が散ると共に吹き飛ばされる。着地には奇跡的に成功。たたらを踏みはしたが倒れずに済み、さよは自分自身を褒めてやりたい気分になった。

 だがそれも束の間。細い影が視界に映る。

 

 片手でぞんざいに振るうだけだった太刀を両手で握り、大上段に構える妖刀少女。

 未だ込められている力は全開にほど遠いと理解はしているが、先程の攻防ですら限界が見ていたさよにとって、あの刃をまともに受けたらどうなるか――そんなことは深く考えずとも理解できた。

 

「先に死にたいと云うならそうしてやる」

 

 タン、と軽やかな音が響くと同時、妖刀少女の身は一気にさよとの距離を縮めた。

 思わず漏らしそうになる悲鳴を押し殺し真横へと跳躍するも、その大雑把な回避行動を彼女が許すはずもなかった。

 

 死――

 

 その一言が脳裏に浮かぶ。避けるために何をすべきか。今の自分に何が出来るのか。

 脳裏に数多の情報が駆け巡る。その中で有効な一打とは――

 

 滲む視界をそのままに、さよは妖刀少女を見据え――彼女に正面から立ち向かった。

 

 おそらくこの行動は妖刀少女も予想していなかったのだろう。軽く目を見開き、僅かだが刀を振り下ろす腕の動きが鈍る。対してさよは、死を目前に発揮された全力以上の力で突撃を敢行する。

 何故こんな手に出たのか。それは瑞泉が戦っている最中、間合いを詰めて妖刀少女に太刀を振るわせないよう立ち回っていた姿を幸運なことに思い出せたからだった。

 どこへ逃げても同じであるならば、懐に飛び込んで――その思惑は妖刀少女の意表を突く形となる。

 

 腰だめに構えた短刀を接近と共に全力で突き込む。この後のことなど一切考えず、ただこの一瞬に全てを賭けて。

 全身全霊の一撃はカウンターの形で、吸い込まれるように妖刀少女の腹部へと突き立てられる――しかし。

 

 そもそもからして、妖刀少女とさよでは、その根本的な力の部分で差があるのだ。

 エネルギーの総量は瑞泉との戦いを繰り広げた後である今の状態ですら、さよのそれを上回る。

 だから――さよの一撃が妖力の鎧を貫くことが出来なかったことは当然のことだった。

 

「そん、な――」

 

「退け」

 

 愕然とした声を漏らすさよに対し、妖刀少女の声は酷く冷淡だった。

 短刀の刃を手で掴み腕を捻り上げると、そのまま腹へと蹴りを叩き込む。意識の空白が生まれた一瞬に受けた攻撃を防御することはできず、さよの体は宙を舞った。

 

「逃がさん」

 

 次いで、背中へと強烈な衝撃が走る。

 蹴り飛ばされたさよの体を、妖刀少女は跳躍して追いつき空中で殴り飛ばしたのだ。

 叩き落とされたさよは地面へと激突し、盛大に土煙が上がる。動かないと――その一念で体を転がせば、数秒前までいた地面には太刀が突き立てられた。

 もしあのまま寝ていれば、まず間違いなく自分は串刺しになっていただろう。その事実を理解し、力尽きる寸前の体に力が戻る。

 

 諦めない。死んでたまるか。時間にして一分にも満たない応酬を潜り抜けただけでも満身創痍――しかしまだ死んでいない。ならば諦めない限り殺されない。死んでなんてやるものか。

 

 今にも力尽きそうな足腰を奮い立たせ、血の味がする呼吸を繰り返す。

 得物を構えて妖刀少女を睨み付けると、己の愛刀――その深部へと意識を向ける。

 

「させぬわ」

 

 さよが何をするつもりなのか察知したのだろう。妖刀少女は間髪入れずにさよの首目掛け凶刃を振るう、が、しかし――

 

 彼女の足下より這い上がった黒い影。それによって全身を縛り上げられ、動きを止められてしまう。

 

「これは……めづるさん!?」

 

「遅れて申し訳ありません……この隙に!」

 

「はい!」

 

 妖刀少女を縛り上げた影はめづるが発動させた奥義の効果だ。

 以前道場で発動した時と同じように、影が対象の体を拘束し動きを止める。

 しかし如何に奥義といえど、めづると妖刀少女の力の差は歴然。力業で拘束を解かれてしまってもおかしくはない――だというのに、彼女の奥義による強固な呪縛は妖刀少女の自由を奪い取っている。

 

 おそらく、とさよは推測する。

 奥義とは真剣少女が自らと縁を結んだ刀剣の力を引き出して発動させる異能力。

 その力の源は刀剣の魂が保有する性質。そしてその性質は、刀に選ばれた少女も持っている。否、その性質を持っているからこそ、刀に選ばれたのだ。

 

 刀の内包する魂の力を引き出すには、意識をより強く同調させる必要がある。

 そして発動された奥義は、より強固に、強力に、本来であるならば手の届かない領域の権能を発揮することがある。

 それは、めづるにとってこの瞬間こそが該当するのだろう。

 

 彼女が刀剣に見出された切欠となった感情、性癖、性質をさよは知らない。

 しかしめづるの普段の様子を見れば、ある程度は察することができる。

 

 ――好きにはさせない。行かせてなるものか。

 

 もしこの場で膝を屈してしまえば、自分たちは全滅する。

 その中には彼女が想いを寄せて居るであろう瑞泉も含まれているのだ。

 であるならば、女の情念に由来する姫鶴一文字の異能は最大限に発揮されているはずだ。

 

 そしてそれは、自分も同じく――

 

 命というものが軽んじられるこの戦場を強く意識しながら、さよは意識を集中させる。己の精神、刀剣との間に結ばれた縁――それなんであるのかを強く思い描きながら。

 

 小夜左文字。

 執念により果たされた復讐譚を逸話に持つこの刀剣は、憎悪で彩られたその顛末を裏返すことで、内包されてる付喪神の魂が何を願っているのか察することが出来るだろう。

 仇討ち話の発端である家族の喪失、命の欠落。ただ家族を失いたくなかった、死んで欲しくなかったという嘆きが根底に存在する。

 

 ――だからお願い、力を貸して。

 

 死にたくない。生きて真金神社に戻りたい。

 みよし。こゆき。手間のかかる妹たちと二度と会えなくなるなんて絶対に嫌だ。

 それに、仲間を、瑞泉とめづるを失いたくない。

 まだ二人のことを良く知らない。出会ってから僅かな時間しか経ってはいない。

 けれど死んで良いはずがない。

 瑞泉はきっと辛い過去を経て、ようやく真金神社に辿り着いた。一体どんな人生を歩んできたのかさよは知らないし、聞いてもきっと教えてはくれないだろう。でもそれは、自分の重荷を誰かに背負わせるようなことをさせたくないという優しさからなのだと分かっている。そんな人でなければ、多くの人を助けて放浪の旅を続けたりはしないはずだから。

 

 めづるだって、こんな場所で倒れて良い子じゃないはずだ。気難しく、一途で、あまりの直向きさにどう触れて良いのか分からないけれど――それでも彼女が決して悪い子じゃないことは理解している。見てるこっちが恥ずかしくなるような想いの発露は、同性だからこそ恥ずかしくもあり羨ましくもある。少女としての時間を一生懸命生きているのだと――そんな彼女の目の前で、瑞泉を殺されるようなことが許せるはずがない。

 

 だから――誰も失わずに済む力を、どうか私に。

 

「……ありがとう」

 

 手の中にある短刀から、言葉では決して表現できない意識が流れ込んでくる。

 自分と刀、その間にある境界が曖昧になる錯覚と同時、残る熱量の全てを燃やし尽くして得物へと注ぎ込んだ。

 

「奥義――」

 

 体力、精神力、それらの全てが燃焼してゆく中、さよは短刀を手の中で回転させ逆手に。

 そして妖刀少女目掛けて跳躍すると、引き金となる技の名を口にした。

 

「――閻魔裁き」

 

 瞬間、さよの全身に刻まれた傷という傷から黒色の煙が噴き上がる。それは渦となり、中央にある短刀へと吸い込まれてゆく。

 黒色の光を纏いながら振り下ろされる短刀は、拘束され身動きをとれない妖刀少女の胸へと突き立てられた。

 

 しかし拘束されているといえど、妖刀少女の鎧は健在。さよの力で抜くことは敵わない――しかし今はその限りではない。

 金属同士がお互いを削り合うかのような不協和音と衝突する衝撃、閃光。

 気付かぬ内にさよは咆吼を上げ、骨まで通れと短刀に全力を込める。

 

 彼女の奥義の名は閻魔裁き。これは術者が受けたダメージ抽出、熱量を上乗せすることで倍化し仇敵に叩き込む必殺技。

 

 妖刀少女の奥義の余波、本気ではなかったとはいえ受けた数々の攻撃。それによって負ったダメージの総量は、妖刀少女の鎧を貫くに充分な力を持っていた。

 

「ぐうぅぅぅ――通れぇ!」

 

 これが通用しなければもう後はない――そう理解していたからこそ、さよは己に残された熱量の全てを、追加で愛刀へと注ぐ。

 

「通れ!」

 

 その結果、拮抗していた天秤は傾いた。

 

「通れぇぇぇえええ!」

 

 鎧を引き裂いた手応えを感じた瞬間、短刀に宿ったエネルギーを解放する。黒色の光があぶれ出すと同時、轟音を伴って妖刀少女は吹き飛ばされた。

 

「やっ、た――」

 

 せめて敵にダメージを与えることが出来たのか確認を、と頭の冷静な部分が訴えるものの、最早余力といえるものなどさよには一切残されていなかった。

 視界は一瞬でぼやけ、抗うことの出来ない睡魔が襲ってくる。立っていることなど不可能で、体重を支えることが出来ず、糸の切れた人形のように上体が傾いだ。

 

「さよさん!」

 

 しかし彼女が倒れ込むことはなかった。

 地面に倒れ込む一歩前に急いで駆けつけためづるが彼女を抱き留めると、ゆっくりと地面に寝かせる。

 

「ごめんなさ……わた……もう……」

 

 精一杯の余力を振り絞って紡がれた言葉は、聞き取るのも困難なほどに弱々しかった。

 呼吸は忙しなく行われているというのに、反対に肌は酷く冷たい。肌からは血の気が引き、病的な白さを見せていた。

 

「良いんです、後は任せて下さいませ」

 

 柔らかな声――それは普段瑞泉に向けているものと、声色がよく似ていた。まったく同じではなかったが、彼女の温かみのある声を、さよは初めて向けられた気がした。

 

 それに対して何か――しかしもう口を動かすことすら出来ない。

 完全な熱量の枯渇。もう体を動かすことはおろか、意識を保つことすら難しい。これ以上の行動は命に関わると、肉体がさよの意思を無視してブレーカーを落とそうとしている。それは抗えるようなものではない。

 

 あぁ――自分は果たして役に立つことが出来たのだろうか。立ち向かえることは出来たのだろうか。

 

 そんな気がかりを抱きながら、さよの意識は闇に沈んだ。

 

 

 

 

 

†††

 

 

 

 

 

「褒めてやろう。お前たちの未熟さを考慮すれば、この我に傷をつけることなど不可能なはずだった。しかし死地において限界を踏破し、奇跡と呼ばれるものを起こしたのだ。誇って良い」

 

「……そうですか」

 

 意識を失ったさよの頭を一撫でし、めづるは立ち上がる。

 そして太刀を両手で構えると、忌々しげに表情を歪めたまま立つ妖刀少女を睨み付ける。

 

「それでどうする。まだ諦めんか」

 

「諦める理由がありません」

 

「まだ何か打つ手があるとでも云うのか?」

 

「ええ、ご要望とあらば開陳しましょう」

 

 明らかに強がり――そう、妖刀少女は断じている。

 だが間違いだ。彼女は忘れている。真剣少女に残された最後の手段がなんであるのかを。

 

 熱量の消費による強化。奥義の使用。それらは確かに強大な力を発揮するだろう。しかし更に一手、切り札――否、禁じ手と呼べる手段が真剣少女には残っているのだ。

 

 意識を深く、更に深く――最奥に潜む刀剣の魂、それに触れる。

 まるで当然のようにめづるが行ったこの行為は、並の真剣少女では決して真似の出来ない所行だ。普通であれば付喪神の魂が漠然と願っていることをくみ取ることが精々、それが出来れば刀剣の力を充分に引き出せる領域に達していると云えるだろう。

 

 だがめづるは更にその一歩先に進むことが出来る。

 これは姫鶴一文字とめづるの意識が高い次元で同調しているからこそ可能な離れ業。

 その気になれば付喪神との対話すらこなして見せるだろう。

 ここまで出来る彼女だからこそ、奥義を用いて遥か格上の妖刀少女を拘束することが出来たのだ。

 

 しかし今はそれでも足りない。

 いくら刀剣に力を借りようとも、そもそもからして器であるめづるが未だ未熟なのだ。

 妖刀少女の口にした、傷付けることなど不可能という言葉は嘘でもなんでもない。

 そう――自分(・・)では駄目なのだ。

 

 ならば自分以外の誰かに替わってもらえば良い。

 ただそれだけの、単純な話。

 

『あげるわ』

 

『もらうぞ』

 

 胸中で行われた、短いやりとりが終わると同時、めづるの瞳から徐々に色が失われてゆく――

 翡翠色の瞳はその色を黄金へ。濁るように広がる異色の配合を目にし、妖刀少女は驚愕をその顔に貼り付ける。

 

「そんな、貴様、正気か……?」

 

「……其は、血と狂気で出来ている。であるならば、これ(・・)が正気のはずがなかろう」

 

 めづるの唇から吐き出された声色は、普段と同じもの。だというのに言葉遣い、雰囲気、それらの全てが致命的に変わってしまっていた。

 じりじりと、まるで紙が燃えてゆくかのように、彼女が手にする刀には赤黒い染みが広がってゆく。

 

 妖刀化――裏返ったと呼ばれる現象。

 それをめづるは、自らの意思で起こしたのだ。

 

「あり得ない。妖刀少女になることがどういう意味か、分かっているのか?」

 

「貴様を見ていれば嫌でも理解するさ。それを加味した上で、この少女は、わらわにこの体を委ねたのだ」

 

 無論、それは軽い気持ちで行われたことではない。

 しかし半死半生の瑞泉、満身創痍のさよ以外で戦えるのはめづるだけ。

 であるならばもう自分が戦うしかなく、戦う以上勝たねばならない。

 そのために使いたくもない最後の手段を執るしかなかった。

 

 それがどれほどの苦痛であったのか、理解できるのは本人と、そして精神が繋がっている姫鶴一文字の付喪神だけだろう。

 ――死は怖くない。それが一文字めづるが以前抱いていた価値観だった。しかし今は違う。決して離れたくない男を見付け、どこまでも寄り添いたいという恋慕を抱いてしまったため、その願いに幕を降ろす死は少女にとっての恐怖になった。

 

 そしてその恐怖の具現である妖刀少女は、めづるの胸に宿る気持ちの源である瑞泉を傷付け、めづるさえもその手にかけようとしている。

 

 こんなことが許されるわけがない。怒りと憎悪、悲哀と絶望は、しかしめづるの心を折ることなどできはしない。

 

 こんな所で死ぬわけにはいかない。何があっても。何をしてでも。

 

 その一念が執られた最後の手段、妖刀化。

 その果てに自分という個我を喪失が待っているのだとしても――

 妖刀へと変貌し自分自身を喪うことになってしまったとしても、この気持ちはきっと消えない。姫鶴一文字という刀が、それだけは絶対に守ってくれるとめづるは理解していた。

 ならば良い――それ以外の全てを失うことと引き替えに仲間と愛しい男を守ることが出来るのならば。

 

「しかし生憎、わらわは我が儘でな。今の深度なら、まだこれに肉体を返すこともできる……早々にそなたを片付け、終わらせるとしよう」

 

「お前……何故、そこまで」

 

「わらわとこの娘は深く繋がっている。お互いの区分が曖昧になるほどに。であるならば、そう……文字通り、他人事とは思えない……といった所か」

 

 話は終わり、とばかりに、姫鶴一文字は太刀を肩に背負うようにして構える。

 それと同時に、彼女の長い黒髪がざわつき、踊り始めた。

 

「膾切りにしてやろう――おや?」

 

 いざ――姫鶴一文字が一歩踏み出すが、しかし彼女が妖刀少女に刀を向けることはなかった。

 視線は己が定めた敵ではなく、それとは別の――立ち上がった人影へと向けられていた。

 服は赤黒く染まり、肌にもべったりと血の跡がこびりついている。ガクガクと膝を笑わせながら、それでも決して倒れ込もうとはせずに、顔を上げて妖刀少女を睨む眼差し――それを目にし、姫鶴一文字の胸中に暖かなものが広がる。

 自分が抱いた感情ではない、そのはずだというのに頬が無意識の内に緩んでしまう――嗚呼、馬鹿らしい。

 

「遅いわ阿呆が」

 

 頬の火照りを感じながら、それを断ち切るように姫鶴一文字は瞼を閉じる。

 そして眠りに就こうとしているめづるの意識を精神の奥底から引っ張り上げると、肉体の主導権を本来の持ち主へと返却した。

 

 

 

 

 

†††

 

 

 

 

 

 視界の隅で唐突にめづるが膝を地について動きを止めたことを察知しながらも、瑞泉は彼女に近寄るだけの余裕を未だ取り戻せていなかった。

 ――何秒? 何分? どれぐらい俺は寝ていた?

 

 倒れ伏したさよに、意識を失ったであろうめづる。

 自分が倒れている最中、彼女たちが妖刀少女と戦い続けていたであろうことは簡単に察することができた。

 一体どれほど――彼女たちの練度で妖刀少女の相手をするのがどれほど困難であるのか、本人以上に瑞泉は把握していた。

 戦えばまず間違いなく撃破される。それが早いか遅いかの違いこそあれど、敗北は決定的と云って良い。

 だというのに彼女たちは立ち向かった――瑞泉が復活したならば勝てると信じて。

 

「クソ……」

 

 何も変わっていない。

 何もかもを一人でこなそうとして、結局守ることが出来ず、気付けば誰もがいなくなっている。

 目の前の光景は瑞泉が歩んできた戦いの歴史、その繰り返し。

 もう二度と繰り返さないと誓っておきながら、結局はまた同じことを――

 

「繰り返して、たまるか……」

 

 血反吐を撒き散らし、瑞泉は口元を手の甲で拭う。

 嗅ぎ慣れた鉄錆の臭い、血の味。混濁一歩手前の状況はちかちかと視界を明滅させ、今にも途切れてしまいそう。

 しかし――奥歯を噛み締め唸り声を上げ、瑞泉は熱量を消費し崩壊しつつある肉体を急速に修復する。

 折れていた四肢、欠損した部位は瞬く間に再生され全身を苛んでいた激痛が急速に消えてゆく。しかし代償もなく急速な肉体の復元などできるわけもない。

 ただでさえ残り少ない体力が一気に削られる――それでは戦えない。ならな何を犠牲にすべきか。

 それは気力だ。戦意、熱意、殺意、戦いに必要な精神力を薪にくべる。

 

 無論、これは危険な行為だ。精神力の消耗は度が過ぎれば感情の喪失にも繋がってしまう禁じ手。

 ましてや何よりも意識の強さが必要となる戦場で執るべき手段ではない。

 仮に傷が癒えて再び戦える状態になったとしても、戦いへの意志が残っていなければ意味がない。

 勿論瑞泉はそれを理解していながらも自らの精神力を削っている――己の心は決して折れないと信じて。

 

「……随分とまた追い詰められたものだな」

 

「ほざけ。半死人の貴様に云われたところでどうとも思わん」

 

 口を突いて出た軽口に、妖刀少女は苦笑しながら言葉を返す。

 半死人。言い得て妙だ。あるいは死んでいてもおかしくない程の重傷だったというのに自分は生きている。死の淵から生き返ったという言葉が似つかわしいほどに。

 

「だがそう云うお前も、余裕がないように見える。めづるたちは頑張ってくれたみたいだな」

 

「ああ、必死に足掻いていたぞ。お前が立ち上がると信じて死力を尽くしていた。それでどうにかなると思って……まったく愚かな連中よ」

 

 その瞬間を思い出したのか妖刀少女は鼻で笑い、

 

「どうにもならん。皆この森で朽ち果てる」

 

 太刀を両手で握ると、その身に残ったエネルギーを解放し始めた。

 奥義の発動、その前兆。一度は瑞泉を瀕死に追い込んだ必殺の牙が再び形成されようとしている。

 

「避けるも守るも好きにしろ。それでどうにかなると思っているのならな――さあ、砕け散るが良い」

 

 獅子王の抜刀が行われる。立ち上る紅の光は再び彼女の刃に集い、獅子の姿を投影する。

 それがどれだけの破壊をもたらすのか、瑞泉はその身で思い知っている。守りは上から崩されるだろう。熱量を大量消費したあの状態の妖刀少女の身体能力は瑞泉を上回っており、逃げ切れるはずもない。

 

 ならば――

 

「――ひ、ふ、み、よ、ひ、ふ、み、や、ここの、たり」

 

 守勢ではなく攻勢に。

 最高の剣をぶつけてくるというのならば、瑞泉もまた己の持ちうる最高の刃で相手をするまで。

 

 瑞泉は意識を妖刀少女ではなく、己の内側へと潜らせる。

 この刀――三笠刀の付喪神、船霊へと。

 

 ――三笠刀とは、純粋な刀として生まれた物ではない。

 その名の由来となった大日本帝国海軍の在りし日の旗艦、戦艦三笠。その主砲砲身に使われていた鋼を利用し、記念品として生み出された刀剣だ。

 そのため刀としての性能や美しさは、他の刀剣と比較すると目立ったものがない。

 しかしそれは当然だろう。刀として生まれるべくして生まれた存在と、本来の姿から外れた形で生み出されたものを比べるならば、前者の方がより純粋であり正統。

 三笠刀は刀としての性能を期待されてはおらず、象徴であれと願われたのだから。

 

 そう、象徴――栄光と勝利を司る、救国の力を。

 

 戦艦三笠で最も有名な逸話を語るならば、日露戦争での日本海海戦が該当するだろう。

 辺境に位置する極東の小国が、大国の大艦隊を一方的に打ち破った、伝説と称される勝利。

 その海戦における大日本帝国海軍の旗艦は戦艦三笠であり、座乗していた艦隊司令の東郷平八郎は後に現人神として崇められ、死後は神社に奉られている。であるならばこの三笠刀は、神の振るった刃――神剣である。

 

「砕け散れと云ったか――それはこちらの台詞だ、獅子王。この奥義は、加減が利くものじゃない」

 

 どうか、この絶対に敗けられない戦いに勝利を――

 

 三笠刀に、そして戦艦三笠に奉られていた神(・・・・・・・・・・・・)へ祈りを込めて。

 

  潮の音が響き渡る。

 ここは山中、緑深き森の中であるにも関わらず、雄々しくも騒々しい、海原を行く音色が木霊する。

 

 鵺を切り伏せたという獅子王の牙、なるほど確かに強大だろう。だがしかし――海原を進む鉄の城は砕けまい。

 

「奥義――!」

 

 妖刀少女が叫びを上げる。。

 お互いの刀剣に宿った力を引き出し、目の前に在る宿敵を滅ぼさんと必殺の業が迸る。

 

 先に己が力を解放したのは妖刀少女だった。

 彼女は刀を肩から背負いつつ、一気に瑞泉との間合いを詰めてその名を口にする。

 

「――眠り乱獅子!」

 

 膨大なエネルギーと同時に振り下ろされる赫炎の斬撃。

 それに対抗する瑞泉は、僅かに遅れ熱量を解放する――

 

 まず最初に顕現したのは、一つの結界だった。

 熱量で編まれた光の壁。円筒状のそれは瑞泉を支点に発生し、妖刀少女に向かって伸びる。光輝の隧道(トンネル)――そう見えてしまう空間に、瑞泉と妖刀少女は閉じ込められた。

 展開された世界に僅かな躊躇を見せつつも、妖刀少女が歩みを止めることはなかった。逃げ場がないのならむしろ好都合だと云わんばかりに、牙を剥いて猛る――そう、逃げ場などない。瑞泉に立ち向かうか、背中を見せて逃げ去るか、あるいはトンネル(砲身)を破壊するか。

 

「奥義――」

 

 瑞泉の握る三笠刀――その刀身に光が宿る。

 熱量を吸い上げ光り輝くその色は、旭光に等しい。あるいは瑞泉だけからではなく、他の何かから得ている力の光輝。

 光の奔流を束ね、瑞泉は妖刀少女の攻撃に応じるよう、脇構えに。

 そして己の得物に収束する力が最大限まで高まったと同時、その業名を口にした。

 

「――非理法権天」

 

 瞬間、光の刃が抜刀される。

 技名と同時に振り抜かれた刀からは膨大なエネルギーが放出される。

 立ち上がる轟音、硝煙の臭い――光の砲撃。

 

 灼熱の太刀がそれを真っ向から打ち砕かんと振り下ろされる。

 光と光のぶつかり合い。赤と白の攻防はしかし一瞬で崩される。僅かな拮抗の後――押し切ったのは、白の極光。

 

 紅の獅子を打ち破り、しかし三笠刀から放たれたエネルギーは尚も止まらない。

 彼女を飲み込み、結界内を蹂躙しつつ突き抜ける。地面を抉りながらも止まらず社を囲む木々をなぎ倒し、そうして数秒後、ようやく停止した。

 

「ぐっ……!」

 

 ほぼ確実に撃破したという手応えが瑞泉にはあったが、念のために確認を――そう思い一歩踏み出した瞬間、数秒前まで全身を駆け巡っていた万能感が消え去り、同等の虚脱感に襲われる。

 ――大技である奥義の発動を行った代償だ。

 まだ瑞泉が数回しか非理法権天の発動をしていないため力の制御に慣れていないということもあるが、それを差し引いてもこの奥義は燃費が悪い。

 それもあって瑞泉はこの奥義を積極的に使おうとはしなかった。なんらかの対策をしなければ一日に使えるのは一度だけ。もし使った上で敵を倒せなかった場合は他に打つ手がなくなってしまう。使いたくない切り札――それが自らの奥義に対する瑞泉の評価だ。

 しかしリスクが大きい分、その威力は絶大と云っても良い。

 妖刀少女の奥義を正面から容易く打ち破るその力。その直撃を受けたのであれば、彼女が立ち上がることはあり得ない。

 

 だから今こそ、彼女の捕縛をしなければと分かっているが――

 

 ガクガクと笑う膝はどんなに力を入れても思いように動かず、無理に体を動かそうとした結果、そのまま地面に倒れ込んでしまった。

 頬に当たる地面に暖かみすら感じる。気力も含めて根こそぎ熱量に変換した結果、もう気迫だけでどうにかなる領域の話ではない。

 

 ああ、くそ――

 舌打ちする余力もない中、視界の隅に後方で戦闘を眺めていたぼっこたちが、慌てた様子で駆け寄ってくる姿が見えた。

 せめて一声、そう思いながらも瑞泉の意識はふっと途切れてしまった。




作者のモチベーションが保てないため、この作品の更新は次の話で最後とさせていただきます
気が向いたら更新することがあるかもしれませんが、読者がいるかも分からない状況で作品を書き続けることが作者にとってかなりの苦痛であるため打ち切りとさせて頂きます
大変申し訳ありません
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