Requiem 1   作:やま先生

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第1話

「――閉じよ、閉じよ、閉じよ、閉じよ」

 

人理継続保障機関フィニス・カルデア内、守護英霊召喚システム・フェイト。

少年はガラス作りの巨大なそのシステムの中に立ち、手を宙にかざす。

その左手には「マスター」の証である赤い刻印、令呪。

彼が選ばれた者であるという証拠である。

だが、正確には選ばれた、というよりも残ったという方が正しい。

 

「繰り返す、つどに四度――あれ、五度?えーと、ただ満たされる時を…破却する、だよな、うん」

 

「君も律儀なものだよね。別に詠唱なんて必要無いのに」

 

ガラスに覆われた部屋の外で、白衣の青年が呆れたように言う。

彼の名はロマニ・アーキマン。カルデアの医療部門のトップに立ち、現カルデアの総指揮を担当している男だ。

何故医療部門の彼が、この施設の指揮を行っているのか。

それはただ単純に、彼より階級が上の者が全員死亡した為である。

 

「閉じよ、閉じよ、閉じよ、閉じよ、閉じよ、っと。今度こそ五度ね、オーケイ」

 

「いや、オーケイじゃないよ、君。間違ってるからね、それ。まぁとりあえず、システム起動するよ」

 

だが、少年は至って真面目だった。

詠唱呪文が書かれた紙を片手に、かつて何度か行われた聖杯戦争の儀式を踏襲すれば、何か良い結果に繋がるのでは――そう、漠然とではあるが、そんな風に考えたのだ。

本来この儀式には生贄も必要で、ニワトリ三羽、更に過去の英雄の遺物、要するにその人物に関わる物が必要になる。

だが、このカルデアの召還は違う。ロマニ・アーキマンが言った通り、詠唱は必要無い。

 

「魔力供給自体はカルデアがやってくれるからさあ、後は令呪の縛り、現世への依り代としてのマスターが居れば特に現界に問題は無いんだよね。

 

過去の伝統なんか無くてもプログラム術式を使えば十回連続召還とかもできちゃうんだけどなあ」

 

このシステムは、魔力を電力に置き換えた画期的な発明である。

たとえマスターに魔力が無くとも、システムがそれを代替する。

もし仮に、生贄のニワトリが必要だとしても、生憎とこの施設の向こう側は現在進行形で壊滅中。

人類存続の危機という有様で、一歩でも外に出ればどうなるかなど分からない。

ニワトリどころか人、霊長類すらもお目にかかれない状態である事は間違いない。

ニワトリが手に入らないという事実を知った時の少年、マスターの動揺っぷりはそれなりのもので、

 

「ニワトリの血が手に入らないのなら、魔方陣を書く為に赤いペンキを使う!」

 

と真顔で言い出した時はロマニと、少年の後輩――正確には後輩、先輩という間柄ではないのだが――自称後輩の少女、マシュ・キリエライトはそれを必死で止めたものだった。

ただ、もう一人。技術開発部部長兼、サーヴァントであるレオナルド・ダ・ヴィンチ、彼――否、彼女は面白そうに「やってみればいいじゃないか」と煽ったが。

結局の所、清掃に時間が多大にかかるという理由で少年の儀式は呪文の詠唱のみに変わったのだった。

果たして、初めての儀式に緊張した為なのか、それとも彼の本来の割と適当な部分が出たのか、カンニングペーパーを持ちながらの詠唱は先程の通り、噛みまくり、間違えまくりという結果に終わった。

 

それでも、ダ・ヴィンチは言う。

 

「まぁ、触媒も何も別に必要ないとは思うけれど」

 

胡麻饅頭を形の良い口に放り込みながら、緑茶を啜る偉大な芸術家の英霊を、ロマニとマシュは見つめる。前者は疑惑の、後者は興味の眼差しで。

 

「それでもきっと、何かの縁が召還の鍵になっているとは思うんだよね」

 

「じゃあ、ダ・ヴィンチちゃんはあんな古臭くてナンセンスな術式が、必要だとでも言うのかい?」

 

「いや、私だって別にそんなので召還されたワケじゃないからね。でも、このシステムは英霊とマスター、双方の合意があって初めて召還出来るんだ」

 

だから、と言葉を続ける。

 

「きっと何かの縁があれば、マスターの声は我々に届くし、呼び出しに応じやすくなるんじゃないか、とは私は思うけどね。一人の、召還されたサーヴァントの意見として、ね」

 

暗闇の中に青く輝く召喚の輪。煌く其処を見つめる少年。其処には何かの縁が其処にあるのかもしれない。

もしかしたら、それは彼の間違えた詠唱が、いつの日にか行われた聖杯戦争の、誰か一人が唱えた詠唱と似ていたのかもしれない。

それとも、これから向かうべき第一の特異点、フランス――オルレアンに縁があったのかもしれない。

魔術師でも何でもなく、数合わせの為に来た素人のマスター。この少年が召還に挑むには理由がある。

魔術師レフ・ライノールによる裏切り。破壊工作により、カルデアは八割方の損害を受けた。

少年がマスターとして残った理由も、ロマニが総指揮を行っているのも、この男が元凶である。

そして、特異点Fでの戦いが、半ば少年とマシュの二人だけで行われた理由も。

本来ならば、システムを用いて、英霊を召還し、戦力を増強し挑むはずが、損害は中央管理室に留まらず、召還システムにも及んだ為、召還が出来ない状況にあったのだ。

それでも、人類滅亡の危機を阻止する為にレイシフトした2004年の冬木市、特異点Fの戦い。

其処で出会った何人かの英霊達の協力を得て、何とか定礎を復元することになったが、歴史の修復と共に彼らは座へと戻っていく。

カルデアでの召還ならいざ知らず、イレギュラーでの召還、恐らく抑止力と呼ばれる力で召還された彼らは現界し続ける為の魔力供給が無いからだ。

そして、ついに行われた召還。カルデアでは四番目になるであろう英霊は呼び出されようとしていた。

白銀に、十字架が象られた鎧。白くはためく衣。銀色に輝く剣。

 

「セイバーの、サーヴァント…」

 

ガラスの向こう側を見つめ、ロマニが呟く。

 

「成功ですね、先輩」

 

金の粒子と共に、実態を伴っていく、『自分の初めて召還したサーヴァント』を、マスターである少年は誇らしげに見つめる。

そして、サーヴァントは薄い唇をそっと開く。だが、力強い声で。

 

「セイバー、ジル・ド・レェ。参上致しましてございます」

 

 

 

 

■ ■ ■

 

 

 

 

「ようこそ、カルデアへ!ジル、で良いのかな?僕は…」

 

ジル・ド・レェ。その名を聞いた管制室のニ人はお互いに顔を見合わせて、一人は無言のまま茶を啜った。

 

「あの、ジル・ド・レェ?」

 

ロマニは自分の知識としてのジル・ド・レェ像を呼び起こす。

百年戦争の英雄、オルレアン解放の立役者。ランスの大聖堂でついに行われた戴冠式では、聖油瓶を奉持する役目をも任命された。

本来は王国軍最高司令官の役割と定められていたにも関わらず、である。

この戴冠式の七月十六日、ジルは王国元帥へ任命される事となる。

王家の紋章である百合の花を武具の装飾と使用される事が許されたこの栄誉に、ジルは感激し、王冠に忠誠を誓ったという。

だが、その歓喜の光を受けた栄光の日々は、すぐに終わりを告げる事になる。

1431年、何よりも崇拝していた星、ジャンヌ・ダルクの処刑である。

信じていたはずの国から、王から、全てから裏切られ魔女として、異端として処刑された少女。

彼女の死以降、ジルは精神に異常をきたし、大量殺人――それも、年端のいかない子供達の殺人へと身を落としていくことになる。

ともあれ、戦争に加担する者が殺人を行う事は当時としては別段問題は無い。

何より彼が殺したのは、彼の領地に住んでいた者達である。

現代とは倫理観も違う。領主が、領地の『家畜』を殺す事に、罪などありはしなかったのだ。

殺して、殺して、殺しつくして、その数は数千人にも上ると言われている。

理由は後世の歴史家達の想像にしか過ぎない為、不明ではあるが、有力だとされているのは、とある少女の復活。

そう、処刑された聖女の復活の為であったと言われている。

 

「大丈夫だと思う?マシュ」

 

ロマンの言わんとする事を、なんとなしに理解した少女は眉を顰める。

 

「殺人鬼の英霊が、マスターに害をなさないか、ですか?」

 

「ああ、かつて行われた聖杯戦争で、その前例が無いわけではない。自身のマスターに見切りをつけて殺したという例は確かにある」

 

ガラスの部屋の中、剣の英霊、殺人鬼ジル・ド・レェと少年が向かいあっている。

 

「ロマン、マシュ、構えすぎだよ」

 

場違いともいえる呑気さで、ダ・ヴィンチがロマニの前に置かれていた皿を手元へと引き寄せる。

その上に乗せられた白い塊、豆大福を無遠慮に掴んで頬張る。

 

「ちょっと、ダ・ヴィンチちゃん!」

 

「――よろしくね、ジル!」

 

システムの中の音声が管制室に響く。慌ててガラスの向こう側に視線を戻すと、少年は、騎士に手を差し出していた。

その手をじっと見つめる黒い瞳。勢いよく出された手に、多少面食らった様子であったが、納得したように一つ頷いて、そして笑ってみせた。

 

「まるで、子供のようですな。ええ、こちらこそ、宜しくお願い致します、マスター」

 

お互いの手を取り、握手をする姿に。

 

「ね、大丈夫だろう?」

 

そのやり取りを横目で見ながら、ダ・ヴィンチは手についた粉を舐めて、笑う。

 

「僕の大福は全く大丈夫じゃないんだけどね。消滅してるんだけど?」

 

不服そうに言いながらも、ロマニも安心したように笑っていた。

 

 

 

■ ■ ■

 

 

 

翌日、午後3時。カルデア内、食堂。

白を基調とした、よく言えば清潔。悪く言えば殺風景な其処の一角に集っていたのはマスターである少年、ドクターロマニ、マシュ、ダ・ヴィンチ。

そして新たに召還されたセイバーのサーヴァント、ジル。

昨日は初めてのの召還という事もあり、簡単な挨拶の後は直ぐに解散となった。

ジルには一つの個室が与えられた。

とりあえずは改めての顔合わせ、状況の説明、そしてこれからの事。

それらを話す為に、彼らは集まったのだった。

 

「改めて、この度はようこそ、カルデアへ…ジル元帥。紅茶で宜しいですか?フランスの方はお茶を嗜まれるのですよね?」

 

そっとカップを差し出しながら、少女は剣の英霊に問いかける。

 

「マシュ殿、ありがとうございます。あぁ、あと紅茶ですが…実は私の生きた時代に、そういった嗜好品は無かったのです」

 

「紅茶は飲まなかったのですか!では普段は一体何を…」

 

「専ら、酒でしたね」

 

「結構飲むのですか?」

 

酒の話題に食いついたのはロマニだった。

 

「まぁ、人並み程度には」

 

「いやいや、フランス人の言う人並みに酒を飲むってのは信用できないぞ」

 

生真面目に言っているのか、冗談で言っているのか良く分からなかったが、それなりに和気藹々とはしている様子に、少年はホッと息をつく。

 

「まだ午後3時、おやつの時間ですからお酒はありませんが、ちょっとした甘味をご用意しましたので、お持ちしますね、あとお茶のおかわりも」

 

立ち上がった少女に、手伝うよマシュ、と声を掛けながら少年も一緒に立ち上がる。

彼らの足音が食堂の向こう側に消えたのを確かめてから、ロマニは姿勢と表情をを正して切り出した。

 

「早速ぶしつけで申し訳ないが、聞かせて貰いたい。君には悪いが僕たちも彼が傷つけられたらまずいことになる。

信じられないかもしれないが、世界の危機は現実だ。

レイシフトに耐えられる魔術師はあの少年しかこのカルデアには存在しなくなった……

だから、君が万一にも、『あなたが生きた時代の感情』に引きずられて彼を傷つけたり、特異点の修正を妨害する可能性があったなら、僕は容赦なく君を戦力外とすることに躊躇は無い」

 

その言葉を聞き、顔を厳しく引き締める白銀の鎧の騎士を見て、片眉を上げた美貌が美しい声音でささやく。

 

「ロマニ」

 

たしなめるようなダ・ヴィンチの声に、ロマニは肩をすくめ、厳しい顔をふわっと柔らかく和ませた。

 

「――あの子は人類の希望だ、過言でなく。適切に、希望なんだよ。無くしてはならない。

けれどね、同時に子どもだ。僕から見れば本当にまだまだただの子どもにしか見れない。

だからあの子を傷つけないでほしいし、あの子達……彼と、もちろんマシュも。

二人を傷つけるものから、守ってほしい」

 

その、真剣な眼差し。人類最後の希望だなんて大役を、素人の子供に押し付けなくてはならない無力感。彼の苦悩は当たり前だ。折角召還した英霊が、殺人鬼では、それを守り、助ける役目なんて任せられるわけが無い。

ジルは、紅茶の中に写る自身を見つめながら頷いた。

 

「……あなた方の懸念は分かりますし、納得もいきます。しかし――今の私は、騎士として生きた時代の私。

 

確かに青髭と恐れられた時の記憶も、持ちあわせています。ですが」

水面から顔を上げ、二人の『保護者』に向き直る。

 

「ご安心下さい。必ずや、マスターの剣となり、戦いましょう」

 

同時刻、食堂のキッチンで少年と少女は蒸気を吹き上げる青色のケトルを見つめていた。

 

「……先輩、彼は、『青髭』です」

 

茶器の用意をする後輩に、彼はぱちりと目を瞬かせ、蒼穹の瞳を悲しく、柔らかく和ませた。

 

「ねえ、マシュ。彼は人に、見える?」

 

「先輩?」

 

「人には失ってはならないものがあるんだ。失ったら、人間として機能しなくなるものが。

 

人格が壊れて、感情が崩壊し、人間として生きられなくなる……でも彼はまだ、僕の目には人間に映って見える。……マシュにはどう見える?」

 

青空の瞳は痛いほどまっすぐだ。マシュはまばゆそうにそれを見上げて、顔を伏せる。

 

「……やはり、先輩は知っていらっしゃったのですね」

 

彼の未来を。青髭と呼ばれる男の悲惨な末路を。

すみれ色の髪をぽんぽんとなでてやりながら、少年は明るく、悲しく笑って見せた。

 

「少なくとも僕には信頼できる、立派な騎士にしか見えない。大切なものを信じる人間にしか見えないんだよ、マシュ」

 

「はい、先輩、私にも、です」

 

少年少女は目を合わせて笑い、おかわりのお茶と茶菓子を用意したトレイを持ち上げた。カップの紅茶が芳しく薫る。白い湯気が優しくたなびいていた。

少女が手際よく出す甘味に、ドクターは瞳を輝かせ、騎士は不思議そうに覗き込む。そんな男2人を見て、少年と少女は顔を見合わせて微笑む。

 

「知識としては存在するのですが、見るのも食べるのも初めてです」

 

「いやぁ、これがまた絶品なんだ。ダ・ヴィンチちゃんのケーキはカルデア一だからね」

 

「随分狭い範囲じゃないか、ロマン?」

 

不服そうに唇を尖らせる偉大な画家。

 

「いやだって、人類消滅中ですしね。実質世界一って事ですからね」

 

本当に人類の危機が訪れているのだとは思えないほどに、穏やかに。甘いケーキにクッキー、紅茶。その後はロマニ秘蔵の羊羹に緑茶。他愛の無い世間話。

だが、本題に入らねばならない。

 

「さて、召還したばかりで悪いんだけれど、これから早速戦いに赴いて貰わなくちゃならない。僕たちはその戦場を、特異点と呼んでいる。人類史消失の原因であり、本来は存在しない過去。時代も場所も様々で、今や史実すら参考にならない様な危険な場所だ。歴史介入の原因となっているのは聖杯。要はこれを回収すれば、歴史は元に戻る。」

 

「……なるほど。召還システムから、ある程度の知識は得ておりますが、分かりました。これより、我が身はマスター御身の剣となり、盾となりましょう。そして、これから行く、その特異点とは?」

 

「うん。1431年……フランスだ」

 

その言葉に目を見開いたジルを、少年の蒼い眼差しがじっと強く、見つめ返した。

 

 

 

 

 

 

■ ■ ■

 

 

 

 

 

目を瞑り、記憶を辿る。

 

それは私にとって、運命の女神に――文字通り、私にとっての女神に全てを捧げ、全てを奪われた、在りし日の、幸せで、愚かで、そして何より無残な歳月を過ごした、鮮やかに、酷薄に、彩られた記憶である。

 

 

『よし、マシュ其処で大丈夫だ。通信も至って良好だ』

 

ロマニからの報告を聞き、少年は大きく一つ、頷いた。

 

降り立った時代は1431年、ヴォークルールの町。百年戦争真っ只中の時代。

だが、記憶によれば時の王であるシャルル7世がイギリス側のフィリップ3世と休戦条約を結んだ筈だった。だというのに、満身創痍のフランス兵達は怯えきった表情で崩壊した城砦に凭れていた。

どの顔にも疲労、恐怖、絶望の色が浮かんでいる。

休戦中である筈なのに、このありさまはなにゆえだ?王は、宮廷は何をしているのだ。

 

「……休戦中では無いのですか?」

 

盾の少女が周りを見回し、緊張を解かないまま、近くに座り込んだ兵士に話しかけるが、彼は何を言われたのか分からない、信じられないというように首を横に振った。

 

「休戦……?いや、それを指示した王は魔女に焼かれて死んだよ」

 

不穏な言葉に、マスターの気配に緊張が混ざる。それは私も同じで、私の在りし日の記憶と照らし合わせながら必死に頭を回転させ、彼らから現状を聞き出そうと耳を傾ける。

この時代は特異点。改竄された時代なのだ。必ずしも過去の記憶と同じであるわけが無い。

盾の少女はふわっと藤色の髪を揺らして首をかしげ、眉を寄せた。

その色は戦場には相応しくない、穏やかで優しい色。

 

「魔女、ですか?」

 

菫色の瞳に猜疑心を浮かべながら疑問符を投げかける少女。

 

『魔女?』だと、と私は胸中で懸念を示した。マスターが視線を寄越す、それに黙って首を横に振る。少なくともそんな存在が此処に存在したという記憶は私には皆無である。

一人、そう呼ばれた少女が居た記憶はあるが――脳裏によぎる、聖堂で祈りを捧げる少女の姿、最後に見たのは、異端裁判で火刑を命じられ、魔女として炎に焼かれる姿。

――そう、彼女は、聖女は断じて魔女などではない。誰が魔女と言おうと、だ。それが一国の王であれ、民衆であれ、天であれ、神であったとしても。

誰が許したとしても、私が許さない。

だが、あの王が炎で断罪されたという事実に、私の心はほの暗い高揚を覚えた。

ジャンヌを裏切った報いをその身に、彼女の抱いた灼熱の業火で苦しみながら死んでいったのならばそれは本望とさえ言えた。

それがたとえどれほど、不遜な考えだとしても。

サーヴァントとなったこの身の上にはもはや王冠の威厳も、玉座に捧げた忠誠も、関係が無い。彼女を助けなかったあの裏切り者の無能は、彼女と同じ炎に焼かれて、もだえ苦しみ、そして死んだのだ。

だが、次の瞬間、私の高揚は絶望へと叩き落された。

 

「まさか知らないのか、あんた達?……王は竜の魔女、ジャンヌ・ダルクに焼かれたんだ」

 

目の前が真っ白になった。それは理解できない言葉への怒りだろうか。

私は無意識に少女の肩を押しやり、ずいと無遠慮に前に出る。

座り込んだ兵士の胸ぐらを掴みあげ、その濁った黄色い眼差しをぎりっと睨み付けた。

 

「冗談は止しなさい」

 

マスターが慌てて私の鎧に手を掛けるが、かの人を汚されて私が黙っていると思う方が愚かであろう。

 

「ジル!?」

 

つかみかかった兵士を殺気を籠めて睨むと、ヒッと息をのんで怯える眼差しがこちらを向く。

私の行動に思いあまったのか、マスターが無理矢理間に入っても、私はなおその手を離さなかった。そのまま襟首を締め上げて詰問する。かの人が、誰が魔女だとその口は言ったのか。

 

「ジャンヌが…乙女が、魔女だと……?」

 

「本当だ!髪や目の色は違ったが、彼女はジャンヌ・ダルク、その人だった!」

 

苦しげにもがきながら、やつれた兵士は必死で弁解するが私にそれが信じられるはずもなかった。

 

「別人だ……別人に決まっているだろう!ジャンヌのわけが無い……誰より人を慈しみ、民を愛し、国王のために駆け、国を愛し抜いたジャンヌが……そんなはずが、ある筈がないだろう!」

 

にわかに取り乱した私を、少年の細腕の割に力のある男の腕が、兵士から無理矢理に引きはがそうとする。

――そのマスターの手さえ今はうっとうしい。

 

「ジル、落ち着いて!まだ僕達が直接見たわけじゃないんだから」

 

「しかし!」

 

「ジル・ド・レェ!」

 

凛とした声が発せられて、その清冽な響きが私を強く打った。

ぐっと奥歯を噛みしめ、力を入れた指を一本一本、ゆっくりと鋼の意志を持って引きはがす。

 

「……すみません……少々、取り乱しました。お許しを、マスター」

 

あぁ、これが、自分の生きた時代の感情に流されると言うことか。

額を押さえ、ドクター・ロマニに忠告された事を思い出す。

今の私はマスターの守護であらねばならないのに――

 

ずるりとへたり込んであっけにとられた兵士の首には真っ赤なあざが残っている。

首を振り、目下に見せる態度ではなかったと自制し、呼吸をただすと視界がわずかに明瞭になる。何とか意識を持ち直し、手を伸ばすと、おそるおそる掴んできた男の腕を引き上げ立ち上がらせてやった。

その時、怯えきっていた兵士が、不思議そうに私を――この白銀の鎧をまじまじと見やる。

上から下まで何度も見直し、にわかにおびえが驚愕に変わると、目を見張らせて声を震わせた。

 

「先ほど、名前……いや、御名を……ジル・ド・レェ……と……もしや、ジル元帥…!何故、どうしてこちらにおられるのです?」

 

「…どういう事です?」

 

「貴方は竜の討伐部隊を率いていた筈では?私はオルレアンの包囲戦も、式典にも参加しました。貴方の顔を間違える筈が無い。何故、此処に…その、異国の方々と?」

 

「竜?ここには竜がいるの?」

 

訝る少年は少女に小声で耳打ちする。

 

「いえ、竜種は幻と言われるもの。この時代にそのような存在が確認された例は無いはずです」

 

自身をも納得させるように、口を開いた。

 

「ええ、マスター、私にもそのような記憶は無い。ですが、きっと何か歴史が変わっている弊害がこのような形で現れているのでしょう」

 

この時代、私は既に自身のヴァンデ地方への領土へと戻っていた。そう、ジャンヌが処刑され、全てに絶望して。

私の生は、ある意味で1431年5月30日、ルーアンの火刑台で終わっていた。

その私が討伐部隊を率いているとは。

そうだ、この時代に私はまだ生きているのだ。生きて、ジャンヌの守ったこの国を、守っていた。絶望する暇も無かったのだろう。

だが、その事が、多少の嬉しさを与えてくれる。暗い城に閉じこもっている場合ではないのだ。多少の感慨深さを感じながらも、どう言い訳してよいものか。

同じ時代に、同時に私が存在していいわけがない。

 

「ジル元帥は、我々の調査に協力して下さっているんだ」

 

マスター、青い瞳の少年が私の横に並び、笑顔で言う。

 

納得したように兵士は頷いてみせた。

この少年の笑顔は不思議と人の警戒心を無くすようだった。

 

「そうか、うん、元帥が一緒にいるのなら、それならば安心だ…ですが元帥もご存知無いのですか?あの魔女の姿を見た筈では無いのですか?」

 

「ジル元帥が言うには、あれはジャンヌではないそうなんだ。元帥は長く彼女の傍で副官を務めていたから、間違いは無い」

 

私の知らない何かが、このフランスを襲っている。

 

「髪の色も、瞳の色も違うんだろう?少なくともジャンヌはこんな酷い事はしないよ、安心して」

 

「そうだ…そうですよね、ジャンヌは我々の聖女、こんな仕打ちをするわけが…っ、来た!上を!!」

 

怯えた兵士の声。指差した上空を見上げる。

暗い空を舞う、黒い竜。ワイバーン。この時代にいた生物ではない。

反射的に腰に帯びた剣を抜く。

その時だった。

 

「兵達よ!水を被りなさい!炎を一瞬ではありますが防ぎます!」

 

ずっと焦がれていた。永久にも似た長い間求めていた、声。

私の心を振るえ立たせる、天使の賛美歌。

視線を、地上に戻す。

陽の光のように暖かな、在りし日の聖女が其処にいた。

目に焼き付けた、あの姿のままで。

 

「…ジャンヌ!!」

 

私の声に、彼女は、空色の瞳を向ける。

やるべき事は分かっているだろうと、笑顔で頷いて私を見つめる。それだけで、充分だ。

分かっている、全て。この剣を、振るう、ただそれだけ。

 

「私と共に!武器を持って、さぁ続いて下さい!」

 

振られる白い旗。

戦場を駆け抜ける事にこんなにも喜びを覚えた事は無い。

また、出会えた。

いつか何処かで、彼方の地でまた会えると、そんな声を確かに聞いた。

絶望の淵にあっても私を救ったその言葉。

喜びが全身を駆け巡る。心なしか剣すらも軽い程。

見たことか!彼女が魔女?そんな事があるわけがない。

だが、兵士達の瞳は疑惑に満ちていた。恐怖に慄いていた。

 

「そんな、貴女は…お前は、魔女…!」

 

怯えたその声。しかしジャンヌは応えない。

逃げ出した兵士達の後姿を、悲しそうに見つめ、そして無理やりに笑顔を作って、私達に向き直る。

 

「あの、ありがとうございました」

 

まだ、少し信じられない。彼女が其処に立っている事が。

だが、この心からの高揚感は間違いなく、彼女しかもたらさなかったもの。

 

「…ジャンヌ!!貴女は…何故、いえ、貴女も私達と同じサーヴァントとして…?」

 

僅かだが、魔力の気配を感じる。だが、カルデアを経由した召還では無いのは明白だった。

それならば、何故彼女は此処に?

 

「ジル、ええ、そうです。私は神の意志…恐らくは抑止力によって、此処に遣わされたのです」

 

「とりあえず、場所を変えようか?」

 

立ち話もなんだしね、と言うマスターの提案に従い、我々は一先ず森に野営地を作り、腰を落ち着かせた。あんな炎と、死に塗れた廃墟で話す事もないし、何よりもこの再会の喜びをあんな所で感じたくは無い。

ここならば安易にこの時代の人間にも敵にも見つからない。

我々は、本来この時代にいない人間である、必要以上の干渉はしてはならない。

それを注意するよう、ドクター・ロマニからの要請があったというのもある。

必要以上の干渉は特異点において何を引き起こすか、分からないのだ。

そう、聖杯を回収すれば、この歴史は無かったものになるとしても、確かにここには生きている者達がいるのだから。

まだ我々は、最初の一歩を歩き始めたに過ぎない。

野営地でも忙しなく動き回る彼女は、そう、やはりあの頃のまま。

マスターは必死に火を起こそうとしているがなかなか点かないようで悪戦苦闘をしているようだった。

枯れ草ばかりではなかなか点かないだろう。

手ごろな乾いた枝を集めて、マスターの元へと歩みを進める。

 

「お手伝い致しましょう、マスター」

 

火打ち石に悪戦苦闘していたマスターが、情けない顔で髪をかいて私を見上げる。

 

「ごめん、……頼める?」

 

自信なさげな珍しい表情に、失礼なことだが、私は思わず苦笑が漏れてしまった。

マスターとはいえど、彼もまた、普通の少年なのだ。

――ジャンヌと同じく。

 

「……もちろんです、マスター。ご随意に」

 

盾の少女は肩に白い獣を乗せながらドクターロマニと通信をしているようだった。

こうして見ていると、彼女も普通の少女だ。白い獣の頭を撫で微笑んでいる姿からは想像も出来ないあの戦いっぷり。

優しい菫色と藤色に彩られた少女は、戦場の中の花のように可憐だというのに。

 

「来てくれたばかりで何だけど……ジルは本当に頼りになるなぁ……ちょっと。なりすぎて。困る……」

 

「酷い言いようですな?」

 

苦笑して、手際よく火を付けていく私の手元を興味深く覗き込みながら、マスターは青色の眼差しを柔らかく細めた。

 

「強くて頼りになって優しくて。甘えちゃうからね。だからあんまり甘やかさないでね、ジルに自分が居ないと情けないマスターなんて思われたくないし」

 

今度こそ破顔して、私はマスターを見上げた。

 

「そんなことはありませんとも。あなたは私の自慢の戦友で、マスターですよ」

 

火も点いた所で、改めて自己紹介という事になり、円座になって座る。

 

「ジャンヌ、こちらの少年が我々のマスターです」

 

先程まで、忙しなく動き回っていたジャンヌには、なかなか声をかける事が出来なかった。

まだ、信じられなかったのかもしれない。この再会が現実のものではないのかもしれないと。

 

「まだ新米なんだけどね、宜しく、ジャンヌ。会えて嬉しいよ」

 

横目で一度、私の方を見て、そしてまたジャンヌに向き直り、微笑んだ。

 

「実は、僕たちの所に一番最初に来たのがジルなんだ。だから貴女に会えた事が余計に嬉しい。」

 

続いて、その場にいたサーヴァント達も自己紹介をする。

 

『おお、あの伝説の聖女ジャンヌ・ダルクと話せる日が来るなんて!生きてみるものだ…』

 

突然響いた電子音にジャンヌは驚いたようにあたりを見回す。

 

「どちらにいらっしゃるのです?何とも面妖な…魔術師なのですか?」

 

『失礼、ワケあって音声のみで失礼するよ。僕はロマニ・アーキマン。どうぞ宜しく』

 

「初めまして、で、よろしいでしょうか、ムッシュー・アーキマン?」

 

『……英霊にムッシューとか呼ばれちゃったよ……ちょっと聞いたダ・ヴィンチちゃん!?』

 

『はいはい聞いてる聞いてるよー、ところでこの苺大福貰うね、ムッシュー・アーキマン?』

 

『うん、同じ英霊だけど、あんまり嬉しくないね…ってあっそれは僕の秘蔵の……!ま、まあうん、良いです。はい。今僕は気分が良い!ええと、マドモワゼル・ジャンヌ・ダルク。よろしく、僕は未来の魔術師で医師、技師も兼業している、彼らの一応は上司。そんな感じだ』

 

「なるほど、こちらの戦線の後方支援で本拠地の長なのですね?ムッシュー・アーキマン」

 

「ロマンで結構、どうぞお気を楽に。さて、みんないいかな?本題に入ろう」

 

この世界が崩壊の危機にある事。この時代にも歪みが生じている事。

それを修正しない限りは人類は滅亡するという、俄かには信じられない事実。

 

「…合点がいきました。きっとこの世界の歪みはもう一人のジャンヌが引き起こしている可能性がある。先ほども兵達から聞いたでしょう?竜の魔女、ジャンヌ・ダルクの…」

 

「それは違います!」

 

私は思わず声をあげる。

 

「貴女は此処にいる!ジャンヌ、聖女ジャンヌは貴女、只一人です」

 

それでも彼女は否定を込めて首を横に振る。

 

「そのジャンヌは、あの兵士も言ったようにシャルル7世を殺し、オルレアンで大虐殺を行ったというのです」

 

「そんなわけが…貴女が、そんな、フランス国家の崩壊を…」

 

信じられるわけがない。彼女は此処にいるのだ。ここに居る彼女はこんなにも精錬で、虐殺などという言葉と遠すぎるほどだというのに。

 

「ともかく今は、真実を確かめるべきです。私はオルレアンに向かうつもりです」

 

「なら、僕達も向かおう。目的は同じだ」

 

「ジャンヌさんにとっては、生きた時代。一緒に居て下さるなら私達にとっても、心強いです!」

 

少年と少女も、強い意志をこめて頷いてみせる。

 

「ジャンヌ、また貴女と再び出会えた事、私は貴女の剣として、そしてマスターを、この世界を守る為、戦いたい」

 

「ジル…、皆さん、ありがとう。ですが私の力は不十分です。ルーラーとしての能力の大半も喪われています」

 

自身の手を見つめ、力が喪われた事を憂いているのだろう。

 

「その点は、僕らがサポートしよう。ね、ロマン?」

 

『あぁ、ルーラーの能力には適わないまでも、なかなかの精度を誇っていると自負しているよ』

 

 

■ ■ ■

 

 

 

月が真上に昇っても、炎はまだ赤々と燃えていた。

騎士と、そしてマスター以外は、眠っている。火の当番を申し出たのはジルだった。

敵に追われ、森に潜む獣からも追われている今、火は獣よけに欠かせない。

夜通しでの薪の番は自然と男性陣の中で交代制になった。

マスターという特権や子ども扱いを抜きにして、少年も律儀に当番に加わった。

戦には慣れているからとジャンヌも火の番を申し出たが、いくら子どもだからとはいえ、男の面目が立たないからと笑って却下して。

本当は、ジルとジャンヌの微妙な距離感を感じての気遣いだったのだろうと、爆ぜる火の粉を見つめながら、少年の鋭敏さと優しさに目を細める。

焚き火の炎を、じっと見つめていた少年が、静かに口を開いた。

 

「百年戦争っていうのは、どんな戦争だったの?」

 

「この時代に降りた以上、なんとなくは歴史的背景を知っている方が良いでしょうね。歴史に興味はおありですか?」

 

「うん、そんなに得意っていうわけではないけど、興味あるよ。僕らが今こうして生きてるのは、歴史の積み重ねの結果だから」

 

非常食にと持たされた干し肉を噛み切りながら、少年は答える。

 

「少し、長くなるかもしれません」

 

懐かしそうに、あの出来事を思い浮かべながら騎士は感慨深けに一呼吸する。

それに少年は黙って頷く。

 

「そうですね……始まりは、百年ほども前になりますが、二国間の王位継承争いです。

 

我らフランスの仰ぐ国王、シャルル4世がついに男系男子の世継ぎを持たず薨去なされ、カペー朝が断絶したことを端に発します。元々問題は山積していたのですが、これがフランスの国権を揺るがす契機になったというのは間違いないでしょう。その後、王従弟、ヴァロア家フィリップ様が、王位を継ぎフィリップ6世を名乗ります。これに対抗して、イングランドに嫁いだ、シャルル4世の王妹イザベル様のお子様で、イングランド王である、エドワード三世がフランスの正当な血筋として名乗りを上げ、王冠は二分しました。その時から今日まで王冠は二国間の間にぶらさがり、それに決着を付けたのがジャンヌ……ジャンヌ・ダルクの登場でした」

 

「……百年間も、王権を争っていたの?」

 

苦笑しながらジルは若いマスターを見る。

今の時代、百年というのは確かに長い時間なのだろう。だが、彼らの時代は違った。

それこそ巨大な建造物を作るのに、何百年とかけて、次の世代に引き継ぐ。

そう、世代を重ねて作っていくのが当たり前だった。

 

「そうです。まぁ、何度かの休戦は挟んでいましたがね……その間、民は財政難やペストの流行に苦しめられました。我々はカペー朝の移行を根こそぎ根絶させられ、イングランドの焦土作戦に膝を屈する寸前でした。交易と軍事の要衝、オルレアン。かの地が奪われれば、フランスの大部分は今やイングランドの支配下であったことでしょう」

 

オルレアンはロワール河の北岸に位置した町で、交通の要衝であったのだ。

ここを支配出来れば、イングランドは北部の占領地から南西部の領地、ギエンヌ地方に通じる道を確保することが出来る。

オルレアン進撃にはもう一つ意味があった。王太子シャルルの捕縛である。

1420年のトロワ協定により、王位継承権を失った為、父シャルル6世の死後も戴冠式をあげることが叶わず、ロワール河南部の都市を転々としていたのだ。

 

「オルレアン…オルレアンの乙女……」

 

少年の目に、純粋な憧憬の光が宿る。

微笑ましく、ジルは彼女の栄光を語りかける。

 

「彼女はただの村娘でした。お母上は信仰に厚く、彼女に主の言葉をよくよく聞かせて育てられたそうです。十七のある日、彼女は礼拝堂で天啓を受けます。

――フランスを、祖国を救え、と。主からのお言葉に突き動かされるように、ジャンヌは有力者に働き掛け、当時王位継承権を主張しきれず悲運に沈んでいた王太子シャルルに会えるよう嘆願します。シャルルは彼女を試すことにしました。

玉座には自分以外の臣下を座らせ、自分は群衆の中に紛れたのです。彼はへんぴな村野での田舎娘が恥を掻くことを望んだのでしょう。ですが、ジャンヌは違った。

まっすぐに玉座を横切り、シャルルの前に跪いたのです。

貴方に王冠を与えることを、主がお望みです、と。そうお伝えして」

 

ぱちりと爆ぜる焚き火に目を細め、ジルはゆっくりと噛みしめるように輝かしい日々を思い出す。

 

「彼女は王家の紋章である白百合の戦旗を許され、オルレアンに向かいます。イングランドに包囲されていたオルレアンは沈みきっていました。しかし、彼女はオルレアンの包囲網を次々と陥落せしめ、ついに歓喜の声をもってオルレアンの民に迎えられ、入城します。真っ白な旗に白百合の花と天使が美しく翻っていた……それからも彼女は快進撃を続け、ついにイングランドをわずかに一部領土を残した所まで退けます。

そしてついに、シャルルの戴冠が叶った――シャルル7世の誕生です。私もその場におりましたが、震えるほどに神々しく、輝かしい思い出です。油の壺を持つ手が震えたのを、今でも思い出せます」

 

歓喜の声――全ての人々が「万歳!」と叫び、響くトランペットの音。

教会の丸天井は割れんばかりだった。

ジャンヌは旗を持ったまま、国王となったシャルルを、そして轡を並べた戦友達を、守った民達を穏やかに見つめていた。

 

「しかし、フランス全土の完全な復権を望むジャンヌと国王は対立しました。国王はフランス内の親イングランド派のブルゴーニュ公との和平を望み、ジャンヌはそれではイングランドに隙を与える、必ずパリを奪還する、と進言し、進軍しました。しかし、戦いは芳しくなく、その後敗戦を続け、国王は怖じ気づき、ブルゴーニュ公と休戦を密かに結びます。その結果、国王に帰順し戦っていた多くの諸侯や民、領土を見捨てる憂き目に遭います。案の定、ブルゴーニュ派はあまたの街を占領し、包囲します。ジャンヌはこれに、単独で救援に向かいました。わずかの兵士を連れて。

しかし奇跡は起こらず、主は彼女を見捨てられた。イングランドに挟撃され、要塞に撤退するその間際、彼女の目の前で、城の跳ね橋が跳ね上げられたのです!」

 

ジャンヌは部隊を守るために最後尾にまわって退却した。

退却軍の最後尾は確かに敵の最前線と混在していたのだ。それでも門は閉ざされてしまった。

町の防衛の為、敵兵の侵入を防ぐため、確かに閉じる必要はあったのだ。

だが、ジャンヌは最後まで味方を救おうと必死に戦い続けていたのだ。

その中で、一人の敵兵がジャンヌの上着を掴み、馬から引き摺り下ろし、地面に叩き付けた。

 

「私はあの光景を一生忘れないでしょう。なすすべもなく彼女が捉えられた姿を。

そしてイングランドに身柄を引き渡され、でたらめだらけの異端審問の末に、魔女としての火刑に処されたことも。

――彼女は、最後まで、最期の最期まで……主の御名を叫んでいた。

心から祖国を愛し、陛下……いいや、王と祖国に尽くし、裏切られても、主の愛を信じ、疑うことなく、全てを愛して……」

 

しばらく、無言が続いた。輝かしいジャンヌの歴史はたった二年にも満たない。

それが百年にわたる戦争の結末とフランスの領土を決定づけた。復権裁判の後名誉を回復されても忘れ去られた。

歴史が彼女の名を思い出すのは1900年代まで待たねばならない。

1919年……フランス革命の年に、フランス国民は祖国を救った救国の乙女を思い出す。

 

「彼女の名が歴史に強く刻まれるのはその死後、約五百年を待たねばなりません。1920年、フランス革命に混迷する年に、ローマ教皇は、オルレアンの乙女を、聖別し、聖人の列に加えました。それが今日まで、世界史に刻まれた英霊、ジャンヌ・ダルク。私の信じるただ一人の人なのです」

 

少年は黙って私の長い話を聞いていた。ひなびた村の娘が一国の王を戴冠させる。

その輝かしい栄光と、晩年の、悲しすぎる最期の時の、末期の声さえ神を呼んだ少女の駆け抜けたたった二年の月日を思う。なんて鮮烈で、まぶしく映るのだろう。マスターの目にも、在りし日の彼女の強さが、映るだろうか。

 

「ジルも、いたの?」

 

「ずっと、おそばに」

 

騎士が柔らかく微笑む。それは誇りに満ちた笑みだった。

 

「そう……か……」

 

辛かった、とも、凄い、とも、口が開かないようなマスターに、聡い、と素直に感じた。

これが単なる冒険譚でないことを、人の死というものとともに彼は理解しているのだ。

 

「貴方が嘆くことはない、彼女は今ここに確かにいる。叶うはずのない、再会は叶ったのだから」

 

「ジルは、ジャンヌが居なくなった後の生涯を……」

 

小さく言いよどんだ声がよく聞き取れず、私はマスターに首をかしげて言葉を促す。

 

しかし、マスターはつよくかぶりを振って、にこりと笑った。

 

「さすがジャンヌの騎士で、僕のサーヴァント。誇りに思うよ、ジル元帥」

 

にっと少年らしく笑って、拳を突き出してくる。

私も思わず破顔して、在りし日の輝かしい思い出を大切にしまってくれた彼の心遣いに感謝しながら、拳をごつん、と強く、あわせた。

 

「しかし、まぁジャンヌは、随分お転婆でしたよ」

 

過去の事を思い返し、私は思わず苦笑した。

あまり、思い出したくもない過去であるのは事実だったが、その輝かしい日はどんな汚辱にまみれようとも忘れない。

 

「さっきも凄く勇敢だった。まさか旗で敵を薙ぎ払うなんて」

 

「あの旗の先端、槍のようになっているんですよ。つまりこの旗で殴れという啓示でしょう、なんて言っていましたからね」

 

ですが、と言葉を濁す。

 

「結局の所、そう、結局私は、主の御名を呼ぶ彼女を、助けることができなかったのです……」

 

少女は、助けを求める事は無かった。

それでも、助けたかった。

ただ、神の名を呼び、忍び寄る炎に焼かれながらも。

ぱちりとはねる火の粉が、白銀の鎧をまぶしく照らす。

 

「止める事が出来なかった。王は動こうとしなかった。私も、仲間も私兵を動かしました。それでも、駄目だった」

 

炎に、過去の後悔、無念が重なる。

 

脳裏にはあの日業火に焼かれながら、神の名を呼んだ少女の声が今もなお、響いているのだ。

 

「――主よ、この身を委ねます」

 

そう、最期の時まで助けを求めず、神に全てを委ねたあまりにも優しく、愚かな少女の声。

思い思いに眠る仲間達を見回して、最後に横になるジャンヌを見て、ジルはそっと目を伏せた。

その様子を伺いながら、彼の主人となった少年も、自分の後輩のすみれ色の髪を撫で、安らかな眠りを見守った。

彼らに守られている無力な自分が、マスターとして、彼らをどう守っていくか。

聖女を守り切れなかったジルと同じように、少年にもマスターとして守るべきサーヴァントを守れない日が来るのだろうか――。

 

「ジルは。ジャンヌが死んだ後、どうしたの?」

 

再度、その後の彼のことを問う少年。

闇の中でもなお深い青に光る眼差しがジルを突き刺す。

ジルは、その後の自分を思い浮かべて、ふとまぶたを伏せたのであった。

――それは、己が仕えるマスターにも、そして生前あがめた聖女にも、のどを切り裂いてでも言うことのできない定められた過去であり、この時代からすれば未来。

崖から暗渠の縁を覗いたように、ジルは静かに首を振ったにとどめ、マスターも眼差しを静かに伏せた。

 

 

 

■ ■ ■

 

 

日が昇る、夜が最も不覚なる夜明け前。

 

バサリと薪の明かりを頼りに草むらの上に地図が広げられた。

転々と記された文字はフランス語古語で、もちろんマスター達には読めない。

私はそれを逐次説明しながら、この時代に先に限界していただろうジャンヌに状況を聞いて戦況を整理していく。

彼女も、生前の軍議通りに、進言にはよく耳を傾け私の言葉に頷いていた。――ここが王宮であれば、私は今の現実を、夢だと錯覚しただろう。

 

「オルレアンに乗り込むとは言いましたが…今はまだ、向こうの戦力も知れぬ状況。ひとまず、手前の街であるラ・シャリテで情報を仕入れようと思うのですが」

 

「ええ、それが良いでしょう」

 

ジルの拡げる地図に、ジャンヌは指を這わせる。

 

「直接乗り込んでどうにかなる相手とも思えませんしな。何しろあの竜を操っているというのですから、得体が知れない」

 

深刻な状況である筈なのに、思わず頬が緩んでしまう。

 

「先輩、なんだか嬉しそうですね」

 

「そうかな?」

 

この後輩には、いつも僕の考えが読まれてしまう。でも、マシュ曰く、僕は顔に出やすいらしい。それはいけない。マスターなのだ。いかなる時も、余裕をもって優雅たれ、なんて言ったのは誰だったか。

巨大な敵に立ち向かうのに、いちいち表情を崩していたら示しがつかない。

 

「そうです。凄く、穏やかな顔をしてました」

 

「はは。なんでかな、――うん、なんだかちょっと嬉しかったんだ」

 

「嬉しい、ですか?」

 

そりゃあ、嬉しい。自分でも贔屓をしてしまっているという自覚はあるんだ。

 

初めて召還したサーヴァントだから?それは勿論ある。でも、他にもきっと、理由はある。

何で彼が最初に召還されたのかなんて正直分からない。彼の物語も勿論知っていた。

彼が、自分自身のその後のことを語りたがらなかった理由も、何となく。

でも、もしも出来るなら、助けてあげたいとそう思ったんだ。

過去は変えられず、未来も定めらた英霊。

エゴかもしれない。それでも、何か出来ることがあるはずなのだと思わないと。

だけど、それが出来るのは、恐らく自分ではない。

彼にとっての星はジャンヌなのだ。どうか、彼が道に迷わないように照らしてあげて欲しかった。

 

「まぁね。いや…でもジャンヌ、随分冷静なんだね。何となくなんだけど、猪突猛進に突っ込んでいくのかと思っていた」

 

我ながら失礼な事を言ったものだと思うけれど、昨日の話を聞く限りでは随分豪快なのだと思ったものだった。

相当な健啖家で、兵士達にひけをとらなかったというし。

 

「冷静に見えますか?」

 

ジャンヌは笑いながら地図から顔を上げた。

 

「いえ、実は焦っているのです。もう一人の私はどう考えても正気ではありません」

 

『もう一人の私』というのが、傍らの騎士には納得がいかなかったのだろう。眉を顰めていた。

 

「そんな怪物が、何をしているのか。圧倒的な力、圧倒的な憎悪はどんなに高潔な人物をも滅茶苦茶にするのです」

 

悲しそうに話すその言葉は、『そうなった誰かを知っている』ような口振りだった。

それは例えば彼女を火刑に処すことを見逃した王かもしれない。

そして例えば、傍近くに侍っていた白銀の誇り高き騎士かもしれない――ここでその答えを追求すること、それが間違っていることだけは、堅く確信できるから、唇を引き結んで沈黙のまま目を伏せた。

ジルも同じように、じっと何かを考えているようだった。

 

 

 

■ ■ ■

 

 

ラ・シャリテ・シュル・ノワール。恐らく、此処も美しい街だったのだろう。

町の中心部にある円錐形の鐘楼が美しいノートルダム教会は、キリスト教世界において2番目の大きさだったという。

本当は、不謹慎だけれども少し楽しみにしていたんだ。

こうして一緒に、みんなで世界を見て回れることを。

けれど、そんな甘い考えは無残にも崩れ去る。

今はもう跡形も無い。夕暮れの中で街が燃えていた。あの冬木の街のように、熱く、赤く。

声も、聞こえない。聞こえるのは瓦礫が崩れる音、そして家々が燃える音。

竜が――ワイバーン達が吼える、その声。

 

『残念だが、生体反応は感知できない』

 

電子音が混ざった声は、いつもの飄々とした声ではない。

あの声に、いくらか心を救われていたのに、こんな時に真面目ぶった声で冗談なんて止して欲しい。だが、この光景を見れば、冗談ではないことは分かる。

肉の焼ける匂い。無残に潰された人々。

だが、瓦礫が動き、其処から這い出る人影に、思わず駆け寄る。

まだ、生きている人がいたのだと!

早く、助けなくてはいけない。そう思うよりも前に足はそこへ駆け出していた。

 

「大丈夫…っ、ひ…!?」

 

だが、這い出てきたのは既に人間では無かった。襤褸をまとった、人間だったモノ。

木綿のシャツも、丹精な刺繍が施された赤いスカートも、ぼろぼろになり、泥と煤と血に汚れて。金髪の、波打った髪は途中で無残に切れ、炎の熱でちりぢりになっていた。

緑色の宝石のような瞳は、濁りきって、片方の目はあるべき所に無かった。

 

「先輩!下がってください!」

 

リビング・デッド。ゾンビの類。這い出たのと同時に伸ばされた骨ばった腕を、マシュが盾で防ぐ。

 

「マシュ…!」

 

一気に正気に戻る。戦場で戦力的には一番役に立たない自分が向こう見ずに駆け出すだなんて。愚かだった。守ってくれる存在に、甘えきっていた。

 

「てやぁあ!」

 

気合と共に、ゾンビを押し返してそのまま粉砕する盾。こんなの、ゲームの世界のものだと思っていたのに。

そうだ、ドラゴンだって、骨の化け物だって、みんなこの世界には居ない筈なのに。

作り物の筈、なのに。

体がうまく動かない。それでも何とか戦闘の邪魔にならないよう、後退する。

 

「はッ!」

 

立て続けにもう1体。そこにすかさず飛び込んで、死体を斬り伏せるセイバーのサーヴァント。全身火傷で爛れ、歯茎をむき出しにした男の、脳髄が、白濁した眼球が地面に撒き散らされる。こみ上げる吐き気。だが、もう怖がってなどいられない。

だが、ルーラーはどうだろうか。

瞳を見開き、荒い呼吸を繰り返している。額には、汗を滲ませて。

恐怖ではない。嫌悪でもない。圧倒的な、悲しみに体を震わせているのだ。

死者を冒涜する、その行いに。

頭上を旋回していたワイバーンが、牙を剥いて死者を貪る。玩具のように壊される人の体。

虚ろな眼底。真っ暗なそこが、眼球も無いのに、こちらを見つめていた。

 

「やめなさい…やめろ!どれ程に憎めば、このような天をも恐れぬ非道が行えるというのです!」

 

「ジャンヌ…」

 

「これを、もう1人の私が…」

 

短い時間の中でも、ジャンヌという人物の強さは痛いほどに分かっていた。

ジャンヌは決して挫けたりしない。そう、自分の最期の時までも、信じる心を持っている。

それが、こんなにも悲しい、辛い、苦しい顔をするだなんて。

それはジルにとっても同じだったのだろう。

眉に悲痛に皺を寄せて、歯を食い縛って。まるで自分の悲しみのように耐えている。

 

『ちょっと待って!サーヴァントの反応、5騎…?なんだこのスピードは…ライダー?いや、間に合わない…とにかく逃げてくれ!』

 

ロマンからの緊急無線。

逃げろといっても、一体何処へ?こんな瓦礫の中、逃げたってすぐに見つかるじゃないか。

頭の上だって、まだワイバーン達がぐるぐると回っている。

だが、そんな事は言っても無駄だ。今は、ここにいる英霊達を信じるしかない。

少なくとも、僕よりも戦場を駆け抜けてきた精鋭達なのだから。

 

「……私は逃げませんとも」

 

ジャンヌのその言葉に、ジルも頷く。安心したような顔だ。

それに自分も自然と顔が綻ぶ。ああ、大丈夫だ。

 

「真意を、突き止めるのです」

 

そして、黒い影が、静かに舞い降りる。

明らかに桁違いの存在。邪悪を1滴残らず絞りきった、そんな存在。

確実な死の気配に足元が竦む。

その、黒い竜の背中から地面へと飛び降りたのは、黒い聖女だった。




2話は6月中には更新したいと思っています。
以下、2話の冒頭。


「なんてことなの?こんな事がおきるなんて。ねえ、ジル、私に水をかけてくれない?ああもう、頭がおかしくなりそう」

くすんだ金髪。琥珀色の瞳。火刑にくべたような黒い甲冑。
意味が分からない、というように首を振り、こめかみをおさえて。
だが、何処か愉しそうに。
――誰だ、これは?
何故、この娘は私の名を呼んでいる?
こんな知識は『知らされていない』こんな存在は知らない。
私の史実に、過去に、そして未来にあり得ない。
酷い吐き気と、頭痛。知らないはずの何かを、私は知っている。
その記憶を、探ってはいけない。

「ほら見てジル!あの小娘の情けない顔!虫以下のちっぽけな生物!あんな私に縋るしか無かったフランスは本当にバカね?ねえジル、そうでしょう?」
今度こそ、本当に愉しそうに、足取り軽く、ステップを踏むようにくるりと回ってみせる。焦げたように黒い、スカートが翻る。

「――お前は誰だ!」

答えが得られないもどかしさ。沸点を超えた怒りに耐え切れず怒号をあげた私に、初めて其処にいた存在に気がついたのかのように、彼女は少し驚いたように瞳を見開いた。
惰性でふわりと宙を舞っていた黒いスカートがふわり、と落ちる。
私を琥珀色の瞳に映して、だが、心底呆れたように瞳を伏せる。

「…あぁ、なんだ、私のジルは連れてきていなかったんだわ」

問いには答えず、詰まらなそうにため息を付く。

「はぁ、全く情けない。早く堕ちてしまえばそんな無駄な葛藤などせずに済むのに」
「貴女は、誰です」

今度はジャンヌが問いかける。
その声は震えていた。だが、旗をしっかりと握り締め、真っ直ぐに前を見据えて。
「誰、ですって?愚問ですよ、『私』?蘇った救国の聖女、ジャンヌ・ダルクです」
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